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2023年12月31日 (日)

ガザについての読書メモ

 

 師走の寒い夜にこの記事を書いています。ルーミーが死んでからもう三ヶ月、夫婦二人だけの年末は寂しいですが、今は新しい猫サーディが我が家に来ました。妻は、ルーミーの死によって、ぽっかりと空いた穴を埋めるように、熱心にサーディの世話をしています。まるで、ルーミーがサーディを私たちに送り届けてくれたように、無邪気な笑いが、ふたたび私たちに戻って来ました。

 ところで、夏の終わり頃から、阪神タイガースが優勝して日本一になるのではないかという恐ろしいニュースが聞こえて来ました。38年前の1985年、つまり阪神が西武を破って日本一になった年は、不幸が重なったので、嫌な予感がしたのです。その年の夏、私は、仕事帰りに倒れて、中野総合病院で一ヶ月余り入院しました。入院中、毎朝、下の売店でスポーツ新聞を買いに行っていたのですが、夕方、ロビーのテレビで、日航123便が消息不明のニュースが流れて来ました。そして、退院してすぐに、父が釣りに行って崖から落ちた傷が元で死亡したのです。

 またそんなことが起こるのではないかという危惧は的中しました。10月1日にルーミーが死亡、10月7日にハマスのテロと、それに続くイスラエルの空爆で、またまた悲惨な映像が流れて来ました。世界中が注視の中で、子や父や母を亡くした人々が、報道のカメラの前で絶叫しているのです。そういえば、ロシア•ウクライナ戦争の陰で、パレスチナのことはすっかり忘れていました。

 パレスチナについては全く無知だったので、図書館で本を借りようと、web検索をかけると、皆同じことを考えているのか、最近のパレスチナ関係の本はことごとく貸し出されています。仕方なく、多少古いが、岩波ブックレットの土井敏邦の『ガザの悲劇は終わっていない』(2009)と同じブックレットの古居みずえの『パレスチナ 戦火の中の子どもたち』(2015)を借りて来ました。

 2014年の夏、ヨルダン川西岸でユダヤ人入植者の少年三人が殺されました。その報復として、イスラエル兵は、パレスチナの16歳の少年に灯油を飲ませ焼き殺しました。それに対し、ハマスは、直ちにロケット弾でイスラエルを攻撃。イスラエルも時を移さず、7月8日にガザ地区に空爆を開始しました。この侵攻は二ヶ月にわたり、2000人以上のパレスチナ人が殺され、うち約500人が子どもでした。

 7月23日、ガザで、近くのフザァ村に避難しようとしていた4000人近くのパレスチナ人の集団に向けて、イスラエル軍の戦車から突然激しい銃撃がありました。人々は、パニックに襲われて逃げ出したが、その中に車椅子に乗ったガディールという少女がいて、一人取り残されました。車椅子を押していたガディールの兄は手と足を撃たれて、人々に担がれて逃れました。ガディールの父親は、戦車に駆け寄って、指揮官に、娘は障害者で、イスラエルの病院で治療を受けている、病院に連絡して確認してくれと訴えました。しかし、ガディールは、その場で2発のミサイルを体に受けて車椅子もろとも粉々にされました。車椅子に爆弾が隠されていると思われたのです。

 同じような侵攻が、2008年から2009年にかけても起こりました。2008年11月4日、イスラエル軍はガザ地区南部に侵攻して、ハマスの戦闘員六人を殺害しました。ハマスは、報復として、直後からロケット弾攻撃を開始しました。イスラエルは、それに応じて、12月27日から前例のない大規模な空爆を開始し、一週間後にはガザの地上侵攻に踏み切りました。1月17日の戦闘終結までの三週間で、パレスチナ人の死者は1417人、うち一般住民926人、その中の子どもは313人でした。

 地上侵攻四日目の2009年1月7日、ガザ地区の北東部、イスラエルから1kmほどに位置するアベドラボ地区。昼間の12時40分ごろ、休戦協定でガザ住民たちには食料の確保、死傷者の収容•避難のための三時間の猶予が与えられる筈でした。しかし、ハーレド•アベドラボの家に来たイスラエル兵は一家の人々に、全員外に出ろと命令しました。皆、家の中から白い布を探し出して、旗のようにして、祖母を先頭に外へ出ました。家のすぐ前に戦車が止まっていて、その上でイスラエル兵はポテトチップを食べながら彼らを見ていました。祖母に続いて、三人の姉妹が白旗を掲げて外に出て来ました。突然、別の兵士が戦車から現れて姉妹たちを撃ち始めました。後ろに居た両親は、兵士が子どもたちを撃つはずがない、これは威嚇なんだと思いました。ところが兵士たちは何度も執拗に祖母と子どもたちを撃ち続けました。両親はかろうじて祖母と子どもたちを家の中に引っ張り込みました。父親のハーレドは赤十字の救急車を呼びましたが、到着した救急車は家の前で戦車に潰され、運転手は逃げ出しました。

