2016年8月21日 (日)

オデオン広場ふたたび(8)旅の終わり・ブタペスト美術館展

6月24日(金)

     帰国の日。昨日衝撃的なニュースがありました。英国のユーロ離脱で、まさか国民投票で決まるとは。大方の識者の予想をうらぎった結果ですが、私たちには些かうれしい影響が、、、というのもホテル代の清算を精算時のユーロだてにしているからで、すでにユーロは一時的に110円を切る勢いで下落しています。部屋の片付けを手早く済ませ、10時前には清算し、飛行機は深夜発なので荷物をレセプションに預けて、最後の街歩きに出発しました。

   まずサン・ジェルマン・デ・プレへ。L'Ecume des Pages で文芸書を立ち読みしました。出ようとすると、妻が、これを買って、と『巨匠とマルゲリータ』のフランス版のペーパーバックを持ってきました。それを買って、オデオンの交差点まで歩いて、最後にどこか良いカフェに寄ろうと思い、オデオン交差点の cafe les Editeurs に入りました。まだ昼間ですが席はほぼ埋まっています。私たちは朝食用のコーヒーとクロワッサンorパン・オ・レザンのセットを頼みました(2人で11ユーロ)。ところが、クロワッサンが品切れになったとのことでパン・オ・レザンを3つ運んできました。ひとつはサービスとのことです。

    一休みして、les Editeursの前のAvant Comptoir でハムのサンドイッチを買ってリュクサンブール公園のベンチに座って食べました。なぜか帰国の日は毎回こうして昼食をたべています。食べ終わってもまだ時間がたっぷり残っているので、ちょうどリュクサンブール美術館で開催されている「ブタペストの傑作展」に行ってみることを提案しました。これはブタペスト美術館が長期の改装に入っていることを利用して名だたる傑作がパリに移送展示されているものです。入場してみると展示は思った通りすばらしい。デューラー、アルトドルファー、グレコ、ティントレット、ゴヤ、 モネ、マネ、ゴーギャン、セザンヌ等々、これほどの凝縮した展示は日本ではなかなか見られないでしょう。さらに、あまり馴染みのない地元ハンガリー出身の画家たちの絵も興味深い。見終わった後では妻もたいへん満足気で、旅の最後に良い絵をたくさん見れてよかったと言っていました。

   リュクサンブール美術館を出て、リュクサンブール公園の金の鉄柵に沿って歩き、サン・ミッシェル通りをホテルに向かって歩く途中で、ソルボンヌ広場の哲学専門書店 J. VRIN に寄ってみました。最終日にこの本屋に寄るのが慣例のようになっていますが、私がいろいろ迷っているうちに妻が『論語』のフランス語版(原文付)を買っていました。それだけ買ってホテルに戻り、荷物を受け取って、地下鉄でエトワール広場へ。ところが、いつものリムジンバス乗り場が違う場所に移っていて、しかもエール・フランスから委託会社の違う塗装のバスになっていたので、探すのに苦労しました。バスのテロが心配だったが、無事空港へ。今回オデオン座を案内してくれた妻の文通相手が、土産は空港のマークス・アンド・スペンサーで買うといいよと教えてくれたので、そこでお茶やお菓子を買いました。搭乗前に何か食べようとマークス・アンド・スペンサーのサンドイッチを一つずつ買ってベンチで食べましたが、これがとても美味しい。モノプリやフランプリなど問題になりません。また何でも安いので、私が大きなきゅうり(コンコンブル)をカゴに入れていたら妻から取り上げられてしまいました。出国手続きを終えて、私が売店で買ったパリ・マッチを読んでいると、化粧品の売り場に行っていた妻が私に「こっちに来て」と言っています。行ってみると、シャネルのマニキュアの色で迷っているらしく、私に相談してきました。私には全部同じ色に思えたが、帰国の時に免税店で買い物をするのが妻の楽しみなので、真剣にアドバイスしました。

    今回のパリ旅行は、たぶん(私にとって)最後のパリとなるでしょう。大きなトラブルもなく、これまででもっとも満足のいく旅行だったと思います。早く買ったチケットのおかげで、往復とも窓際の二人席を取れたのは幸運でした。ユーロが下がっていたのも僥倖でしょう。今度はどこへ行くべきか。イタリアかイギリスかドイツか。ポルトガルやスペインも良いでしょう。スコットランドやアイルランドも食指が動きます。しかし、本当のことを言えば、どこにも行く気になれないのです。何年か経って、もう一度パリを訪れることがなかったとしたら、グザヴィエ・ド・メーストルの Voyage autour de ma Chambre(書斎をめぐる旅)のごとく、本に埋もれた部屋で思い出と夢想の日々を過ごすことでしょう。

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サン・ジェルマン・デ・プレの本屋 L'Ecume des Pages.

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オデオン交差点のカフェ・エディトゥール。editeurは出版社とか編集という意味。店内の壁は書棚になっています。店員の態度、店の雰囲気、料理の質、トイレなどの綺麗さ、総合的に考えて、パリ最高のカフェの一つであると思います。

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カフェ・エディトゥール。オデオンの交差点際にあります。

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Avant Comptoirで買ったJambon(ハム)のサンドイッチをリュクサンブール公園のベンチで食べました。妻はここのサンドイッチが一番美味しいと言っています。

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「ブタペストの傑作展」から。ルーカス・クラナッハ(1472〜1553)の「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」。クラナッハはこのサロメとやはり同じような趣向の「ホロフェルネスの首をきるユディット」をたくさん描いており、このグロテスクでエロティックな絵画の需要が並々でなかったことを思わせます。残酷趣味も官能美も聖書から由来のものであれば許されたからです。出来不出来はあるが、このブタペスト美術館のサロメがもっとも素晴らしい。

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エル・グレコ(1541〜1614)の「受胎告知」。ほとんど同じものが大原美術館にもあります。ブタペスト美術館はスペインに次いでグレコを多く所蔵する美術館だそうです。グレコの独特の画調は好き嫌いがありそうですが、その偽りのない深い宗教性には胸が打たれます。

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オランダ17世紀の代表的な風俗画家ピーテル・デ・ホーホ(1629〜1684)の「窓辺で手紙を読む女性」。フェルメールにも同名の絵があるが、この二人はデルフトの同じ組合に属していました。ともに風俗画を得意としていますが、フェルメールが劇的で詩的で独自のオーラを持っているのに対して、デ・ホーホは日常の情景を散文的に正確に描こうとしました。非個性的な職人的な誠実さ、それが彼の際立った個性なのです。なお、窓から見える尖塔はアムステルダムの西教会。

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ルーヴルで見ることができなかったフランス・ハルス(1580〜1666)にリュクサンブールで会えるとは。私はレンブラントの数点を除いては、フランス・ハルスに勝る肖像画家はオランダにはいないと思います。この「ある男の肖像」は結婚式の正装をした男の肖像だが、このまま話しかけてきても私たちは驚かないでしょう。フランス・ハルスの優れた肖像画は、皆、笑っているか酔っているか、あるいはその両方です。

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ハンガリーを代表する三人の画家が続きます。ムンカーチ・ミハーイ(1844〜1900)の「マントを着た男」。パリで長らく暮らしていたが、そのリアリズムは言い難い複雑さがあります。ハンガリーの国民画家とも言われています。

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パリで印象派の洗礼を受けたシニェイ=メルシェ・パール(1845〜1920)の「ひばり」。彼の作品としては「五月のピクニック」の方が出来がいいが、それはあまりにフランス印象派がかっています。この「ひばり」の明るさ非現実さはフランス印象派の誰も真似できないでしょう。なお会場では、この絵を模したポーチや文房具が売られていました。

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ヨーゼフ・リプル・ロナイ(1861〜1927)の「鳥かごと女」。この展覧会の目玉というべき素晴らしい作品。鳥かごと壁の緑、ソファの青、ドレスのワイン色、肌の光などは実物を見るに若くはありません。この絵はフランス滞在中に描かれ、その後リプル・ロナイはナビ派の運動に参加しました。シンプルな図柄なのに、いつまで見ても飽きることはありません。

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右の二冊が妻がこの日に買った本。『孔子』と『巨匠とマルゲリータ』。

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2016年8月14日 (日)

オデオン広場ふたたび(7)帰国前日

6月23日(木)

    帰国前日、予定では、妻はオルセー美術館に行って、私は一人でぶらぶらするつもりでした。しかし、昨日の個別行動で私は一人に飽きてしまいました。妻と二人で行動する方が安心だし、何より互いの心配をしないで済みます。それに気づいた時、何というか、自分の青春は終わったのだと思いました。はるか昔に初めてパリを訪れたとき、夕闇の迫る3月のある日に、サン・ティティエンヌ・デュ・モン教会の丸い階段の上に座っていた妖精の黒いとんがり帽を被った愛らしい女学生に話しかけた時、彼女の言っていることはほとんどわからなかったのですが、別れる時はもう暗い帳が向かいのサント・ジュヌヴィエーヌ図書館の玄関まで覆っていました。いつか再びパリを訪れる時に、またあの階段の上に黒いとんがり帽を被って腰掛けている女学生に会える気がしていたのです。

   そんなことなどあり得ないと誰も思うでしょう。昔(ずっと昔です)、小岩のアパートに一人で住んでいた時、近くにあった肉屋の店先で、焼き鳥を焼いていたおかっぱの女の子がいました。その店の娘で、私は銭湯の帰りによく立ち寄って焼き鳥を2、3本食べていたのです。それから25年ほど経って、近くまで来たついでにその肉屋を訪ねてみました。10メートルほど先にその店が見えた時、私の心臓は飛び出さんばかりに拍動したのです。何と、その同じおかっぱの女の子が焼き鳥を焼いているのです。私は少し離れて立ち止まり、そのまったく同じ情景を眺めていました。そして、それが幻影であるかも確認せず、黙ってそこを立ち去りました。

   しかし、今やすべては死に収斂する老年に差し掛かって、青春の幻影は風とともに吹き飛んでいくようです。そんな少女は私の頭の中にしかいなかったし、これからも出会うことはないでしょう。私は、それほど乗り気でなかったが、妻とオルセーに行くことに決めたのです。朝食は昨日と同じ、モノプリで半額で買ったパン・オ・レザン(2個で1.43ユーロ)とコーヒー。サン・ミッシェル近くのセーヌ川に沿ったバス停で24番のバスを待ちましたが、なかなか来ません。朝の陽射しが強くて、妻は文句を言いたそうです。渋滞の間からやっと姿を見せたバスに乗って、20分ほどでオルセー河岸に到着。目の前のオルセー美術館は予想外に行列もまったくなく、 荷物検査もスムーズに終わりました。今日は印象派を除いた19世紀後半のフランス絵画を見るつもりでしたが、一階の左の側廊の広いスペースで『ドワニエ・ルソー展』が開かれていました。

   アンリ・ルソーの絵をまとめて見るのは初めてでしたが、思ったよりもたくさんの絵が展示されていて驚きました。また、ルソーが影響を与えたピカソやエルンストやモーリス・ドニなどの絵も一緒に展示されていました。それにしても、密林や虎や蛇などを次々に見ていくのは疲れます。というのも描かれている絵のほとんどが正面を向いているからで、さらに迫力ある大作が多いのにも圧倒されました。見終わって、それほど好きでもなかったこの画家が好きになったことを告白してもおかしくはないでしょう。訴えてくる画家のイメージは力強く、虚飾も、妥協も、見せかけの宗教的深みもありません。折り重なり、水気をたっぷり含んだ肉厚の葉の信じられない深い緑をそれまで彼以外の誰が描き得たでしょうか。

   今回のパリ旅行は、朝元気いっぱいでホテルを出ても、2、3時間後に急に疲労に襲われることが多かったのですが、ここオルセーでも、ルソー展を出たら急に疲れが感じられました。オルセーの一階の奥の白くまカフェで休もうと思ったら満席でした。仕方なくベンチで休んでから、バスに乗って帰りました。停留所から私だけ先に帰って、妻にオデオン近くの Maison というハンバーガー店でハンバーガーを買ってきてもらいました。ここはFigaroのパリでもっともおいしいハンバーガー店五つに選ばれた店で、パリ一番の肉屋の肉を使っているという話です。ハンバーガーを半分ずつとビールを飲んでベッドで体を休めていたらぐっすり寝入ってしまいました。もう3時近く、今夜は観劇の予定はないのでまったく自由です。妻がマレのカフェ・ド・ミュゼかシェ・ネネスで食事がしたいと言い出しました。しかし、もうランチの時間は終わっているし、夜までは間があります。そこで、昼以降はずっと店を開けているブラッスリーのシャルティエに行くことにしました。妻はあまり乗り気でなかったが、私はあまり気を使わないで済むこの店が好きなのです。

   メトロで、グラン・ブールヴァールまで行き、シャルティエに入って驚きました。たいてい行列ができているのに、今日は誰も並んでいません。店内も客が少なく、いつもは相席になるのが普通なのに今日はテーブルを独占できました。ユーロ2016の最中で、サポーター連中が押しかけてもいいのに、景気のいい団体客の姿も見えません。やはり、観光客は目に見えて減っているのでしょう。私たちも超早割の安い航空券を買っていなかったら、パリではなく草津にでも行っていたかも知れません。シャルティエも化粧室を劇的に改装して綺麗になったのに当てが外れたようです。アペリティフのキールを飲みながら、私たちはゆっくり料理を注文して、ゆっくりワインを飲み、サラダと肉を食べ、コーヒーを飲んで帰りました。

