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2020年5月24日 (日)

丸山眞男『日本政治思想史研究』(1)

 

  5月1日に小沢書店の元代表の長谷川郁夫氏が亡くなられていたことを知りました(食道がんで享年72歳)。小沢書店といえば、吉田健一や柴田宵曲などの瀟洒な美しい製本で知られていますが、何より吉田一穂、田村隆一などの詩の本の出版社でした。詩の本では儲からないと考えるのが普通で、小沢書店も2000年に倒産してしまいましたが、その後郁夫氏は『美酒と革嚢』や『藝文往来』などで著述家としても名を成しました。郁夫氏とは一度会ったことがある、といっても顔を見ただけですが、半世紀ほど前、大学生の時に同級生仲間と四人で都内をぶらぶらしていた時、飯田橋辺りに来たとき、仲間の一人が「この近くに麻布の先輩が働いている出版社があるから寄ってみよう。」と言ったのです。それで、雑居ビルの二階の「小沢書店」と書かれている扉を開けてはいると、その先輩が段ボールの箱に本を梱包している最中でした。私たちの顔を見ると、奥のデスクに座っていた郁夫氏に一言二言私たちのことを説明して、「ひと段落したら手が空くから、向かいの喫茶店で待っていてくれ。」と言いました。それで、私たちが室を出ようとすると、奥にいた郁夫氏が「ちょっと、ちょっと」と声をかけて、壁いっぱいに並べてある本を指して、「欲しい本があったら、持っていっていいよ。」と言ったのです。みな高価そうな美本ばかり、畏れ多くて、「いや、結構です」と言って出て行きました。ほどなく、喫茶店に先輩が来て、現今の出版事情などを話してくれたのですが、いや、遠い遠い昔のことを瞬間的に思い出してしまいました。そういえば、つい先日、家にあった桶谷秀昭の『中世のこころ』(小沢書店コレクション)を読んだばかりでした。

  妻は外出自粛で、家でテレワークしているのですが、最近、作り方を会得したのか、狂ったようにパンケーキを焼いています。ホイップクリームやあずきをのせたり、カナダの市場で買ってきた缶入りのメープルシロップをかけたり、美味しいのでどんどん食べていると、わんこそばのようにお代わりを皿に載せてきます。さすがに食べ過ぎて、夜布団に横になった途端、ココア・パンケーキが食道を逆流してきました。で、しばらくはパンケーキ作りは自粛していますが、粉を蓄えていて、隙あらばまた焼こうとしているようです。

  コロナ鬱というのか、毎日が息苦しいようで、おまけに腰痛と痔痛で寝ながらしか本が読めず、QOLはかなり下がっています。幸い、血圧は薬のおかげで下がったままですが、夜中に緊急地震警報が鳴ったときは、びっくりして瞬間血管が切れたかと思いました。夜は酒に頼らないと眠れないが、先日は飲みすぎて目が回ってしまいました。コロナの第一波は収束に向かっていると思うが、感染の危険は強くまだ油断できません。何となく死が近づいていると思うと、一日一日を大事に生きなければと思いながら、いつもだらだらと過ごしてしまうようです。やりたいことを生きているうちにやってしまおうと思うのですが、その強い欲望がない。美食への執着もない。旅への憧れはあるが、健康が許すかどうか。音楽はネットや「アレクサ」でだらだら聴いているが(あいみょんやスピッツやジブリの曲やモーツァルトなど、他に50、60年代のアメリカンポップスとか)、これも別に聴けなくとも苦ではありません。そうなると、やはり読まずにおいた本を生きているうちにきちんと読んでおくことが最後の欲望となるようです。何を読むか? フランス語の小説とか日本の古典もよいが、常に興味を惹かれるのは思想史・文化史・美術史などです。丸山真男は、政治思想史には性欲のように強く惹かれると言っています(間宮陽介『丸山眞男』ちくま学芸文庫)。この気持はよくわかります。人間精神のダイナミズム、時代と個性の強烈な交錯など、自分の無知の心が満たされていく歓びは例えようがありません。

