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2020年3月30日 (月)

コロナの陽の下に〈3月の読書ノート〉


 ◎税金の申告のため、医療費や年金の書類などを整理しているうちに、奥の箱から昔コピーした紙の束が見つかりました。遠くの図書館から取り寄せた本のコピーで、その中の一束、ベルナノスの『月下の大墓地』(白馬書房•高坂和彦訳)をパラパラ読んでいるうちに、いつの間にか、引き込まれてしまいました。ジョルジョ•ベルナノス(1888~1948)は、その当時のフランスの知識人にはめずらしく教養のない家庭で育ちました。父親はスペインに根を持つ家具職人で、北フランスの田舎に家を買い、少年ベルナノスはそこで育ちました。様々な学校を転々とし、シャルル•モーラスのアクション•フランセーズに入ってからは王党派カトリシズムの戦闘的なメンバーとして名を馳せ、第一次大戦に出征した後は、貧困と放浪の中で家族を支えるために保険の調査員をしながら、列車の中で、カフェで、ひたすら小説を描き続け、ついに38歳で『悪魔の陽の下に』を出版し大成功を収めます。私は、この本も読んだし、モーリス•ピアラの映画も観たのですが、フィッツジェラルドの『グレート•ギャッビー』同様、記憶に残るどの画面が小説か映画か分からなくなっています。映画では、ジェラール•ドパルデュー演ずる神父が、冒頭、帰宅してすぐ厚手の黒いコートを脱ぐと、コートの内側にはびっしり鋲が打たれていて、背中は傷だらけ、さらに鞭で自身の体を打ったりするのです。小説では、神父が夜道を歩いていると、馬喰の姿をした悪魔が彼に話しかける場面が圧巻です。しかし、どちらも遠い昔に読んだり観たりしたものなのでよく覚えていません。

 ◎『月下の大墓地』(1938)は、ベルナノスが家族でスペイン移住中に書かれたスペイン戦争についての政治的エッセイで、その文章の調子はきわめて激烈です。彼は、はじめは、カトリックに支持されたフランコ軍に同調していたのですが、目の当たりにした非道に怒りが爆発します。ある日、子どもを自転車にのせて村の街道を走っていると、道端に黒い蝿でびっしり覆われたファランヘ党員の兄弟の遺体が横たわっていました。その報復でしょうか、フランコ軍は、共和派の疑いのある村を襲い、就寝中の200人の村人を連れ出し、全員の頭をピストルで打ち抜きました。処刑が続いているさ中に、司祭が血の海の中で死者たちに終油の秘蹟を授けて行きます。スペインカトリックの堕落への怒りはバチカンへの糾弾まで行きつきます。時代と人間についての絶望は、彼にスターリンの粛清とヒトラーのユダヤ人虐殺の予言までさせたのです。彼は死の直前にプーランクのオペラ『カルメル派修道女の対話』の台本を書き上げました。フランス革命でギロチンにかけられた16人の修道女の信仰と苦悩の物語です。『ふさがれた道』の中でS. ヒューズはベルナノスを「時代の悪の証言者」と書いています。彼は17歳の時から絶えることのない死の恐怖を抱き続け、死の苦悶こそ人に誠実さを与えるものだとする覚悟に到達しました。ヒューズはベルナノスの生涯を「自分が失ったものがわからないで、あちこち死んだ主人を尋ねまわり、そして最後には主人の墓の上で死んでゆく犬」に喩えています。この主人とは、むろんカトリシズムであり祖国であり、夜道で悪魔(もう一人の自分)に話しかけられる自分自身に他ならないのです。

 ◎ところで映画『悪魔の陽の下に』で少女ムーシェットを演じたサンドリーヌ•ボネールはパトリス•ルコントの『仕立て屋の恋』で知られた女優ですが、彼女の監督した映画『彼女の名はサビーヌ』(2007)は自閉症である実の妹を描いたドキュメンタリー映画です。パリ15区には自閉症の人たちが演じる劇場もありますが、人口の1%の自閉症を抱えるフランスでは、自閉症やダウン症や認知障害者のための様々な政策が打ち出されているそうです。これは大統領のマクロンが妻になるブリジットに教えられていた教室に自閉症の同級生がいて、夫婦とも障害者対策に熱心だからということです。私もなぜか今まで何人も自閉症の生徒の勉強を見た経験があるのですが、先日死刑判決の出た「やまゆり園」の19人殺害事件には震撼しました。フランツ•ルツゥイスの『灰色のバスがやってきた』を思い出させる事件で、その中でも19歳で殺された美帆さんの記事は心に深くのこりました。

