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2017年2月18日 (土)

森銑三『武玉川選釈』

先日読んだフランスの日刊紙 Direct Matin に興味深い記事が載っていました。フランスのサン・ルイに住むミーナさんという動物保護団体で働く女性は2002年に三匹の捨て猫を家に保護していました。その三匹にシーバ、ビアンカ、シェイタイという名を付けて、目印にタトゥーも入れていましたが、翌年、ミーナさんは医者から癌と診断され、やむなく三匹の子猫を他家にあずけます。普通でしたら話はここで終わるのですが、その13年後、2016年11月に、ミーナさんは玄関先に、痩せ細ってお腹を空かしたみすぼらしい猫を発見します。知り合いのの獣医のもとに連れていくと、何と嘗ての飼猫である雌のシーバだと告げられました。60キロ離れたコルマールに住むその猫の引き取り先によると、シーバは、引き取って一カ月で家出したということです。13年間 vagabonde(放浪)して60キロの距離をやっとたどり着いたのでした。ミーナさんと過ごした幸福な時期の思い出がシーバを長い旅に出したのだろうと獣医は言っているそうです。ミーナさんは、シーバには幸せな余生を送らせてあげたいと言っています。

話はまったく関係ないのですが、最近硬い本ばかり読んでいるので、 軟文学でも読もうと思って、たまたま手に取った森銑三の『武玉川選釈』(森銑三著作集続編第9巻)を読んでみました。実は、昔、岩波文庫の一括復刊で『誹諧武玉川』全四巻を手に入れたのですが、難解で、とても楽しんで読むまでには至りませんでした。それで、『宗長日記』や『竹斎』と一緒に書棚の奥に放りこんでいたのですが、森銑三によると、『武玉川』は十に一つ分かればよいので、自分の好きなように読めば良いということです。確かに一万二千余首すべてを解釈するのはヒトゲノム解読より難しく、田辺聖子『武玉川ーとくとく清水』や神田忙人の『「武玉川」を楽しむ』などのすぐれた類書も、自分のわかる句だけを取り上げて解説しています。250年前の江戸庶民の日常生活の細やかな断片は、こうして永遠の秘密のように隠されているのです。

『武玉川』とは何か?神田須田町の鋳物師の息子である慶紀逸が寛延三年(1750)に発刊した雑俳集で、大きな人気を呼び、安永3年まで18巻も発行されました。一般に、『武玉川』は俳諧と川柳の中間の時期に現われた、そして両方の特徴を併せ持っている、と言われていますが、それは半ば当たっています。芭蕉(1644〜1694)は、むろん偉大な人間で、連歌における発句を和歌にも匹敵する芸術にまで高めました。その極点が「かるみ」ですが、芭蕉自身はこのかるみを十全に展開するには至らなかったのです。俗的なものを聖化することは蕉門の人々により高度に練られた俳諧の言葉に転生されましたが、そこで俗の俗たる所以の日常のおかしみは失われたのです。それを徹底してすくい上げたのが川柳ですが、その日常生活の観察の鋭さは人間生活のあら探しにつながり、皮肉の一方に走る傾向はその作句から生活への暖かな眼差しを奪ったと言ってよいでしょう。

それに反して、『武玉川』には、俳句や川柳がその先鋭化のために振り捨てていったもの、おっとりとした日常時間とともに流れていくものが残っています。

○恋しい時は猫を抱き上げ

非常に名高い句。「恋しい時」と「猫を抱き上げ」には何らの関連もないはずですが、これが連結すると不思議と納得できる情緒を醸し出します。『武玉川』には、このように七七の短句が半分近くを占めていますが、前句を切り離して短句を独立させたのが紀逸の慧眼で、このゆえに『武玉川』は全く独自の世界を形作っています。

○手拭うせて猫もなくなる

掛けておいた手拭が見当たらない。気がつくと猫もいなくなっている。おやおや、それでは、、、と納得した顔だ。人間をまねて猫も手拭を被って猫の盆踊りに行くと言われており、この話は江戸時代の随筆に散見するとのことです。

○ 手代をつけて初の勘当

道楽息子を世間の手前勘当せざるを得ないが、心配なので手代をつけてやるという話。息子も遊山気分で銚子あたりの叔母さんの家に出掛けて行く。

○次男に手間のかかる遺言

死期を悟り、身内の一人一人に遺言するが、出来のいい長男と違って、駄目息子の次男にはかなり時間がかかっている。

○惚れて報いる看病の恩

大店の跡取り息子が病気になり、選ばれて世話をしている下女の一人の親身な看病に、いつしか惚れて夫婦になるという目出度い話。

○異見してつくづく見れば美しき

異見は意見のこと。男親が廓まで出かけて、どうか息子と別れてくれと頭を下げる。神妙に話を聞いている傾城だが、よくよく見ると気立ても顔も美しい。これでは息子もあきらめかねる筈だと妙に納得する。