  丸山自身の思想史の本は、もちろん『日本政治思想史研究』(1952東京大学出版会)ですが、私はこの本を12、3年前、妻と銀座に洋服を買いに行った帰りに偶然手に入れました。暮れかかったマロニエ通りを歩いていると、銀座プランタンの横に珍しく古本のワゴンが出ていて、場所柄インテリアや写真集などの本が多いが、その中に『日本政治思想史研究』が混じっていたのです。値札は840円で、その頃どの古本屋でも決まったように1500円だったのですぐに買いました。

  ところで、最近、丸山の弟弟子にあたる福田歓一の『丸山眞男とその時代』(2000岩波ブックレット)を面白く読みました。それによると、東大で丸山は、政治学の南原繁の助手募集に応募してみごと採用されたのですが、その当時の国粋主義の雰囲気を極度に嫌うクリスチャンの南原にとって、この俊秀の助手は使い道があったのです。というのも法学部に一歩先んじて決まった文学部の日本思想史の講座をファナティックな国体明徴の右翼学者平泉澄が担当していたからで、それに対して南原は法学部の日本思想史の講座を自分に近い丸山に任せようと思っていたのでした。恩師の期待に応えようとした丸山ですが、もともと好みも研究の対象もウェーバー、シュミット、マンハイムなどの西洋政治思想史にあったので、日本思想史はお門違いでした。いざ徳川時代の儒者の書物に取り組んでも、全然面白くなく、ほとほと嫌になって、府立一中(今の日比谷高)一高の先輩である政治史の岡義武教授に弱音を吐いてみると、教授から「スコラ哲学をやるつもりで我慢しろよ」と慰められたということです。

  こうして1940年に何とか完成に漕ぎつけたのが『日本政治思想史研究』の第一章を成す「近世儒教の発展における徂徠学の特質並びにその国学との関連」で、その出来は素晴らしい。すでに古くなって、学問的には見るべき点もないとも言われますが、とんでもない。その史料的価値に疑問が持たれたにしても、『イタリア・ルネサンスの文化』や『中世の秋』がその書物としての価値を減じるでしょうか。そのような名著には著者の情熱のエネルギーが宿っているのです。

  丸山のこの論考には、急迫した時代の要請がありました。大正デモクラシーの時代は遠く過ぎ去り、世界恐慌とそれに続く満州事変、二二六事件は国体明徴派を勢いづかせ、大学に籠る穏健派を恫喝する風潮もあったのです。丸山は、日本における封建社会たる江戸時代が、何ゆえに近代社会に変貌していく過程で、自己解体し、分裂し、奇怪なものになっていくかを西欧の政治哲学の理論で解明しようとしたのです。

  早速、本文に入りましょう。まず、朱子学の復習から。戦国時代の諸子百家の論争を通じて、儒教は次第にその体系を整え、漢の武帝の頃に官学として確固たる位置を占めるに至りました。おそらく、子の父に対する服従を人倫の基本におき、君臣・夫婦・長幼のようなすべての人間関係を上下尊卑の間柄において説く儒教は、「帝王の父としての配慮と、道徳的な家族圏を脱しえず、従ってなんら独立的・市民的自由を獲得しえない子供としての臣下の精神」(ヘーゲル『歴史哲学』)によって構成された壮麗なる漢の帝国に最もふさわしい思想体系だったのでしょう。このヘーゲルの記述は、現在の中国の政治と国民の性格にも当てはまりそうです。国民を細部にまで上下の区別をつけ、その区別を確認することで精神の安定を得、同胞という概念には無縁で、市民一般の倫理には無頓着、上下関係さえ弁えていれば何をしようが自由というのは江戸時代の日本にも当てはまるでしょう。前漢以降、清に至るまで王朝は変われどヘーゲルの「持続の帝国」たる中国の根幹は変わらなかった。いや、今も変わらず、彼らには人倫や国家間の信義などは露ほども考慮に値しないのです。

  朱子学の基礎となったのは、宋の周敦頤の『太極図説』ですが、わずか238文字で宇宙から人倫まで詳にしたその精妙・壮大な結構は驚嘆に値します。これは、元々、易の繋辞上伝の「易に太極あり、是れ両儀を生じ、両儀四象を生じ、四象八卦を生ず」から来ているらしいのですが、『易経』は玄妙で難解、私は人生で何度も読解を試みたが、何度も挫折しています。それは一つの神秘主義を表していて、この世のあらゆる偶然な事象は、すでに定められたあるものとの一対一対応を持つというのです。

