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2018年7月 6日 (金)

病み上がりのパリ(2)バルザックとロッシーニ

6月16日(土)

   機器の故障で、出発が遅れ、温かい飲物が提供出来ず、手洗いの水も使用不能だったことで、エール・フランスからお詫びのメールが来ていました。しかし、一通のメールで事足りるとするのではあまりに不遜です。せめてスタバのコーヒー一杯無料券ぐらい配るのが筋というものでしょう。
   昨日は疲れすぎてあまり眠れず、二人とも朝5時すぎに目が覚めてしまいました。コーヒーと紅茶を入れて、昨夜モノプリで半額で買ったパン・オ・レザンを半分ずつ食べました。7時半にホテルを出てモンジュ広場へ。月に一度週末に古本市が開かれるらしいので行ってみたが、何もありません。よく考えたら、早朝から古本を買う人もいないでしょう。気を取り直して、モンジュ通りをしばらく歩いてモベール広場へ。ここは木曜と土曜に市が出ます。小規模の市場ですが、けっこう買い物客が多い。市場に面して店を出している鶏肉屋からは、もう美味しそうな匂いがしています。「あれが食べたい」と妻が指差した骨つきもも肉(1.9ユーロ)を二つ買って店を出ようとすると、白いあごひげを生やしたみすぼらしい老人が、ケースの中の手羽先を指差して、私たちに向かって「これは美味い、これは美味い」と言っています。どうも手羽先を買ってほしいらしいが、むろん無視しました。

   その並びのパン屋でクロワッサン(1ユーロ)を二つ買って、歩いてすぐのクリニュー公園のベンチに腰掛けて食べました。骨つきもも肉もクロワッサンも熱々で素晴らしくおいしく、妻が感嘆の言葉をあげています。先ほどの手羽先をねだった老人もきっと食べたかったんだろう、買ってあげればよかったかな、と思いました。クリニュー公園は細長くとても狭い公園で、鳩が何羽か、私たちの周りを遠慮がちに囲んでいます。

   お腹がいっぱいになったので、サン・ミッシェル通りのSNCF(フランス国鉄)の支店へ。実は大分前に6月20日(水)ルーアン行きの往復切符をネットで買った(二人で40ユーロ)のですが、パリ行きの一週間ほど前に、SNCFからメールがあって、帰りの切符だけ annule(取り消された)とのこと。それで、前後の列車を探したが、ネットではなぜか変更できなかったのです。妻はオデオン座で働く友人のJ...さんへ問い合わせたところ、おそらく手違いだろうが、今はスト中なので何が起こるかわからない、ホテルから5分のところにSNCFの支店があるから聞いてみれば、と言われたのです。それで、サン・ミッシェル通りの支店をたずねたところ、人が二人ほど入口の前に立っていて、ドアに張られた紙を見ています。何と、今日は休みにするとのこと、例によって理由などは書いてありません。入口に立っていた老女が、「さっき来たら、いきなり紙が張ってあった」と半ば諦めたように私たちに向かって言っています。これでは仕方ない、月曜日にサン・ラザール駅まで行って聞いてみることに決めました。

   ところで、今回のストは4月から6月まで二日間ストの後五日間正常というサイクルで行われています。私たちに関係あるのは17(日)18(月)22(金)のみですが、コメディ・フランセーズがストの日の公演を中止したりしているので、日曜のゴルドーニ『抜け目のない未亡人』を観たかったが、心配でチケットは買いませんでした。一般にフランス人はストに寛容と思われているようですが、今回は労使の歩み寄りは期待できず、期限いっぱい続きそうで、さすがに国民も国鉄職員も気疲れが見えてきました。強力な国鉄労組に対して同情など持てず、さらにフランス国民の最大の関心ごとであるバカンスに抵触するかもという危惧もあるのです。

   それから、ジベール・ジョセフでバスの地図を買って(以前買ったものはボロボロになったので)、クリニューから70番のバスに乗ってバルザック記念館に行くことにしました。バスの終点であるラジオ・フランスの近くにあるのです。ところで、70番に乗ると、席はちらほら埋まっていて、空いている四人がけの席に座ろうとして、ハッと身を引きました。何と、床にとぐろを巻いたウンコがあるのです。それを避けて、横の二人がけの椅子に座っていると、後から乗って来る人もみなびっくりしてその席を避けています。しばらく後に乗ってきた老婦人が、ウンコを蹴飛ばしているので、よく見るとオモチャでした。日本ではまず引っかからないイタズラですが、道にふつうに犬のウンチが落ちているパリではバスの中にあってもおかしくないと思ってしまいます。

