« 2015年4月 | トップページ | 2015年8月 »

2015年7月20日 (月)

憂愁の巴里(3)シャンゼリゼ劇場のマリア・ストゥアルト

6月20日

   朝起きると左足の裏が痛い。いや、痛いどころでなく歩けません。昨夜、セーヌの岸辺を歩き過ぎたせいでしょう。日本から持ってきた湿布薬を貼ってベッドに横になっていました(フランスでは湿布薬は売っていません)。8時過ぎに、ようやく食事に降りましたが、階段を降りるのが塗炭の苦しみです。いつものテーブルに座り、さあ食事をしようとした瞬間にヒヤっとしました。いつも胸にぶら下げているパスポート入れがありません。部屋に置き忘れたに違いなく、鍵はかけておいたものの、ここは不安がいっぱいの安ホテル、勝手に侵入されて盗まれるかも知れません。妻に頼んで、部屋まで取りに行ってもらいましたが、4階まで往復しても不満顔ひとつしないのは機嫌が良いからでしょうか。

   悪いことは続くもので、朝食のバゲットをよく噛まなかったからか、歩き始めるとすぐに胃が痛くなりました。時間をおいて間欠的にキリキリと痛みます。足は痛いし、胃も痛い。足取りもノロノロしてきて、妻は我慢できないのか、どんどん先に行ってブティックのウインドウとか見ています。リードもなしに小さなブルドッグを散歩させている上品な紳士がいて、匂いを嗅ぎながら犬がゆっくり散歩しているので私と同じ速度になりました。犬は、時々、私の方を見ながら、見せつけるように駐車している車のタイヤにオシッコをかけています。そして、車と車の間に隠れてウンチも済ませましたが、飼い主は知らんぷりで放置しています。

   オデオン通りからヴォジラール通りを通って、ようやくリュクサンブール公園の端にあるリュクサンブール美術館の前に来ました。入口の階段の下でわりと厳重な荷物検査がありました。入口横にはアンジェリーナの支店が出ています。リュクサンブール美術館は特別展の時のみ開場しますが、今回は「テューダー朝展Les Tudors」です。テューダー朝は1485年のヘンリー7世の即位に始まり、1603年のエリザベス1世の死によって終わるわずか120年ほどの間の王朝ですが、英国の歴史にとって決定的意味を持っています。それは英国がローマ教皇庁と決裂して英国国教会を設立し、スペインの無敵艦隊を破って、世界の覇権を握り、絶対王政を確立した時に当たるからです。

   ところが、私は足の痛みと胃痛のため満足に展示を見ることができません。妻は要領よく写真を撮ったり、衣装を眺めたりしていますが、私は館内を一周しただけでもう歩けなくなりました。冷汗をかきながら美術館の外に出ると、妻がコロンビエ通りのキリスト教のサロン・ド・テ、Au Parloir du Colombierでキッシュが食べたいと言い出しました。ここからすぐ近くですが、開店の12時15分までは少し時間があります。それでヴォジラール通りの古書店Pont Traverse(まだ開いていませんでした)のウインドウを覗いた後、途中の本屋Le Procureで時間を潰すことにしましたが、私はこのカトリック系の本屋の雰囲気があまり好きではありません。足を動かせたくないので、入ってすぐの所で新刊書を立ち読みしていましたが、妻はたいへん元気であちこち本を探して、エックハルトの本とチェスタトンの本を買っていました。

   12時を回ったのでパルロワール・デュ・コロンビエに入りました。前回の旅行記でも紹介したこの店はカトリックの団体の経営で「全ての人に開かれている出会いとくつろぎの場」です。もう何人かお客がいて、お客の女性の一人が老人一人で切り盛りしている店を手伝っているようです。食事かお茶か、と聞いてきたので、妻が食事、私がお茶と答えると、老人が大皿に盛って切り分けてあるキッシュを持ってきて、これはどうかと勧めてきます。何と3ユーロと安くて、しかも大きなキッシュです。妻はそれとチョコレート、私は胃が痛いのでセイロン紅茶だけを注文しました。ところで今日は土曜日だからでしょうか、次々と客が入ってきます。それが皆カトリックの仲間のようで、店の主人である老人とものすごく親しげに挨拶したり、店を手伝ったりしています。どうも、「ジェラールおじさん」というのが老人の名らしい。気がつくと店内は私たち以外はみな知り合いのようで、一見すると貧しそうな人々ばかりですが、やけに陽気で明るく楽しい雰囲気で盛り上がっています。妻がキッシュを食べていると、新しい二人連れの客が入ってきて、そのうちの一人は軽い知的障害があるのか非常にテンションが高く、何とテーブルを全部回って客のみんなと握手しています。最後に私たちのテーブルに来ましたが、よく見ると指がなく、手術前の野口英世のようにゲンコツの手だけ差し出しているのです。妻とは楽しそうに握手していましたが、なぜか私だけには握手の手を出しません。邪悪な心を見破られたか、いや、まだ人間が本当に出来ていないので相手を尻込みさせてしまうのでしょう。

