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2023年8月30日 (水)

ポール•ベニシュー『作家の聖別』

 

 スーパーやコンビニで売っているような日本のお菓子は、おそらく、世界でもっとも独創的で美味しいお菓子ではないでしょうか。チョコレートでさえ、ベルギーやフランスのものより、日本のものが美味しいと私は思います。しかも、みな安価です。こうしたお菓子の中に、日本人の工夫と趣味と才能が凝縮しているので、たとえばフランスでアイスクリームを買おうとすると、手軽に買えるものでも500円近くするでしょう。ところが日本では、100円もしないで、さまざまな興趣に満ちたアイスが楽しめるのです。チョコモナカやピノやチョコソフトやアイス大福や種々のキャンディーやカップアイスですが、特に私は、フタバ食品の sacré サクレというアイスが好きで、冷凍庫には必ず常備してあります。種類は、最初期のレモンから始まって、オレンジ、メロン、グレープ、マンゴー、スイカなどたぶん30種類を超えるでしょうが、私は、レモン、オレンジ、小豆が好きです。パインを食べてみたいのですが、まだ出会っていません。フタバ食品のサイトによると、サクレsacré とはフランス語で「神聖な」という意味で、それに氷のサクサク食感を合わせて命名したそうですが、日本人独特の遊び心と真面目さとの混合が面白い。

 さて、今回紹介するポール•ベニシュー Paul Bénichou の『作家の聖別』Le Sacre de l’ecrivain (1973年コルティ社、邦訳は水声社2015年•片岡大右、原大地、辻川慶子、古城毅訳)のSacreの e の上にはアクサンテギュがついていないので発音はサクルと読んで、意味は「聖別式」を表すそうです。この本の副題は「フランス•ロマン主義1、 1750~1830年•近代フランスにおける世俗の精神的な権力到来をめぐる試論」というもので、フランス•ロマン主義に関しては、まず最高の研究書の一つらしい。早速読んで行きましょう。

 この翻訳の冒頭には、1989年のガリマール版の冒頭に掲載された雑誌「ル•デバ」の著者インタビュー記事「作家の行程」が訳されているので、まずそれから。というのも、このインタビューには本書の眼目が的確かつ簡潔に述べられているからです。ポール•ベニシューは以下のようにフランス•ロマン主義の発生と終末を概括します。

 古代ギリシア人とローマ人には、神官、哲学者、雄弁家といった市民を教え導く精神的指導者が存在しました。しかし、彼らの精神的地位は、当時の地上権力者たちを威圧するほどの権威を持つことは決してなかったのです。これに対して、キリスト教社会であるヨーロッパでは、厳格な教義を持ち、俗世から明確に区別される聖職者集団が存在しました。彼らは「カエサルのものはカエサルに」という原則を守って、地上での権力を追求することはなく、現実問題の管理を皇帝や王たちに任せていたのです。しかし、理論上は、教会は王よりも高位の権威を持っていて、その権威が脅かされれば、政治に容喙することもできました。

 ある時期を境に、この地位は揺らぎ始めます。俗界の諸勢力が、次第にその力を強め、教会の権威を脅かしてきました。それが、いわゆる人文主義者(ユマニスト)であり、啓蒙主義者であったので、ロマン主義の遥かなる淵源はここにあります。絶対的な精神的権威としての教会は、傲慢なものとして正面から攻撃にさらされるようになりました。人びとは、自由にものを考えるようになり、天上との関係を取り結ぶ唯一の存在であると主張する教会の欺瞞性をあからさまに告発し始めたのです

 かつての精神的権力はその正当性を失ったのだが、ここで新たに二つの問題が現れてきました。まず一つは、教会に代わる精神的権力を生み出す困難さです。キリスト教は、その厳格な教義をその不変性の上に打ち立ててきました。不変性がなければ、いかなる精神的権威も存在しえないのですから、以後、何らかの精神的権威を世俗(ライック)の領域で見出す試みが続けられるようになりました。

