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2016年7月31日 (日)

オデオン広場ふたたび(5)ケ・ブランリーと17区のオデオン座

6月21日(火) 

  昨日の雨が嘘のような青空、昨夜モノプリで買ったパン・ド・カンパーニュをコーヒーで喉に押し込んで、ケ・ブランリー美術館に行くべくホテルを出発しました。実は今回のパリ旅行は観劇以外は全然予定を立てていなかったのですが、昨日、妻がオデオン座で働くJ...さんに、ケ・ブランリーは行った方がいいよ、と言われたので、行ってみることにしました。J...さんによると、庭がすてきだということです。ケ・ブランリー美術館は2006年に開館した、アフリカ・アジア・オセアニア・南アメリカの文化・民俗・芸術などを展示する美術館で、さほど興味はなかったのですが、妻が行こうよと言うので行くことにしました。

   バスで行こうと思いましたが、バスは乗り換えが面倒なので、メトロでアルマ・マルソーまで行き、セーヌ川を渡ってケ・ブランリーの入り口に着きました。11時開館まで10分ほど待って入場(二人で15ユーロです)。足下を光が戯れるような不思議な廊下を通って展示場へ。ところで、この美術館はよくある民俗学博物館とは随分違っています。例えば千葉の佐倉にある歴史民俗博物館のような来館者を教育する意図など一切ありません。ただ、珍しいものを楽しんで見るようにとだけ作られているので、展示品も多くなく(所蔵品は30万点以上ですが)、しかも部屋によって区切られてなく、大きな空間を楕円形に一周するだけです。展示方法も斬新です。すべての展示物が360度の角度から見ることができるよう工夫されています。照明を落とされ、光によって導かれる様はまるで劇場空間そのものでしょう。さらに、ギメの東洋博物館が突出したカンボジア美術から始まるように、ここはもっとも馴染みのないオセアニア(ポリネシア・メラニシア・ミクロネシア・ニューギニア・ニュージーランドなど)から始まります。

   というのも、このオセアニア民俗・文化がまさに衝撃の展示だったからです。私が考えていたオセアニアのイメージは素朴な楽園という枠をあまり出ないものでした。ところが展示されているものは、奇怪・グロテスク・不気味・恐怖そのものです。想像力のはるか先を行くもの、理性では何とも理解しがたいおぞましさを孕んだものだったのです。西洋人がこれらの島々を初めて訪れたとき、どの島々にも住民が住み、しかもそれぞれ違う言語を話すことに驚いたそうですが、恐らく、島々での戦争、皆殺し、人肉嗜食などが日常に行われ、夜は死者の精霊が跳梁する濃密な空間が展開していたのでしょう。

   オセアニアの展示を過ぎると、突然ぐったりしてしまいました。尋常ならざるものを見た精神の疲れか、あるいは旅も中盤に来た疲労か。美術館のベンチに腰掛けてしばらく休んでから、アフリカ、アジア、アメリカと見ていきましたが、後はだいたい馴染みのものばかりで驚きはありません。外に出て、併設のカフェ・ブランリーで、パスティスを飲みながら広い庭をゆっくり眺めました。有名な造園家の作った庭らしいのですが、自然の野放途さを出しながら、林の中をぶらぶら歩いて偶然美術館に出会うような巧みさがあります。

   メトロでサン・ミッシェルまで帰り、モノプリで果物やハムやサラダを買ってホテルに帰りました。ここで、私は20minutes を読みながらぐっすり昼寝をして、目がさめるともう夕方、妻が黒いワンピースをきて観劇の準備をしています。今日の観劇はオデオン座だが、6区のオデオンではなく、17区のOdeon Atliers Berthier、つまりオデオンのもう一つの劇場です。17区は危険な地区ではないが、劇場のあるポルト・ド・クリシーは18区との境でパリの北西の外れ、street viewでみると、とても殺伐とした地域です。メトロのポルト・ド・クリシーを上がると、一帯は大規模な工事中で、いかにもパリの外れという感じです。

    劇場は駅のすぐ近くにありました。工事の曲がりくねった規制線に沿って歩き、オデオンのAtliers Berthierへ。入口で荷物検査があって中へ入ると、開演時間8時の40分前なのにもう何人も客が待っています。カフェで軽食を食べる人や座ってプログラムを読む人もいます。六区オデオン座前の演劇書専門店 Le Coupe-Papier も小さな本屋を出しています。時間になって客席へ。広くはないが、いかにも実験的な演劇をする場所という感じです。席は一階のちょうど真ん中の37ユーロの席、通路に面して足を伸ばせる絶好の場所です。

   さて、演目は何とフォークナーの『野生の棕櫚』です。全く関係ない二つの話が交互に進行するこの野心的な小説を、女性演出家の Severine Chavrier はものの見事にぶった切って、二人の男女の愛が展開される片方の物語だけに焦点を当てました。しかも登場人物はその二人だけです。簡単に原作のあらすじを振り返ると、「野生の棕櫚」と題された片方は27歳の医学のインターン中の学生と25歳の人妻の愛欲の逃避行ともいうべき話です。夫と二人の子を捨てて医者の卵と駆け落ちする人妻は、最後には恋人による堕胎手術の失敗で命を落とします。恋人のハリーは50年の刑を言い渡されて刑務所に収監されます。もう片方の「オールド・マン」はミシシッピ川の洪水の被災者の救助に駆り出された囚人の話です(オールド・マンとはミシシッピ川の別名です)。彼は濁流に呑み込まれて仲間からはぐれ、途中で木につかまって救助を待つ妊婦を救います。この妊婦としばらく生活した後 、もとの刑務所に戻ってさらに10年の刑を追加されます。

