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2020年7月21日 (火)

ゼーガース『死んだ少女たちの遠足』

  コロナ第二波が襲って来たようで、またまた緊張の毎日が復活しましたね。しかし、長男から酒を飲もうという誘いがあったので、四ヶ月ぶりに会いました。西船橋のサイゼリヤは結構混んでいましたが、テーブルの間には間仕切りの板があって、やや安心です。生ビールを飲んでから、新入荷のワインを一本空けました。長男は、都内の区立図書館のチーフをしていましたが、給料が安いので、三月いっぱいで退職したそうです。今は都内の自閉症の子どもの施設で働いていますが、給料はかなり上がったそうです。思えば、去年でしたか、山口県に住む長男の叔父のF君が心房細動で58歳で突然死したのですが、そのF君も養護教員をしながら芸術活動をしていました。長男は、この叔父をたいへん敬慕していて、何度か泊まりにも行きました。長男には、何か汲み尽くせないような優しさがあって、九州の田舎に帰ると、真っ先に難病で寝たきりの病人や一人暮らしの老人を訪ねて、何時間も話していました。私には、こういう優しさはありません。ずっと昔、親類の結婚式のときに、二つ上の私の実姉が皆のいるテーブルで、長男の芳しくない学校成績について揶揄した時、私は、長男が、実姉のような冷たい心を持たなかったことを神様に感謝しました。

  その長男が、自粛期間中に自転車で福島に行って来たという話をしたのです。長男は、昔、自転車で屋久島まで行って来たことがあるので、福島あたりでは驚きませんが、一週間も野宿で過ごしたという話には吃驚しました。動物好きと放浪癖は祖父から私、そして長男と受け継がれているようですが、他の兄弟には全く見られないのも面白い。その福島の、第一原発にはむろん近寄れなかったが、第二原発の近くへは行ったようです。津波の被災地には慰霊碑が多く建っていたそうですが、何より新しく出来ていた巨大な防波堤には圧倒されたと言っていました。怖い話があって、毎夜眠る時に海の方から唸るような叫び声や泣き声が聞こえてきたとか。

  さて、先日、血液検査と脳神経内科の受診に行ってきたのですが、血糖値がやや高い以外は至極良好ということです。診察が終わって、病院のすぐ近くの停留所からコミュニティバスに乗って、浦安中央図書館に行ってきました。首都圏の図書館事情に詳しい長男が、素晴らしい図書館だからぜひ一度行くようにと薦めてくれたのですが、実はアンナ•ゼーガースの『死んだ少女たちの遠足』が近場では浦安図書館しか所蔵してなく、いい機会だと思って足を運んだのです。着いてみると、長男の言ったとおり、膨大な書物が整然と並んでおり、書庫の本をすべて開架に陳列したような壮観さ。レファレンス•サービスもスムーズで的確、私はすっかり気に入りました。肝心のゼーガースの本ですが、講談社の世界文学全集94巻に入っており(1976 長橋芙美子訳)、短編とはいえ結構長く、読み切れなかったので、コピーして持って帰りました。

  『死んだ少女たちの遠足』はアンナ•ゼーガース(1900~1983 本名ネティ•ライリング)の46歳の時の作品で、亡命先のメキシコで執筆されました。メキシコに着いてすぐに彼女は交通事故にあって療養生活を余儀なくされ、漸く回復しつつある頃、山の上にある農園から一人で歩いてみようと散歩に出ます。山を降りかかるところに居酒屋があり、疲れた彼女はその椅子に倒れるように座り込みます。大きなつばのついた帽子ソンブレロを被った居酒屋の主人は、欧州から逃れて来たこの婦人をすでに何度か見かけており、興味のある素振りすら見せません。炎暑と疲労で、眼は焼けつくように痛く、路上には犬が、屍のように身動きもせず、埃まみれで、脚をのばして眠っています。オルガンサボテンが、まるで柵のように生えている間を通って歩き出すと、雨季の直前で一枚の葉もない曲がりくねった木の根が地上によじれるようにむき出しになっています。そのオルガンサボテンの隙間から、暑さで霞のような視野の中に、建物の白い壁が、キラキラと微光を放つように見えて来ました。その白い壁に引き寄せられるように、乾いた斜面を降りていくと、建物には誰も住んでいない様子、格子戸は門の戸口から外れてぼろぼろになっています。どこか見憶えがあるようながらんとした門のアーチをくぐると、驚いたことに、内側から、ぎいっぎいっと規則的にきしむ音が聞こえてくるのです。さらに一歩中にはいると、一歩ごとに緑の庭草が生い茂ってくるようで、その新鮮な匂いの中で、はっきり分かるシーソーのきしむ音が聞こえて来ます。たまらず、白壁の角を曲がってみると、突然、「ネティ!」と自分の本名の名を呼ぶ声がしました。学校時代以来、長い亡命生活で一度も呼ばれたことのない本名をです。思わず立ち止まって、シーソーの方に眼をやると、シーソーの両端には少女が一人ずつのっています。二人とも「私」の親友で、レーニーは新鮮なリンゴのようなツルツルの額をもった少女、もう一人はクラス一の美人のマリアンネで、シーソーの上にすらりとした長い足を組んで座っています。マールブルク寺院の中世の少女像のように一点の曇りもない彼女の頬には高貴さと優雅さ以外の何物も見られないのです。

