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2024年2月

2024年2月29日 (木)

読書余滴 レヴィ=ストロース(1)

 

 2月の末になって、天候が不順になり、どうも体調が思わしくありません。外出する気力もなく、酒も飲めずに、猫を膝に乗せて炬燵でぼんやりすることが多くなってきました。食欲もないが、何か食べないと薬も飲めないので、冷凍庫に半分残っていた冷凍うどんを温め、東丸のうどんスープに入れて食べました。

 先週の土曜日、図書館から帰ってきた妻が、新刊書の棚に残っていたよ、とレヴィ=ストロースの『モンテーニュからモンテーニュへ』(ちくま学芸文庫)という本を借りてきてくれたのですが、とても読む気になれません。それでも、猫を撫でながらパラパラページを繰ってみると易しくてたいへん面白い。『野生の思考』や『構造人類学』は難解ですが、本来は明晰で分かりやすい文章を書く著作家で(フランスの思想家には珍しく)、とくにこの本は講演なのでより理解しやすい。しかし、本文が60頁ほどなのに、監訳者の真島一郎の付論が160頁もあるという、しかも変に凝った文体で読みにくい、私のような低脳な読者にも分かるように書いてほしいものです。

 さて、本文ですが、レヴィ=ストロースの死後、残された膨大な未定稿の中から発見された二篇の講演録で、それぞれ30頁ほど、一つは1937年、著者29歳の時、社会主義労働総同盟の幹部の前で話したもの。もう一つは1992年、84歳の時、主として医師からなるプロテスタント倫理委員会での講演です。

 早速、最初の講演『革命的な学としての民族誌学』から紹介しましょう。レヴィ=ストロースが、若い頃、社会主義の仲間、とくにジョルジュ•ルフラン(後の労働総同盟の代表)と親密だったことはよく知られていますが、この講演もそのルフランに頼まれたものらしい。講演内容の意図は二つあって、まず、当時まだその内容が人口に膾炙していなかった民族誌学について説明すること、次に、民族誌学はいかなる点において革命的たりうるかを証明することでした。

 まず、民族誌学とは何か、というと、それは多くは無文字社会の文化を総体として調査•研究することと言えましょう。無文字社会ですから、フランスなどのように田舎の小村の歴史でさえも文献として残っているなどということはありません。ですから、土器の形、調理の仕方、男性の耳飾り、その他あらゆることが調査の対象となります。

 そのような学問がなぜ革命的たりうるかというと、それが西洋への批判精神を生み出す基となるからです。ギリシアの懐疑主義は、アレキサンダー大王がインド征服の過程で、既知のものとは完全に異なる民族や文化をギリシア文明と対置させていたまさにその時代に、ひとつの教条、体系的な学派となりました。

 同様のことがモンテーニュの時代にも言えましょう。16世紀ヨーロッパ人の精神に与えた新大陸の発見は明白に甚大なものでした。当時の文献の中には、西洋がはじめて見る野生人の姿が至る所に見られます。それがモンテーニュの批判精神を刺激して、善悪の観念が相対的であること、西洋と全く違う制度•風習のもとでも社会は続きうることを教えたのです。彼は、宗教やはっきりした政治制度を有さない民族でも、じつに調和のとれた幸福な仕方で生活を営むことができることを指摘するたびに、たえず野生人を引き合いに出しています。

 ところで、当時アメリカ大陸の先住民を呼んだ「未開人(プリミティフ)」という言葉にレヴィ=ストロースは注意を促しています。彼らが「未開」であるのはどうしてでしょうか。その人たちは、西洋の人間よりも遅れてこの世界に登場したのでしょうか。いや、そんなことはありえない。フランスのラスコーの壁画が描かれた旧石器時代には、すでにアメリカ大陸に人間が居住していたのですから。

 ここに進化についての考えが現れて、民族誌学のみならず、ほとんどの学問に影響を与えました。それによれば、「未開」の人々は進化の途上にあるというのです。アルファベットの順でいくと、フランスやドイツ、イギリスをyかzとすると、インドはmとかn、アフリカの国はdとかeの段階にあるわけで、フランスなどの国もインドやアフリカの段階を通過したことになり、インドやアフリカも将来、必然的にフランスのような国になってくるというわけです。

 これがいわゆる人類の単系進化の理論で、こんな説がまともに信じられてきたとは驚くほどです。なぜなら、人間に関する事柄は、一見して感じられるよりもずっと複雑であるからです。技術面では、打製石器、磨製石器、銅器、青銅器、鉄器などの段階が措定されましたが、たとえばアフリカ全域では、銅器、青銅器の時代がなく、いきなり鉄器になっています。また一方、食料獲得の様式から考えて、狩猟民、農耕民、牧畜民、最後に産業民という進化も考えられましたが、これもよく調べればおかしなことで、狩猟といっても、小鳥や小動物を獲る猟から、大人数で組織的に行う必要のあるゾウや水牛のような狩では全く違います。さらに、狩猟だけ、農耕だけ、といった部族民も考えられず、たいていは混合して行うのが普通です。

