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2015年10月 4日 (日)

憂愁の巴里(7)帰国前日

6月24日

   昨日に続き、晴天で気温もどんどん上がりそうです。実は今日はソルドの初日で、店はどこも混雑が予想されます。妻も張り切って、朝一番で、フルー通りのレペットに乗り込みました。ここは元々バレエシューズの店ですが、今や有名ブランドになっています。すでに客と店員で店内はごった返しており、日本人客も何組かいました。どうも30パーセント引きになっているらしい。妻もあれこれと試着していましたが、早々と「ユーロが高いので、割引でも銀座のレペットとたいして変わらない」と買うのを諦めました。それから、近くのレンヌ通りのロクシタンでセール品を購入、さらに向かいのボン・マルシェで土産物を買うと、お腹が空いたと言うので、ボン・マルシェ裏のバビローヌ通りのビストロに入ることにしました。ところが、Au Pied de Fouet というビストロに入るつもりが、よく看板を確かめなかったので隣の店に入ってしまいました。ここも同系列の店らしいのですが、ビストロではなく、ハンバーガーとタルティーヌのお店らしい。ここで妻はサーモン、私はハムとトマトのタルティーヌを頼みました。隣でハンバーガーを食べていた親子は、ナイフとフォークでハンバーガーを4つに切って、実に上品に食べています。

  昼食後、妻のリクエストでもあったギメ美術館の「能からマタハリまでーアジアの劇場の2000年展」を見るため、バビローヌ通りを下りました。突き当たりにあるサン・フランソワ・グザヴィエ教会前の停留所からバスでイエナまで行こうとしたのです。ところで、この教会は何度も前を通り過ぎているのに一度も入ったことがありません。妻は面倒なので、入りたくなさそうな顔をしていましたが、外で待つのも陽射しが強いので、仕方なく私の後について入りました。教会の正面のペディメント(三角形の破風)には、サン・フランソワ・グザヴィエがインド人と日本人に洗礼を施す浮彫があり、日本人は髷を結った侍のようです。実はフランソワ・グザヴィエとはフランシスコ・ザビエルのことで、私にとっては鹿児島でザビエル像を見て以来の二度目の邂逅となります。内部はたいへん立派でこの教会の格式の高さがうかがわれます。教会のパンフレットをもらって外に出ましたが、バスの中でパンフレットを見ると、何とティントレットの la Cene(最後の晩餐)が側廊に飾ってあったとのこと、後の祭りとはこのことでしょう。

    ところで、フランシスコ・ザビエルですが、不撓不屈の人間であり、その自己犠牲の生涯は私のような凡人にはあまり参考にはなりません。しかし、書簡集に見られる16世紀の日本と日本人の肖像は面白い。ザビエルによれば、日本人は悪意がなく理性的で名誉心あり、貧乏を恥辱と思わず、好戦的で武器を非常に大切にする国民であり、彼がそれまでに出会った最高の資質を持った国民であると書いています。おそらく弊衣でみすぼらしかったであろう人々に、しかし全く外見に左右されることなく透徹した眼差しをむけています。1958年に日本を訪問したスティーヴン・スペンダーが「みな醜い顔をしている」と日本人を外見だけで評したのとは大違いです。これこそ人間の質の違いでしょう。

   さて、バスを降りて、馴染みであるギメ美術館に入りました。ギメでは年に四回特別展が開催され、そのうち二回が日本に関係あるものだそうです。今回の「能からマタハリまで」はインドの舞踊、カンボジアの影絵劇、インドネシアの人形劇、中国の京劇、日本の人形浄瑠璃や能などですが、それらをアジアの劇場芸術という一括りにしたのはかなり強引すぎると思われます。しかもなぜマタハリが出てくるのか。実は、ギメ美術館は元々実業家であったギメの私設のコレクションの美術館で、その円形のホールは当時の社交場でもあったのです。ギメは1905年そのホールで、マレー系オランダ人であったマタハリ(ギメがパトロンをしていた)にパリで最初のダンスを踊らせます。これが当時のオリエンタルブームにのって大好評を博し、マタハリは一躍人気者になりますが、高級軍人目当ての娼婦をしているうちにスパイ活動に手を染め、ヴァンセンヌでフランス軍に処刑されてしまいます。展示では当時の映像が映されていましたが、官能的というより、いささか太り気味で、精神性が感じられないのは致し方ないでしょう。