   70番のバスには初めて乗りましたが、このバスはオテル・ド・ヴィル(パリ市庁舎)を出発し、サン・ジェルマンーオデオンを通り、サン・シュルピス寺院の横をすり抜け、パリの南部をゆったりと走って、セーヌ河をグルネル橋で渡ります。あまり混雑せず、観光客もほとんどいない路線で、私はたいへん気に入りました。セーヌ河を渡ると、後ろの席の幼児が「ラジオ・フランス! ラジオ・フランス!」と叫んでいます。前方に、丸く特徴ある大きな建物が終点のラジオ・フランスで、ここはフランス国立管弦楽団の本拠地であり、France Inter, France musique(クラシック),France Culture などで私には馴染み深い。

  それにしても何という良い天気でしょう。ラジオ・フランスの停留所には、バルザックの家へ行く矢印が付いており、その方角へ坂を登って行くと、西方に開けた坂の上からエッフェル塔が美しく立ち上がるのが見えます。パリは私たちが到着する前日まで雨が続いて天気が悪かったそうです。一週間ほど前に、J...さんから、パリ滞在中、隣の人とするバーベキューパーティに参加しないかというメールが来たのですが、妻は行きたがっていたが、私が渋っているうちに、天候不順が続くので中止になってしまいました。「コミュ障にも困ったもんだ」と妻は私にあてつけて言うのですが、わざわざパリまで出かけて、なぜ初対面の人たちとバーベキューをやらなければならないのか私にはわかりません。気苦労はするだろうし、そういうところでは国際標準語である英語が活躍するだろうが、仕事で英語を使う妻はともかく、会話力は日本語すらもどかしい私には楽しい時間を過ごせるとは思えません。

   バルザックの家(Maison de Balzac)。坂上から急な階段を降りて行くと芝生の上に緑色の平屋の建物があります。入館料は無料ですが、見学者はごくわずかです。展示は、バルザックの使用した家具、彼の筆蹟、胸像、版本、人間喜劇の登場人物ほぼすべての肖像を焼き付けた陶器、などです。バルザックの作品の多く、少なくとも主要作品のいくつかを読んだ人でなければ面白くないでしょう。私はこの16区の静かな住宅地に立つ緑色の慎ましい建物と、その広くない芝生の庭、人を驚かせない謙虚な展示、パリを見渡せる素敵な眺望、が好きになりました。

   また70番のバスに乗ってマザリーヌ通りで降りて、近くのカルフールで牛乳、サラダ、ヨーグルト、水、ビールなどを買ってホテルに戻りました。8時からのシャンゼリゼ劇場でのオペラのため昼寝しようと思ったのです。寝過ぎると疲れが出るから2時間で起こしてと妻が言うので、二人とも5時前に起きました。それでも、昼寝をしたら一気に疲れが出たのか、妻は、できるならホテルで休んでいたいと言いだしました。しかし、そういうわけにもいかず、だらだらと出発の準備。和服の着付けが思ったより早く済んだので、妻がコーヒーを飲んでいる間、私がロッシーニの『チェレネントラ La Cenerentola』のあらすじを大急ぎで説明しました。

   ラテン系の民族はファンタジーが苦手ですが、とくにイタリアはその傾向が強い。シンデレラの物語も、イタリアに来ると、カボチャの馬車も妖精の老婆も登場せず、ガラスの靴さえ普通の腕輪に変えられてしまいます。前妻の娘チェレネントラは、後妻とその二人の娘にいじめられ、一日中、掃除や洗濯や料理に追われています。折も折、お城の王子の結婚相手を探すべく、王子の家庭教師が乞食に変装して娘のいる家を訪問しているのですが、チェレネントラの家にもやってきて、意地悪な姉妹に追い返されました。ところが、チェレネントラはパンと飲み物でその乞食(実は家庭教師)を暖かくもてなします。またまた折も折、お城の御触れ係が各家を訪問し、王子が結婚相手を決めるべく舞踏会を催すと告げるのです。絶好のチャンスと姉妹は張り切りますが、チェレネントラには家で留守番を言いつけます。

