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2023年6月

2023年6月30日 (金)

松村圭一郎『旋回する人類学』


  昔は、文化人類学と言ったものですが、最近は一般に人類学と言って、その中に形質人類学、社会人類学、経済人類学、医療人類学、、、など多数含めるようです。私が学生の頃、もう50年も前のことですが、「文化人類学」は結構人気があって、とくに女子大生に多かったようです。実は、恥ずかしながら、私も『モゴール族探検記』(岩波新書)とか読んで、東京外語大学のモンゴル語科(定員16名)に願書を出したのですが、結局、受験はしませんでした。

 さて、それからレヴィ=ストロースなどパラパラ読んだのですが、集中して読んだことはなく、最新の傾向にも、むろん、無知のままでした。というのも、人類学の本で面白いのがないからで、ところが、最近、図書館で松村圭一郎の『旋回する人類学』を借りて、珍しく夢中になって読んでしまいました。書き方も低脳な私にもわかるほど易しく巧妙で、その目次は 1、人間の差異との格闘、2、他者理解はいかに可能か、3、人間の本性とは? 4、秩序の作り方、等々に分かれているのですが、その章ごとに、人類学の起源から復習するので、たいへん楽に頭に入ってくるのです。というのも、「旋回する、、」という題名のとおり、人類学は先行研究を土台に積み上げていくわけではなく、むしろ先行者の土台を掘り崩しながら、常に先行研究を否定し、まさに旋回しながら進むので、こうしたフィードバックの章立てが最適なのです。さっそく章ごとに見ていきましょう。

(1、人間の差異との格闘)

  ずっと昔ですが、雑誌パリ•マッチに、檻に入った黒人少女の写真が載っていて驚いたことがあります。何と十九世紀のパリで、黒人が見せ物になっていたのです。これが、いわゆる人種主義(レイシズム)で、人間は起源の異なる複数の人種からなり、その人種間の能力や身体的機能には絶対的な違いがあるという信条で、これが奴隷制や植民地支配に正当化を与えて来たのです。最初期の人類学は、この人種主義に対して闘ったので、1871年に出たエドワード•タイラー(1832~1917)の『原始文化』は、まさにその人種主義に対する反撃の狼煙でした。

 「ここでの目的のためには、遺伝による多様性や人種については度外視し、人類を本性的に同質でありながら文明上の段階を異にするものとして扱うことが可能であり、かつ望ましいと思われる。」(『原始文化』第1章)

 これが人間の多様性を進化の違いとしてとらえる文化進化論で、当時の人種主義に対抗する有効な理論でした。ところで、人種主義というのは現代でも根強く、最近、ローランド•ギャロスの全仏オープンの女子ダブルスで、加藤選手とインドネシアの選手の組が失格になった事件でもアジア人差別があったのでは、と話題になりました。私はLe Monde紙電子版を購読しているのですが、Le Monde紙は、全仏オープンについての特設ページを設けて毎日詳報しているのに、この事件については一字の記述もありませんでした。私は失望して、購読を止めることにした(今は月2200円に値上がりしている)のですが、subscribe の解約が非常に複雑で、果てはLe Mondeに電話してくれと言ってきました。フランス語で正確に電話することなど無理なので、金を払わず自然解約にすることにしました。

 さて、文化進化論には重大な欠陥があって、それは遅れた文化と先進的な文化、すなわち未開と文明という差異を前提にしていることでした。それに対して、異なる文化には、それぞれ独自の価値体系があり、優劣とは無関係であるという一派が現れました。ドイツ出身のユダヤ系移民であったコロンビア大学教授フランツ•ボアズ(1858~1942)は、身体の差異は遺伝よりも、環境によって生じ、人種というカテゴリーに科学的根拠はないと主張しました。ボアズは、アルフレッド•クローバー、エドワード•サピア、マーガレット•ミードなどの弟子を世に送りましたが、彼の文化相対主義をもっとも洗練させ、社会批判に結実させたのは『菊と刀』を書いたルース•ベネディクト(1887~1948)でした。

 そもそも文化の「優劣」 をはかる尺度などない、と彼女は言っています。彼女は文化相対主義の立場を「文化が全体として異なった方向に方向づけられているから、差異が存在するので、それらを一本の進化の線上に並べることはできない。」と主張します。

 「人種は言語とも文化とも国境とも無関係である。彼女は、それを丁寧に説明しながら、いかに「純粋な人種」といった観念が幻想にすぎないか、あらゆる文明がさまざまな人種や民族の協働をとおして育まれてきたかを示す。それは西洋文明こそが先進的で、白人という人種が優れていると信じるレイシストへの徹底的な反論であった。」(松村圭一郎)