   再びホテルに戻って休息。ベッドに寝転んでテレビを見たり20minutesを読んだりしていました。7時過ぎに二人で外出。まずジベール・ジューヌでeuro2016関連の土産を探しました。いろいろな所を見たが、ここが一番安いようです。キーホルダーなど買って、サン・ミッシェル通りを南に上がって行きました。馴染みの通りですが、恐らく、もうしばらくはあるいは永遠に来ることはないでしょう。ソルボンヌ広場のJ. VRIN に寄ろうと思ったが閉まっていました。さらに南に歩いて、スフロ通りを左に曲がるとパンテオンが見えて来ました。そのパンテオン広場の懐かしいオテル・グランゾムのちょうど裏手にワインで知られた Cafe de la nouvelle Marie があります。

    パリ最後の夜をワイン・バーで過ごそうと思ったのです。ところが、店は満員で、どこにも席はありません。あきらめて帰ろうとしたら、女性のスタッフが、8時40分までに出られるなら二人席が開けられると言って、奥の予約席に案内してくれました。30分ほどしかいられないのですが、ワインだけでも飲んで帰ろうと思って、白と赤のハウスワインを注文しました。店はとても賑やか、エコール・ノルマルやマリー・キュリー研究所の近くなので客質は男女とも知的な人が多いようです。さて、運ばれて来たワインを飲んで白赤ともその美味しさにびっくりしました。特に白はこの世ならぬ味、透き通っていてしかも豊かで飲みながらいろんな夢想が湧いてくるような素晴らしいワインでした。銘柄を聞きたかったが、店内は戦場のような忙しさで早々に退出して来ました。(料金は一杯7ユーロと5ユーロ、どちらがどちらなのかわかりません)

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Le Douanier Rousseau 展は写真撮影禁止でした。オルセー美術館のサイトから彼の渾身の一作「戦争」(1894)を見てみましょう。地上には死に瀕した人たち、枯果てた木々、死体をついばむカラスが描かれ、真ん中には全てを圧して疾走する馬、剣と松明を持つ戦争の女神が描かれています。戦争の恐ろしさ、どうしようもなさ、話し合いの無意味さの真実の表現。誰も千切れた下着をつけて髪を振り乱した女を説得しようとは思わないでしょう。この絵はカンディンスキーやピカソに深い影響を与えました。20世紀のキュビズムやシュルレアリスムなどの絵画は避けがたい人類の苦悶の表現であることを予見しているような作品です。

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私のもっとも好きなルソー作品をフィラデルフィア美術館のサイトから。「カーニバルの夜」(1886)。ルソーのもっとも初期の作品の一つだが、このとき彼はもう42歳になっていました。その後、税関を辞め、ヴァイオリンを弾いて小銭を恵んでもらうほどの耐乏生活の中から次々と傑作を生み出していきます。この幻想と現実の入り混じった世界は比類がありません。

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オルセーの一階でアメリカの画家トマス・エイキンズ Thomas Eakins(1844〜1916)の「Clara」(1890)に出会いました。フィラデルフィアに生まれ、パリで画業を学び、とくにレンブラントに感銘を受けました。その後アメリカに帰り、人物の内面に深く沈潜するリアリズムで多くの肖像画の傑作を描きました。彼とルソーが同年の生まれであることは何か信じがたい。

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オルセー一階の奥の白くまカフェ。ここで休みたかったが満席でした。

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Burger Maisonのクラシック・バーガー。写真は半分に切った後。ポテトと飲み物がついて15ユーロ。妻によると、注文の時、肉の焼き方からトッピングまで色々な選択肢に答えるのが大変だったとのこと。なお、ポテトはサラダでも可。飲み物に選んだコンコンブル(きゅうり)のジュースはとても美味しい。ハンバーガーは、、、美味しくないはずがありません。

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シャルティエの前菜。妻は小海老、私は、、、忘れました。テーブルクロスに注文を書いて、精算の時、筆算するのが伝統だが、今日のギャルソンは新米らしく電卓を使っていました。

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お客が少なくて、マネージャーもギャルソンも所在なさげです。

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スフロ通りからパンテオンを写しました。私にとっては神保町や四谷なみに懐かしい風景です。奥にサン・ティティエンヌ・デュ・モン教会とサント・ジュヌヴィエーヌ図書館が見えます。

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パリ5区、パンテオン横通りのワイン・バー Cafe de la Nouvelle Mairie で飲んだハウスワイン。生涯で最高に美味いワインでした。

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いつも満員だが、雰囲気は素晴らしい。その日の料理が黒板に書いてあります。

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夜は予約した方が無難でしょう。週末にはバンド演奏もあります。カルチェラタンを代表するワインバーです。

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帰り道、コンパニ書店のウインドウを覗きました。イタリアの作家特集で、特にエレーナ・フェランテの『非凡なる女友達』が絶対に面白そう。ペーパーバックも出たばかりです。

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2016年8月 7日 (日)

オデオン広場ふたたび(6)『水と夢』と『かもめ』

6月22日(水)

    昨夜モノプリで半額になっていたパン・オ・レザンをコーヒーと食べて、10時少し前に出発。ホテルを出て、妻は右に私は左に行きました。喧嘩したわけではなく、今日は妻がルーヴル隣の装飾芸術博物館に行くからで、その間、私も本屋巡りでもしていようと思ったのです。とはいえ、どこから行こうかわからず、まず手近のジベール・ジューヌに行ってみることにしました。ぶらぶら探偵小説や文学の棚を見て、1ユーロの本を2冊買ってから、サン・ミッシェル広場のバス停でぼんやりとバスを待っていたら96番のバスが来たので、それに乗りました。96番は、11区のパルマンティエ、オベルカンフ、そして19区のベルヴィルに行くバスです。

   とりあえず、パルマンティエで下車。パルマンティエは市場も出るたいへん活気ある地域で、その交差点に面して Les Guetteurs de vent という書店がありました。開店したばかりですが、もうお客が来て本をみたり、店員と四方山話をしています。まるで近所のパン屋に買いに来たようで、朝の活気が明るい内装の本屋全体に漲っています。最新の売れ筋本、探偵小説、軽いエッセイなど、見やすく並べられた本はどれも興味ふかい。奥には児童書が豊富で、幼児がサッカーの絵本を熱心に眺めています。サン・モール通りの Librairie Libralire や、オベルカンフ通りの Librairie Imagigraphe などの一般書店と完全に競合していますが、立地の良さからこの書店が最後まで残りそうです。

   Les Guetteurs de vent 書店を出て、ジャン・ピエール・タンボー通りを東に向かってゆっくり歩きました。途中の L'Autre Cafe でビールで喉をうるおしながら通りを行き交う人を見ていると、自分がまるで寄る辺のない亡命者のような気分になります。のんびりしていたら、ランチの準備で店が忙しくなって来たので、またジャン・ピエール・タンボー通りを東に。パリの街は、少し歩くだけでガラッと雰囲気が変わることが多いのですが、ベルヴィルの交差点に近づくにつれ、街が荒っぽくなることに気づきました。アラブ人と黒人が多くなり、活気があるというより雑然と混み合ってきた感じです。コーラやファンタとパンやサンドイッチを売る簡易なスタンド、いわゆる立ち飲み店のような狭い室内でワインやビールを飲ませる店、それらの店はみな通りに面した入り口を目いっぱい開けて客が歩道まで溢れています。

   ベルヴィルの交差点を南に曲がり、ベルヴィル大通りをメニルモンタンに向かって歩きます。アラブ色が強くなり、ハラルを扱う食堂やアラブ人用の理髪店、さらにアラブ系の本を扱う店が何軒かあります。そのうち一軒の本屋の写真を道路を隔てた所から望遠で撮っていたら、たまたま外に出てきた主人らしき男が、エファセ、エファセ!(消せ、消せ!)と叫びながら飛んで来ました。それで、わかるようにゴミ箱マークを押して画像を消すと微妙に笑いながら帰って行きました。何しろ周りはアラブ人ばかりなので、トラブルを起こしたら面倒です。また歩き出すと大通りの真ん中、定期市が開かれる場所でフリーマーケットのようなものが開かれていました。見ると、主に黒人がカバンや衣料を売っているようです。奥に入ってみると、何と一眼レフカメラ(ほとんどがニコンとキャノン)が大量に並べられています。その隣にはスマホがずらりと揃っています。仕入先を尋ねるまでもないでしょう。さすがに危険なので写真は撮れませんでした。

   ベルヴィルからメニルモンタン通りに入ると、再び街は穏やかな感じになりました。向かいには、もうペール・ラシェーズ墓地があります。お腹が空いたので、交差点にあったフランプリで水とサンドイッチを買って緑歩道のベンチに座って食べました。隣りのベンチでは女学生らしい3人の女の子たちがやはりサンドイッチをおしゃべりしながら食べています。私はサンドイッチに飽きて食べきれず、残りをゴミ箱に捨ててしまいました。温度は急速に上がって木陰から離れると陽射しが強い。私は急に冷たい、わさびの利いたざる蕎麦が食べたくなりました。チーズやハムはもう十分です。こんなふうに思ったことはいままでなかったのに、日本食が懐かしくなるとは意外でした。

    ペール・ラシェーズの交差点からシュマン・ヴェール通りに入りました。この通りには本屋が二軒あるはずでしたが、一軒は閉店したらしく探しても見当たりません。もう一軒のLa Musardine 書店は健在で、真っ赤な店舗が鮮やかです。この本屋はエロティック関係の書店で、中に入ると、すでに客が3人いました。みな20〜30代の女性で、そのうち二人はそれぞれ熱心に立ち読みしています。あと一人の女性客は店の主人と話しをしていましたが、イタリア人っぽい粋な中年男性の店主は「この本は、いわゆる告白本で、、、」などと本の説明をしています。店内はたいへん明るく洗練されています。入ってすぐ左手にはサドなどの古典本が置かれ、店の右手は男性向けのヌード本などが並べられ、中央には女性向けの小説本(ソフトなものや激しいものも)が見やすく平積みされ、奥には親切にも大人の性玩具も揃っています。私は、アポリネールの『一万一千本の鞭』が平積みされていたので、懐かしくてパラパラ読み返しました。はるか昔ですが、私はこの滅茶苦茶なポルノ小説を読んで感動したのです。それはこの作家が人間性に何の期待もしていないからでした。私は隣に並んでいた同じ作者の『若きドン・ジョアンの冒険』をとってレジで金を払い、店内の写真を撮っていいか聞きました。とても感じの良い主人は「人が写らなければいいよ」とニコニコ笑いながら言ってくれました。

   ペール・ラシェーズ駅から地下鉄を乗り継いで19区の Ourcq 駅へ。19区とはいえ、この辺りは穏やかで住みやすそうです。近くのアルデンヌ通りをひたすら北へ歩くとロワーズ河岸quai de l'Oiseにつきます。ここはラ・ヴィレットの所から流れてくる水路で、昔は材木や農産物の移送のための重要な水路でしたが、今は近隣の住民の憩いの場になっています。運河を向こう岸に渡るとき、自動小銃を携帯して迷彩服を着た3人のフラン軍兵士とすれ違いました。また保母さんに連れられた保育園の子供たちも橋を渡っていました。天気は晴れ、日差しは暑いが、運河を渡る風は心地よい。釣りをする人、ベンチで読書する人もいます。運河を西に少し歩くと、縦に長い平底船(peniche)が係留していました。ここが最後の目的地 L'eau et les reves(水と夢)書店です。

   船にのって、舳先から遠く運河の先を見ると2隻のモーターボートが競争しながら東に走り抜けて行きます。甲板の上に腰掛けるとびっくりするほど涼しい風が吹き抜けていきます。階段を使って船室に降りると、そこは海、川、旅についての書物が非常に美しく並べられています。何人か先客がいて、みな中高年の落ち着いた人たち、店の人たちも家庭的な感じで、静かに客と話しをしています。私はここでスティーヴンソンの『旅は驢馬をつれて』のフランス語版を買いました。また甲板に出て、先日の雨で増水した運河を眺めていると、妻と二人で浜離宮から浅草まで船で行ったことを思い出しました。

   ところで、l'eau et les reves書店の名はむろんバシュラールの『水と夢』から取られているのでしょう。日本ではバシュラールは1970年代を最後に忘れ去られた思想家であるのに、フランスでは常に現役の、というよりincontournable(避けて通ることの出来ない)な人物となっています。これには当時の日本での受容についての問題があったのでしょう。バシュラールは難解な思想家で、研究者がその魅力を一般の読者に伝えることが困難だったのです。そもそも思想家は自分の考えを醸成する過程で様々な失敗、挫折、見落としなどを経験します。余分な虚飾を取り払って、自らの原点から構築する思想は、それゆえに読者を感動させるものを常に持っています。ところが、研究者・紹介者・翻訳家は思想家の到達した所から出発し、要領よくその出どころに遡ります。その文章が読者の心に何かを訴えることが難しいのは当然のことで、バシュラールのような思想家には特にそれが困難であるということなのでしょう。

    よい機会なので、数多くのバシュラールの著作の中から、際立って精鋭なものを紹介しましょう。それは『火の精神分析』(前田耕作訳・せりか書房)です。人間がいかにして火を使用できるようになったかは実は大いなる謎なのです。「合理的」な解釈では、林の中で樹々が風で擦り合わさって発火するのを目撃して、乾いた二本の木を同じように摩擦したら火を生むことができた、などと書かれていますが、実際上信じがたい解釈です。それより人間の毎夜の営みについて目を凝らすべきでしょう。硬い棒が、それより柔らかい材質の穴の中で激しく摩擦し合うと強い熱を発生し、乾いた葉をのせると燃え上がります。これが性交のアナロジーから導き出されたと考えることはもっとも妥当な解釈ではないでしょうか。人間に火をもたらしたとされるプロメテウスがあのような理不尽な懲罰を受けるのは理解しがたく、本質は彼がたくましい熱愛者であったためであろう、とバシュラールは書いています。「神々の復讐は嫉妬に身を焦がす者の復讐である」とはまさにその通りでしょう。