  そのとき、かなり年とった女の先生、メース先生の声が、館のレストランのテラスの方から聞こえてきました。「レーニー! マリアンネ! ネティ!」。それを聞くとマリアンネは、シーソーから降りて、レーニーが安全に降りられるようにシーソーの端を押さえていました。そして、シーソーから降りたレーニーの髪についた草の茎を払い落とし、優しく肩を抱き、二人は寄り添ったままテラスの方に向かいました。それから20年後、レーニーが禁止されたパンフレットの印刷の罪で夫とともに逮捕されたとき、残されたレーニーの子どもを逃してやる旅費を乞われて、夫がナチの高級将校であったマリアンネは、「ヒトラーに叛乱するような人間には一ペニヒもあげられない。」と断ったことをどう説明すればよいでしょうか。レーニーとマリアンネは片時も離れることのない本当の親友だったのにです。レーニーは婦人刑務所で戦争開始後二年目の冬に飢えと寒さのため、リンゴのようだった大きな額を皺だらけにして苦痛の中で死んだのでした。

  もしマリアンネが、その遠足の頃から恋仲だったオットー•フレーゼニウスと結婚していたら、親友のレーニーにこんな冷たい仕打ちはしなかったでしょう。オットーは、誠実で正義感強く、たぶんレーニーと夫もうまく逃がすことができたかも知れません。しかし、オットーは第一次大戦に出征してすぐに砲弾に腹を引き裂かれて死にました。前線の婚約者に出したマリアンネの手紙が「戦死」のスタンプを押されて戻って来たとき、彼女は絶望に打ちのめされました。その間にレーニーは、フリッツという鉄道従業員の息子と結婚して子供を産み幸福な生活を送っていました。マリアンネは、しばらくして、グスタフ•リービヒという軍人と結婚し、グスタフはやがて親衛隊大隊長になりました。マリアンネはマインツの町のナチの婦人行動隊を指導していましたが、空襲の際に、火の手に囲まれ、くすぶる衣服に包まれ、半分黒こげの遺体となって発見されました。マリアンネは、刑務所で餓死した親友と同じほど苦しい死に方をしたのです。

  ライン河沿いのテラスには薔薇の株が植えられ、紅白の格子縞のテーブルクロスをかけたテーブルが並んでいます。ライン河の水と庭の香りの中にコーヒーの誘うような強い香りが漂ってきました。少女たちは、とりどりの夏服を着て、むらがる蜂の唸りのようなにぎやかな声でおしゃべりしています。ちびで団子鼻で世話好きのノーラが、したり顔でコーヒーをそそぎ、砂糖をわけています。いちばん若い女の先生のジッヘル先生が姿を現すと、ノーラは特別な席を作り、大好きなこの先生のために、ジャスミンの枝を椅子に巻きつけておきました。そして、ジッヘル先生がジャスミンの枝を一本とって上衣のボタンホールに挿されるのを、うっとりした目で見つめていました。ずっと後になって、ナチ婦人会の会長になったノーラが、白髪の混じる老婆になったジッヘル先生をライン河畔のベンチから乱暴な言葉で追い払うことになるとは誰が想像したでしょうか。それも、ただユダヤ人座るべからず、と書いてあるベンチに先生が座っていたからなのですが、ノーラはジッヘル先生に唾を吐きかけ、「ユダヤ豚」と罵ったのです。後に、ジッヘル先生は、ポーランドの収容所に強制移送される途中に窓も出口もない貨車の中で死にました。先生の体をずっと抱いていたのは同じクラスのゾフィーというユダヤ人の少女でした。

