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2016年8月21日 (日)

オデオン広場ふたたび(8)旅の終わり・ブタペスト美術館展

6月24日(金)

     帰国の日。昨日衝撃的なニュースがありました。英国のユーロ離脱で、まさか国民投票で決まるとは。大方の識者の予想をうらぎった結果ですが、私たちには些かうれしい影響が、、、というのもホテル代の清算を精算時のユーロだてにしているからで、すでにユーロは一時的に110円を切る勢いで下落しています。部屋の片付けを手早く済ませ、10時前には清算し、飛行機は深夜発なので荷物をレセプションに預けて、最後の街歩きに出発しました。

   まずサン・ジェルマン・デ・プレへ。L'Ecume des Pages で文芸書を立ち読みしました。出ようとすると、妻が、これを買って、と『巨匠とマルゲリータ』のフランス版のペーパーバックを持ってきました。それを買って、オデオンの交差点まで歩いて、最後にどこか良いカフェに寄ろうと思い、オデオン交差点の cafe les Editeurs に入りました。まだ昼間ですが席はほぼ埋まっています。私たちは朝食用のコーヒーとクロワッサンorパン・オ・レザンのセットを頼みました(2人で11ユーロ)。ところが、クロワッサンが品切れになったとのことでパン・オ・レザンを3つ運んできました。ひとつはサービスとのことです。

    一休みして、les Editeursの前のAvant Comptoir でハムのサンドイッチを買ってリュクサンブール公園のベンチに座って食べました。なぜか帰国の日は毎回こうして昼食をたべています。食べ終わってもまだ時間がたっぷり残っているので、ちょうどリュクサンブール美術館で開催されている「ブタペストの傑作展」に行ってみることを提案しました。これはブタペスト美術館が長期の改装に入っていることを利用して名だたる傑作がパリに移送展示されているものです。入場してみると展示は思った通りすばらしい。デューラー、アルトドルファー、グレコ、ティントレット、ゴヤ、 モネ、マネ、ゴーギャン、セザンヌ等々、これほどの凝縮した展示は日本ではなかなか見られないでしょう。さらに、あまり馴染みのない地元ハンガリー出身の画家たちの絵も興味深い。見終わった後では妻もたいへん満足気で、旅の最後に良い絵をたくさん見れてよかったと言っていました。

   リュクサンブール美術館を出て、リュクサンブール公園の金の鉄柵に沿って歩き、サン・ミッシェル通りをホテルに向かって歩く途中で、ソルボンヌ広場の哲学専門書店 J. VRIN に寄ってみました。最終日にこの本屋に寄るのが慣例のようになっていますが、私がいろいろ迷っているうちに妻が『論語』のフランス語版(原文付)を買っていました。それだけ買ってホテルに戻り、荷物を受け取って、地下鉄でエトワール広場へ。ところが、いつものリムジンバス乗り場が違う場所に移っていて、しかもエール・フランスから委託会社の違う塗装のバスになっていたので、探すのに苦労しました。バスのテロが心配だったが、無事空港へ。今回オデオン座を案内してくれた妻の文通相手が、土産は空港のマークス・アンド・スペンサーで買うといいよと教えてくれたので、そこでお茶やお菓子を買いました。搭乗前に何か食べようとマークス・アンド・スペンサーのサンドイッチを一つずつ買ってベンチで食べましたが、これがとても美味しい。モノプリやフランプリなど問題になりません。また何でも安いので、私が大きなきゅうり(コンコンブル)をカゴに入れていたら妻から取り上げられてしまいました。出国手続きを終えて、私が売店で買ったパリ・マッチを読んでいると、化粧品の売り場に行っていた妻が私に「こっちに来て」と言っています。行ってみると、シャネルのマニキュアの色で迷っているらしく、私に相談してきました。私には全部同じ色に思えたが、帰国の時に免税店で買い物をするのが妻の楽しみなので、真剣にアドバイスしました。

    今回のパリ旅行は、たぶん(私にとって)最後のパリとなるでしょう。大きなトラブルもなく、これまででもっとも満足のいく旅行だったと思います。早く買ったチケットのおかげで、往復とも窓際の二人席を取れたのは幸運でした。ユーロが下がっていたのも僥倖でしょう。今度はどこへ行くべきか。イタリアかイギリスかドイツか。ポルトガルやスペインも良いでしょう。スコットランドやアイルランドも食指が動きます。しかし、本当のことを言えば、どこにも行く気になれないのです。何年か経って、もう一度パリを訪れることがなかったとしたら、グザヴィエ・ド・メーストルの Voyage autour de ma Chambre(書斎をめぐる旅)のごとく、本に埋もれた部屋で思い出と夢想の日々を過ごすことでしょう。

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サン・ジェルマン・デ・プレの本屋 L'Ecume des Pages.

