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2019年7月31日 (水)

E.M.フォースターその他

 

      7月のはじめに、前妻から涙声で電話があり、山口県に住む彼女の末弟のF君の突然の死を知らせて来ました。まだ59歳でした。養護学校の教員をしながら広く芸術活動を続けていて、その日も、暑い日差しのなか、別宅のアトリエの庭で間近の個展の準備をしている最中に倒れたそうです。病院に急送されましたが、意識はあったものの翌朝死亡。死因は持病の心房細動によってできた血栓が脳梗塞を引き起こしたことによるものでした。長嶋茂雄元監督やオシム元全日本監督、それに小渕恵三元首相も同じ病気で倒れたそうです。長嶋とオシム両氏はまだ健在ですが、小渕氏は倒れて一ヶ月半後に亡くなりました。ちなみにオシム氏は千葉の自宅で深夜に倒れ、救急車で浦安の順天堂病院の脳卒中集中治療室に入ったそうですが、なんとそこは私が運ばれた同じ室でした。

       過ぎてしまったことですが、F君も都会かその周辺に住んでいれば間一髪助かったかも知れません。私の長男は、彼の叔父にあたるF君と特に懇意で、九州への自転車旅行の途中でF君の町に立ち寄ったのですが、そこが人気の少ないとてもさびしいところだと言っていました。やはり晩年は地方暮らしはリスクが高いかも知れません。手近にMRI や緊急処置のできる病院がないと本当に心配です。

       数日後、長男が一緒に酒を飲もうと誘ってくれて、F君の思い出に浸りました。F君は前妻の兄弟の中では随一のインテリで前妻と一番話があっていたのです。前妻は、キリスト教の勉強をしていて、田舎の俗流合理主義の親類からは疎んじられていたのですが、末弟のF君だけは彼女を理解してくれていたのです。「死んでもいいような人間が生きていて、なぜ生きていてほしい人間が死んでしまうのか」と前妻は泣いていました。

        実は、F君とは、昔、小岩の同じアパートの別々の部屋に住んでいたことがあるのです。また、F君が大学生の時、セメント袋を船に積むアルバイトで、セメント粉末が目に入って網膜剥離になった時、手術のため熊本の眼科病院まで同行したことがありました。宮崎の喫茶店でF君の最初の個展が開かれた時に花を持って訪れたのもよい思い出です。その後、F君が広島大出の奥さんと結婚するとき、フランス料理のレストランに二人を招待したこともあります。私の長男の良い友達であり、釣りや旅行に長男を連れて行ってくれました。二人の子供を愛し、養護学級の生徒を懸命に教え、猫や小さいもの弱いものが好きで、夢のような風景や動物を絵や彫刻にすることが得意でした。私が東京に帰るとき、自宅の窯で焼いたオカリナをくれたことは忘れません。その魂よ永遠に安かれ!

 

       考えれば、私自身もいつ逝ってもおかしくはありません。幸い、薬と穏やかな日常生活のおかげで小康を保っていますが、すでに幽明境を越える寝台列車の日付のない片道切符を購入しているようなもので、いや、もう発車しているかも知れず、通り過ぎる沿線の小駅のホームに死んだ人たちの面影が浮かび上がるのも不思議ではないでしょう。日曜の夕に、妻と駅前の盆踊りを見に行きましたが、矢倉の上の和太鼓の音、聞き慣れた懐かしいメロディ、無限に続くような踊りの輪の流れ、私は、ふと、昔テレビで見ていた切り絵アニメ『猫目小僧』の「祭囃子が霊を呼ぶ」というエピソードを思い出しました。土俗的なものほど怖いものもなく、華やかな浴衣が牛乳が攪拌されてバターになるように、ゆっくりと踊りの輪の中で経帷子に変わっていく幻想が頭をよぎりました。

       そういえば1ヶ月ほど前に不吉な夢を二日連続で見ました。はじめの夜の夢は、書庫にしている部屋に私が入っていくと、親類たちが集まっていて、よく見るとみな死んだ人たちばかりで、腰かけたり、横になったり、のんびりした顔で私を見ています。窓辺に座っている母が、私に気づいて、「◯◯、何やってんの、早く支度しな」というので、壁に掛けてある臙脂色のズボンを取って、慌てて身に付けようとしているところで目が覚めました。次の夜の夢は、またまた書斎で皆が集まっている場面で、お見舞いか何かで皆で車で行くことになり、私が三列シートの一番後ろに座りました。途中の道の駅のような休憩所で、私が土地の物産店のような所をのぞいて、車に戻ってみると、もう車も親類も誰もいません。あちこち探したが影さえ見えません。そこで目が覚めました。この二日続きの夢はここで終わりましたが、三日目があったとしたら、おそらく、車の行先はお見舞いでなく墓参りで、松戸の霊園に着くと、私が風を避けて線香に火をつけている間に、同乗の亡者たちは次々と墓の中に戻って、最後に墓の下に降りようとする母の手を握ると、「お前はまだ早い、死んじゃ駄目だよ」と言ってくれたかも知れません。

