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2016年8月14日 (日)

オデオン広場ふたたび(7)帰国前日

6月23日(木)

    帰国前日、予定では、妻はオルセー美術館に行って、私は一人でぶらぶらするつもりでした。しかし、昨日の個別行動で私は一人に飽きてしまいました。妻と二人で行動する方が安心だし、何より互いの心配をしないで済みます。それに気づいた時、何というか、自分の青春は終わったのだと思いました。はるか昔に初めてパリを訪れたとき、夕闇の迫る3月のある日に、サン・ティティエンヌ・デュ・モン教会の丸い階段の上に座っていた妖精の黒いとんがり帽を被った愛らしい女学生に話しかけた時、彼女の言っていることはほとんどわからなかったのですが、別れる時はもう暗い帳が向かいのサント・ジュヌヴィエーヌ図書館の玄関まで覆っていました。いつか再びパリを訪れる時に、またあの階段の上に黒いとんがり帽を被って腰掛けている女学生に会える気がしていたのです。

   そんなことなどあり得ないと誰も思うでしょう。昔(ずっと昔です)、小岩のアパートに一人で住んでいた時、近くにあった肉屋の店先で、焼き鳥を焼いていたおかっぱの女の子がいました。その店の娘で、私は銭湯の帰りによく立ち寄って焼き鳥を2、3本食べていたのです。それから25年ほど経って、近くまで来たついでにその肉屋を訪ねてみました。10メートルほど先にその店が見えた時、私の心臓は飛び出さんばかりに拍動したのです。何と、その同じおかっぱの女の子が焼き鳥を焼いているのです。私は少し離れて立ち止まり、そのまったく同じ情景を眺めていました。そして、それが幻影であるかも確認せず、黙ってそこを立ち去りました。

   しかし、今やすべては死に収斂する老年に差し掛かって、青春の幻影は風とともに吹き飛んでいくようです。そんな少女は私の頭の中にしかいなかったし、これからも出会うことはないでしょう。私は、それほど乗り気でなかったが、妻とオルセーに行くことに決めたのです。朝食は昨日と同じ、モノプリで半額で買ったパン・オ・レザン(2個で1.43ユーロ)とコーヒー。サン・ミッシェル近くのセーヌ川に沿ったバス停で24番のバスを待ちましたが、なかなか来ません。朝の陽射しが強くて、妻は文句を言いたそうです。渋滞の間からやっと姿を見せたバスに乗って、20分ほどでオルセー河岸に到着。目の前のオルセー美術館は予想外に行列もまったくなく、 荷物検査もスムーズに終わりました。今日は印象派を除いた19世紀後半のフランス絵画を見るつもりでしたが、一階の左の側廊の広いスペースで『ドワニエ・ルソー展』が開かれていました。

   アンリ・ルソーの絵をまとめて見るのは初めてでしたが、思ったよりもたくさんの絵が展示されていて驚きました。また、ルソーが影響を与えたピカソやエルンストやモーリス・ドニなどの絵も一緒に展示されていました。それにしても、密林や虎や蛇などを次々に見ていくのは疲れます。というのも描かれている絵のほとんどが正面を向いているからで、さらに迫力ある大作が多いのにも圧倒されました。見終わって、それほど好きでもなかったこの画家が好きになったことを告白してもおかしくはないでしょう。訴えてくる画家のイメージは力強く、虚飾も、妥協も、見せかけの宗教的深みもありません。折り重なり、水気をたっぷり含んだ肉厚の葉の信じられない深い緑をそれまで彼以外の誰が描き得たでしょうか。

   今回のパリ旅行は、朝元気いっぱいでホテルを出ても、2、3時間後に急に疲労に襲われることが多かったのですが、ここオルセーでも、ルソー展を出たら急に疲れが感じられました。オルセーの一階の奥の白くまカフェで休もうと思ったら満席でした。仕方なくベンチで休んでから、バスに乗って帰りました。停留所から私だけ先に帰って、妻にオデオン近くの Maison というハンバーガー店でハンバーガーを買ってきてもらいました。ここはFigaroのパリでもっともおいしいハンバーガー店五つに選ばれた店で、パリ一番の肉屋の肉を使っているという話です。ハンバーガーを半分ずつとビールを飲んでベッドで体を休めていたらぐっすり寝入ってしまいました。もう3時近く、今夜は観劇の予定はないのでまったく自由です。妻がマレのカフェ・ド・ミュゼかシェ・ネネスで食事がしたいと言い出しました。しかし、もうランチの時間は終わっているし、夜までは間があります。そこで、昼以降はずっと店を開けているブラッスリーのシャルティエに行くことにしました。妻はあまり乗り気でなかったが、私はあまり気を使わないで済むこの店が好きなのです。

   メトロで、グラン・ブールヴァールまで行き、シャルティエに入って驚きました。たいてい行列ができているのに、今日は誰も並んでいません。店内も客が少なく、いつもは相席になるのが普通なのに今日はテーブルを独占できました。ユーロ2016の最中で、サポーター連中が押しかけてもいいのに、景気のいい団体客の姿も見えません。やはり、観光客は目に見えて減っているのでしょう。私たちも超早割の安い航空券を買っていなかったら、パリではなく草津にでも行っていたかも知れません。シャルティエも化粧室を劇的に改装して綺麗になったのに当てが外れたようです。アペリティフのキールを飲みながら、私たちはゆっくり料理を注文して、ゆっくりワインを飲み、サラダと肉を食べ、コーヒーを飲んで帰りました。

