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2015年11月 3日 (火)

憂愁の巴里(8)帰国

6月25日

   最後の朝食をロビーで食べました。朝食はまあこんなものかと思いますが、朝、パンを買いに外へ出るのも面倒なので仕方ありません。出発は夜なので、荷物をレセプションに預け、清算してホテルを後にしました。夕方までどこに行こうか迷いましたが、ちょうどマレ地区のコニャック・ジェイ博物館で、The, Cafe ou Chocolat ? という18世紀フランスで爆発的に流行った茶とカフェの文化についての展示があったので、行ってみることにしました。バスでサン・ポールへ行き、今回初めてのマレ地区巡りですが、もうあまり見るところもないので、真っ直ぐにコニャック・ジェイに入りました。17世紀頃から健康のために飲まれるようになった茶やコーヒーやチョコレートは、それらが異国からの飲み物であるということに加え、宮廷や上流階級の余暇の楽しみを真似るということから一般の人々へも急速に広まりようになりました。それは同時に茶やコーヒーをめぐる文化の発達を促し、マイセン、ウエッジウッド、セーブルなどの有名な陶磁器工房はみな18世紀に創業しています。展示では、絵画、版画、陶磁器などが並べられていましたが、数的に物足らない感じで、これで7ユーロは高すぎると思いました。このまま出るのももったいないので、常設の展示を見て回りましたが、昔一度来館していたので感激はありません。ただ、ミニチュアの肖像画を並べてある場所では、なるほどと思うことがありました。ペンダントのような楕円形の小さな肖像画ですが非常に精密に美しく描かれています。「マリア・ストゥアルト」や「魔笛」で、登場人物が絵を見ただけで恋してしまうのも納得できるようです。

    コニャック・ジェイを出て、すぐにバスでサン・ミッシェルに戻りました。ホテル前のセルパント通りにあるAAAPOUM BAPOUMのセルパント通り店に入りました。ここはBD(バンド・デシネの略、フランス・ベルギーの漫画)、マンガ(日本の漫画)、アメコミ(アメリカの漫画)の世界三大漫画文化をすべて扱っている店です。すでに何度か来店していますが、いつでも何人もの客がいるのは、この種の本の人気を物語っています。アメコミは雑誌のようなペラペラなものが多いのですが、それらをたくさん並べている売場で、腰の曲がった老人が熱心に物色しています。アメコミの一冊を大事そうに手に取りレジに向かいましたが、また反転して別の本を選んで買っていました。いかにもマニアックなファンらしい、心和む光景です。

  さて、圧巻は大量に積まれたBDの売場です。日本の漫画との違いは、大半が雑誌の連載から生まれたのではなく、いきなり単行本で出されることです。みな絵本のような画集のようなハードな製本で、大判の本が多い。じっさい何度も読み返しの出来る精妙で芸術と言ってもよい図柄は、ストーリー漫画の多い日本の漫画とはかなり違います。しかし、本当の違いはその内容です。日本の漫画のほとんどが少年少女を主人公にしているのに対して、BDは大人(ときには老人)が主人公です。これはなかなか面白い事実で、反対に昔話の世界では、日本が老人の主人公が多いのに比べ、西欧は子供が多いのも不思議です。

   さて、その後、ブリニエ書店、ジベール・ジョセフ書店の店頭本をさらってから、サン・ジェルマン・デ・プレに行って、ビストロ・コントワールの隣のアヴァン・コントワールでサンドイッチを買ってリュクサンブール公園で食べました。妻によると、この店のサンドイッチが一番おいしいとのことです。公園のベンチで小一時間ほど座っていたのですが、ジョギングをする人の多いことに驚きました。園内を周回しているらしく、同じ顔の人が何回も通りました。ハッとするような美形の人が走っているのは、もしかして女優のダイアン・クルーガーでないかと思ってしまいました。というのも、彼女は六区に住んでいて、この辺りを運動の場所にしているらしいのです。雑誌 Vanity Fair によるとパリ六区は「女優のカルチェ」で、サン・シュルピスの向かいのアパルトマンに住むカトリーヌ・ドヌーヴ、リュクサンブール公園のそばに住むナタリー・ポートマン(オペラ座の芸術監督と結婚しています)、カフェ・ド・フロール近くに住むソフィア・コッポラ、レア・セドゥー、さらにシャロン・ストーンはバー la Croix-Rouge に、シャーロット・ランプリングはレストラン、クロズリー・デ・リラに出没するとのことです。