       最近、一日置きに睡眠不足になっているので、そんな時は意気が消沈して、スーと気が遠くなるような死にそうな気分になる時があります。偉人たちが死を予覚するということは多いらしく、自らの死亡広告文を書いた緑雨、「じゃあ死んじゃうから」と告げた露伴は有名ですが、見習うべきは哲学者のジョン・ロックです。ロックは72歳で死を悟ると、寝台から起き上がって、身なりを正し、肘掛け椅子に座ってビールをグラス半分飲んで、そして死んだそうです。

 

      ところで、話はまったく変わりますが、将棋の羽生九段も苦しんでいたようですが、私はアキレス腱炎になって、2週間ほど外出できず家に閉じこもっていました。大変な激痛で、立ち上がることも容易ではありません。ソファに横になったままでしたが、この暇を利用して、E.M.フォースターの六つの長編小説を全部読んでみました。発表順に記すと、『天使も踏むを恐れるところ』(1905)、『果てしなき旅(ロンゲスト・ジャーニー)』(1907)、『眺めのいい部屋』(1908)、『ハワーズ・エンド』(1910)、『インドへの道』(1924)、『モーリス』(1971)です。なお、『モーリス』は実際は1913ー1914年にかかれたのですが、同性愛ものだったので、作者の死後に発表されました。かんたんに感想を書いておきましょう。

      『天使も踏むを恐れるところ』…題は、アレクサンダー・ポープの『批評論』の中の「天使が踏むを恐れるところに愚者は構わず踏み込む」という詩句から取られているらしい。しかし、この警句はこの小説のみならず、フォースターのすべての長編小説にも当てはまりそうです。『天使も…』の登場人物は一人残らず愚者であり、感情移入できる魅力は全くありません。未亡人で美人のリリアは馬鹿で、旅行先のイタリアでジーノという庶民だがハンサムな若者と結婚してしまいます。リリアの義理の妹のハリエットは、頑固な国教会の信者で、その狂信からとんでもない事態を引き起こします。その弟フィリップは、イタリア賛美者だがすべてに煮え切らない青年で、結局何の役割も果たせません。主人公ともいえる近所の娘アボットは、信念がなく、気持ちがクルクル変わります。こんな風に書くと、とても読み切ることが難しい小説だと思えるでしょうが、とんでもない。ジェイン・オースティンやエリザベス・ギャスケルの小説と同じように最後まで一気に読んでしまいます。冒頭のチャリングクロス駅でのリリアとアボットのイタリア行きを見送りに来た人々の見事な場面描写、イタリアの田舎町のオペラ劇場での素晴らしい喧騒、意外で心底驚愕する場面展開、読者の裏をかく結末の意外さ、などなど、とても26歳の作者の処女作とは思えません。

        『果てしなき旅(ロンゲスト・ジャーニー)』…主人公のリッキーは作者フォースターの分身ともいえる存在で、一見主人公の成長物語とも言えそうですが、主人公は本質的に成長せず、勢いでした結婚は失敗で、最後は不慮の事故で死ぬのですが、それを悲しむ人間が一人もいそうにないのが痛ましい。ライオネル・トリリングは、この「教養小説」(主人公が様々な経験をしながら成長していく物語)がゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』のように他人を踏み台に成長するのではなく、現実に立ち向かって、そして敗れて悲劇に終わるということに小説としての本当の真実を見出しています。例によって、魅力的な人間は皆無で、途中退屈な場面も続きますが、作者とほぼ等身大の主人公の人生の旅路ということに価値があります。パブリック・スクールで暗い青春を送ったリッキーは、ケンブリッジのキングス・カレッジで、はじめて知的で活き活きとした友人たちと出会います。しかし、哲学的議論は難解でついていけず、結局、ささやかな文学趣味に慰めを見出します。不自由な足と見栄えのしない容貌で、劣等感を持ちながらもシニカルに人生を見ている。そして悲劇に終わる人生は、しかし、また私たちの人生そのものでないでしょうか。

      『眺めのいい部屋』…ずっと昔にジェイムズ・アイヴォリー監督の映画を見たことがありますが、半ば忘れている上に、忠実な映画化とはいえ、やはり小説は全く別物の感じがあります。フィレンツェの興味深い観光案内としても素晴らしいが、フォースターの小説には珍しく、感じの良い二人の若い男女が登場します。いつものようにイギリス人旅行者への皮肉、牧師への冷笑、精神性のない上流階級の人間への痛罵などありますが、ハッピーエンドで終わる読後感は爽やかです。作者の意を体したエマソン老人が洋服箪笥の上に刻んでいる警句「新しい洋服を必要とする仕事は信用するな」は、いかにもフォースターらしい。ベートーヴェンのピアノソナタ32番に始まる数々のピアノ曲の描写も面白い。

