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2018年7月29日 (日)

病み上がりのパリ(8)帰国、ガリエラ美術館

6月22日(金)

   チェックアウトは12時なので、ゆっくり部屋の整理や土産物のパッキングをしました。12時少し前にロビーに降りて清算。飛行機は夜10時半発なので、荷物をレセプションに預けて、身軽になって外に出ました。どこに行こうか全く決めていず、歩きながら考えました。リュクサンブール美術館ではティントレット展を開催していますが、私はヴェネツィア派は好みではありません。それで、まだ行っていないモンパルナス墓地に行くことを妻に提案したところ、そこでもいいというので、モンパルナス方面に足をむけました。

   ところが、モンパルナス大通りに差し掛かったところ、急に妻がガリエラ美術館に行きたいと言い出しました。ガリエラ宮の美術館は企画展の時のみ開場するので、どうかと思ってネットで調べると、 マルタン・マルジェラの回顧展をやっています。それでは、そっちに行こうと決まりましたが、お腹が空いてきたので、モンパルナス大通りにあった軽食屋でサンドイッチと缶ジュース(セットで5.4ユーロ)を1人ずつ注文しました。ハムと卵のサンドはとても美味しかったので、少食の妻も全部残さず食べていました。この店は通りに開け放たれていて、労働者や学生が黙々とお昼を食べています。

   ヴァヴァンの交差点から82番のバスに乗って、イエナへ。金曜日だからでしょうか、結構混んでいます。そこに、ムク犬を連れた30歳ほどの太った男が乗って来て、私たちの斜め前の空いている席に強引に座ってきました。リードでつながれたムク犬はジャンプして、飼い主の懐にしがみついています。あまりにかわいいので写真をとりました。フランスでは原則として犬はどこでも連れて行って構わないようです。

   イエナに到着。すぐ近くのガリエラ宮に向かって歩き始めたところ、妻が「装飾美術館と間違えた!」とカン高い声を出しました。衣服やインテリアなど装飾美術館とモード専門のガリエラ美術館とでは大分違います。しかも、妻は以前装飾美術館に行ったことがあり、しかも装飾美術館はルーヴルの隣ですから場所も全然違います。間違えるとは信じられません。私には、しかし、どうでもいいことで、ガリエラに行くのは初めてなので、このまま入ってみることになりました。私たちの声に気づいたのか、少し前を歩いていた30歳前後のいかにも洗練された上品な女性が振り返って私たちを見ました。どうも日本人らしい。その女性の後についてガリエラ宮の庭に入ると、その女性は戻って来て、入り口は反対側らしいです、と私たちに教えてくれました。ぐるっと回って入り口に向かう途中で話を聞くと、フランスに一人で来て、明日日本に帰る予定だそうです。
    一人10ユーロ払って入館。ベルギー出身のデザイナー、マルタン・マルジェラの1998〜2009の20年間の初の回顧展だそうです。(マルジェラは2009年に引退しましたが、ブランドはメゾン・マルジェラとして日本にもいくつか支店は残っています。現在のデザイナーはジョン・ガリアーノです)実は、マルタン・マルジェラという名前は私には初耳で、ベルギー派のデザイナーといえば将棋の佐藤天彦名人も愛用するアン・ドゥムルメステールしか知りませんでした。しかし、それほど大規模でない展示を見ただけでもマルジェラというデザイナーの革新的なところがわかります。展示は年代順に代表的なスタイルを並べ、またその時のコレクションのビデオなども流されています。

    ところで、むろんマルジェラの展示も刺激的だったが、私たちを驚かせたのは来場した客のコスチュームでした。半分ほどはアジア系でしたが、皆例外なく、斬新で目を惹く格好です。既存の店で揃えたような安直な服を着ている人間など一人もいません。異様に長いドレス、腰巻を巻いた男性、ターバンのようなものを垂らしている女性など、明らかに手づくりとわかる装いです。わざわざマルジェラの展示を見に来たのですから、ファッションに意識が低いわけはありません。それにしても、あまりに個性的な洗練さに目からウロコが落ちる思いでした。というのも、その中に一人、異様に浮き上がっている格好の見学者がいたからです。ユニクロっぽいファストファッションを無定見に着ている男、マルジェラを見に来たとは思えない安直な服装の人間、なぜこんな人間が紛れ込んできたのか疑問を持たざるを得ない俗っぽい安物の服を着た男、もちろんそれは私ですが、実際、展示を見ているうちに自分が恥ずかしくなりました。

  考えてみれば、自分はファッションについて、ほとんど何も考えていませんでした。大学に入るときに銀座の三越でVANのジャケットを買って以来、だいたいアイビーっぽいスタイルが理想であり、自分に合っていると思い込んでいました。それから何と数十年、なんの反省もなく、思考停止のまま、今ではトラッドっぽくあれば安手のファストファッションでも平気で着ていられるのです。服装にかける金額も限りなく小さくなっています。しかし、ファストファッションや安手のスーツ、安直なネクタイを身につけた人間は、ヘンリー・ミラー風にいえば、毎日精神的に自殺しているようなものだと言えるかも知れません。服装への意識の低さは自身の内面の傲慢さの現れでしょう。確かに、メゾン・マルジェラやアン・ドゥムルメステールを買うためにはユニクロに0を二つ加えねばなりません。だが、一月分の給料を払っても買い続ける人たちがいるのも事実です。 昔読んでうろ覚えですが、ミシェル・レリスは『成熟の年齢』の最後に、知人から「なぜ、いつも変な格好をしているのか」と問われて、「それは自分を守るためだ」と答えています。守るべき高貴さを持てなければ服装には何の意味もありません。