   しかし、私は、この店の光景を見て、カトリックのある本質が分かったような気がしました。プロテスタントは信仰のみを拠りどころにするので、信者に常にある緊張を要求します。その反対にカトリックは、それに参加しようとする人間には全てが自由であり、全てが許されるようです。困難は位階の進むにつれて負わされる責任を持った聖職者に帰せられます。カトリックの屋台骨は教会と欲望を断ち切った司祭にあるので、彼らの尊敬される所以はまさにそこにあるのです。私が今までに出会ったプロテスタントの信者はほとんど全員が知的で、比較的裕福な人たちでした。しかし、素朴さは彼らには馴染まないし、知的障害者などを容れる余地は少ないように思います。

   パロワール・デュ・コロンビエを出て、サン・ジェルマン・デ・プレの方へ歩いて、モノプリでヨーグルトや水やワインやチョコレートや猫のおもちゃを買ってホテルに戻りました。ヨーグルトを食べてからベッドに横になって、妻が買ったチェスタトンのブラウン神父ものを読んでいたら(昔読んだけれど忘れてしまった)眠ってしまいました。5時に妻に起こされ、慌てて足の湿布を替え、支度して、63番のバスでアルマ・マルソーまで行きました。モンテーニュ通りにあるシャンゼリゼ劇場で7時半開演のドニゼッティの「マリア・ストゥアルト」を観るためです。シャンゼリゼ劇場は初めてなので大事をとって早く着きすぎたので、まだ一人の客も見えません。ブランドの本店が並ぶモンテーニュ通りを散歩したかったが、足が痛いので、劇場の前の公園のベンチでチョコレートを食べながらキオスクで買ったフィガロ紙を読んでいました。運の良いことに、フィガロの文化欄に「マリア・ストゥアルタ」の批評が出ていました。

   30分前になったので入場。席は二階右のボックス席の一番奥ですが(35ユーロ)傾斜しているので見やすい。オデオン座によく似た劇場ですが、もう少しゆったりと見れそうです。本来はコンサートが主で、年に3回オペラを上演するとのことですが、確かに音響は申し分ありません。15分前ぐらいにバタバタと人が埋まり始めました。服装は皆きちんとしていますが、ガルニエやバスチーユでのようなドレス姿はあまり見当たらず、またジーンズやTシャツのような観光客風の客もほとんど見ません。裕福な地元客がオペラを楽しみに来たという印象で、男は上着にネクタイ、女は上品なスーツや落ち着いたワンピースが多いようです。驚いたことに、全て白人の観客ばかりで、黒人どころか、黄色人種は私たち二人だけのようでした。これは、街を歩けば黒人やアラブ人や東洋人が溢れているパリにしては異例の世界でしょう。

   さて、私たちのボックス席は、一番前に知的で金持ちそうな老年の夫婦が座り、その後ろに夫婦の知り合いらしい眼鏡をかけたスーツ姿の中年男性、間の三つの席が空で、一番後ろが私たちでした。その空の席に移動してもいいのですが、眼鏡の中年男性が上着やパンフレットや新聞を置いているので移動できません。私たちが東洋人なので意地悪しているのかとも思いましたが、前の席に詰めるのも窮屈なので、後ろの席が気楽でいいやと思い黙っていました。ところが、幕間休憩が終わって第二幕が始まる直前に、隣のボックス席の白髪の老婦人が眼鏡の男性にきつい調子で「なぜ空いている席にマダムを座らせないのか」と言ってきたのです。そして、腕を伸ばして男性の持ち物を片付けてしまうと、妻をそこに座らせ、「ムッシュもここへ」と私も妻の後ろの席に移動させたのです。眼鏡の男性はむろん反論もできずムッとした顔で黙っていました。私たちは老婦人に軽く礼を言って、眼鏡の中年男性にはチラッと嘲笑の眼差しを向けて置きました。

   舞台ですが、「マリア・ストゥアルト 」は1834年にドニゼッティの発表したオペラで、原案はシラーの1799年の同名の戯曲です。Gaetano Donizetti(1797〜1848)はロッシーニとヴェルディの間を繋ぐようなオペラ作家ですが、多作で、生涯に70ものオペラを書いています。悲劇も喜劇も器用にこなす人気で、両手を使って一度に2つのオペラを書いたとも言われるほどです。この当時のイタリアでは各地にオペラ劇場が林立し、それはその都市の文化的中心となっていたのですが、スタンダールも「イタリアではどんな地方都市でも立派な劇場があるので驚く」と書いています。作曲家はもちろん、台本作者、歌手なども人気者はイタリア中で引っ張りだこでした。ドニゼッティは、民衆はスキャンダラスなものを好むということをよく知っていて、処刑に至る二人の女王の確執をオペラにすることを思いついたのです。人気ある台本作家がつかまらなかったので、17歳の法学生バルダーリにシラーの戯曲からの翻案を依頼しました。バルダーリはシラーの五幕の大作悲劇を二幕に簡略化し、登場人物も約三分の一に減らしました。山場は二人の女王の対決と最後の処刑の場のみ、しかし、この大胆な試みが成功して、以後「マリア・ストゥアルト」は世界各地で上演されることとなります。