 二つ目の問題は、もし地上ですべてが完結するのであれば、もはや誰も政府と距離を置くという好都合な立場を持つことはできない、という点です。誰もが、地上で人間の運命を引き受けねばならないのです。考えてみれば、カエサルと神(教会)という二重権力は、簡明で便利なものだったので、新たにとって変わった非宗教的な精神的権力と国家の関係は複雑で面倒なものとなっていました。新しい精神的諸力の担い手たちは、地上の事柄については統治者以上に熟知していたので、その権力は危険なまでに統治者を脅かし、必然の結果として、物心ともにすべてを支配しようとします。

 フランス革命が直ちに恐怖政治に迷走していったことは、この論理によって大部分説明できると思われます。つまり、恐怖政治は、全領域にわたる能力を持つ権力であり、革命を成功させるためには、革命が揺るぎのない真実の担い手であると主張し、その真実を実行に移す必要があったのです。他の選択肢は残されていませんでした。ここで歴史家たちが十分に重視していない点を指摘しましょう。フランス革命の野望とは、旧制度の改革、転覆というよりも、何より原理的にカトリック教会に代わることだったのです。彼らにとって、教会との戦いは本質的なものでした。かつての信仰を根絶するために彼らがどれほどの情熱を注いだかを考えれば、革命がこれほど暴力的になった理由もわかるでしょう。89年を推進した人びとは、単なる政治屋ではなく、断固たる哲学者だったのです。

 この情熱が、彼らを予見のできない悲劇に追い込んで行ったのですが、ロマン主義時代とは、結局のところ、恐怖政治が爆発的なまでに浮き彫りにした啓蒙思想の体系の欠陥を正し、その修正版を提供するための大きな努力ととらえることができます。ロベスピエールの体系は一切を実現しようとして、現実には一切を否定しました。フランス革命の主要理念である自由と進歩について言うなら、恐怖政治は第一の理念である自由を踏みにじり、さらに進歩をも拒絶しました。ロベスピエールが考えたのは、進歩ではなく、即時的かつ決定的な再生であったからです。バンジャマン•コンスタンのような者が目指したのは、この暴走を非難しながら、啓蒙思想の遺産を守ることでした。個人的自由主義者バンジャマン•コンスタンは次のようなことを言っています。我々自由主義者は、自由をもたらす真の方法を知っている。体系など必要なく、聖なる真実も全体的主権も必要ないのだーむしろ、これらを否定することが、圧政から我々を守る唯一の手段となるのだ。進歩について言えば、人間は時間とともに、忍耐や犠牲や、あらゆる穏健な美徳によって進歩するのだ。以上がコンスタンの意見で、これこそ啓蒙思想の修正第二版です。

 しかし、寛容で道徳的な社会が実現するためには、万人が共有し得る信仰原理(クレド)が必要でした。ロベスピエールでさえ、それなしではやってゆけなかったのです。こうしたわけで、コンスタンには、自由と進歩のみならずオプションとして一種の宗教を、これもまた進歩的性格を持った一種の宗教を付け加えるのが望ましいと思われました。まさにこれが彼の記念碑的著作『宗教論』の目的だったのです。また、同時に美学の地位向上がなされ、美は善に伴いつつ、一種の人間的超越性を形成するものとされました。宗教的超越性にはそれほど惹かれない人びとが、ここに支えを見出すのです。

