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2018年7月16日 (月)

病み上がりのパリ(4)ドラクロワ祭?

6月18日(月)

   妻の強い要望で、ルーヴルで開催されているドラクロア展に行くことになり、8時ちょうどにホテルを出るはずでした。(遅くとも8時半にルーヴルに着かないと長い行列に巻き込まれるので)ところが、出発時に私が、急に胃が痛くなり、しばらく ベッドで休まざるを得なかったのです。おさまるのを待って出発して、9時開場のルーヴルに着いたのは9時15分で、もう大変な人の列です。45分待ってやっと入場。直ちにナポレオン・ホールのドラクロア展に向かいましたが、セキュリティ・チェックの機器が故障しているらしく、ここにも長い列が出来ています。そこで、リシュリー翼2階の北ヨーロッパ絵画の部屋に行くことにしました。前回、工事中で、オランダ・ベルギー絵画を見ることが出来なかったのです。

    エレベーターで一気に最上階へ。すぐに、オランダ絵画の部屋が見つかって、ライスダール、フランス・ハルス、レンブラント、フェルメールなど、見物客がほとんどいないので、ゆっくり見ることができました。それから、ついでに、ナポレオン3世の居室を見学。しかし、昔、一度見たことがあったのを思い出しました。そして、いよいよドラクロワ展へ。さすがに、セキュリティチェックの修理も終わったのか、スムーズに入場できました。それにしてもすごい人、この規模のドラクロワの回顧展は没後100年の1963年以来ということです。ドラクロワ作品をもっとも多く所蔵しているルーヴルはもちろん、リール、ナンシー、 ボルドーなどの諸都市、米・英・独・加など海外からも合わせて約180点が集結しました。

    たいへん満足してルーヴル美術館を出ました。歩いてサン・ラザール駅へ。ネットでSNCF(フランス国鉄)から買っていた20日のルーアンーパリ間の切符の復路のみが取り消されていたので確認しに行ったのです。近いと思ったサン・ラザール駅がとても遠い、オペラ大通りはいつまで歩いても終点に着きません。しかも、おびただしい人の波、集団で歩く中国人観光客を押し分けながら、やっとサン・ラザール駅に着きました。すぐにvoyage informationに。広い部屋は満員で、整理券を取ると、なんと60人近く待たねばなりません。案内係は、45分くらい待つ、と言っていましたが、もっとかかりそうです。空いているソファに座って電光掲示板の数字を注視していました。窓口は12もあるが、休憩しているのかサボっているのか半分ほどしか開けていません。しかも一人一人の対応にとても時間がかかっているので、番号は遅々として進みません。近くにいた老婦人が、諦めたのか、若い女性に Bon courage!(頑張って!)と言って自分の整理券を渡していました。

     時間が経つにつれ、諦める人が多くなったのか、急にバタバタと番号が進んで行きました。表示されて五秒ほど経っても窓口に来ないと次の番号に行ってしまうので 皆必死で掲示板を見ています。よろよろしてソファーに腰掛けていた老人が、自分の番号が表示されると同時にピョコーンと立ち上がって窓口に走っていったのには驚きました。結局1時間ほど待って私たちの番になりました。窓口は若い黒人の男性で、途中から英語に切り替えてくれたのでスムーズに話しは進み(隣の窓口の係員とおしゃべりしながらでしたが)、無事予定の列車の一本早い切符を打ち出してくれました。

   時間があったので、サン・ラザール駅から27番のバスで、サン・ジェルマンーサン・ミッシェルまで行きました。当日と翌日の二日間、ルーヴルの半券を見せるとドラクロワ美術館が無料になるのです。「今日はドラクロワ祭りだね」と妻もやや興奮気味です。フルスタンベルク広場のドラクロワ美術館に行くと、日本語をけっこう話せる中年男性の係員が迎えてくれました。実はずっと以前、私たちはここを訪れていたのですが、展示を見るとすっかり忘れているものばかりでした。ここには、ドラクロワ自身の作品よりも関連する画家の絵が多い。しかし、別宅のアトリエに挟まれた庭は木立に囲まれてとても涼しい風が入ってきます。

   ビシュ通りのCartonでパンを買おうと思ったらもう閉まっていたので、角にあるポールでクロワッサンとパン・オ・ショコラを二つずつ買い、カルフールで牛乳、ヨーグルト、サラダなど買って帰りました。途中のキオスクでパリジャン(1.5ユーロ)を買いましたが、スカスカの内容で、ホテルに置いてあるフィガロの方が読み応えがありました。
   

Photo

珍しく妻が写真を撮ってくれと頼んできました。場所はパリでもっとも面白味のない橋であるカルーセル橋。しかし、この橋は左岸からルーヴルに通ずる随一の橋。27番のバスもこの橋を渡り、ガラスのピラミッドの横を走ります。

