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2019年12月31日 (火)

師走の読書ノート(3)

今年も、あっという間に大晦日ですが、2019年は我が家にとっては激動の年でした。まず、妻の転職があり、生活の色合いがかなり変わりました(妻にとっては大変なキャリアアップです)。次に、私の転倒と鼻血の大出血と仕事からの引退、これも忘れ得ぬ出来事です。幸い、12月のMRIその他の検査では非常に良好で、むしろ人生で一番健康ではないかと思ってしまいます。しかし好事魔多し、崖に張り付いたわずかな小道を綱を伝って歩くイメージこそ今の私の心境です。

◎私がフォローしているフランス大使館のツィートが、先日の日本政府が実施した中国人の死刑執行に文句を言ってきました。フランスは、いかなる場所、いかなる状況においても死刑に反対する、というのです。フランスの歴史を考えれば「あなたには言われたくない」と誰しも思うでしょう。しかも、中国に逃げた共犯者も当地で処刑されているのにそちらには黙認のようです。あたかも自分が文明の裁判長であるごとく「野蛮な」国を叱りつけるのはどうかと思います。実は、死刑とはやっかいな、そして難しい問題であると私はいつも思っています。これは一つのアポリアといってもよいでしょう。私が、今のところ良いと思うものは、最近日本とは仲の悪いアジアの某国の死刑制度です。死刑は存続しているが、20年以上実施されていません。しかし、死刑があるということが大事で、というのも国家反逆罪や人道に反する大罪など国民に大きく害を与える罪もあるからです。昔、ジョセフ•ド•メーストルの『サンクト•ペテルブルグ夜話』を読んだのですが、ネヴァ河を下って三人の紳士が主人公の伯爵の別荘で政治的論議を交わします。伯爵は死刑賛成派で、国家のもっとも大事な役職は死刑執行人だとまで言っています。討論の相手の一人である若い騎士は、死刑があると冤罪の場合取り返しのつかないことになるのではないかと反論します。「ああ、それは問題ありませんよ」と伯爵は答えます。「死刑の嫌疑をかけられるような人間は、必ず別の所で死刑に値するような犯罪を犯しているからです。」この理論はド•メーストルにとっては少しも暴論ではありません。なぜなら、すべての人間は、原罪というアダムとイヴの犯した罪を代々背負っている死刑囚に他ならないからです。

◎昨年は、オーム真理教の13人の死刑囚の刑が執行されて、大きな反響をよびました。私も少なからず衝撃を受けて、毎晩眠りに入るときに、死刑囚一人ずつの人生を回顧して感慨に耽ったものです。というのも、彼らは(麻原を除いては)ほとんどインテリで、麻原に会わなければ殺人など犯さなかっただろうし、ということは私のような人間でも道を踏み間違えて彼らの仲間になったかも知れないのです。そして、逆説的かもしれないが、私は彼らのような人間たちこそ死刑という極刑が意味を持つと思うのです。強盗殺人や放火殺人など明らかに死刑に値する凶悪犯は、すでに死を内包しており(魂において死んでおり)、その死は骸を叩くほどの意味しか持たないのではないでしょうか。

◎最近の読書で面白かったのは『ウィトゲンシュタイン「秘密の日記」』(春秋社•丸山空大訳)です。これはウィトゲンシュタインが第一次大戦の最中の戦闘中に『論理哲学論考』をノートに書いている折、そのノートの左側に暗号で書き留めていたもので、なぜ「秘密」かというと、毎日の自慰などが正直に記されているからで、この正直さは、ノヴァーリスの日記に記されている墓石に腰かけて牛乳を飲みながらする自慰同様にある崇高さを与えているのです。ウィトゲンシュタインの日記には、戦闘中の克明な描写、兵士や上官のどうしようもない愚劣さ、病気による苦痛、友人や家族への思い、などが記されていますが、なぜキリスト教に同化したユダヤの大富豪の家に生まれ、ケンブリッジで優秀な学生であった彼が志願して従軍したか、実はその謎こそ、彼の秘密を解く鍵なのです。彼は、グラックの『森のバルコニー』の主人公グランジュ少尉と同様、戦争をイニシエーションと思って参戦したのであり、過酷な体験が自身を変容させてくれる、いや、ある決定的なイニシエーションを与えてくれると信じていたのです。

◎1921年に刊行された『論理哲学論考』はまさに革命的な書物で、彼はこれで哲学における自分の役割と、そして哲学自身も終わったと思って、オーストリアの田舎の小学校教師や修道院の庭師などをしていました(すでに全財産を兄弟や友人や詩人などに寄付していました)。しかし、1929年に、やり残した哲学的問題に気づいてケンブリッジに復学、直ちに博士号が授与され1930年から講義を始めます。大修館から出ている『ウィトゲンシュタイン全集』第10巻は「講義集」と題されていて、ムーアの記述による1930年の言語哲学•数理哲学の講義、および少数の学生相手に行われた1938年の「美学•心理学および宗教的信念についての講義と会話」が含まれています。この中で、宗教的信念について記述された箇所を見てみましょう。というのも、「秘密の日記」の鍵は、そこにこそあるからです。 ウィトゲンシュタインは参戦するときにトルストイの『福音書注釈』を携えて行きました。激しい軍隊行動の最中で、彼は「人間は肉において無力だが、霊において自由だ」というトルストイの言葉を繰り返し自身に言い聞かせていました。そして、最後には捕虜に至る激戦の中で、彼は、死を恐れず、というか死に向かって、常に最も危険な任務を志願するのです(何度も勲章をもらっています)。「日記」には「死の近さが僕に生の光をもたらす」「死こそが、生にその意味を与える」と書かれています。死こそ決定的イニシエーションの場なのです。これがゲーテの「死して成れ」の意味であり、自殺したクラウス•マンがあれほど執拗にアメリカ軍に志願して戦闘に参加した理由なのです。もっとも死に近い場所が、もっとも死を克服する場所なのです。