  丸山は『太極図説』を次のように要約します。「自然と人間の究極的根源たる太極より陰陽二気を生じ、その変合より水火木金土の五行が順次に発生しそこに四季の順環が行はれる。また陰陽二気は男女として交感し、万物を化生するが、その中人は最も秀れた気を稟けたため、その霊万物に優れ就中聖人は全く天地自然と合一してゐる。故に人間道徳はかうした聖人の境地を修得するところに存する。」

  これは流出論 emanatism あるいは発出論とも言えるもので、太古に絶対的、超越的な一者があり、それが何らかの衝動に駆られ(例えば自己の力を試すような)自分と反対のもの(悪のような)あるいは自分より低位のものを次々と産み出していくという考え方です。グノーシス、新プラトン主義にみられる思想で、プラトンの『ティマイオス』に神話的な記述がなされていますが、プロティノスはそれの逆の道を辿って人間は絶対知に至ると言いました。『太極図説』は中国思想らしく、陰陽二つの気が生じ、その二つの対立・交感によって万物を産み出すとしたのです。以上のことは、すべて、仮説としては面白いが、思想としては幼稚で、神話としてなら納得出来ましょう。

  朱子は、程伊川の論を摂取して、この太極を「天地万物の理」と規定しました。『太極図説』の流出論を希釈して、理をただ天地に太初から存在し、万物に内在するとしたのです。アリストテレスのエーテル、アナクシメネスのプネウマに、プラトンのイデアとカントの物自体の性質を合わせ持ったような概念で、これは十分考慮の基になるでしょう。朱子学の形而上性が理だとすれば、形而下にあたるののが気で、万物は理を根源とする意味で平等だが、気の作用によって差別相が生じます。人間はもっともすぐれた気を稟けているがゆえに万物の霊長となり、また差別相は人間相互の間にも生じて、聖人は全く透明な「本然の性」を有しますが、一般人は混濁した性を持つゆえにそこから数々の情欲が生まれます。この辺は『太極図説』の思想と一致します。

  朱子のこの考えの根底にはある目的が、つまり宇宙と人間を貫通する合理主義哲学を樹立するという野望があったのです。小は日常起居の修養法から、大は世界実体論に及ぶ壮大な体系です。そして、この体系は、人間にとって、ひとつのオプティミスムでもあります。聖人は充実した気を持っているが凡人はそうではない。しかし、理は気として万人に共通に分かたれており、誰しも欲望を消すことによって、聖人に至ることができる。が、このオプティミスムはリゴリズムをもまた内包しています。人は聖人に至ることができるのではなく、聖人に至らねばならないのです。拠って立つ規範がそのまま自然(本然の性)となり、自由な実践が絶対的当為として「情欲」に対立することになります。崎門派の総帥山崎闇斎は、朱子の教えを墨守して厳格を極め、弟子には他の門派の書物を読むことを禁じ、最高弟の佐藤直方でさえ闇斎の家を出るとホッと安堵したといいます。

  しかし、「天理は果たして本然の性であろうか。人欲はそもそも滅尽しうるか、また滅尽すべきものだろうか。理は一切の事物を規定するほどしかく強力であろうか。窮理が純粋に道徳的実践といへようか。人ははたして皆、聖人たりうるのだろうか。修身斉家はそのまま治国平天下の基礎となりえようか、、、」これらが、安定期に至った徳川政権下の日本の儒者たち(素行、仁斎、益軒ら)が逢着した問題でした。

  ここで、徳川封建社会で、何ゆえに儒教が官学として、また広く一般にも浸透し得たかを考えてみましょう。まず、社会の劇的な変化です。鉄砲の普及は戦術を変化させ、刀狩り•検地は兵農分離を促進させ、結果、武士が土地との直接的関連を喪失し、城下町に集中して、ここに階級制的な家臣団を形成するに至りました。福澤諭吉によれば、中津藩凡千五百人の藩士の序列は100余に及んだということです。むろん、武士のみならず、商人•工人•農民の末端に至るまで階級社会は貫徹し、人々は彼我の序列を確認することで安心できる徹底した差別社会であったのです。このような社会では、もはや「なさけ」や「ちぎり」などの主従関係の心理的支柱は失われ、単なる情緒への依存を超えた客観的な倫理が求められるのも当然でしょう。江戸の封建社会と儒教倫理の思想構造は驚くほど類型的な照応を持っていたのです。