   メトロのCrimee駅まで歩く途中、FaceTimeに妻からメッセージが入っていました。それによると、妻はもうホテルに戻って休んでいるようです。私は急いで地下鉄でサン・ミッシェルまで帰り、モノプリでフランス産のカップ・ヌードルや果物やビールを買ってホテルに帰りました。妻は装飾博物館を堪能したようで、さらにクリニュー博物館も行ってきたそうです。私への土産にクリニューでペーパーナイフを買ってきてくれました。軽い夕食を済ませ、休んでから、8時開始のオデオン座の観劇のためホテルを出ました。今日の演目はあまりに有名なチェーホフの『かもめ』です。

   オデオン座はすぐ近くなのですが、早めに行って劇場で休もうと考えました。オデオン前の広場に設けられたカフェの席はもう近所の年寄りや、観光客や、芝居を待つ人でいっぱいです。私たちは劇場二階のカフェでシュウェップスを飲みながら開演時間を待ちました。20分ほど前になって開場。チケットを見せて観客席へ。私たちの席は二階の31ユーロの席、やや左斜めで見にくいが仕方ありません。舞台を見ると、ぼんやりした薄暗がりの中で、もう出演者が壁際のベンチに腰掛けています。背後の幕にはチェーホフの『サハリン島』からの引用がマッピングで映し出されていますが、斜めからなので読めませんでした。

   いよいよ開演。最初に出演者が二人ずつ出てきて、客をネタにして漫才の掛け合いのようなことをします。観客は爆笑するのですが、早口で言っていることがほとんど理解できず悔しい思いをしました。それから一人の女性がバケツに入れた墨と太い刷毛を持ってきて背後に貼られた大きな紙に水墨画めいたものを書いていきます。山のような、かもめのような、模様のようなものを描いて、描き終わると真っ黒に塗りつぶしていきます。ようやく始まった劇の冒頭は、女主人公ニーナが恋人のトレープレフの芝居を演ずるのですが、それが光と大音響のファンタジーめいた仕掛けで度肝を抜きます。いったいこの芝居はどうなるんだろうと心配していたら、話は何とかあらすじ通りに進んで、しかし、途中の唐突な仕掛けにイライラしながら舞台は終わりました。妻によると、今までで最悪の芝居だったということです。

   実はこの芝居の演出はドイツ出身で世界的に活躍している演出家トーマス・オスターマイヤーで、彼のやり方は原作を現代に合わせて改作し、その当時にヴィヴィッドで本質的だった問題を現代でもまた切実な課題として提示することにあるらしいのです。だから結末を変えてしまうことなど朝飯前で、常に現代にコミットする大胆な仕掛けをねらっているようです。しかし、よく考えてみれば、原作を変えるぐらいなら新たに現代的な新作を作ればいいだけで、わざわざイプセンやシェークスピアを持ち出すのは大権威に寄りかかると思われても仕方がありません。今回は、しかし、チェーホフで、彼の方法はやや空振りだったようです。というのも、(これがチェーホフの偉大な点ですが)彼は、心弱き人間の普遍的な苦悩を描き続けたので、社会性やましてや政治的メッセージなど無縁です。『かもめ』では登場人物はみな現代の衣装を纏って現れますが、そこに描かれるものは小人物的な名声への憧れと憎しみ、自己の才能への懐疑と苦悩、過ぎ去ったものへの哀愁と悔恨以上ではない筈です。

  ついでにもう一つ。チェーホフの短篇小説では、題材を絞りに絞って、人生の一断面、一瞬間を鮮やかに描き出すのに、劇作になると、登場人物すべてに重い人生を背負わせて、それらがみな描ききれず、深みのないものに終わってしまうことが多いようです。『かもめ』の往年の名女優アルカーディナが良い例で、人間ってそんなにわかりやすくないのに、と思ってしまいます。それに対して文学青年トレープレフの最後の自殺は不思議な謎を観客に残しました。オデオンの照明・効果は狙いすぎでどうかと思うが、最後の天井をいっぱいに舞うかもめの光の効果は見事でした。

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ジベール・ジューヌで積んであったロベール・ドアノーの写真集(49.9ユーロ)。ドアノーの写真は、私たちがいつもあのとき撮っておけばよかった、と思うような瞬間を見事に切り取っています。

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パリ11区パルマンティエ通りのLes Guetteurs de Vent(風の見張り番)書店。

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典型的な町の書店。入りやすく、見やすく、相談しやすく、雰囲気が明るい。ネットの時代でもしぶとく生き残るでしょう。

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ウインドウにはEuro2016関連の楽しい本が並んでいます。

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オベルカンフ随一の老舗、L'Autre Cafe。1日中活気のあるカフェ。ここでいつもの1664というビールを飲みました。

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ベルヴィルのアラブ人向けの理髪店。大人12.5ユーロ、子供8ユーロ、なぜか髭が5ユーロです。

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ハラル料理の食堂。日本人が入れるような店ではありません。

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ベルヴィルのフリーマーケット。鞄や衣料を売っていたが、奥にはカメラや携帯も並べられています。

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ペール・ラシェーズ墓地近くのシュマン・ヴェール通りにあるエロティック系書店La Musardine。ウインドウには69番をつけたサッカーフランス代表のユニフォームが飾ってあります。

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La Musardine書店の店内。明るく、くつろいだ感じで入りやすい。客は全て女性でした。

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ウインドウには「ビールとサッカーとポルノの夕べ」という催しのお知らせがありました。

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ロワーズ運河。19区ヴィレット近く。のんびりした風景です。

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非常事態宣言の出ているパリ。こんな穏やかな場所にも3人一組で兵隊が巡回しています。

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この大きな平底船は下の船室全体が旅と水に関する書店になっています。

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これが舳先の部分。店名はバシュラールの『水と夢』から。

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船に乗ると、なぜかワクワクします。

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階段を降りると書店の入り口です。道楽でやっているとしか思えない贅沢な本屋です。

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店内は旅の本、海・河の本が美しく並べられています。

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夜7時過ぎのオデオン広場。老人が多いのに驚きます。

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開演前のカフェ・オデオン。バー・カウンターには行列ができています。

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オデオン座の観客席。出演者はもう舞台に座っています。背景に映し出されているのは、チェーホフの『サハリン日記』。演出のオスターマイヤーはこの著作がチェーホフの生涯の転機になったと言っています。

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最後の舞台挨拶。右から二人目、主人公ニーナ役のメロディ・リシャールはさすがに美しい。

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オデオン座の正面。La Mouette(かもめ)の垂れ幕があります。

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妻がクリニュー博物館で買ってきてくれたペーパーナイフを早速使ってみました。本はブラッサンス公園で買ったParis-Peintres et Ecrivains. ユイスマンスのフォリー・ベルジェールの章にゴッホのモンマルトル風景が添えてあります。

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今日買った本。ジベール・ジューヌで買ったロマン・ギャリの『紅海の財宝』とウナムーノの『見るための目』、La Musardine書店で買ったアポリネールの『若きドン・ジュアンの冒険』、それにL'eau et les reves書店で買ったスティーヴンソンの『旅は驢馬をつれて』。ロバの本は必ず買います。

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2016年7月31日 (日)

オデオン広場ふたたび(5)ケ・ブランリーと17区のオデオン座

6月21日(火) 

  昨日の雨が嘘のような青空、昨夜モノプリで買ったパン・ド・カンパーニュをコーヒーで喉に押し込んで、ケ・ブランリー美術館に行くべくホテルを出発しました。実は今回のパリ旅行は観劇以外は全然予定を立てていなかったのですが、昨日、妻がオデオン座で働くJ...さんに、ケ・ブランリーは行った方がいいよ、と言われたので、行ってみることにしました。J...さんによると、庭がすてきだということです。ケ・ブランリー美術館は2006年に開館した、アフリカ・アジア・オセアニア・南アメリカの文化・民俗・芸術などを展示する美術館で、さほど興味はなかったのですが、妻が行こうよと言うので行くことにしました。

   バスで行こうと思いましたが、バスは乗り換えが面倒なので、メトロでアルマ・マルソーまで行き、セーヌ川を渡ってケ・ブランリーの入り口に着きました。11時開館まで10分ほど待って入場(二人で15ユーロです)。足下を光が戯れるような不思議な廊下を通って展示場へ。ところで、この美術館はよくある民俗学博物館とは随分違っています。例えば千葉の佐倉にある歴史民俗博物館のような来館者を教育する意図など一切ありません。ただ、珍しいものを楽しんで見るようにとだけ作られているので、展示品も多くなく(所蔵品は30万点以上ですが)、しかも部屋によって区切られてなく、大きな空間を楕円形に一周するだけです。展示方法も斬新です。すべての展示物が360度の角度から見ることができるよう工夫されています。照明を落とされ、光によって導かれる様はまるで劇場空間そのものでしょう。さらに、ギメの東洋博物館が突出したカンボジア美術から始まるように、ここはもっとも馴染みのないオセアニア(ポリネシア・メラニシア・ミクロネシア・ニューギニア・ニュージーランドなど)から始まります。

   というのも、このオセアニア民俗・文化がまさに衝撃の展示だったからです。私が考えていたオセアニアのイメージは素朴な楽園という枠をあまり出ないものでした。ところが展示されているものは、奇怪・グロテスク・不気味・恐怖そのものです。想像力のはるか先を行くもの、理性では何とも理解しがたいおぞましさを孕んだものだったのです。西洋人がこれらの島々を初めて訪れたとき、どの島々にも住民が住み、しかもそれぞれ違う言語を話すことに驚いたそうですが、恐らく、島々での戦争、皆殺し、人肉嗜食などが日常に行われ、夜は死者の精霊が跳梁する濃密な空間が展開していたのでしょう。

   オセアニアの展示を過ぎると、突然ぐったりしてしまいました。尋常ならざるものを見た精神の疲れか、あるいは旅も中盤に来た疲労か。美術館のベンチに腰掛けてしばらく休んでから、アフリカ、アジア、アメリカと見ていきましたが、後はだいたい馴染みのものばかりで驚きはありません。外に出て、併設のカフェ・ブランリーで、パスティスを飲みながら広い庭をゆっくり眺めました。有名な造園家の作った庭らしいのですが、自然の野放途さを出しながら、林の中をぶらぶら歩いて偶然美術館に出会うような巧みさがあります。

   メトロでサン・ミッシェルまで帰り、モノプリで果物やハムやサラダを買ってホテルに帰りました。ここで、私は20minutes を読みながらぐっすり昼寝をして、目がさめるともう夕方、妻が黒いワンピースをきて観劇の準備をしています。今日の観劇はオデオン座だが、6区のオデオンではなく、17区のOdeon Atliers Berthier、つまりオデオンのもう一つの劇場です。17区は危険な地区ではないが、劇場のあるポルト・ド・クリシーは18区との境でパリの北西の外れ、street viewでみると、とても殺伐とした地域です。メトロのポルト・ド・クリシーを上がると、一帯は大規模な工事中で、いかにもパリの外れという感じです。

    劇場は駅のすぐ近くにありました。工事の曲がりくねった規制線に沿って歩き、オデオンのAtliers Berthierへ。入口で荷物検査があって中へ入ると、開演時間8時の40分前なのにもう何人も客が待っています。カフェで軽食を食べる人や座ってプログラムを読む人もいます。六区オデオン座前の演劇書専門店 Le Coupe-Papier も小さな本屋を出しています。時間になって客席へ。広くはないが、いかにも実験的な演劇をする場所という感じです。席は一階のちょうど真ん中の37ユーロの席、通路に面して足を伸ばせる絶好の場所です。

   さて、演目は何とフォークナーの『野生の棕櫚』です。全く関係ない二つの話が交互に進行するこの野心的な小説を、女性演出家の Severine Chavrier はものの見事にぶった切って、二人の男女の愛が展開される片方の物語だけに焦点を当てました。しかも登場人物はその二人だけです。簡単に原作のあらすじを振り返ると、「野生の棕櫚」と題された片方は27歳の医学のインターン中の学生と25歳の人妻の愛欲の逃避行ともいうべき話です。夫と二人の子を捨てて医者の卵と駆け落ちする人妻は、最後には恋人による堕胎手術の失敗で命を落とします。恋人のハリーは50年の刑を言い渡されて刑務所に収監されます。もう片方の「オールド・マン」はミシシッピ川の洪水の被災者の救助に駆り出された囚人の話です(オールド・マンとはミシシッピ川の別名です)。彼は濁流に呑み込まれて仲間からはぐれ、途中で木につかまって救助を待つ妊婦を救います。この妊婦としばらく生活した後 、もとの刑務所に戻ってさらに10年の刑を追加されます。

   この趣向についてフォークナーは、「野生の棕櫚」の第1章を書いているうちに説明不足の点に気付いたので、補足的・背景的な意味で「オールド・マン」のパートも書き始めた、と言っていますが、自作についての作家自身の説明を鵜吞みにする人が多いのに驚きます。実体は、単純すぎる本編をより複雑・難解に見せるために別のパートを付け加えたと見る方が自然でしょう。そうすると、Severine Chavrier の思い切った手法は、愛欲の行き着く先をより純粋にそれ自身のみで追求したわけで、納得できなくもないのです。(しかし、私の読後感では、オールド・マンのパートの方がずっと素晴らしく、ミシシッピ川にまつわる描写はフォークナーそのものです)