 この啓蒙思想第二版の枠の中で、詩はかつて例を見ないほどの重要性を持つに至りました。18世紀の啓蒙期はもちろん、復古王政(1804~1830)まで、ほとんどの自由主義者は、詩は人類の幼年時代に属すものと思われて来たので、原初の父祖たちが覚えた感興を味わうには、自分たちはあまりに老成し、理性的でありすぎると思っていました。しかし、本来の意味での詩人たちが19世紀の初頭に現れて来ました。初期のラマルチーヌ、ヴィニー、ユゴーなどは、自分たちを聖書の預言者たちに彩られる過去の神聖詩という伝統の後継者であると自認し、詩人が神殿の補佐としての精神的価値を再び持つことを望みました。かれらは聖域を担う〈詩人〉という人物像を確立するのですが、驚くことに、当時の知識界全体がこれに賛同したのです。感情的宗教性(ルリジオジテ)の再来を恐れる自由主義者たちは、確かに当初、これに対して抵抗したのですが、詩人たちはその後、大半が自由主義者となり、明らかに宗教を出自としていた詩はにわかに新精神の担い手となり、進歩的•人道主義的陣営に見事に順応していったのです。

 詩は、それのみならず、美術や音楽にも影響を与え、それらを先導する役割を担いました。Art(アール)は職人や職人芸の意でなく芸術や芸術家を表す言葉となったのです。今日の私たちが「美学」と呼ぶもの、つまり〈美〉と〈芸術〉についての哲学は、当時、人間的卓越性についての非宗教的理論として誕生しました。この昇格は、ロマン主義が大きな役割を果たしたとはいえ、その重要性はロマン主義の枠自体を超えるものとなったのです。1825年から1930年にかけて、ユゴーを筆頭とする詩人たちは〈芸術〉を詩人の旗印として掲げました。実際、当時のセナークルと呼ばれる知識人のグループには、必ずと言ってよいほど詩人、画家など芸術家が混在していたのです。

 これらすべての思想を背景として、共通の信仰と言い得るような何かの成立が可能になりました。それは、自由や人権、人間の完成可能性というものへの信仰です。ヴィニーのような人物を考えてみましょう。彼は神をまったく信じていないし、また極めて保守的な人間です。その彼でさえ、時代の考え方に共鳴し、自由の論理に賛同していました。詩人と芸術家が、時代の精神的責務(ミニステール)につくことを社会が公認していたわけです。

 しかし、この、いわば社会的合意というべきものは、突然、断ち切られました。ある時期を境に、フランス全体が同一の方向に進もうとしなくなったのです。画期となったのは、1848年、労働者問題の暴発が生じた時です。さらに同年六月は劇的な経験となり、さらに3年後のクーデターは、言葉さえ奪われる状況になりました。何と、カトリック教会は公式に返り咲き、18世紀の思想は再び否定され、〈人間性〉ユマニテの哲学は長期間冷遇され、テーヌやルナンのような保守派が論壇で頭角を現して来たのです。

 この知的風土の中で、詩の置かれた状況は悪化します。詩が、人びとに失望以外の何ものも与えないと思われたのでした。詩人は、新たな時代背景の下で支配的潮流に従います。1848年には人道主義的詩を書いていたボードレールは、次第に人道主義の信仰を嘲笑するようになり、人間の原罪に賛同するジョセフ•ド•メーストルを賛美するようになります。フローベールが、啓蒙思想を小説の中で愚者に具現したことは有名です。

 ボードレールの次の世代の詩人は、さらに孤立化と悲観主義を深めて行きました。しかし、その中にあっても、マラルメのように、詩人が人類の司祭であることを堅持し、共同体のための壮大な精神的祝祭を構想しようとする人間も現れました。詩人に対する敵意を剥き出しにした社会に対して、その幻滅から立ち直ることを願ったのです。だが、神も信者も持たない司祭というのは、いかなる存在と言えたでしょうか。マラルメの独白は、ロマン主義の終焉を失われたエデンとして、傷つき捻じ曲げられた霊感を守りながら、詩の無力さを歌うほかなかったのです。

 かくて、詩は高踏的になり、一般には理解し難い難解なものとなって来たのです。詩人が逃げ込んだのは、中世以来の象徴の王国でした。キジバトは、伴侶を失うと、決して新たな伴侶を求めず、永遠の貞節を守ります。このように万物は、ありのままの姿のままに天上のありうべき観念を象徴として表すのです。ロマン主義の時代からどれだけ離れて行ってしまったのでしょうか。