 ◎話は変わってしまいますが、先日(といっても1ヶ月ほど前ですが)無料の招待券をもらったので、深川の東京都現代美術館に行ってきました。JR錦糸町駅から地下鉄半蔵門線で二つ目ですが、運賃節約と健康のため錦糸町から歩いてみました。けっこう距離があって疲れたのですが、木場公園の奥にある現代美術館は立派すぎる建物で、ちょうど音と光に関する現代美術の企画展を開催していて、全然面白くなく、それでもたくさんの入館者がいたのには驚きました。しかも、その95%は女性です。常設展も覗いてみると、藤田嗣治の戦争画がありました。日本画風の「千人針」の絵や迫力ある爆撃機の絵など、これはこれで面白い。

 ◎帰りは都営新宿線の菊川駅から地下鉄に乗ろうとしたのですが、適当に歩いているうちに隣駅の森下に出てしまいました。森下には高校時代の同級生が江戸から続く老舗の蕎麦屋を継いでいます。寄ってみようかと思ったが、勇気がなくてやめました。この同級生は、冴えない高校時代の私の数少ない友人で、それだけ寛容で心の優しい男でした。何度か家に遊びに行きましたが、いつも父親が部屋に蕎麦を持ってきてくれました。三年の冬には学校の図書室でよく一緒に勉強しましたが、勉強するというよりクラスの女生徒とおしゃべりするのが目的だったようです。しかし、何という昔、何という若く活き活きした女の子たちだったでしょう! 私がこの友人に感謝したいのは、しかし、そのためではなく、彼が日本史の年表の暗記ごっこに誘ってくれたことでした。学校で購入させられた山川の薄い年表を最初のページからすべて暗記して、互いに問題を出し合うのです。彼は政治や経済に強く、私は人物や書名を隅々まで覚え切りました。二人とも希望の大学に合格しましたが、もし彼がいなかったら、私の人生は大きく変わっていたかも知れません。

  森下やその友の家(や)の鰊蕎麦

  冬の日の記憶の少女頬輝けり

  入試開く出たり蕃山『集義和書』

 ◎さて、コロナウィルスですが、ここ一月ばかり不安で、落ち着いた読書もできません。高知から米とマスクが送られてきたのでやや安心しましたが、持病持ちの私は罹患したらまず確実に死ぬと思うので、毎日が心細く、早く終息してくれることを祈るばかりです。食料の調達以外は家に居るのですが、脳神経内科の診察には出かけて処方箋をもらわねばならず、院内感染が心配です(眼科は予約を延期しました)。幸い、妻が自宅でのテレワークになったので、家族からの感染は防げそうですが、これから先、世界がどうなるのか、3•11の時以上の不安を感じます。

 ◎このウィルスは、どうも一筋縄では行きそうにありません。凶暴であり、狡猾でもあります。地域によって変異があるようで、致死率が徐徐に上がってくるようなのも不気味です。それにしても、五輪開催という事情があったにせよ、政府の無策には絶望しました。日本に信頼できる保守政党ができるのはいつのことでしょうか(たぶん無理とは思うのですが)。明治時代に、車夫の救済を訴えた車会党という政治党派がありましたが、私に同志がいれば(といっても近所の野良猫しかいないのですが)、痔友党では悲惨なので自憂党とでも名乗って、政治活動に乗り出したいところですが、いっそ血盟団のような手っ取り早い暴力組織を作るか、むろん戯言ですが、そういえば、宮澤賢治の「樺太鉄道」という詩の最後に井上という名が出てきますが、それはたぶん血盟団の頭領井上日召のことで、大乗仏教に心酔した賢治ならありそうなことです。

 ◎本の話に戻って、最近、原武史の『日本政治思想史』(2017年NHK出版)という本を図書館で借りて読んだのですが、実はこれは放送大学のテキストで、一般の人にもよくわかるように懇切丁寧に書かれているので一気に読めました。ただ、これはとても特徴的な本で著者の興味の対象である鉄道•空間•女性•天皇•朝鮮などの視点からも政治思想史が見直されているのが面白い。特に、鉄道は、私は関西の私鉄網や東京西部の私鉄各線をよく知らないので興味深かった。それと天皇制、当たり前のようなことを私は知らなかったのですが、日本の天皇が天皇である所以は万世一系、天照大神から途切れることなく続いている点で、天皇自身の資質には全く関係ない(白痴でも構わない)ということでした。