   この趣向についてフォークナーは、「野生の棕櫚」の第1章を書いているうちに説明不足の点に気付いたので、補足的・背景的な意味で「オールド・マン」のパートも書き始めた、と言っていますが、自作についての作家自身の説明を鵜吞みにする人が多いのに驚きます。実体は、単純すぎる本編をより複雑・難解に見せるために別のパートを付け加えたと見る方が自然でしょう。そうすると、Severine Chavrier の思い切った手法は、愛欲の行き着く先をより純粋にそれ自身のみで追求したわけで、納得できなくもないのです。(しかし、私の読後感では、オールド・マンのパートの方がずっと素晴らしく、ミシシッピ川にまつわる描写はフォークナーそのものです)

    ただ、出来上がった舞台は、まず退屈なものになってしまったようです。約半分はセックス・シーンで、およそ三分の一は全裸です(16歳以下観劇禁止です)。口論、怒鳴り合い、部屋の中を動き回り、叫び合い、抱き合うだけです。さらに、最新の映画技術の音響専門家によるという音響効果の迫力(外の嵐、雷、雨、そして無意味な大音響)がその空っぽさをより引き立てています。私はすぐに寝てしまい、寝言を言って妻から起こされました。舞台終了時の拍手もおざなりで、観客も白けていましたが、これがハリウッドの予定調和とは違うオデオン座の演劇なのでしょう。帰りもメトロで帰り、サン・ミッシェルで、夜中にしては騒がしいと思ったら、今日は音楽の日でした。モノプリでビールを買おうとすると、深夜はアルコール類は売れませんと言われました。毎年音楽の日は騒いで瓶や缶が散乱するので、今年は規制されているのでしょう。疲れていたので、すぐに寝てしまいましたが、妻も今日の芝居について文句を通り越してさんざん怒っていました。

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ケ・ブランリー美術館の入り口から展示室に伸びる光の廊下。世界中の地名が次々に流れて行きます。

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オセアニア(ポリネシア・ミクロネシア・メラネシア・ニュージーランド等)の先頭はこんな彫刻から始まります。とらえどころのない不気味さ。これらが皆、19世紀の作品であることに驚きます。

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精霊を表す像らしい。こういうものを見ると、日本のルーツが南方文化にあるなどという説は信じ難くなります。

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これも精霊を装うマスク。なぜこれほど気味悪く作れるのか不思議です。

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戦いの武具や面がたくさん展示されてありました。南太平洋では、ヨーロッパの宣教師たちが切り刻まれ、食べられたという歴史もあります。

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カフェ・ブランリーでパスティスを飲みました。自然の風がたいへん心地よかったです。

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アンドレ・シトロエン公園の設計者、ジル・クレマンによる庭。無造作ながら全て計算された樹木と花。エッフェル塔のすぐ近くにこれほどの敷地があったことは驚きです。

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17区の外れ、ポルト・ド・クリシーのオデオン・ヨーロッパ劇場のアトリエ・ベルチエ。この周辺は大規模な再開発が進められています。

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開演を待つ人々。ほとんどが中高年。女性の方が多いようでした。

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芝居の前後に店を開けるカフェ・オデオン。白髪の男性が一人だけで注文を処理しています。

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『野生の棕櫚』の登場人物は二人だけ。ロラン・パポとデボラ・ローチ。大熱演の後の最後の舞台挨拶。

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『野生の棕櫚』のパンフレット。写真のように、1時間半の舞台のほとんどが裸の場面です。

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2016年7月24日 (日)

オデオン広場ふたたび(4)雨のレピュブリック広場

6月20日(月)
    朝からひどい雨。折りたたみ傘を一つしか持ってこなかったので、ホテル並びの大型本屋ジベール・ジョゼフで一番安い折りたたみ傘を一本買いました(5ユーロ)。ついでに、文房具売り場でペーパーナイフを探したが気に入ったものはありませんでした。これまたついでに、2階の文学書売場をさーと見て、38番のバスでダンフェール・ロシュロー広場へ。天文台のすぐ裏なので歩いても行けそうですが、この雨なので仕方ありません。ダンフェール・ロシュローはたいへん活気あるところで、広場にあるライオン像、賑やかなダゲール通り、人骨で埋め尽くされたカタコンブなどが有名です。

    とりあえず、傘をさしながら広場のライオン像を鑑賞。それからダゲール通りに行きましたが、月曜日ゆえか休みの店も多く、雨模様なので人もまばらです。ブラール通りを歩いていたら、妻が急にお腹が空いた、と言い出しました。まだ、12時前ですが、いったんダンフェール・ロシュロー広場に戻り、ルネ・コティ通りをRERのB線に沿って歩きました。五分も歩かずに、左に曲がってダロー通りに入ると、高架橋をくぐったすぐ右手にLe Vaudesir というビストロがありました。12時まであと5分ほどあるのでランチはまだ早いだろうかと思い、ガラス戸から中を覗きました。ちょうど通りがかりの女の人が私に向かって、親指を立てて「この店は美味しいよ!」というジェスチャーをしました。目を上げると、太ってにこやかな店の主人と目が合ってしまい、思い切って店に入りました。

    広くはない店ですが、10余りのテーブルにはまだ客はいません。常連客らしい男と女がカウンターでワインを飲んでいます。飲み物か食べ物か聞いてきたので、店の前に書き出されていた今日のランチ Paleron Braisee を注文しました。すると奥から2番目の席に案内すると、厨房からランチの見本を持ってきて、これでいいのか?と聞いてきます。それでいい、と答えるとその料理を隣のテーブルに置きました。あれ?と思っていると、そこに料理番らしい若い黒人女性が座って、どうも同じランチを賄いで食べるようです。この黒人女性はにこにこして、とても陽気で、妻がトイレの場所を尋ねると、丁寧に教えてくれました。 妻が帰ってくると、「大丈夫だった?」と聞いてきます。妻が「大丈夫。少し難しかったけど」と答えると二人で恥ずかしそうに笑っています。妻にきくと、なんとトイレは戦前の和式というのかトルコ式というのか、旧式で天井にシャワーが付いていて戸もしっかり閉まらないような時代物だということでした。