 以上がベニシューの描くロマン主義の壮大なパノラマの概要ですが、遅ればせながら、いよいよ本文に入りましょう。本文は、「反革命と文学」「自由主義派の貢献」「ロマン主義革命」等々と続きますが、最近、暑さでバテて気力が続かないので、第三章「イリュミニスムと詩ールイ•クロード•ド•サン=マルタン」第四章「反革命の文学」第六章「自由主義派の貢献」のみを取り上げましょう。

〈イリュミニスムと詩ールイ•クロード•ド•サン=マルタン〉

 サン=マルタン(1743~1803)の著作は奇矯であるがゆえに、ほとんど読まれず、大作家で彼の弟子になったものも一人もいません(ボードレールやバルザックには深甚な影響をあたえましたが)。ゆえに彼は「知られざる哲学者」le philosophe inconnu だったのです。しかし、18世紀の人間学的思想と文学の懸隔を架橋し、プレ•ロマン主義のもっとも印象的な思想家の一人であることは間違いないでしょう。

 まずイリュミニスム illuminisme について説明しましょう。代表的なイリュミニストは、スウェーデンボリ派、サン=マルタンが属するマルティネス•ド•パスカリ派、デュトワ=マンブリニの感化を受けたスイスのヴォー地方の静寂主義者(キエティスト)などですが、彼らの公約数的な基本特徴は次のようなものです。

 原初以来の普遍的伝統の存在を信じることーその隠された意味は秘儀参入者にのみ開示される。

 この伝統に基づき、原初に転落があったという教説に第一の重要性を与えること。

 物質の存在をこの転落の結果として理解すること。

 将来における人間の再生を、〈第一存在〉への再統合の形で想定すること。

 現実宇宙を統一的かつ類比的(アナロジー)に捉えること。

 人間と神との間に、中間的諸力によって織りなされる存在の階梯を設定すること。

 超自然的な示現を探究し、魔術と占術を嗜好すること。

 以上が神秘思想的、神智論的イリュミニスムの特徴です。一見して異端そのもののように思えますが、キリスト教神秘主義にはありがちな教説です。イリュミニスムが異端の一歩を踏み出すのは、人間をその源泉においてとらえ、エデンの人間(アダム)をすでにして神的な存在とみなす時です。アダムはそこで、栄光の身体と超自然的権力を持った一種の〈神たる人〉であり、反抗した天使の転落を贖い、神のもとに連れ戻すために創造されたものとみなされました。これは宇宙を舞台にした人間の壮大なドラマであり、そこで人間はほとんど神と一体化します。それゆえ、逆説的だが、人間の形姿が神の存在を規定し、また宇宙をも規定しているのです。「神も宇宙も人間なのである。結局、これが神秘主義的イリュミニスムの核心であり、言うならば存在理由である。」

 以上の理論は、むろん、サン=マルタンにも完全に当てはまります。彼もまた〈贖い主〉の中に、「私たちが原初に形づくられた際の真の原型(モデル)」を見て、〈贖い主〉が到来したのは、私たちが「その類似を取り戻す」ためであったと考えます。「彼は、人間が神の似姿として、反逆の堕天使たちを連れ戻すために創造されたと考える。こうして神によって宇宙の統治を任された被造物である人間は、傲慢さによってではなく、むしろ自己の尊厳を十分に意識せず、物理世界の水準へと自らを卑しめてしまったことによって、転落したものとされる。」

