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2019年4月30日 (火)

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

 

     暖かくなり、血圧も下がり気味なので、降圧剤を弱いのに変えて様子を見ています。どうも集中して読書ができないのですが、月末には必ず投稿しないと遠くの親類などが心配するので、何とか書くようにしています。ところで、妻が冷蔵庫の扉に張ってあるカレンダーをジッと見て、「もう平成も終わりか、、、」と呟いています。第二次ベビーブーム世代の妻にとっては受験も就職も大変な時代が続きました。そして、忌まわしい事件や歴史的な災害にも遭遇しました。令和の時代が妻にとって少しでも明るい世になることを願わずにはいられません。

 

     以下は全くの妄想ですが、先日、英国から29歳の女性が一週間の予定でホームステイに来ました。痩せて背が高く、白い顔はむしろ青白いと言ってもいい。やや茶色の髪、鼠色の瞳は伏し目がちで、ほとんど一言も話しません。1818年生まれのエミリー・ジェーン・ブロンテと名乗りましたが、なんと、ホーキング博士の予言に反して、未来にタイムマシンは完成していたのです。ぽつりぽつりと話してくれたことによると、未来から来た専門のタイムトラベラーの誘導によって、好みの時代にワープできるのですが、歴史事実を損壊しないために、タイムトラベル時の記憶はすべて消されるそうです。むろん、クリップ一つも持ち帰ることは禁止されています。

 

      このタイムトラベルの仕組みは、実はある発想の転換があって、体を移送させるのではなく、魂の移動、あるいは観念の転送とも言えそうなのです。しかし、むろん、目の前のエミリー・ブロンテは現実の人間にしか見えません。もし、そうなら、1848年4月の時点で、『嵐が丘』出版から5ヶ月後、エミリーが亡くなる1848年12月まであと8ヶ月しかありません!

 

      エミリーは伝えられている通り、寡黙で、うつむきがちで、余分なことは一言も話しません。でも、私たちの猫のルーミーがソファに寝ていると、和んだ気持ちになって、しきりに愛撫しています。私は、彼女の言葉、「猫は人間に似ていて素晴らしい、感謝を知らず、偽善的で残酷だ」を思い出しました。最初の夜、居間の隣の書庫の小部屋をエミリーの寝場所にしたのですが、朝になって、ルーミーがその部屋から出て来たので驚きました。聞くと、夜中にエミリーの布団に入って来たとのことです。

 

      朝は、妻はコーヒーだけしか飲みませんが、私はクロワッサンとバナナとヨーグルトを食べます。エミリーにも同じものを出すと、しっかり全部食べてくれました。朝食後、妻が出勤するとき、ルーミーが妻の腕を両手でブロックして行かせないようにするのですが、エミリーはそれを見て初めて笑いました。それから、すぐ近くの図書館に行く途中、ヤギを飼っている保育園の横を通るとき、金網越しにいつまでもヤギを見つめていました。エミリーは動物が大好きで、人間が苦手なのです。見知らぬ人には全く口を開かず、周りからなんと言われようと気にしません。人間が嫌いというわけではなく、人が自分の心の領域に入って来ることが我慢できないのです。冷たい人間のように見えるが、当たり前の人間、とくに虐げられた、不幸な人たち、障害者、罪人には温かい眼差しを向けています。

 

       図書館では、外国語の本のコーナーで、ペーパーバックの『嵐が丘』を見せてやりました。1848年4月の時点では、つまりビクトリア朝の文芸批評のレベルではまだ全く理解されていなかったのですが、今や、ミルトンやサッカレーを凌いで、シェークスピアの名作に肩を並べるほどの名声を勝ち得ていると話すと目を丸くしていました。それから私は彼女を図書館の奥のコーナーに連れて行って、英米文学評伝叢書を手にとって、そこに引用されている19世紀最大の詩人の一人スウィンバーンの書評を読んであげました。「エミリの情熱的な偉大な天才の中には、姉に見られないような、原始的な自然崇拝のような暗い無意識的な本能がある」と。

 

      また、私は同じ叢書の中のロシアの著名な文学史家D.S.ミルスキーの批評を紹介しました。これは素晴らしい書評です。「私はこの作を19世紀最大の小説の一つとすることに躊躇しない。創造的精力の点からのみ言えば、エミリはバルザックやドストエフスキイなどに比肩する。『嵐が丘』より偉大な小説は幾つかあるが、かくの如く精神的な熾烈さと芸術的技倆との二つの性質を同等に併有する作品は、ほかには『罪と罰』くらいなものであろう。しかし、エミリには他の大作家に見られない一つの特質がある。それは金属的な非人間的な性質だ。大作家の有する人間的なアッピイルは『嵐が丘』には全くない。アリストテレスが悲劇に必要だと考えた二つの要素のうちで、憐愍という要素は欠けていて、全篇がただ超人間的非人間的自由という理想を実現しようとする偉大な努力となっている。読者は大台風か雷雨か、あるいは雪に蔽われたピレネエの連峰にでも対するような驚嘆に動かされるのみである。」(研究社英米文学評伝叢書ブロンテ姉妹・石井誠著)

 

      私は、またエミリーにディヴィッド・セシルの『イギリス小説鑑賞』(開文社・鮎沢乗光、都留信夫、冨士川和男訳)を読んでやりました。セシルは、『嵐が丘』の背景を、嵐に痛めつけられた荒野、淋しい谷間で営まれる粗野で、変化のない生活、限られた興味と、抑圧されることのない情熱、複雑で悪霊のはびこる空想とからなる原始的な生活、家同士の反目が何代にもわたって続き、生活全体が気狂いじみた狂暴さでひとつの目的に集中する生活と説明した後で、こう続けます。

 

