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2015年8月 1日 (土)

憂愁の巴里(4)ハムレットの悲劇

6月21日

    日曜日の朝、いつものようにロビーで朝食を済ませ、サン・ミッシェルの停留所からバスに乗ってオテル・ド・ヴィルまで行き、72番のバスでプティ・パレまで行こうとしました。日曜日は走っていないバスも多いので注意しなければなりません。プティ・パレで開催されているのは「カルメンからメリザンドまで」という展示です。これは今年で300年を迎えるオペラ・コミック座について、その舞台裏、その衣装、オッフェンバックやビゼーなどの作曲家、その楽譜、舞台写真、その映像まで多岐にわたって繰り広げた展示で、たいへん地味ながら、見ておかなければ、おそらく二度と企画されないだろう催しです。その象徴はビゼーのカルメンとドビッシーのメリザンドで、これがオペラ・コミックの特質をよく表しています。

  オペラ・コミック座は1715年、ルイ14世の死んだ年に開業しました。オペラ座、コメディ・フランセーズと並んで、フランスで最も古い三つの劇場の一つです。オペラ座が正統的なオペラを上演するのに対して、オペラ・コミック座は主に台詞と歌が混ぜ合わさった、一般庶民が主人公として登場する気軽なオペラを上演します。ただ、イタリア発祥のオペレッタが必ずハッピーエンドで終わるのに対して、フランスらしく涙を誘う悲劇的な最後が多いように思います。ドリーブの『ラクメ』やマスネの『マノン』などは有名ですね。なお、この展示では1887年のオペラ・コミックの火災の絵や資料が展示されていました。5月21日、古いガスの火から引火して、トマの『ミニョン』上演中の舞台奥から出火、俳優、スタッフ、観客など100人余りが死亡、200人以上が負傷した大火災で、オペラ・コミック座はそれ以降電燈を使うようになったということです。

   その後、プティ・パレの常設展示(無料)を大急ぎで見ていきましたが、私がまだ足が痛く、妻の足手まといになったのは本当に申し訳なかった。しかし、この常設展示は素晴らしく、ちょうどルーヴルを縮小した感じで、何より観光客が少ないのでゆったりと見ることができます。ルーヴルのオランダ絵画というと、まともに見たら1日でも足りないでしょうが、プティ・パレなら、ロイスダール、ヨルダーンス、ホッベマなどを 見ることができ、さらにルーベンス、レンブラント、フランス絵画ならプッサン、ジェリコー、コロー、クールベなどとても多い。妻の好きなギリシャ陶器も少ないながら充実していて、半日の鑑賞には十分すぎるほどでした。

   ちょうどお昼になったので、プティ・パレの中のカフェで昼食をとりましたが、私は昨日の胃痛は治ったもののまだ心配で、妻のオープンサンドを半分もらっただけでした。このカフェの中庭はとても良い雰囲気で樹木に囲まれて、都会の中の別世界という趣でした。2時にサル・リシュリューで「ハムレット」を観るので、遅れないようにプティ・パレを出て、72番のバスに乗りましたが、カルーセル橋で降りなければいけないところ、うっかりして乗り過ごして、三駅先のシャトレまで行ってしまいました。開演30分前に入り口でチケットを受け取るので、急いで戻りましたが、途中にANIMALERIEというペットショップがあったので覗いてみました。日本と違って、犬よりも猫の方が多く、値段は1匹10万から20万円ほどです。

   ちょうど30分前にサル・リシュリューに到着。チケットを受け取って、すぐに階段を上がり二階の正面の席へ。ここは41ユーロと一番高い席ですが、さすがに見やすそうです。今日の演目は「ハムレットの悲劇」で、日本にいるとき、妻がコメディ・フランセーズでハムレットを演るけどどうすると聞いてきたので、一度コメディ・フランセーズのシェークスピアを観たいと思っていた私は深く考えず、いいよと言ってしまいました。しかし、切符を買った後、いろいろな新聞で劇評を読むと、厳しい評価もいくつかあって、というのもハムレットの舞台は70年代の英国のフェンシング・クラブのパブに変えてあるからです。こういう試みが成功する例は少なく、かつてのバスチーユで見た『セビリアの理髪師』のようにガッカリするだけで終わってしまうのでは、と大いに後悔してしまったのです。

   偶然思い出したのですが、もうずっと昔に、NHKテレビで福田恆存がある若手演劇家と対談したことがあるのですが、その若手演劇家はいわゆるジーパン・ハムレット(出演者がほとんどジーパンをはいている)なるものを演出していて、彼の言によれば、ハムレットは読む人それぞれの無数のハムレットが存在するのだからその演出は自由であるはずだ、というものです。それに対して福田恆存は、いやハムレットは一つしかなく、それは17世紀の初めにシェークスピアが書いた悲劇に他ならない、と断言しました。この放送を見たとき、私は福田の言っていることがむろん正しく、小賢しいアイデアでクラシックな作品を冒涜するのは許せない、などと思ったのです。
   ところが、コメディ・フランセーズの三時間の観劇の後に、私は告白するのですが、たいへん面白かった、三時間があっという間でぜんぜん退屈しなかった、この舞台設定は自分にとっては成功という他ない、と言わねばなりません。この面白さは、むろんその奇抜な着想にあるので、次の場面で、原作がどう演じられるかを予想する楽しみ、またそれが裏切られる楽しみでもあります。

