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2014年8月23日 (土)

オデオン広場へ(7)帰国、パリのアメリカン•ホスピタル

6月26日(木)
    帰国の日、しかし飛行機は深夜発なので時間はたっぷりあります。7時前に起床して、コーヒーとパンと桃を食べました。早速、部屋の掃除をして荷物を詰めました。その時手持ちのユーロが少なくなっているのに気付いてショックを受けました(実際は別のポケットに予備のユーロが入っていた)。9時40分頃、レセプションに降りて清算し、キャリーケースを預けて、身軽な格好でホテルを後にしました。

    何度も通った道であるオデオン広場を通ってサン•シュルピス広場まで行きました。実はここで、ジョルジュ•ペレックを記念した字忌み(lipogramme)のプラークがあるはずなのですが、注意深く見ても見つかりません。彼は、この広場にあるカフェ•ド•ラ•メリーで原稿を書いていたということです。ペレック自体にあまり興味がないのですぐに諦めました。

   ヴュー•コロンビエ通りからグルネル通りに入りました。狭い道だが、非常に「高級」な感じがする通りで、フェラガモ、プラダ、セリーヌ、ポール•スミスなどの店が並びます。しかも人通りが少なく、観光客の姿もほとんど見えません。そのグルネル通りを少し歩くと、サン•ギョーム通りとの角に、Bar Basil があります。すぐ並びのパリ政治学院(略称 SciencesPo)の学生たちが利用するいわゆるstudent cafe で、午前中は地元の人やビジネスマンが多いのですが、ハッピー•アワー(午後5時から)から夜遅くまで学生で賑わいそうです。そこに入って、エスプレッソ二つ、サーモンのサンドイッチ一つを食べて11ユーロはやや高いが場所柄ゆえ仕方ありません。

   その後、SciencesPoの前の本屋へ入りました。期待していたが狭い書店で、見るべきものはありません。あちこちにシンボルのライオンとキツネのぬいぐるみが飾ってあります。妻は、例によって書店のショッピング•バッグを買おうとしましたが、6ユーロという値段に驚いて買いませんでした(どうも利益は発展途上国への援助となるらしいです)。ところで、SciencesPoというとミッテラン、シラク、オランドらが出たエリート校のイメージがありますが、最近は学生の40パーセントが留学生ということで、他のグランゼコールのような超難関校という感じはありません。

   サン•ジェルマン大通りに出て、すぐの小道にあった St Thomas d'Aquin教会に入ってみました。ここは17世紀に出来た小さな教会で、堂内にはパイプオルガンの音楽が常時流れるようになっています。観光客も教会関係者も一人もいない寂しい教会でした。すぐ隣の手紙•筆跡博物館へ。ところが、入場料が8ユーロなので入るのを断念しましたが、今考えると入館してみるべきだったと思います。入口付近に著名人の手紙がガラス板に印刷されてズラッと並べられてありましたが、それを見て満足しました。

   メトロのソルフェリーノの駅辺りまで歩きました。この辺は、プルーストの小説に出てくる昔のフォーブール•サン•ジェルマンに相当し、今も何か裕福な人たちの住む界隈という気がします。近くに国防省があるからでしょうか、制服を着た高級軍人らしき人たちが何人も歩いています。その辺にあるLibrairie Julliardという書店に入ってみました。入口の張り紙に今日から改装のため閉店と書いてありましたが、覗くと営業しているようです。ここは新本と古本をともに扱う店と聞いていましたが、古本部門は今閉鎖しているそうです。場所柄、社会科学、科学、地理、歴史,戦史戦略関係の本が多いような気もしますが、むろん文学書もありました。店内をぶらぶら歩きましたが、何か堅苦しい感じで落ち着かない書店のように感じました。早々に出ようと思っていたら、妻がユンガーの本を差し出して、これを買うと言うのです。その本が置かれていたエッセーの棚を見ると、何とジベール•ジョセフに無かったクラカウワーの『ベルリンその他の街路』が涼しい顔をして並んでいるではありませんか。早速その2冊の本を買って外に出ました。

    途中のカルフールで飲み物とフルーツケーキを買って、オルセー美術館の前のアナトール河岸に降りてベンチに座って食べました。今回は何度もセーヌ川を眺めながら食事しましたが、今日が一番陽射しが強くて、途中から橋の下に移動しました。このレオポルト•セダール•サンゴール橋は特異なアーチ型をした歩道橋で、道路から渡ることもできるし川岸から上がることもできます。川岸から上がると、段々の隙間にセーヌの川面が覗けるのが面白い。なお、オルセーの前のアナトール河岸ではオリンパスとパリ•マッチが共同で「スターとセーヌ」という題で野外写真展を催していました。

   ところで、レオポルト•セダール•サンゴール橋を渡るのが気持ちいいので、右岸まで渡り、チュルリー公園からルーヴルのガラスのピラミッドを過ぎてリヴォリ通りのカルーセル•デュ•ルーヴルの入口から下に降りました。後で考えると、右岸に行く必要などなかったのに、運命の不気味な糸が偶然の形を装って、私たちを巧みにパレ•ロワイヤル広場に導いて行ったとしか思えません。カルーセル•デュ•ルーヴルの複数の店で買い物をして、そろそろホテルに帰らねばとバスに乗ろうとしたら切符がないので、私は手提げ鞄を妻に預けて、一人でパレ•ロワイヤル広場を早足で横切って、切符を買うためにメトロの入口まで行こうとしました。

   事件が起こったのはその時でした。メトロの階段横で物乞いをしていたロマ(ジプシー)の女性が連れていた小型犬が、キャンキャン鳴きながらいきなり走ってくると、私の右脚にガブリと噛みついたのです。瞬間は何が起こったのか全くわかりませんでした。激痛、慌てて振りほどくと犬はロマの女性の方へ逃げて行きました。ジンジンする痛み、ズボンをまくると二箇所の噛み傷、一つは真っ赤で血が滲み、もう一方はすでに紫色に腫れています。急いで駆け寄って来た妻に「犬に噛まれた!」と言って、ロマの物乞いの女性の方を指差すと、何とロマの女性は大慌てで犬をキャリーケースに入れて逃げ支度をしています。どうしようか、いま何をしたらよいのか分からず、そこでしゃがみ込んでいました。すると、旅行者らしき白人の女性が二人私たちのところに来て「英語を話せますか」と聞いてきたのです。妻は咄嗟のことで、スリと勘違いして無視していましたが、再びその女性たちが近寄ってきて、イタリア語訛りの英語で「もし血が出ているのであれば、すぐに病院へ行って注射してもらったほうがいい」と言ってくれました。確かにその通りで、ロマの連れている犬ならば狂犬病を持っていてもおかしくありません。

