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2016年6月12日 (日)

フランス語の勉強

「趣味は何ですか?」と聞かれると「将棋です」と答えることにしているのですが、「ふうん」とか返事されて、そのまま会話が途切れてしまうことが多いのです。ちなみに、私がこの趣味にかける年間費用は0円で、そのため妻にはたいへん好評です。あまりに健気に思ったのか、誕生日に棋士の名入りの湯呑み茶碗を買ってくれたこともありました。ところが、歳を重ねて人生の残り時間が少なくなるにつれて、この趣味にもそれほど執着がわかなくなりました。頭を使う割には得るところがあまりないし、それに何より才能皆無のヘボ将棋なので上達などたかが知れているのです。思えば、すべてに執着心が薄れたのか、阪神タイガースにも30年前のような熱意はなくなり、囲碁やチェスへの興味も薄れ、酔っぱらって知らない街を歩くこともまったくなくなりました。

そう考えると、今でも続く密やかな趣味といえばフランス語の勉強しかないような気がします。ここ何年も早朝に目が醒めることが習慣になり、その1〜2時間をネットで仏語の新聞を読むことに使い、朝食前のわずかな時間にその日の忘れた単語や新規の単語をノートすることにしています。そして、フランス24のテレビを見ながら朝食を食べ、余暇の読書はほとんど仏語の本ですし、電車内ではラジオフランスを聴くか、ユーロニュースを観ています。これほどの持続的な興味の理由はどの辺にあるのでしょうか。私は、よく考えて、それには二つの理由があることに思い至りました。

その一つは、フランス語の難しさです。膨大に思える単語、底の知れない慣用語法の奥深さ、うまく聴き取れないリスニングの歯がゆさ、どう考えてもわからない哲学書の数ページ、頭を絞り、記憶力に鞭打ってこれらの難敵に立ち向かうことは趣味だからこその楽しい苦闘です。分厚い単語ノートを整理していると、妻が「あれだけ覚えたのに、まだ知らない単語があるの?」と聞いてきました。「とんでもない」と私がすぐさま答えます。「単語って覚えるよりも忘れる方が多いんだよ。まるでザルで水をすくうようなものさ。おまけに自分は頭が悪いから、一つの単語に50回出会ってやっと覚えるんだ。」

フランス語の勉強のもう一つの魅力は、矛盾するようですが、その易しさです。所詮は語学であり、ピアノやテニスと同じように弛まぬ努力によって身につく技術に過ぎません(むろん卓越した才能はその類ではありませんが)。それは、検定試験に表されるようにその技量を客観的に測ることもできるのです。飽きずに努力すれば必ず向上する。勉強の難しさと易しさはそこにあります。書庫で本を探していると、昔に読んだ仏語の小説などに出会うのですが、その時難解に思えた頁もすらすら読み進めることに気付いて驚きます。凡愚な人間でもその成長を確認できるとは何とうれしいことでしょうか。

それに対して、私が本当に難解なことと思うのは、手前味噌になりますが、このブログで続けている書評(というか本の感想)のようなものです。人の真似でないような、自分自身の本質とどこかで通じているような、それでいて面白く読めるようなものを書くことは私のような凡才には簡単なことではありません。その本を読みに読んで、その本の奥の奥に、自分と共有できる魂の一点を見つけることができずにのたうち回ったことが幾度あったことでしょう。ついにその一点に逢着できずに無駄に失われた時間のなんと多いことでしょう。このような苦しみと焦燥はフランス語の勉強には無縁で、それは趣味の矩を決して越えることはないのです。

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