  以上は儒教倫理が浸透する客観的条件ですが、主観的条件も存在します。日本に儒教が渡来したのは、紀元4世紀頃の応神天皇の時代らしい。しかし、儒教は日本では寺院の中での僧侶の趣味的学か朝廷の博士の漢唐訓詁の学に過ぎなかったのですが、宋学の渡来が劇的変化をもたらしました。ともに仏門の出である惺窩と羅山が、宇宙から人倫まで届く広大な程朱の学に魅了されたのですが、これには江戸幕府の祖徳川家康の強い要望もありました。家康は度々惺窩から講義を受け、彼の推挙で羅山を政治顧問としています。家康は特に、宋学の名分論に則って、武力で勝ち取った権力に永続的な権威を持たせたかったのです。これが社会の静的な身分制度とうまく共鳴して徳川政権の強力なバックボーンとなりました。

  このようにして、朱子学的思惟方法がもっとも普遍性をもったのは、17世紀初頭から半世紀の間だったのですが、その後享保時代までの五十年に安定したる江戸時代は、それゆえに大きな変貌を遂げるようになったのです。そのとき登場したのが素行、仁斎らの古学派の儒者たちで、その話は(2)で紹介しましょう。

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2020年5月 6日 (水)

4月の読書ノート

 

◎昼間出歩くのが怖いので、夜8時過ぎにスーパーに買い出しに出かけました。歩く人影もまばらで、映画に出てくる核戦争の後の街のように静まりかえっています。世界はこれからどう変わっていくのだろう。家ではテレワークで疲れた妻がゆっくりと休んでいます。一口にテレワークといっても、機器を揃えたり、部屋を模様替えしたりして、いっぱしのワークステーション並になっています。仕事中は奇声を発したりして邪魔しないようにしているのですが、妻の仕事はけっこう忙しく、夜や早朝にミーティングが入ることも多いです。私は気晴らしに将棋や囲碁のゲームなどもしていますが、最近「どうぶつの森」というゲームが話題なので、妻にきいたらすでに持っているというので、私のタブレットにも入れてもらいました。果物や魚を採ったり、家具を買ったり、友だちを作ったりするのですが、キャラクターがかわいいので癒されますが、半日で飽きてしまいました。

◎コロナウィルスですが、まさに世界は一変しましたね。先日、月一回の診察に行ったのですが、いつも混雑する西船橋駅も静かで、普段はぎゅうぎゅう詰の京葉線も楽に座れるほどです。新浦安駅から病院までの道も、いつもは通勤客でいっぱいの広い舗道は閑散としています。途中の若潮公園をゆっくり散策してから病院に入りましたが、ここも職員に感染者(薬剤師らしい)が出て一気に緊迫した空気に包まれています。入り口では、今までなら並んだ看護師さんが明るく元気な声で挨拶してくれるのですが、今日はビニールシートで覆われた入り口に看護師さんがいて、来院者の額に体温感知器を当てて熱を測っています。「37度1分です。」と言われてびっくり、私はいつも35度3分~8分なのですが、再び測ると今度は36度9分で何とか通過できました。するとすぐに次の看護師さんが私の両手に泡の出る洗浄スプレーをかけてくれました。脳神経内科の待合室は人が少なく、すぐに順番が回りました。担当の先生の話では、血圧が安定しているので、次の診察は三ヶ月後、薬は一ヶ月分しか出せないが、電話すれば簡単な問診をして毎月処方箋を送ると言われました。眼科の方は、まだ点眼薬が一本残っているので、検査を再延長してもらいました。しかし、病院の電話はなかなか繋がらず、あきらめかけた頃にやっと繋がりました。

