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2016年4月 3日 (日)

スタンダール『恋愛論』


今年は正月そうそう病を得て、2月いっぱい不調が続いていました。一時は死ぬかとも思いましたが、桜の便りが聞かれる頃になると徐々に回復してきました。思えば、毎年同じことの繰り返しのようにも思いますが、今年は個人的な心労も併せて、回復するかどうか本当に不安でした。調子が戻ってきた春の一日、久しぶりに神保町まで出かけ、田村書店の百円均一の段ボールの箱から、クロード・ロア Claude Roy の STENDHAL par lui-meme を見つけました。これはスイユ社の「永遠の作家叢書」の一冊です。今更スタンダールでもないか、とも思ったのですが、裏表紙に印刷されていた引用文を見て電流が走りました。

Il ne fault pas pretender a la candeur, cette qualite d'ame qui ne fait aucun retour sur elle-meme. On est ce qu'on peut, mais on sent ce qu'on est.

「純真であろうと願ってはならない、純真さとは反省を知らない魂の特質なのだから。人は可能性の存在だが、ただ今を感じるだけである。」
まだ20代の時、何度この言葉を服膺したことでしょう。『恋愛論』の中からこの一文を引用できる感覚も素晴らしい。早速、店員に100円わたして本をポケットに突っ込むと、今度はすずらん通りの東京堂で、出たばかりの岩波文庫『恋愛論』の新訳に出会いました。ここは、グルノーブル、あるいはミラノ、それともパリでしょうか。あまりに懐かしいので、すずらん通りのサンマルコ・カフェでチョコクロとコーヒーを飲みながら一気に読み返してしまいました。

「いえ、奥様、恋をするとは、そんな単純なことではないんですよ」とスタンダールはローマのサロンで婦人たちに囲まれて説明します。「でも、恋って、恋しているか恋してないかの二通りだけではないんですの?」「とんでもない、これをご覧ください」とスタンダールは、トランプのカードの裏に線を引き、左端に双子の斜塔を持つボローニャの町を、そして右端にローマのパンテオンを描きました。「ボローニャは全く無感覚の状態を、ローマは恋の完成を意味します。恋するとは、この道程を苦しみ、疑い、歓喜しながら辿っていくことに他なりません。最初は感嘆から始まります。その人を見たときの驚き、その顔立ちでも、その美しい性格でもよいのですが、それが心に恋が刻まれる最初の瞬間です(線の上に1と番号を振る)。二番目の宿駅は、それからしばらくして、最長一年ほど経つときもあるのですが、その人に接吻したい、されたいという気持ちが湧いてきます。三つ目の宿駅、ここには希望が待っています。ほんのわずかの希望でも恋する人間には十分な旅のエネルギーになります。そして、何度かその人に会い、言葉を交わすうちに、最初の結晶作用が起こります。ここまでで旅程のちょうど半分を終えました。」

「結晶作用? 何ですの、それは」と伯爵夫人が尋ねます。「それが恋というものの本質なのです」とスタンダールが答えます。「それなくして恋はあり得ないし、その喜びも苦悩もないのです。ザルツブルクのもう使われなくなった塩坑に小枝を放り込んでおくと、いつの間にか枝の周りにダイヤモンドのような塩の結晶ができています。そのように、結晶作用は愛する対象をこれ以上ない美点で満たすのです。その人に会った後では、どんな美人にも無感覚になり、それまで夢中になっていたあらゆるものを無味乾燥なものにしてしまうのです。「現実」の世界との訣別が行われるのがまさにここなのです。でも、奥様、忘れないでください。この宿駅まできたら、もう後戻りはできません。その前までなら、理性の力で感情を抑えることもできたでしょう。しかし、切符を買って観覧車に乗ってしまった人間は、もう途中で降りることはできないのです。」

「おやおや何の話をしているのかと思ったら恋の話ですか。それなら私は退散してしまいましょう」と、貴族らしい身振りのイタリア人男性が言いました。「どうぞどうぞ」と、スタンダールがにこやかに言って、今度はフランス語で話を続けました。「さて、結晶作用の結果、恋は無限にその甘い翼を広げます。何時間もその人のことを考えても飽きません。美しい景色、素晴らしい音楽などは直ちにその人の面影に結びつきます。その人の住む町の名を聞くだけで胸は熱い思いで満たされます。でも、思いはさらに強くなると、当然一つの強い願いにとらわれます。その人に愛されたい、という願いです。その願いは容易に、その人は自分を愛しているか、という疑念に変わっていきます。これが第二の結晶作用です。」

「恋人を疑うようになる、ということですか?」と、ゲラルディ夫人が口を挟みます。「いえ、奥様、恋する人間はすべてを疑うのです。愛する人の眼差しひとつ、ちょっとした振舞いひとつで絶望と歓喜の間を往復するのです。恋するものは日に十度も気持ちを変える、と言われるのはそのためです。この不安定な精神の揺れの果てに自殺を試みる人間さえいるのです。ボローニャとローマの間には峻険なアペニン山脈が立ちはだかっていますが、恋するものはその断崖絶壁を越えねばなりません。」