○めくら息子の乳(ち)をながく飲み

普通の子ならとっくに乳離れしているのに、盲目の子はまだ母親の乳房にしゃぶりついている。いたいけな子への母親の強い愛情が感じられます。

○朝日寂しく坐るめくら子

めくらの子は、朝起きても何もすることなく陽の当たる縁側に坐っている。「哀れの深い句である」と森銑三は添えています。

○検校にして死にたがる母

自分の産んだ盲目の子を何とか検校(盲の最高位)にしたいという親心。しかし、検校にするには大変な金がいる。不具の子への悲痛な思い。

○夢でゐる子を入れる誓文

夢を見ているようにぐっすり寝ている子の横で、その子を廓に入れる誓文に判を押している。あたりまえのような情景に作者はやるせない気持ちをぶつけています。

○子守のもたれかかる裏門

十一二になると、子守に出されることが多かったのですが、夕方になると疲れて赤子をおぶったまま裏門にもたれてぼんやりしています。故郷の兄弟のことなど思っているのでしょうか。

○先腹の子がひとり精進

母親が亡くなって、父親は後添いをもらいました。実母の命日には子供ひとりがこっそりと肉魚を断って母を忍びます。

○しゃがれた声で迷い子の礼

子供がいなくなって、必死で、子の名を呼びながら駆けずり回ってやっと見つけた。協力してくれた家々への挨拶まわりも叫び疲れてしゃがれている。

○向うから女房も使う硯箱

夫が帳面に何かを書いていると、向かいで女房が巻紙を手に持って誰やらに手紙を書いている。絵になりそうな日常の風景です。

○返しどころをいはぬから傘

大雨の翌朝、濡れた傘を整理していると、どこから借りたか分からぬから傘がある。女房が夫に聞いてもはぐらかして答えない。

○橋ですべるも神のなぐさみ

神社の橋はなぜか滑りやすい。亀戸天神の太鼓橋も雨の日などきわめて危険で、ここで滑っては合格祈願も何もありません。人形町の水天宮も階段が急でとても安産の神とは思えません。この句によれば、神社の橋が滑りやすいのは、滑っている人間を見て神が楽しむからだということです。

○留守に生まれて軽い名を附け

夫が旅に出ている留守に子が生まれた。携帯電話のない時代、後で叱られないよう長松とかはなとか平凡な名を附けておきます。現代は難読・奇矯な名前が多いですが、無料で自由とはいえ、それだからこそ平凡な名をつける親には細心な愛情が感じられるようです。

○売った屋敷を編笠で見る

家業が左前になって、やむなく家を手放しました。かつての隣人に会いたくないので顔を隠して昔の家を見に行きます。テレビの時代劇を見ると、江戸の時代は、顔をかくす工夫が多いのに驚きます。ヴァレリィの「人はもっとも隠すべきもの顔を出して歩いている」という有名な言葉があります。

○塩引は頭になってむつかしき

今でも年の瀬に鮭をもらうことがありますが、江戸時代は塩鮭を天井に吊るして、出刃包丁で削ぎ落としながら食べていたそうです。頭だけになっても捨てず、酢の物や汁物にしたとか。

○海を眺めてやめる入唐

日本海の荒波は人の知るところですが、実際目の当たりにすると当初の覚悟も萎えそうになるというお話。「歴史もの」はほかに、「○波打ち際に公達の馬」(熊谷直実に討たれた敦盛のこと。馬に目を付けたのが秀逸)もよく知られています。

○一段聞いて帰る仲人

現代では存在感もなくなりましたが、かつての仲人は社会的に大変な役目を担っていました。娘親の要望で琴を聴いたが一段だけ聞いて帰っていった。素人の手習いの琴が上手いはずもないが、相手の男の親には尾ひれをつけてほめておきます。植草甚一は、昔、知人の家へ行って一番嫌なのは娘の下手くそな踊りを見せられることと、家族のアルバムを見せられることだと言っていました。アルバムはゆっくりめくらねばならず、知らない人の写真を見ても面白くないからです。

○物思ひこよりの犬も痩せがたち

手慰みでこよりで犬を作るのは江戸時代から行われていたようです。悩み事のある時はその犬もやっと立てるほど貧弱なものになったという、『武玉川』ならではの句です。

○惚れたとは短い事のいいにくき

これこそ端唄・小唄から近現代の歌謡曲まで続く普遍的なテーマですが、蕉門俳諧が洗練さの代わりに感動を失ったのは庶民のこのような気持ちを切り捨てたからではないでしょうか。止むをえぬ事情により惚れたとは言えないことが、世の中には何と多いことでしょう! 「○よその女房になるを見に出る」という武玉川の句も実らなかった恋の哀しい一場面です。


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