  ところで、人種主義や文化の進化論の根底には、根深い西洋の自民族中心主義(エスノセントリズム)があります。20世紀前半の人類学が文化相対主義を掲げた理由は、まさにそのエスノセントリズムを乗り越えるためでした。しかし、なぜ文化の差異が生まれたのか、なぜそれによって「進歩」した文化とそうでない文化が生まれたのか、その謎は未解決のままでした。

 第二次大戦は、ドイツの民族浄化計画とアメリカの原爆使用という陰惨な記憶を残しましたが、ドイツはもとより、アメリカの原爆も、サルトルが旅行中にヒロシマのニュースを知って「黄色人種だからだろう」と言ったように明らかに人種差別的なものです。1949年、国連の経済社会理事会の勧告を受けてユネスコは反人種的偏見闘争を開始しました。その一環として、「現代科学が取り組む人種問題」という小冊子群を企画し、その一冊として刊行されたのがレヴィ=ストロースの『人種と歴史』(1952)でした。

 『人種と歴史』(みすず書房「人種と歴史•人種と文化」所収)は、人種というよりも、文化の差異について論じた小論ですが、その明確な内容と主張、簡明で鋭い叙述で、その内容の与えるインパクトはマルクスの『ドイツ•イデオロギー』にも相当するでしょう。フランスでは人種的偏見に対する高校の教材としても使用されているそうです。松村圭一郎は、こう紹介しています。

 「レヴィ=ストロースは、ベネディクトのように、地理的距離や環境の違いが文化の差異をつくるとは考えていない。むしろ近接するがゆえに対立し、区別しあい、自己自身であろうとしたと指摘する。さらに、文化の差異を所与とみなす文化相対主義にも批判的に言及する。それは文化間の相互関係や共通性、そして「進歩」の存在を覆い隠すからだ。そこには人間の差異への深い洞察がある。」

 例えば、現代のアメリカ北西岸と古代中国の芸術様式には共通点が見られますが、それを文化の伝播によって説明するのは難しいでしょう。反対にアフリカの隣接する部族では全く異なった言語が使われたりします。ロシア語は他のスラブ系言語と違って、むしろ隣接するフィンランドやトルコと似通った言葉を持っています。これらが意味することは、文化は互いに影響を受けながら、むしろ自己自身であろうとしてことさらに差異を刻み込もうとする、あるいは先行の文化を全く無視して自分たちの「遅れた」文化に固執しようとする、レヴィ=ストロース流に言えば、チェスのナイトのような四方に自在に動く駒に例えられと思われるのです。極東アジアの三民族(中国、朝鮮、日本)が、似たようでいて決定的に違うことからもそれは明確でしょう。

 一方、「進歩」した文明とそうでない文明の違いはどこで生まれたのでしょうか。レヴィ=ストロースは、それに対しても興味深い考察を提出しています。旧石器時代(20万年前)から現在に至るまで、人間としての能力に違いはなく、「進歩」は偶然の、つまり確率の問題だというのです。旧石器時代に作られた打製石器の完成度は現代でも復元不可能です。その中には用途不明の謎の石器も混じっています。20万年というスパンの中で、サイコロの6が続けて4回出るように、人々の創意工夫が幸運な偶然も味方して、奇跡的に連続した時期がありました。それが、新石器時代(一万年前)と近代の産業革命の時代で、まさに飛躍と言ってよい偶然が重なったのです。新石器時代には農業、牧畜、製陶術、機織、、、が生まれました。製陶術一つとってみても、適した土の選定、必要不可欠な薬品の挿入、最適な火の熱度など、連続的なひらめきと偶然が持続的に重なり合わなければ生まれません。その反対の事例、中国は火薬を発明したが鉄砲や大砲までには至らなかった、古代メキシコは車輪を知っていたが荷車は作れなかった。ともに、あと一歩だったのです。

 すなわち、20万年もの間サイコロを振り続けていれば、6が4回も5回も、いや10回も続けて出ることはありそうなことです。レヴィ=ストロースは、とくに新石器時代の「進歩」は特筆に値して、現代のわれわれの文化の9割はその時代の恩恵を受けていると言っています。農業や牧畜はもちろんのことですが、旧石器時代に陸路だったベーリング海峡を渡ってきたアメリカ人は、西欧に決定的影響を及ぼした四つの発明、ジャガイモ、天然ゴム、タバコ、コカをもたらしました。コカは麻酔薬として知られています。