    ただ、出来上がった舞台は、まず退屈なものになってしまったようです。約半分はセックス・シーンで、およそ三分の一は全裸です(16歳以下観劇禁止です)。口論、怒鳴り合い、部屋の中を動き回り、叫び合い、抱き合うだけです。さらに、最新の映画技術の音響専門家によるという音響効果の迫力(外の嵐、雷、雨、そして無意味な大音響)がその空っぽさをより引き立てています。私はすぐに寝てしまい、寝言を言って妻から起こされました。舞台終了時の拍手もおざなりで、観客も白けていましたが、これがハリウッドの予定調和とは違うオデオン座の演劇なのでしょう。帰りもメトロで帰り、サン・ミッシェルで、夜中にしては騒がしいと思ったら、今日は音楽の日でした。モノプリでビールを買おうとすると、深夜はアルコール類は売れませんと言われました。毎年音楽の日は騒いで瓶や缶が散乱するので、今年は規制されているのでしょう。疲れていたので、すぐに寝てしまいましたが、妻も今日の芝居について文句を通り越してさんざん怒っていました。

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ケ・ブランリー美術館の入り口から展示室に伸びる光の廊下。世界中の地名が次々に流れて行きます。

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オセアニア(ポリネシア・ミクロネシア・メラネシア・ニュージーランド等)の先頭はこんな彫刻から始まります。とらえどころのない不気味さ。これらが皆、19世紀の作品であることに驚きます。

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精霊を表す像らしい。こういうものを見ると、日本のルーツが南方文化にあるなどという説は信じ難くなります。

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これも精霊を装うマスク。なぜこれほど気味悪く作れるのか不思議です。

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戦いの武具や面がたくさん展示されてありました。南太平洋では、ヨーロッパの宣教師たちが切り刻まれ、食べられたという歴史もあります。

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カフェ・ブランリーでパスティスを飲みました。自然の風がたいへん心地よかったです。

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アンドレ・シトロエン公園の設計者、ジル・クレマンによる庭。無造作ながら全て計算された樹木と花。エッフェル塔のすぐ近くにこれほどの敷地があったことは驚きです。

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17区の外れ、ポルト・ド・クリシーのオデオン・ヨーロッパ劇場のアトリエ・ベルチエ。この周辺は大規模な再開発が進められています。

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開演を待つ人々。ほとんどが中高年。女性の方が多いようでした。

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芝居の前後に店を開けるカフェ・オデオン。白髪の男性が一人だけで注文を処理しています。

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『野生の棕櫚』の登場人物は二人だけ。ロラン・パポとデボラ・ローチ。大熱演の後の最後の舞台挨拶。

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『野生の棕櫚』のパンフレット。写真のように、1時間半の舞台のほとんどが裸の場面です。

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2016年7月24日 (日)

オデオン広場ふたたび(4)雨のレピュブリック広場

6月20日(月)
    朝からひどい雨。折りたたみ傘を一つしか持ってこなかったので、ホテル並びの大型本屋ジベール・ジョゼフで一番安い折りたたみ傘を一本買いました(5ユーロ)。ついでに、文房具売り場でペーパーナイフを探したが気に入ったものはありませんでした。これまたついでに、2階の文学書売場をさーと見て、38番のバスでダンフェール・ロシュロー広場へ。天文台のすぐ裏なので歩いても行けそうですが、この雨なので仕方ありません。ダンフェール・ロシュローはたいへん活気あるところで、広場にあるライオン像、賑やかなダゲール通り、人骨で埋め尽くされたカタコンブなどが有名です。

    とりあえず、傘をさしながら広場のライオン像を鑑賞。それからダゲール通りに行きましたが、月曜日ゆえか休みの店も多く、雨模様なので人もまばらです。ブラール通りを歩いていたら、妻が急にお腹が空いた、と言い出しました。まだ、12時前ですが、いったんダンフェール・ロシュロー広場に戻り、ルネ・コティ通りをRERのB線に沿って歩きました。五分も歩かずに、左に曲がってダロー通りに入ると、高架橋をくぐったすぐ右手にLe Vaudesir というビストロがありました。12時まであと5分ほどあるのでランチはまだ早いだろうかと思い、ガラス戸から中を覗きました。ちょうど通りがかりの女の人が私に向かって、親指を立てて「この店は美味しいよ!」というジェスチャーをしました。目を上げると、太ってにこやかな店の主人と目が合ってしまい、思い切って店に入りました。

    広くはない店ですが、10余りのテーブルにはまだ客はいません。常連客らしい男と女がカウンターでワインを飲んでいます。飲み物か食べ物か聞いてきたので、店の前に書き出されていた今日のランチ Paleron Braisee を注文しました。すると奥から2番目の席に案内すると、厨房からランチの見本を持ってきて、これでいいのか?と聞いてきます。それでいい、と答えるとその料理を隣のテーブルに置きました。あれ?と思っていると、そこに料理番らしい若い黒人女性が座って、どうも同じランチを賄いで食べるようです。この黒人女性はにこにこして、とても陽気で、妻がトイレの場所を尋ねると、丁寧に教えてくれました。 妻が帰ってくると、「大丈夫だった?」と聞いてきます。妻が「大丈夫。少し難しかったけど」と答えると二人で恥ずかしそうに笑っています。妻にきくと、なんとトイレは戦前の和式というのかトルコ式というのか、旧式で天井にシャワーが付いていて戸もしっかり閉まらないような時代物だということでした。

   私がカメラを取り出すと、主人が飛んできて「写真を撮ってやろう」と言って私たち二人の写真を2枚撮ってくれました。ビールを飲んでいるとランチが出て、実はPaleron という単語を知らなかったのでスマホの中のロベール仏和大辞典で調べてみると、何と牛の腕肉とのことです(Braiseeは蒸し煮のこと)。しかし、とても柔らかく親しみのある味、付け合せの大きなジャガイモも私好みの味でした。妻も美味しいと言っていましたが、肉の量が多くさすがに食べきれず、私が残りを食べてしまいました。食べているうちに客が入り始め、あっという間に満席に。この店の人気がうかがい知れます。食後のコーヒーを飲んで、迷惑にならないよう席を立ちましたが、これで23.9ユーロとは安いものです。

   実は、この店こそ私が執念で探したビストロだったのです。メジャーで一度も紹介されたことのない、パリ中心部から遠くなく、地元の人に愛されて、観光客は絶対に行かない、安くて美味しく、雰囲気の良い店、こういう店を見つけるのがどれほど大変だったか。だから、この店の扉を開けた時、私はこの店のことのほとんど知りうる限りのことを知っていました。主人の名も従業員の名も常連たちの顔も週末の催しも。オーヴェルニュ地方といえばフランス南東部の山岳地帯ですが、そこの郷土料理がこの店の特長です。トイレのことは予想外でしたが、これはしかし観光客を全くあてにしていないことの証左でもあるのです。パリには、きっとこの店のような、私たちが気付かない隠れた愛すべき店がたくさんあることでしょう。

    お腹がいっぱいになったので、ぶらぶらリュクサンブール公園を抜けて歩いて帰ることにしました。ところが、途中でまた雨が激しく降ってきて、バスで帰らなかったことを後悔しました。2時近くにホテルに帰還。少し休んでから、妻は文通しているフランス女性と会うためにオデオン座に向かいました。そのJ..さんという女性はオデオン座で働いているのですが、妻にオデオン座の舞台裏など案内してくれるということでした。オデオン座はホテルから3分もかかりません。私も妻をオデオン座の前まで送ってから、劇場となりの古書店デイレッタント書店で本を探しました。が、めぼしい収穫もなく店を出て雨の中をサン・シュルピスの方へ歩きました。雨はますます激しく、まさに土砂降りの雨です。馴染みのカトリックのサロン・ド・テに入ろうとしましたが、今日はカトリックの特別な集まりがあるらしく一般客は入れません。雨を避けるため、メトロのサン・シュルピス駅の階段を降りて、思い立ったままにレピュブリック広場に行ってみることにしました。実はレピュブリック広場に行くのは初めてです。メトロのレピュブリック駅から上へ上がると、思ったより広い長方形の広場です。豪雨にもかかわらず、見学かあるいは祈りに来ている人々もいました。私は雨を避けて、目前のCafe Repubrique で1664というビールを飲みながら、「共和国広場」の蝋燭や花や写真の置かれた像を眺めていました。

   乾いたフランスの夏には珍しく、カフェの中は雨具や濡れた衣服による熱い湿気が充満しています。狭苦しいカフェのテーブルに座って、レピュブリック広場に屹立するマリアンヌ像を見ていると、陰惨さを秘めた葬祭の壇のように見えてきます。11月13日のテロの場で殺された人々の大部分は30歳前後のいわば人生の盛りの好奇心の強い、知的な、恐らくは反体制的な、社会の多様性を信じる人たちでした。それがいっそう虚しさに拍車をかけます。イスラームについては私にも複雑な思いがあるのですが、20歳前後の若者が過激な聖戦思想に染まるのは理解できなくもありません。人間は時に十分愚かだからです。しかし、現代のイスラームの指導者が強烈で清新なメッセージを発せないのは寂しいです。すでにホメイニからおかしかったのですが、ほとんどのイスラーム信仰の国で世俗的なものの象徴である石油が出てくるのも神の皮肉な試練とも言えるし、サウジアラビアの不可解で不透明な存立も表立って非難されることはありません。

   偉大なアヴィセンナは、ある朝、朝の礼拝のため上半身裸で身を清めに行こうとする弟子に、今朝は寒いので風邪をひくからやめろと注意しました。しかし、弟子はそれを聞かずに外に清めに行き震えて帰ってきました。愚か者よ、とアヴィセンナは言いました。「お前は現代の医学の最高の権威である私の忠告をさけて、4世紀前の文盲のお前が会ったこともない男の指導に従ったのだ」と。話は変わりますが、最近ホイットマンの『民主主義の展望』(講談社学術文庫)を読みました。徹底して非宗教的なこの本の拠って立つ基盤は、ありふれたものの中の奇跡、平凡な男女の抱く真実、日常の瞬間の限りない高貴さです。ホイットマンは、南北戦争のさ中に数多くのむごたらしい遺体を見た経験の後で、希望は死んだ者たちの中にこそあると気付きました。死者が私たちを起立させ、私たちに何かを促すのです。

    雨が降り止まないので街歩きも面白くなく、仕方ないのでメトロでサン・ミッシェルまで帰りました。まだ早いので、サン・ミッシェル広場前のジベール・ジューヌに寄って本を漁っているとツヴァイクの『 Pays, Villes, Paysages 』のハードカバー本が8.9ユーロで売られているのに気付きました。今日の朝、ジベール・ジョセフではまったく同じ本が5.9ユーロでした。早速、Book Finderで調べてみると、最安値はアマゾンの5.9ユーロだがこれはペーパーバックです。すぐにジベール・ジョセフに行ってツヴァイクの本を買ってしまいました(ジベール・ジューヌとジベール・ジョセフは兄弟店です)。私は文学者の書いた旅のエッセイが好きなのですが、このツヴァイクの本は素晴らしい。「世界でもっとも美しい墓」という章には、ヤースナヤ・ポリャーナの草の山に埋もれたトルストイの墓が紹介されています。「何のメッセージもなく、何の言葉もなく、ただ風のつぶやきに身を任せているだけの墓」とはトルストイの願いどおりの墓だが、またツヴァイク自身の憧れでもあったでしょう。

   妻の好きなサラダとビールを買ってホテルに戻ると、妻もちょうど帰ったばかりでした。オデオン座ではJ...さんにいろいろ案内してもらって、図書室も見せてくれたそうです。また、昨日私たちがFan Zone に行った話をするとかなり驚いて、というのもフランスでは知的な人間はサポーター連中を嫌っていて、そんな所には行かないからということです。

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ダンフェール・ロシュロー広場の有名なライオン像。偶然ですが、下を走るプジョーもブランド・マークはライオンです。工具店から出発したプジョーはライオンの固い牙からこのマークを思いつきました。

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ブラール通りの映画・演劇専門のAlias書店は予想通り閉まっていました。

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ダンフェール・ロシュロー広場に続くフロワドゥヴォー通り。

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41rue Dareau ビストロ Le Vaudesir。RERのB線の高架下すぐの淋しい通りにあります。

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カウンターの中にいる主人は大変フレンドリーで面白い。まさに庶民のビストロです。

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Plat de jour は牛の腕肉の蒸し煮が四つ。柔らかくて芳醇で、むろん美味だが、量が多いので妻は食べきれませんでした。

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ランチのメインが8.2ユーロとはパリでは最安値です。3ユーロの梨のタルトも食べたかったが、お腹がいっぱいで無理でした。

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「ここ、ヴォデジールでは、クリストフとミッシェルがあなたがたに、毎日の新鮮で家庭的で本当の手作り料理と前菜、デザートを提供します」と書かれています。

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帰り道に寄ったリュクサンブール公園のライオン像。倒した鹿を踏みつけています。

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今日最後に出会ったレピュブリック広場のライオン像は泣いているように見えました。その下のフランス国旗には、私たちは決して忘れない、平和と愛がいたるところに永久(とこしえ)にあることを、と書かれています。