◎ところで、フランス語の勉強のため毎月9.99ユーロ(約1300円)払って電子版のル・モンドを読んでいるのですが、2月頃はコロナウィルスの記事は隅に少しあっただけなのに、今ではほぼ毎日全ページにわたってコロナ記事で占められています。最近の記事では、すでに死者数が正確に数えられなくなっているということで、各国の死体の埋葬事情が取り上げられています。ブラジルやインドやイランでは、穴掘って埋めるだけ、親類が布に包んで埋葬場所に運んで来ます。スペインでは四角い建物の横に碁盤の目のようにスレートの蓋を被せてそこに棺を収納しています。ベルギーでは壁一杯に灰の缶を入れるロッカーのようなものが作られています。イタリアのベルガモでは、教会の中が夥しい棺でまさに溢れています。エクアドルの首都グワヤキルでは、通りを棺をくくりつけた車や遺体を満載したトラックが走っています。マドリッドでは盛土も何もない地面に遺体が埋められ、かろうじて上に置かれた一輪の花でそこが埋葬場所であることがわかります。

◎日本では(今のところ)、そのような夥しい遺体のイメージはありません。現実に死者数が欧米と比べて、一桁二桁違うのです。ル・モンドの記事は、この理由の一つを、老人が感染者であることを近所に知られることを恐れて、ひっそりと死んでいくからだろうと書いていますが、しかし、死は人生でもっとも印象深い出来事で、これを隠すのは至難です。

◎別の記事では、ル・モンドは、日本のパラドックスと題して、日本における感染者の少なさについて分析しています。日本は、もともと、パンデミックに脆い国のはずだった。老人人口の多さ、人口密度、聞きしに勝る通勤電車の混雑、それに加えて感染初期に政府の無策による失敗と出遅れ、それにもかかわらず、感染爆発は起きず、むしろ不規則に減少しているようにも見える。まさに、これはミステリーでしょう。ル・モンドは、その理由の一つに、アジアでは、2000年以来、SARS、鳥インフルエンザ、H1N1(豚インフルエンザ)に次々に襲われ、医学的、社会的に準備が出来ていたこと、そのために、外ではマスクをつけること、公共の建物に出入りするときはアルコール消毒をすることが日本人に根付いていたことを挙げています。さらに日本の街における公衆衛生、手すりや公共の備品などが常にきれいに拭かれていること、またソーシャル・ディスタンスの自然な振舞いもあります。加えて、決定的なことは、19世紀半ばから日本が欧米強国の商業的圧力にさらされたことです。この侵略は、同時にコレラ、ペスト、結核などの感染症の侵入も意味していたのです。当時の日本政府は、軍事的防御力の構築と同時に感染症に対しても研究者を結集してこの侵入に対しました。志賀潔や北里柴三郎の偉業はこうした基盤から出てきたのです。

◎以上がル・モンドの説明ですが、私もいくつか付け加えましょう。日本人が人的接触に非常にセンシティブであることは特筆すべきでしょう。自動販売機の普及は、治安の良さも原因だが、日本人が無用の人的接触を避けるのを恐れないことも大きな原因と言えると思います。また、自動ドアの普及。フランスではホテルや空港のような所でしか見られないのですが、電気代が高いというより、フランス窓のように、強くひねってゆっくり閉めるという操作に喜びに似たものがあるとも思えます。エレベーターや地下鉄の扉もいまだ手動のものが使われています。それに反して、日本では、目に見えない菌などへの恐怖が、出来るだけ接触を避けようとする努力につながっているようです。カフェやレストランで、手も拭かずにパンを千切るなどは日本人には絶対に我慢ならないことです。

◎医療崩壊は、どの国でも問題になっていますが、個人的には、国会議員などに俸給を渡すより、コロナ戦争の最前線で頑張っている職業意識高い医療従事者たちに相応以上の報酬を与えてほしい。太平洋戦争で、将官たちは安全なところにいて、航空兵を使い捨て同様に扱った愚を繰り返さないでほしいものです。

◎今や世界はコロナ後の経済の立て直しにむかっています。私は小規模事業者の経験から、家賃、光熱費、通信費、リース代など、固定経費がもっとも苦しいのがよくわかります。経済上の滑落の恐怖はコロナ同様恐ろしい。感染の呼び戻しのリスクを考えても早急に自粛解除すべきでしょう。