 「レヴィ=ストロースは「停滞的歴史」と「累積的歴史」という概念を提示する。停滞的社会と累積的社会があるわけではない。サイコロの目がたまたま出つづけるように、偶然の積み重ねが累積的歴史という進歩を生む。それは特定の文明や一時代に限られた話ではない。しかも「累積的」に見えるのは、その変化が意味あるものに思えるからで、逆に「停滞的」にみえるのはその意味をくみとれないからだ。そもそも「進歩」とは同一方向への動きではない。自分と同じ方向に動く文化は活動的にみえ、違う向きだと停滞的にみえる。進歩とは、諸文化がその差異を保ちながら提携して同じ道を進む「共同の賭(かけ)」なのだ。」(松村圭一郎)

 文化の差異には何かもっと奥深い複雑なものがある。そもそもなぜ「停滞的社会」が生まれるのか、レヴィ=ストロースの考察はさらに踏み込んで、ついに人間のさまざまな表面的な奥にある人類に共通した普遍的構造を見出しました。それは、一つには、人間集団に見られる親族の基本構造であり、もう一つは人間が自然を通して生みだす差異としてのトーテミズムです。

 あらゆる社会には特定の相手との結婚を禁じるルールがあります。いわゆるインセスト(近親相姦)の禁止です。レヴィ=ストロースは、これに目をつけて、親族の基本構造を女性の「交換」というコミュニケーション様式の視点から捉えました。女性の交換が可能になるには、ある集団が別の集団と区別されている必要があります。これが、なぜ人間は異なる無数の集団に分かれているのか、そしてなぜ集団同士が結びつこうとするかの理由なのです。「婚姻」がそれらの構造の鍵となっているのです。

 長らくトーテミズム(特定の動植物が崇拝の対象となること)は、「低級な文明の人々に見える気の毒な現象」(タイラー)と思われてきました。ところが、レヴィ=ストロースは、このトーテミズムを高度な記号的コミュニケーションとして再解釈します。どんな民族でも自分たちの身の回りに棲息する動植物についての精緻な分類作業をするでしょう。その作業には(日本の益虫、害虫のように)自然とその動植物についてのカテゴリー分けが起こります。その中で他と区別する特別な標章は、食べる•食べないの区別です。これはちょうど人間集団のインセストの禁止と似ています。レヴィ=ストロースはこう書いています。

 「動物の間の差異を人間は自然から取り出してきて文化の領域に移す。〔中略〕それを人間の集団が取り込んで標章とし、それによって、人間同士の類似性を変質させようとする。その同じ動物が、同じ人間集団によって、食物としては忌避される。」

 レヴィ=ストロースは、さまざまな文化の差異の根底には構造という普遍的原理があることを示しました。その方法は、未開社会から近代社会に至る無意識的構造から歴史の変化をとらえ、その変化の背後にある普遍的構造を導き出すのですが、観察者の立場はむろん近代です。つまり近代だけが、生物学、地球環境学、顕微鏡、遠距離ネットワークを通じて知識を確立できるのですが、それではわれわれは、当の(われわれ自身の)近代について何を知っているというのでしょう。実は近代の科学的事実それ自身が人類学の記述対象になると言明したのは科学人類学の提唱者ブルーノ•ラトゥール(1947~2022)でした。

 「科学人類学は従来の人類学をどう変化させたのか。それは近代社会が科学に与えてきた特権的地位を剥奪する大きな転回であった。」「西洋社会は、自分たちが他のいかなる文化とも異なるという暗黙の前提に立つ。なぜなら西洋の科学だけが自然の本来の姿を把握でき、文化を相対化してとらえることができると考えているからだ。」「未開社会の「野生の思考」を明らかにし、無意識的構造を取り出せるのも、科学のおかげだ。レヴィ=ストロースは、たしかに前近代の呪術的認識を近代の科学と同等かそれ以上の知性として鮮やかに描き出した。だがその知性を理解し、構造を抽出する特権は西洋の科学者にのみ与えられていた。」(松村圭一郎)

(2、他者理解はいかに可能か)