 しかし、進化の説に対するもっとも徹底的な反論は、時間と空間の考察からもたらされるのです。私たちが進化について考えるとき、一人の人間が胎児から幼児、少年、青年という成長や、植物が種子から順番に成長していく様を思い描きますが、人類の発展はそのようにはいかないのです。フランスのシェスリエンヌで、12万5千年前に握斧(あくふ)が使われていました。いわゆるシェスリエンヌ石器文化です。燧石塊を卵形状になるまで粗削りして、その先端を尖らせた、きわめて粗略なもので、フランスのみならず、ロシアやアフリカでも酷似したものが見られます。驚くべきことは、その握斧は、あらゆる地域で10万年もの間、同じ形状のまま使われていたことです。やがて金属加工が3、4千年続き、蒸気機関、ついで電気の発見に至るのです。

 人間の成長に例えると、70歳でアルファベットも知らない老人が75歳で小学校の過程を終え、80歳で高校を卒業したのが、現在の我々の姿なのです。連続的な規則的な進化など人類には存在しないので、その状態を動かし変えるには、例外的な刺激が必要であったかのようにすべては進行するのです。

 人類は10万年間、きわめて粗略な道具で満足していたのに、なぜ、もっと進んだ道具を必要とするようになったのか、この課題に応えることは難しいが、一つ明らかなことは、人類の進化に関連しては、そこに内発的なものは認められないということです。つまり、種を蒔いて水をやれば成長するようには、人類の進化は出来ていないのです。考えられることは、他との接触による模倣などの外的刺激で、人口が増え、多様なものとの接触が頻繁になるほど進化の機会に恵まれるわけです。レヴィ=ストロースはその好例として北アメリカの彩色土器がほぼ円形に周囲に広がって行く事実に言及しています。一方で、孤立は停滞を招きます。数百年前、中央アメリカの高地ではメキシコ文明が花開いていました。しかし、彼らは孤立していたので、ヨーロッパの多様性に揉まれて成長した一握りの冒険家たちに簡単に壊滅させられてしまったのです。

 最後に、「未開社会」を研究するもう一つの意義について説明しましょう。それは対象とする部族なり村などが総じて小さいことです。ヨーロッパの諸社会が数百万という人口を持つのに対し、その社会は数千、数百、場合によっては数十人に過ぎません。それが研究をより容易に密度濃いものにするのです。例えば、生物における消化の現象がカキ(牡蠣)について解明されたとき、ヒトの消化現象は未だ全く解明されていませんでした。それでもカキは人類以前から存在していた生き物で、その単純な有機体構造がヒトの消化現象を知る手助けになったのです。

 以上が簡単な要約ですが、何しろ著者29歳のときの講演で円熟した後年のレヴィ=ストロースと比べるとずいぶん違います。進化論的民族学を拒否したのは良いが、やはり素朴な伝播主義の枠に捉われているようです。文化が円形に近い形で波状に影響し合っていく(レヴィ=ストロースは、後年、それを薔薇の花びらのよう、と修正しました)とは現在では考えずらい。これは、癌の転移について考えるとわかりやすいでしょう。かつては癌は原発域の周囲から転移すると思われていて、乳がんの手術では、できるだけ広い周囲を切除するのが良いとされていました。しかし、転移は実際はどこに起こるかわからないのです。同じように文化の要素も、近いから伝播するのでなく、近いがゆえに同化に反発し、独自であろうとすることもあるのです。

 また、進化における内発性の否定も極端に思えます。これは初期レヴィ=ストロースに残っていたマルクス主義の弊害で、神秘主義を嫌う禁欲精神とも言えましょう。ずっと後になって、人間精神が有限な手段で無限の組み合わせを生成するというチョムスキーに反対して、自分は「神の創造において人間に特権的な位置を与えることはできない」と言っています。ソシュール、ヤーコブソン、バンヴェニストなどの言語学者の影響を受けた後の彼は、人間が作り出したものは、無意識的に、あるシステムによって規制され、我々の努力はその論理と不変項を見つけ出すことに過ぎないと考えたようです。

 さて、次は、1992年の講演『モンテーニュへの回帰』です。モンテーニュ(1533~1592)の生きた16世紀は、南アメリカへの探検記•旅行記が多く出版された年でした。モンテーニュは、そこで報告される野蛮人•野生人について(『エセー』中の「人喰い人種について」「習慣について」「馬車について」等)において実に率直に大胆に語っています。当時、探検家に同行したプロテスタントの宣教師ジャン•ド•レリーの『ブラジル旅行記』も大いに参考にしていますが、何よりモンテーニュ家の使用人の一人がブラジル出身の現地人であったことが大きい。モンテーニュは彼から直接に現地の風俗習慣を聞き出し、彼が持ち来った現地の食物(キャッサバ等)も食しています。モンテーニュの新世界についての記述を引用しましょう。