   バスでホテルまで戻って来ました。疲れが出たのか、妻が少し眠りたいというので、部屋に妻を残し、私だけ散歩に出ました。サン・ジェルマン大通りを東に歩いて、ところどころにある古本屋の店頭本を物色しながら、カーディナル・ルモワーヌ通りを右に入ります。そこに目当てのL'Amour du Noir 書店がありました。ここは探偵・警察・SF小説専門の店で、店内はその種の本が天井まで積み上げられています。目的のガリマール社発行のセリ・ノワール叢書は奥の右手にびっしり並べられています。セリ・ノワールは犯罪・警察小説の岩波文庫ともいうべき叢書で、1945年にマルセル・デュアメル編集のもとに発刊されました。最初はピーター・チェイニー、レイモンド・チャンドラーなどの英米作家の翻訳ばかり出していましたが、後にジャン・アミラ、アルベール・シモナンらフランス人作家も名を連ねました。

   フランスで一般に polar と呼ばれるこの種の小説の魅力はいったい何でしょうか。「ヴィトゲンシュタインを読むより、セリ・ノワールを読むほうが好きだ」というサルトルの言葉はよく知られています。シュヴェイアウゼールのたいへん便利で有益な本『ロマン・ノワール フランスのハードボイルド』(文庫ク・セ・ジュ)によれば、それは次のようなものです。まず、その文体、おそらくアメリカ小説とアメリカ映画から影響を受けたであろうその文体は、心理分析や心情吐露を徹底的に拒否します。主人公の動機や感情を表現するのは行動のみであり、これがハードボイルドという言葉のある本質的な意味を表しています。

   もう一つの特質は、人生と社会への絶望です。幻滅とも言ってよい、それは嘲弄、いや強い自嘲によって裏打ちされています。主人公は決してヒーローではなく、多くの場合、環境や状況によって打ちのめされていて、この社会を生き難いと感じています。彼らが犯罪者や脱落しかけた警察官であるのも無理はありません。彼らはこの社会を支えている諸価値を信じられなくなっているからで、そして、このことが現代社会の忠実な反映となっているのです。現代の polar が多く都市の郊外の低所得住宅を舞台にしているのは偶然ではなく、そこが、今や犯罪の温床であり、フランスの病弊の集約された場所であるからにほかなりません。

   私自身のpolar への興味はその言葉にあります。とにかく未知の単語や熟語がたくさん出てきて面白い。フランス語で一般にアルゴ(隠語)と呼ばれる言い回しは、主にヤクザの世界の符丁のようなものですが、それが一気に地下世界に読者を誘う呪文になるのです。『現金に手を出すな』の末尾にシモナンが付した簡単な隠語辞典は読者の便宜を図ったものですが、その難解さがフランス人のスノビスムを刺激して、本格的な隠語辞典がいくつも出版されたのは興味深いことです。社会言語学者のルイ・ジャン・カルヴェが言っているように、アルゴにこそフランス語の本質が潜んでいるのかも知れません。

   ホテルに戻ると、妻はもう起きていました。どうも気分が良くなったようです。今夜は観劇の予定はなく、といって部屋にいても仕方がないので、サン・ジェルマン・デ・プレまで夕方の散歩に行くことにしました。むろん、外はまだ明るくて、サン・タンドレ・デ・ザール通りのカフェやビストロは観光客で溢れています。私たちは深夜12時まで店を開けている本屋 L'ecume des  pages に入りました。La Hune 書店なき後、サン・ジェルマン・デ・プレ唯一の総合書店です。
妻はそこでプラトンの『ソクラテスの弁明』をわずか3ユーロで買っています。

