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2024年3月24日 (日)

旧友の死と残された生

 

 2024年3月1日、高校の同期生の大西祥一が亡くなったことを偶然知りました。享年74。大西とは同じクラスにはならなかったが、三年間柔道部で共に汗を流した仲でした。当時、柔道部の練習は火木土の週三日で、いつも練習の後、着替えしたり、駅への道を歩きながら、本の話をよくしたものでした。大西は色々な本をよく読んでいて、柔道の練習日の度に、私に本を貸してくれたのですが、私はそれでSF小説の古典的作品(アーサー•C•クラークとかロバート•A•ハインラインとか)をほとんど読んでしまいました。高校の卒業式の2、3日後に墨田区の私の実家に大西が遊びに来たとき、その時はじめて『死霊』(埴谷雄高)という本の存在を教えてもらいました。大西は晩年のブログで、「自分というものを作ってくれた本」として『マルドロールの歌』と『死霊』を挙げています。

 大西祥一は現役で入った一橋大で、後に詩人となる平出隆らと同人誌を刊行したり、平出などと野球チームを作ったりしていましたが(何回か同人誌を送ってくれました)、いつしか学生運動にのめり込み、過激な武装グループの一員となりましたが、その頃のことは『別働隊の日』という短編に書かれています。それこれのことがあって、大西は一橋を中退しましたが、ぶらぶらしている時に、一橋出身の女性にスカウトされて、出来たばかりのJICC出版局(後の宝島社)に入社しました。雑誌「宝島」は、もと晶文社から出ていたのですが、宝島社に移ってからも編集は植草甚一が担当していました。植草甚一の後に 何人か編集が変わってから大西がしばらく編集を続けていましたが、その後、宝島のムック本の編集を始め、さらに宝島社文庫で多くの本を世に送りました。小さな出版社であった宝島社も、ムック本で存在感を出し、ブランドの小物を付録につけたファッション雑誌が売れて、一日の売上が一億円にもなることもあったようです。出入りの多い出版社で、42年間勤め上げ、2014年65歳で定年退職しました。宝島社最初の定年退職者でした。退職後は実家の葛飾区高砂に住み、地元の消防団やシニアの野球チームで活躍し、孫を溺愛し、65歳で車の免許を取って知人から貰った軽自動車を乗り回していました。両親が90歳台までご存命だったので、長寿の家系と思われたが、去年の八月末に入院し(消化器系の病気?)、半年もたずに帰らぬ人となりました。おそらく、編集人という仕事上、煩雑な付き合い、徹夜仕事の連続、過度の酒煙草の摂取、麻雀などで体を酷使していたのでしょう。

 以上のことは、大西のfacebookやブログを読んで得た知識ですが、実は彼とは50年間会ってなかったのです。50年間! 最後に会ったのは、互いに24歳頃で、大西が、雑誌の取材のついでに私の実家にふらっと寄ったときで、その時の人懐っこい笑顔が今も焼き付いています。現在の私は市川に住んでいるので、高砂は京成電車に乗れば江戸川を挟んだすぐ近くなので、なぜ生前に会っておかなかったか、やさしい彼なら私にも暖かく接してくれただろうと思うのですが、いやこれもコミュ障の私の運命というものでしょう。大西の性格について。寡黙で、余分なことは喋らず、よく考えて慎重に話す。中学のときの綽名が若年寄というのも面白いが、言葉の重みを強く意識して、有言実行は彼の場合そのまま当てはまります。寡黙と言っても内面にこもるタイプではなく、責任ある役割を進んで引き受け、またそれを楽しみました。高校の文化祭の実行委員やスポーツ大会の審判など、場を取り仕切るのも上手い。外見は地味だが、中身は溢れるばかりに詰まっています。死んだ後で、彼の知人の女性の一人が、大西を「正しい下町の人」と形容したのは確かにそのとおりでしょう。懐かしき友よ、安らかに眠らんことを、、

 さて、残された生とは私たちの生です。私も今年で後期高齢者の仲間入りですが、日本人男性の75歳時点での平均余命は11、58年ということで、私の現在の体調を考えると、あと5、6年が余命ということではないでしょうか。いや、死というものは突然訪れるもので、明日倒れるかも知れず、その予測など不可能です。

  そのように死を抱えて生きることは、常に不安のまま生きることのように思われますが、根が楽天的なのか、私の場合、どうにでもなれという、いささか投げやりな心持ちです。パリでバスに乗っていたとき、ギメ東洋美術館の近くの停留所から、90度近く腰の曲がった老爺が乗ってきて、何と手に「日本の幽霊展」のパンフレットを握っていました。ギメで開催されていたその展示は怖い絵ばかりだったので私は行かなかったのですが、歩くのがやっとの老人の知的好奇心の強さには少し驚きました。そういえば、グラン•パレの「ベラスケス展」の来場者も半分以上が老人でした。しかも、近くまでにじり寄って鑑賞していて係員に注意された人もいました(実は私ですが)。

 先月だったか、東北のある県で2億円の遺産を残して死んだ身寄りのない老婦人は、結局、国家に遺産を取られてしまったそうで、このような人は散財せずに貯めることが生きがいだったのでしょう。フランス語の成句に Le plus riche en mourant n’emporte qu’un linceul.(大金持ちも死ぬときは帷子一枚)というのがありますが、この成句は二つのことを語っています。一つは、金持ちも貧乏人も平等に身一つで死なねばならないということ。だから中国の古い祭礼には、死神を形どった人形を掲げて練り歩く祭りがあり、死というものの平等性が苦海を生きる庶民の共感を呼ぶのです。もう一つの教訓は、生きているうちに目一杯(金を使って)人生を生きろ、という教えです。私の今の楽しみは酒を飲むことで、日本酒やワインのちょっぴり上質のものを夫婦で家で飲むのですが、アルコールが体に良くないと知っていてもやめられません。