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遠い国から来た人たちでしょうか、土砂降りの雨の中を長い間立ち尽くしていました。

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雨のオデオン座。今、チェーホフの「かもめ」が上演されています。

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オデオン座の図書室。演劇関係の本が集められています。事前申し込みで閲覧可能です。

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めったに見れない舞台から客室を眺めるショット。セットは「かもめ」の最後の場面です。

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ジベール・ジョセフで買ったツヴァイクの『土地、町、風景』。

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2016年7月18日 (月)

オデオン広場ふたたび(3)ルーヴルとシャン・ド・マルス

6月19日(日)
     湯を沸かしてインスタント・コーヒーを淹れ、昨日Cartonで買ったクロワッサンとパン・オ・ショコラを食べました。カイザーのクロワッサンは軽い味ですが、このCartonのクロワッサンは濃厚で深みがあります。ネットで日曜も開けている店を探して、モベール・ミューチュアルティのフランプリに行きました(後で分かったのですが、セーヌ通りのカルフールもサン・ミッシェルのモノプリも日曜営業していました)。そこで、ワインや缶詰、お菓子などを買ってホテルに戻りました。支度してルーヴルへ。当初は、妻がルーヴルに行っている間、私はどこか好きな所に行くはずでしたが、日曜で店はだいたい閉まっているし、妻が無事に戻って来るかも心配だったので、一緒に行くことにしました。

   実は、私にはルーヴルで見たいものがあって、それは17世紀のオランダ絵画、なかんずくライスダールとフランス・ハルスでした。30年以上前でしょうか、東京駅のステーション・ギャラリーで「17世紀オランダ絵画展」を見て以来好きになったのですが、確かルーヴルでも1日かけてじっくり見ているはずです。それが最近、フロマンタンの『オランダ・ベルギー絵画紀行・昔日の巨匠たち』を再読して、またかつての情熱が戻ってきました。それはまた、私の近頃の気分の反映でもあるのです。私は、間歇的に抹香臭いものが嫌いになる時期があるのですが、今がそうで、特に中世キリスト教関係に拒否反応を示すようになりました。どうも、マリアがイエスを抱いている絵や、イエスのみすぼらしく痩せた像などを見たくなくなるのです(帰国してからエミール・マールを再読してまた中世趣味が戻りつつありますが)。

    ところで、17世紀オランダ絵画といえば、(レンブラントを例外として)その徹底した非宗教性で知られています。偶像崇拝を嫌うプロテスタントの影響か、あるいはスペインからの独立を果たし、自立心に目覚めた国民の自負か、画家の視点はひたすら彼ら自身の肖像に向かいました。ライスダールはオランダの空、雲、潅木、道を、フランス・ハルスは酔っ払い、娼婦、子ども、そして集団の人々を描いたが、フロマンタンは、そこに共通してあるものは誠実さに他ならないと言っています。

   ルーヴル美術館まで歩いて向かいました。大雨の後でセーヌ川は岸辺まで水が残っています。ヨーロッパの大河は、日本の川と違って、いったん溢れるとなかなか水は引きません。増水した水の色は褐色に濁っています。いつもの観光客満載のバトー・パリジャンもバトビュスもほとんど見えず、たまに来ても客はまばらです。あまり並ばなくて済むライオン門からルーヴルに入ろうとしたのですが、何とこの入り口は閉鎖でした。仕方なく  地下のカルーセルの入り口から。セキュリティ・チェックはやや拍子抜けの軽さで心配になる程です。入館後、妻はシュリー翼、私はリシュリー翼へと別れました。2時間半後、ちょうどルーヴルの真中にあるサモトラケのニケで会うことを約束してあります。

   私は、ただちに、17世紀オランダ絵画を見にリシュリー翼2階(日本では3階)に向かうため、地下の外れにあるエレベーターを目指しました。やっと隅っこに一つだけあるエレベーターを発見、誰もいないので一人だけで乗って、二階のボタンを押しました。ところが閉まったまま押しても押してもエレベーターは動き出しません。このまま閉じ込められて餓死してしまうのかという不安が頭をよぎります。しかし、二階のボタンをよく見ると、すぐ下に en travail(工事中)という小さな紙が貼ってあります。「開く」マークのボタンを押すと、もとの地下の場所に出ることが出来ました。気をとり直して階段をひたすら駆け上がって2階に上がろうとしました。ところが2階への階段のところにロープが張ってあり、そのロープに紙が一枚巻きつけてあります。何と、北ヨーロッパの絵画は工事中で見ることが出来ない、ただしルーベンスなどの傑作はシュリー翼の2階とドゥノン翼の1階に展示してあるとのこと、これではルーヴルを端から端まで歩いて行かねばなりません。とにかくルーヴルは広い、部屋から部屋、絵画から絵画へ、人ごみの中を必死に探して、ついにシュリー翼2階のオランダ絵画のコーナーへ着きました。ところが、ここは16世紀までの北ヨーロッパ・オランダ絵画で、今の気分ではメムリンクなど宗教絵画を見る気分になりません。

    下に降りて、ドゥノン翼へ。ここは、イタリア・スペイン・19世紀フランス絵画が集結する部屋部屋が一本の大通りのように貫いています。ルーヴルでもっとも人気あるところで、モナリザもここに展示されています。椅子に座っている係りの女性に聞くと、どうもこの奥のフランス絵画のさらに奥らしい。行ってみると、行き止まりで、その辺をくまなく探したが17世紀オランダ絵画はありません。疲れ切って、ベンチに座ってイタリア絵画をぼんやり見ていました。待ち合わせの時間が迫って来たので、シュリー翼1階踊り場のサモトラケのニケの展示場所へ。妻は30分も前から待っていたそうです。外へ出たが、日曜ゆえ、付近には開いている店はなく、そのまま朝来た道をホテルに帰ることにしました。

   帰りにカルフールでサンテミリオンのワイン、サラダ、ハムなど買ってホテルで遅い昼食、それからベッドで昼寝しました。起きてみると夕方の6時、日曜なので出かける予定もないが、私はここで、一つの提案をしました。それは、エッフェル塔の下、シャン・ド・マルスに設置されたFan Zone(サポーターの集う所) に行ってみることでした。今は自国開催のサッカーEuro2016の真っ只中、しかも今日は予選最終日、グリープ一位通過をかけてスイスとの一戦が予定されています。大スクリーンが設置されたシャン・ド・マルス(陸軍練兵場跡)はきっと盛り上がることでしょう。開催初日のルーマニア戦ではこの広大なシャン・ド・マルスが立錐の余地なく人で溢れていたのを思い出しました。

   しかし、妻は乗り気ではありません。サッカーに興味がないのと、人が集まる所はテロの危険があるからのようです。確かに、この広い矩形のシャン・ド・マルスは公園と違って柵もなく、自爆テロの格好の標的で、設置をめぐって議論も出ていました。シドニー柔道の金メダリスト、ドゥイエは「気違い沙汰だ、危険すぎる」と言い、元閣僚の国会議員ヴァレリー・ペクレス女史は「自分の子供たちには絶対に行かせない」と発言しています。だが、常に強気のフランス政府は設置を承認、今までの所は無事に経過しています。私は「きっと面白いから行ってみよう。試合は21時に始まるから、その前に帰って来れば安心だよ」と妻を説得しました。

   メトロ10番線でモット・ピケ・グルネルへ、そこで8番線に乗り換えて一つ目のエコール・ミリテール駅で降りました。すでにメトロの駅や車内にサポーターが固まって騒いでいましたが、上に上がると大変な熱気、日曜なのにカフェやレストランはすべて客で満員です。駅のすぐ前から行列が出来ていて、入り口で持ち物検査がありました。男女別に別れ、バッグは中身をすべて台の上に出し、細かいポケットも全部開けさせられます。ここでビン・缶類は没収。持参したペリエの瓶も回収箱に放り込まれました。続いてボディー・チェック。これも股間、足首、腹、背中、頭まで調べる徹底さ、時々聞こえる厳しい叱責も緊張感を高めます。しかもチェックは入場までに計4回という執拗さでした。

   広いシャン・ド・マルスの中は、まだ試合開始2時間も前なのに、人がかなり集まっています。子供の遊び場、演奏会場、飲み物売り場、軽食堂、救急医療所、銀行まであります。そしてフットサルのコートが芝生の上に何面もあって、サッカーボールやビブス(敵味方を識別するベスト)が無料で貸し出されているようです。誰でも参加できるようで、疲れるとビブスを他の人に渡しています。私の所にも回ってこないかと待っていましたが、なぜか無視されました。芝生の端に日本人と思われる家族(若夫婦と子供二人)がシートの上でお弁当を食べていました。四人ともフランスチームの青いユニフォームを着ています。話しかけようとしましたが、野次馬にすぎない自分たちが恥ずかしくてやめました。

    7時半に、エッフェル塔の方の入り口から外へ出ました。この入り口からも次々と人が入場してきます。厳しいボディー・チェックのため行列は長く続いていました。ジョニ赤のウイスキーもバッグから出されてゴミ箱に捨てられています。入り口の周辺にはEuro2016のグッズを売る店がいくつも店を開けています。地下鉄でサン・ミッシェルまで帰りました。日曜日は9時まで開けているブリニエ書店に寄ったのですが、本を漁っていると、店員が出てきて、申し訳ないが今日は15分前に閉めると言ってきました。これは絶対にテレビでフランスースイス戦を見るために違いありません。モノプリで、ビールと果物を買ってホテルへ。妻は疲れてすぐに眠りに落ちています。私はビールを飲みながらテレビでサッカーを見ていたのですが、ハーフタイム前に寝落ちしてしまいました。

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直前に続いた豪雨でセーヌ河は増水していました。右にアカデミーのドーム、奥にノートル・ダムが見えます。

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岸辺まで水が来ています。妻はギリギリまで近づいていました。

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ルーヴルのライオン門。ここから入ると並ばないで済むのですが、今日は閉鎖されていました。

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ルーヴルのオランダ絵画が工事中で見ることができなかったので、アムステルダム王立美術館のウェブサイトから傑作を二つ紹介します。ヤーコプ・ファン・ライスダールの「ヴェイク・ベイ・デュールステーデの風車」(1668)。17世紀オランダの忠実な肖像です。息詰まるほどの風景描写はドラクロワにも影響を与えています。

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フランス・ハルスの「夫婦の肖像」(1622)。卓越した技術は黄金の17世紀の中でも抜きん出ています。ライスダールが決して人間を描かず、風景ばかり描いたのと反対に、ハルスは17世紀オランダの人々の忠実なスナップショットを残しました。

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シャン・ド・マルス近くの土産物屋はすっかりEuro2016のグッズに覆われています。

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Fan Zoneの入り口は陸軍学校側とエッフェル塔側の二カ所のみ。徹底した身体検査が行われています。

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チェックは男女別に行われています。バッグの中身は入念に調べられました。

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二カ所の入り口以外はすべて閉鎖されて、どこも厳重な警備が敷かれていました。

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試合開始までまだ2時間もあるのに、もう座って待っている人もいます。

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Fan Zoneの中の売店。飲み物が持ち込めないので。ここでビールや水を買います。

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フットサルをしながら試合開始を待つ人たち。

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ホテル下のスポーツ・バー。試合中はチーズバーガーと1パイント(約550ml)ビールで16、5ユーロ(約1800円)です。

 

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2016年7月10日 (日)

オデオン広場ふたたび(2)ブラッサンス公園その他

6月18日(土)
   ぐっすり寝て、目が醒めると、もう昨日の疲れは吹き飛んでいます。コーヒーを飲みたいが、妻が旅行用の茶碗、フォーク、皿、割り箸などすべて家に忘れたので、仕方なく何も口に入れずに出発しました。ホテルを出て右側を歩いて行くと、程なくオデオンの交差点です。その信号でサン・ジェルマン大通りを渡って、ancient comedies通りに入ると左側にパン屋のカイザーがあります。中に小さなカウンターがあるので、そこに座ってクロワッサンとコーヒーのセットを頼みました(確か2.4ユーロ)。ひと息ついてから、近くのカルフール・マーケットで、インスタント・コーヒー、使い捨てのスプーンなどを買ってサン・ジェルマン大通りに戻り、レンヌ通り左側のインターネット・ショップで私用のSIMカードを買いました。30ユーロでしたが、iPhoneに入れて設定するのに少し時間がかかりました。しかし、これでパリのどこからでも家に連絡できます。

   同じレンヌ通りの並びの安い食器屋 Vaisserrieに10時開店と同時に入ってフランス製のガラスのコーヒー茶碗を2つ買いました(1つ1ユーロ)。それから、ブラッサンス公園の古本市に行くつもりで89番のバスの停留所を探しましたがどこにも見当たりません。どうも停留所の場所が変わってルートがずれているようです。仕方なく サン・シュルピス駅からメトロに乗って15区のコンヴェンション駅へ。メトロで行くと駅からブラッサンス公園まで少し歩かねばなりません。しかし、convention 駅を出て驚いたのは非常に活気ある界隈であるということです。パリ15区の一番下、つまりパリの外れなのに人々の行き交う商店街は賑わいに満ちています。子供を連れた人々も多く、店々の客の入りも多い。黒人の姿をほとんど目にしないのは、ここが堅実な白人中産階級が多く住む地域だからでしょう。

   コンヴェンション通りを歩いていると、左側にLe Divan 書店がありました。通りの向こう側には児童・若者向けの Le Divan jeunesse があります。この本屋は15区最大の書店で、パリでも有数の活発な書店活動に取り組んでいる店です。店内に入ってみると、土曜の昼だからでしょうか、けっこう客が入っています。話題の新刊書から、売れ筋の文芸書・ミステリー、奥には哲学、歴史、宗教、心理などの専門書も棚ごとに整然と並んでいます。中心部の大型店に行かなくとも十分手応えのある品揃えです。