   サン・ジェルマン大通りに出るとまだキオスクが店を出していたので、私は隙間なく並べられている新聞や雑誌を眺めていました。キオスクで新聞や雑誌を見るのが好きなのですが、そうすると必ず売り子に声をかけられます。こういうどうでもいい聴き取りが私は苦手なので、たいていフィガロかルモンドを買って退散してしまうのですが、この時ははっきりと聞き取れました。「シャルリ・エブドを探しているの?」と言ってきたのです。ノン、ノン、と言ってルモンドをつかみポケットから小銭を出して渡しました。どうもシャルリ・エブドを記念に買っていく観光客が多いようなのですが、1月に起きたあのシャルリ襲撃事件がまだ尾を引いているのでしょう。

   ところで、1月7日の事件は衝撃的でした。フランスではテロは珍しくないとはいえ、フランス人には馴染みのある5人の著名な風刺漫画家たちを含む12人が一度に殺されてしまったのです。最初は茫然として、それからフランス人は、これはただ事ならぬ、自らの世界を支えている価値のもっとも大事な部分が蹂躙され、無惨に引き裂かれてしまったと感じたのです。「私はシャルリ」という標語は、この暴挙を憎むというフランス人の瞬間的で直感的な表現であり、大多数の人間には「よくわからないが、こんなことが許されるはずはない」という怒りの表明だったのです。

   怒り、そうです、それは怒り以外の何物でもありません。他の手段は無数にあるのに、何故くだらなくも愚かな行為を選択したのか、それも表現の自由を身を張って行使した人間たちに対して、、、。真っ先に銃撃されて死んだ編集長のシャルブは2011年のインタビューで、「私には妻も子も車も貯金もない、大げさかも知れないが、膝を屈して生きるより立って死ぬ方を選ぶ」と語っています。私は民主主義の諸価値を相対的にもっとも優れたものと思うのですが、その随一の弱点はマス・メディアの横暴を許してしまうという所にあります。彼らは公正さを装って世論を巧みに操作してしまうのです。かつての民主主義批判者たちは愚民大衆の無知を危惧したのですが、インターネットの今、広く人々に開かれた議論こそが有益であり、メデイアこそ色眼鏡の扇動者であることが知られるようになりました。言い換えれば「立って死ぬ」覚悟のある者のみがメデイアを通じて発言する資格があるのですが、新聞・テレビが自らの行動の一片たりとも真の責任をもってをもって為したことがあったでしょうか。

   さらに、日本ではエマニュエル・トッドの「私はシャルリ」批判が好意的に受け取られているようです。襲撃事件の犯人である二人の兄弟はフランス生まれだが、フランスの価値観から締め出され、イスラム教にアイデンティティを見出した。疎外され、追い込まれた人間がかろうじて見出した救いに唾を吐く行為をシャルリの冒涜的な風刺画は行っていたのだと。トッドの意見は、現在の移民問題の複雑さ、フランス国内に7%いるイスラム教徒との共生の問題と絡めて有益な観点を提供しているようにも見えます。しかし、それこそこの事件の本質を隠蔽するものでしょう。犯人の兄弟はアルジェリア系移民の子として不幸な少年時代を送ったが、それを克服してまっとうな職につく努力を怠り、犯罪に手を染めた末、イエメンで軍事教練を受けた筋金入りのテロリストでした。彼らに同情する余地はあまりないように思えます。

   ところで、私はシャルリ・エブド紙を買ったことはなく、 ネットでオペラや劇評を見る程度でしたが、いつ見てもそれなりに面白い。それぞれの漫画に馴染みはあるが、五人の漫画家の名と一致はしません。しかし、私にとっては、いつもリベラシオン紙の文化欄でその記事を読んでいるフィリップ・ランソンがこの事件に巻き込まれて重傷を負ったことは驚きでした。ランソンはシャルリの水曜の編集会議に出席して一人早く退席しようとしたが、編集長のシャルブにジャズについての本を渡そうとして1分遅れたために事件に遭遇しました。もし1分早く退室していたら犯人と鉢合わせしていて、恐らく殺されていたでしょう。実際は銃の乱射のため顎を打ち砕かれ、13回の手術のあと、やっと6月29日にラジオのインタビューを受けるまでに回復しました。彼の話によると、彼が倒れたすぐ横にはシャルブが即死して倒れていた。自分は「死んだふり」をして、かろうじて命を助かった。すべてはまるで自分がBD(バンド・デシネ、フランスの漫画)の中にいるように非現実の出来事に思える。誰が死に、誰が助かったかは、その瞬間にどこに立っていたかによって、つまりほんの偶然によって決まった、と。