   すぐに病院へ行こうとしましたが、いつも身につけているバッグには保険証は入っていません。前回までは常に身につけていたのに、油断からかホテルに置いてあるキャリーケースの中に入れてあるのです。まずホテルに戻らねばならず、切符を買ってメトロでサン•ミッシェルまで帰りました。途中、ホームで、妻がミネラルウオーターで滲んだ血で赤くなっている傷口を洗ってくれました(正解は石鹸水で洗った後流水で数分洗わねばならない)。

   やっとホテルに戻り、キャリーケースを受け取り、レセプションの男性にタクシーを呼んでもらいました。男性は英語であれこれと顛末を聞くと「なぜ、すぐ警察を呼ばなかったのか」と私たちを非難するような口振りです。確かにそうした方が良かったかも知れないが、その時は動転してそこまで考えが及びませんでした。しかし、とにかく急いで、旅行保険の指定病院であるアメリカン•ホスピタルまで行かねばなりません。

    電話して5分でフォルクスワーゲンのタクシーがホテルの前に到着しました。運転手はサッカーのベンゼマ似の大柄な白人男性。妻が「ロピタル•アメリケーヌ」というと、黙って頷き、キャリーケースを車の後ろに収納してくれました。車は出るとすぐにセーヌ川沿いの渋滞に巻き込まれました。まだ夕方には間があるのに大変な車の列で、遅々として進みません。妻が「病院まで急いでいる。何とか早く走れないか」と英語で言うと、運転手は怒ったように片手を振り回して周囲を指し、「どうしようもないよ。不満があるなら降りて電車で行ってくれ」とフランス語でまくし立てました。それまでぐったりとして黙っていた私がポツリと「デゾレ」と謝ると、運転手は「ノン、ノン、ムッシュー、ノン•プロブレム、ノン•プロブレム」と大げさに叫びました。

   それから妻が運転手に、なぜ急いでいるか、事件の成り行きなどを説明したのですが話がうまく通じません。どうも妻は運転手が英語ができると思い込んでいるらしいのですが、私は bit(biteの過去形)が通じてないので、運転手は英語があまり得意でないのだと分かりました。それで、私のフランス語と妻の英語と運転手の英仏混合語がごちゃごちゃになった長いやりとりの末、やっと運転手は事情を飲み込むと、一転して私たちに親切になったようです。「大丈夫、大丈夫、ここはフランスだ、狂犬病では最高の国だ、アメリカン•ホスピタルは一番の病院だ、全く心配ない」とフランス語で自信たっぷりに話しました。おそらく彼は子供の頃からパスツールの偉業(世界で初めて狂犬病ワクチンで子供を救った)を学校で聞かされていたのでしょう。

   車はやっとポルト•マイヨーの国際会議場の横を過ぎて、渋滞もかなり和らいできました。私はうしろの座席でぐったりとして落ち込んでいました。これからどうなるのか。今日の飛行機には乗れるのだろうか。乗れなかったとしたらホテルに泊まらねばならず、あいにく土曜日に二人とも仕事を入れていたので、その連絡もあちこち必要で、また留守番をしているルーミーのことも心配です。しかし何より、狂犬病だとしたら24時間以内にワクチンを打たねばならず、もし発症したら致死率100パーセントで考えることすら恐ろしいです。

   病院に近づくにつれ運転手は饒舌になって、友人に医者がいるとかで携帯で電話してくれたのですが、留守番電話なので「狂犬病の恐れのある日本人を乗せているので、折り返し電話してくれ」などとメッセージに吹き込んでいました。しかし、私たちが本当に驚いたのは、運転手が、病院に着いたら自分が病院の人に詳しく説明してあげる、と言ってくれたことです。それからの彼の行動は運転手としての役割をはるかに超えた親切なものでした。車がパリ郊外の緑あふれるアメリカン•ホスピタルに着くと、車はすごいスピードで門をくぐり専用路を走り、病院の入口前に急停車すると、慌てて駆けつけた駐車係の男性に「サンク•ミニッツ!(5分だけ)」と大声で叫ぶと車の鍵の束をつかんで駐車係の手に握らせたのです。そして、病院の受付に駆けつけ、係りの女性に早口で説明すると、女性はどこかに電話をかけて私たちのことを説明しています。そして地下一階に行くように私たちに言いました。運転手は私たちを連れて廊下を歩きエレベーターに乗って地下に降りました。そこには、すでに連絡を受けた看護師長のような背の高い女性が私たちを待っていました。彼女は、この病院に来ればもう大丈夫とでも言うように優しさに溢れた笑顔で私たちを迎えました。そして、今日は日本人の医者がいる日だから2階のどこそこに行ってくれ、そこに日本語のわかるフランス人の看護師がいるからと運転手に言いました。私たちはまたエレベーターに乗って、運転手の後について2階の廊下を歩きました。廊下の端にフランス人の女性看護師が待っていて、運転手と話をすると、私たちを温かい笑顔で診察室の横の待合室に案内してくれました。ここまで来て運転手は自分の役割は終わったと思ったのか、私の手を強く握って、何度も肩を叩き、そして黙って後ろを向いてゆっくり帰って行きました。私たちはこのフォルクスワーゲンのタクシーの運転手のことを決して忘れないでしょう。

   さて、待合室には日本人ばかり3人がすわっていました。マスクをした婦人と、今来たばかりらしい少年とその父親らしい人が座っていました。小学生ぐらいのその少年は、苦しい表情で、医療用のステンレスプレートを吐くために抱えています。父親は「吐きたくなったら吐きな」と少年に言っています。マスクをした婦人は熱があるらしく体温計を挟んでいます。やがて、前の患者が終わって、日本人の男の医者が「次の◯◯さん」と名前を呼びました。すると、マスクをした婦人は、坊ちゃんが苦しそうだから先に診てやってください、と少年に順を譲りました。