   このオペラはもちろん元スコットランド女王メアリー・スチュアートとイングランド女王エリザベス1世の実話を元にしています。かんたんに振り返ってみると、メアリー・スチュアートはジェームズ五世とフランス女性メアリー・ド・ギーズの間に生まれ、政治的陰謀のさなかにフランスで育てられ、スコットランド女王となるが、夫のダーンリ卿殺害に加担したとして追放され、フランスへの逃亡の途中に庇護を求めたイングランドのエリザベス1世によって幽閉されます。その後、メアリーを推挙してエリザベスを廃位しようとする陰謀が発覚し、メアリーは共謀の罪で死刑を宣告され、19年の幽閉ののちについに処刑されます。

   シラーの戯曲は実現しなかった二人の女王の対面の場面を設定し、火花散る嫉妬と憎しみを爆発させます。エリザベスは若き日のマリア(メアリー)の浮薄な情欲の放埓を非難し、マリアはヘンリー八世とアン・ブーリンとの子であるエリザベスを私生児呼ばわりし、英国の正当な王位継承権は自分にこそあると主張します。ここに、ともに思いを寄せるレスター卿への嫉妬が絡んで、ついに対面は決裂し、エリザベスはマリア処刑の執行書に署名してしまうのです。バルダーリの台本でもこの場面は壮絶なソプラノの歌い合いに終始し、1834年の初演では稽古の時に実際につかみ合いの喧嘩になってしまったとのことです。

   しかし、バルダーリの台本では、シラーの戯曲にあった三つの対立、熱情と権力と宗教のうち宗教の部分がすっかり 抜け落ちています。実はシラーの戯曲のもっとも感動的な場面はこの宗教についてなのです。死刑執行の日、マリアの子供の頃からの執事であるメルヴィルが最後に一目会おうと19年ぶりに姿を現します。感激するマリアにメルヴィルは、最後に何かお望みのものはないかと尋ねます。マリアは、実は死に臨んで一つだけ気がかりなことがある、それはカトリックの司祭を呼ぶことを許されないためである、あのインチキな(俗世の欲望にまみれた)牧師などに最後の赦しなどを与えてほしくないのだ、といいます。でも信仰さえあれば神様の許にまで届きます、というメルヴィルに対しマリアは次のように反論します。

   「 まあ、メルヴィル! 人の心というものは、しかしそれ自身だけで十分とは言われない。信仰の念は天福を受けるために、地上の抵当を必要とするものなのです。それだから神様は人間の姿に身を変えて、眼に見えぬ天上の贈り物をばひめやかに、眼に見える形のなかへ籠められたのです。ーそれは、とりも直さず教会のことです。神聖な尊い教会です。それが我々のため天国への梯子の用をつとめるのです。 いいかえれば万人の、カトリックの信仰こそ、それなのです。何故といえば、あらゆる人の信仰のみが個々の人の信仰を強めるのだから。何千という人が随喜渇仰するところには、熱誠は炎となって燃え上がり、魂は翼を得て九天の上まで天翔りますーああ!私一人だけは除け者です、天の祝福も牢屋の中の私にまでは届きません。ーここには坊さんもいない、お寺もない、聖餅もない」

   マリアがそう言うと、メルヴィルはきっとした顔でこう言うのです。「女王様、おきき遊ばせ。神様はあなた様をお慰めなさるために一つの奇蹟をお下しなされるでござりましょう。ここには僧もおらず、寺院もなく、聖体もないと仰せなのでござりますか? ーそれはお間違いです。ここには一人の僧と、ひとりの神とが在すのでございます」この言葉とともにメルヴィルは帽子を脱ぎ、7度の得度を経て中剃りを許された頭を見せ、そして教皇の手で清められた聖餅と葡萄酒を差し出すのです。実に、この忠義な男はマリアのために全霊を賭して告解を受ける準備をしてきたのです。この場面はバルダーリ版ではシュールズベリ伯であるタルボットがマリアの告解を受けるという形になっていますが、シラーの天才的手法には遠く及びません。ただ、シラーにもバルダーリにも共通して流れているものは、マリアの、子供時代を過ごした自由の国フランスへの強い郷愁と憧れです。それが、英国史上もっとも陰惨で残酷であったと言われるテューダー朝への憎しみと重なるのです。

   肝心のオペラですが、実は妻も私も全く期待していなくて、チケットを買ったのも出発直前でした。ところが観てみると、予想に反して素晴らしく、とくにマリア役のポーランド人歌手アレクサンドラ・クルザックのソプラノは最後の場面に向かって次第に哀感を増し、震える歌声は全館が凍りつくようでした。無駄のない演出は少しも退屈せず、背景のコーラスも切迫した調子で気分をいやでも盛り上げます。終わると尋常以上の拍手、ブラボーの連呼、アンコールも無限に続くかのようでした。劇場の外へ出るとさすがに宵闇が覆っていて、エッフェル塔のライトアップが美しい。私たちは、また63番のバスに乗ってオデオンまで帰り、停留所からすぐ近くのホテルに戻りました。
   