   私がカメラを取り出すと、主人が飛んできて「写真を撮ってやろう」と言って私たち二人の写真を2枚撮ってくれました。ビールを飲んでいるとランチが出て、実はPaleron という単語を知らなかったのでスマホの中のロベール仏和大辞典で調べてみると、何と牛の腕肉とのことです(Braiseeは蒸し煮のこと)。しかし、とても柔らかく親しみのある味、付け合せの大きなジャガイモも私好みの味でした。妻も美味しいと言っていましたが、肉の量が多くさすがに食べきれず、私が残りを食べてしまいました。食べているうちに客が入り始め、あっという間に満席に。この店の人気がうかがい知れます。食後のコーヒーを飲んで、迷惑にならないよう席を立ちましたが、これで23.9ユーロとは安いものです。

   実は、この店こそ私が執念で探したビストロだったのです。メジャーで一度も紹介されたことのない、パリ中心部から遠くなく、地元の人に愛されて、観光客は絶対に行かない、安くて美味しく、雰囲気の良い店、こういう店を見つけるのがどれほど大変だったか。だから、この店の扉を開けた時、私はこの店のことのほとんど知りうる限りのことを知っていました。主人の名も従業員の名も常連たちの顔も週末の催しも。オーヴェルニュ地方といえばフランス南東部の山岳地帯ですが、そこの郷土料理がこの店の特長です。トイレのことは予想外でしたが、これはしかし観光客を全くあてにしていないことの証左でもあるのです。パリには、きっとこの店のような、私たちが気付かない隠れた愛すべき店がたくさんあることでしょう。

    お腹がいっぱいになったので、ぶらぶらリュクサンブール公園を抜けて歩いて帰ることにしました。ところが、途中でまた雨が激しく降ってきて、バスで帰らなかったことを後悔しました。2時近くにホテルに帰還。少し休んでから、妻は文通しているフランス女性と会うためにオデオン座に向かいました。そのJ..さんという女性はオデオン座で働いているのですが、妻にオデオン座の舞台裏など案内してくれるということでした。オデオン座はホテルから3分もかかりません。私も妻をオデオン座の前まで送ってから、劇場となりの古書店デイレッタント書店で本を探しました。が、めぼしい収穫もなく店を出て雨の中をサン・シュルピスの方へ歩きました。雨はますます激しく、まさに土砂降りの雨です。馴染みのカトリックのサロン・ド・テに入ろうとしましたが、今日はカトリックの特別な集まりがあるらしく一般客は入れません。雨を避けるため、メトロのサン・シュルピス駅の階段を降りて、思い立ったままにレピュブリック広場に行ってみることにしました。実はレピュブリック広場に行くのは初めてです。メトロのレピュブリック駅から上へ上がると、思ったより広い長方形の広場です。豪雨にもかかわらず、見学かあるいは祈りに来ている人々もいました。私は雨を避けて、目前のCafe Repubrique で1664というビールを飲みながら、「共和国広場」の蝋燭や花や写真の置かれた像を眺めていました。

   乾いたフランスの夏には珍しく、カフェの中は雨具や濡れた衣服による熱い湿気が充満しています。狭苦しいカフェのテーブルに座って、レピュブリック広場に屹立するマリアンヌ像を見ていると、陰惨さを秘めた葬祭の壇のように見えてきます。11月13日のテロの場で殺された人々の大部分は30歳前後のいわば人生の盛りの好奇心の強い、知的な、恐らくは反体制的な、社会の多様性を信じる人たちでした。それがいっそう虚しさに拍車をかけます。イスラームについては私にも複雑な思いがあるのですが、20歳前後の若者が過激な聖戦思想に染まるのは理解できなくもありません。人間は時に十分愚かだからです。しかし、現代のイスラームの指導者が強烈で清新なメッセージを発せないのは寂しいです。すでにホメイニからおかしかったのですが、ほとんどのイスラーム信仰の国で世俗的なものの象徴である石油が出てくるのも神の皮肉な試練とも言えるし、サウジアラビアの不可解で不透明な存立も表立って非難されることはありません。

   偉大なアヴィセンナは、ある朝、朝の礼拝のため上半身裸で身を清めに行こうとする弟子に、今朝は寒いので風邪をひくからやめろと注意しました。しかし、弟子はそれを聞かずに外に清めに行き震えて帰ってきました。愚か者よ、とアヴィセンナは言いました。「お前は現代の医学の最高の権威である私の忠告をさけて、4世紀前の文盲のお前が会ったこともない男の指導に従ったのだ」と。話は変わりますが、最近ホイットマンの『民主主義の展望』(講談社学術文庫)を読みました。徹底して非宗教的なこの本の拠って立つ基盤は、ありふれたものの中の奇跡、平凡な男女の抱く真実、日常の瞬間の限りない高貴さです。ホイットマンは、南北戦争のさ中に数多くのむごたらしい遺体を見た経験の後で、希望は死んだ者たちの中にこそあると気付きました。死者が私たちを起立させ、私たちに何かを促すのです。