    少年と父親が診察室に入って、待合室に3人だけになると、マスクをした婦人が私たちに話しかけてきました。それで、今日の出来事を手短に話すと、婦人は、自分はパリ在住だが、ここのところ狂犬病の話は全く聞かない、ロマの連中もパリの郊外に住んでいるわけだからその犬も大丈夫だろう、と言ってくれました。しかし、ロマといえばルーマニアから来ているので、ルーマニアといえば吸血コウモリの故郷です。その犬もルーマニアから連れて来たかも知れず、先ほどの急に狂ったように噛み付いてきた様子からして普通ではないように思えます。狂犬病の心配の他に夜の飛行機に間に合うかどうかも心配で、私と妻はこの時かなり落ち込んでいたことは確かです。

   先ほどの少年の診察が終わって、婦人が再び呼ばれると、何と、飛行機の時間もあるから私たちを先に診てやってくれと言うのです。私たちは恐縮してその申し出を有り難く受け入れましたが、今思い出しても、その婦人の好意には頭が下がります。

    さて、診察室は広く、真ん中に大きな机があって、その向こうに30台後半の日本の医師がパソコンとその周辺機器を横にして座っています。そして医者の後ろ側の全面にわたる大きなガラス窓からは明るい陽射しが降り注いでいます。診察室というより弁護士のオフィスか学者の研究室のような感じで、日本の狭苦しい、医者と患者が膝突き合わせる診察室とは大違いです。M医師は患者を落ち着かせるような親しい調子で、まず簡単に話を聞いた後で、パスポートと旅行保険書をスキャンして、パソコンに打ち込み、こう言いました。パリで犬に噛まれて狂犬病の恐れから来院する人は何人かいるが、パリの犬は狂犬病の恐れがほとんどないので、ワクチンを接種するかどうかは本人の気持ちの持ち方による、しかしロマの犬に噛まれた事例は初めてで、これは心配するのももっともだ、安心料としても接種すべきだが、ただし狂犬病ワクチンは全部で5回摂取しなければ意味はない、えーと(少し考えて)当日と3日後、7日後、14日後、28日後にそれぞれ射つと思ったが、と言ってM医師は横の書棚から厚い本を取り出してすばやくページを繰り、やっぱりという感じで自分の記憶力を確かめると、嬉しそうに指でポンポンとページを叩きました。

   それからの行動が素早い。M医師は電話機を取るとはっきりしたフランス語で、ワクチン(ヴァクサンという発音でしたが)の有無を確認し、「よかった、一本だけ残っていた!」と言って、何と、自ら診察室から駆け出して取りに行きました。後にM医師の履歴を確認したところ、東大医学部を出てニューヨークに医師として勤務、観光で訪れたパリに魅せられ、アメリカン•ホスピタルの募集に応じて2009年から働いているとのこと、道理で、とび抜けた優等生によく見られる明るさ、軽さ、優しさが感じられたわけです。

    ワクチンの入ったビニール袋をつかんで戻ってきた医師は、すぐに私を隣接する処置室のベッドに座らせると、足の出血箇所を消毒し、薬を塗り込み、肩を広げさせて、慣れた手つきでワクチンを射ちました。その後、また大きなテーブルで相対し、2回目からのワクチンは日本で射つようにと言って、パソコンから、診断書と薬の処方箋(塗り薬と抗生物質)を打ち出して、診察はすべて終了しました。最後に、噛まれた時やはり警察を呼ぶべきでしたかと尋ねると「いやー、必要ないでしょう。ロマからじゃ一銭も取れませんし」とまさに合理的な答え。

   私たちはM医師にお礼を言い、待合室の親切な婦人に再度感謝の意を表して病院を去りました。旅行保険のお蔭で全く料金を払わずに済んだのは幸運でした(パリの医療費の高さはよく知られていて、ワクチンの値段もそうですが、公立病院でも入院一泊10万円も取るとのこと)。受付の人に駅の場所を聞くと、出るとすぐバス停があると教えてくれました。ヴィクトール•ユゴー通りのすばらしく美しい並木道のすぐ横にバスが停まっていました。番号を見ると、驚いたことにポルトマイヨーからリュクサンブールまで毎回乗る82番のバスで、そういえば東の終点がアメリカン•ホスピタルだったことを忘れていました。

   バスでポルトマイヨーまで行きました。エールフランスのリムジンバスに乗る前に、近くの薬局(パリには至る所にpharmacieがあります)で処方箋を見せて薬を買いました(1500円ほどでした)。塗り薬はチューブに、抗生物質はとても大きな箱に入っています。薬局の若い女性店員は薬の飲み方をとてもゆっくりしたフランス語で説明してくれました。隣のカルフールで飲み物や甘いパンを買いましたが、なぜか二人ともお腹は全然空きません。リムジンバスに乗れて、とにかくこれで飛行機に間に合うと思って本当に安心しました。飛行場では滞りなく手続きが済み、大きな窓から私たちの乗るボーイング777が見えると、早くも明日からの日本での日常に思いは飛びます。機内でハイネケンのビールを飲みましたが、なぜか不味く感じられて半分残してしまいました(ワクチンの後、アルコールは禁止でした)。羽田についてすぐに検疫で、暴露後のワクチン摂取できる病院のリストをもらいました。(その後、都立駒込病院で残りの4回のワクチンを済ませました。日本におけるワクチン代、パリの薬局での薬代はAIUの旅行保険から直ちに振り込まれました)。

    今回のパリ旅行を振り返ってみると、毎回雨に悩まされるのに、全日晴天だったのには驚きました。また、いつもは私の不調で妻に迷惑をかけるのに、今回は、私が元気である代わりに、妻の体調が悪い時期に当たってとても残念でした。『椿姫』が見れなかったのも悔いが残りますが、何より今回の旅行は最終日のロマ犬に噛まれたことが大事件でした。大事に至らず、何事もなく終わりましたが、妻と私が感じた言い知れぬ不安は何とも形容のしようがありません。繰り返し、お世話になった方々に感謝したいと思います。

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六泊したホテル、サン・ピエール。パリではもっとも安いホテルの一つ。はじめは不満を口にしていた妻も、帰るときは、またここに泊まろう、と言っていました。オデオン広場の側という便利な立地がすばらしい。
    