   この時期のリュクサンブール公園の西側出口付近ではチェスを楽しむ人が多い。市松模様が描かれたテーブルが何組もあり、持参した駒や対局時計で楽しんでいます。レベルの高い対局には人だかりができて皆熱心に考えています。まだ時間があったので、ソルボンヌ広場のカフェ・エクリトワールでコーヒーを飲みながら今日買った本を読んでいました。このカフェはもう何回も来店していますが、壁には本が並び、客はおそらくパリでもっとも知的レベルの高そうな人たち、つまり地味で垢抜けない学者風の人や学生ばかりのようです。ホテルに戻る前に、カフェの真ん前の哲学専門書店 J.VRIN に入って割引本の箱から、わずか5秒で、ウナムーノの『ココトロジー論考』を引き抜きました。パリで訪ねた最後の書店が J. ヴランだったというのも感慨深いものがありました。

   ホテルに寄って預けた荷物をとり、いつものようにリュクサンブール公園入口前のバス停から82番のバスに乗ってポルト・マイヨーまで行き、そこからエア・フランスのリムジンバスでCDGまで行こうとしました。ところが82番のバス停には張り紙がしてあって、それによるとタクシーのデモの影響のため運休とのこと。急遽予定を変更して、クリュニー・ラ・ソルボンヌの駅から地下鉄でシャルル・ドゴール広場まで行って、そこからバスに乗ることにしました。広場まで行くと、バスが停車して人も乗っていましたが、出発する気配はありません。 黒人の運転手はバスの外に出て携帯電話で現在の状況について本部と話をしているようです。しばらくして、運転手がバスに乗り込み、出発しそうなので、私たちも切符を買ってバスに乗りました。ところが発車したものの、いつもと行く方向が違います。どうやらポルト・マイヨーに寄らずに直接空港を目指すらしい。出発がかなり遅れたので、バスは普段より格段のスピードで走っています。というより焦っているのかたいへん荒っぽい運転で、乗ってるだけで疲れてしまいました。

   ところで、タクシーのデモは以前から話題になっていたもので、問題はスマホで呼べるネットタクシーの増加です。値段が良心的で身元がともに安全ということで、最近の成長は凄まじいようです。これに反対するのはタクシーの組合で、彼らは個人で大金を払って営業許可を取っているので、怒るのも当然です。しかし、空港から市内にお客を運ぶだけで5000円から6000円もとるのは余りに楽な商売過ぎたのだから仕方がありません。

   空港に到着したのですが、特に問題もなく、ただ妻が石鹸、私が本を詰め込んでいたので、互いに一人12キロの制限をギリギリ越えなかったのでホッとしました。手荷物検査は去年に比べてさすがに厳しくなっていて、妻は靴や手袋も脱がされていました。さらに、妻がうっかり手提げ鞄に入れていた飲みかけの水に気づいた係官は、一口飲むよう妻に指示しました。妻が一口飲んで横のゴミ箱にペットボトルを捨てると、今度は鞄の中のチョレートの箱を取り出して、俺の好物だからこれも没収するなどと冗談を言っています。私は私で、あちこちのポケットから大量の小銭が出てきてトレーを一杯にしたのには係官も呆れていました。

   1月のテロ事件でパリ全体の警備は格段に厳しくなっていました。そのおかげか、今回はスリなどに全く会いませんでした。事件といえば、帰国後カード会社から電話があって、妻のキャッシュカードが欧州で三回不正に使われそうになった、と知らされました。いわゆるスキミング詐欺らしく、幸い実害はありませんが、どこでデータを盗まれたのか不思議です。というのも妻がカードを使ったのはわずか2回だけだからです。思い返して、やや不審な点といえば、チョコレートの専門店で料金を払う時、もう閉店なのでレジを閉めたからカードで払って欲しいと言われたのです。しかし、1,2時間後にその店の前を通るとまだ開いていました。それ以外は、とくに事件もなく、無事に日本に帰ることができました。