   Le Divan 書店を出ると、急に妻が「お腹がすいた」と言い出しました。私は本屋に行ったり町歩きをする時は一日中何も食べなくても平気なのですが、妻は空腹になるとガス欠の車のように全く動くことが出来なくなってしまうのです。ブラッサンス公園に行く途中でどこか良い店はないかと探したのですが、妻がここでいいよと交差点際のカフェを指差したので、Cafe de Marcheという店に入りました。昼時でお客でいっぱいでした。私が鶏のサラダ(6ユーロ)とビール、妻が卵のサラダ(6.4ユーロ)とロゼのワインを頼みました。サラダを頼むとパンが籠一杯出されます。飛び込みにしてはまずまずの味で、特にキュウリ(concombre)は日本の昔の胡瓜を思い起こさせるおいしさ、また冷えたビールも美味でした。

   ブラッサンス公園を西の入口から入ってみると、何やら軍用テントがたくさん張られてあります。中を覗くと兵器や軍用食や制服などが置いてあって、気づくと軍服姿の男たちが歩いているではありませんか。カメラを取り出して撮っていると、白い軍服を着た髭のある老人が「ジャポネ?」と訊いてきました。そうだと答えると、こっちに来いと手招きして、ぐんぐん奥に歩いていきます。広場のような所に出ると、何と走行車両や軍用トラックやサイドカーがたくさん駐車していて、軍人のコスプレで溢れています。そこで中里さんという日本人に紹介されました。中里さんによれば、これはユニホーム・マガジンという雑誌が主催したマニアの集まりで、これからパリ中のパレードに出るところだそうです。私はパリ解放の時のルートや戦闘に興味があったので、いろいろ興味深く見ていました。それにしても参加者は皆張り切って生き生きしています。

    いよいよ公園の東端にある屋根つきの古本市会場へ。土日のみ開催しているそうですが、たいへん広くて、しかしお客はまばらです。サーと見ていきましたが、なかなかペーパーバックまで調べる余裕がありません。2回ほど往復して、ジャン・ヴォートランの警察小説(2ユーロ)に目をつけたが、どこの売場か忘れて買いそびれました。どっと疲労が出たので、スイスの出版社mermod から出たパリ本の一つ Paris (5ユーロ)だけ買いました。これは20人ほどの作家と画家がパリについて書いたり、描いたりしたものです。例えばフローベールからは『感情教育』の一節が引用されています。1952年の出版ですがページも切ってなくたいへん新しい感じです。

   妻は勝手に本を探していましたが、私を呼んで、この本が欲しいけどどうかなと聞いてきました。見ると、プレイヤッド文庫の Album Borges で、妻が店の主人に聞くと35ユーロだということです。それで、少し離れたところで Book Finder で調べてみると、だいたい50ユーロから80ユーロの相場です。これは買うべきだと思って、妻が件の店主を探すと、向こうでワインを飲んでいました。手を振ると白髪の老店主がやって来て、「これを買う」と妻が言うと「さっき、幾らと言ったっけ」と、もう忘れている様子です。妻が「35ユーロ」と答えると、「30ユーロでいいよ」と負けてくれました。

   帰りは公園のすぐ近くから89番のバスに乗りました。途中から土砂降りの雨になりましたが、リュクサンブールに着く頃にはすっかり止んでいました。ホテルに戻って、今日買ったコーヒーカップでコーヒーを飲んでから、ホテルの前で販促していて一部貰ったリベラシオンをじっくり読み始めると妻はもうベッドで昼寝していました。夕方になって、サン・ジェルマン・デ・プレヘ。まだ店を開けていた Buci 通りの Carton で明日の朝のクロワッサンとパン・オ・ショコラを買いました。Carton の並びにTaschen 書店があったので入ってみました。Taschen はドイツ発祥の美術書専門書店で、一歩足を踏み入れるとその世界に圧倒されます。暗い店内、怪しげな明かりに照らされた写真集・美術書・建築書・男性ヌード本、すべて自由にページを渉猟できるよう開かれて置かれています。高価なものもあるが、だいたい15ユーロ前後で安いのが特長です。

    次にサン・ジェルマン・デ・プレ教会近くの l'Ecume de pages 書店ヘ。文芸書が非常に充実していて、今やこの地区の一般書店として孤高を守っています。平台が多くて本が見やすいので、私はこの書店に来ると何時までいても飽きません。やっと疲れが出て帰ろうとすると、妻がこの本を買うと言ってガレンのルネサンス本を持ってきました。妻は最近このイタリアの歴史家にすっかりはまっているようです。帰り道、カルフール・マーケットでワイン、サラダ、桃、ビール、水を買って帰りました。

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カイザーの店内。奥にパン類が売っています。右手前がイートインのカウンター。

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レンヌ通りの以前は一般書店のあった場所が自動車専門書店になっています。

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シムカやゴルディーニなど懐かしい車名が並びます。

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15区コンヴェンション駅近くのル・ディヴァン書店。客も多く活気ある書店です。

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Le Divan書店の店内。専門書も充実しています。書店員の懇切な説明も地域の書店ならでは。

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コンヴェンション通りのカフェ・ド・マルシェでの昼食。手前の鶏肉のサラダは6ユーロ。キュウリが美味しいのでびっくりしました。

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Uniformes en Franceの催し。いろいろ教えていただいた中里さんの着ている制服はモロッコのフランス部隊のもの。細部までマニアック。

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第二次大戦時のフランスのミニ戦車。これからパレードに出発するところ。日本と違って湿気が少ないのでエンジンが錆びにくいそうです。

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各自の制服、車両は皆それぞれの個人所有のもの。その徹底ぶりは恐ろしい。

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参加者は皆楽しそうです。

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やっと古本市会場へ。二棟に分かれた会場はたいへん広い。

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妻が買ったプレイヤッド文庫アルバム・ボルヘス。プレイヤッド文庫50周年を記念して、毎年一冊、プレイヤッド文庫三冊を買うと貰えるアルバムのシリーズはどれも高値が付いています。右は私が買ったパリ本。20人以上の画家の絵と作家・詩人の文章の集積です。

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ビュシ通りのパン屋カルトン。私はこの店のクロワッサンは濃厚な味でとても美味しいと思います。

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カルトンの並びのTaschen書店。素晴らしい美術書専門書店です。

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Taschen書店の店内。見やすく、何とも言えない雰囲気のある書店。

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土曜日のビュシ通りのカフェ。どの店もいっぱいです。

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サン・ジェルマン・デ・プレの書店l'Ecume des pages。この店に入ってしまうと一時間以上は居ついてしまいます。

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l'Ecume des pagesで妻が買ったガレンの『ヘルメス主義とルネサンス』。妻はガレンの本を集めているっぽいです

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2016年7月 3日 (日)

オデオン広場ふたたび(1)到着

6月17日(金)到着
   最初からあまり暗い話は書かないでくれ、と西日本の親類に言われたので、いつもの疲れ切って到着の話は省略します。ただ、エトワール広場から乗ったメトロ6番線で、危うく首を吊って死にそうになったことは記しておきましょう。モット・ピケ・グルネルで10番線に乗り換えるとき、扉そばの折りたたみの椅子に座っていたのですが、斜めがけしていたバッグの紐が腰までずり落ちていたのに気づかず慌てて降りようとしたため 、紐が椅子に挟まったまま首がスタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットを浴びたようにのけぞってしまい、危うく転びそうになりました。意識が飛ばなかったのは、首が太かったからで、昔、締め技の練習のとき柔道部の先輩に「お前は将来首を絞められて殺されることはないから安心しろ」と言われたのを思い出しました。

   そんなこんなで、金曜の夜の8時にクリニュー・ラ・ソルボンヌ駅を降りて医学校通りのオテル・サン・ピエールに到着しました。一昨年に続き二度目の宿泊です。ネットでは宿泊料の安さに比してレセプションの応対がきちんとして感じ良いということでしたが、私には何よりオデオン近くの至便なロケーションが気に入っています。部屋は5階(日本では6階)で、冷蔵庫はむろん無し。バスタブの部屋は予約した時点で埋まっているとのことでシャワーのみです。しかし、眺望は前回同様すばらしく、目の前にソルボンヌ医学部、遠くにサン・シュルピスの双塔が望見できます。前夜睡眠がとれずフラフラで食欲もなかったので、荷物を置くと、近くのモノプリでエビアン1.5ℓを2本買って、ホテルでEuro2016スペインートルコ戦を見ながら寝てしまいました。妻は飛行機でもらった人形焼と即席味噌汁を飲んで、やはりすぐ寝てしまったそうです。

   去年の8月、私が洗面所で歯を磨いていると、ルーミーと風呂に入っていた妻が「これで、もうパリに行くこともないな」と言ってきました。「うぐぐっ」と返事をした私は、すぐに居間のパソコンを開いて、ブッキング・コムに入り、パリ14区アレジア近くにシングル6泊5万円のホテルを見つけました。そして、風呂から出てきた妻に「 来年6月、一人でパリに行くから、安い航空券が出たらすぐ買っといて」と言いました。生涯の見納めに、思う存分、一人でパリを堪能したいと思ったのです。「わかった」と言った妻ですが、航空券を見つけることに手際良いはずなのに、9月になってもなかなか買ってくれません。どうも、私ひとりで行かせるのは心配のようです。妻によれば、ホテルはシングルもツインも値段はほとんど変わらないし、私が街歩きや本屋やカフェに行っている間、自分は邪魔せずに一人で美術館に居るというのです。そう言われると、確かに一人でいて体調が崩れたら不安だし、困った時に妻の会話力は必要だし、私一人で行くとなれば、出発のとき家のドアのところで泣かれるだろうから、私は渋々また夫婦で行くことに同意しました。

   直ちに航空券を購入し、ホテルを予約(オテル・サン・ピエールにしたのは、ルーヴル美術館に歩いて行けるからです)したものの、それからフランスの情勢は大きく変わって行ってしまいました。11月13日のパリ同時多発テロ、翌3月22日のベルギー・ブリュッセル空港と駅での自爆テロを受けて、フランスはかつてない超警戒体制に入ったのです。しかも、労働法改悪(失業率を下げるため派遣並みの採用を企業に許す)に対する激しいデモがリパブリック広場を中心に毎週行われ、警官の暴力に対する、これまた暴力的なデモが各地で頻発し、おまけに異常気象による豪雨でセーヌ川が氾濫する手前までくるということまで起こりました。

   しかし、何より変わったのはフランスを覆った虚しさと無力感です。シャルリ・エブドの時は、リパブリック広場は表現の自由とフランスの一体感を訴える群集で溢れましたが、11月13日の後のリパブリック広場は帰って来ぬ者への追悼の蝋燭で覆われました。こんなパリに行って楽しいでしょうか。妻は旅行中止を真剣に考えたようですが、ホテルはキャンセルできるものの、航空券は3万円ほど戻ってきません。止むを得ず行く決意を固めたものの、出発直前にフランスへの渡航者当ての外務省の危険勧告のメールがあって、それによると6月上旬から7月上旬までのラマダンの一ヶ月は特に注意が必要で、特にラマダン中の金曜日は厳重注意とのことでした。私たちの出発日は6月17日の金曜日で、帰りの飛行機も6月24日の金曜日です。これはもうテロに襲われたら諦めるしかありません。

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オテル・サン・ピエールの6階から西方のサン・シュルピス寺院の双塔を望みます。

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ソルボンヌ医学部の中庭がすぐ下に見えます。

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ホテルの東方の眺め。下の医学校通りはサン・ミッシェル大通りを横切ってレコール通りに続きます。奥の右側の建物はソルボンヌの大講堂(grand amphitheatre sorbonnne)。講演やコンサートが開かれます。

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2015年11月 3日 (火)

憂愁の巴里(8)帰国

6月25日

   最後の朝食をロビーで食べました。朝食はまあこんなものかと思いますが、朝、パンを買いに外へ出るのも面倒なので仕方ありません。出発は夜なので、荷物をレセプションに預け、清算してホテルを後にしました。夕方までどこに行こうか迷いましたが、ちょうどマレ地区のコニャック・ジェイ博物館で、The, Cafe ou Chocolat ? という18世紀フランスで爆発的に流行った茶とカフェの文化についての展示があったので、行ってみることにしました。バスでサン・ポールへ行き、今回初めてのマレ地区巡りですが、もうあまり見るところもないので、真っ直ぐにコニャック・ジェイに入りました。17世紀頃から健康のために飲まれるようになった茶やコーヒーやチョコレートは、それらが異国からの飲み物であるということに加え、宮廷や上流階級の余暇の楽しみを真似るということから一般の人々へも急速に広まりようになりました。それは同時に茶やコーヒーをめぐる文化の発達を促し、マイセン、ウエッジウッド、セーブルなどの有名な陶磁器工房はみな18世紀に創業しています。展示では、絵画、版画、陶磁器などが並べられていましたが、数的に物足らない感じで、これで7ユーロは高すぎると思いました。このまま出るのももったいないので、常設の展示を見て回りましたが、昔一度来館していたので感激はありません。ただ、ミニチュアの肖像画を並べてある場所では、なるほどと思うことがありました。ペンダントのような楕円形の小さな肖像画ですが非常に精密に美しく描かれています。「マリア・ストゥアルト」や「魔笛」で、登場人物が絵を見ただけで恋してしまうのも納得できるようです。