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ホテルの前の狭い道、医学校通りをプチ・トランが通り抜けて行きます。

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ヴォジラール通りからトゥールノン通りを眺めます。手前左のカフェはヨーゼフ・ロートゆかりのカフェ・トゥールノン。突き当りはサン・ジェルマン・デ・プレ。

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高級なアパルトマンとブティックが立ち並ぶグルネル通りにあるBar Basil。すぐ近くのSciences Po(シアンスポ)の学生が立ち寄るstudent bar。手前の黒いハンドルカバーがついた赤いべスパが街にぴったり溶け込んでいます。

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Sciences Poの玄関。社会科学系のグランゼコール。卒業生名簿の中には、ミッテランやシラクに交じってジュリアン・グラックの名前もあります。

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Sciences Poの向かいにある本屋と図書館。本屋は狭くて、政治や法律の本ばかりですが、パリの本屋によく並べられている軽薄なフランスの現代小説が一冊もないのはすっきりして気持ちよい。

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シアンスポ書店の店内。マスコットのぬいぐるみも売っています。妻が見ているのは何かの受験用の問題集。

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サン・ジェルマン大通りにあるSt.Thomas d'Aquin 教会。17世紀に造られたドミニコ派の教会。壮麗なパイプオルガンがあります。

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教会のすぐ横の手紙筆跡博物館。ユーロ札が足りないと思って入館しなかった(実はまだ大分残っていた)ので、妻から帰国後何度も文句を言われました。玄関には何人もの有名人の手紙のプリントが飾られています。上はピカソのもの。

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サン・ジェルマン大通りにある高級玩具店オ・ナン・ブルー。1836年創業の老舗。左下の小さなハリネズミのぬいぐるみは52ユーロ。出産時の贈り物に買われることが多いようです。

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サン・ジェルマン大通り229番地、Librairie Julliard。去年破綻したカトリック系書店チェーンChapitreの傘下の本屋だが、今年出版社Albin MichelがこのJulliard書店を引き継ぐことになったらしい。

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Julliard書店の店内。科学系および社会科学系の書籍が強い。Sciences Po書店同様、ベストセラー小説などはあまり積まれていません。

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Julliard書店で買った本。クラカウワーの『ベルリンその他の街路』は1926-1932の間にフランクフルター・ツアイトゥング紙に掲載された街路、事物、人間をめぐる短いエッセイの集積です。flaneur sans but(あてもなくぶらつく人)としてクラカウワーはベンヤミンに先駆します。冒頭のエッセイ「パリの街路の思い出」は次のようにはじまっています。「グルネル地区にはまりこんでからもう3年になる。私をここに連れ込んだのは偶然なのだが、本当は偶然などではなく、酔いによるものなのだ。パリの街路への酔いが私からすべてを奪ったしまった。かつてパリの街路という一つの世界を知った時、私は四週間パリ中の街路とカルチェを歩き回った。私をとらえていたものは抵抗することの出来ない狂気のようなものだった。その力を証明するためには以下の例以上のものはないだろう、つまり、昼寝の時間を過ぎてもホテルの部屋でわざわざぐずぐずしてみたり、劇場に行って夕方の時間を犠牲にしたりすると自分を裏切っているように感ずるのだ、たとえ若く美しい女性とのランデブーであったにしても、、、」。ユンガーの『リヴァロールその他のエッセイ』は「明晰ならざるものはフランス語ならず」という言葉で知られる18世紀の王党派のジャーナリスト、モラリストのリヴァロールの伝記。ほかにハイデッガー、ジッド、アルフレッド・クービンについての文章も含んでいます。

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Julliard書店の近くのメトロ・ソルフェリーノ駅。近くに国防省やブルボン宮があり、軍人の姿も目立ちます。

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オルセー美術館前のアナトール河岸を降りたところ。ここも観光客などが集まるところ。遠くに見えるのはルーヴル美術館。

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独特な構造を持つレオポール・セダール・サンゴール橋は1999年に完成し、その年の「銀の定規賞」を受賞しています。橋のたもとでは、オリンパスとパリ・マッチとバトー・ムーシュ協賛の「スターとセーヌ」展が開催されています。

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近年フランス映画にも多く主演しているドイツ出身の女優ダイアン・クルーガー。2004年パリ・マッチに掲載されたこの写真は、トゥールネル橋の下から撮影されたもの、左にノートルダム寺院、右にサン・ルイ島のオレルアン河岸が見えます。哀愁と美しさののただよう一枚。

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右岸に渡ってオルセー美術館を撮影。元の駅舎の建物が不思議と旅情を呼び覚まします。

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グーグル・ストリート・ビューより。ピサロの絵を思わせる構図は、パリの郊外ヌイイーのアメリカン・ホスピタル。美しい並木道に囲まれています。
   

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2014年8月15日 (金)

オデオン広場へ(6)何もない一日

6月25日(水)
   美味しいパン屋を探してみようと、カルチェラタンを朝からあてもなく歩いていました。意外と見つからず、途中のBrioche d'Orというチェーン店で、大きなパン•オ•ショコラを買って、歩きながら半分ずつ食べました。食べると余計にお腹がすいてきたので、モノプリで妻はサーモン、私はジャンボンのサンドイッチを買って、クリニュー中世博物館の横の小公園のベンチに座って食べました。妻のサーモンは不味くて食べられず、半分ゴミ箱に捨ててしまいました。私のジャンボンも、頑張って食べたがやはり美味しくなく、三分の一捨ててしまいました。

    ホテルのすぐ近くの大型書店ジベール•ジョゼフに行ってみました。まだ開店前だったので、開店準備中のガードマンなどを写真に撮っていたら、黒いスーツを着た黒人のガードマンが私を指差して大声で叫んでいます。あわてて逃げて来ましたが、「パリでは黒人を撮ってはいけないんだよ」と妻に叱られました。開店したのを見計らって入りましたが、私は土曜に行っていたので、妻を案内して宗教書や哲学書のコーナーを見て歩きました。妻はここで、ルーミーの 『マスナヴィ』Mesnevi(Albin Michel)8.5ユーロ、と写真集 『パリ猫 』Paris Chats 9.9ユーロを買いました。