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オデオン交差点のカフェ・エディトゥール。editeurは出版社とか編集という意味。店内の壁は書棚になっています。店員の態度、店の雰囲気、料理の質、トイレなどの綺麗さ、総合的に考えて、パリ最高のカフェの一つであると思います。

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カフェ・エディトゥール。オデオンの交差点際にあります。

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Avant Comptoirで買ったJambon(ハム)のサンドイッチをリュクサンブール公園のベンチで食べました。妻はここのサンドイッチが一番美味しいと言っています。

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「ブタペストの傑作展」から。ルーカス・クラナッハ(1472〜1553)の「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」。クラナッハはこのサロメとやはり同じような趣向の「ホロフェルネスの首をきるユディット」をたくさん描いており、このグロテスクでエロティックな絵画の需要が並々でなかったことを思わせます。残酷趣味も官能美も聖書から由来のものであれば許されたからです。出来不出来はあるが、このブタペスト美術館のサロメがもっとも素晴らしい。

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エル・グレコ(1541〜1614)の「受胎告知」。ほとんど同じものが大原美術館にもあります。ブタペスト美術館はスペインに次いでグレコを多く所蔵する美術館だそうです。グレコの独特の画調は好き嫌いがありそうですが、その偽りのない深い宗教性には胸が打たれます。

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オランダ17世紀の代表的な風俗画家ピーテル・デ・ホーホ(1629〜1684)の「窓辺で手紙を読む女性」。フェルメールにも同名の絵があるが、この二人はデルフトの同じ組合に属していました。ともに風俗画を得意としていますが、フェルメールが劇的で詩的で独自のオーラを持っているのに対して、デ・ホーホは日常の情景を散文的に正確に描こうとしました。非個性的な職人的な誠実さ、それが彼の際立った個性なのです。なお、窓から見える尖塔はアムステルダムの西教会。

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ルーヴルで見ることができなかったフランス・ハルス(1580〜1666)にリュクサンブールで会えるとは。私はレンブラントの数点を除いては、フランス・ハルスに勝る肖像画家はオランダにはいないと思います。この「ある男の肖像」は結婚式の正装をした男の肖像だが、このまま話しかけてきても私たちは驚かないでしょう。フランス・ハルスの優れた肖像画は、皆、笑っているか酔っているか、あるいはその両方です。

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ハンガリーを代表する三人の画家が続きます。ムンカーチ・ミハーイ(1844〜1900)の「マントを着た男」。パリで長らく暮らしていたが、そのリアリズムは言い難い複雑さがあります。ハンガリーの国民画家とも言われています。

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パリで印象派の洗礼を受けたシニェイ=メルシェ・パール(1845〜1920)の「ひばり」。彼の作品としては「五月のピクニック」の方が出来がいいが、それはあまりにフランス印象派がかっています。この「ひばり」の明るさ非現実さはフランス印象派の誰も真似できないでしょう。なお会場では、この絵を模したポーチや文房具が売られていました。

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ヨーゼフ・リプル・ロナイ(1861〜1927)の「鳥かごと女」。この展覧会の目玉というべき素晴らしい作品。鳥かごと壁の緑、ソファの青、ドレスのワイン色、肌の光などは実物を見るに若くはありません。この絵はフランス滞在中に描かれ、その後リプル・ロナイはナビ派の運動に参加しました。シンプルな図柄なのに、いつまで見ても飽きることはありません。

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右の二冊が妻がこの日に買った本。『孔子』と『巨匠とマルゲリータ』。

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2016年8月14日 (日)

オデオン広場ふたたび(7)帰国前日

6月23日(木)

    帰国前日、予定では、妻はオルセー美術館に行って、私は一人でぶらぶらするつもりでした。しかし、昨日の個別行動で私は一人に飽きてしまいました。妻と二人で行動する方が安心だし、何より互いの心配をしないで済みます。それに気づいた時、何というか、自分の青春は終わったのだと思いました。はるか昔に初めてパリを訪れたとき、夕闇の迫る3月のある日に、サン・ティティエンヌ・デュ・モン教会の丸い階段の上に座っていた妖精の黒いとんがり帽を被った愛らしい女学生に話しかけた時、彼女の言っていることはほとんどわからなかったのですが、別れる時はもう暗い帳が向かいのサント・ジュヌヴィエーヌ図書館の玄関まで覆っていました。いつか再びパリを訪れる時に、またあの階段の上に黒いとんがり帽を被って腰掛けている女学生に会える気がしていたのです。