   

   Image

オデオン通り。リードもなく、勝手に散歩しているように見える犬。実は飼い主と犬はわざと知らないもの同士をよそおって、一定の距離を保っています。

Photo

これもオデオン通り。突き当たりはオデオン座。めずらしくも欧州から撤退したはずのダイハツ車が駐車しています。ミニやフィアット相手に苦戦するのは仕方ありません。

Les_tudors

リュクサンブール美術館の入り口。昔の王室の温室として使われていた建物です。

Img_0072_2

ハンス・ホルバインの描くヘンリー八世。宮廷肖像画家としてのホルバインの傑作。190㎝あったヘンリー八世をわざと低く描くことで、絶対的な王としての安定感を出しています。テューダー朝はホルバインとシェークスピアによって強くその名をとどめたと言ってよいでしょう。

Img_0070

作者不詳。エリザベス一世の肖像。左上にスペイン無敵艦隊を破ったアルマダの海戦が描かれています。

Img_0071

ハンス・ホルバイン作エドワード6世の肖像。ヘンリー八世の死後王位を継ぎました。9歳で即位し、15歳で死亡。マーク・トウェイン『王子と乞食』のモデルとも言われています。ホルバインの中世的な眼差しは時折グリューネヴァルトやデューラーを思い起こさせます。

Bookstore

夏なのに襟巻きをし、ポケットに手を突っ込んで古書店のウインドウを除く浮浪者風の不審な男。むろん私ですが、この店は左岸で最も有名な古書店のひとつLe Pont Traverse。幻想的な作風で知られる作家マルセル・ベアリュの店ですが、彼が1993年に死んだ後もかなり年下の奥様が店を続けています。いつ閉店してもおかしくないので訪ねてみましたが、土曜日は3時に開店とのことで店に入れませんでした。

Bookstore2

私が見ていたのは、エディット・シルヴの『ポール・レオトーとメルキュール・ド・フランス』。ちょっと立ち読みしたかったのですが、残念です。

La_procure

妻がLe Procureで買った本。チェスタトンの本は読んだものばかりでした。

Img_0068

カトリックのサロン・ド・テ、Parloir du Colombier。妻はキッシュを食べていますが、私は胃痛で紅茶だけ飲んでいました。パリに住む庶民の人々のための店です。

Omocha

サン・ジェルマン・デ・プレのモノプリで買ったルーミーのためのおもちゃのお土産。

Champslyses

シャンゼリゼ劇場の入口。思ったより普通の建物で、オペラ・ガルニエのような異世界への入口という感じはしません。

Champslyses_2

シャンゼリゼ劇場のあるモンテーニュ通りはパリ有数の高級な通り。馬車も走っています。

Img_0063

二階横のボックス席。私たちの席から舞台を見ました。

Champslyses2

幕間のロビー。白人ばかりの異様な世界です。

Img_0069

左がレスター伯ロバート・ダドレイ役のフランセスコ・デムーロ。優柔不断の色男の役です。真ん中がエリザベス役のカルメン・ジャナタッシオ、熱演です。右がマリア役のアレクサンドラ・クルザック、素晴らしい演技と歌声に魅了されました。

Champslyses_3

オペラがはねて、家路に着く人々。

Img_0052

シャンゼリゼ劇場のあるモンテーニュ通りでバスを待つ人々。エッフェル塔はさすがに美しい。

| | コメント (0)

2015年7月13日 (月)

憂愁の巴里(2)グランパレのベラスケス

6月19日

   朝5時半に起床。昨夜はあまりに疲れていて、何時に寝たか覚えていません。このホテルは朝食付きなので、朝7時10分に一階のロビー兼食堂へ。安ホテルなので新聞が置いてないのは仕方ないが、無料日刊紙もないのは淋しい。食後、また4階に戻り、テレビを見たり、身支度をして、9時半頃ホテルを出ました。セルパント通りを東に行ってサン・ミッシェル大通りにでました。角のブリニエ書店の前にはもう何人かが開店を待っています。ぶらぶらとエコール通りのコンパニ書店のウインドーを覗き、サン・ジェルマン大通りにでて、店を開けたばかりのエロール書店に入ってみました。ここは自然科学専門の大型書店の筈ですが、一階は一般書や文房具や玩具など子供や観光客向けの雑然とした品揃えで、専門書店特有のピリッとした雰囲気が感じられません。自然科学書や税務経済書は地下にまとまっていましたが、量的にも少なく、専門書というより、教科書を購入する学生か、科学愛好家向けの軟弱な品揃えに過ぎません。カルチェラタンにその名を知られたエロール書店も早晩閉店するのではないでしょうか。