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コニャックジェイ美術館の Tea,Cafe ou Chocolat?  展。18世紀に流行したお茶の文化の展示。上はアルトワーズ伯爵家に伝わる王家のティーセット。ティーポットに描かれているのはマリー・アントワネット。実用というより飾り物。フランスの陶磁器デザインは総じてゴテゴテしています。英国風の簡素な植物柄が私の好みです。

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ルソーの「自然に帰れ」の思想はまた18世紀の人々の好みとも一致しました。このティーセットには、農家で使われる手押し車や鋤や籠、収穫した果物などが描かれています。マリー・アントワネットがヴェルサイユで農作業を楽しんだことはよく知られています。

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コニャックジェイ博物館の常設展示から。美しく彩色されたミニチュアの肖像画。「魔笛」の王子タミーノはこのような小さな肖像を見ただけで王女パミーナに恋してしまいます。現代のプリクラにも通ずる魔術的な小道具です。

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BD・漫画・アメコミ専門店アープーム・バプームのセルパント通り店。いつも客の絶えない人気店です。

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漫画コーナーの中央には水木しげるや手塚治虫ら日本が誇る漫画家の作品が並んでいます。水木しげるの本は一冊3000円ほどでした。 

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BDの大傑作エマニュエル・ギベールの「アランの戦争」。アメリカ人の兵隊の回想をもとにフランス人ギベールが描いた一つの戦争の真実は胸を打ちます。邦訳もあります。 

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サン・ジェルマン大通りのLibrairie Polonaise。ポーランド語の本と仏訳されたポーランド作家の本が並んでいます。かつてはパリの文化的拠点の一つであったサン・ジェルマン大通りに面する本屋はこことL'Ecume des Pagesだけになってしまいました。

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リュクサンブール公園には100以上の彫像があります。ボードレール、ヴェルレーヌ、ヴァトー、 ショパンなど、とても全部は見切れません。上はジュール・ダロウ作のドラクロワ 。

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天気の良い日にはリュクサンブール公園にチェス愛好家が集まります。かなり真剣に頭を使っています。 

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強豪同士の戦いにはギャラリーも集まります。

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私もしばらくチェスを観戦しました。誘ってくれれば一戦交えたかもしれません。 

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ソルボンヌ広場に面したカフェ・エクリトワールで。読んでいた本はジベール・ジョセフの店頭で0.5ユーロ(65円)で買った セリ・ノワールの一冊、レイ・リングの「アリゾナ・キス」。この禁欲的な表紙がたまりません。妻によると、私がトイレに立っている間、 テーブルの横を通りかかった男性が惹きつけられるようにこの本の表紙を見つめていたとか。   

Jvrin

哲学専門書店J.VRINのウインドウ。「哲学的夏に向けて、よい読書を!」という張り紙の下にはおすすめの本が並んでいます。真ん中左のダニー・ロベール・デュフールのPleonexieに注目したい。プレオネクシはギリシア語で際限ない所有欲のこと。資本主義と消費社会の危機を警告続けてきたデュフールが、あらためて今注目されています。

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ブリニエ書店の店頭で買った雑誌SPIROUのバックナンバー(0.3ユーロ)。スピローはタンタンと並ぶBDのヒーロー。職業はホテルマンです。右はセギュール夫人の「ロバの思い出話」(1ユーロ)。岩波少年文庫に邦訳があります。 
   

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J.VRINで買ったミゲル・デ・ウナムーノの「ココトロジー論考」(5ユーロ)。鶏の折り紙についての哲学的探求。他にチェスについてのエッセイが二編。ともにウナムーノらしい劇的な文体です。序文はフェルディナンド・アラバール。

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