    L'Ecume des Pagesを出るとお腹が空いてきました。しかし、この時間のサン・ジェルマン・デ・プレの ビストロはどこも満員でしょう。最後の夜なのでモノプリでシャンパンを買ってホテルで飲むことにしました。鯖の缶詰、ハム、果物などを買って暗くなりかけた道をホテルまで歩きました。冷蔵庫がないので、流しの流水でシャンパンを冷やし、冷えたころに妻が栓を開けたのですが、すごい勢いで泡が出て妻のパジャマがびしょ濡れになりました。シャンパンは3分の1くらい失くなってしまいました。どうも流水だけではあまり冷えてなかったらしい。私は、その時、ベッドに腰掛けて妻の買った『ソクラテスの弁明』を読んでいたのですが、部屋に立ちこめたシャンパンの香りを嗅ぐと、なぜかロラン・バルトが17歳の時に書いた最初のテクスト「『クリトン』の余白に」を思い出しました。処刑の前夜、ソクラテスは弟子の一人が差し入れたコリントスのイチジクを食べるべきか考えています。イチジクは食べても消化される時間もないだろう、それにあと数時間で死ぬ人間がイチジクを食べても意味のないことだ。しかし、本当の恐れは、もしそれを食べれば、自分はそのまま生き続けてしまうのではないかということでした。迷った末にソクラテスはイチジクの一枝を口にします、、、。その後、弟子たちと乗った逃走途上の船の上でクリトンが尋ねます「ソクラテス、これでは歴史が変わってしまいます。」「心配するな」とソクラテスは答えます。「プラトンが上手くやってくれるさ。」

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バビローヌ通りで安いと評判の店Au Pied de Fouetに入るつもりが右隣のハンバーガーとタルティーヌの店に入ってしまいました。

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妻はサーモン、私はハムのタルティーヌを食べました。11ユーロか12ユーロでした。

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同じバビローヌ通りの書店Temps a Lire。残念ながら閉まっていました。

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Temps a Lireのウインドウ。中央上のイラストには「もし、もう、本屋がなかったら?」と書いてあります。

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Temps a Lire書店の扉に貼られたSOSの紙に注目。拡大して読むと、「街の書店はアマゾンなどネット販売の書店の重いおもしに押し潰されそうです。ますます多くの街の書店が店を閉めています」と書かれています。

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サン・フランソワ・グザヴィエ(Saint Francois Xavier)教会。日本語だと聖ザビエル教会の方が分かりやすい。19世紀後半の建立で、ルネサンス様式だが三角のペディメント、バラ窓、双子の尖塔など人気の要素を全て取り入れています。それらが破綻せず、パリで最も美しい教会の一つとなったのは驚きでしょう。

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グザヴィエ教会の内陣。正面にはザビエルがインド人と日本人に説教する絵が描かれています。

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イエナの交差点にあるギメ東洋美術館。特別展は「能からマタハリまで アジアの劇場の2000年」です。

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バリの仮面。インドネシアでもバリだけはヒンズー文化の影を色濃く残しています。

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タイとインドネシアの影絵。水牛の革を切り取って作られています。影絵や人形は、この世ならぬものの卓抜な表現です。上演を通して、民族や祖先の魂が行き来するのです。

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中国の京劇の人形。なんとなく憎むことのできない愛らしさ。

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ギメのパンフレットの写真。マタハリのもっとも魅力的な写真はこの一枚です。

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警察・推理・SF小説の宝庫、L’Amour du Noir 書店。ウインドウにはジャン・ヴォートランやスティーヴン・キングの小説が飾ってあります。

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L'Amour du Noir 書店の店内。右奥下の黒っぽい棚がセリ・ノワール叢書。