   サン・ジェルマン通りを渡って、マンガ・アニメ関係の店が並ぶダンテ通りに入ります。まず、Aaapoum bapoum書店。フランスのこの種の本は三種類あって、BD(バンド・デシネ)はフランス・ベルギーなどフランス語圏の漫画、MANGAは日本の漫画の翻訳、COMICSはスパイダーマンなどのアメコミです。Aaapoum bapoum書店はこの3つをすべて扱う古本屋で、ホテルのあるセルパント通りにも支店があります。なぜか最近BDも読むようになったので(妻も私も)、今回のパリ訪問では何軒かBD専門書店を巡りました。Aaapoum bapoum書店の並びには、MANGA専門のHAYAKUSHOPがあります。日本のかなり知られていない漫画も翻訳されているので妻はびっくりしていました。むろん、日本のアニメのグッズなども置いてあります。

   そろそろお腹が空いてきたので、サン・ジェルマン通りを歩いて、レストランChez Gradinesに入りました。ここはバスク料理の店で、安くてお腹一杯になると評判の店です。まだ11時半頃でしたが、店頭のメニューを見ていたら、スペインっぽいお姉さんが来て、開店は12時だが、店の中で座って待っているか、近くを散歩してくるか、と聞いてきたので、座って待っていると言いました。驚いたことに開店前なのに次々にお客が入って来ます。私はここで生ハムの入ったサラダ、妻はポテトのサラダ、そして二人ともバスクビールを注文しました。量が多いので食べても食べてもなかなか減りません。生ハムは一枚の大きさと厚さがすごく、噛み切るのに苦労しました。途中、喉に詰まって呼吸できなくなり、死ぬのかと思いましたが、妻がすぐにビールを飲ませてくれて大事に至りませんでした。笑っていた妻でしたが、その後、皿を交換すると、妻も生ハムが喉に詰まり必死で水で流し込んでいました。

   それからサン・ジェルマン通りをサン・ジェルマン・デ・プレまで歩き、フール通りに入ってCitadine Phermecieという激安のドラッグストアに入りましたが、超満員でレジにも長い行列ができていました。日本人客も大勢います。妻は混雑に圧倒されて、何も買わずに出てきました。またサン・ジェルマン・デ・プレの交差点に戻り、この辺では唯一の一般書店になったL'ecume des pagesに入って新刊書などを見て時間を潰しました。実は有名書店La Huneが6月14日、つまり、つい5日前に閉店してしまったのです。これは大変な事件で、パリの知的文化の象徴ともいうべき書店、サン・ジェルマン・デ・プレの顔ともいうべき書店がなくなってしまったのです。「私たちは店を閉めます、マダム、永久に」と店長のミゲル・デュポンは目に涙を溜めて最後の顧客たちに挨拶したそうです。シャンパンとジュースが客に振るまわれ、時間が近づくと、皆、この歴史的書店の最後の客になろうと手に本を持ってレジに殺到しました。店の外では野次馬や観光客が文化史に残る一瞬をこの目で見ようと取り囲んでいます。「文化相はどこにいるんだ?」とフランスの文化的政策を糾弾する悲痛な野次も飛びました。

   実は2012年にLa Huneがフラマリオンからガリマールに所有権が移り、ドゥ・マゴとカフェ・フロールの間という絶好の位置からサン・ジェルマン・デ・プレ教会の横に移転した時にこの結末は予想されていたのです。跡地にはルイ・ヴィトンが入り、サン・ジェルマン・デ・プレの「高級化」の象徴化された出来事と言われました。原因はサン・ジェルマン地区の土地の高騰と書籍売上の低迷です。La Huneは2009年から2014年までに売上を36%落とし、11人の店員の給料と土地代が払えず、ついに新しい移転地からも撤退を余儀なくされたのです。

   秋の日はつるべ落としと言いますが、パリの書店の消滅は予想を上回る速度で進んでいます。2011年から2014年までにパリで83の書店が店を閉じました。その中には4区のAgora Pressや9区のDel Ducaなど地区のシンボル的書店も含まれています。さらにカルチェラタンのデダル書店もついに閉店し、名物店主で知られる8区のSterling書店もなくなりました。2015年に入ってもさらにひどく、パリの書店マップにのっている本屋もGoogle viewで確認してみると半数近くが消えています。パリでもっとも古い本屋の一つ、コメディ・フランセーズ前のDelamain書店も近々閉店が確実視されています。

    この原因は、むろん、ネットの蔓延にあります。暇つぶしと情報探索と知的興味を満足させてくれる書籍文化は、そっくりネット環境の餌食になりました。フランスは、元々、読書と映画の文化がヨーロッパでもっとも根づいた国でした。パリのアパルトマンの狭さが、騒音を恐れてテレビの普及を遅らせ、本と映画の発達を促したのです。そのフランス国民が本を読まなくなりました。読書は多数の娯楽から少数の人々の趣味へと変わり、その少数者も書籍の購入をネット販売かFnacやジベール・ジューンなどの大型店で済ますようになったのです。