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ヤーコプ・ファン・ライスダール(1628〜1682)の「灌木」。右下の人間と動物は、ただ灌木の大きさを示すためにだけ描かれています。低地オランダの砂地の砂を風が吹き上げ、灌木は大きく風下に揺れています。絶妙な雲の表情。ライスダール以外の誰がこんな風景を描こうと思ったでしょうか。

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ホッベマ(1638?〜1709)の「水車」。ライスダールの弟子であり、後継者でもあるホッベマは水車や農家のある風景に特色が出るようです。

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ルーヴルのリシュリー翼2階のオランダ室まで辿り着く人は少ないでしょう。フェルメールの「レースを編む女」も誰にも邪魔されずに見ることができます。左隣りの画はメツーの傑作「リンゴを剥く女」。

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フランス・ポスト(1612?〜1680)の「リオ・サオ・フランシスコとマオリスの要塞」。ポストはブラジルの風景を描いたオランダ唯一の画家。ブラジル滞在中に描いた2枚の油彩画のうちの一枚。雲の存在感の重さがオランダの風景を思わせます。

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レンブラント(1606〜1669)の「エマオの晩餐」。エマオはキリストが復活した町、キリストがパンをちぎった時、人びとは彼が復活したキリストであることに気付きます。以前もブログに載せたことがありますが、今度はフロマンタンの『オランダ・ベルギー絵画紀行』(高橋裕子訳・岩波文庫)から引用してみましょう。フロマンタン(1820〜1876)の時代にはこの画は注目されず、ルーヴルの片隅に埋れていました。「ヨーロッパ広しといえどもどこかにキリストを描かなかった画家などがいるだろうか。レオナルド、ラファエロ、ティツィアーノ、あるいはファン・エイク、ホルバイン、リュベンス、ヴァン・ダイクー画家たちはキリストの神々しさを強調したり、人間らしさを強調したりした。、、、しかし、かつてこんなキリストを想像した画家がいただろうかー蒼ざめ、やつれ、正面を向いて坐り、最後の晩餐のときにしたように、パンをちぎって分けようとしている。身に付けているのは巡礼の着物だ。黒ずんだ唇には受難の責め苦が跡を残しており、、、確かにいったん死んで蘇った人のものとしか言いようのないある種の雰囲気が、この人物にはまとわりついているようだーこんなキリストをレンブラント以外の誰が想像しただろう。」

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フランス・ハルス(1580?〜1666)の「ジプシー女」。すばらしい肖像画。天才はどんな題材も軽々と仕上げます。彼が最高傑作の「養老院の女性理事たち」(1664・フランス・ハルス美術館)を描いたのは80歳の時でした。

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妻が、ルーヴルで開かれた「ドラクロワ展」で熱心にリトグラフを見ています。会場も熱気に溢れていたが、こんなに没入する妻の姿も珍しい。

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「墓場の孤児(1824)」と題された作品。「ドラクロワ展」のグッズ売り場にはこの画のファイルや小物がありました。カタログの表紙にもなっていました。

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代表作の一つ「サルダナパールの死(1827) 」ドラクロワのもっとも優れた理解者ボードレールを引用して見ましょう。「君たちは、淫らな版画を長時間眺めた後で、私のように激しい憂鬱に落ちこんだことがあるだろうか。君たちは書架の中に埋もれた、あるいは店屋の紙挟みの間に迷い込んでいる淫蕩画録を探しながら、ときおり味わう魅力、また時にはそうしたものから受ける不快な気持ちの理由を考えたことがあるだろうか。、、私はこれらの画を見ると、夢想の広漠とした斜面を下る。さながら猥褻な本が我々を青の神秘の大海の方へ駆り立てるように。」(全集第4巻・人文書院)

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「母虎と戯れる子虎(1830)」ドラクロワは動物を生涯書き続けました。日記やメモの端にも馬やジャガーや豹がまるで動き回るように描かれています。

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ドラクロワのノート。

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グッズ売り場。重いからといって45ユーロのカタログを買わなかったのは今でも心残りです。

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ドラクロワ美術館の中庭。涼しくて気持ちよい庭です。

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ドラクロワ美術館の入口。サン・シュルピス寺院の「天使と闘うヤコブ(1861)」から。アブラハムの孫、イサクの子、ヤコブは一晩中天使と組み合って勝利します。負けそうになった天使はズルをしてヤコブの腿の上の筋を外します。ユダヤ人が腰の筋の肉を食べないのはこれに由来する、と聖書には書いてあります。

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ギュスターヴ・モローの「天使とヤコブ(1878)」も対比して展示されていました。ヤコブは見えない姿の天使と無意味な闘いをしています。ロマン主義と象徴主義の違いはまさにここにあります。

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やっと手に入れたルーアンからの帰りの切符。

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