   そんなことなどあり得ないと誰も思うでしょう。昔(ずっと昔です)、小岩のアパートに一人で住んでいた時、近くにあった肉屋の店先で、焼き鳥を焼いていたおかっぱの女の子がいました。その店の娘で、私は銭湯の帰りによく立ち寄って焼き鳥を2、3本食べていたのです。それから25年ほど経って、近くまで来たついでにその肉屋を訪ねてみました。10メートルほど先にその店が見えた時、私の心臓は飛び出さんばかりに拍動したのです。何と、その同じおかっぱの女の子が焼き鳥を焼いているのです。私は少し離れて立ち止まり、そのまったく同じ情景を眺めていました。そして、それが幻影であるかも確認せず、黙ってそこを立ち去りました。

   しかし、今やすべては死に収斂する老年に差し掛かって、青春の幻影は風とともに吹き飛んでいくようです。そんな少女は私の頭の中にしかいなかったし、これからも出会うことはないでしょう。私は、それほど乗り気でなかったが、妻とオルセーに行くことに決めたのです。朝食は昨日と同じ、モノプリで半額で買ったパン・オ・レザン(2個で1.43ユーロ)とコーヒー。サン・ミッシェル近くのセーヌ川に沿ったバス停で24番のバスを待ちましたが、なかなか来ません。朝の陽射しが強くて、妻は文句を言いたそうです。渋滞の間からやっと姿を見せたバスに乗って、20分ほどでオルセー河岸に到着。目の前のオルセー美術館は予想外に行列もまったくなく、 荷物検査もスムーズに終わりました。今日は印象派を除いた19世紀後半のフランス絵画を見るつもりでしたが、一階の左の側廊の広いスペースで『ドワニエ・ルソー展』が開かれていました。

   アンリ・ルソーの絵をまとめて見るのは初めてでしたが、思ったよりもたくさんの絵が展示されていて驚きました。また、ルソーが影響を与えたピカソやエルンストやモーリス・ドニなどの絵も一緒に展示されていました。それにしても、密林や虎や蛇などを次々に見ていくのは疲れます。というのも描かれている絵のほとんどが正面を向いているからで、さらに迫力ある大作が多いのにも圧倒されました。見終わって、それほど好きでもなかったこの画家が好きになったことを告白してもおかしくはないでしょう。訴えてくる画家のイメージは力強く、虚飾も、妥協も、見せかけの宗教的深みもありません。折り重なり、水気をたっぷり含んだ肉厚の葉の信じられない深い緑をそれまで彼以外の誰が描き得たでしょうか。

   今回のパリ旅行は、朝元気いっぱいでホテルを出ても、2、3時間後に急に疲労に襲われることが多かったのですが、ここオルセーでも、ルソー展を出たら急に疲れが感じられました。オルセーの一階の奥の白くまカフェで休もうと思ったら満席でした。仕方なくベンチで休んでから、バスに乗って帰りました。停留所から私だけ先に帰って、妻にオデオン近くの Maison というハンバーガー店でハンバーガーを買ってきてもらいました。ここはFigaroのパリでもっともおいしいハンバーガー店五つに選ばれた店で、パリ一番の肉屋の肉を使っているという話です。ハンバーガーを半分ずつとビールを飲んでベッドで体を休めていたらぐっすり寝入ってしまいました。もう3時近く、今夜は観劇の予定はないのでまったく自由です。妻がマレのカフェ・ド・ミュゼかシェ・ネネスで食事がしたいと言い出しました。しかし、もうランチの時間は終わっているし、夜までは間があります。そこで、昼以降はずっと店を開けているブラッスリーのシャルティエに行くことにしました。妻はあまり乗り気でなかったが、私はあまり気を使わないで済むこの店が好きなのです。