 ここでは、人類学の理論的前提というよりも、他者理解のための人類学的方法論が模索されます。アメリカのアマチュアの研究者だったルイス•ヘンリー•モーガン(1818~1881)は、アメリカ先住民の生活を研究するうちに人類文明の起源の問題に手を染めていきます。彼は先住民と友人になり、信頼関係を築き、膨大な情報を入手しました。また、世界中で布教活動をしている宣教師たちに手紙を書いて、さまざまな民族の事例を集めました。さらに彼は古今の歴史書や研究者の最新の論文を渉猟して、『古代社会』(1877)という本を著しました。驚くことに、エンゲルスによって、マルクスよりも早く唯物史観に達した書物と称賛されたのです。

 しかし、現在にまで至るフィールドワークの模範的祖型を作ったのはポーランド生まれのイギリスの人類学者ブロニスラウ•マリノフスキ(1884~1942)でした。「長期参与観察」といわれる彼の手法は、現地人の居住地の真ん中に、テントを張り、現地語を操って、現地人と共に生活することでした。そうすることで、彼は習俗、生活、制度、儀礼などの裏に潜む現地人の心の在り方に迫ることができ、この「長期参与観察」は今もフィールドワークの模範例となっています。なお、この方法は彼の『西太平洋の遠洋航海者』(1922)の序論に丁寧に紹介されており、それに続く章には現地人との生活が、興味深い写真とともに詳しく報告されています。

 ところで、マリノフスキといえば、彼の死後1967年に発表されたポーランド語で書かれた『日記』です。この秘密の日記には、彼のフィールドワークにおける苦労や苦悩が赤裸々に書かれ、気晴らしに小説に読み耽り、孤絶したはずの白人社会に身を惹かれる気持ち、成功への野心、婚約者がいるのにある女性のことが忘れられず、はたまた情欲の惑溺に悩む姿が正直に描かれています。それだけならいいのですが、現地人の生活を犬同様の生活と言ってみたり、ニガーという差別語を連発し、現地人への嫌悪を隠さない筆致はフィールドワーカーとしての彼の名声を傷つける大きなスキャンダルを引き起こしました。

 同じようなことが、フランツ•ボアズの弟子、マーガレット•ミードにも起こりました。彼女は1928年に『サモアの思春期』という本を著しましたが、その中で、サモアの娘たちは性的に奔放で、因習にとらわれず、自由に生きていると書いています。これが、古いピューリタンの家庭の道徳に縛られていた本国アメリカの若者に多いに受けたのですが、それは若者の精神的不安や葛藤は生物学的な要因ではなく、彼らの生きる文化によって生じるという文化相対主義のよい例証といえたからなのです。

 しかし、ミードの死後、1983年に出たデレク•フリーマンの『マーガレット•ミードとサモア』は、豊富な証拠を示して、ミードとその本を徹底的に批判しました。フリーマンによれば、ミードがサモアに滞在したのはわずか2、3ヶ月ほどで、しかも現地人ではなく白人家庭にホームステイしており、サモア語も不十分にしかできないので、ごく少数の現地人の伝聞だけを頼りに、裏付けも取らず、採用したということです。しかも、サモアでは嘘をついてよそ者をからかって面白がる風習もあった。フリーマンは、1920年代を覚えている多くの人たちにインタビューして、実はサモアは自由恋愛の楽園どころか結婚まで処女でいることが厳格に守られ、若者はアメリカ同様家庭に縛り付けられることが普通だったと書きました。

 ミードが、なぜこんな取り違いをしたかというと、調査前から彼女が抱いていた先入観、環境が違えば物の見方も変わるという文化相対主義に毒されていたからだろうとフリーマンは書いています。むろん、この意見には強硬に 反論する人たちもいて、ミードの娘のキャサリン•ベイトソンもその一人でした。実はマーガレット•ミードはあの『精神の生態学』のグレゴリー•ベイトソンの二番目の妻だったのです。

 これらの出来事で、人類学のいわゆるフィールドワークには大きな疑問が付されました。 そこで採取される「民俗学的事実」は、厳密な意味で事実なのか。そもそも人類学は科学と言えるのか、彼らが集めた「事実」は科学的検証に耐えられるのか。ミードの次の世代を代表する人類学者のクリフォード•ギアツ(1926~2006)は、人類学は普遍的法則を探究する実験科学とは全く異なる、と断言します。ギアツは文化を「意味の網」ととらえ、人間はその自分自身が張りめぐらした意味の網にかかっている動物であり、人類学者の役割はその意味を解釈することだ、と言いました。それは科学者的研究というより文学作品を読み解く作業に近いのです。