   帰りはイエナから63番のバスでクリニューへ。この辺りで、足りない土産を買い足してホテルに向かいました。預けていた荷物を受け取って82番のバスでポルト・マイヨーへ。バスで無事空港に着きましたが、結構混んでいます。出国カウンターで、中国人旅行客が何人も出国審査で長い間調べられていました。搭乗時にいつも新聞を無料でもらえるので楽しみにしています。ル・モンド、レコー(経済紙)、クロワ(カトリック紙)などで、ビールを飲みながら読んでいるうちに寝てしまいました。羽田到着後、京浜急行で帰途へ。猫に会うために自然と足取りは速くなります。今回は1日も雨に降られなかったのですが、何より大事に至ることがなかったのが幸運でした。何事もない、というのが難しいことで、常に付きまとう緊張感が海外旅行の醍醐味でしょう。出国、帰国の煩瑣な手続きも、実務能力の高い妻がいたらばこそです。しかし、ほんとうに疲れた、しばらくはルーミーとのんびり過ごしたいと思っています。

    Le  seul veritable voyage,  ce  ne  serait  pas  d’aller  vers  de nouveaux  paysages,   mais  d’avoir  d’autres  yeux,  de  voir  l’univers  avec  les  yeux  d’un  autre,  de  cent autres,  de  voir  les  cent  univers  que  chacun  d’eux  voit,  chucun  d’eux  est.

                         MARCEL  PROUST
       A  la  recherche  du  temps  perdu

   唯一のほんとうの旅、それは新しい土地に行くことではなく、他者の眼を持つこと、もうひとつの、100もの眼で世界を見ることである、それぞれの他者が見、それぞれの他者がいる世界を。

Photo

ホテルの裏通りの Les Petits Platons という出版社のウインドウ。子供向けの哲学書や玩具を扱っています。人形は左からフロイト、ニーチェ、アインシュタイン、ソクラテス。

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モンパルナス大通り。右奥に Tschann Libraire が見えます。モンパルナス唯一の本格的書店です。

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ガリエラ宮の庭。入口はこの反対側にあります。

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チケット売り場。マルタン・マルジェラのパリでの初の回顧展です。

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場内は撮影禁止ですが、ほとんど皆 iPhone で撮影していました。さすがに一眼レフを構える人はいませんでしたが。

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普通の服に見えて、よく見るとまず見かけないスタイルです。

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アトリエをそのまま展示するという大胆さ。開場前日までマルジェラ自身が隅々まで展示のチェックをしたそうです。

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マルジェラの特徴的なアイテムであるタビシューズ。むろん日本の地下足袋をヒントにしたのでしょう。

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2000年から2001年のラインアップ。

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アメリカ軍の放出品の8組のソックスを組み合わせて作ったセーター。作り方も丁寧に図示されていました。古着やガラクタを劇的に再生する独特の手腕。

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英語で解説してくれるガイドの人もいました。

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年度によって順番に展示されたコスチューム。その当時のコレクションのビデオも流れています。妻も展示に引き込まれていました。

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ガリエラ宮からイエナの停留所に至る道。これが今回のパリ旅行の最後の写真となりました。

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コメント

ガリエラ宮殿(博物館)は寡聞にして存じ上げない建物でした。map を見れば確かにパレ・ド・トーキョーの北側にありました。装飾美術館はその時期にどんな展示がなされていたか興味があります。
パリ旅行記を読みつつ、出てくる書店やカフェなどを Google で住所や場所を知り、Michelin map 片手に場所を確認したりして楽しんでいます。また日仏両ウィキペディアに載っている教会や道路なども見て楽しんでいます。特に仏ウィキペディアを見ると、フランス語の勉強が当然なことに必要になって、フランス語を始めるようになりました。「異邦人」と「悲しみよ、こんにちは」の対訳本を探して読み進めています。プルーストやユゴーが読めるとは思えませんが、「悪の華」の仏語版も入手したので、翻訳本を右に置いて楽しもうと思います。「風車小屋だより」は初心者には難しいでしょうか?
次の本の話を楽しみに待っています。
乱文多謝

追伸:最後の写真、大好きです。

投稿: tomo | 2018年7月30日 (月) 23時02分

tomoさん、こんにちは。
風車小屋便り、は短編の集積なので読みやすいし、内容も面白いです。フランス語学習のテキストとしてもよく使われていますね。プルーストやユイスマンスはやはり難しいと思います。ユゴーは昔読んで難しかったが、今はどうかわかりません。いずれにしても小説の最初の5ページ、10ページは見慣れぬ単語がたくさん出てきて意気喪失しがちですが、それも醍醐味でしょう。
いつもありがとうございます。それでは。

投稿: saiki | 2018年7月31日 (火) 08時53分

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