   簡単に紹介しましょう。ハムレットは西欧の最高の文学的達成の一つですが、その価値は atemporel(時間を超越している)であり、不朽のものである、だからデンマークのエルスヌール城と能う限り離れた舞台設定でもその価値は失われることはない。そう考えて演出のダン・ジャメットは、その場所を、1970年代の英国の下町のフェンシング・クラブの薄汚れたバーに設定しました。壁際にジュークボックスが置かれ、壁にはサッカーやフェンシングの選手の写真、棚にはウイスキーの瓶やトロフィーが置かれています。兄を殺したクラウディウスはそのバーのマスターで、どぎつい化粧でいつも酔っ払っているのはゲルトルート、つまり夫を殺した義理の弟と結婚した女でハムレットの母親です。オフィーリアは蛍光色のワンピースを着た軽っぽい娘で、旅芸人の一行は70年代のパンタロンにタートルネックのセーターを着ています。全ての場面が演じられるバーはそのまま宮廷で、左端にある男便所はハムレットの散歩道(棚に設置してあるコンドームの自動販売機の横にto be, or not to be...の台詞が落書きされています)、右端の婦人用便所はオフィーリアが身投げする小川で、彼女はその便所で自殺するのです。

   そして、このように有り様を完全に変えた舞台にありがちのように話は全く原作と同じように進展します。なぜなら、細部まで忠実に原作を再現してこそパロディーとしての質が保証されるからですが、舞台を観る楽しみも全くそこにあるのです(むろん、ハムレット全編を細部まで知り尽くしていないといけません)。ただ、ここに一つのバイアスがあって、この堕落した場末のクラブの薄汚れたバーの中で、唯一ハムレットだけが、この汚染された腐った世界に馴染むことを拒否しているように見えるのです。クラウディウスは俗物、ゲルトルートは酔っ払い女、オフェーリアは馬鹿娘、しかし、ハムレットは知的で、どちらかというとオタクだが、能力に比例した生活力がなく、自分が王位にふさわしいかどうか自信が持てない、懐疑的だが理想主義的な青年、これは原作の周到な、そしてほぼ正確な解釈ではないでしょうか。親友のホレーシオに「生き残れ」と言い、フォーテンブラスにデンマークの未来を託すのは、ハムレットがこの汚れた世界を拒否し、自ら犠牲となってこの世界と心中しようとする意思の表れと読めるからです。

   コメディ・フランセーズのパンフレットに書かれた演出家ジャン・ジャメットの文章によると、彼が生まれた英国では、小学校から大学までハムレットについて教えられ、しかもジャメットの父親は俳優でもあったので、家でも台詞を聞かされた。ハムレットの台詞を暗唱している英国人はたくさんいて、ハムレット劇といえば、俳優の良し悪し、評判だけが興味で、世界文学としての内容そのものを云々する人間などいない。ところが、フランスでは、たとえ、今度の芝居の元になったイヴ・ボンヌファの翻訳がいかに流麗であったにしても、そこに大いなる懸隔がある。フランス語を通じてのハムレットはやはり一つの別のハムレットだ。そこで初めて自分は想像力を刺激されて、新しいハムレットを作りたくなった。ちょうど、(ハムレット役の)ドニ・ポダリデスと仕事をした時、彼がフェンシングをやっていたことを知って、すぐにこのハムレットを思いついた、と。

   ドニ・ポダリデスといえば、前回の『ルクレツィア・ボルジア』の演出をした人間です。その演出はどうかと思うが、今回のハムレット役は本当にすばらしい。50歳という年齢が問題ですが、今回はほとんど年配の俳優達なのでさほど気になりません。原作ではオフェーリアとゲルトルートは存在感が薄く、描き方がやや曖昧だが、この芝居では存在感、溌剌さ、重要度がずっと増して、これこそ正しいのでは、と思ってしまいます。
   ところで、ヤン・コットが言っているように、ハムレット劇は政治的陰謀劇としてみるともっともわかりやすい。互いに相手の動向を監視し、本心は何かを探り出そうとします。クラウディウスはハムレットの学友二人(むろんローゼンクランツとギルデスターンです)にハムレットの本心を探らせ、ポローニアスにその娘オフィーリアを使ってハムレットの狂気が真実か否かを検証させます。ハムレットはハムレットで、旅芸人に芝居を演じさせクラウディウスに心理的揺さぶりをかけるのです。これだけの数の登場人物(墓掘り人や旅芸人も含めて)に全て重要な役割を全うさせ、筋の展開の矛盾もなく、しかも主役の王子ハムレットに重い謎を含ませたままにする所をみると、シェークスピアはやはり天才でしょう。ただ、シェークスピアというと、分け知り顏の連中が大げさに語るのが煩わしい。まだ20代の頃、私は長兄に「お前にはまだシェークスピアの良さは分からないだろう」と馬鹿にしたように言われたことがあるのですが、これがまだ評価の定まらない19世紀初頭なら価値のある言葉だったでしょう。スタンダールは、パリのサロンでシェークスピアがさんざ罵倒されているのを聞いた時、悲しみのため反論する気力もなく、外で一人涙を流した、ということです。理解し、愛するとはこういうことではないでしょうか。