 ギアツの「解釈人類学」の具体例を紹介しましょう。彼はインドネシアのジャワとバリを調査しました。知られているように、ジャワはイスラム教で、バリはヒンズー教です。ギアツの興味は、そこで人々が自分たちをどう定義しているか、どんな自己の概念を持っているかでした。

 ジャワの人たちは、バティン(内)とライール(外)、アルース(磨き上げられた)とカサール(荒削りな)という二つの対比で自己の概念を形作っています。「内」では宗教的瞑想によって、「外」ではさまざまな儀礼的習慣によって「磨き上げられた」状態を理想とするのです。ジャワのイスラム教は広い意味でスンニー派に属するとされますが、そこにアニミズム、土着信仰が重なって一種独特の神秘主義的傾向が見られます。イスラム神秘主義に見られる「内」と「外」の対比が土俗的に現れているわけです。

 ジャワの人々が内省的としたら、バリの人々は劇場空間の中に生きています。彼らの生涯は私的人生を送るのでなく、社会の中で与えられた役割を演じ切ることです。そこではレク(緊張する=あがる)ということがもっとも忌み嫌われて、舞台の上で仮面を外すことが御法度のごとく、仮面の下の個人が現れて皆が居心地が悪くなることを避けようとします。バリの人びとにとって演劇的自己という観念は絶対に守らねばならないものなのです。

 ギアツの他に、人類学批判のもう一人、エドワード•サイードの『オリエンタリズム』にも言及しておきましょう。この書は人類学の枠を超えて、広く思想界に議論を巻き起こしました。今でも人類学嫌いという人々の中には、この本で主張されていることと似通った意見を持っている人が多いのです。松村圭一郎は、こう要約しています。

 「エルサレム生まれのパレスチナ人であるサイードは、西洋人が非西洋を描く「表象」に潜む権力性を告発した。異文化を理解し、表現する特権はもっぱら西洋人だけにある。アラブ人など非西洋社会の人々は意見を述べる権利を剥奪されている。それは西洋による植民地的な「知」の支配がいまも継続していることを意味する。このサイードのオリエンタリズム批判は、西洋の人類学者が非西洋社会を研究し、その文化を書くこと自体が権力の行使に他ならないと断罪するものだった。」

 私には東南アジアに旅行する日本人の根底にもこれに似た権力意識が潜んでいるように思われてなりません。ところで、「他者理解はいかに可能か」の最後に紹介するのは「存在論的人類学」です。2007年に出た論集『ものを通して考える』で編者のアミリア•ヘレナらは、他者の意見をあるがままに尊重し、固有の存在論として受け止めるべきだと提唱しました。文化の違いを認識の差異とみなして「翻訳」するのでなく、そもそも異なる存在論のもとにある「他性」として真摯に扱うしかない、というのです。いわば、認識論から存在論への転換ですが、考えてみれば当たり前のことで、ここでようやく人類学は本当のスタートに立ったと言ってよいでしょう。

(3、人間の本性とは?)

 他者理解を目指す人類学の根底には、人間はそもそもどんな存在なのか、人間にはどういう本性があるのかという問いがありました。人間の本性についての研究は、何よりもトマス•ホッブズ(1588~1679)の探究が知られています。彼によれば、人間は自己保存という目的のために互いに争い合う性質があり、その殺し合い(戦争)を防ぐために、強力な主権国家が必要と説きました。このような初期の野蛮人のモデルはホッブズの時代のアメリカ大陸の現地人に見られるとしたのです。 

 人間が自己保存の要求だけにもとづく存在なのか。これは人類学がくり返し挑んできた問いでした。先に紹介したマリノフスキは、東部ニューギニアの交易体系である「クラ」について紹介しています。クラという交易体系にある島々では、赤い貝の首飾りと白い貝の腕輪を宝物として贈ったり贈られたりします。彼らにとって気前のよさこそ善で、ケチは最大の悪でした。つまり、所有するとは与えることなのです。マリノフスキが報告したクラの習慣は、「野蛮人」は我欲にのみもとづいて行動し、自分の所有したものは手放さない、という通説を覆すものでした。それは、物質的利益しか念頭にない功利主義的な見方への批判でもあったのです。

 ここで、レヴィ=ストロースと並んで現在も大きな影響を与え続けている人類学者マルセル•モース(1872~1950)が登場します。モースはフランスのヴォージュ地方の正統派ユダヤ人の家庭に生まれました。叔父のエミール•デュルケームは近代社会学の創設者と言われていますが、誰もその後継者がモースになろうとは思いませんでした。大柄なモースは、アマチュア•ボクシングの選手で、学究肌というより、ふざけるのが好きな陽気な男と見られていました。しかし、彼はたいへんな学識を持っていて、サンスクリット語、マオリ語、古代アラビア語など1ダースの言語に通じていました。