   日本でも、アマゾンやブックオフの影響はまず駅前の中小規模書店に表れました。工夫や努力をしなくても多くの人々が立ち寄る書店は、それゆえに時代変化の波をもろに受けて消えていったのです。フランスでも特長のない一般書店は早々に消滅し、児童本や特定の趣味に特化した書店だけが生き残りました。とくに1区から10区までの中心地区にその変化は大きく、大型書店のない13、14、15、18、19、20区などでは、まだその地区の文化的拠点としての有名書店は生き残っています。しかし、書店の生命線であるbon conseil、つまり書店員による読書相談の意義はネットの発達ではるかに薄らいでいます。古書店も同様に借地権の高騰で、特長のない店は苦しい。ただし、古書店の場合、希少本を扱う店はネットのおかげでより世界規模で商いが可能になっているようです。

   そんなことを考えながら、ジャコブ通りを西に歩いて行くと、スイユ社の直営店27rue Jacobという店の前に出ました。入ってみると気合いの入ってない品揃え、むろんスイユ社の本しかなく、見るところはほとんどありません。それからセーヌ通りのカルフールで水やヨーグルトやワイン、それに新聞のParisienを買ってホテルに帰りました。ベッドで寝転んで休んでから、5時になってセーヌ川際の停留所からバスに乗ってコンコルドへ。緑のシャンゼリゼ公園の中を横切ってグランパレの正面に出ました。ところが大きなグランパレのどこから入ってよいかわかりません。というのも、グランパレでは4つの展示を同時に開催していて、それぞれ入口が違うのです。係りの人に聞いて、建物の右を大きく曲がって、やっとベラスケス展の入口に出ました。

   ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)、そう、あのベラスケスです。西欧の画家で打線を組んだら、彼が四番を打っても文句を言う人はあまりいないでしょう。驚いたことに本格的なベラスケス展がフランスでは初めてということで連日大変な行列だそうです。私たちはそれを見越して夕方から足を運びました(平日は夜10時まで開館しています)。案の定、行列はなく、ゆったりと絵を見ることができましたが、写真撮影が許可されないのは残念でした。展示は、まず驚嘆の一言、三つ星レストランで贅沢な食事をした感じで、これで13ユーロの入場料は安いものです。作品は本国スペインはもちろん、イタリア、イギリス、ドイツ、アメリカなどから傑作が結集しました。ただ、名作「ラス・メニーナス」だけはありません。主催者の話では、「ラス・メニーナス」は作品というより記念碑であり、プラド美術館の至宝というよりスペインそのもの、それを見たければプラドに「巡礼」しなければならない、と。

   グランパレを出たのは夜8時半過ぎでしたが、まだ十分に明るい。アレキサンドル三世橋を渡ると、セーヌの岸辺が金曜日の夜ということですごく楽しそう。とてもたくさんの人が岸辺に座って、持ってきたお酒を飲んでいます。川に浮いた居酒屋は満員で人が溢れそうです。バスで帰るつもりでしたが、陽気な人々の間を歩きたいと思って、ぶらぶらサン・ジェルマン・デ・プレまで歩いてしまいました。またカルフールで飲み物やサラダやバナナを買って帰り、ホテルのベッドの上で夕食を済ませました。

   

Breakfast2

ホテルは朝食付きでした。1階がロビー兼食堂になっています。リネン類を入れた袋が積んであるのがいかにも安ホテルらしい。

Breakfast

朝食はコーヒーか紅茶かチョコレート。それにジュースとクロワッサンとバゲットが付きます。

Bookstore4

私の好きな本屋コンパニ書店のウインドウ。毎年この時期に必ずバカンス向けの書物が推薦されていて、なかなか参考になります。右の赤い本はポール・オースターの奥さんシリ・ハストベットのLe Monde flamboyant。その左の船の写真の本はキューバの人気ミステリ作家レオナルド・パデューラのHeretiques。その下が去年51歳で亡くなった詩人Szilard BorbelyのLa Misericorde des coeurs「心からの赦し」で、これは読んでみたいと思いました。1960年代後半のハンガリーでの過酷な少年時代の思い出です。アゴタ・クリストフのTroisieme Mensonge「第三の嘘」と似た雰囲気の物語かも知れません。