 ◎むろん、この本だけでは日本政治思想史は心許ない。昔、ノートをとりながら読んだ源了圓の『徳川思想小史』(1973中公新書)を、再び読んでみました。隅々まで目配りの効いた素晴らしい著作で、小著であるゆえに各思想家の叙述が物足りないのが欠点ですが、これはこれで愛すべき書物です。そうこうしていると、妻が書棚の奥の方から同じ著者の『徳川合理主義思想の系譜』(1973中公叢書)を探し出して来てくれました。かなり昔買った本で表紙が失くなっています。パラパラ頁を繰ってみると、懐かしや、37歳で夭折した異才安田二郎の『中国近世思想研究』(1948弘文社・1976復刻版筑摩書房)についての記述がありました。その中の「朱子の存在論に於ける『理』の性質について」という章で、安田は、朱子学の理の概念と、ギリシアやストアの哲学の「エイドス」や「ロゴス」の概念との異同について書いています。それによると、理とイデアないしエイドスは、直接感覚の対象となり得ないという点において共通点をもっている。それらは等しく考えられたものである。しかし、その「考える」ということばの意味するものは、両者において截然と分かれる。ギリシア語の「考える」はたんに概念的に考えるのではなく、本来「見る」ことを意味する。したがってイデアは見つつ考えられたものであり、「形相」なのである。しかしながら朱子学的思惟においては形が忌まれ、理は表象性を否定する。よって、理と気の関係は形相と質料という関係と全く異なる、、、。

 ◎なぜ江戸時代が思想史において重要なのか。源了圓は次のように書いています。「近世初期において仏教から儒教へと大きな精神的転回が行われたのは、うき世ということばの内容が、中世的憂世から浮世に変わったことが示すように、人々の関心が、彼岸から此岸へと移った精神的背景のもとにおいてであった。」(『徳川合理思想の系譜』)この転換期を象徴する人物が藤原惺窩(1561~1619)です。歌人定家十二世の孫であった彼は戦乱で家族を失い、相国寺の禅僧として出発しながら、還俗し、仏教にはない人倫の精神を求めて儒教、中でも宋学に興味を見いだしました。彼は朱子学の理を、天道から人心まで抱懐する、世界的な普遍性を持った思想と見做したのです。これには戦乱の世を貫く自由と進取の精神、人間の無限の可能性を信じた安土桃山の時代の精神が表れています。高弟林羅山と違って、彼は権力に阿ることなく、一人の安土桃山の人間として生きました。その高邁さは近世の思想家の中でも際立っています。

 ◎この後、丸山眞男の『日本政治思想史研究』について書く予定でしたが、長くなりそうなので、ここまでにします。コロナウィルスの話題は日々変化して、ほんとうに目まぐるしい。ここ2、3日の話では、どうもBCGワクチンがコロナに効果あるらしいという話が出ていました。感染してからの重症化を止めているという話です。確かに国別死亡率の割合からも有意なように見えます。私の小学生の頃はツベルクリン検査をやらされて、注射したところが赤くなると陽性で、赤い斑点が小さいと陰性でBCG注射を打ったのでした。教師が物差しを当てて、生徒の斑点の直径を測っていたことを覚えています。私は小3あたりの頃、検査で陰性で肩にBCGの痛い注射を打たれたのですが、高校三年の時にもツベルクリン検査があって、まだ陽性になっていない生徒はBCGを打たれていました。クラスの一人の女子が陰性で、何となく汚れない純粋な子のような気がしたのは、もちろん錯覚でしょう。