 そして、何より、モースは熱心な社会主義者で、マルクスよりもプルードン、オーウェン流の社会主義者でしたが、マルクス同様、資本主義の市場原理に反対していました。ロシア革命は、彼を興奮させたが曖昧な気持ちにもさせました。「目的が正しければすべては正当化される」というボルシェヴィキの論理に違和感を覚えたのです。モースは、強権的な政府よりも、人々の生活からボトムアップする政治形態を望んでいたのですが、1921年のネップ(新経済政策)にははっきりと落胆しました。ヨーロッパで貨幣度のもっとも低いロシアで市場の撤廃ができないとしたら、他国での改革など無理な話でしょう。しかし、市場の撤廃ができなくとも、その市場倫理を覆すことは可能だと彼は考えました。デヴィッド•グレーバー「惜しみなく与えよ」(『民主主義の非西洋起源について』所収)から引用しましょう。

 「モースがそこから引き出した結論は驚くべきものだ。まずは「科学」を称する経済学が経済史についてこれまで語ってきたことのほとんどすべてが、事実に反するものだったとされる。昔も今も、自由市場に熱狂する人びとが揃いも揃って想定しているのは、人間存在を突き動かしているのは本質的に言って、自らの快楽、安逸、物質的所有(つまり自らにとっての「効用」)を最大化しようとする欲望であり、だから意味のある人間的相互作用はみな、市場の観点から分析することができる、ということだ。公式の物語に従うなら、最初に物々交換があった。人びとは、互いが欲しいものを直接交換するしかなかった。それでは不便なので、誰もが使える交換の媒体として貨幣が発明された。さらなる交換技術の発明(信用売買、銀行業、証券取引)は、その論理的延長にすぎない。」(片岡大右訳)

 ところが、モースによれば、物々交換に基づく社会が実在したという理由はどこにもないのです。反対に人類学者たちは、物々交換とはまったく別の諸原理に基づく社会を発見しつつありました。それは、贈与経済で、そこでは誰がもっとも蓄積したかでなく、誰がもっとも与えたかを競うのです。それを実証する調査結果は無数に残されています。例えば、ブリティッシュ•コロンビアのクワキウトル族の場合には、首長たちは幾千もの銀の指輪、毛布、シンガー社のミシンまで与え、さらには自らの富を破壊することさえしました。

 われわれの普段の生活でも、人から何かを贈られた時、それに返礼できないと、自分がつまらない存在のように思えてしまいます。そうした人間の普遍感情の一つが経済基盤である社会が現にあったのであり、すべてを物と物との交換に抽象化する資本主義社会のオルタナティブなヴィジョンを与えてくれるかも知れません。

 市場経済に対するもう一つの興味深い理論を紹介しましょう。経済学は、人間が欲する財は常に不足するという希少性の原理をもとにしています。そこには、みなに行き渡るものは何もないという確信があり、この前提のもとに市場において充足される個人の欲求と必要に着目し、個人の功利的な価値尺度のみを考察の対象としてきました。

 アメリカの人類学者マーシャル•サーリンズ(1930~2021)は『石器時代の経済学』(1972)で、「希少性」の概念を批判し、かつての狩猟採集社会は「資源のあふれる社会」であることを豊富な証拠で提示しました。

 「従来、人類学者も、狩猟や採集に依存する生業形態では、人びとはつねに飢えに脅かされていると考えてきた。「その技術的無能力のゆえに、生き残るためにはたえまなく働かざるをえず、一刻の休息もなければ剰余もなく、したがって《文化を作り出す》ための《余暇》も与えられていない」。それが一般的な見方だった。この見方は、人類が農業を発明して技術的発展を遂げ、余剰生産物や余暇を手に入れたという進化論の根拠でもあった。」「サーリンズは、こうした狩猟採集社会の経済資源を希少だとみなす視点が、ハースコヴィッツの『経済人類学』が出た1950年代までは人類学に共通の慣行だったと指摘する。そして最新の研究では、それとは正反対に、狩猟採集民が物質的欲望をたやすく充足できる豊かな社会であることが明らかになったと論じた。」(松村圭一郎)