Bookstore5

ワーテルロー200年記念の年ということで、ナポレオン関係の本も並んでいます。彼の子供のときのノートの隅には「セント・ヘレナ、小さな島」という記述があるそうです。

Bookstore3

こちらはサン・ジェルマン大通りの自然科学系のエロール書店。大きな書店ですが、一階は観光客や一般向けの書籍・文具が置いてあります。

Bookstore6

エロール書店のウインドウ。科学系の本が占めています。

Bookstore7

エロール書店の一階。とってつけたような児童書のコーナーがこの書店の迷走を表しているようです。

Dante

ダンテ通り。その名の通り、ダンテの時代からの古い通りですが、今は漫画・アニメ・オタク関係の店が並んでいます。

Bdbookstore

Aaapoum Bapoumのダンテ通り店。BD, 漫画、アメコミ専門店。

Bd2

Aaapoum Bapoumの店員さん。ブログ、Twitterもやっているそうです。

Bookstore

日本の漫画専門のHAYAKUSHOP。人気漫画はほとんど全部翻訳されていますが、値段は2,3倍です。

Cafe2

バスク料理のChez Gradines。お昼を過ぎるとすぐにいっぱいになります。

Photo

手前のSalada Completeは確か8か9ユーロ。妻の食べたPotetoe Natureは6ユーロ。とても食べ切れませんでした。

Bookstore_2

ボナパルト通りの美術書専門古書店「狭き門」書店は閉まっていましたが、何と引退のため売出し中の張り紙が。この付近の土地の値上がりは半端ではありません。

Road

スイユ社はフランス三大出版社の一つ。その倉庫兼事務所が自社の本の販売所になっています。入ってはみましたが、買いたい本は一冊もありませんでした。

Photo_2

グランパレ。これは正面だが、展示によって入口がすべて違います。

Photo_3

ここがベラスケス展の入口。もう夕方なので行列は皆無でした。

Velazques3

ベラスケス展のポスターは青い服の王女マルガリータ。本物に近づいてみると、奔放で自在なタッチに驚きます。

Velazques7

バルタザール・カルロス皇太子騎馬像。瞬間、変容、不安というバロック的絵画の特徴がよくわかります。穏やかでない雲の動きも16歳で夭折する皇太子の未来を暗示するようです。

Velazques5

ベラスケスの騎馬像の最高傑作といわれるオリバーレス伯爵騎馬像。圧巻ですが、馬の崇高さに比べ人間(オリバーレスはスペインの宰相)の凡庸さは隠しようがありません。

Velazques9

教皇イノケンティウス十世。ベラスケス肖像画の頂点をなす作品といわれています。館内でもこの絵の前だけは人でいっぱいでした。絵の横の説明のプレートを読もうと近づきすぎて注意される人があとをたちません。人間を描ききった感がすごい。

Velazques4

聖トマス。私の好きなベラスケス作品の一つ。ベラスケスは聖書や神話の人物のモデルに身近な人たちを使いました。法王や宰相の顔ではなく、つましく生きる人々の顔です。同じバロックながら、カラヴァッジオやルーベンスの狂熱となんという違いでしょうか。神秘主義的高揚のかけらもなく、ラ・トゥールのこれ見よがしの暗さもありません。トマスは朴訥で、いつもイエスに諭され、自分を向上させようと常に努力していました。これは、自分についてほとんど何も語らなかったベラスケスの生涯そのものです。トマスの肩にもたせた槍の重さ(イエスは磔で槍で貫かれ、トマスはインドで兵士に槍で刺されて死んだ)は誰しもが持つ人生の重さに他なりません。

Velazques2

砂漠の洗礼者ヨハネ。ヨハネがこれほど爽やかに描かれたことはないでしょう。どう見てもスペインの健康な若者で、頭を覆う光輪も周囲のもやの中にかすんでいくようです。牧者の杖に軽く手を添えて、これから説教するというより、やさしく食事に誘うかのごとくです。

Velazques8

ウルカヌスの鍛治場。アポロンがひそかに思いを寄せるヴィーナスが軍神マルスと不倫したことを、ヴィーナスの夫であるウルカヌス(アポロンの右隣の男)に密告する場面。裸で汗にまみれて働く男たちと洒落たサンダルをはいたアポロンの取り合わせが面白い。男たちは神聖な仕事場に闖入するアポロンを完全に見下しており、そこには職人とその仕事へのベラスケスらしい賛嘆があります。

Velazques6

鏡を見るヴィーナス。ミステリアスな作品で、ベラスケスのイタリア旅行の際に描かれました。天使や鏡はアリバイに過ぎず、真実は美しい女性を描きたかったのでしょう。それ以外の「邪念」に惑わされなかったので、ルーベンスやゴヤやマネの裸体像よりはるかに官能的で美しい。

Velazques

メディチ家の別荘。エウへニオ・ドールスが「ベラスケスの秘密はここにある」と断言した作品。未完成だが、不思議とある満ち足りた感覚を呼び起こします。子供のときの銭湯の壁面に描かれた風景画によく似ていますが、私にとってそれは最高の安穏さを意味するのです。上にひろがる樹々の葉のなんとやさしいこと!

Photo_4

アレクサンドル三世橋近くのセーヌの岸辺で楽しむ人々。

Photo_5

恋人たちの語らい。酔っ払って川に落ちないか心配です。

 

| | コメント (0)

2015年7月 5日 (日)

憂愁の巴里(1)ブリニエ書店の角を曲がって

6月18日

「もう書くのやめようよ、恥ずかしいから。またパリに行って来たなんて」と妻に言 われたものの、「いや、もうこれが本当に最後だし、次に行くのはドイツかイギリスかあるいは冥土の旅しか無いんだから、書けるときに書いておかないと。それに、何も書かないと、思い出は少しずつ消えてしまう、ほら、最初に二人でパリに行ったときのことなどほとんど忘れかけているじゃないか」と言い返した私も、実はパリにぐったりと疲れてしまっていたのです。何を書いたらよいか、そもそもパリへの新鮮な感覚をどう呼び覚ましたらよいか、同じことの繰り返しに過ぎないのではないか、という思いがよぎります。