   またまたぶらぶら歩いて、ホテル近くの医療博物館へ。このl'Ecole de Medecine 通りは医学校の敷地がほとんどを占めていますが、その中の一つデカルト大学の校舎の中に博物館はあります。一人3.5ユーロ払って入館。吹き抜けの大きな部屋に主に外科の用具や病跡を残す頭蓋骨などが並んでいます。尿管結石を取る管や肛門を探る針金などは何とも痛々しい。ひと通り見て早々に博物館を後にしました。

    実は今日はソルドの初日で、店々のウインドーにも SOLDESの赤い紙が貼ってあります。ソルボンヌ広場近くのGAPのMENS館の前を通ると、ウインドーに飾られた割引のネクタイに思わず妻が足を止めました。9.99ユーロのネクタイが何と2.99ユーロです。店内に入って、妻が選んだものを一本買いました。それから、妻の意向でレンヌ通りまで歩き、ロクシタンで土産物をたくさん買うと、今度はラスパイユ通りのロクシタンにも行って、そこでも何か分からないものを買いました。さらにバスに乗ってマレまで行って、フラゴナールの店でまた何かを買って、ようやく妻の買い物も一息つきました。

   せっかくマレまで来たのだから、有名なゲイの本屋に行きたいと妻に言われたので、仕方なく、サン•クロワ•ラ•ブルトンヌ通りのLa Mots a la Boucheに行きました。私は全く興味がないので、外のウインドーを見ていましたが、妻がなかなか出てこないので中に入ってみると、意外とまともな本屋なので驚きました。しかし、よく見ると並べてある本はゲイの作家ばかりで、ミッシェル•フーコーまできちんと揃えてあるのには感心しました。

   それから、ランビュトー通りをポンピドーセンターの方へ歩いて、すぐの本屋、Les Cahiers de Colette に寄ってみました。ここは、Comme un roman 書店と並んでマレ地区を代表する書店ですが、こちらの方がずっと本格的な品揃えで、照明を落とした落ち着いた店内はじっくり時間をかけて書物を選びたいと思わせます。とても立派な格調ある本屋で、ここで一冊買いたかったが、妻がやや疲れ気味だったので、後ろ髪を引かれながら出て来ました。

   その後に向かったのはマレの外れにあるヨーロッパ写真美術館(MEP)で、毎水曜の17:00から入場無料になるのです。ところが、ここが今回パリ訪問の最大の失望箇所で、狭い廊下に人が多くて混雑するわ、展示されている写真はどれ一つとして見るべきものがないわ、空気が淀んでいるわ、で30分ほどで出て来ました。やはり、昨日いろんなところに行って疲れたのか二人とも足が痛くなってきたので、今夜は早々にホテルに帰ってゆっくりすることにしました。ホテル近くのモノプリの地下で、トマト、キャロットのサラダ、サーディンの缶詰、桃、いちごタルト、レモンジュース、お菓子、それに1640という名前のビール、ボルドーの半分のワインなどを買い込んでホテルに帰りました。ホテルのロビーにいつも置いてある無料の新聞 20minutes をもらってエレベーターに乗りました。

   ところで、今回はパリジャンを一部買った以外新聞を買いませんでした。なぜかというと、毎日、ホテルに無料の20minutes が置かれていたからです。今、パリでの日刊紙の苦戦は、インターネットの普及ももちろんですが、地下鉄の改札口や公共施設に置かれた 20minutesやMetro News   やDirect Matin などの無料紙の影響が大きいと思います。日本でも地下鉄にR25などの無料紙が置かれてありますが、その内容は雲泥の差です。パリの無料紙は、まずその質の高さで際立っています。記事は政治経済社会から文化、スポーツ、テレビ番組、パズルまですべてに渡って、しかも相当に洗練された内容、むろん記事自体はみな短いのですが、簡にして要を得ているとはこのことをいうのでしょう。その理由は、おそらく発行部数の多さによります。広告価格に影響あるので正確な部数は不明ですが、フィガロやル•モンドなどの10倍以上はあるはずで、それなら相当のスタッフ•執筆者を揃えられるでしょう。
 
   ページ数はDirect Matinで15ページ、Metro Newsで30ページ、20Minutesで20ページですが広告頁が多いと読みにくいので、必ずしも厚ければよいとは限りません。私は、とくに20minutesに感心しました。無料紙としてはもっとも後発ですが、レイアウトが優れていて、ジャンルごとに頁が割り当てられていてとても読みやすい。文章の読みやすさ、写真のきれいさはすでにネットで確かめていましたが、実物は想像以上です。20minutesという紙名は、パリの全通勤者の通勤時間の平均が20分であることからきていますが、確かにその時間でちょうど読み終わる感じです。

    部屋でテレビを見ながらワインやビールを飲み、夜の街にも出掛けず、そのまま寝てしまいました。いよいよ明日は帰国の日です。

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ホテルの近くのパティスリー・惣菜店ジェラール・ミロの店内。今度パリに行くときは思い切って大きなケーキを買って食べてみたいと思いました。

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バスから望遠で撮った一枚。この時期、サングラスは必須のアイテムのようです。ファッションについては無知ですが、右の60がらみの婦人はジーンズの生地のワンピース、首に薄手のセーターを巻きつけ、バッグを二つ身に付けています。左の黒人女性のファッションはとても難度が高そうです。

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ジベール・ジョセフのペルシャ文学のコーナー。ルーミーの本が三冊も平積みされています。

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妻がジベール・ジョセフで買った本。『パリ猫』はドアノーやイジスなどの古いパリの白黒写真で、ジャック・プレヴェールやサガンやコレットなども写っています。ルーミーの『マスナヴィ』はとても短い話の集積です。その一つla ville de l'amourという話を紹介しましょう。妻が夫に尋ねます。「あなたは独身の時にたくさんの町を訪れました。その中でもっとも気に入った町について私に話してください」「おお、愛するものよ」と夫は妻に言いました。「それは、あなたが住んでいた町です。とても小さい町なのに、あなたが住んでいたという理由で、今の私にはこれ以上なく大きいのです」