 「サーリンズは、オーストラリアのアボリジニなど各地の狩猟採集民の研究事例を参照しながら、「希少性」が人間の本性と結びつくという見方に根拠がないとろんじた。移動生活にとって、備蓄や貯蔵は重荷でしかない。なので、狩猟採集民は必要以上に働いて余剰を貯め込もうとはしない。外部者はそれを「貧しさ」だと感じる。だが狩猟採集社会では欲求自体が低くおさえられていて、欲求を満たす以上の食物などの資源が周囲にありあまっていた。、、、むしろたえず物質的欲求をかきたてられ、誰もがそれを完全には充たせない市場化された現代こそが希少性と貧困の時代なのだとサーリンズは言う。」(同)

(4、秩序のつくりかた)

 第4章は、国家はいかに作られたか、または作られなかったか、の考察です。当たり前に考えれば、農耕に伴う定住生活が始まり、身分の差ができて、国家が成立したと、確かそんなふうに中学校の教科書に書いてあったような気がします。人類学者は、そんな俗流国家史観にさまざまな批判を加えて来ました。エドワード•エヴァンス=プリチャード、アーサー•ホカート、ジョルジュ•バランディエ、ロバート•ローウィなどですが、ここでは断然レヴィ=ストロースの弟子で43歳で交通事故で亡くなったピエール•クラストル(1934~1977)を取り上げましょう。クラストルは、未開社会を能力の欠如ゆえに国家を作れなかった社会と考える人びとを痛烈に批判しました。

 「「未開」とされてきた社会には、少ない労働で生存に必要な食料を入手する高度な技術があった。それでも、労働を必要の充足に調和させる意志から、人びとは無用な過剰生産を拒んだ。それは過剰な労働を強制し、その余剰を一部の者の所有物にする暴力としての国家を拒否しつづけることを意味した。クラストルは、それを「国家に抗する闘いの歴史だ」と述べている。」(松村圭一郎)すなわち、国家を持たない社会とは、権力が一部の人に保持され、人びとを支配するためにその権力が行使されることを望まない社会のことなのです。

 国家がないと、暴力や無秩序が支配し、デストピアのような社会が生まれると普通の人は思います。確かに野放図な暴力が出現する恐れはあります。しかし、人間は、警察や裁判所がなくとも、ほとんどのことは自分たちで行なっていけるのです。ジェームズ•C•スコットは『ゾミア』で、ベトナム中央高原からインドの北東部に広がる、国家に統合されてない世界最大の集団の生活の詳細なルポルタージュを残しています。アジアには、税金や兵役を逃れて山に暮らす民族が今でも多く存在します。税金は、橋や学校や病院を作るのに必要でしょうが、しかし、考えれば、それらのことは、みなが力を合わせればできることです。税金は、一部の働かないですむ人びとのためにあるのだ、とそれらの人びとは考えます。日本でも、昔は、様々な束縛を嫌って山に逃げ込んで暮らす人びとがいました。いわゆる山の民ですが、彼らが大きな集団にならなかったのは日本の山が峻険で暮らしにくかったためでしょう。「クラストルは、国家権力を生み出す根底には、権力への欲望だけでなく、隷従への欲望があると指摘する。「未開社会」は、その隷従を拒否することで、社会がもつ者ともたざる者とに分化することを阻止してきた。ひとたびその隷従の欲望が生じれば、国家なき状態に戻れなくなる。」

 昔、たぶん高校生の頃、キエラの『粘土に書かれた歴史』(岩波新書)という本を読んだことがあります。今でも覚えているのですが、キエラは序文で、博物館にくる人びとは、エジプト室の壮大な展示を見終わった後で、メソポタミア室に来ると、地味な粘土板ばかり並んでいるので、急いで通り過ぎてしまう、でも、ほんとうに面白いのはこの室なのに、と書いています。メソポタミアは河岸に良質の粘土が豊富にあり、それを板状にして、その上に葦の茎などでいわゆる楔形文字を刻んでいきました。それを洞窟で陰干しにすると乾燥して立派な文書になるのです。紀元前3300年も前のことです。

 その粘土板には何が刻んであるかというと、大半は配給や税としての穀物の記録、あるいは戦争捕虜や奴隷の一覧表で、それを読むと、初期の国家にとって何が大事であったかよくわかります。(ギルガメッシュ叙事詩などの文学作品が粘土板に刻まれるのは、それより1000年後です)すなわち、人口の正確な把握と税収の記録です。当時の戦争は、それに勝って奴隷を確保するためのものでした。