◎ひとすじの曙光があるとしたら、安倍政権のこれまでの隠蔽、捏造が、ここに来て真実に露わになったことでしょう。太平洋戦争で尊い命を捨てた英霊たちも、こんな日本の姿を見たら落胆することでしょう。また中国共産党の恐るべき体質が白日の下になったことも私には喜ばしい。

◎さて、図書館が予約本のみ貸出するとのことで、連絡のあったリチャード・エヴァンズの『フロムとの対話』(1970、みすず書房・牧康夫訳)を借りてきました。大昔に読んで面白かった本ですが、しばらく前に神保町の澤口書店で800円で見つけて買おうと思ったのですが、調べたら千葉の県立図書館に所蔵本があったので取り寄せてもらったのです。かなり古い本、というより忘れられた本なのですが、エーリッヒ・フロム(1900~1980)その人の本は今でもよく読まれているようです。フロムは、60、70年代にもっとも読まれた思想家といってもよいのではないでしょうか。『自由からの逃走』『正気の社会』『愛について』『夢の精神分析』、、、などなど夥しい著書が翻訳されているので、誰しも一度は頁を繰った覚えがあると思います。

◎フロムの立ち位置は、新フロイト派とフロイト左派の中間のところと言ってよいでしょう。ホルネイやサリヴァンよりも正統フロイトに近く、ライヒやマルクーゼなどよりずっと穏健です。この本は、独自のパーソナリティ理論を持つ思想家に彼自身のパーソナリティを含めて問い質していくというスタイルのシリーズで、ユングとアーネスト・ジョーンズ、オルポート、スキナー、エリクソンらの巻もあるそうです。

◎はじめに、フロイトの理論のおさらいをしましょう(私流のうろ覚えですが)。広い意味の性的エネルギーであるリビドーは、幼児期には口唇的、肛門的、男根的という諸段階を通るのですが、そのうち口唇的および肛門的諸段階はフロイトによって前性器的なものと位置付けられており、各人の特殊な性格のオリエンテーション(方向付け)は、この時期の固着によるものとされています。固着とは、リビドーがある段階において停滞することで、たとえば口唇期の授乳過多もしくは授乳不足が、後のタバコや飲み物や乳房への執着につながり、肛門期の排便の失敗は、後の吝嗇、過食などに関係します。男根期に、幼児は父親ないし母親をはじめて異性として見るのですが、ここで、エディプス•コンプレックスが生じ、それは成人期の性愛における何らかのトラウマを生じさせます。よって、人は誰も幼児におけるオリエンテーションによって不完全な成人として社会に入って行きます。彼•彼女が社会の中で、心的障害を感ずる時、分析医は夢や記憶の断片から、幼児期の固着を探り当てて、彼らが「正常な」心的状態に戻る手助けをします。(精神分析的治療、とくにその夢分析と転移などは私は到底納得できません。)

◎以上が大雑把なフロイト理論ですが、根本は快楽原則、つまり人間は常に(幼児から)快楽というモーターに突き動かされるという原理の発見にあるのです。フロイトは基本的に19世紀の人間で、機械論的、唯物論的観点から抜けられませんでした。人間を深底から動かしているものが何かあり、それを明るみに出すことで人間についての科学に終止符を打とうとしました。それは快楽原則に動かされるリビドーというモーターであり、それが力を貯める世界は無意識といういまだ発見され得なかった広大な領域なのです。フロムはこう書いています。

「私が言いたいことは、フロイトは啓蒙哲学を大いに拡大したということです。それをするために彼のやったことは、さまざまな本能的あるいは非合理的なパッションがどれだけの現実的な力を持つか、またそれらが理性によってどのように統制しうるものであるかを実証することでした。彼は少なくとも、無意識に存在するものを理解することによって、いくらかでも統制しうることを示しました。彼の合理的な接近法はなお19世紀の楽天的な気分を反映していたのです。」

「第一次大戦が実際に二百年から三百年にわたる人間文明を終わらせたとき、フロイトは、人間の生命に対するすさまじい残酷さや鈍感さによってひどく動転させられました。このことによって彼は人間の破壊性の深さに気付くようになり、人間の中には破壊しようという欲動(drive)があること、あるいは少なくとも、生に奉仕すると同じくらい死に奉仕する欲動があることを思弁するようになりました。」