    雨が降り止まないので街歩きも面白くなく、仕方ないのでメトロでサン・ミッシェルまで帰りました。まだ早いので、サン・ミッシェル広場前のジベール・ジューヌに寄って本を漁っているとツヴァイクの『 Pays, Villes, Paysages 』のハードカバー本が8.9ユーロで売られているのに気付きました。今日の朝、ジベール・ジョセフではまったく同じ本が5.9ユーロでした。早速、Book Finderで調べてみると、最安値はアマゾンの5.9ユーロだがこれはペーパーバックです。すぐにジベール・ジョセフに行ってツヴァイクの本を買ってしまいました(ジベール・ジューヌとジベール・ジョセフは兄弟店です)。私は文学者の書いた旅のエッセイが好きなのですが、このツヴァイクの本は素晴らしい。「世界でもっとも美しい墓」という章には、ヤースナヤ・ポリャーナの草の山に埋もれたトルストイの墓が紹介されています。「何のメッセージもなく、何の言葉もなく、ただ風のつぶやきに身を任せているだけの墓」とはトルストイの願いどおりの墓だが、またツヴァイク自身の憧れでもあったでしょう。

   妻の好きなサラダとビールを買ってホテルに戻ると、妻もちょうど帰ったばかりでした。オデオン座ではJ...さんにいろいろ案内してもらって、図書室も見せてくれたそうです。また、昨日私たちがFan Zone に行った話をするとかなり驚いて、というのもフランスでは知的な人間はサポーター連中を嫌っていて、そんな所には行かないからということです。

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ダンフェール・ロシュロー広場の有名なライオン像。偶然ですが、下を走るプジョーもブランド・マークはライオンです。工具店から出発したプジョーはライオンの固い牙からこのマークを思いつきました。

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ブラール通りの映画・演劇専門のAlias書店は予想通り閉まっていました。

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ダンフェール・ロシュロー広場に続くフロワドゥヴォー通り。

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41rue Dareau ビストロ Le Vaudesir。RERのB線の高架下すぐの淋しい通りにあります。

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カウンターの中にいる主人は大変フレンドリーで面白い。まさに庶民のビストロです。

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Plat de jour は牛の腕肉の蒸し煮が四つ。柔らかくて芳醇で、むろん美味だが、量が多いので妻は食べきれませんでした。

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ランチのメインが8.2ユーロとはパリでは最安値です。3ユーロの梨のタルトも食べたかったが、お腹がいっぱいで無理でした。

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「ここ、ヴォデジールでは、クリストフとミッシェルがあなたがたに、毎日の新鮮で家庭的で本当の手作り料理と前菜、デザートを提供します」と書かれています。

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帰り道に寄ったリュクサンブール公園のライオン像。倒した鹿を踏みつけています。

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今日最後に出会ったレピュブリック広場のライオン像は泣いているように見えました。その下のフランス国旗には、私たちは決して忘れない、平和と愛がいたるところに永久(とこしえ)にあることを、と書かれています。

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遠い国から来た人たちでしょうか、土砂降りの雨の中を長い間立ち尽くしていました。

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雨のオデオン座。今、チェーホフの「かもめ」が上演されています。

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オデオン座の図書室。演劇関係の本が集められています。事前申し込みで閲覧可能です。

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めったに見れない舞台から客室を眺めるショット。セットは「かもめ」の最後の場面です。

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ジベール・ジョセフで買ったツヴァイクの『土地、町、風景』。

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2016年7月18日 (月)

オデオン広場ふたたび(3)ルーヴルとシャン・ド・マルス

6月19日(日)
     湯を沸かしてインスタント・コーヒーを淹れ、昨日Cartonで買ったクロワッサンとパン・オ・ショコラを食べました。カイザーのクロワッサンは軽い味ですが、このCartonのクロワッサンは濃厚で深みがあります。ネットで日曜も開けている店を探して、モベール・ミューチュアルティのフランプリに行きました(後で分かったのですが、セーヌ通りのカルフールもサン・ミッシェルのモノプリも日曜営業していました)。そこで、ワインや缶詰、お菓子などを買ってホテルに戻りました。支度してルーヴルへ。当初は、妻がルーヴルに行っている間、私はどこか好きな所に行くはずでしたが、日曜で店はだいたい閉まっているし、妻が無事に戻って来るかも心配だったので、一緒に行くことにしました。

   実は、私にはルーヴルで見たいものがあって、それは17世紀のオランダ絵画、なかんずくライスダールとフランス・ハルスでした。30年以上前でしょうか、東京駅のステーション・ギャラリーで「17世紀オランダ絵画展」を見て以来好きになったのですが、確かルーヴルでも1日かけてじっくり見ているはずです。それが最近、フロマンタンの『オランダ・ベルギー絵画紀行・昔日の巨匠たち』を再読して、またかつての情熱が戻ってきました。それはまた、私の近頃の気分の反映でもあるのです。私は、間歇的に抹香臭いものが嫌いになる時期があるのですが、今がそうで、特に中世キリスト教関係に拒否反応を示すようになりました。どうも、マリアがイエスを抱いている絵や、イエスのみすぼらしく痩せた像などを見たくなくなるのです(帰国してからエミール・マールを再読してまた中世趣味が戻りつつありますが)。

    ところで、17世紀オランダ絵画といえば、(レンブラントを例外として)その徹底した非宗教性で知られています。偶像崇拝を嫌うプロテスタントの影響か、あるいはスペインからの独立を果たし、自立心に目覚めた国民の自負か、画家の視点はひたすら彼ら自身の肖像に向かいました。ライスダールはオランダの空、雲、潅木、道を、フランス・ハルスは酔っ払い、娼婦、子ども、そして集団の人々を描いたが、フロマンタンは、そこに共通してあるものは誠実さに他ならないと言っています。

