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2018年7月 1日 (日)

病み上がりのパリ(1)ジャスミンの香るホテル

6月15日(金)

    退院して半年しか経ってないのにフランスまで飛んで行くのは無謀でしょうし、実際、あと1年ほどは、どこにも行かずにのんびり療養したい気持でした。ところが、一年ほど前に妻が安い航空券が出てると言い出して、私もよく考えずに承知してしまったのです。さらに、妻のお気に入りのホテル・グランゾムのプロモーション中で格安で泊まれるというので、一も二もなく決まってしまいました。それから恐ろしいことが起こったので、12月9日に私が倒れて救急車で運ばれ浦安の大学病院に入院し、10日ほどで退院したものの、むろん体調はまだ覚束なく、親類からもフランス行きを中止するよう忠告を受けたのです。だが、貧乏人の性か、飛行機のキャンセル料がもったいなく、しかもホテル宿泊料の半分は前金で払っており、おまけに、オペラ座のチケットも払い戻し不可(5ユーロ払っておけばキャンセル可だったのですが)なので、中止するという選択肢はありませんでした。

  されば、懸命に療養・リハビリするしかなく、しかし、滞在時の食費・交通費・入場料などの諸費用を捻出するために働かざるも得ず、なかなか苦しい毎日となりました。4月の血液検査の結果、血糖値の少しの上昇・ヘモグロビンの少なさ(これは生まれつき)を除けば細部に至るまで基準値内におさまっていて、はじめて旅行への明るい見通しが立ちました。実のところ、毎日のウォーキングで、足腰にはかなり自信がついていたのです。

    6月15日朝、10時半発のエール・フランス機に乗るため、七時前に家を出ました。朝早いのは苦手なので、もっと遅い便がよかったし、航空会社も日本のほうがサービスがよさそうだったのですが、「高いからダメ」と妻からすべて却下されました。ANAやJALなど割高で問題にならず、安くても韓国・中国・中東経由など怖くて乗れず、AFの直行便に限ると、この時期のこの時間がいちばん安いそうです。子どもの頃、実家に時折置いてあったアメリカの写真雑誌〝LOOK″の裏表紙には、いつもAFの一面広告があって、それは可愛く微笑む若い金髪のCAの写真でした。エール・フランスという航空会社への私のイメージは、まさにそれだったのですが、実際に遭遇するのは屈強な中年女性のCAばかりで、人生とはかくのごとしと納得させられるのが常でした。

   とまれ、早朝にもかかわらず、それまでのフランス行に比べて気分はとても良いものでした。途中のコンビニでおにぎりとお茶を買って(おにぎりこそ日本人の心を和ませるソウルフードです)京成の駅に向かったのですが、好事魔多しで、駅構内の踏切を渡るとき、大型のキャリーケースの車輪が引っかかって車輪のゴムが外れてしまいました。これでは重いキャリーケースを引きずって行かざるを得ず、まず快適な旅は不可能です。妻は家に戻って別のキャリーケースに換えることを提案しましたが、パッキングの時間を考えるとそれは無理というもので、仕方なくそれを引いて空港に向かいました。なお、このキャリーケースは10年以上前に買ったエディ・バウアーのもので、丈夫さだけが取り柄でしたが、過酷な使用が祟ったのでしょう。
成田空港に着くと、早速修理屋をさがしたら、朝8時半から開いている店があったので、たずねると、両輪のゴムの付け替えなら15分ほどで済むということで頼むことにしました。1600円という値段に妻は不満そうでしたが、パリで修理することを考えたら安いものです。

   無事に搭乗、出発と行きたいのですが、ボーイング777の水タンクの不備が見つかって、一時間も出発が遅れました。結局、根本的には直らず、機内でのコーヒー、茶などの温かい飲物サービスは停止で、しかもトイレの手洗いの水も使えないというのです。これは、トイレの後に徹底的に手を洗う病的な習慣を持つ私にはショックな告知でした。離陸の遅延で、パリ乗り継ぎの乗客については代わりの乗り継ぎ便の補償など発生して落ち着かない時間でした。無事離陸、私たちの席は777の最後尾のさらに最後尾の二人席で、隣にいつも立っているCAの男性は妻とよく話していて、私たちの席に、ワインやビールや果てはコニャックの小瓶まで持ってきてくれました。