「私がフランス語を解さないとお思いですか」と先ほどのイタリア人の男性が戻って来ました。「どの道、私はそんな危険で面倒な恋は御免ですね。恋は、私にとって、成功するか失敗するかのどちらかでしかありませんから。」「失礼ですが」とスタンダールは静かな口調で語りました。「私の話している恋は情熱恋愛であって、ドン・ファン流の肉体恋愛ではありません。ドン・ファンはあらゆる策略を用いて女性を征服しようとしますが、そのエネルギーは常に新しい刺激を求める終わりのない欲望です。しかし、情熱恋愛の出発は心を奪われた異性への賛嘆の眼差しです。そこには相手への畏敬こそあれ、奸計を用いて籠絡しようなどとは思わないでしょう。そして、これはきっと分からない人には決して分からないでしょうが、情熱恋愛の快感は肉体恋愛のそれに比べ1000倍も強いのです。いや人生でもっとも強い快感はこの情熱恋愛にこそあると言ってよいでしょう。夜の道を二人並んで歩くときのときめき、初めて手を握るときの心臓が早鐘を打つような瞬間、クレーヴの奥方から愛していると言われたときのヌムール公の叫びださんばかりの喜び、これらはマレンゴの戦いに勝利したときのナポレオンが感じた喜びに勝るのです。」

「でも、第二の結晶作用の結果、恋する者に降りかかる困難とは具体的にどのようなものなのですか?」とゲラルディ夫人が質問します。「奥様、まず恋する者は、相手が自分を愛してくれているという確証を得ようとするでしょうね」とスタンダールは続けます。「ところが、彼はもう第二の結晶作用に襲われているので、現実的で効果のある行動になかなか出ることができないのです。自分を魅力的な人間に見せねばならないのに、それどころか滑稽な役割しか果たせません。それこそ彼が情熱的に愛しているという証拠なのですが、(イタリア男性の方をちらっと見て)恋の駆け引きに成功するためには、サロンに入るときに、玉突きやカードが気になるぐらい冷静でないといけませんよね。しかし、恋人の前での一つの言葉、一つの振舞いに自分の全運命がかかっていることを思うと、冷静でいられるわけがありません。おまけに、旅程のこの段階では疑惑や嫉妬がナイフのように彼の胸に突き立てられます。一人でいるときは甘い夢想に何時間も浸っていられるのに、いざ現実に対すると、恋人のささいな眼差しひとつで心臓が飛び出るほど動転するのです。」

「私の経験では」とイタリア男性が口を挟みました。「女性に対しては、すべからく勇気を持って行動すべし、だと思うがね。手を握られるのは毎日のことだが、二階の窓から侵入されるのは一生に何度もないだろう、だから成功する」「しかし」とスタンダールが答えます。「恋人に対して勇気を持てるのは、もう本当に愛してはいない時で、だからたとえ成功しても、肉体恋愛以上の快楽を得ることはできないと私は思います。」「そういうことになると」とゲラルディ夫人が言いました。「ローマに到達することは永遠に不可能なことになるのではありませんか?」「奥様、さすがに鋭いことをおっしゃいます」とすかさずスタンダールが言い返します。「実はその通りなのです。情熱恋愛はほぼ不可能に終わる、というのが私の結論です。」

ふぅーというため息に似た声が座の中から聞こえました。折良く右隅で始まったピアノの演奏に惹かれて座の連中が離れて行きます。「奥様、お耳に入っておられるかも知れませんが、私は 1818年、ミラノでマチルド・ヴィスコンティニという女性と出会いました」今や二人だけの差し向かいになったゲラルディ夫人にスタンダールは語りかけます。「私は35歳、マチルドは28歳でした。スペイン風の崇高さを持った彼女に、私はすっかり捉えられました。それまでの私は、先ほどのイタリア人男性同様、恋を初陣と同じように、つまりドン・ファン流に男の魅力的な戦場と思っていたのです。しかし、すべては変わりました。私はマチルドを思い、24時間のすべてを彼女のことを考えて過ごしました。度重なる訪問に気を損ねたマチルドは、制限付きの訪問しか許してくれなくなりました。何を話そうか、逡巡の末に、訪問の時間はあっという間に過ぎて行きます。マチルドが寮に入っている息子に会いにヴォルテラまで行ったとき、私も変装してヴォルテラへ行き、そこの通りで鉢合わせて、その無神経さをきつく責められました。私は、ただ2週間会わずにいることに耐えられず、遠くからでも彼女の姿を見たかっただけなのです。訪問を禁じられ、しかし、日を追ってマチルドへの思いは募っていきました。15分彼女に会えるためなら、私は自分の全生涯を投げ打っていたでしょう。この絶望的な気持から、私が発作的にピストル自殺をしなかったのは不思議としか思えません。おお、奥様、私は1820年に『恋愛論』の草稿を書き始めますが、そのきっかけは、マチルドへの激情を鎮めるためだったのです。私はこの狂おしい感覚を分析し、それを言葉にすることでかろうじて生きていられると思ったのです。」

「そして、それにあなたは成功した?」とゲラルディ夫人が尋ねました。「いえ、しかし」とスタンダールは落ち着いた口調で答えます。「苦悩の果てに人は何かを感じ取ります。たとえ情熱恋愛の行く末が不幸なものであるにしても、その場その場で感じたことを口にし、その瞬間を胸の中に吸い込むように記憶に焼き付けることは不可能ではありません。帰り際のわずか5分の会話だとしても、そして、たとえその人がマスクをしていたにしても、その人の二つの目の瞬きの中にある優しさを心の底から楽しむことができるのです。それが情熱恋愛に許される唯一の救いです。」

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