    コニャック・ジェイを出て、すぐにバスでサン・ミッシェルに戻りました。ホテル前のセルパント通りにあるAAAPOUM BAPOUMのセルパント通り店に入りました。ここはBD(バンド・デシネの略、フランス・ベルギーの漫画)、マンガ(日本の漫画)、アメコミ(アメリカの漫画)の世界三大漫画文化をすべて扱っている店です。すでに何度か来店していますが、いつでも何人もの客がいるのは、この種の本の人気を物語っています。アメコミは雑誌のようなペラペラなものが多いのですが、それらをたくさん並べている売場で、腰の曲がった老人が熱心に物色しています。アメコミの一冊を大事そうに手に取りレジに向かいましたが、また反転して別の本を選んで買っていました。いかにもマニアックなファンらしい、心和む光景です。

  さて、圧巻は大量に積まれたBDの売場です。日本の漫画との違いは、大半が雑誌の連載から生まれたのではなく、いきなり単行本で出されることです。みな絵本のような画集のようなハードな製本で、大判の本が多い。じっさい何度も読み返しの出来る精妙で芸術と言ってもよい図柄は、ストーリー漫画の多い日本の漫画とはかなり違います。しかし、本当の違いはその内容です。日本の漫画のほとんどが少年少女を主人公にしているのに対して、BDは大人(ときには老人)が主人公です。これはなかなか面白い事実で、反対に昔話の世界では、日本が老人の主人公が多いのに比べ、西欧は子供が多いのも不思議です。

   さて、その後、ブリニエ書店、ジベール・ジョセフ書店の店頭本をさらってから、サン・ジェルマン・デ・プレに行って、ビストロ・コントワールの隣のアヴァン・コントワールでサンドイッチを買ってリュクサンブール公園で食べました。妻によると、この店のサンドイッチが一番おいしいとのことです。公園のベンチで小一時間ほど座っていたのですが、ジョギングをする人の多いことに驚きました。園内を周回しているらしく、同じ顔の人が何回も通りました。ハッとするような美形の人が走っているのは、もしかして女優のダイアン・クルーガーでないかと思ってしまいました。というのも、彼女は六区に住んでいて、この辺りを運動の場所にしているらしいのです。雑誌 Vanity Fair によるとパリ六区は「女優のカルチェ」で、サン・シュルピスの向かいのアパルトマンに住むカトリーヌ・ドヌーヴ、リュクサンブール公園のそばに住むナタリー・ポートマン(オペラ座の芸術監督と結婚しています)、カフェ・ド・フロール近くに住むソフィア・コッポラ、レア・セドゥー、さらにシャロン・ストーンはバー la Croix-Rouge に、シャーロット・ランプリングはレストラン、クロズリー・デ・リラに出没するとのことです。

   この時期のリュクサンブール公園の西側出口付近ではチェスを楽しむ人が多い。市松模様が描かれたテーブルが何組もあり、持参した駒や対局時計で楽しんでいます。レベルの高い対局には人だかりができて皆熱心に考えています。まだ時間があったので、ソルボンヌ広場のカフェ・エクリトワールでコーヒーを飲みながら今日買った本を読んでいました。このカフェはもう何回も来店していますが、壁には本が並び、客はおそらくパリでもっとも知的レベルの高そうな人たち、つまり地味で垢抜けない学者風の人や学生ばかりのようです。ホテルに戻る前に、カフェの真ん前の哲学専門書店 J.VRIN に入って割引本の箱から、わずか5秒で、ウナムーノの『ココトロジー論考』を引き抜きました。パリで訪ねた最後の書店が J. ヴランだったというのも感慨深いものがありました。

   ホテルに寄って預けた荷物をとり、いつものようにリュクサンブール公園入口前のバス停から82番のバスに乗ってポルト・マイヨーまで行き、そこからエア・フランスのリムジンバスでCDGまで行こうとしました。ところが82番のバス停には張り紙がしてあって、それによるとタクシーのデモの影響のため運休とのこと。急遽予定を変更して、クリュニー・ラ・ソルボンヌの駅から地下鉄でシャルル・ドゴール広場まで行って、そこからバスに乗ることにしました。広場まで行くと、バスが停車して人も乗っていましたが、出発する気配はありません。 黒人の運転手はバスの外に出て携帯電話で現在の状況について本部と話をしているようです。しばらくして、運転手がバスに乗り込み、出発しそうなので、私たちも切符を買ってバスに乗りました。ところが発車したものの、いつもと行く方向が違います。どうやらポルト・マイヨーに寄らずに直接空港を目指すらしい。出発がかなり遅れたので、バスは普段より格段のスピードで走っています。というより焦っているのかたいへん荒っぽい運転で、乗ってるだけで疲れてしまいました。

   ところで、タクシーのデモは以前から話題になっていたもので、問題はスマホで呼べるネットタクシーの増加です。値段が良心的で身元がともに安全ということで、最近の成長は凄まじいようです。これに反対するのはタクシーの組合で、彼らは個人で大金を払って営業許可を取っているので、怒るのも当然です。しかし、空港から市内にお客を運ぶだけで5000円から6000円もとるのは余りに楽な商売過ぎたのだから仕方がありません。

   空港に到着したのですが、特に問題もなく、ただ妻が石鹸、私が本を詰め込んでいたので、互いに一人12キロの制限をギリギリ越えなかったのでホッとしました。手荷物検査は去年に比べてさすがに厳しくなっていて、妻は靴や手袋も脱がされていました。さらに、妻がうっかり手提げ鞄に入れていた飲みかけの水に気づいた係官は、一口飲むよう妻に指示しました。妻が一口飲んで横のゴミ箱にペットボトルを捨てると、今度は鞄の中のチョレートの箱を取り出して、俺の好物だからこれも没収するなどと冗談を言っています。私は私で、あちこちのポケットから大量の小銭が出てきてトレーを一杯にしたのには係官も呆れていました。

   1月のテロ事件でパリ全体の警備は格段に厳しくなっていました。そのおかげか、今回はスリなどに全く会いませんでした。事件といえば、帰国後カード会社から電話があって、妻のキャッシュカードが欧州で三回不正に使われそうになった、と知らされました。いわゆるスキミング詐欺らしく、幸い実害はありませんが、どこでデータを盗まれたのか不思議です。というのも妻がカードを使ったのはわずか2回だけだからです。思い返して、やや不審な点といえば、チョコレートの専門店で料金を払う時、もう閉店なのでレジを閉めたからカードで払って欲しいと言われたのです。しかし、1,2時間後にその店の前を通るとまだ開いていました。それ以外は、とくに事件もなく、無事に日本に帰ることができました。

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コニャックジェイ美術館の Tea,Cafe ou Chocolat?  展。18世紀に流行したお茶の文化の展示。上はアルトワーズ伯爵家に伝わる王家のティーセット。ティーポットに描かれているのはマリー・アントワネット。実用というより飾り物。フランスの陶磁器デザインは総じてゴテゴテしています。英国風の簡素な植物柄が私の好みです。

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ルソーの「自然に帰れ」の思想はまた18世紀の人々の好みとも一致しました。このティーセットには、農家で使われる手押し車や鋤や籠、収穫した果物などが描かれています。マリー・アントワネットがヴェルサイユで農作業を楽しんだことはよく知られています。

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コニャックジェイ博物館の常設展示から。美しく彩色されたミニチュアの肖像画。「魔笛」の王子タミーノはこのような小さな肖像を見ただけで王女パミーナに恋してしまいます。現代のプリクラにも通ずる魔術的な小道具です。

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BD・漫画・アメコミ専門店アープーム・バプームのセルパント通り店。いつも客の絶えない人気店です。

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漫画コーナーの中央には水木しげるや手塚治虫ら日本が誇る漫画家の作品が並んでいます。水木しげるの本は一冊3000円ほどでした。 

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BDの大傑作エマニュエル・ギベールの「アランの戦争」。アメリカ人の兵隊の回想をもとにフランス人ギベールが描いた一つの戦争の真実は胸を打ちます。邦訳もあります。 

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サン・ジェルマン大通りのLibrairie Polonaise。ポーランド語の本と仏訳されたポーランド作家の本が並んでいます。かつてはパリの文化的拠点の一つであったサン・ジェルマン大通りに面する本屋はこことL'Ecume des Pagesだけになってしまいました。

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リュクサンブール公園には100以上の彫像があります。ボードレール、ヴェルレーヌ、ヴァトー、 ショパンなど、とても全部は見切れません。上はジュール・ダロウ作のドラクロワ 。

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天気の良い日にはリュクサンブール公園にチェス愛好家が集まります。かなり真剣に頭を使っています。 

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強豪同士の戦いにはギャラリーも集まります。

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私もしばらくチェスを観戦しました。誘ってくれれば一戦交えたかもしれません。 

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ソルボンヌ広場に面したカフェ・エクリトワールで。読んでいた本はジベール・ジョセフの店頭で0.5ユーロ(65円)で買った セリ・ノワールの一冊、レイ・リングの「アリゾナ・キス」。この禁欲的な表紙がたまりません。妻によると、私がトイレに立っている間、 テーブルの横を通りかかった男性が惹きつけられるようにこの本の表紙を見つめていたとか。   

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哲学専門書店J.VRINのウインドウ。「哲学的夏に向けて、よい読書を!」という張り紙の下にはおすすめの本が並んでいます。真ん中左のダニー・ロベール・デュフールのPleonexieに注目したい。プレオネクシはギリシア語で際限ない所有欲のこと。資本主義と消費社会の危機を警告続けてきたデュフールが、あらためて今注目されています。

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ブリニエ書店の店頭で買った雑誌SPIROUのバックナンバー(0.3ユーロ)。スピローはタンタンと並ぶBDのヒーロー。職業はホテルマンです。右はセギュール夫人の「ロバの思い出話」(1ユーロ)。岩波少年文庫に邦訳があります。 
   

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J.VRINで買ったミゲル・デ・ウナムーノの「ココトロジー論考」(5ユーロ)。鶏の折り紙についての哲学的探求。他にチェスについてのエッセイが二編。ともにウナムーノらしい劇的な文体です。序文はフェルディナンド・アラバール。

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2015年10月 4日 (日)

憂愁の巴里(7)帰国前日

6月24日

   昨日に続き、晴天で気温もどんどん上がりそうです。実は今日はソルドの初日で、店はどこも混雑が予想されます。妻も張り切って、朝一番で、フルー通りのレペットに乗り込みました。ここは元々バレエシューズの店ですが、今や有名ブランドになっています。すでに客と店員で店内はごった返しており、日本人客も何組かいました。どうも30パーセント引きになっているらしい。妻もあれこれと試着していましたが、早々と「ユーロが高いので、割引でも銀座のレペットとたいして変わらない」と買うのを諦めました。それから、近くのレンヌ通りのロクシタンでセール品を購入、さらに向かいのボン・マルシェで土産物を買うと、お腹が空いたと言うので、ボン・マルシェ裏のバビローヌ通りのビストロに入ることにしました。ところが、Au Pied de Fouet というビストロに入るつもりが、よく看板を確かめなかったので隣の店に入ってしまいました。ここも同系列の店らしいのですが、ビストロではなく、ハンバーガーとタルティーヌのお店らしい。ここで妻はサーモン、私はハムとトマトのタルティーヌを頼みました。隣でハンバーガーを食べていた親子は、ナイフとフォークでハンバーガーを4つに切って、実に上品に食べています。

  昼食後、妻のリクエストでもあったギメ美術館の「能からマタハリまでーアジアの劇場の2000年展」を見るため、バビローヌ通りを下りました。突き当たりにあるサン・フランソワ・グザヴィエ教会前の停留所からバスでイエナまで行こうとしたのです。ところで、この教会は何度も前を通り過ぎているのに一度も入ったことがありません。妻は面倒なので、入りたくなさそうな顔をしていましたが、外で待つのも陽射しが強いので、仕方なく私の後について入りました。教会の正面のペディメント(三角形の破風)には、サン・フランソワ・グザヴィエがインド人と日本人に洗礼を施す浮彫があり、日本人は髷を結った侍のようです。実はフランソワ・グザヴィエとはフランシスコ・ザビエルのことで、私にとっては鹿児島でザビエル像を見て以来の二度目の邂逅となります。内部はたいへん立派でこの教会の格式の高さがうかがわれます。教会のパンフレットをもらって外に出ましたが、バスの中でパンフレットを見ると、何とティントレットの la Cene(最後の晩餐)が側廊に飾ってあったとのこと、後の祭りとはこのことでしょう。

    ところで、フランシスコ・ザビエルですが、不撓不屈の人間であり、その自己犠牲の生涯は私のような凡人にはあまり参考にはなりません。しかし、書簡集に見られる16世紀の日本と日本人の肖像は面白い。ザビエルによれば、日本人は悪意がなく理性的で名誉心あり、貧乏を恥辱と思わず、好戦的で武器を非常に大切にする国民であり、彼がそれまでに出会った最高の資質を持った国民であると書いています。おそらく弊衣でみすぼらしかったであろう人々に、しかし全く外見に左右されることなく透徹した眼差しをむけています。1958年に日本を訪問したスティーヴン・スペンダーが「みな醜い顔をしている」と日本人を外見だけで評したのとは大違いです。これこそ人間の質の違いでしょう。