   私は、機内ではあまり映画は見ないのですが、日本では上映されないようなフランス映画があると見てしまいます。その日は L’Apparition と La Promesse  de L’Aube という2作を見てみました。
   まずL’Apparition (出現・顕現)ですが、フランスにはよくある、いわゆるマリア様を見たという少女の話です。ただし、ミステリー仕立てなのが面白い。報道記者のジャックは、シリアの戦闘で15年来の友人を失くして失意のどん底にあり、また爆裂で負傷した耳の痛みと過酷な戦場経験による後遺症にも苦しめられています。そこに突然バチカンから電話で呼び出されます。行ってみると、南仏で話題になり、すでに巡礼者たちを呼び寄せているアンヌという少女が体験したL’Apparition の真偽を調査するメンバーの一員になってほしいとのこと。実はバチカンには常に膨大な数のapparitionの報告が世界中の教会から寄せられており、バチカンはこれらを厳しく調査して、ごくわずかの事例(ルルドやファティマなど)のみ公認しているのです。

    ジャックが選ばれたのも、無神論者で幻想を持たないリアリストであることが評価されたのでしょう。ジャックは、他の調査員と違って、アンヌの交友関係を一つ一つ洗っていき、アンヌが周囲の無理解と期待の重荷に耐えきれなくなり自死を図るに至って、アンヌは誠実な少女だが彼女に「顕現」はなかったと思います。しかし、ジャックは、最終的なバチカンへの報告には奇蹟はあった、とするのです。それはなぜか? 映画は最後に思わぬ秘密が明かされて、深い余韻を残します。

   もうひとつの映画La Promesse de l’Aube(夜明けの約束)は日本ではあまり読まれていないフランス作家ロマン・ギャリの同名の自伝的作品の映画化です。ユダヤ人の両親の元リトアニアで生まれたギャリは、母親の異常な溺愛の中で、ワルシャワ、ニースなどで少年時代を過ごします。この母子の濃密な関係はセルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの娘シャルロット・ゲンズブールとコメディ・フランセーズ出身の俳優ピエール・ニネイによって鬼気迫る演技で再現されました。作家となり、自由フランス軍の航空士として英雄となったギャリは、三年間手紙だけで音信を取っていた母親のもとに凱旋します。しかし、すでに母親は死んでいて、息子を勇気づけるために書き続けられた200通以上の手紙は母親の友人に託されて息子のもとに定期的に送られていたのでした。ギャリは映画監督、外交官など波乱万丈の生涯を送った後、66歳で、パリの自宅で38口径のスミス&ウェッソンを口にくわえて自殺します。「あなたにとって、老い、とは」という質問に彼は「破局だ。しかし、私にはそれは来ない、決して」と答えています。なお『夜明けの約束』は邦訳されて出版されており、これでもかというエピソードの連続で全く退屈させません。
   ともに2時間を越す長い映画、しかも音声・字幕ともフランス語なので見るのにたいへん疲れました。予定を遅れて夕方フランス着、目当てのパンテオン広場のHotel Grande hommes にたどり着いたのはもう8時を回っていました。10時半まで開いているサン・ミッシェル通りのモノプリで水、パン、お茶、ビールなど買って、倒れるように眠ってしまいました。

Photo

パンテオン広場に面したホテル・グランゾム。このホテルは三度めの滞在。アンドレ・ブルトンがはじめて自動記述の実験を行ったホテル。夭折した画家佐伯祐三の滞在したホテルでもあります。玄関前に飾られたジャスミンの強烈な匂いが遠くからでも香ります。

Photo_2

グランゾムのレセプション。インテリアは第一帝政様式(ナポレオン様式)です。

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グランゾムのロビー。以前よりやや寛いだ感じになっていました。

Photo_4

54号室。椅子は18世紀様式で腰が浅くて座りにくい。

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コメント

「病み上がりのパリ」旅行記とは全く以ってビックリしています。ご病気で臥された時は、どう声をかけて良いものか、こういう場合は私は不得手なもので沈黙していた次第で申し訳ありません。病後はヘーゲルの講義という大物に取り組んで、その強さに圧倒されてました。暫く間を取ってパリ旅行記で、再度圧倒されました。
30数年前のパリを思い起こしてくれるブログとしていつも楽しみにして読んでいます。とくに書店巡りは最大の楽しみです。
書架からは、今はランペドゥーザの山猫を読み返しています。
体調を考えて御自愛下さいと言いつつも旅行記の続きを楽しみにしています。
乱文失礼

投稿: tomo | 2018年7月21日 (土) 20時35分

tomoさん、コメントありがとうございます。
非公開の方のコメントはお返事がメール送信できず、ここでご親切を感謝いたします。ありがとうございました。
今回のパリはとにかく無事で帰ってくる事だけを考えていましたので、いささか不消化に終わった嫌いもありますが、読んでくださる方がいて本当に嬉しいです。
旅行記を何とか終えて、また本の話に戻りたいです。
大変な暑さです、どうぞご自愛ください。

投稿: Saiki | 2018年7月21日 (土) 21時53分

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