 祖母は四発の銃弾を受け、背中は銃痕でむき出しになり、背骨と肺がはっきり見えるほどでした。長女のスアード(七歳)は自動小銃の弾倉一個分の銃弾を受け即死でした。一番下の娘アマル(二歳半)は腹部に五発の銃弾を受け、小さな体から内臓が飛び出していました。二番目の娘サマール(四歳)は生きていましたが、背中に四発の銃弾を受けていました。イスラエル兵は、家を破壊するので全員外に出ろと言いました。父はスアードの遺体を、母はアマルの遺体を、祖父は瀕死のサマールを抱えて外に出ました。重傷の祖母は兄弟たちにベッドに乗せられて運ばれました。母親が運んでいた末娘の遺体の大きく開いた傷口から内臓が道路にこぼれ落ちました。母親はそれらを残らず拾い集めました。2キロほど歩いて幹線道路に出ると、住民たちが病院に運んでくれました。サマールは、その後ベルギーの病院に移送されて治療を受けています。

 ところで、なぜこんなことが可能なのか、いたいけな子どもたちに銃弾を浴びせるなどということが。三人姉妹の父親ハーレド•アベドラボは、これは威嚇でなく「処刑」だった、と言いました。イスラエル兵は意図的に10歳以下の子どもたちを標的にしていたのだというのです。これは何となく納得できる意見で、うろ覚えですが、映画『栄光への脱出』でパレスチナにユダヤ人を運ぶ主人公が、13歳未満の子どもを優先させろ、希望はその子たちにあるという場面があったように記憶しています。つまり、パレスチナの子は生き残れば皆ハマスになる可能性があると考えられているわけです。よって、子どもたちや子を産む女性たちの多くいるところ、病院•学校•避難キャンプこそ真の標的になるわけです。

 そして、このように残酷になり得るイスラエル兵の心情も考えねばならないでしょう。昔はパレスチナの人々と対峙する兵隊は情に流されない思想堅固なエリートが多かったらしい。しかし、今は、イスラエルでも貧富の格差が拡大し、より良いキャリアのために仕方なく軍隊を選ぶ若者も増えた。彼らは小さい時から、学校でユダヤ人の選民思想とパレスチナ人のテロについていやというほど教えられて育った。ニュースで報道するのは、パレスチナのロケット攻撃や自爆テロの犠牲者ばかりで、パレスチナの子どもたちの悲惨な状況など決して報道されない。17歳になるとイスラエルの青年は全員アウシュビッシュを訪問させられ、自分たちが「犠牲者」であること、いや「唯一の犠牲者」であることを教えられる。犠牲者は「迫害者」に何をしても許される。彼らは「悪魔」だからだ。今回(2023)のガザ侵攻で、ネタニエフがパレスチナ人を「動物」呼ばわりしたことはけっこう抑制された言い回しだった。イスラエルのある少女は、ガザもヨルダン川西岸もイスラエルの領土だ、なぜならアメリカがインディアンとの戦争に勝って土地を得たように我々もアラブ人に勝ったのだから、と言っていた。

 ここで、イスラエルのプロパガンダについて書きましょう。ガザへの攻撃の時は、常にハマスのテロへの報復という形をとります。それが国内の支持と国際社会の同意を得る必須の条件なのですが、これが実に巧みに誘発されたものである可能性が高いのです。2009年の空爆と侵攻は偶発的なものではなく6ヶ月前より周到に準備されていたという意見もあります。常に自らの正当性を担保にしているわけです。そしてこの「報復」は倍返しを遥かに超しているのもいつものことでしょう。「卑怯者」には手加減なく懲らしめてもよいという論理で、真珠湾と原爆が釣り合わないように、今回のイスラエルの1400人近く(これも空前の数ですが)の犠牲者に対して2万人を超える住民(ハマス戦闘員を含む)の殺戮は常軌を逸しています。

 イスラエルのシオニスト強硬派とそれに同調する国民の精神は非常に堅固です。彼らにとってアラブ人は殺しても許される相手で交渉の余地なぞありません。イスラエルは、このような過激なユダヤ人(他国では持て余している)の恰好の集積場とも言えましょう。むろん、反ネタニエフの平和主義者、パレスチナ人との融和主義者、戦場で過酷な体験をした懐疑主義者も存在しますが、彼らの活動は限られています。しかし、ネタニエフやウルトラ•ナショナリストのもっとも恐れているのは、強硬派と融和派の対立による国の分裂でしょう。