   ルーヴル美術館まで歩いて向かいました。大雨の後でセーヌ川は岸辺まで水が残っています。ヨーロッパの大河は、日本の川と違って、いったん溢れるとなかなか水は引きません。増水した水の色は褐色に濁っています。いつもの観光客満載のバトー・パリジャンもバトビュスもほとんど見えず、たまに来ても客はまばらです。あまり並ばなくて済むライオン門からルーヴルに入ろうとしたのですが、何とこの入り口は閉鎖でした。仕方なく  地下のカルーセルの入り口から。セキュリティ・チェックはやや拍子抜けの軽さで心配になる程です。入館後、妻はシュリー翼、私はリシュリー翼へと別れました。2時間半後、ちょうどルーヴルの真中にあるサモトラケのニケで会うことを約束してあります。

   私は、ただちに、17世紀オランダ絵画を見にリシュリー翼2階(日本では3階)に向かうため、地下の外れにあるエレベーターを目指しました。やっと隅っこに一つだけあるエレベーターを発見、誰もいないので一人だけで乗って、二階のボタンを押しました。ところが閉まったまま押しても押してもエレベーターは動き出しません。このまま閉じ込められて餓死してしまうのかという不安が頭をよぎります。しかし、二階のボタンをよく見ると、すぐ下に en travail(工事中)という小さな紙が貼ってあります。「開く」マークのボタンを押すと、もとの地下の場所に出ることが出来ました。気をとり直して階段をひたすら駆け上がって2階に上がろうとしました。ところが2階への階段のところにロープが張ってあり、そのロープに紙が一枚巻きつけてあります。何と、北ヨーロッパの絵画は工事中で見ることが出来ない、ただしルーベンスなどの傑作はシュリー翼の2階とドゥノン翼の1階に展示してあるとのこと、これではルーヴルを端から端まで歩いて行かねばなりません。とにかくルーヴルは広い、部屋から部屋、絵画から絵画へ、人ごみの中を必死に探して、ついにシュリー翼2階のオランダ絵画のコーナーへ着きました。ところが、ここは16世紀までの北ヨーロッパ・オランダ絵画で、今の気分ではメムリンクなど宗教絵画を見る気分になりません。

    下に降りて、ドゥノン翼へ。ここは、イタリア・スペイン・19世紀フランス絵画が集結する部屋部屋が一本の大通りのように貫いています。ルーヴルでもっとも人気あるところで、モナリザもここに展示されています。椅子に座っている係りの女性に聞くと、どうもこの奥のフランス絵画のさらに奥らしい。行ってみると、行き止まりで、その辺をくまなく探したが17世紀オランダ絵画はありません。疲れ切って、ベンチに座ってイタリア絵画をぼんやり見ていました。待ち合わせの時間が迫って来たので、シュリー翼1階踊り場のサモトラケのニケの展示場所へ。妻は30分も前から待っていたそうです。外へ出たが、日曜ゆえ、付近には開いている店はなく、そのまま朝来た道をホテルに帰ることにしました。

   帰りにカルフールでサンテミリオンのワイン、サラダ、ハムなど買ってホテルで遅い昼食、それからベッドで昼寝しました。起きてみると夕方の6時、日曜なので出かける予定もないが、私はここで、一つの提案をしました。それは、エッフェル塔の下、シャン・ド・マルスに設置されたFan Zone(サポーターの集う所) に行ってみることでした。今は自国開催のサッカーEuro2016の真っ只中、しかも今日は予選最終日、グリープ一位通過をかけてスイスとの一戦が予定されています。大スクリーンが設置されたシャン・ド・マルス(陸軍練兵場跡)はきっと盛り上がることでしょう。開催初日のルーマニア戦ではこの広大なシャン・ド・マルスが立錐の余地なく人で溢れていたのを思い出しました。

   しかし、妻は乗り気ではありません。サッカーに興味がないのと、人が集まる所はテロの危険があるからのようです。確かに、この広い矩形のシャン・ド・マルスは公園と違って柵もなく、自爆テロの格好の標的で、設置をめぐって議論も出ていました。シドニー柔道の金メダリスト、ドゥイエは「気違い沙汰だ、危険すぎる」と言い、元閣僚の国会議員ヴァレリー・ペクレス女史は「自分の子供たちには絶対に行かせない」と発言しています。だが、常に強気のフランス政府は設置を承認、今までの所は無事に経過しています。私は「きっと面白いから行ってみよう。試合は21時に始まるから、その前に帰って来れば安心だよ」と妻を説得しました。

   メトロ10番線でモット・ピケ・グルネルへ、そこで8番線に乗り換えて一つ目のエコール・ミリテール駅で降りました。すでにメトロの駅や車内にサポーターが固まって騒いでいましたが、上に上がると大変な熱気、日曜なのにカフェやレストランはすべて客で満員です。駅のすぐ前から行列が出来ていて、入り口で持ち物検査がありました。男女別に別れ、バッグは中身をすべて台の上に出し、細かいポケットも全部開けさせられます。ここでビン・缶類は没収。持参したペリエの瓶も回収箱に放り込まれました。続いてボディー・チェック。これも股間、足首、腹、背中、頭まで調べる徹底さ、時々聞こえる厳しい叱責も緊張感を高めます。しかもチェックは入場までに計4回という執拗さでした。

   広いシャン・ド・マルスの中は、まだ試合開始2時間も前なのに、人がかなり集まっています。子供の遊び場、演奏会場、飲み物売り場、軽食堂、救急医療所、銀行まであります。そしてフットサルのコートが芝生の上に何面もあって、サッカーボールやビブス(敵味方を識別するベスト)が無料で貸し出されているようです。誰でも参加できるようで、疲れるとビブスを他の人に渡しています。私の所にも回ってこないかと待っていましたが、なぜか無視されました。芝生の端に日本人と思われる家族(若夫婦と子供二人)がシートの上でお弁当を食べていました。四人ともフランスチームの青いユニフォームを着ています。話しかけようとしましたが、野次馬にすぎない自分たちが恥ずかしくてやめました。