   帰り際、サル・リシュリューの前のフランプリでサラダ、果物、ワインなどを買って、27番のバスでサン・ミッシェルまで帰りました。疲れたのでホテルの部屋でコーヒーを飲んで一眠りしました。眼が覚めると10時過ぎで、今日は「音楽の日」ということを思い出しました。まだ足はかなり痛かったが、喧騒が見たくてカメラを持って外に出てみました。ところがカメラが作動せず、ガチャガチャやっても直らないので、妻のペンタックスを借りて写しました(その後、妻がすぐに直してくれました)。パンテオン広場からコントルスカルプ広場まで降りてみようと思ったのですが、途中で足の痛みが半端なく、泣く泣くホテルへ帰ってきました。

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プティ・パレの入口。まだ左足が痛かったので足を引きずって歩いていたら、階段の上にいた係員が走って降りてきて、右下のエレベーターまで誘導してくれました。

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「カルメンからメリザンドまで」のパンフレット。カルメン(1875)、ペレアスとメリザンド(1902)はともにオペラ・コミック座で初演しています。左は1884年時のカルメン役セレスティン・ガリ=マリエ。右は1904年時のメリザンド役のガルダン嬢。オペラ『カルメン』はメリメの原作とビゼーの音楽がともに天才の出来。メーテルランク原作の『ペレアスとメリザンド』はドビュッシーの音楽、これも悲しいオペラです。

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マリアンヌ・ストークスの「メリザンド」の実物に会えるとは! ラファエル前派は好きではないが、彼女のこの絵だけは気に入っています。泉に指輪を落としてしまったメリザンド、しかしその表情は水の底のさらに深い深いところを見ているようです。

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プティ・パレの常設展示室のドラクロワ「ジャウールとパシャの闘い」。これぞドラクロワ、二頭の馬と二人の人間が旋風のように絡み合って訳がわかりません。愛読していたバイロンの詩からの連想。

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プティ・パレのギリシャ室。白地レキュトスは数は少ないが、ルーヴルよりも粒がそろっています。

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プティ・パレのカフェ。すばらしい中庭に面しています。空いていて、ゆっくり休めるのがよい。

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パリのペットショップANIMALERIE.  megisserie河岸にあります。この猫は13万円ほど。すでに売約済みの紙が貼ってありました。

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コメディ・フランセーズの本拠地サル・リシュリューの観客席。シャンゼリゼ劇場同様、白人ばかりですが、さすがに知的な感じの人が多いようです。

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『ハムレットの悲劇』のパンフレットから。左端がローゼンクランツ役のエリオット・ジェニコ。抱いている犬のぬいぐるみは何とギルデンスターンで腹話術でしゃべります。真ん中がハムレット役のドニ・ポダリデス、すっかり魅入ってしまいました。右がクラウディウス役のエルヴェ・ピエール。ピストルをぶっぱなすマフィア風のバーのマスター。ハムレットと対極に描かれています。

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終盤にかかった所。レアティーズと対決するハムレット(左から二人目)。その右隣が親友のホレーシオ、この芝居ではあまり存在感はなかった。真ん中の母親ゲルトルードは目を見張る演技でした。

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最後のフェンシング対決。右のレアティーズの剣先には毒が塗ってあります。ハムレットが2ポイント先取すると母親が大声で狂喜するのが面白い。私の一番好きな場面ですが、実は、昔、シェークスピアの歴史劇にはまってその戦場の戦闘シーンばかり繰り返し読んでいました。おそらく16、17世紀の観客もそういうものが好きだったのでしょう。

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最後の舞台あいさつ。むろん絶賛の拍手歓声です。この芝居をけなしたルモンドとハフィントン・ポストの批評家は何を考えているのでしょうか。なお、右に立つオフィーリア役ジェニファー・デッカーは非常に印象強い演技です。

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今日は「音楽の日」。スフロ通りのカフェ・スフロの前ではロック・バンドが演奏しています。

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スフロ通りとサン・ミッシェル通りの交差点、いまひとつ盛り上がらないのは翌日が月曜だからでしょうか。

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パンテオンに続くスフロ通りからカフェ・コントワール・デュ・パンテオンの辺りを撮影。なんとなくゴッホの星空のカフェを思い出しました。

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