        『ハワーズ・エンド』…病床に伏しているウィルコックス夫人は、死の直前に看護婦に鉛筆書きの手紙を託します。そこには家族の住むハワーズ・エンド邸をドイツ旅行で知り合いになったマーガレット・シュレーゲルという女性に遺贈する、と書かれていました。なぜウィルコックス夫人は愛する邸宅を他人であるマーガレットに残したのか、そしてこの遺贈は本当に実行されたのか、物語はこの謎とその顛末を二つの家族を中心に掘り下げて行きます。フランス語訳のタイトルが、Le Legs de Mrs. Wilcox (ウィルコックス夫人の遺贈)となっているのも故なしとしません。フォースターの最高傑作という評価も多いのですが、私にはとてもそうは思えません。主人公の二人、マーガレットとヘンリー・ウィルコックス両名も魅力が乏しく、正反対の性格の二人が結婚するのも理解できません。他の人間は、さらに輪をかけて貧弱な性格です。エピグラフに掲げられた Only connect…という言葉もよく知られていますが、connect は動詞、only は副詞なので、リーダース英和辞典によると「結びつけよ」という意味らしい。(丁寧にもフォースターの『ハワーズ・エンド』から、と書いてあります)異質な二つのものを結びつけて有意味な一つのものを作り上げる、ということなのですが、さてどうでしょうか。読後の印象は、一対一の人間関係のほとんどが崩壊か崩壊の危機に瀕しているようでヘレンやレナードの関係も常識的にはとても納得できません。

         『インドへの道』…インド人の若い医師アジズは、英国人女性アデルへの傷害容疑で逮捕されます。裁判は、イギリスとインドの人種的偏見とも重なって、チャンドラポアの英国人社会全体を巻き込む大事件に発展します。互いに強力な弁護団を立てて背水の陣で臨みますが、意表外の劇的な結末が待っていました。アジズと、彼を信じ、それゆえにアジズのために戦う英国人フィールディングの間には複雑で深い友情が生じます。物語の最後に、英国とインドは、この地上では、永遠に理解しあえない、二つの国が完全に別れたとき、その時はじめて二人は友人になれる、と納得して二人は別れて行きます。こんなに美しい最後はないし、やはり、この小説がフォースター一代の傑作でしょう。主人公アジズの造形も素晴らしい。

         『モーリス』…前半から中頃までは退屈、後半、親友のクライヴが結婚してモーリスから離れてから話は急展開します。一人になったモーリスは鬱屈し、電車の中で目が合った老人がホモ相手だと思って近づいてくると、モーリスは平手打ちで拒絶します。鼻血を出しながら許しをこう老人にモーリスは年老いてからの自分の姿を見ます。最後はフォースター好みの下層階級の青年と駆け落ちして、一応はハッピーエンドなのですが、小説としては失敗作、ホモの読者にも不満で、作者が死ぬまで発表を手控えたのも頷けます。

 

       エドワード・モーガン・フォースター(1879~1970)は英国生まれ、二流のパブリック・スクールであるトンブリッジ校に入学、内向的で目立たない性格で、かなりのいじめにあったそうです。上流階級の大伯母の遺産のおかげでケンブリッジ大学のキングス・カレッジに入学。遺産は8000ポンドの信託で、現在だと1億五千万ぐらいか。25歳までは学資に当てられ、それ以降は年約3%の利息で暮らし、元金には手をつけない。この遺産のおかげで、いっとき古典語を教えた時があったが、基本的に無職で気楽に暮らせたようです。45歳まで小説を書き、その後はエッセイなどを書いていました。そのエッセイの中で、もっとも有名な『私の信条』を紹介しましょう。このエッセイは、あたりまえのことをあたりまえに書いて、とても易しいが心に響き、誰をも納得させうる文章であると信じます。この文章は第二次大戦直前の1938年に発表されました。

        「私は絶対的信条を信じない。」とフォースターは書き出します。つまり、頑なな政治的信条とか、宗教的絶対主義とか、排他的愛国主義などを拒否する、というのです。しかし、今は「信条の時代」で、暴力と残虐が大手をふるう時代でもあります。そんな現代で、確実なものは何なのか? それは、まず個人的な人間関係であるでしょう。一人一人は時代の政治的嵐の中で変わって行くかも知れません。しかし、人間関係自体は存続し、それを支えるのは互いの人格に対する愛と誠実さです。人を裏切ってはならず、人に裏切られないためには、自分が信頼に値する人間でなければなりません。むろん、個人的人間関係への信頼というのも絶対的信条には変わりなく、その優雅で優しい響きの裏には苛酷な恐ろしいものも秘めています。恐ろしい選択を迫られる場合もあるのです。「私は、国家を裏切るか友を裏切るかと迫られた時には国家を裏切る勇気を持ちたいと思う。」とフォースターは書いています。

