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2016年12月10日 (土)

スチュアート・ヒューズ『ふさがれた道』(1)

—— 小説『モーヌの大将』のなかで、アラン・フルニエは「昔話のふさがれた道、疲れ果てた王子が入口を見つけることができなかった道」の探索について語っている。「それは、11時かあるいは12時が打とうとしたのをもうとっくに忘れてしまったころ、朝方のすっかり諦めきったときに、ついに発見される。…しげみやいばらを押し分けてみたとき、突然…長い影に沈んだ道がひらけ、その果てに小さな丸い斑点のような光が見える。」

スチュアート・ヒューズは「失意の時代のフランス社会思想1930〜1960」と副題のある『ふさがれた道』(荒川幾男・生松敬三訳・みすず書房)をこのように書き始めます。アラン・フルニエは第一次大戦で消息不明になりました。『モーヌの大将』は1913年の発表ですが、この「ふさがれた道」というモティーフは、その後のフランス社会に終始取り付いていたとヒューズは書いています。「行き止まりの小路と閉ざされた見通し、よろめきと手詰り、ますます絶望的となる脱出口の模索というモティーフは、第一次大戦の勃発に続く半世紀近くを通じて、あらゆるタイプ、あらゆる知的関心のフランス人の思考に滲みわたっていたのである」と。

第一次大戦は近代戦争の残酷さを告げるエポックメイキングな出来事でしたが、フランスでは、特に、青年の死傷が償いえないほど悲惨だったために深い悲しみと失望を人々の心に残しました。今でも、いたる所の教会や学校や広場などに第一次大戦の戦死者の名が刻まれたプレートが張られています。 150万人の死者、170万人の戦傷者、壊滅した北部の工業地帯、インフレによる貨幣価値の下落、あれほど右翼も左翼も熱狂して突入した戦争は、人々に失望と不安を残したのです。現実への流入と生の飛躍を訴えたベルグソンの哲学は、戦争の残骸を前に急速にその色をうしないました。人間の理念への信頼と寛容の精神を標榜した第三共和制への忠誠を掲げたデュルケームの言葉は、大戦の荒波の中で押し流されてしまったのです(デュルケーム自身も息子の戦死による失意のうちに1917年59歳の若さで没しました)。

しかし、覚醒は急激にではなく、ごくゆっくりとフランス人に訪れました。ドイツの敗退がフランスを大陸随一の陸軍国に押し上げ、文化的伝統のゆるぎない自信が生活の不如意の心理的代償になったのです。1920年代の安定に向かう動きは、しかし、29年の大恐慌とヒトラーの台頭によって一気に混乱し、フランスは再び坩堝の中に投げ込まれました。30年代は、フランス人にとって、混迷そのものと言ってよいでしょう。フランスの威信の低下は誰の目にも明らかになってきました。文化的優越もどれほどフランス人の心の支えになったのか。アヴァンギャルドの勢いは消え、プルーストはすでに亡く、ジッドとヴァレリーはその影響力を失い、それに代わる偉大な名前はいまだ現れませんでした。文化的停滞は、空虚な修辞に満ちた文章が政治や教育や文学に目につくことにも窺われました。第三共和制の道徳がいかに浅薄に思えたか、ソルボンヌの大家がどんなに愚かな俗物に見えたかが分からなければ、第二次大戦前夜の知的既成勢力に対するサルトルのような若い哲学者の抱いた憤怒—嘔吐—の意味を理解することはできないだろう、とヒューズは書いています。

40年代のレジスタンスと解放の経験は、再びフランスに文化的優位をもたらしたかに思えました。しかし、第一次大戦後の20年代にフランス詣でをした人々が感じた気持ちと、第二次大戦の後で実存主義の洗礼を受けようとサン・ジェルマン・デ・プレを訪れた外国人が感じた気持ちはいささか変わっていました。彼らは四年の占領の時代にフランス人が沈黙のうちに蓄積したものを学びに来たのですが、それは奇妙に懐かしくも古くさいものでした。レジスタンスの経験と現象学とマルクス主義が混合して、一種特殊フランス的な哲学が出来上がって行きつつあったのです。人々は、そこに改めてフランス的な孤立を恐れない、悪く言えば、傲岸で独善的な雰囲気を感じとったのです。

思えば、フランス的孤立こそ十九世紀から二十世紀へのフランスの基本常数であったと言ってよいでしょう。古典主義は唯一フランスでのみ明確に存続しました。イギリスのロック、ドイツのカント以上に、デカルトは300年以上もの間、フランス人の心性の拠りどころであったのです。十九世紀末から二十世紀初頭の思想史的出来事を、フロイトとウェーバーに代表させるとして、そのどちらにもフランスは、アングロサクソンやゲルマンほど影響を受けませんでした。モンテーニュやスタンダールを有する人間意識の大家たるフランスが、ウィーンの一医師が唱えた無意識の説に簡単に教唆される必要もないのです。また、厳密で実証的な社会研究が真の道徳哲学にいたるというデュルケームの思想(彼はそれを大成する前に歿したのですが)は、すべての価値からの自由を訴えるドイツ社会科学をすすんで受け入れる余地もなかったのです。