    7時半に、エッフェル塔の方の入り口から外へ出ました。この入り口からも次々と人が入場してきます。厳しいボディー・チェックのため行列は長く続いていました。ジョニ赤のウイスキーもバッグから出されてゴミ箱に捨てられています。入り口の周辺にはEuro2016のグッズを売る店がいくつも店を開けています。地下鉄でサン・ミッシェルまで帰りました。日曜日は9時まで開けているブリニエ書店に寄ったのですが、本を漁っていると、店員が出てきて、申し訳ないが今日は15分前に閉めると言ってきました。これは絶対にテレビでフランスースイス戦を見るために違いありません。モノプリで、ビールと果物を買ってホテルへ。妻は疲れてすぐに眠りに落ちています。私はビールを飲みながらテレビでサッカーを見ていたのですが、ハーフタイム前に寝落ちしてしまいました。

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直前に続いた豪雨でセーヌ河は増水していました。右にアカデミーのドーム、奥にノートル・ダムが見えます。

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岸辺まで水が来ています。妻はギリギリまで近づいていました。

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ルーヴルのライオン門。ここから入ると並ばないで済むのですが、今日は閉鎖されていました。

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ルーヴルのオランダ絵画が工事中で見ることができなかったので、アムステルダム王立美術館のウェブサイトから傑作を二つ紹介します。ヤーコプ・ファン・ライスダールの「ヴェイク・ベイ・デュールステーデの風車」(1668)。17世紀オランダの忠実な肖像です。息詰まるほどの風景描写はドラクロワにも影響を与えています。

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フランス・ハルスの「夫婦の肖像」(1622)。卓越した技術は黄金の17世紀の中でも抜きん出ています。ライスダールが決して人間を描かず、風景ばかり描いたのと反対に、ハルスは17世紀オランダの人々の忠実なスナップショットを残しました。

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シャン・ド・マルス近くの土産物屋はすっかりEuro2016のグッズに覆われています。

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Fan Zoneの入り口は陸軍学校側とエッフェル塔側の二カ所のみ。徹底した身体検査が行われています。

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チェックは男女別に行われています。バッグの中身は入念に調べられました。

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二カ所の入り口以外はすべて閉鎖されて、どこも厳重な警備が敷かれていました。

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試合開始までまだ2時間もあるのに、もう座って待っている人もいます。

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Fan Zoneの中の売店。飲み物が持ち込めないので。ここでビールや水を買います。

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フットサルをしながら試合開始を待つ人たち。

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ホテル下のスポーツ・バー。試合中はチーズバーガーと1パイント(約550ml)ビールで16、5ユーロ(約1800円)です。

 

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2016年7月10日 (日)

オデオン広場ふたたび(2)ブラッサンス公園その他

6月18日(土)
   ぐっすり寝て、目が醒めると、もう昨日の疲れは吹き飛んでいます。コーヒーを飲みたいが、妻が旅行用の茶碗、フォーク、皿、割り箸などすべて家に忘れたので、仕方なく何も口に入れずに出発しました。ホテルを出て右側を歩いて行くと、程なくオデオンの交差点です。その信号でサン・ジェルマン大通りを渡って、ancient comedies通りに入ると左側にパン屋のカイザーがあります。中に小さなカウンターがあるので、そこに座ってクロワッサンとコーヒーのセットを頼みました(確か2.4ユーロ)。ひと息ついてから、近くのカルフール・マーケットで、インスタント・コーヒー、使い捨てのスプーンなどを買ってサン・ジェルマン大通りに戻り、レンヌ通り左側のインターネット・ショップで私用のSIMカードを買いました。30ユーロでしたが、iPhoneに入れて設定するのに少し時間がかかりました。しかし、これでパリのどこからでも家に連絡できます。

   同じレンヌ通りの並びの安い食器屋 Vaisserrieに10時開店と同時に入ってフランス製のガラスのコーヒー茶碗を2つ買いました(1つ1ユーロ)。それから、ブラッサンス公園の古本市に行くつもりで89番のバスの停留所を探しましたがどこにも見当たりません。どうも停留所の場所が変わってルートがずれているようです。仕方なく サン・シュルピス駅からメトロに乗って15区のコンヴェンション駅へ。メトロで行くと駅からブラッサンス公園まで少し歩かねばなりません。しかし、convention 駅を出て驚いたのは非常に活気ある界隈であるということです。パリ15区の一番下、つまりパリの外れなのに人々の行き交う商店街は賑わいに満ちています。子供を連れた人々も多く、店々の客の入りも多い。黒人の姿をほとんど目にしないのは、ここが堅実な白人中産階級が多く住む地域だからでしょう。

   コンヴェンション通りを歩いていると、左側にLe Divan 書店がありました。通りの向こう側には児童・若者向けの Le Divan jeunesse があります。この本屋は15区最大の書店で、パリでも有数の活発な書店活動に取り組んでいる店です。店内に入ってみると、土曜の昼だからでしょうか、けっこう客が入っています。話題の新刊書から、売れ筋の文芸書・ミステリー、奥には哲学、歴史、宗教、心理などの専門書も棚ごとに整然と並んでいます。中心部の大型店に行かなくとも十分手応えのある品揃えです。

   Le Divan 書店を出ると、急に妻が「お腹がすいた」と言い出しました。私は本屋に行ったり町歩きをする時は一日中何も食べなくても平気なのですが、妻は空腹になるとガス欠の車のように全く動くことが出来なくなってしまうのです。ブラッサンス公園に行く途中でどこか良い店はないかと探したのですが、妻がここでいいよと交差点際のカフェを指差したので、Cafe de Marcheという店に入りました。昼時でお客でいっぱいでした。私が鶏のサラダ(6ユーロ)とビール、妻が卵のサラダ(6.4ユーロ)とロゼのワインを頼みました。サラダを頼むとパンが籠一杯出されます。飛び込みにしてはまずまずの味で、特にキュウリ(concombre)は日本の昔の胡瓜を思い起こさせるおいしさ、また冷えたビールも美味でした。