 サン=マルタンは次のように言っています。「私たちは、永遠なる光の源泉におけるミニステール(聖務)を司るものとして、あらゆる神秘を明るみに出すために作られたのです。」サン=マルタンの伝記作者 J.Matterはこう書いています。「この非常に繊細かつ深遠なスピリチュアリスムの理論は、転落の教義を持つにもかかわらず、人間を非常に高い位置に置くのであり、人間が無力でありながらも非常に卓越した役割を担う存在と示すもので、これは当時の最も野心的な合理主義に呼応している。」この文章の最後の箇所は驚くべきことを言っています。サン=マルタンは18世紀の合理的な啓蒙思想に決して反対ではありませんでした。彼が啓蒙思想に異を唱えたのは、啓蒙の哲学者たちが人間の形而上的側面を重視しないというその点だけでした。サン=マルタンは、自ら貴族でありながら、貴族制度の廃絶を願い、また旧来のカトリックとその教会を激しく嫌悪していました。まさにジャコバン派と見間違うほどです。

 「サン=マルタンの中に恩寵の教説は見られない。」とポール•ベニシューは書いています。神の本質が人間を包み込むのをやめることなど考えられないからです。「神の栄光と結合するかどうかは人間次第であり、原初の罪を繰り返さないかどうかにかかっている。しかし、人間は堕落し、頑なに過ちの中にとどまっていても、本来の起源のすぐ近くにいる。エデンーいついかなる時でも私たちの中にあり、私たちの周囲に存在するエデンーの生き生きした描写が、サン=マルタンの著作を包んでいる。転落に先立つ〈非物質的な可感存在〉は覆い隠されているとはいえ、人間の近くに存在しているのだ。」

 「私たちの住む領野では、すべてが象徴ではないだろうか?」とサン=マルタンは書いています。この見解は照応(コレスポンダンス)の理論を内包しています。照応とは、事物とそれが従う精神的宇宙との関係のことであり、また隠されているものの記号、および可視的形象のことなのです。「物質は、何か別のものの表象または写像(イメージ)でしかない。」「物質とは、不在の人物の肖像のようなものである。」

 万物照応の理論は、一人サン=マルタンだけのものでなく、イリュミニスト全般に共通するものでした。しかし、サン=マルタンにおいて、この理論は言語と詩に関する一連の観念を伴い、その結果、詩的聖職の理念を繰り返し示唆するものとなったのです。サン=マルタンによれば、哲学者が考える自然言語は、人間の必要に応じて生まれた獣の言語で、人間の転落以前に生まれた原初の言語とは全く異なります。原初において言語は、感情の戯れではなく、事物の本質を指し示すものでした。原初の語は、根源的記号であり、事物との絶対的等価性を持っていました。それゆえに、多数の語を遡れば、我々は「母型となる観念」に辿り着くことができるはずです。「この観念を表現するのは、ただ一つの語のみであって、結局のところ、原初の語全体がこの語に由来するのだ。」とサン=マルタンは言っていますが、読者はどうしてもその一語を知りたくなります。「私はその語を一切言うまいと決意したので、読者を満足させることができない。」と述べているのですが、別の箇所で、彼はついにその語が saint(聖なる)であることを明かしました。原初の言葉がなぜフランス語で表されるのか、読者が疑問に思うのは当然だ、とベニシューは書いています。

 このような理論を横糸として、詩の賛美が自然に姿を現しはじめます。サン=マルタンは、同時代人の多くと同様、原初の詩が宗教的性格を持つものであったと考えています。「彼の見る詩の歴史とは、長期間にわたる衰退の歴史、地上的主題や浮薄さへの凋落の歴史である。詩は単に情念を表現し、事物を模倣するものとなることで堕落し、詩の起源においてそうだったように、人間の偉大さという〈原理〉に対する純粋な称揚であり続けることはなくなった。」

 『死後刊行著作集』に収められたサン=マルタンの若い頃の著作『ファノール』という「詩(ポエジー)についての詩(ポエム)」を見てみましょう。語り手(ファノール)は天の〈詩(ポエジー)〉に懇願し、近代の冒涜者に対する〈詩〉の報復役を務めさせてはくれまいかと申し出ます。その願いは叶えられ、ファノールは天に運ばれ、かつて詩が誕生した場所であり、以後も常に詩の源泉であり続ける神の領域を見ることを許されます。彼は詩人たちの栄光に目を凝らし、〈詩〉への賛美を行います。そして〈詩〉が発言し、神的事象についての指示をファノールに長々と教え聞かせたのに続けて、