   メトロで、グラン・ブールヴァールまで行き、シャルティエに入って驚きました。たいてい行列ができているのに、今日は誰も並んでいません。店内も客が少なく、いつもは相席になるのが普通なのに今日はテーブルを独占できました。ユーロ2016の最中で、サポーター連中が押しかけてもいいのに、景気のいい団体客の姿も見えません。やはり、観光客は目に見えて減っているのでしょう。私たちも超早割の安い航空券を買っていなかったら、パリではなく草津にでも行っていたかも知れません。シャルティエも化粧室を劇的に改装して綺麗になったのに当てが外れたようです。アペリティフのキールを飲みながら、私たちはゆっくり料理を注文して、ゆっくりワインを飲み、サラダと肉を食べ、コーヒーを飲んで帰りました。

   再びホテルに戻って休息。ベッドに寝転んでテレビを見たり20minutesを読んだりしていました。7時過ぎに二人で外出。まずジベール・ジューヌでeuro2016関連の土産を探しました。いろいろな所を見たが、ここが一番安いようです。キーホルダーなど買って、サン・ミッシェル通りを南に上がって行きました。馴染みの通りですが、恐らく、もうしばらくはあるいは永遠に来ることはないでしょう。ソルボンヌ広場のJ. VRIN に寄ろうと思ったが閉まっていました。さらに南に歩いて、スフロ通りを左に曲がるとパンテオンが見えて来ました。そのパンテオン広場の懐かしいオテル・グランゾムのちょうど裏手にワインで知られた Cafe de la nouvelle Marie があります。

    パリ最後の夜をワイン・バーで過ごそうと思ったのです。ところが、店は満員で、どこにも席はありません。あきらめて帰ろうとしたら、女性のスタッフが、8時40分までに出られるなら二人席が開けられると言って、奥の予約席に案内してくれました。30分ほどしかいられないのですが、ワインだけでも飲んで帰ろうと思って、白と赤のハウスワインを注文しました。店はとても賑やか、エコール・ノルマルやマリー・キュリー研究所の近くなので客質は男女とも知的な人が多いようです。さて、運ばれて来たワインを飲んで白赤ともその美味しさにびっくりしました。特に白はこの世ならぬ味、透き通っていてしかも豊かで飲みながらいろんな夢想が湧いてくるような素晴らしいワインでした。銘柄を聞きたかったが、店内は戦場のような忙しさで早々に退出して来ました。(料金は一杯7ユーロと5ユーロ、どちらがどちらなのかわかりません)

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Le Douanier Rousseau 展は写真撮影禁止でした。オルセー美術館のサイトから彼の渾身の一作「戦争」(1894)を見てみましょう。地上には死に瀕した人たち、枯果てた木々、死体をついばむカラスが描かれ、真ん中には全てを圧して疾走する馬、剣と松明を持つ戦争の女神が描かれています。戦争の恐ろしさ、どうしようもなさ、話し合いの無意味さの真実の表現。誰も千切れた下着をつけて髪を振り乱した女を説得しようとは思わないでしょう。この絵はカンディンスキーやピカソに深い影響を与えました。20世紀のキュビズムやシュルレアリスムなどの絵画は避けがたい人類の苦悶の表現であることを予見しているような作品です。

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私のもっとも好きなルソー作品をフィラデルフィア美術館のサイトから。「カーニバルの夜」(1886)。ルソーのもっとも初期の作品の一つだが、このとき彼はもう42歳になっていました。その後、税関を辞め、ヴァイオリンを弾いて小銭を恵んでもらうほどの耐乏生活の中から次々と傑作を生み出していきます。この幻想と現実の入り混じった世界は比類がありません。

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オルセーの一階でアメリカの画家トマス・エイキンズ Thomas Eakins(1844〜1916)の「Clara」(1890)に出会いました。フィラデルフィアに生まれ、パリで画業を学び、とくにレンブラントに感銘を受けました。その後アメリカに帰り、人物の内面に深く沈潜するリアリズムで多くの肖像画の傑作を描きました。彼とルソーが同年の生まれであることは何か信じがたい。

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オルセー一階の奥の白くまカフェ。ここで休みたかったが満席でした。

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Burger Maisonのクラシック・バーガー。写真は半分に切った後。ポテトと飲み物がついて15ユーロ。妻によると、注文の時、肉の焼き方からトッピングまで色々な選択肢に答えるのが大変だったとのこと。なお、ポテトはサラダでも可。飲み物に選んだコンコンブル(きゅうり)のジュースはとても美味しい。ハンバーガーは、、、美味しくないはずがありません。