   ブラッサンス公園を西の入口から入ってみると、何やら軍用テントがたくさん張られてあります。中を覗くと兵器や軍用食や制服などが置いてあって、気づくと軍服姿の男たちが歩いているではありませんか。カメラを取り出して撮っていると、白い軍服を着た髭のある老人が「ジャポネ?」と訊いてきました。そうだと答えると、こっちに来いと手招きして、ぐんぐん奥に歩いていきます。広場のような所に出ると、何と走行車両や軍用トラックやサイドカーがたくさん駐車していて、軍人のコスプレで溢れています。そこで中里さんという日本人に紹介されました。中里さんによれば、これはユニホーム・マガジンという雑誌が主催したマニアの集まりで、これからパリ中のパレードに出るところだそうです。私はパリ解放の時のルートや戦闘に興味があったので、いろいろ興味深く見ていました。それにしても参加者は皆張り切って生き生きしています。

    いよいよ公園の東端にある屋根つきの古本市会場へ。土日のみ開催しているそうですが、たいへん広くて、しかしお客はまばらです。サーと見ていきましたが、なかなかペーパーバックまで調べる余裕がありません。2回ほど往復して、ジャン・ヴォートランの警察小説(2ユーロ)に目をつけたが、どこの売場か忘れて買いそびれました。どっと疲労が出たので、スイスの出版社mermod から出たパリ本の一つ Paris (5ユーロ)だけ買いました。これは20人ほどの作家と画家がパリについて書いたり、描いたりしたものです。例えばフローベールからは『感情教育』の一節が引用されています。1952年の出版ですがページも切ってなくたいへん新しい感じです。

   妻は勝手に本を探していましたが、私を呼んで、この本が欲しいけどどうかなと聞いてきました。見ると、プレイヤッド文庫の Album Borges で、妻が店の主人に聞くと35ユーロだということです。それで、少し離れたところで Book Finder で調べてみると、だいたい50ユーロから80ユーロの相場です。これは買うべきだと思って、妻が件の店主を探すと、向こうでワインを飲んでいました。手を振ると白髪の老店主がやって来て、「これを買う」と妻が言うと「さっき、幾らと言ったっけ」と、もう忘れている様子です。妻が「35ユーロ」と答えると、「30ユーロでいいよ」と負けてくれました。

   帰りは公園のすぐ近くから89番のバスに乗りました。途中から土砂降りの雨になりましたが、リュクサンブールに着く頃にはすっかり止んでいました。ホテルに戻って、今日買ったコーヒーカップでコーヒーを飲んでから、ホテルの前で販促していて一部貰ったリベラシオンをじっくり読み始めると妻はもうベッドで昼寝していました。夕方になって、サン・ジェルマン・デ・プレヘ。まだ店を開けていた Buci 通りの Carton で明日の朝のクロワッサンとパン・オ・ショコラを買いました。Carton の並びにTaschen 書店があったので入ってみました。Taschen はドイツ発祥の美術書専門書店で、一歩足を踏み入れるとその世界に圧倒されます。暗い店内、怪しげな明かりに照らされた写真集・美術書・建築書・男性ヌード本、すべて自由にページを渉猟できるよう開かれて置かれています。高価なものもあるが、だいたい15ユーロ前後で安いのが特長です。

    次にサン・ジェルマン・デ・プレ教会近くの l'Ecume de pages 書店ヘ。文芸書が非常に充実していて、今やこの地区の一般書店として孤高を守っています。平台が多くて本が見やすいので、私はこの書店に来ると何時までいても飽きません。やっと疲れが出て帰ろうとすると、妻がこの本を買うと言ってガレンのルネサンス本を持ってきました。妻は最近このイタリアの歴史家にすっかりはまっているようです。帰り道、カルフール・マーケットでワイン、サラダ、桃、ビール、水を買って帰りました。

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カイザーの店内。奥にパン類が売っています。右手前がイートインのカウンター。

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レンヌ通りの以前は一般書店のあった場所が自動車専門書店になっています。

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シムカやゴルディーニなど懐かしい車名が並びます。

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15区コンヴェンション駅近くのル・ディヴァン書店。客も多く活気ある書店です。

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Le Divan書店の店内。専門書も充実しています。書店員の懇切な説明も地域の書店ならでは。

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コンヴェンション通りのカフェ・ド・マルシェでの昼食。手前の鶏肉のサラダは6ユーロ。キュウリが美味しいのでびっくりしました。

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Uniformes en Franceの催し。いろいろ教えていただいた中里さんの着ている制服はモロッコのフランス部隊のもの。細部までマニアック。

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第二次大戦時のフランスのミニ戦車。これからパレードに出発するところ。日本と違って湿気が少ないのでエンジンが錆びにくいそうです。

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各自の制服、車両は皆それぞれの個人所有のもの。その徹底ぶりは恐ろしい。

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参加者は皆楽しそうです。

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やっと古本市会場へ。二棟に分かれた会場はたいへん広い。

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妻が買ったプレイヤッド文庫アルバム・ボルヘス。プレイヤッド文庫50周年を記念して、毎年一冊、プレイヤッド文庫三冊を買うと貰えるアルバムのシリーズはどれも高値が付いています。右は私が買ったパリ本。20人以上の画家の絵と作家・詩人の文章の集積です。