そして、そのことが1930年代のフランスの特異な状況を説明するのです。フランスは大陸の主要国で随一、ファシズムに屈しない国でした。そのために知識人で諸外国に脱出する人間はほとんどいなかったのですが(アメリカに一時滞在したジャック・マリタンとサン=テクジュペリは例外的です)、それ故に、二十世紀前半の西欧世界における最大の知的事件といえる流動する知識人の波から取り残されたのです。30年代で、フランスほど共産主義・社会主義の運動が高まった国はありません。また、カトリシズムが全く例外的に、十九世紀から二十世紀前半まで強烈な信仰を維持した国もありません。それもすべてフランス内部でのみ起こったことでした。そして、フランス人が、亡命の必要を初めて感じた1940年には、もう遅かったのです。

『ふさがれた道』はこの時代にもなお普遍的な価値を持つ独自の探求を行なった学者・作家・哲学者を取り上げて紹介します。目次を紹介してみましょう。
・歴史家と社会秩序 The Historian and Social Order
リュシアン・フェーヴルとマルク・ブロック
・カトリックと人間の条件 The Catholics and the Human Condition
ジャック・マリタンとガブリエル・マルセル
・英雄主義の探求 The Quest for Heroism
マルタン・デュ・ガール、ベルナノス、サン=テクジュペリ、アンドレ・マルロー
・現象学とマルクス主義の結婚 The Marriage of Phenomenology and Marxism
サルトルとメルロ=ポンティ
・脱出口 The Way Out
カミユ、ティヤール・ド・シャルダン、クロード・レヴィ=ストロース

以上の各章を断続的に(同じようなことが続くと飽きるので)書いていこうとおもいます。

スチュアート・ヒューズ(1916〜1999)は、むろんアメリカの著名な歴史家で、『意識と社会』(1958)『ふさがれた道』(1968)『大変貌』(1975)のヨーロッパ思想史三部作で知られています。これらは古典というよりも、もはや定番の教科書といったほうがよいでしょう。この辺りの思想家の動向や時代の観念の概観を知りたい時に、まず読むべき本なのです。むろん、半世紀も前に書かれたので、今とは力点がかなり違います。マルタン・デュ・ガールやティヤール・ド・シャルダンを読む人間はもう多くはないでしょう。それにもかかわらず、この書を超えるものは寡聞にして知りません。

『意識と社会』の第1章「いくつかの予備的考察」でヒューズは〈思想史〉の難しさについて書いています。全体を細かく書き上げることは不可能で、時代を狭くとることでかろうじて観念の俯瞰図が可能になる、また(『意識と社会』では)ドイツ・フランス・イタリアの思想家を中心に書いたが、それはこの3国がもっともヨーロッパ的なものを表しているからである、と。30年という区切りは納得できます。しかし、英国・スペイン・ロシアの思想家についての言及がほとんどないのは、やはり奇妙に思われるでしょう。クローチェ、パレート、モスカなどのイタリアの思想家偏重にも首を傾げます。芸術的な面も弱く、シュルレアリスムの運動を素通りする理由はあり得ません。

しかし、なにより疑問なのはその姿勢です。歴史家が特定の思想を抱懐していることは全く当然で、ピーター・ゲイも言うように、むしろ偏向したその精神が時代の真実に鋭く切り込む鍵になるのです。しかし、そのためには意に反した思想にもそれなりの目配りが必要でしょうが、ヒューズは頑固に自らの自由主義(直感的なものも含めた)、懐疑主義に固執しています。彼の考えは次のようなものです。十九世紀後半から二十世紀にかけて、人間は自らのあずかり知らないものに統御されている(無意識のような、社会の下部構造のような)という感覚が支配的となった、人間の行動は全く自由でないどころか、同じパターンのくり返しだ、思想家はこの時代に懐疑的になり、慎重になり、結局は判断停止に陥るのだ、と。

ヒューズの魅力は、こうしたリベラルで面白みのない視点からでも、彼の隠し通すことのできない偏愛、また歴史そのものへの愛着が表れていることでしょう。エッセイ集『歴史家の使命』の中で、8歳の時、家族でフランス旅行へ行った時の思い出が書かれています。マリー・アントワネットの幽閉されていたコンシェルジュリの冷たい石の壁、モン・サン・ミッシェルの拷問室と闇の中の修道僧の部屋などは子どもの心に深い印象を残しました。200年足らずの歴史しか持たない母国から歴史が何重にも積み重なったヨーロッパへの旅、それは子どものみならず1920年代にフランスに渡った米国の知識人に共通する憧憬とルサンチマンに彩られていたのです。そして、これがヒューズの本に、フランスや他の国の歴史家とは違った一種の親密さを与えているのではないでしょうか。

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妻の書棚から借りてきたヒューズのヨーロッパ思想史三部作。左から『意識と社会』『ふさがれた道』『大変貌』。

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