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シャルティエの前菜。妻は小海老、私は、、、忘れました。テーブルクロスに注文を書いて、精算の時、筆算するのが伝統だが、今日のギャルソンは新米らしく電卓を使っていました。

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お客が少なくて、マネージャーもギャルソンも所在なさげです。

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スフロ通りからパンテオンを写しました。私にとっては神保町や四谷なみに懐かしい風景です。奥にサン・ティティエンヌ・デュ・モン教会とサント・ジュヌヴィエーヌ図書館が見えます。

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パリ5区、パンテオン横通りのワイン・バー Cafe de la Nouvelle Mairie で飲んだハウスワイン。生涯で最高に美味いワインでした。

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いつも満員だが、雰囲気は素晴らしい。その日の料理が黒板に書いてあります。

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夜は予約した方が無難でしょう。週末にはバンド演奏もあります。カルチェラタンを代表するワインバーです。

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帰り道、コンパニ書店のウインドウを覗きました。イタリアの作家特集で、特にエレーナ・フェランテの『非凡なる女友達』が絶対に面白そう。ペーパーバックも出たばかりです。

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2016年8月 7日 (日)

オデオン広場ふたたび(6)『水と夢』と『かもめ』

6月22日(水)

    昨夜モノプリで半額になっていたパン・オ・レザンをコーヒーと食べて、10時少し前に出発。ホテルを出て、妻は右に私は左に行きました。喧嘩したわけではなく、今日は妻がルーヴル隣の装飾芸術博物館に行くからで、その間、私も本屋巡りでもしていようと思ったのです。とはいえ、どこから行こうかわからず、まず手近のジベール・ジューヌに行ってみることにしました。ぶらぶら探偵小説や文学の棚を見て、1ユーロの本を2冊買ってから、サン・ミッシェル広場のバス停でぼんやりとバスを待っていたら96番のバスが来たので、それに乗りました。96番は、11区のパルマンティエ、オベルカンフ、そして19区のベルヴィルに行くバスです。

   とりあえず、パルマンティエで下車。パルマンティエは市場も出るたいへん活気ある地域で、その交差点に面して Les Guetteurs de vent という書店がありました。開店したばかりですが、もうお客が来て本をみたり、店員と四方山話をしています。まるで近所のパン屋に買いに来たようで、朝の活気が明るい内装の本屋全体に漲っています。最新の売れ筋本、探偵小説、軽いエッセイなど、見やすく並べられた本はどれも興味ふかい。奥には児童書が豊富で、幼児がサッカーの絵本を熱心に眺めています。サン・モール通りの Librairie Libralire や、オベルカンフ通りの Librairie Imagigraphe などの一般書店と完全に競合していますが、立地の良さからこの書店が最後まで残りそうです。

   Les Guetteurs de vent 書店を出て、ジャン・ピエール・タンボー通りを東に向かってゆっくり歩きました。途中の L'Autre Cafe でビールで喉をうるおしながら通りを行き交う人を見ていると、自分がまるで寄る辺のない亡命者のような気分になります。のんびりしていたら、ランチの準備で店が忙しくなって来たので、またジャン・ピエール・タンボー通りを東に。パリの街は、少し歩くだけでガラッと雰囲気が変わることが多いのですが、ベルヴィルの交差点に近づくにつれ、街が荒っぽくなることに気づきました。アラブ人と黒人が多くなり、活気があるというより雑然と混み合ってきた感じです。コーラやファンタとパンやサンドイッチを売る簡易なスタンド、いわゆる立ち飲み店のような狭い室内でワインやビールを飲ませる店、それらの店はみな通りに面した入り口を目いっぱい開けて客が歩道まで溢れています。

   ベルヴィルの交差点を南に曲がり、ベルヴィル大通りをメニルモンタンに向かって歩きます。アラブ色が強くなり、ハラルを扱う食堂やアラブ人用の理髪店、さらにアラブ系の本を扱う店が何軒かあります。そのうち一軒の本屋の写真を道路を隔てた所から望遠で撮っていたら、たまたま外に出てきた主人らしき男が、エファセ、エファセ!(消せ、消せ!)と叫びながら飛んで来ました。それで、わかるようにゴミ箱マークを押して画像を消すと微妙に笑いながら帰って行きました。何しろ周りはアラブ人ばかりなので、トラブルを起こしたら面倒です。また歩き出すと大通りの真ん中、定期市が開かれる場所でフリーマーケットのようなものが開かれていました。見ると、主に黒人がカバンや衣料を売っているようです。奥に入ってみると、何と一眼レフカメラ(ほとんどがニコンとキャノン)が大量に並べられています。その隣にはスマホがずらりと揃っています。仕入先を尋ねるまでもないでしょう。さすがに危険なので写真は撮れませんでした。