        ここで、彼は民主主義に歩み寄ります。それは恋人にはなれないし、将来にもそうなることはないだろうが、他の政治形態に比べれば憎むほどではない、という程度には支持に値すると彼は言っています。「民主主義は、個人は重要なものであって、一つの文明を形成するにはあらゆるタイプの人間が必要だということを大前提にしている。民主主義は、能率優先の体制によくあるように、国民をいばる人間といばられる人間に分けたりはしない。私が憧れる民衆とは、感受性が豊かで新しいものを創り出したり何かを発見したりはしても、権力の有無など考えない人びとである。そしてこういう人びとに活躍の場が与えられるのはどこよりも民主主義国なのだ。こういう人びとのなかには、大小の新たな宗教を興す人もいれば、文学・芸術をつくる人も、利害を離れた科学的研究に従事する人もいる。あるいはただの『庶民』で、子供をりっぱに育てたり、近所の人たちを助けたりして、私生活のなかで創造的才能を発揮する場合もある。こういう人たちが、一人の例外もなく自己を表現しなくてはいけないのだが、それには社会がそうすることを許してくれなければならない。そのための最大の自由を許すのが、民主主義社会なのである。」(小野寺健訳、以下も同じ)

        「民主主義には、もう一つ長所がある。それは批判を許すことであって、もし公然と批判ができなければ、スキャンダルはかならずもみ消される。だからこそ、嘘をつくこともあれば卑俗な面もあるにせよ、私はマスコミの価値も議会の価値も信じるのだ。(…)議会に代表機関としての能力、あるいは現実的能力があるかどうかはあやしいにせよ、そこが批判とお喋りの場であり、そのお喋りがひろく伝えられる以上、私は議会を評価する。」

         「というわけで、民主主義には二度万歳をしよう。一度目は、多様性を許すからであり、二度目は批判を許すからである。ただし、二度で充分。三度も喝采することはない。三度の喝采に値するのはスウィンバーンの詩にある『自由を糧として生きるわが恋人、慕わしき共和国』だけである。」

        「一方、私は貴族制度の価値を信じる。こんな言葉が適切かどうか、また民主主義者が使っていいかも疑わしいが。私の頭にあるのは地位とか権力にもとづく力の貴族制度ではなく、感受性がゆたかな人びと、思慮のある人びと、勇気のある人びとを基盤とする貴族制度なのだ。そういう人ならばあらゆる国民の、あらゆる階級に存在するし、また時代も問わず、出会えばかならずたがいに暗黙のうちに理解しあえる。彼らが体現しているのは真の人間的伝統であり、残酷と混乱にたいする変人仲間の永遠の勝利なのだ。」

 

       以上がフォースターの大戦前の政治的表明で、80年近く隔たった今でも有効であり、いや今だからいっそう立派に屹立しているように見えます。このように素朴に率直に語ることは知識人であればあるほど難しい。本来は彼は、物事を多面的に、人間を表裏合わせて公正に書き込む作家でした。その根底には『果てしなき旅』の一節、「リッキーは人類最初の呪いに苦しめられていた。その呪いとは、聖書が示唆するように、善と悪とを知ることではなく、善でありかつ悪であるものを知ることである。」という信念があったからです。

       20世紀前半の英文学の巨人たち、ジョイス、ヴァージニア・ウルフ、D.H.ロレンスと比べて、フォースターが今ひとつ煮えきらないのは、(面白さでは一番ですが)、ここに見られる謙虚さ、穏やかさ、優しさにあるのではないでしょうか。

       今、フランシス・キングの『E.M.フォースター評伝』(みすず書房E.M.フォースター著作集別巻・辻井忠男訳)を読み終えたところですが、ここに描かれたフォースターは際立って温かみにあふれています。友人たちに援助を惜しまず、無名の詩人や作家に見返りのない奉仕をし、同性愛の愛人には、その関係が終わってからも生活上の面倒を見、死んでもなお残された家族に金銭的援助をしていました。一度知り合いになると自分からはその関係を決して崩さず、向こうが離れて行っても非難することなどありませんでした。ヴァージニア・ウルフはフォースターのことを「ネズミのように臆病な男」と言っていましたが、ロレンスもジョイスもエリオットさえも、フォースターほどの人間的度量はなかったのです。いや、文学上においても英文学がつまらなくなったのは、ロレンスやウルフやジョイス以降でしょう。フォースターがジェーン・オースティンの正統な後継者という説も的外れではないのです。

 

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E.M.フォースター 70歳でアメリカを再度訪問した時

 

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