 至純なる行為者たち、自らも神々である長たち

と、詩人もまた神であることを告げるのです。『ファノール』は否定的な調子で終わります。女神はファノールに女神自身が生きて来た歴史を語り、感覚世界を神格化し、真理の聖務(ミニステール)を作り話(フィクシオン)に従属させてしまった近代の詩人たちを糾弾します。そして、女神は、人間の形姿をまとって地上を旅行する途中で、彼らに問いかけます。どうして疑うことができようかー

 死すべきものたちよ、お前たちの使命が神から来たったものではないなどと?

 『ファノール』は間違いなく1789年の革命 以前の作品ですが、その後、サン=マルタンは、『わが肖像』『この人を見よ』『ある友人への手紙』や書簡などで、この一連の革命について様々に記して来ました。彼は生起した事件に「神の摂理」を見るのですが、これは多くの人間に共有された見解で、あのジョセフ•ド•メーストルが有名ですが、ラマルチーヌやユゴーにも影響を与えています。ところで、この摂理説は、革命派にも反革命派にも如何様にもたわめられるものだったのです。神がそれまでの悪弊を根絶するために起したのか(革命派)、それとも罪深き出来事に対する懲罰か(反革命派)、その配合比率は各人に委ねられていたのです。イリュミニストは、当然反革命に傾いていましたが、サン=マルタンはやや違っています。彼は、革命を、神がフランスの再生のために下した鉄鎚であると考えました。「革命は最後の審判の模型(ミニチュア)である」と彼は書いています。事態の流れを称賛しながら、彼は曖昧な態度のまま60歳で亡くなりました。サン=マルタンは、いまだに「知られざる哲学者」なのでしょうか。

 この後、 反革命や自由主義の文学について書くつもりでしたが、スタバでアイスコーヒーを飲みながら書いていると、急に腹痛に襲われて、二日ほど寝ていました。それで、残りは続編として改めて書き上げるつもりです。

 ポール•ベニシュー(1908~2001)は、アルジェリアのユダヤ人家庭に生まれ、パリのリセ•ルイ•ル•グラン校でメルロ=ポンティと同級生になりました。パリ高等師範学校を28人中6位で合格しています。シュルレアリスムやマルクス主義に関わりを持ち、アルゼンチンに亡命の折にボルヘスと友人となり、後に彼の本を仏訳しています。1958年にハーヴァードに招かれてフランス文学を教えました。『文化国家』で日本でも著名な歴史家マルク•フュマロリがハーヴァードにベニシューを訪ねた時、彼はハーヴァード大学の図書室の奥に自分の「家」を作り、堆く積んだ本に囲まれて執筆していたということです。そのとき執筆中の本は『作家の聖別』に続くフランス•ロマン主義の第二作『預言者の時代』でした。

 

 

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ポール•ベニシュー『作家の聖別』。「19世紀前半、宗教的権力に代わり、世俗的な聖職者たらんとした詩人、文学者たちの「聖別」の過程を克明に追いながら、いかにして文学が高い精神的職務を担うように求められたかを論じる。フランス•ロマン主義を徹底的に解明する長大評論の第一巻」(水声社のホームページより)表紙の絵はジロデ「自由を求める戦争で祖国のために死に、神々の列に加わるフランスの英雄たち」

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妻の書斎から出してもらった本。サン=マルタン『霊的人間の聖務』

 

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ルーミー。暑さでぐったり。

 

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近くのショッピングモールの盆踊り。コロナのため4年ぶりの開催でした。妻が浴衣を着るのも久しぶりです。

 

 

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