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2017年4月 8日 (土)

ヴェルジーリン『植物とわたしたち』

おかしな夢ですが、なつかしい夢を見ました。岩波少年文庫にびっしり囲まれた部屋に一人で取り残されているのです。その部屋の硬い椅子に腰かけて、美しく装丁された特装本の『ドリトル先生』や『宝島』や『飛ぶ教室』を読んでいるのです。目覚めて気がつくと、その部屋になかった一冊の岩波少年文庫のことがふっと頭の片隅に思い出されました。それはヴェルジーリンの『植物とわたしたち』(1956 八杉竜一・日高敏隆訳)で、さっそく図書館の児童室のパソコンで検索すると、書庫にあるので奥の一般図書のカウンター に行ってくれと言われました。腰の痛みをこらえて、一番奥のレファレンス・カウンターまで行き、図書票を出すと10分ほどで古書の強い匂いを放っている緑色の本が私の前に現れました。この図書館が神社の隣にあった旧館の頃からの白紙の貸し出し票が挟んであり、どうもこの本は60年近く誰からも借りられていないようです。

この本は1954年に、まだスターリンやルイセンコが幅をきかせていた頃のソ連で出版されました。当時のソ連の労働者の献身的な働き、次々と新しい発見をするソ連の科学者たち、国民のために尽力する党の指導者たちのことが多く書かれており、こういう本を翻訳出版したその時代の雰囲気も察せられます。しかし、私はこの本から実に多くのことを教えられ、今に至ってもこれに勝る植物の本はないようい思います。「多くの子供たち、とくに小さい子どもたちの植物に対する態度はどうも公平ではないようだ」と、ヴェルジーリンは書いています。「子供たちは小犬や仔猫、さては棘の生えたハリネズミとでも、いっしょに楽しく遊びまわる。けれども植物には、たいてい目もくれない。」こんな子どもたちは植物の教科書や植物の本を、ちっともよろこばない。維管束や単子葉や細胞の分裂の他に、それらの本にはおもしろいことが何か書いてあるのでしょうか。人間にとって太陽の次に大切な(というのも、太陽のエネルギーを十全に取り入れて、それを人間に与えてくれるのは植物だけだからです)植物が、こんなふうに子どもたちに思われているのは本当に残念です。

前置きはともかく、さっそく、本のページを開いてみましょう。何と最初はキャベツについて書かれています。古代エジプトから食後の甘い煮物として食べられていたキャベツは、ギリシャでは「つねに元気と明るい落ちついた気分を保つ野菜」(ピタゴラス)であり、ローマ人はその薬効、すなわち不眠症、中毒、酒の酔い、頭痛、胃病、難聴などほとんどあらゆる病気に効く薬としてキャベツをたくさん食べていました。ローマの政治家カトーは「キャベツ、それはもっともすばらしい野菜で、生でも煮てもよく、生の場合は酢にひたすと消化によい」と書いています。キャベツは塩をふって保存するとビタミンCが逃げないので、冬の大切な栄養源にもなります。しかし、キャベツを栽培したことのある人はわかるでしょうが、お店で売られているような立派なキャベツを庭で作るのは至難の技です。『若きウェルテルの悩み』の中で、ゲーテはこう書いています。
「庭番は机の上に花キャベツの玉をおいた。『何だ、それだけか』ときみは思うだろう。そうじゃないんだ。暁の光、すがすがしい朝つゆ、真夏の暑い日に苦労したこと、水をやりにいった静かな夕暮、その伸び具合や花にうっとりと見とれていたことーこれらすべてが、今何もかもいっしょになって、その机の上にのっているのだ。」

キャベツの次にはジャガイモ、ニンジン、カボチャ、トマト、さらに小麦と米などが紹介されています。スイカやサクランボ、リンゴ、そしてワインの原料となるブドウも興味深い。それらを全部飛ばしてコーヒー のところを読んでみましょう。お茶やコーヒーが珍重されたのは、それがヨーロッパの乾燥した冷たい気候ではうまく栽培できなかったためです。コーヒーはアフリカ東部南アビシニアにそのルーツを持っています。コーヒーの若木は直射日光をきらい、種子は日陰に落ちて芽を出すが、すぐに生きる力を失ってしまいます。そのため、原産地以外では栽培できなかったのですが、アラビア人たちが、ついに栽培に成功しました。そのコーヒー豆はその出港地の港の名前をとってモカと呼ばれました。モカは今でも最も上質のコーヒー豆のひとつです。

コーヒーを飲むことは1454年にトルコのコンスタンチノープルに、さらに1642年にはイタリアに広まりました。ロンドンで最初のコーヒー店「ヴァーゴニア・コーヒー店」が開店したのは1652年でした。パリでは1672年にコーヒー店が出来て、50年後にはもう380軒にもなっていました。ルソーやヴォルテールもパリのコーヒー店で作品を書いていたのです。