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L'Amour du Noir 書店で買ったセリ・ノワール叢書の一冊ミシェル・ルブラン『不良仲間とペキシェ』(3ユーロ)。題名はフローベールの『ブヴァールとペキシェ』をもじったものだが、むろん内容は全く別物。不良たちの会話が面白い。

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サン・ジェルマン・デ・プレの L'Ecume des Pages 書店に平積みされていたロラン・バルト関連書。そういえば、今年がバルト生誕100年でした。バルト、フーコー、ドゥルーズ、デリダすべて死んだが、彼らの偉大さの一つはフランス語の伝統の継承者ということにあるでしょう。

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モノプリで買ったシャンパン(12ユーロ)。開けるときに泡で三分の一流れてしまいました。隣は鯖の缶詰、おいしかったので幾つかお土産にしました。

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ルーミーの横の本は L'Ecume des Pages 書店で妻が買った『ソクラテスの弁明』。古典はとても安く買えます。

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コメント

「イスラム教というのも問題です。一般のイスラム教徒は平和を望んでおり、テロリストの標榜するイスラム教は真のイスラム教ではないとする意見もありますが、とんでもない。」これは恐ろしく手厳しいですね…。凡庸な自分にはとても吐けないセリフです。「アフリカや朝鮮やモンゴルの文化が人類の文化史にいったい何を残したでしょうか。」これもですね…。確かに西洋文化は偉大であり、僕も西洋文化なしには一日も過ごせないほどですが。西洋はまた確かに日本文化もある程度は認めているでしょうし。しかし、西洋人には、日本文化もアフリカ文化よりは多少マシ(?)というだけで、西洋文化とは比較にならないというのが本音なのではないでしょうか。また、西洋列強によるアフリカ(あるいは中東)分割とアフリカ(あるいは中東)的伝統の破壊は、非難の余地のないものなのでしょうか。破壊に足る文化すらなかったとも? まあ、僕などに文化論を語る資格はないかも知れませんね。ただ僕には、今の中東の戦乱も、西洋の利権・覇権争い以外の何ものとも思えないので、イスラム教(あるいは宗教)と何の関係があるのかと感じます。キリスト教とイスラム教の戦争というのは、まさしく双方からのプロパガンダに過ぎません。中東で起きているのは、キリスト教徒の介入による、イスラム教徒どうしの戦争でしかありません(遠因は中東の不合理な分割でしょう)。先進国で起きている「テロ」など、中東の現状とは比較にすらならないと思うのですが。だからこそ、イスラム教徒は「テロ」を行うのでしょう。日本人も殺されましたし、そのうち日本でもそうなるかも知れません。それはともかく、世界でいちばん戦争をやっているのが民主国家であることは、明白な事実だと思われます。兵器の供給とコントロールも、すべて民主国家によるものです。民主主義国家どうしは確かに直接戦争はしませんし、民主主義しか、確かに選択肢はないのですが。イスラム教が民主主義には合わないのは事実。

さても、不愉快かも知れないことを書いてしまって申し訳ないです。浅知恵なりに、もっと考えてみます。失礼しました。

投稿: オベリスク | 2015年10月10日 (土) 00時56分

オベリスクさん、コメントありがとうございます。
おっしゃることは全くその通りで、実はまさに昨日(9日)ある高校生が「先生、炎上しても知りませんよ」と言ってきたのです。「こんなブログ、誰も読んでいないから大丈夫」と言っておいたのですが、内心、自分の馬鹿さ加減が高校生にも露呈したか、とショックで家に帰ったら修正しようと思っていたのに、金曜の夜なのでお酒を飲んだら忘れてしまいました。朝、オベリスクさんのコメントを読んでまさに冷や水を浴びせられました。その高校生は英語の教科書に載っていた日本人がモンゴルの文化に尽くすという文章(見ただけで読んでいないのですが)を示してくれたのですが、彼女の方が自分よりずっと賢いと思いました。それで、ブログの削除はできるだけしないのですが、やはり3パラフレーズあたり削除させていただきます。ご指摘ありがとうございます。それでは、また。

投稿: saiki | 2015年10月10日 (土) 06時17分

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