 ジェームズ•C•スコットの『反穀物の人類史』を引用しながら、松村圭一郎は次のように書いています。「この初期国家と文字が歴史上はじめて登場した時代は、ぴったり一致している。スコットはそれを「とにかく数値的な記録管理に関する体系的な技術がなければ、最初期の国家ですらほとんど想像できない」と表現している。」「国家はつねに非生産者(官吏、職人、兵士、聖職者、貴族階級)を食べさせるために、農作物や畜産物といった余剰食料を必要としていた。その食料の収奪を進めるためにも、穀物の運搬、賦役、請求、領収などについての継続的な記録•管理が必要不可欠だったのである。」(松村圭一郎『くらしのアナキズム』)

 何と松村圭一郎はアナキズム人類学者だったのです。だが、普通に想像するような直接行動する無政府主義とは関係なく、まさにくらしの中で、手の届く範囲で徐々に周りの世界をよくしていこうとする穏健アナキストと言ってよいでしょう。彼はこう書いています。

 「どんな思想も「主義(イズム)」が目的化すると、プロセスが犠牲にされ、正しさ(本文傍点)を競い合うゲームとなる。でも人生はプロセスそのものだ。だれも正しさのために生活しているわけではない。おそらく生きているうちに革命やユートピアは実現しない。たとえそうでも、「よりよき」へと向かう道のりを楽しむこと、それが大切なのだと思う。」(同)

 確かにそうだと思います。「よりよき」へと向かう道のりを楽しむこと、という言葉が素晴らしい。そして、行動するときは、やはり行動したい。2011年のOccupy Wall Street で、We are The 99 % というスローガン発案したデヴィッド•グレーバーのように。

 『旋回する人類学』はこの第4章がクライマックスだと思うので、残りの第5章「自然と神々の力」、第6章「病むこと、癒すこと」は省略します。それぞれ宗教人類学、医療人類学を扱っていて興味深いのですが、ここまでで相当疲れました。駆け足の紹介となりましたが、それでも、アルフレッド•ラドクリフ=ブラウンとカール•ポランニー、さらにエドマンド•リーチについて何も書けなかったのは残念です。実は18日の日曜日、父の日ということで、長男が船橋の女性客の多い洒落た寿司屋でご馳走してくれたのですが、気分よくお酒を飲みすぎてしまって、店を出たところで段差に足を取られて転倒し、膝を強く打ってしまいました。妻が駅まで迎えに来てくれましたが、一週間ほど動けず、そのせいか、膝が治った頃に持病の腰痛が再発して、激痛に苛まれながらこの記事を書いていたのです。(今はだいぶ良くなりました)いつのまにか一年の半分が終わろうとしています。今年も暑くなりそうですね。

 

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松村圭一郎『旋回する人類学』(講談社)の表紙はシンプルで良い。中のレイアウトも非常に読みやすい。かつての国書刊行会のシリーズ物のように、本は読むものだ、という原則を忘れた過剰なページ組は好きになれません。

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関係する本は全部図書館で借りました。デヴィッド•グレーバーの『負債論』は目から鱗の内容で、800ページがあっという間に過ぎてしまいます。同じグレーバーの『民主主義の非西洋起源について』は付録のモース論「惜しみなく与えよ」が秀逸です。ジェームズ•C•スコットの『ゾミア 脱国家の世界史』、このアナキズム国家論の傑作は、夭折したピエール•クラストルの後を継いでいます。またスコットがオーウェン•ラティモアの『中国』(岩波新書)を誉めているのも面白い。『マリノフスキー日記』原題は A Diary in the Strict Sence of the Term 「言葉の厳密な意味における日記」内容は思ったほどスキャンダルではない。相当に知的で神経質で女好きな男の日記で、私にはとても面白い。社会人類学者ティム•インゴルドの『生きていること』は、ハイデガー、メルロ=ポンティ、ドゥルーズなど出てくるが退屈で挫折しました。マーカス、フィッシャーの『文化批判としての人類学』、クリフォード、マーカス編『文化を書く』は専門家向き。アパデュライの『さまよえる近代』も難解すぎます。マーシャル•サーリンズの『石器時代の経済学』はいろいろ教えられました。モースの『贈与論』に強く影響を受けています。

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松村圭一郎『くらしのアナキズム 』わかりやすく、親しみやすく書かれたアナキズムの本。

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ルーミー。「哲学というものは本来、動物の眼差しのうちに秘められたものを実現するためにあるのです」アドルノのホルクハイマー宛書簡

(ローレンツ•イェーガー『アドルノ 政治的伝記』より)

 

 

 

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