      「彼女は姉のシャーロットとは違って、こうした生活から目をそらせて、外の世界に思いを馳せたりしなかった。彼女は幼年時代を過したこの土地に住む残虐な人種と、彼女自身のさらに残酷な親族たちだけから人間像を引き出した。だから、ディケンズやサッカレーの描く生き生きした絵巻に親しんだ目からみると、彼女の描写はどう控えめにいっても異様である。19世紀の中産階級イングランドのもつあの騒がしく、散文的で進歩する世界などは、彼女の視野には全く入らない。結局、そうした世界を知らなかったからこそ、彼女は他のヴィクトリア朝作家たちと違って、そうした世界の人々を喜ばすために書くことをしなかった。・・・世界を見つめて彼女が自問するのは、世界はどのように働くのかとか、世界はどのような多様な姿をとるかではなく、世界の意味はなにかということである。このような問題には他のヴィクトリア朝作家は誰一人関心を示さなかった。」

 

       私は、それから、エミリーを明るく広い児童図書室に連れて行きました。そこで、ジョーン・エイキンの『子どもの本の書きかた』(晶文社セレクション・猪熊葉子訳)を見せて、「ここに引用されている箇所が、ブロンテ姉妹について僕が一番好きな文章だよ」と言いました。姉のシャーロットが12歳、エミリーが10歳、末のアンが8歳のとき、この三人はエジンバラで発行されている「ブラックウッド・マガジン」の到着をいつも心待ちにしていたのです。

 

      「パパがどれほどの熱心さで包装を破り捨てたか、私たちがどんなに期待にみちてまわりを取り巻いたことか・・・だれもこれほど普遍的な問い以外のことを話したり、書いたりすることができるとは考えられない。」 (シャーロット・ブロンテ「島人の物語」)

 

      「ブラックウッド・マガジン」は、政治、社会、事件、小説などを掲載した雑誌で、シャーロットと長男のブランウェルは、あまりに夢中になったので、自分たちの「ブラックウッド・マガジン」を作って遊ぶまでになりました。姉妹たちは、他にイソップ寓話、バイロンの作品、ゴールドスミスのローマ史、アラビアン・ナイトなどが好みでした。そして彼らは、空想上のアングリア物語、ゴンダル物語など、独立した空想上の王国を創作して遊んでいたのです。

 

       その後、私はエミリーを近くのショッピングモールの中のスターバックスに連れて行ってコーヒーを一緒に飲みました。「名誉欲など朝の訪れとともに消えてしまう夢」と詩に書いたエミリーですが、やはり後世の評価は気になるようで、ほかに特筆すべき批評はあるか、と聞いてきたので、C.P.サンガーの有名な「『嵐が丘』の構造」という論文について話しました。サンガーは小説に出てくる植物や自然の植生などが非常に正確なこと、動産や不動産の法律知識なども誤りはなく、二つの家族の構成もきれいなシンメトリーで成り立っていることを証明したのです。

 

      私は最後に、サマセット・モームの『世界の十大小説』についても教えました。これは「小説の世紀」というべき19世紀の代表的な傑作を十篇選んだものです(フィールディングの『トム・ジョーンズ』のみ18世紀の作品ですが)。よく知られていますが、改めて引用してみましょう。

         フィールディング『トム・ジョーンズ』

         ジェイン・オースティン『高慢と偏見』

         スタンダール『赤と黒』

         オノレ・ド・バルザック『ゴリオ爺さん』

         チャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』

         ギュスターヴ・フロベール『ボヴァリー夫人』

         ハーマン・メルヴィル『白鯨』

         エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

         フョードル・ドストエフスキー『カラマゾフ兄弟』

         レフ・トルストイ『戦争と平和』

 

       紀田順一郎は、どこかで確かこんなことを書いています。若い頃はモームの『世界十大小説』など馬鹿にしていたが、歳をとってみると、これはなかなか吟味された良い選書だと思うようになった、限りある人生で生活に追われてゆっくり読書する余裕のない人でも、例えば『罪と罰』『悪霊』『白痴』などは読む暇はないが、『カラマゾフ』だけ読めばドストエフスキーの何たるかは十分にわかる、というのです。このことは、『赤と黒』や『ゴリオ爺さん』など他の作品にもあてはまるのではないでしょうか。

 

        ところで、モームは、この十大小説の中で、とくに出自の異なる別種といってよく、その後継も生まれ得ない三つの小説群を特筆しています。すなわち、それは『白鯨』『嵐が丘』『カラマゾフ兄弟』で、これが19世紀の小説ベスト3とも言えましょう。この三つは人生の意味を超えて、宇宙的規模で人類に何かを問いかけた小説たちなのです。

 

        ホームステイの間、私たちはエミリーを、ファミリー・レストランや公園やユニクロや新宿の雑踏の中にも連れて行きました。エミリーの故郷のヨークの荒地も孤独だが、蝟集する群衆の中にも孤独は感じられます。期限が来て、エミリーが私たちの元を去るとき、ルーミーが淋しがって彼女の腕を両手でブロックしていました。エミリーはこの年の12月に、樋口一葉と同じ奔馬性結核で30歳で亡くなくなるのです。ストレプトマイシンが出現して結核が不治の病でなくなるのは、『嵐が丘』刊行のちょうど200年後の1947年でした。

 

      最後に一つ。『嵐が丘』については、20世紀に入ってからも、マルクス主義批評、構造主義批評、精神分析批評、脱構築批評など出てきましたが、いずれも読んでいて面白くありません。『嵐が丘』は今では大学の教師や院生や学部生に飯の種と成績の種を与えるのみで、彼らはエミリー・ブロンテに足を向けては寝られないでしょう。文学を方法論的に考えるのは愚かなことではないでしょうか。

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