   さて、バスを降りて、馴染みであるギメ美術館に入りました。ギメでは年に四回特別展が開催され、そのうち二回が日本に関係あるものだそうです。今回の「能からマタハリまで」はインドの舞踊、カンボジアの影絵劇、インドネシアの人形劇、中国の京劇、日本の人形浄瑠璃や能などですが、それらをアジアの劇場芸術という一括りにしたのはかなり強引すぎると思われます。しかもなぜマタハリが出てくるのか。実は、ギメ美術館は元々実業家であったギメの私設のコレクションの美術館で、その円形のホールは当時の社交場でもあったのです。ギメは1905年そのホールで、マレー系オランダ人であったマタハリ(ギメがパトロンをしていた)にパリで最初のダンスを踊らせます。これが当時のオリエンタルブームにのって大好評を博し、マタハリは一躍人気者になりますが、高級軍人目当ての娼婦をしているうちにスパイ活動に手を染め、ヴァンセンヌでフランス軍に処刑されてしまいます。展示では当時の映像が映されていましたが、官能的というより、いささか太り気味で、精神性が感じられないのは致し方ないでしょう。

   バスでホテルまで戻って来ました。疲れが出たのか、妻が少し眠りたいというので、部屋に妻を残し、私だけ散歩に出ました。サン・ジェルマン大通りを東に歩いて、ところどころにある古本屋の店頭本を物色しながら、カーディナル・ルモワーヌ通りを右に入ります。そこに目当てのL'Amour du Noir 書店がありました。ここは探偵・警察・SF小説専門の店で、店内はその種の本が天井まで積み上げられています。目的のガリマール社発行のセリ・ノワール叢書は奥の右手にびっしり並べられています。セリ・ノワールは犯罪・警察小説の岩波文庫ともいうべき叢書で、1945年にマルセル・デュアメル編集のもとに発刊されました。最初はピーター・チェイニー、レイモンド・チャンドラーなどの英米作家の翻訳ばかり出していましたが、後にジャン・アミラ、アルベール・シモナンらフランス人作家も名を連ねました。

   フランスで一般に polar と呼ばれるこの種の小説の魅力はいったい何でしょうか。「ヴィトゲンシュタインを読むより、セリ・ノワールを読むほうが好きだ」というサルトルの言葉はよく知られています。シュヴェイアウゼールのたいへん便利で有益な本『ロマン・ノワール フランスのハードボイルド』(文庫ク・セ・ジュ)によれば、それは次のようなものです。まず、その文体、おそらくアメリカ小説とアメリカ映画から影響を受けたであろうその文体は、心理分析や心情吐露を徹底的に拒否します。主人公の動機や感情を表現するのは行動のみであり、これがハードボイルドという言葉のある本質的な意味を表しています。

   もう一つの特質は、人生と社会への絶望です。幻滅とも言ってよい、それは嘲弄、いや強い自嘲によって裏打ちされています。主人公は決してヒーローではなく、多くの場合、環境や状況によって打ちのめされていて、この社会を生き難いと感じています。彼らが犯罪者や脱落しかけた警察官であるのも無理はありません。彼らはこの社会を支えている諸価値を信じられなくなっているからで、そして、このことが現代社会の忠実な反映となっているのです。現代の polar が多く都市の郊外の低所得住宅を舞台にしているのは偶然ではなく、そこが、今や犯罪の温床であり、フランスの病弊の集約された場所であるからにほかなりません。

   私自身のpolar への興味はその言葉にあります。とにかく未知の単語や熟語がたくさん出てきて面白い。フランス語で一般にアルゴ(隠語)と呼ばれる言い回しは、主にヤクザの世界の符丁のようなものですが、それが一気に地下世界に読者を誘う呪文になるのです。『現金に手を出すな』の末尾にシモナンが付した簡単な隠語辞典は読者の便宜を図ったものですが、その難解さがフランス人のスノビスムを刺激して、本格的な隠語辞典がいくつも出版されたのは興味深いことです。社会言語学者のルイ・ジャン・カルヴェが言っているように、アルゴにこそフランス語の本質が潜んでいるのかも知れません。

   ホテルに戻ると、妻はもう起きていました。どうも気分が良くなったようです。今夜は観劇の予定はなく、といって部屋にいても仕方がないので、サン・ジェルマン・デ・プレまで夕方の散歩に行くことにしました。むろん、外はまだ明るくて、サン・タンドレ・デ・ザール通りのカフェやビストロは観光客で溢れています。私たちは深夜12時まで店を開けている本屋 L'ecume des  pages に入りました。La Hune 書店なき後、サン・ジェルマン・デ・プレ唯一の総合書店です。
妻はそこでプラトンの『ソクラテスの弁明』をわずか3ユーロで買っています。

   サン・ジェルマン大通りに出るとまだキオスクが店を出していたので、私は隙間なく並べられている新聞や雑誌を眺めていました。キオスクで新聞や雑誌を見るのが好きなのですが、そうすると必ず売り子に声をかけられます。こういうどうでもいい聴き取りが私は苦手なので、たいていフィガロかルモンドを買って退散してしまうのですが、この時ははっきりと聞き取れました。「シャルリ・エブドを探しているの?」と言ってきたのです。ノン、ノン、と言ってルモンドをつかみポケットから小銭を出して渡しました。どうもシャルリ・エブドを記念に買っていく観光客が多いようなのですが、1月に起きたあのシャルリ襲撃事件がまだ尾を引いているのでしょう。

   ところで、1月7日の事件は衝撃的でした。フランスではテロは珍しくないとはいえ、フランス人には馴染みのある5人の著名な風刺漫画家たちを含む12人が一度に殺されてしまったのです。最初は茫然として、それからフランス人は、これはただ事ならぬ、自らの世界を支えている価値のもっとも大事な部分が蹂躙され、無惨に引き裂かれてしまったと感じたのです。「私はシャルリ」という標語は、この暴挙を憎むというフランス人の瞬間的で直感的な表現であり、大多数の人間には「よくわからないが、こんなことが許されるはずはない」という怒りの表明だったのです。

   怒り、そうです、それは怒り以外の何物でもありません。他の手段は無数にあるのに、何故くだらなくも愚かな行為を選択したのか、それも表現の自由を身を張って行使した人間たちに対して、、、。真っ先に銃撃されて死んだ編集長のシャルブは2011年のインタビューで、「私には妻も子も車も貯金もない、大げさかも知れないが、膝を屈して生きるより立って死ぬ方を選ぶ」と語っています。私は民主主義の諸価値を相対的にもっとも優れたものと思うのですが、その随一の弱点はマス・メディアの横暴を許してしまうという所にあります。彼らは公正さを装って世論を巧みに操作してしまうのです。かつての民主主義批判者たちは愚民大衆の無知を危惧したのですが、インターネットの今、広く人々に開かれた議論こそが有益であり、メデイアこそ色眼鏡の扇動者であることが知られるようになりました。言い換えれば「立って死ぬ」覚悟のある者のみがメデイアを通じて発言する資格があるのですが、新聞・テレビが自らの行動の一片たりとも真の責任をもってをもって為したことがあったでしょうか。

   さらに、日本ではエマニュエル・トッドの「私はシャルリ」批判が好意的に受け取られているようです。襲撃事件の犯人である二人の兄弟はフランス生まれだが、フランスの価値観から締め出され、イスラム教にアイデンティティを見出した。疎外され、追い込まれた人間がかろうじて見出した救いに唾を吐く行為をシャルリの冒涜的な風刺画は行っていたのだと。トッドの意見は、現在の移民問題の複雑さ、フランス国内に7%いるイスラム教徒との共生の問題と絡めて有益な観点を提供しているようにも見えます。しかし、それこそこの事件の本質を隠蔽するものでしょう。犯人の兄弟はアルジェリア系移民の子として不幸な少年時代を送ったが、それを克服してまっとうな職につく努力を怠り、犯罪に手を染めた末、イエメンで軍事教練を受けた筋金入りのテロリストでした。彼らに同情する余地はあまりないように思えます。

   ところで、私はシャルリ・エブド紙を買ったことはなく、 ネットでオペラや劇評を見る程度でしたが、いつ見てもそれなりに面白い。それぞれの漫画に馴染みはあるが、五人の漫画家の名と一致はしません。しかし、私にとっては、いつもリベラシオン紙の文化欄でその記事を読んでいるフィリップ・ランソンがこの事件に巻き込まれて重傷を負ったことは驚きでした。ランソンはシャルリの水曜の編集会議に出席して一人早く退席しようとしたが、編集長のシャルブにジャズについての本を渡そうとして1分遅れたために事件に遭遇しました。もし1分早く退室していたら犯人と鉢合わせしていて、恐らく殺されていたでしょう。実際は銃の乱射のため顎を打ち砕かれ、13回の手術のあと、やっと6月29日にラジオのインタビューを受けるまでに回復しました。彼の話によると、彼が倒れたすぐ横にはシャルブが即死して倒れていた。自分は「死んだふり」をして、かろうじて命を助かった。すべてはまるで自分がBD(バンド・デシネ、フランスの漫画)の中にいるように非現実の出来事に思える。誰が死に、誰が助かったかは、その瞬間にどこに立っていたかによって、つまりほんの偶然によって決まった、と。

    L'Ecume des Pagesを出るとお腹が空いてきました。しかし、この時間のサン・ジェルマン・デ・プレの ビストロはどこも満員でしょう。最後の夜なのでモノプリでシャンパンを買ってホテルで飲むことにしました。鯖の缶詰、ハム、果物などを買って暗くなりかけた道をホテルまで歩きました。冷蔵庫がないので、流しの流水でシャンパンを冷やし、冷えたころに妻が栓を開けたのですが、すごい勢いで泡が出て妻のパジャマがびしょ濡れになりました。シャンパンは3分の1くらい失くなってしまいました。どうも流水だけではあまり冷えてなかったらしい。私は、その時、ベッドに腰掛けて妻の買った『ソクラテスの弁明』を読んでいたのですが、部屋に立ちこめたシャンパンの香りを嗅ぐと、なぜかロラン・バルトが17歳の時に書いた最初のテクスト「『クリトン』の余白に」を思い出しました。処刑の前夜、ソクラテスは弟子の一人が差し入れたコリントスのイチジクを食べるべきか考えています。イチジクは食べても消化される時間もないだろう、それにあと数時間で死ぬ人間がイチジクを食べても意味のないことだ。しかし、本当の恐れは、もしそれを食べれば、自分はそのまま生き続けてしまうのではないかということでした。迷った末にソクラテスはイチジクの一枝を口にします、、、。その後、弟子たちと乗った逃走途上の船の上でクリトンが尋ねます「ソクラテス、これでは歴史が変わってしまいます。」「心配するな」とソクラテスは答えます。「プラトンが上手くやってくれるさ。」

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バビローヌ通りで安いと評判の店Au Pied de Fouetに入るつもりが右隣のハンバーガーとタルティーヌの店に入ってしまいました。

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妻はサーモン、私はハムのタルティーヌを食べました。11ユーロか12ユーロでした。

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同じバビローヌ通りの書店Temps a Lire。残念ながら閉まっていました。

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Temps a Lireのウインドウ。中央上のイラストには「もし、もう、本屋がなかったら?」と書いてあります。

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Temps a Lire書店の扉に貼られたSOSの紙に注目。拡大して読むと、「街の書店はアマゾンなどネット販売の書店の重いおもしに押し潰されそうです。ますます多くの街の書店が店を閉めています」と書かれています。

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サン・フランソワ・グザヴィエ(Saint Francois Xavier)教会。日本語だと聖ザビエル教会の方が分かりやすい。19世紀後半の建立で、ルネサンス様式だが三角のペディメント、バラ窓、双子の尖塔など人気の要素を全て取り入れています。それらが破綻せず、パリで最も美しい教会の一つとなったのは驚きでしょう。

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グザヴィエ教会の内陣。正面にはザビエルがインド人と日本人に説教する絵が描かれています。

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イエナの交差点にあるギメ東洋美術館。特別展は「能からマタハリまで アジアの劇場の2000年」です。

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バリの仮面。インドネシアでもバリだけはヒンズー文化の影を色濃く残しています。

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タイとインドネシアの影絵。水牛の革を切り取って作られています。影絵や人形は、この世ならぬものの卓抜な表現です。上演を通して、民族や祖先の魂が行き来するのです。

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中国の京劇の人形。なんとなく憎むことのできない愛らしさ。

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ギメのパンフレットの写真。マタハリのもっとも魅力的な写真はこの一枚です。

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警察・推理・SF小説の宝庫、L’Amour du Noir 書店。ウインドウにはジャン・ヴォートランやスティーヴン・キングの小説が飾ってあります。

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L'Amour du Noir 書店の店内。右奥下の黒っぽい棚がセリ・ノワール叢書。

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L'Amour du Noir 書店で買ったセリ・ノワール叢書の一冊ミシェル・ルブラン『不良仲間とペキシェ』(3ユーロ)。題名はフローベールの『ブヴァールとペキシェ』をもじったものだが、むろん内容は全く別物。不良たちの会話が面白い。

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サン・ジェルマン・デ・プレの L'Ecume des Pages 書店に平積みされていたロラン・バルト関連書。そういえば、今年がバルト生誕100年でした。バルト、フーコー、ドゥルーズ、デリダすべて死んだが、彼らの偉大さの一つはフランス語の伝統の継承者ということにあるでしょう。

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モノプリで買ったシャンパン(12ユーロ)。開けるときに泡で三分の一流れてしまいました。隣は鯖の缶詰、おいしかったので幾つかお土産にしました。

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ルーミーの横の本は L'Ecume des Pages 書店で妻が買った『ソクラテスの弁明』。古典はとても安く買えます。

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