ヨーロッパではコーヒーの流行について言い争いも起こりました。宗教家の中には「トルコ人の黒い血」を飲むのを禁じるよう国に嘆願する者も現れました。しかし、この新しい飲み物を弁護する者も現れ、それはとくに医者に多かったのです。生理学者のモレショットは「コーヒーは感受性と注意力を鋭くさせる。さらに判断力を発達させ、活動力を鼓舞する。そして創作力を呼び起こす。新しい考えが次から次へと浮かんで来、眠気などはもちろん追い払われてしまう」と書いています。カフェイン中毒といわれるバルザックは毎晩深夜一時に起きて、朝までコーヒーを50杯以上飲みながら執筆していたそうです。スタンダールのコーヒー好きは有名です。『恋愛論』で彼はこう書いています。
「羽ペンを剪る道具が発明された。私は今朝それを買ったがうれしくてたまらず、早く使ってみたくて仕方がない。しかし、それを知らなかったといって私は不幸だったろうか。コーヒーを飲まなかったといってペトラルカは不幸だったろうか。」

コーヒーの人気が高まると、ヨーロッパ諸国の政府は自分たちの植民地でコーヒーを栽培したいと考えるようになりました。1690年、ジャワのバタヴィアからアムステルダム植物園に数本のコーヒーの苗木が送られてきました。アムステルダム市長は、このうち一本を珍品としてルイ十四世に献上しました。ルイ十四世はそれをマルルの庭園で育てようとしましたが、すぐに枯れてしまいました。ほぼ同じ頃、南アメリカ東北部のギアナでオランダ人たちがコーヒー園を作り始めました。この計画は絶対秘密のうちに実行され、厳重な監視の下にあったにもかかわらず、フランスのカーンの知事だったドゥ・ラ・モットという男が生きた苗木をまんまと盗み出しに成功しました。そして1723年、ついにパリの植物園で、たった一本の木を種子から育て上げることに成功したのです。若きルイ十五世は、この木をドゥ・クリエという船長に託し、フランス領マルティニーク島に運んでくれるよう頼みました。何ヶ月の苦しい航海の間、ドゥ・クリエは自分に割り当てられた水を苗木と分け、何とか無事にマルティニーク島に到着しました。彼は農園のもっともよい場所に苗木を植え、人を雇って昼夜を分かたず監視させました。やがて2ポンドほどの種子を得るとドゥ・クリエはそれを他の農園主たちに分け、こうしてマルティニークとして知られるコーヒー豆の栽培が始まったのです。

ロシアは針葉樹の宝庫です。ロシア人はあらゆるものを(釘や錠前さえも)木材で作りますが、針葉樹は傷つけられたところから樹液を出し、それが腐敗菌や寄生植物の侵入を防止します。それが針葉樹が広葉樹よりも長命な理由なのです。ドナウ川には紀元2世紀にローマ人によって作られた橋げたが今でも残っていますが、カラマツは水中でも容易に腐らないのです。針葉樹の中でもロシア人にもっとも愛される樹は白い樹皮を持つシラカバでしょう。その樹液は甘いシロップのようです。20世紀にソ連の考古学者がロシア西部の大ノヴゴドロ市の発掘調査をしました。10世紀と15世紀に栄えたこの都市は、6メートルの幅の大通りが滑らかな木片で二重三重に覆われ、その下には木製の水道管も発見されました。古い城壁は壁も塔も木でできていて難攻不落でした。考古学者は、さらに、土砂の下から貨幣、財布、木製の皿や容器、骨のかけらで刻まれたシラカバの皮も見つけ出されました。シラカバの皮で書かれた手紙は約40通も発見され、ある手紙には「こっそり私に手紙をください!」と書かれていました。

樹液といえば、カナダのインディアンたちが砂糖カエデからとっていたメープルシロップが有名ですが、人類にもっとも有用だったのはゴムの樹液です。1493年、コロンブスはその2回目の航海の時に今のハイチ島でインディアンたちが歌を歌いながら黒い玉を投げ合っているのを見ました。驚いたことにその玉は地面に落ちると大きく跳ね上がるのです。またインディアンの指揮官の着ている服は雨に打たれても濡れていませんでした。その後200年近くたって、パリの科学アカデミーからペルーに派遣されたラ・コンダミンは、インディアンたちが「カオチュ」つまり木の涙と呼んでいるネバネバした液体を持ち帰りました。フランス語のカオチューcaoutchouc(ゴム)という語はここから来ています。はじめて消しゴムを使って鉛筆の字を消したのはイギリスの化学者プリーストリーでしたが、暑いと溶け寒いと硬くなるゴムはなかなか実用に適しませんでした。1852年、アメリカのチャールズ・グッドイヤーが、生ゴムでいろいろ実験しているうちに、誤って生ゴムとイオウの入ったかめを焼けた敷石の上に落としました。加熱された生ゴムとイオウは激しい変化を引き起こし、冷えると固まり、熱するとベタつくゴムの性質はすっかり消えていました。彼はこの世紀の発見までにあらゆる試行錯誤を繰り返し、極貧のため皿が買えずゴムの皿で食事をとり、息子の葬儀代も払えませんでした。

最後はスウェーデンのウプサラにあるリンネ博物館を紹介しましょう。そこには偉大な植物学者リンネが中国に特別注文した茶器一式が展示されています。その茶器に描かれているのは、リンネがもっとも愛好したがゆえにその名がつけられているリンネソウで、それはコケむしたモミの林に生えているありふれた小さな地味な花なのです。


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