   家庭教師からチェレネントラのことを聞いた王子は、従者に変装してこっそりチェレネントラに会いに行きます。意地悪な姉妹は従者ということで全く相手にしませんが、チェレネントラと王子は一目見て互いに心を奪われます。舞踏会の日、姉妹は王子に変装している従者に、それとは知らず媚びを売ります。留守番を言い付けられたチェレネントラに、家庭教師がきれいな服を用意してお城に連れて行きます。着飾ったチェレネントラは姉妹にも誰にも気付かれません。チェレネントラは従者(実は王子)に再会し、王子は彼女に目印の腕輪を贈ります。舞踏会の翌日、腕輪の持主を探し、王子はついにチェレネントラを見つけます。ここで、初めて従者が実は王子であったことがわかり、姉妹もチェレネントラも驚きます。結婚式が行われ、チェレネントラは意地悪な姉妹を許して、壮大なハッピーエンドとなります。

   63番のバスで、クリニューからイエナに向かいます。開演前にブランドの本店が軒を連ねるモンテーニュ通りを散策しようとしたのですが、あまりに場違い過ぎて早々に諦めました。シャンゼリゼ劇場の前は、まだ開演40分前なのに人が大勢集まっています。前回は日本人が一人もいなかったのに、今回は一人で来たらしい若い日本の女性がいました。いよいよ開場、私たちは案内係りに誘導されて左手のボックス席に入りました。9人入る部屋で、私たちは前から三列目ですが、34ユーロの席なので贅沢は言えません。特徴的なのは観客のほとんどが案内係の女性にチップをあげていることです。しかもその渡し方が実にさりげない。案内係の女性も小さなポシェットを携帯していて、そこにお金を入れています。先ほどの若い日本女性も財布から小銭を出して渡していました。実は、パリ・オペラ座やバスチーユ・オペラ座は国立なので案内係は国家公務員で、とくにチップの必要はないのですが、シャンゼリゼ劇場は民間の団体の劇場なので、チップは大事な収入源らしいのです。そういえば、会員になって会費を払ってくれという案内がシャンゼリゼ劇場から来ることがあるのです。

   ここは本来はクラシック音楽の劇場で、年に数回オペラを上演するのですが、開演前の舞台には、すでにオーケストラがいっぱいに陣取って音合わせなどをしています。普通は下のオーケストラボックスで演奏するので、舞台を占拠していてはオペラを上演するスペースはあるのだろうか、と心配していると、時間になって、指揮者が壇上に上がり、ロッシーニ『チェネレントラ』の序曲が始まりました。劇的な展開を予想させるスピード感のある調子、メリハリのついた飽きさせない音楽で期待は嫌が応にも高まります。序曲が終わると、意地悪な姉妹が登場して、素晴らしい歌声が沈黙を切り裂くように響き渡ります。衣装は現代風で、極めて簡素です。オーケストラの前の狭いスペースで歌うので、ピアニストにちょっかいを出したり、指揮台に上ったり、喜劇なのでやりたい放題です。

    私たちの部屋ですが、オペラが始まっても私たち以外誰も来なかったので、一番前の席を独占してしまいました。ステージがとても近く感じ、歌手の表情までしっかり読み取れます。これまでのオペラ鑑賞で一番臨場感ある席になって、開演からしばらくは舞台に釘付けになりました。しかし、しかし、ここで時差ボケによる疲労が一気に来て、妻も私も抗いがたい睡魔に襲われました。10時の幕間休憩の時に、ついに耐えきれず途中退場してしまいました。今考えても本当に残念なことでした。イエナから、また63番のバスで帰り、11時過ぎにホテルに帰って、ビールも飲まずに寝てしまいました。

   

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ホテルからすぐ裏のトゥルヌフォール通り。バルザックの時代にはヌーヴ=サント=ジュヌヴィエーヴ通りという名前でした。この通りの24番地に『ゴリオ爺さん』の主要舞台となる下宿屋ヴォケール館があったこととなっています。

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トゥールヌフォール通り25番地、メリメが1820年に住んでいたというプレートが張られています。この向かいがヴォケール館の場所。

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モベールの市場。小さな規模だが、場所がら観光客の姿も多い。

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「バルザックの家」の入口。無料だが来場者はとても少ない。

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バルザックの椅子。いかにも座りやすそう。彼は一晩に50杯のコーヒーを飲みながら執筆していました。

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バルザックの胸像。

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シャンゼリゼ劇場の左側ボックス席。前の二つが空いたので絶好の席に座ることが出来ました。歌手もオーケストラもすぐ近くに見ることができました。

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ジベール・ジョセフで5.4ユーロで新しく買ったバスの本。パリのバスを乗りこなすためには、全部の停留所、ルートの地図、日曜日に走るか、夜間も走るか、それらが全て載っているバスの本が不可欠です。

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