 一方、ガザの方も一枚岩ではありません。ガザの市民のほとんどがイスラエルとの戦闘で家族を死傷させており、また不断の監視、閉じ込め、通行制限、侵攻などで、イスラエルへの憎しみは骨の髄まで染み込んでいるでしょう。それがハマス武装組織への暗黙の同調となっているのです。ところが、2007年の政権掌握以降、ハマスはイスラエルにも比すべき監視体制を敷いたのです。スパイの強引な炙り出し、若者の強制的な戦闘員加入など、それでも住民はイスラエルに対する敵愾心の強さからハマスへの同調を余儀なくされていたのです。ところが、11月17日、IDF(イスラエル国防軍)の特殊部隊が、ガザ最大のアル•シファ病院を強襲した頃から、空爆•侵攻を呼び込んだハマスへの反発が強まったようです。状況はあまりに絶望的であり、また国外で安穏と暮らしていると言われるハマス幹部への不満も拍車をかけているようです。

 そして、このガザ内部の分裂こそイスラエルの目指すところだと思われるのですが、事態の進展はそうではなく、イスラエルの目的は報復ではなく、ガザそのものの消滅、ガザ全住民の殺戮、もしくは移住(エジプトのシナイ半島など)だとわかって来ました。さらに、ヨルダン川西岸を紛争に引っ張り込んで、ガザよりも欲しかった西岸をも没収するつもりだったのです(すでに西岸は50%以上がイスラエルの支配地と入植地になっています)。話を大きく広げれば、聖職者を中心としたウルトラナショナリストの真の目的は、シリア、ヨルダン、レバノンをも包含する「大イスラエル」の建設にあるのです。

 このような連中が、パレスチナの住民の命を考慮する筈もなく、避難キャンプを爆撃したり、避難経路を指示しておいて、まさにそこにミサイルを撃ち込むなど当然のことでしょう。2009年にも、ガザの村の住民を指定した家に避難させ、そこにミサイルを撃ち込みました。それに加えて、イスラエルはガザの全インフラを壊滅しようとしています。工場の破壊、農場の壊滅、都市も田舎も関係なく、瓦礫に化そうとしているのです。

 もっとも悲惨なのはガザの子どもと女性でしょう。病院に運ばれる7割以上が女性と子どもだということです。今や190万人近くが身を寄せ合う南部の難民キャンプは崩壊寸前で、悪臭と死臭が立ち込めています。日に200台以上の支援のトラックも焼石に水です。しかも指定ルートを走るトラックに爆撃で妨害するのがIDFなのです。

 しかも、これは序章に過ぎない。最大の悪夢はイスラエルとイランの核の撃ち合いです。イランが小型核爆弾をテルアビブで爆発させ、イスラエルが報復としてF16によるテヘランへの核攻撃を行えば、中東のみならず世界全体が奈落を見ることになるでしょう。

 床屋政談にもならない安直な読書メモですが、最後にホイットマンの言葉を。「誰であれ共感の心無くして1ファーロングを歩むものは、経帷子を身に纏うて自らの葬式に行く者だ。」暗い話題で沈鬱な年末となりました。新年は、良き知らせがありますように。

 

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図書館で借りた岩波ブックレット2冊。

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ガザで支援の食糧に群がる避難民。基本的に大家族で移動しているので、動けるものが食糧を取りに来るが、一日一食、水は一家で1リットルもない。もはや限界に近づいている。

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シファ病院への攻撃が始まった頃、ガザから遠くないテルアビブのイェシヴァ(民間の宗教学校だが国の援助を受けている)で勉強する生徒。超正統派のユダヤ人はイスラエルの12%ほどだが、それ以上の影響力を持つ。超正統派の指導者はハマスのテロを決定的な試練と意味付け、今こそ「革命」の時が来たと兵士を励ます。彼らは兵士の家族にテレビ電話で慰めや祈りを与えている。

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サーディ。まだ5ヶ月の雄猫。目の下の白い縁取りが異国風。

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グレーの毛並みは日本猫には見られない。目のオレンジ色からシャルトリューの雑種とわかるらしい。

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キャットタワーで。シャルトリューの性格は遊び好きで、犬に似て忠実らしい。サーディもボールを放り投げると、すごいスピードでくわえて持ってくる。

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 首をかしげるのが癖。

 

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ルーミーは私によくなついたが、サーディは妻になついていて、夜は布団にも入ってくる。

 

 

 

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