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6rue St.Croix la Bretagne マレにあるゲイの書店les Mots a la Bouche のウインドー。ルネ・クルヴェル(1900~1935)の全集の第一巻が飾ってありました。全二巻で、第一巻は詩・手紙・エッセイなど。第二巻は既刊の小説や論説類、ともに800ページを超す厚さで一冊46ユーロ。ロベール・デスノスやルイ・アラゴンと同様、もっとも先鋭なシュルレアリストとして出発。同性愛を嫌うブルトンと一時対立するが、最後までシュルレアリスムを体現したただ一人の男と言ってよいでしょう。35歳で服毒しなおかつガス栓も開けるという執拗な自殺を決行しました。Liberationのフィリップ・ランソンは全集発刊に寄せてクルヴェルの有名な言葉を引用しています。「地下の世界へ耳を傾けず、暗い力の真実を認めることを拒否する人間にとっては精神的生など可能ではないと確信し、たとえドン・キホーテとも出世主義者とも狂人ともみなされようと、書くことと行動のすべてを通じて、人間を限界付けるだけで元気付けようとしない障壁を撤廃することを試みようと決意した」

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ホテル近くの医療博物館。病気とその治療のことを考えると昔の時代には戻りたくありません。

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ルイ14世の侍医シャルル・フランソワ・フェリックスが王の痔ろうの手術の際に使用した細長いメス。この手術の成功により彼は15万リーブルとムリノーの土地を与えられた、と書いてあります。また、これにより痔ろうであることを皆が隠さずに公言するようになったとも記してあります。

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パリでは駅などで配られる無料の日刊紙が大変元気です。Direct MatinはDirect Soirもあるそうですがまだ見ていません。メトロニュースはヨーロッパ中で発行されている有名新聞。20minutesは私の一押しの新聞で、読みやすく、論評も鋭い。クロスワードパズルも難しくありません。パリの有料の日刊紙が苦戦するのも頷けます。

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マレの入口、サン・ポール駅で無料日刊紙を配る人々。青いパラソルは20minutes。赤いパラソルはDirect Matin。右の緑の幟はMetro Newsで、まさに戦国時代。隣のキオスクでお金を払ってパリジャンやフィガロを買う人がいるかどうか心配です。

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典型的なキオスクの風景。雑誌新聞の類はほとんどすべてここで買うことが出来ます。

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キオスクの横には売れ筋の週間新聞が張り出してあります。カナール・アンシェネはあまりに有名な風刺新聞。ネットでは読めません。政界にダメージを与えられるほどの影響力も持ちます。シモーヌ・ヴェイユがリセの廊下を笑いながら読んで歩いていた、という話も。真ん中のCharlie Hebdは絵入りの風刺新聞で、「ルクレツイア・ボルジア」の漫画入り批評は笑えました。一番下のMarianneは、元magagine literaireの編集長が主幹となった政治と文学に特化した週間新聞。やや左よりとのことです。右には季刊の写真雑誌Polka、左には自転車雑誌のVeloのポスターがあります。

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バスからパリ市庁舎横のキオスクを撮影。パリではキオスクが雑誌類を一手に引き受けているので、本屋は押しなべて落ち着いた店構えとなります。いわば不易と流行がバランスよく並存していると言ってよいでしょう。

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ランビュトー通り23-25番地、Les Cahiers de Colette書店。本格的で見ごたえのある書店。何でもあるが、良書が凡書を圧倒している感がすごい。個人的に、モンパルナスのTschann書店、カルチェラタンのCompagnie書店と並んでパリの書店ベスト3に入ります。

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2014年8月 9日 (土)

オデオン広場へ(5)オベルカンフ、天文台、コメディ•フランセーズ

6月24日(火)
    朝起きると、妻はかなり回復しているので安心しました。やはり昨日がピークだったらしい。サン•ミッシェルのメトロの改札口で一日乗車券モビリスを買いました。すぐに日付と名前を書き入れましたが、忘れると検札に会ったとき罰金を取られるからです。96番のバスでオベルカンフへ。この96番のバスはオベルカンフを走る唯一のバスです。Saint Maur-Jean Alcardでバスを降り、オベルカンフ通り、サン•モール通り、そしてジャン•ピエール•タンボー通りをぶらぶら歩きました。サン•モール通りとジャン•ピエール•タンボー通りの角に酒場の Chat Noir がもう店を開けています。私はこの店に入りたかったが、中を覗いた妻があまり入りたがらなかったので諦めました。どうも朝から疲れた男たちがコーヒーを飲むけだるい雰囲気を嫌ったようです。

    Chat Noir の並びに Librairie Libralire という書店がありました。この店名はなかなか難しい。「自由な読書」という意味なのか、私はすぐに tirelire(貯金箱)という言葉を連想したのですが。10時5分前だったので、ウインドーの本を見ながら時間を潰し、10時きっかりに扉が開いたので店に入りました。店内はなかなか広く、児童書から哲学書まで幅広い品揃えです。レジの付近で、4人ほどの書店員たちが輪になって朝のミーティングらしきものをしています。全員女性なのに驚きました。パリの中規模の書店は、たいてい専門分野を持つ書店員たちが集まっていて、読書相談やサイン会、朗読会、討論会などの企画をしたりしているようです。日本とフランスの書店の差はズバリ書店員の差と言ってよいでしょう。それは、また書店に足を運ぶ顧客の差でもあります。この辺りはベルヴィルの西隣で、下町も下町ですが、本の選択は素晴らしい。思想関係の本の充実ぶりが目を引きます。私はここでフランセス•イェイツの薄い本を買いました。

   サン•モール通りをまたふらふら歩いて、オベルカンフ通りに戻り、有名なカフェ•シャルボンに入りました。妻がすっかりこの店の佇まいに魅惑されたからです。もと煙草や葉巻を扱いながら同時に石炭を商っていた店の名残で、高い天井の石炭置場を思わせる店内は、珍しい鉄製の椅子と相俟って20世紀半ばの雰囲気を漂わせています。工具屋や小工場が乱立していたオベルカンフ地区の変化の理由は、バスチーユと同様、パリの地価の高騰にあります。商店主や町工場の所有者が高すぎる地価を嫌って移転した後に、若者向けのバーやカフェが進出して来たのです。このカフェ•シャルボンは、朝から活気があり、地元の人、パソコンで仕事をする人、食事をする老人など、開放的で非常に感じが良い。カルチェラタンの知的なカフェとも、サン•ジェルマン•デ•プレの観光地化したカフェとも違う、新しいものと古いものが混合したパリの脈動のようなものを感じます。私はここでシャルボン特製のビールを飲みました。1時間ほど本を読みたかったが、今日は観劇の予定があってゆっくりできないので、渋々店を後にしました。96番のバスに乗るためパルマンティエ通りに行く途中のオベルカンフ84番地に、この地区もう一つの大きな本屋 L'Imagigraphe がありました。名前からアート系の本屋と思いきや、Libralire と同じ総合書店で、本の質も相当高い。児童書、美術書に力を入れた店造りで楽しく本が買えそうな気がします。しかし、狭い地区に二つの総合書店が競合するのは相当に厳しいと思いました。