   ベルヴィルからメニルモンタン通りに入ると、再び街は穏やかな感じになりました。向かいには、もうペール・ラシェーズ墓地があります。お腹が空いたので、交差点にあったフランプリで水とサンドイッチを買って緑歩道のベンチに座って食べました。隣りのベンチでは女学生らしい3人の女の子たちがやはりサンドイッチをおしゃべりしながら食べています。私はサンドイッチに飽きて食べきれず、残りをゴミ箱に捨ててしまいました。温度は急速に上がって木陰から離れると陽射しが強い。私は急に冷たい、わさびの利いたざる蕎麦が食べたくなりました。チーズやハムはもう十分です。こんなふうに思ったことはいままでなかったのに、日本食が懐かしくなるとは意外でした。

    ペール・ラシェーズの交差点からシュマン・ヴェール通りに入りました。この通りには本屋が二軒あるはずでしたが、一軒は閉店したらしく探しても見当たりません。もう一軒のLa Musardine 書店は健在で、真っ赤な店舗が鮮やかです。この本屋はエロティック関係の書店で、中に入ると、すでに客が3人いました。みな20〜30代の女性で、そのうち二人はそれぞれ熱心に立ち読みしています。あと一人の女性客は店の主人と話しをしていましたが、イタリア人っぽい粋な中年男性の店主は「この本は、いわゆる告白本で、、、」などと本の説明をしています。店内はたいへん明るく洗練されています。入ってすぐ左手にはサドなどの古典本が置かれ、店の右手は男性向けのヌード本などが並べられ、中央には女性向けの小説本(ソフトなものや激しいものも)が見やすく平積みされ、奥には親切にも大人の性玩具も揃っています。私は、アポリネールの『一万一千本の鞭』が平積みされていたので、懐かしくてパラパラ読み返しました。はるか昔ですが、私はこの滅茶苦茶なポルノ小説を読んで感動したのです。それはこの作家が人間性に何の期待もしていないからでした。私は隣に並んでいた同じ作者の『若きドン・ジョアンの冒険』をとってレジで金を払い、店内の写真を撮っていいか聞きました。とても感じの良い主人は「人が写らなければいいよ」とニコニコ笑いながら言ってくれました。

   ペール・ラシェーズ駅から地下鉄を乗り継いで19区の Ourcq 駅へ。19区とはいえ、この辺りは穏やかで住みやすそうです。近くのアルデンヌ通りをひたすら北へ歩くとロワーズ河岸quai de l'Oiseにつきます。ここはラ・ヴィレットの所から流れてくる水路で、昔は材木や農産物の移送のための重要な水路でしたが、今は近隣の住民の憩いの場になっています。運河を向こう岸に渡るとき、自動小銃を携帯して迷彩服を着た3人のフラン軍兵士とすれ違いました。また保母さんに連れられた保育園の子供たちも橋を渡っていました。天気は晴れ、日差しは暑いが、運河を渡る風は心地よい。釣りをする人、ベンチで読書する人もいます。運河を西に少し歩くと、縦に長い平底船(peniche)が係留していました。ここが最後の目的地 L'eau et les reves(水と夢)書店です。

   船にのって、舳先から遠く運河の先を見ると2隻のモーターボートが競争しながら東に走り抜けて行きます。甲板の上に腰掛けるとびっくりするほど涼しい風が吹き抜けていきます。階段を使って船室に降りると、そこは海、川、旅についての書物が非常に美しく並べられています。何人か先客がいて、みな中高年の落ち着いた人たち、店の人たちも家庭的な感じで、静かに客と話しをしています。私はここでスティーヴンソンの『旅は驢馬をつれて』のフランス語版を買いました。また甲板に出て、先日の雨で増水した運河を眺めていると、妻と二人で浜離宮から浅草まで船で行ったことを思い出しました。