◎その「宗教的信念についての講義と会話」でウィトゲンシュタインは、奇妙な例え話を出しています。

〈ミッドサマー•コモン広場で縁日があるとせよ。沢山の人々が輪になって立っている。毎年こういうふうになっており、そのとき誰もがその輪の反対側に死んだ親戚の者を一人見たと言うとせよ。この場合、われわれは輪になっている一人一人に「あなたが手を組んでいるひとは誰なんですか」と尋ねることができよう。それにもかかわらず、われわれは皆、その日自分たちは死んだ親戚の者を見ているというであろう。諸君ならこの場合、「わたしは異様な経験をした。[わたしは死んだいとこを見た]と述べることによって表現できるような経験をした」ということができよう。〉

   複数の学生による講義の記述には、このような尻切れトンボの記述が多いのですが、記述自体は正確です。反対側に見た人間が本当に死んだ親戚ならば、その親戚によって見られた自分もすでに死人のはずであり、この輪全体は亡霊たちによって成り立っていることになり、それはそれで偽りではありません。この記述のポイントは、一人一人に問い質せるというところで、そうして輪全員の正体が確定してもなお、死んだいとこを見たという発言が「真実」でありうるのです。同じような例をウィトゲンシュタインはルルドの涙を流すマリア像などで語っていますが(それが本当の血の涙か赤インクか判然としても「真理」には関わらない)、それこそ宗教的言語(信念の言語と言ってもよい)の特質なのです。「記述されうること、それはすなわち起こりうることである」(岩波文庫『論理哲学論考』野矢茂樹訳)

◎宗教的信念については、ヒラリー•パトナムの『導きとしてのユダヤ哲学』(叢書ウニベルシタス•佐藤隆史訳)の第1章「ローゼンツヴァイクとウィトゲンシュタイン」に『反哲学的断章』からの興味深い引用があります。「宗教的信仰とはある一つの座標系を情熱的に受け入れる、といったことにすぎないように思われる。つまり信仰にすぎないのだが、それは実際には一つの生き方であり、一つの生の判断の仕方なのである。そういう解釈を情熱的に引き受けることなのだ。だから、ある宗教の信仰を教えこむということは、その座標系の描写とか、記述の形式であると同時に良心に語りかけるということ[win in’s-Gewissen-reden]でもあるにちがいないだろう。そして、この組み合わせによって結局、教えこまれた人自身が、自分の意志で、その座標系を情熱的にうけいれるようになるというわけだ。」(ウィトゲンシュタイン『反哲学的断章』丘沢静也訳•青土社)

◎ところで、私は大学に入ってすぐに『論理哲学論考』を買って読んでとても心を動かされました。世界は事実の集積であること、そして、すべての事実は等価であること、ある夏の午後2時に1匹の蟻が幼虫を引っ張って銀杏の木の根っこの巣に運んだこと、それが神の書物のあるページのある行に確かに書かれていること、すべては無意味ではないことの何と清々しく崇高なこと!私が沢田允茂の後期の論理哲学の授業をとったのも多分それが理由だったのでしょう。朝八時からの授業に出るためにいつも六時半に家を出なければなりませんでしたが、沢田允茂はたいてい遅刻してくるので、助手の人(名前は忘れた)が出席をとり、教授が来るまで雑談をします。なんとその助手の人はカトリックで宗教哲学を専攻にしているとか。同じ大学に松本正夫というカトリック哲学の権威がいるのになぜ論理学の方に来たのか。疑問に思ったが質問はしませんでした。沢田允茂は教室に現れると、まず助手に先週までの進捗状況を聞いて、それから教科書(A.J.エイヤーの『言語•真理•論理』でした。)を開くのですが、いつも『論理•言語•真理』とか『言語•論理•真理』とか間違えて助手に訂正されるのでした。実は、私は、松本正夫の中世哲学の授業もとっていて、しかし難解で退屈なので、教授が後ろ向きになって板書するたびに後部の扉から一人ずつ学生が脱走していくのです。失礼なことをする連中だと思っていたのですが、ある時、お腹がたまらなく空いて、仕方なく、松本教授が黒板にアンセルムスの空中人間の絵を書いている隙に教室を抜け出してしまいました。多分その日のことだとおもいますが、キャンパスの中の寿司屋で鉄火巻を注文したら、同じ語学クラスのMという学生が私に気付いて近寄ってきました。汁物付きの上にぎりを食べていたのでおどろきましたが、さらに驚いたことに、紀伊國屋で岩波文庫のヒュームの『人性論』の1~4を買ったが、家に帰ってみたら全部1だった、といって高笑いしてたことです。つまらない思い出ですが、ウィトゲンシュタインのことは遥か遠い昔のことになったある日、東京の私の事務所で、アルバイトの女子大生に記号論理学の問題を質問されて、昔のその時期が俄然思い出されたのです。あんなに懸命に勉強したのに記号の意味も忘れて、女子大生に質問しながら何とか解いてあげましたが、いや、色々なことのあった年の大晦日の差し迫ったときに何とつまらないことを思い出しているのでしょう。来る年が少しでもよい年でありますように。

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