   マルシェ•ポパンクールの端の停留所から96番のバスに乗って、マレ地区の西、Saint Claudeで降りて、すぐそばのサン•ドニ•サン•サクラメント教会に入りました。この小さな平凡な教会は、もしドラクロワのピエタが掲げられてなければ入ってみることはなかったでしょう。その絵はあまりに暗くてはっきり見えなかったのですが、ドラクロアのファンである妻はそれでも満足したと思います。教会を出た後、近くのビストロ、シェ•ネネスに行きました。開店の12時まであと5分あったので外で待っていました。窓から覗くとスタッフが賄いを食べています。窓に貼られていたメニューを見ると、前菜が5ユーロ、メインが10ユーロとなっています。普通のビストロの半額近い、はたして味の方はどうなのでしょうか。

     12時になって扉が開いたので一番の客として入店。すぐに満員になると思いましたが、まだ早いせいか客は少なく、ゆっくり食べることができました。妻は七面鳥のエスカロップ、私は牛肉ステーキのインゲン(アリゴ•ベール)添え、それとデセールにフランボワーズのメルバを二人で分けて食べて、ミュスカデ500mlとコーヒー2杯で40ユーロはパリでは格段の安さ。肝心の味は、ステーキは懐かしい、心にしみる味、七面鳥はとてもふんわりとして美味しく、デセール、ワインも美味でしたが、なにより、町のビストロらしい寛いだ開放的な雰囲気、気さくで温かなサービスは特筆ものです。「トイレもきれいだったし、文句を言うところは何もない店だった」と妻には珍しい高評価です。

   店を出た後、近くのマルシェ•アンファン•ルージュを一回りして、並びの本屋 Comme un Roman に入ってみました。店名はダニエル•ペナックのエッセイ集の題名からとったようですが、立派な書店だがやや文学に特化しているようです。何となくここでは何も買わず、また96番のバスに乗ってサン•ミッシェルまで帰ってきました。しかし、ホテルに戻るのは早すぎるので、今度は38番のバスに乗ってダンフェール•ロシュロー近くのパリ天文台に行ってみることにしました。

   今、パリ天文台では『フンボルト兄弟•精神のヨーロッパ』の特別展示をやっているのです。私はフンボルト兄弟にはほとんど興味がないのですが、普通は入場不可の天文台に入る良いチャンスなので行ってみました。ポール•ロワイヤル通りからオプセルヴァトワール通りに入って、その突き当たりにパリ天文台はあります。入口の門で、フンボルト展を見に来た、と言うと、シールをくれました。それを手に貼ると、大きなテントの中で座っていた黒人の一人が立ち上がって、本館まで案内してくれます。堂々とした本館に入り、階段を上ると2階の一部が特別展のスペースになっているようです。驚いたのは見学客の少なさです。無料なのに、見学している人は老人夫婦だけです。

    ところで、フンボルト兄弟(兄ヴィルヘルム1767〜1835、弟アレクサンダー1769〜1859)はフランス革命の時に20歳台であった世代に属します。ゲーテ、シラー、スタール夫人、シャトーブリアン等がその世代ですが、少し遅れてグリム兄弟が現れ、日本では山東京伝•京山兄弟が活躍した寛政の時代にほぼ同期します。兄のヴィルヘルムは言語学者で政治家、弟のアレクサンダーは博物学者、地理学者、そして探検家として有名です。今回はフランスで初めてのフンボルト兄弟の展示で、主に弟の博物学の収集品、著書、愛用した器具などが展示されていますが、特に二人の政治的行動を、ロンドン、ローマ、パリ等と詳しく年を追って説明し、最後に生まれ故郷のベルリン郊外のテーゲルの素晴らしい館で晩年を送るに至った経緯は壮観ものです。そして、この展示の題名が「精神のヨーロッパ」というのも暗示的です。地理学上の発見があまねく全世界に行き渡り、ヨーロッパが己を世界の精神と考えるに至った時代、その19世紀に首都であったパリが、フンボルトをEUの精神の最初の体現者と考えてもおかしくありません。

   天文台を出て、再びポール•ロワイヤル大通り近くから38番のバスを捕まえて、サン•ミッシェルまで戻ってきました。ホテル近くのモノプリで飲み物やサラダや果物を買って、窓を全開して涼しい風の入ってくる部屋でお茶を飲みました(私が最初の発見者かもしれませんが、マリアージュ•フレールのマルコ•ポーロという茶葉は、クスミ•ティーのサンクトペテルブルクというお茶とそっくりです)。心に余裕ができたのは、妻が昨日と打って変わって元気になったからです。一休みして、7時頃ホテルを出ました。21番のバスに乗り、パレ•ロワイヤル•コメディ•フランセーズで降りました。そのまま、正面のサル•リシュリーに入場。入口でタキシードの男性係員が妻の和服姿を見てニッコリ笑いました。白人がほとんどのコメディ•フランセーズで、アジア人は珍しい上に和服姿とは、たぶん意表をつかれたのでしょう。ところが、館内に入って驚いたのは、席に案内してくれた女性が何と日本の方だったことで、とても丁寧で親切に誘導してくれました。私たちはその女性に頼んで二人の写真を撮ってもらいました。世界中どんなところにも存在するものは何か、というクイズがありますが、答えは日本の女性で、驚くことに、この日の舞台のダンス振付をしたのも日本の女性、Kaori Ito という人でした。