   ところで、l'eau et les reves書店の名はむろんバシュラールの『水と夢』から取られているのでしょう。日本ではバシュラールは1970年代を最後に忘れ去られた思想家であるのに、フランスでは常に現役の、というよりincontournable(避けて通ることの出来ない)な人物となっています。これには当時の日本での受容についての問題があったのでしょう。バシュラールは難解な思想家で、研究者がその魅力を一般の読者に伝えることが困難だったのです。そもそも思想家は自分の考えを醸成する過程で様々な失敗、挫折、見落としなどを経験します。余分な虚飾を取り払って、自らの原点から構築する思想は、それゆえに読者を感動させるものを常に持っています。ところが、研究者・紹介者・翻訳家は思想家の到達した所から出発し、要領よくその出どころに遡ります。その文章が読者の心に何かを訴えることが難しいのは当然のことで、バシュラールのような思想家には特にそれが困難であるということなのでしょう。

    よい機会なので、数多くのバシュラールの著作の中から、際立って精鋭なものを紹介しましょう。それは『火の精神分析』(前田耕作訳・せりか書房)です。人間がいかにして火を使用できるようになったかは実は大いなる謎なのです。「合理的」な解釈では、林の中で樹々が風で擦り合わさって発火するのを目撃して、乾いた二本の木を同じように摩擦したら火を生むことができた、などと書かれていますが、実際上信じがたい解釈です。それより人間の毎夜の営みについて目を凝らすべきでしょう。硬い棒が、それより柔らかい材質の穴の中で激しく摩擦し合うと強い熱を発生し、乾いた葉をのせると燃え上がります。これが性交のアナロジーから導き出されたと考えることはもっとも妥当な解釈ではないでしょうか。人間に火をもたらしたとされるプロメテウスがあのような理不尽な懲罰を受けるのは理解しがたく、本質は彼がたくましい熱愛者であったためであろう、とバシュラールは書いています。「神々の復讐は嫉妬に身を焦がす者の復讐である」とはまさにその通りでしょう。

   メトロのCrimee駅まで歩く途中、FaceTimeに妻からメッセージが入っていました。それによると、妻はもうホテルに戻って休んでいるようです。私は急いで地下鉄でサン・ミッシェルまで帰り、モノプリでフランス産のカップ・ヌードルや果物やビールを買ってホテルに帰りました。妻は装飾博物館を堪能したようで、さらにクリニュー博物館も行ってきたそうです。私への土産にクリニューでペーパーナイフを買ってきてくれました。軽い夕食を済ませ、休んでから、8時開始のオデオン座の観劇のためホテルを出ました。今日の演目はあまりに有名なチェーホフの『かもめ』です。

   オデオン座はすぐ近くなのですが、早めに行って劇場で休もうと考えました。オデオン前の広場に設けられたカフェの席はもう近所の年寄りや、観光客や、芝居を待つ人でいっぱいです。私たちは劇場二階のカフェでシュウェップスを飲みながら開演時間を待ちました。20分ほど前になって開場。チケットを見せて観客席へ。私たちの席は二階の31ユーロの席、やや左斜めで見にくいが仕方ありません。舞台を見ると、ぼんやりした薄暗がりの中で、もう出演者が壁際のベンチに腰掛けています。背後の幕にはチェーホフの『サハリン島』からの引用がマッピングで映し出されていますが、斜めからなので読めませんでした。

   いよいよ開演。最初に出演者が二人ずつ出てきて、客をネタにして漫才の掛け合いのようなことをします。観客は爆笑するのですが、早口で言っていることがほとんど理解できず悔しい思いをしました。それから一人の女性がバケツに入れた墨と太い刷毛を持ってきて背後に貼られた大きな紙に水墨画めいたものを書いていきます。山のような、かもめのような、模様のようなものを描いて、描き終わると真っ黒に塗りつぶしていきます。ようやく始まった劇の冒頭は、女主人公ニーナが恋人のトレープレフの芝居を演ずるのですが、それが光と大音響のファンタジーめいた仕掛けで度肝を抜きます。いったいこの芝居はどうなるんだろうと心配していたら、話は何とかあらすじ通りに進んで、しかし、途中の唐突な仕掛けにイライラしながら舞台は終わりました。妻によると、今までで最悪の芝居だったということです。