   再びホテルに戻って休息。ベッドに寝転んでテレビを見たり20minutesを読んだりしていました。7時過ぎに二人で外出。まずジベール・ジューヌでeuro2016関連の土産を探しました。いろいろな所を見たが、ここが一番安いようです。キーホルダーなど買って、サン・ミッシェル通りを南に上がって行きました。馴染みの通りですが、恐らく、もうしばらくはあるいは永遠に来ることはないでしょう。ソルボンヌ広場のJ. VRIN に寄ろうと思ったが閉まっていました。さらに南に歩いて、スフロ通りを左に曲がるとパンテオンが見えて来ました。そのパンテオン広場の懐かしいオテル・グランゾムのちょうど裏手にワインで知られた Cafe de la nouvelle Marie があります。

    パリ最後の夜をワイン・バーで過ごそうと思ったのです。ところが、店は満員で、どこにも席はありません。あきらめて帰ろうとしたら、女性のスタッフが、8時40分までに出られるなら二人席が開けられると言って、奥の予約席に案内してくれました。30分ほどしかいられないのですが、ワインだけでも飲んで帰ろうと思って、白と赤のハウスワインを注文しました。店はとても賑やか、エコール・ノルマルやマリー・キュリー研究所の近くなので客質は男女とも知的な人が多いようです。さて、運ばれて来たワインを飲んで白赤ともその美味しさにびっくりしました。特に白はこの世ならぬ味、透き通っていてしかも豊かで飲みながらいろんな夢想が湧いてくるような素晴らしいワインでした。銘柄を聞きたかったが、店内は戦場のような忙しさで早々に退出して来ました。(料金は一杯7ユーロと5ユーロ、どちらがどちらなのかわかりません)

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Le Douanier Rousseau 展は写真撮影禁止でした。オルセー美術館のサイトから彼の渾身の一作「戦争」(1894)を見てみましょう。地上には死に瀕した人たち、枯果てた木々、死体をついばむカラスが描かれ、真ん中には全てを圧して疾走する馬、剣と松明を持つ戦争の女神が描かれています。戦争の恐ろしさ、どうしようもなさ、話し合いの無意味さの真実の表現。誰も千切れた下着をつけて髪を振り乱した女を説得しようとは思わないでしょう。この絵はカンディンスキーやピカソに深い影響を与えました。20世紀のキュビズムやシュルレアリスムなどの絵画は避けがたい人類の苦悶の表現であることを予見しているような作品です。

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私のもっとも好きなルソー作品をフィラデルフィア美術館のサイトから。「カーニバルの夜」(1886)。ルソーのもっとも初期の作品の一つだが、このとき彼はもう42歳になっていました。その後、税関を辞め、ヴァイオリンを弾いて小銭を恵んでもらうほどの耐乏生活の中から次々と傑作を生み出していきます。この幻想と現実の入り混じった世界は比類がありません。

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オルセーの一階でアメリカの画家トマス・エイキンズ Thomas Eakins(1844〜1916)の「Clara」(1890)に出会いました。フィラデルフィアに生まれ、パリで画業を学び、とくにレンブラントに感銘を受けました。その後アメリカに帰り、人物の内面に深く沈潜するリアリズムで多くの肖像画の傑作を描きました。彼とルソーが同年の生まれであることは何か信じがたい。

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オルセー一階の奥の白くまカフェ。ここで休みたかったが満席でした。

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Burger Maisonのクラシック・バーガー。写真は半分に切った後。ポテトと飲み物がついて15ユーロ。妻によると、注文の時、肉の焼き方からトッピングまで色々な選択肢に答えるのが大変だったとのこと。なお、ポテトはサラダでも可。飲み物に選んだコンコンブル(きゅうり)のジュースはとても美味しい。ハンバーガーは、、、美味しくないはずがありません。

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シャルティエの前菜。妻は小海老、私は、、、忘れました。テーブルクロスに注文を書いて、精算の時、筆算するのが伝統だが、今日のギャルソンは新米らしく電卓を使っていました。

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お客が少なくて、マネージャーもギャルソンも所在なさげです。

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スフロ通りからパンテオンを写しました。私にとっては神保町や四谷なみに懐かしい風景です。奥にサン・ティティエンヌ・デュ・モン教会とサント・ジュヌヴィエーヌ図書館が見えます。

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パリ5区、パンテオン横通りのワイン・バー Cafe de la Nouvelle Mairie で飲んだハウスワイン。生涯で最高に美味いワインでした。

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いつも満員だが、雰囲気は素晴らしい。その日の料理が黒板に書いてあります。

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夜は予約した方が無難でしょう。週末にはバンド演奏もあります。カルチェラタンを代表するワインバーです。

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帰り道、コンパニ書店のウインドウを覗きました。イタリアの作家特集で、特にエレーナ・フェランテの『非凡なる女友達』が絶対に面白そう。ペーパーバックも出たばかりです。

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