  ライン河の上を八艘の曳舟をつないだオランダの蒸気船が進んで行きます。甲板の上で子犬がじゃれついています。船長のおかみさんが甲板を掃いているのを岸辺の女の子たちはずっと見まもっていました。クラスでいちばん早熟のローレが、自分で焼いたクッキーをわけるためにテーブルをまわっていました。クラスでマニキュアをつけているのは彼女だけで、すでに異性との情事の経験もあると言われていました。先生たちから厳しく注意されていましたが、その軽薄な生き方は、けっきょく結婚に至らず、たいていの同級生が母親になっている頃にもまだ短いスカートをはいて男友達と遊んでいました。このローレが悲惨な最後を遂げるとは思いもよらないものでした。空襲警報の鳴る時にユダヤ人の男とベッドにいるところをナチ党員の情夫に見つかって、強制収容所送りにすると脅されて、彼女は服毒自殺したのです。ローレのただ一人の友人は、彼女と同じような美貌のイーダで、二人はいつも市民プールとかで男たちと待ち合わせしていました。しかし、イーダは、だらしない生活にピリオドを打って、回心し、プロテスタント教会付属看護婦となりました。負傷兵のために働こうと、前線からかなり離れた野戦病院に勤務していた時、爆弾が落ち、イーダの美しい捲き毛の頭は吹っ飛ばされたのです。

  ライン河から汽笛が響いてきました。真白な船腹に金文字で「レーマーゲン」とかかれています。ひろく静かな流れのうえを、飛びゆく雲と触れながらすすむこの小さな汽船には、何物によっても消されず失われえない明るさがありました。「実業高校の二年生よ!」と岸にいる女の子たちが叫びました。実業高校の男子たちが、やはり同じ場所に遠足に来たのです。濃い金髪ですらりとした17歳の少年オットー•フレーゼニウスは、もうずっと前から甲板で根気強く手を振っています。恋人のマリアンネの姿を見つけると、今にも河に飛び込んでくるように身を乗り出しました。マリアンネは、恋人の姿を見ただけで、おとぎ話の子どものように不思議な繊細さと優美さを見せ、目は涙で潤んでいます。この後すぐに、オットーがアルゴスの学徒出陣部隊で戦死さえしなかったら、彼女の人生はもっと違って、親友のレーニーにも温かい友情を保ち続けていたことでしょう。

  船着場から男子生徒たちが整列して歩いてきました。引率している若いネープ先生は、取り囲んで待っている女学生の群の中に密かに思いをよせているゲルダがいないのに失望していました。ゲルダは、きれいとは言えないが、褐色の美しい眼をした感じの良い子でした。彼女の生涯のすべては、誰かを助けるために捧げられたのでした。じっさい、いつでもどこでも彼女は助けを求める人を見出しました。その時も、遠足の仲間から離れて、レストランのマダムの病気の子どもを看病していたのです。ブロンドのちょぼ髭をはやした青年教師ネープ氏は、以前からゲルダの栗色の眼とやさしさに心惹かれていました。第一次大戦後、ゲルダは女教師となり、二人ともワイマル共和国の教育改革を支持していた頃、「学校制度の決定的改革者同盟」で二人が出会い意気投合し結婚したのです。しかし、いつまでも誠実であろうとしたのはゲルダの方で、主義に共鳴して結婚したのに、ネープ氏はやがて共同の志操よりも平穏で不自由ない家庭生活を優先させました。メーデーの日、彼女がやかましく制止したのに、夫は、新しい国家の命令のまま、そうしなければ首を切られるからと、鉤十字の旗を窓から垂らしました。ゲルダが市場からもどり、自分たちの部屋に身の毛をよだたせる旗が出ているのを見て、恥ずかしさと絶望のあまり階段をかけのぼり、夢中でガス栓をあけたのでした。あんなに大勢の人を助けたのに、その場にかけつけて慰め助けてくれる人は一人もいませんでした。