   実はこの芝居の演出はドイツ出身で世界的に活躍している演出家トーマス・オスターマイヤーで、彼のやり方は原作を現代に合わせて改作し、その当時にヴィヴィッドで本質的だった問題を現代でもまた切実な課題として提示することにあるらしいのです。だから結末を変えてしまうことなど朝飯前で、常に現代にコミットする大胆な仕掛けをねらっているようです。しかし、よく考えてみれば、原作を変えるぐらいなら新たに現代的な新作を作ればいいだけで、わざわざイプセンやシェークスピアを持ち出すのは大権威に寄りかかると思われても仕方がありません。今回は、しかし、チェーホフで、彼の方法はやや空振りだったようです。というのも、(これがチェーホフの偉大な点ですが)彼は、心弱き人間の普遍的な苦悩を描き続けたので、社会性やましてや政治的メッセージなど無縁です。『かもめ』では登場人物はみな現代の衣装を纏って現れますが、そこに描かれるものは小人物的な名声への憧れと憎しみ、自己の才能への懐疑と苦悩、過ぎ去ったものへの哀愁と悔恨以上ではない筈です。

  ついでにもう一つ。チェーホフの短篇小説では、題材を絞りに絞って、人生の一断面、一瞬間を鮮やかに描き出すのに、劇作になると、登場人物すべてに重い人生を背負わせて、それらがみな描ききれず、深みのないものに終わってしまうことが多いようです。『かもめ』の往年の名女優アルカーディナが良い例で、人間ってそんなにわかりやすくないのに、と思ってしまいます。それに対して文学青年トレープレフの最後の自殺は不思議な謎を観客に残しました。オデオンの照明・効果は狙いすぎでどうかと思うが、最後の天井をいっぱいに舞うかもめの光の効果は見事でした。

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ジベール・ジューヌで積んであったロベール・ドアノーの写真集(49.9ユーロ)。ドアノーの写真は、私たちがいつもあのとき撮っておけばよかった、と思うような瞬間を見事に切り取っています。

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パリ11区パルマンティエ通りのLes Guetteurs de Vent(風の見張り番)書店。

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典型的な町の書店。入りやすく、見やすく、相談しやすく、雰囲気が明るい。ネットの時代でもしぶとく生き残るでしょう。

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ウインドウにはEuro2016関連の楽しい本が並んでいます。

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オベルカンフ随一の老舗、L'Autre Cafe。1日中活気のあるカフェ。ここでいつもの1664というビールを飲みました。

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ベルヴィルのアラブ人向けの理髪店。大人12.5ユーロ、子供8ユーロ、なぜか髭が5ユーロです。

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ハラル料理の食堂。日本人が入れるような店ではありません。

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ベルヴィルのフリーマーケット。鞄や衣料を売っていたが、奥にはカメラや携帯も並べられています。

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ペール・ラシェーズ墓地近くのシュマン・ヴェール通りにあるエロティック系書店La Musardine。ウインドウには69番をつけたサッカーフランス代表のユニフォームが飾ってあります。

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La Musardine書店の店内。明るく、くつろいだ感じで入りやすい。客は全て女性でした。

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ウインドウには「ビールとサッカーとポルノの夕べ」という催しのお知らせがありました。

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ロワーズ運河。19区ヴィレット近く。のんびりした風景です。

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非常事態宣言の出ているパリ。こんな穏やかな場所にも3人一組で兵隊が巡回しています。

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この大きな平底船は下の船室全体が旅と水に関する書店になっています。

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これが舳先の部分。店名はバシュラールの『水と夢』から。

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船に乗ると、なぜかワクワクします。

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階段を降りると書店の入り口です。道楽でやっているとしか思えない贅沢な本屋です。

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店内は旅の本、海・河の本が美しく並べられています。

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夜7時過ぎのオデオン広場。老人が多いのに驚きます。

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開演前のカフェ・オデオン。バー・カウンターには行列ができています。

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オデオン座の観客席。出演者はもう舞台に座っています。背景に映し出されているのは、チェーホフの『サハリン日記』。演出のオスターマイヤーはこの著作がチェーホフの生涯の転機になったと言っています。

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最後の舞台挨拶。右から二人目、主人公ニーナ役のメロディ・リシャールはさすがに美しい。

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オデオン座の正面。La Mouette(かもめ)の垂れ幕があります。

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妻がクリニュー博物館で買ってきてくれたペーパーナイフを早速使ってみました。本はブラッサンス公園で買ったParis-Peintres et Ecrivains. ユイスマンスのフォリー・ベルジェールの章にゴッホのモンマルトル風景が添えてあります。

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今日買った本。ジベール・ジューヌで買ったロマン・ギャリの『紅海の財宝』とウナムーノの『見るための目』、La Musardine書店で買ったアポリネールの『若きドン・ジュアンの冒険』、それにL'eau et les reves書店で買ったスティーヴンソンの『旅は驢馬をつれて』。ロバの本は必ず買います。

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