 しかし、老人の時間は凄まじく速く過ぎていきます。気がついたら一日は終わり、一週間などあっという間で、つい昨日見た「光る君へ」がもう明日放送と驚いたりします。ルーミーが死んで早くも半年、順天堂浦安病院を退院して何と6年半も経っています。時の流れに抗って、何とか充実した一日、一月、一年にしようと思っても、竜巻に巻き込まれて否応なく飛ばされてしまうように有無を言わさずあの世に運ばれるかのようです。エレンブルグの本の記事でも引用しましたが、死についてのスタンダールの記述は比類なく的確です。

 「あなた方がローヌ川を下る汽船でサン•テスプリ橋の下を通ったことがあるか私は知らない。それはアヴィニョンの近くにあるのだ。橋をくぐる前は皆恐ろしがって、どうなることかと話し合っている。やがて橋が見え、強い流れが突然汽船をひっつかみ、そして一瞬のうちに橋はもう後だ、、、」

 昨年の12月のことですが、頭頂部に黒いホクロのようなものが出来て、心配で触っているうちに大きく盛り上がってきました。ネットで調べると悪性の黒色腫によく似ている、もしそうだとしたら全身に転移して非常に危険です。妻がすぐに病院に行った方が良いというので、妻に付き添われて、以前虫垂炎の手術後の縫い目が化膿した時に行った本中山の皮膚科に行きました。医者は、ダーマスコープとかいうカメラのようなもので診察してから「これは、、、」と言って、妻のほうを見て、「ホクロではありませんね、イボです。」と言いました。そして、ステンレスのボトルを取り出して、蓋を開けると白い湯気のようなものが出てきました。コーヒーでも飲ませてくれるのかと思ったら、何と液体窒素で、これで完全に焼いてしまうそうです。それで、年明けまで6回ほど通って完全に除去して元通り滑らかな頭皮に戻りました。

 悪性腫瘍でなく幸いでしたが、それがきっかけでガンについての本をたくさん読みました。読み応えがあったのはシッダールタ•ムカジーの『病の皇帝「がん」に挑む』(後に『がんー4000年の歴史』として文庫化)という本で、著者がガン研究者なので記述は時に専門的になって難しいが、分厚い二巻本もすぐに読み終えられました。ガン治療は、日々進歩が著しく、総合雑誌や週刊誌などでは毎号のように最新治療についての情報が載っていますが、膵臓がんや肝臓がんなどの難治のがんを除けば、すでにがんは不治の病ではなくなっているようです。反面、がん患者は増えており、フランスでは1990年の患者数に比べ現在は何と2倍の数になっています。原因はヨーロッパで一番と言われている女性の喫煙率と飲酒、肥満、環境的要因などらしいのですが、フランスで特徴的なことはガン罹患がしばしば隠されることでしょう。命ある時がすべて、死んだら終わりという現実的な国民性にもよるのでしょうが、ミッテランが大統領在任中の14年間のほとんどを前立腺ガンと闘病しながら過ごしたことは死んだ後にはじめて明らかにされました(しかもその秘密を暴露した医者は遺族に告発されています)。また、スイスで安楽死したゴダール、まだ存命のブリジット•バルドーやアラン•ドロンの病名も公表されていません。

 対して、アメリカでは、ガンを人生への挑戦と捉えて雄々しく立ち向かおうとする傾向が強いようです。日本では、その苦しみを広く共感しようとする気持ちが強く、それが数多くの闘病記が書かれる理由でしょう。私も幾つかそのようなものを読みましたが、とくに若い人のガン闘病はほんとうに痛ましい。皆苦しい検査や治療に耐えられる強さに驚きます。モンテーニュも、ボルドー知事のとき、ペストで倒れた身内や知人を悲しみを抑え黙々と埋葬する人間の強さに驚いていました。

 ところで、最近『春になったら』というテレビドラマを見ているのですが、今年の元旦のシーンからはじまり、三月の末で終わる、ほぼ同時進行のようなドラマです。主人公は膵臓ガンで余命3ヶ月の父親(木梨憲武)と結婚を3ヶ月後に控えた娘(奈緒)で、死を目前にした絶望と間近な結婚の喜びが交錯するドラマですが、何よりも男手ひとつで娘を育てた父と、父親思いの娘の間然するところのない愛情の奔流が胸を打ちます。二人の演技も素晴らしい。アドルノは、「テレビドラマの本質は、かわいい娘は常に正しいということだ」と書いていますが、日本の闘病ドラマの本質は愛によってすべて救われるということでしょうか。これは、ゴジラ以上に他国では見られない特質のようです。

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サーディ。胸や腹の毛が長毛。生後8ヶ月、体はぐんぐん大きくなっています。

 

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新しいオモチャで遊ぶサーディ。ルーミーは食べるのが大好きだったが、サーディは遊びに夢中で食事も忘れるほど。iphone に時折「ペットのお友だち」というファイルが現れて、クリックするとやさしい音楽が流れてルーミーのスライドショーがはじまります。

 

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妻と寝るサーディ。人間のように顔を出して眠ります。朝になると無理やり妻を起こします。

 

 

 

 

 

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