  遠足の時に、ネープ先生に、ゲルダが看病している部屋を教えたのは、エルゼという小柄で太ったさくらんぼのような女の子でした。エルゼは、自分では恋をしなかったが、他人のひそかな恋愛にはすぐ気づいて、進んでキューピッドの役を引き受けるのが好きでした。大人になって、エルゼは、エービーという丸々太ってかなり年上の指物師と結婚し、三人の子どもに恵まれましたが、彼女が学校時代に身につけた簿記の資格も夫の仕事を支える力となりました。しかし、今度の戦争中、イギリス空軍のマインツ爆撃で、わずか5分のうちにエルゼと夫、三人の子ども、職人の男たち全員が、家と仕事場ともども灰塵に帰したのです。

  少女たちが遠足から帰る時間がやってきました。マリアンネはオットー•フレーゼニウスの手を離し、でもまだうっとりした瞳で彼を見つめています。捲毛にビロードのリボンを結びつけたイーダは軽やかなステップで船着場に歩いてきました。思いがけない爆撃でロシアの野戦病院で吹き飛ばされたとき、彼女は今日の日を思い出していたでしょうか。汽船がロープを投げ下ろし、船員がそれを杭に巻きつけブリッジを下ろします。木と水のにおい、ブリッジのかすかな揺らめき、ロープの軋み、故郷の町へのこの20分の船旅ほどに感動的なものがあるだろうかと「私」は思います。銅鑼が鳴り、ロープがたぐり寄せられ、汽船が旋回をはじめました。「私」は舵輪のすぐ横に座ろうと甲板に飛び上がりました。少女たちも皆甲板に駆け登ってきます。岸では男の子たちが手を振り、口笛を吹いています。ローレが甲高い口笛で返事をし、メース先生に注意されました。気がつくと、若いジッヘル先生が隣にきて、輝くような灰色の目で「私」に、「あなたは作文が得意だから、つぎの国語の時間のために、今日の遠足について書きなさいね。」といいました。

  汽船はライン河をゆっくりと、白い泡の航跡を残しながら進み、やがて、たそがれの中に、村はずれの礼拝堂やプラタナスの並木が見えてきました。鳥たちのしわがれた鳴き声や、アーネブルクの工場のサイレンも聞こえてきました。そのうちになつかしい街路や屋根の棟や教会の塔がつぎつぎと昔のままの姿を現してきました。この小さな町は、その後、完全に爆撃で破壊されたのに、人家の蝟集した街路には、爆弾の穴も火災の被害もありません。「私」はほっと安心して、くつろいだ気分になりました。

  汽船が弧を描いて接岸し、ロープが投げ下ろされ、クラスの少女たちは、いま、先生がたに帰りの挨拶をしています。ジッヘル先生は「私」にもう一度「作文を忘れないように」と言いました。少女たちはそれぞれの家の方向によって小グループにわかれました。レーニーとマリアンネは、腕を組んで、ライン通りへと歩いて行きます。「私」はマリー•ブラウンとカタリーナと一緒に、クリストホーフ通りを小走りに下って行きました。ライン河岸から折れて市の中心部に入ると「私」の胸はきつく押さえつけられました。この辺は爆撃で全部が倒壊したはずだからです。しかし、クリストホーフ教会も、家々の階段も、噴水もいつもと同じように立っていました。横を歩いていたマリー•ブラウンが、手で挨拶をして、さっと父親の家へ入りました。花模様や縞柄の壁紙を陳列しているブラウン•インテリア店は今度の大戦の爆撃で家族もろとも粉々に爆破されたのでした。つぎに家の近いのはカタリーナで、妹のトーニーがプラタナスの木陰と噴水の前の階段で遊んでいます。カタリーナの母と叔母は戸口で彼女の帰りを待っていました。爆撃で噴水もプラタナスも粉微塵に吹っ飛び、カタリーナもトーニーも母も叔母も地下室で最期を遂げました。表具職人でフランスの前線に出ていた父親だけが生き残ることができたのです。