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ビュシ通りのパン屋カルトン。私はこの店のクロワッサンは濃厚な味でとても美味しいと思います。

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カルトンの並びのTaschen書店。素晴らしい美術書専門書店です。

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Taschen書店の店内。見やすく、何とも言えない雰囲気のある書店。

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土曜日のビュシ通りのカフェ。どの店もいっぱいです。

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サン・ジェルマン・デ・プレの書店l'Ecume des pages。この店に入ってしまうと一時間以上は居ついてしまいます。

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l'Ecume des pagesで妻が買ったガレンの『ヘルメス主義とルネサンス』。妻はガレンの本を集めているっぽいです

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2016年7月 3日 (日)

オデオン広場ふたたび(1)到着

6月17日(金)到着
   最初からあまり暗い話は書かないでくれ、と西日本の親類に言われたので、いつもの疲れ切って到着の話は省略します。ただ、エトワール広場から乗ったメトロ6番線で、危うく首を吊って死にそうになったことは記しておきましょう。モット・ピケ・グルネルで10番線に乗り換えるとき、扉そばの折りたたみの椅子に座っていたのですが、斜めがけしていたバッグの紐が腰までずり落ちていたのに気づかず慌てて降りようとしたため 、紐が椅子に挟まったまま首がスタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットを浴びたようにのけぞってしまい、危うく転びそうになりました。意識が飛ばなかったのは、首が太かったからで、昔、締め技の練習のとき柔道部の先輩に「お前は将来首を絞められて殺されることはないから安心しろ」と言われたのを思い出しました。

   そんなこんなで、金曜の夜の8時にクリニュー・ラ・ソルボンヌ駅を降りて医学校通りのオテル・サン・ピエールに到着しました。一昨年に続き二度目の宿泊です。ネットでは宿泊料の安さに比してレセプションの応対がきちんとして感じ良いということでしたが、私には何よりオデオン近くの至便なロケーションが気に入っています。部屋は5階(日本では6階)で、冷蔵庫はむろん無し。バスタブの部屋は予約した時点で埋まっているとのことでシャワーのみです。しかし、眺望は前回同様すばらしく、目の前にソルボンヌ医学部、遠くにサン・シュルピスの双塔が望見できます。前夜睡眠がとれずフラフラで食欲もなかったので、荷物を置くと、近くのモノプリでエビアン1.5ℓを2本買って、ホテルでEuro2016スペインートルコ戦を見ながら寝てしまいました。妻は飛行機でもらった人形焼と即席味噌汁を飲んで、やはりすぐ寝てしまったそうです。

   去年の8月、私が洗面所で歯を磨いていると、ルーミーと風呂に入っていた妻が「これで、もうパリに行くこともないな」と言ってきました。「うぐぐっ」と返事をした私は、すぐに居間のパソコンを開いて、ブッキング・コムに入り、パリ14区アレジア近くにシングル6泊5万円のホテルを見つけました。そして、風呂から出てきた妻に「 来年6月、一人でパリに行くから、安い航空券が出たらすぐ買っといて」と言いました。生涯の見納めに、思う存分、一人でパリを堪能したいと思ったのです。「わかった」と言った妻ですが、航空券を見つけることに手際良いはずなのに、9月になってもなかなか買ってくれません。どうも、私ひとりで行かせるのは心配のようです。妻によれば、ホテルはシングルもツインも値段はほとんど変わらないし、私が街歩きや本屋やカフェに行っている間、自分は邪魔せずに一人で美術館に居るというのです。そう言われると、確かに一人でいて体調が崩れたら不安だし、困った時に妻の会話力は必要だし、私一人で行くとなれば、出発のとき家のドアのところで泣かれるだろうから、私は渋々また夫婦で行くことに同意しました。

   直ちに航空券を購入し、ホテルを予約(オテル・サン・ピエールにしたのは、ルーヴル美術館に歩いて行けるからです)したものの、それからフランスの情勢は大きく変わって行ってしまいました。11月13日のパリ同時多発テロ、翌3月22日のベルギー・ブリュッセル空港と駅での自爆テロを受けて、フランスはかつてない超警戒体制に入ったのです。しかも、労働法改悪(失業率を下げるため派遣並みの採用を企業に許す)に対する激しいデモがリパブリック広場を中心に毎週行われ、警官の暴力に対する、これまた暴力的なデモが各地で頻発し、おまけに異常気象による豪雨でセーヌ川が氾濫する手前までくるということまで起こりました。

   しかし、何より変わったのはフランスを覆った虚しさと無力感です。シャルリ・エブドの時は、リパブリック広場は表現の自由とフランスの一体感を訴える群集で溢れましたが、11月13日の後のリパブリック広場は帰って来ぬ者への追悼の蝋燭で覆われました。こんなパリに行って楽しいでしょうか。妻は旅行中止を真剣に考えたようですが、ホテルはキャンセルできるものの、航空券は3万円ほど戻ってきません。止むを得ず行く決意を固めたものの、出発直前にフランスへの渡航者当ての外務省の危険勧告のメールがあって、それによると6月上旬から7月上旬までのラマダンの一ヶ月は特に注意が必要で、特にラマダン中の金曜日は厳重注意とのことでした。私たちの出発日は6月17日の金曜日で、帰りの飛行機も6月24日の金曜日です。これはもうテロに襲われたら諦めるしかありません。

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オテル・サン・ピエールの6階から西方のサン・シュルピス寺院の双塔を望みます。

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ソルボンヌ医学部の中庭がすぐ下に見えます。

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ホテルの東方の眺め。下の医学校通りはサン・ミッシェル大通りを横切ってレコール通りに続きます。奥の右側の建物はソルボンヌの大講堂(grand amphitheatre sorbonnne)。講演やコンサートが開かれます。

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