 「われわれの世界は最近、もう一つの別の世界を発見するに至った。、、、自分の習慣にはないものを野蛮(バルバリー)と呼ぶならば別だけれど、わたしが聞いたところでは、新大陸の住民たちには、野蛮で、未開(ソバージュ)なところは何もないように思う。われわれは、自分たちが住んでいる国での、考え方や習慣をめぐる実例と観念以外には、真理や理念を持ち合わせてはいないらしい。あちらの土地にも、完全な宗教があり、完全な政治があり、あらゆることについての、完璧で申し分のない習慣が存在するのだ。彼らは野生であるが、それは自然がおのずと、その通常の進みぐあいによって生み出した果実を、われわれが野生と呼ぶのと同じ意味合いで、野生なのである。本当ならば、われわれが人為によって変質させ、ごくあたりまえの秩序から逸脱させてしまったものこそ、むしろ、野蛮と呼んでしかるべくではないか。」

 その後でモンテーニュはプラトンの言葉「すべてのものは、自然か、偶然か、人為の、いずれかによって作り出される。もっとも偉大にして、美しいものは、前二者のどちらかで、もっともつまらなくて、不完全なものは、最後のものによって作り出される。」という文章を引用し、スパルタのリュクルゴスやプラトンのような古代の偉大な変革者たちがこうした民族を知らなかったとは何と残念なことか、と書いています。つまり、人為の流儀で法を制定し、私たちをそうして邪悪な道へと投げ込むかわりに、おそらくはまだ別のふるまいができただろうに、というわけです。

 そして、ここで、モンテーニュの有名な文章が飛び出します。「人間の理性とは、われわれの考え方や風俗習慣が、いかなる形をしていようとも、それらの中に、似たような比率で溶け込んでいる染料(タンチュール)なのであって、それは原料も、種類は無限のものなのだ。」

 モンテーニュは「習慣について」の章で、あらゆる慣習の真に民族学的資料となりうるような情報を何ページにも渡って羅列し、私たちがあれこれの物事を信じるのは、ひとえに自分の生まれた場所と受けた教育に因るものであることを指摘します。その結果、慣習にたいするいかなる批判も、愚かしい所業となるのです。

 モンテーニュのこの問題についての現実的な姿勢は、しかしながら微妙なものでした。レヴィ=ストロースの次の文章は、この講演中もっとも重要な言葉です。「(モンテーニュの態度は)ひとは自己の内側では、諸々の慣習にたいして大いなる全面的な判断の自由を保っていなければならないが、他者にたいしては、諸々の慣習を完全に尊重しなければならないという姿勢です。それは各人が守らねばならない鉄則であり、法の中の法であるのだと。」

 わかりやすく言うとこういうことです。つまり、誰かがある特定の国の国民、およびその慣習、性癖を嫌っても、それを表立って非難したり、ましては侮蔑的行動をしてはならない、ということです。個人の好き嫌いというのは、その生育環境に深く根ざしているので、無理やり変えることもできないし、誰にもその権利はない。だからこそ、絶対の法、法の中の法として他者を尊重すべきなのです。レヴィ=ストロースは、アラブの国に何度か行ったが、どうしてもそこに入り込めない(つまり好きになれない)。だからといってアラブの人たちを非難したり、軽んじたりはできない、それは何より理性の命令なのです。

 モンテーニュの場合、聖バルテルミの虐殺(1572)など血なまぐさい世紀を生きたが、父親譲りの寛容の精神は常に堅持していました。新大陸の食人種について彼はこう書いています。「わたしが悲しいのは、彼らのやり方のなかに、恐ろしいほどの野蛮さが存在することを、こちらが見てとるからというわけではない。われわれが、彼らのあやまちを正しく判断しながら、われわれ自身のあやまちについては、これほどまでに盲目であることが悲しいのだ。(われわれは)まだ感覚が十分に残っている肉体に、拷問や責苦を加えて、引きちぎってばらばらにしたり、火に炙ったり、犬や豚に噛みつかせてなぶり殺しにした。このことをわれわれは書物で読んでいるだけでなく、この目で見て、なまなましく記憶にとどめている、それも仇敵どうしのできごとでなく、隣人や同じ町の住人どうしで、しかも信仰と宗教に名を借りて行われていたのだ。」

 明日、朝早くMRIの検査があるので寝なければならず、急いで書きました。体調が許せば(2)(3)と書いて行きます。

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図書館で借りた『モンテーニュからモンテーニュへ』。レヴィ=ストロースはモンテーニュについていろいろな機会に書いています。

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Siri の猫認証にかけるとサーディはサイベリアンという猫種らしい。足が太く短く、やや長毛だからか。

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妻の読書の邪魔をするサーディ。

 

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