  フラックスマルクト通りに入ると、もう「私」一人になりました。偶然、顔色の悪いリーゼ•メービウスという同じクラスの女の子と出くわしました。肺炎で二ヶ月学校を休んでいて、クラスで一人だけ遠足に参加できなかった子です。クリストホーフ教会の晩鐘にさそわれて家から出てきたのか、小さな顔に鼻眼鏡をかけ、私に気づかずに横を駆けぬけて行きました。教会のミサに出かけるリーゼの姿は、それから何度も目撃されました。小学校教員になったリーゼは、そのかたい信仰のためナチ当局から蔑視され、当時左遷とみなされていた養護学級への配転も全く意に介しませんでした。信仰によってあらゆる種類の迫害に慣れていたからです。みんなから軽く見られていたこの小柄な女教師は、しかし、空襲のさなかにその存在感を際立たせたのです。地下室のろうそくの灯のもと懸命に祈るリーゼの傍らにいると、どんなに粗暴なナチの女も、どんなに意地悪な隣人も、誰もが静かで穏やかになりました。まるでリーゼが死神をなだめすかすことができるかのように。しかし、激しい爆弾投下は全市街を壊滅させ、彼女自身も、近所の人たちも、神を信じる者も信じない者も、みんな一緒に吹き飛ばしたのです。

  遠足から帰るときにいつも感じるように、自分の家の通りに吹き込んだライン河からの風のざわめきを聞くのがずい分久しぶりのような気がしました。自分の住居のある三階を見上げると、母がもう通りに面した、ゼラニウムの植木箱に飾られた小さなヴェランダに立っていました。母は何と若く見えることでしょう。私よりずっと若く、私の方はもうすぐ銀髪なのに、母の髪にはまだはっきりした白髪一本見えません。いま母は私を見つけ、遠い旅から帰ってきたかのように手を振っています。(注 ゼーガースの母親は1942年ポーランドのピアスキ強制収容所で死亡)

  私は疲れ切っていましたが、残る力をふりしぼって、階段を駆け上がりました。早く母に抱いてもらいたかったのです。しかし、なぜか階段は高くて届かず、あまりにも急な傾斜で登れません。母はもう廊下に出て、階段の戸口で待っているかもしれません。でもどうしても脚がいうことをきかないのです。夕飯の準備らしく、皿のかち合う音が聞こえます。どの戸口からも、パン生地を手で叩く音が聞こえます。めん棒で延ばすのではなく、手で叩いて延ばすのがなぜか不思議に感じられました。このとき中庭から七面鳥がけたたましく鳴くのをききました。どうして突然中庭で七面鳥を飼いはじめたのか不思議でなりません。突然、まわりを見わたそうとして、極めて強烈な光線に眼が眩みました。階段はもやの中に消え、足元には深淵が底知れぬ深さまで広がっているようです。どうしようか、と心は戸惑います。こんなに疲れては、あの高台の村まで帰り着くことはできないだろう。階段の欄干が回転して、オルガンサボテンの巨大な城壁状の垣と変わりました。私は、高台の村から降りてきたときに休んだ居酒屋へ向かいます。もう犬はいません。二羽の七面鳥がいまは道端で草を食べています。酒場の主人は相変わらず店の前でしゃがんでいます。私はほんの一歩進むのも大儀で、さきに座ったテーブルに腰を落としました。どのように時を過ごせばよいのか、今日も明日も、それからずっと、、、。突然、私は、遠足について作文を書けと言ったジッヘル先生の言葉を思い出しました。私は明日にも、いや今晩のうちにも、疲れがとれたらすぐその宿題に取りかかろうと思いました。

  ゼーガースの作品は、最近岩波文庫でも出た『第七の十字架』が有名ですが、私は反戦文学や抵抗文学は好きではありません。ゼーガース自身根っからのコミュニストで、ブレヒトやルカーチのように戦後東側で生きることを選んだのですが、私にとっては、百歩譲っても、友人としては付き合えない、「説得不可能」な人間に思えます。しかし、この『死んだ少女たちの遠足』は素晴らしい。現実と幻想、過去と追想が互いに侵食する様をこれほど巧みに描いた小説は珍しい。ある解説者は、この作品を作者の夢の物語としましたが、とんでもない。これは、死者が、ある定められた時間と場所(夏の午後、ライン河畔の庭付きレストラン)に集合して、楽しかった時間を再び共有する話なのです。その意味で仏訳題名 L' Exursion des jeunes filles qui ne sont plus (すでにいなくなった少女たちの遠足)にはドイツ語原文のtoten (死者、死んだ)の持つ曖昧さや怪しさが消えています。明晰すぎる関係代名詞 qui が国境の手前でドイツの死者の亡霊を追い払ってしまうのです。

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スペイン語訳。表紙が今ひとつか。

 

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フランス語訳。ライン河がきれい。

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これがドイツ語原文、モノクロ写真がいい雰囲気。

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