 ◎最後にまた少し本の話を。図書館が5月6日まで休館なので、昔パリで買ったRomain Gary のLes Trésors de la Mer Rouge(紅海の財宝)を少しずつ読んでいます。パリ政治学院の本屋にギャリの本が何冊もあったのに驚きましたが、フランスの植民地政策に深く精通している作家ということで納得できます。この本は、フランスの植民地であったジブチを主な舞台としていますが、そのエッセイともルポルタージュともいえる文章は鮮烈です。ジブチはエチオピアの北、紅海の下に面して、日本の自衛隊が駐屯したこともありますが、砂漠と海と暑さと貧しさで知られています。フランスの植民地に配置された駐屯兵の虚しい日常、ピエ・ノワール(アルジェリアのフランス人)の医師の献身的で自棄的な治療活動など、映画で見るアラブ社会とは大いに違っています。「アラブ世界に苦しみを引き起こしたものは、その〈美しさ〉だった。」とある駐在武官は語ります。「白衣のムスリム信者、白いターバンと白いテント、詩のような砂漠、移動する隊商、それら絵画的光景は、特に英国の士官たちを熱狂させたのだ。彼らはアラブ風衣装を身に纏ったりもした。彼らは変えたくなかったのだ、その美しさを。それがアラブの進歩を拒んだのだが。」ジブチの荒々しい自然も、ギャリの神経を昂らせます。海岸を埋め尽くす蟹の群れ。砂漠で蠢く蛇の群れ、あるムスリムが砂漠で結婚式を挙げた後、誤って砂のクレバスに落ち、助け出された時には蛇に食い尽くされて腕と足しか残っていなかったそうです。ギャリは、激しい性愛行動の果てに、互いに絡み合って、ほぐれることが出来ずに死んだ2匹の蛇を目撃しました。ギャリの自伝『夜明けの約束』ではジブチでの彼自身の結婚生活が書かれています。ギャリは、あるとき、上半身裸で荷物を頭に乗せて運んでいる若く美しい娘を見ました。さっそく部族の父親の家を訪ねて結婚の許しを乞い、当時オーストリアの皇太子だった同僚の飛行士に立合いを頼んで夫婦になります。ある日、妻が異常に咳き込んでいるので結核ではないかと疑い、知人の軍医に診てもらいます。結核ではなかったが軍医は娘の腕にできた赤い斑点を見逃しませんでした。明くる日の夜に軍医がギャリの家を訪れて、彼を外に連れ出し、奥さんは癩病にかかっていると打ち明けます。翌日娘は双胴の飛行機に乗せられてエチオピアの療養施設に送られ、以後ギャリは妻と会うことができなかったのです。

 ◎またまたコロナ禍について、今や死の恐怖もあり、家から出られないのですが、先日長男のための証明書をもらいに市役所まで行きました。コロナのために窓口が混んでいるというので別館の建物に誘導されたのですが、それを説明する年輩の職員が私の顔のすぐそばでマスク越しに大声で話すので、避けようとして離れるとまたそばに来て話す。怒鳴ろうと思いましたがぐっと堪えて別館に行くと、これまた混んでいて感染が心配になりました。長男に書類を渡してサインをするため広い店内を持つサイゼリアに入りました。まだ昼間でしたが、署名が済んで生ビールを飲んでいるうちに油断して話し込んでしまいました。長男は、母親と、三島由紀夫VS東大全共闘という映画を観てきたそうで、その頃の学生の頭の良さに驚いた、話している内容が高度でわからなかった、と言っていました。確かに、今渋谷のスクランブル交差点で馬鹿騒ぎしている若者と、安保改定反対のデモをしていた昔の学生を比べると知的深さという点では隔絶の差があるでしょう。私と同じ語学クラスのNという学生は、岩波新書を1日1冊読むというノルマを実行していたのですが、いつも私の日和見主義を批判していました。というのも私がデモとかに行かなかったのは怪我して母親に心配かけるのが嫌だったからで(実は一回だけ行った)、そのNから、バリケードで封鎖されている大学のキャンパスを守るため出て来いという電話を受けた時も、嫌な予感がしたので出かけず家にいたのですが、その夜、機動隊が学内に進入して、多くの学生は捕まり、Nも隣のイタリア大使館に塀を乗り越えて逃げ込み結局逮捕されました。その後釈放されたNは、ぐったりした顔で、逮捕拘束されたことで人生が変わるような経験をした、それは君のような人間には思いもつかないだろうと威張っていました。丸山眞男も若い頃政治集会に顔を出して検挙され深甚な精神的衝撃を受けたそうですが、それが権力への恐れと弱さにつながっているのでしょう。そんな思い出など息子に話しているうちに酔っ払ってしまいました。

 ◎今朝、志村けんの訃報が入りました。ドリフターズ見習いの頃からテレビで彼を見ていましたが、特にファンというわけではなかった。晩年になって、深夜のコント番組をよく見るようになりました。最後までコントに徹した点では、コメディアンとしてまず最高の人であったと思います。偉そうなコメントなどせず、加藤茶同様、自分が多くの人を楽しませることができることに自信を持ち、それゆえに謙虚な人間だった。多くの芸能人の感想の中で、和田アキコの言葉が心に残りました。二人とも酒が好きで、飲み屋で偶然顔を合わせることもあったが、志村はいつも静かに飲んでいた。和田が、「私がいるから気に入らないからだろうか」と言うと、「いつもこうなんです。気にさせたらすいません。」と言っていたそうです。合掌。

 

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