   思えば、去年の9月に売り出された安い航空券を買ってしまったことが過ちだったかも知れません。買ってしばらくは、こころが弾み、毎日euro news を聴いたり、オペラの予定を調べたり、単調な仕事の日常に張り合いが出たりしたのです。ところが日が経つにつれ、旅の準備の煩わしさと不安が心にのしかかって来ました。さらに重かったのは、1月11日のあのシャルリ・エブド襲撃とシリアでの二人の日本人殺害のニュースです。ISISの残虐さと日本人が標的にされたことによる現実の旅の不安が前途を暗くしました。パリのために準備していた和服もこれで御破算で、妻はすっかり旅への気力をなくしてしまいました。おまけに急激な円安からのユーロ高、しかし航空券は払い戻しが効かず、しかも前回の便利な安宿(ホテル・サン・ピエール)もすでに空室がありません。

   旅行の計画を立てると健康に留意するので、体は丈夫になるのですが、今回は節酒、運動、食事制限などをしても痛風や血圧の不安が付き纏いました。つまりストレスが大きいのです。旅行の期日が迫ると、ますます神経は圧迫され、無事に帰って来れるか、旅先で倒れるのではないかと心配になりました。出発当日、午前中の便なので早朝家を出ると、京成の駅までの道で目まいがしてふらつきます。前夜は遅くまで仕事、睡眠不足で血圧が高くなっているのでしょう。不安になると余計ストレスがたまるようです。「大丈夫? 飛行機に乗れるの?」と妻は私よりずっと心配な顔をしています。

   朝の混雑した通勤電車の中でキャリーケースを持ちながら、早く飛行機の座席に座ってゆっくりしたいと思っていました。搭乗手続きも無事済み(妻の持参した歯磨きのチューブは没収されましたが)、菓子パンと水を飲んで搭乗時刻を待ち、やっとシートに座れました。超早割のおかげで、座席は後ろが仕切りになっているペアの席、妻と二人だけなら何の遠慮もいらずゆっくり寛げます。ところが、飛んでみると乱気流が半端なく、なかなか気分が良くなりません。うつらうつらしたり、搭乗の時もらったフランスの新聞を読んだり、ゲームをしたり、ビールを飲んだり、窓から下に広がる切れ切れの雲を見ながら家に残してきたルーミーのことを思い出したりしました。

   12時間の旅の終わり近くに少し気分が良くなったのですが、出された食事を食べ過ぎたのが失敗で、降りた途端気分が悪くなりました。リムジンバスに乗ると、吐き気と腹痛と寒気といういつもの症状に襲われて、ホテルまで持ちこたえられるか心配になりました。ポルト・マイヨーから乗った82番のバスから見えるパリも何か冷たくよそよそしい。アンヴァリッドの黄金色のドームも今日はくすんで見えるようです。夕刻の渋滞のおかげで、リュクサンブールに着いたのは夜の8時半、それでも十分に明るい道をキャリーケースを引っ張ってサン・ミッシェルまで降りて行きました。サン・ミッシェル広場そばの激安の店頭本で知られるBoulinier書店の角を曲がると、その細いセルパント通りの奥に私たちの泊まるホテル、オテル・ド・リス Hotel du Lysがあります。

   このセルパント(蛇)通りは12世紀にさかのぼるパリでもっとも古い通りの一つで、そこに建つこのホテルも17世紀初頭から何人もの貴族の住居になり、Lysという名もフランス王朝の象徴である百合から来ているそうです。そんな由緒あるホテルですが、レセプションにいたのは中国人のおじさんで、奥にあるテレビで中国の漫才のようなものを見ていました。予約した名前を言うと、パスポートもチェックせず、15と書かれた大きな木の札についた鍵を渡し、申し訳なさそうにtroisieme etage(3階、すなわち日本でいう4階)と言いました。実は、このホテルはエレベーターがないのです! 4階まで重いキャリーケースを持って上り、ベッドに身を投げ出すと、もう食事に行く気力もありません。近くのスーパーで水とヨーグルトを買って、風呂に入り(何とリクエスト通りにバスタブがついていました)そのまま寝てしまいました。

Bookstore

ブリニエ書店の店頭本は0.2ユーロ(約25円)から。夜11時まで開いています。ホテルはここを曲がってすぐのところ。

Street

セルパント通り。12世紀からの古い通り。サン・ジェルマン大通りとサン・ミッシェル大通りから入れます。

Nikoncoolpix2015paris536

オテル・デュ・リス。17世紀初頭に建てられました。ホテルのホームページによると、アルチュール・ランボーも泊まったとか。この地区ではもっとも安いホテルの一つです。

Hotel_du_lys_kaidan

ホテルの螺旋階段。この急な階段を4階まで60段上がらねばなりません。「不便さは古さに対して私たちが支払う貢物である」とホームページには書いてあります。

| | コメント (0)

« 2015年4月 | トップページ | 2015年8月 »