◎人間の精神生活が彼の5歳までの前性器的な性的体験によって決定されるということ、人間の経験は繰り返し、固着したその時期に立ち返るということ、フロムはこのフロイトの原則に反対し、「人の経験は決して繰り返されることはない」と書いています。それよりむしろ、フロム理論は、フロイトの性的情動をそっくり消去しています。彼はフロイトの前性器的オリエンテーション、つまり口唇的、肛門的、男根的というオリエンテーションを、五つの別のオリエンテーション、つまり受容的、貯蓄的、市場取り引き的、搾取的、愛死的に分けます。これらは全く非性器的なもので、たとえば搾取的オリエンテーションは、人生のすべての段階で、物や異性を他の人から奪うことでしか受容できない性格の人間を指します。市場取り引き的オリエンテーションは、すべてを(恋愛や結婚も)等価交換で乗り切ろうとする人たちで、他は説明の要がないでしょう。

◎フロムのこのような理論、そして新フロイト派のサリヴァンやホルネイの理論、そしてユングやアドラーの理論の全努力は、フロイトから性的要素を削ぎ落とし、「文化の圧力」や「アーキタイプ」などに転換してしまうことでした。そこから「個性」「アイデンティティ」「共感」などといういくらでもごまかしのできる概念や、「男性原理」「女性原理」などという、これまた怪しげな概念が生まれてくるのです。

◎ここでアドルノの本を思い出して、妻に書庫から探し出して来てもらいました。それは『ゾチオロギカ 社会学の弁証法』(1970イザラ書房・三光長治、市井仁訳)で、その中の「修正された精神分析」の章にこんな記述があります。「修正主義者が所与のものとして前提している性格の全体性なるものは、外傷のない社会にならなければ実現されないような理想である。現在の社会を批判しようとする者は、この社会がショックのうちに経験されるという事実に対しても目をふさいではなるまい。修正主義者たちが実体化して見ている性格なるものは、持続的な経験よりも、むしろはるかに大きな度合においてこうしたショックによる産物なのである。その全体性と呼ばれているものは、つくり事である。苦しんだ挙句につねに不完全にしか癒着しない瘢痕(はんこん)のシステムが性格である、といってもよい位なのだ。こうした傷あとこそは社会が個人のうちに土足で踏み込んできた証拠なのだ。」「どこまでも人間の性(さが)の性懲りもない悪を主張しつづけて、ペシミスティックに権威の必要を説いた陰気な思想家たちーフロイトはこれらホッブス、マンデビル、サドなどの仲間であるーは、反動呼ばわりで片附けられぬものを持っている。現に彼らは自らの出身階層から歓迎されたためしがない。」

◎アドルノの本を読んでいると、若かりし自分の青年時代が思い出されます。これでもか、というぐらい本を読んだのは大学一年の頃で、その時『プリズム』という本を読んでアドルノを「発見」したのでした。アドルノの本はほとんど訳されてなく、古本屋を回って社会学の論文集のような本から彼の論稿を見つけたりしました。友人や兄と話しても、アドルノは訳の分からない本を書いているぐらいの話しか聞けませんでした。しかし、その頃の学生はよく本を読んでいた。中学、高校と同じだったKという友人の家に遊びに行った時(彼は早稲田の文学部に入っていました)、書棚にオルテガの本が並んでいて、自分はこれからオルテガの本を指針に生きていこうと思う、と言っていました。

◎なかなか読書に集中できないのは時勢柄仕方ないでしょう。最近の楽しみは家で酒を飲むことです。妻が買ってきてくれた高知の亀泉という純米酒はとても美味しかった。カナダのお土産で、Forty Creek とRoyal Crownというお酒を買ってきてくれましたが、どちらも淡白で飲みやすいがいささか物足りない。Amazonで買ったフランス直輸入のワイン詰め合わせはどれも美味しい。ビストロで飲むワインとほぼ同じ味のようです。もうしばらくは欧州に行けないのは残念だが、コロナが治まったら群馬の温泉でも行こうかと妻と話しています(たぶん行かないでしょうが)。

 

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