    さて、今日の演目はヴィクトル•ユゴー原作の『ルクレツィア•ボルジア』です。希代の悪でイタリア史を毒々しく彩るボルジア家の、その華というべき女性ルクレツィア。久しくこのボルジア家に興味を持っていたユゴーは、ルクレツィアの中に相克する母性と悪を抉り出そうと、30歳の時に、わずか12日間でこの戯曲を書き上げます。あらすじは簡単。若過ぎた結婚のゆえに出来た子供と赤子の時に別れねばならなかったルクレツィアは、成人し美青年の士官なった子供とヴェネチアで再会します。その子ジェンナーロは実の母を知らず、実の母は優しい天使のような女性と思っています。ちょうどその時、ジェンナーロの5人の親友たちが、ルクレツィアに面と向かって罵声を浴びせかけます。この5人のいずれもが家族や叔父をルクレツィアに謀殺されているからです。公衆の面前で恥をかかされたルクレツィアは、この5人への復讐を固く誓います。

    映画『ゴッドファーザー』の見所は、最後の一斉の暗殺ですが、『ルクレツィア•ボルジア』もその最後が見所です。5人を巧みに宴会に呼び寄せた彼女は、宴の最後に有名なシラキューサの毒薬入りワインを全員に飲ませます。いきなり照明は消え、窓外から修行僧たちの葬送の歌声と鐘の音が聞こえます。次の間の戸が開け放たれると、そこには五つの棺桶が並んでいます、、、。しかし、ルクレツィアの誤算は息子のジェンナーロもワインを飲んでしまったことです。ジェンナーロは親友を殺した母親を怒りで刺してしまいますが、死の直前に彼女は自分がお前の母親であると告げるのです。

    妻と私は日本でこの原作を読んで、ともに感嘆してしまいました。無駄の一つもない台詞、クライマックスに至るまでのテンポの良さ、最後の目の覚めるような仕掛けと、まさにユゴーの天才を思わせる傑作です。ところが、な、なんとドニ•ポダリデスの演出はルクレツィアを中年の男性俳優が、ジェンナーロを若い女性が演じるようにしてしまっているのです。何を考えているのか、いや考えていることは分かるような気がします。以前、『セヴィリアの理髪師』をバスチーユのオペラ座で観たとき、すべてアラビア様式に変更してあって失望しましたが、それはアメリカのイラク侵攻に対するフランス人の反感の表明が背景にあったのです。今回はおそらく男女平等の観点から、女性が恐ろしい殺人鬼であるという印象を弱めるためでしょう。男がルクレツィアを演じ、女がジェンナーロを演じることで、女性が毒婦、男性が純粋な青年という図式を中和しようとしたのです。もしそうだとしたら愚かなことで、ユゴーの戯曲の価値を半減したと言ってもいいくらいです。芝居は、信じられない情景から始まります。上半身裸のルクレツィア•ボルジア(Guillaume Gallienne)が現れ、徐々に、カツラ、ドレスを着せられて「女性」になっていくのです。フィガロ紙はこれを日本のonnagataを連想させると書いていましたが、歌舞伎の様式化された美と比較するのはどうかと思います。

   各紙の評価がみな好意的なのは解せませんが、キャスティング以外はコメディ•フランセーズらしく素晴らしい。わくわくさせる舞台装飾、めいっぱい盛り上げる音楽と照明効果、そして典雅で高価な衣装はクリスチャン•ラクロワが担当しています。私は、特に、若い士官役のジェンナーロを演じたSuliane Brahimに魅了されました。大柄な男たちの中で小柄で華奢な彼女が軍服を着て舞台を縦横に動きまわるのが何とも可愛らしい。なお、コメディ•フランセーズは6ユーロから観ることができるので、40人余りの劇団員の中でお気に入りを見つけたら、AKB劇場ではないが毎日観に行けそうです。

    上演が終わると大変な拍手、熱狂はなかなか収まりません。私たちは興奮冷めやらぬままサル•リシュリーを出て、またまた21番のバスに乗ってサン•ミッシェルまで帰ってきました。昼にモノプリで買っておいたワインを二人で飲んで、また演劇談義に花を咲かせました。いろいろ不満はあるが、今日の舞台が私たちが見たコメディ•フランセーズの中でもっとも面白いものだったことには二人の意見が一致しました。

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サン・モール通りとジャン・ピエール・タンボー通りの交差点にあるオ・シャノワール。生ビール2ユーロ、コーヒー1.4ユーロ、パスティス2.2ユーロと安い。通りの名は労働総同盟の闘志で、ナチスに銃殺されたジャン・ピエール・タンボーにちなんだもの。オベルカンフはサンジカリストの本拠地で、それに由来する建物も残っています。

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サン・モール通り116、リブラリール書店。児童書から哲学書まで、そろった総合書店。つい立ち寄りたくなる親しみやすい書店です。

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リブラリール書店の店内。写っている人は二人とも書店員さん。専門分野にはとても詳しい。

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労働者や移民のいる下町の書店だが、並べられている本の質の高さは、メルロ=ポンティの『パルクール・ドゥー』やマーチン・ジェイの『クラカウワー・亡命者』が平積みされていることからも分かります。

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オベルカンフのもう一つの本屋、オベルカンフ通り84番地、リマジグラフ書店。総合書店だがアート系と児童書に強い。リブラリールと甲乙つけ難い質とサービスを持つ書店です。

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オベルカンフ通り109番地、カフェ・シャルボン。石炭商の歴史的看板や装飾は保存が義務付けられています。

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カフェ・シャルボンの店内。中二階もある高い天井、時代的な装飾、鉄製の椅子など、ノスタルジックあふれる店です。

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カフェ・シャルボン特製のビール(4.6ユーロ)。朝から飲むビールも旅の楽しみです。

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オベルカンフ通り99番地 Le Mecano Bar。ここも有名な店。元工具店のインテリアをそのまま使っています。看板などを変えることは許されていません。オベルカンフには良いカフェやバーが多く、このメカノ・バーの向かいには Chez Justice が、ジャン・ピエール・タンボー通り62番地には L'Autre Cafe があります。

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マレ地区のサン・ドニ・デュ・サン・サクラメント教会にあるドラクロアのピエタ。ボードレールが激賞したことで知られていますが、堂内は暗くて、はっきり見えませんでした。

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17rue de saintonge ビストロ、シェ・ネネス。味も値段も評判どおりです。

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シェ・ネネスの料理。手前が七面鳥のエスカロップ、向こうが牛肉のステーキ・インゲン豆添えです。

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シェ・ネネスの店内。開店直後で他の客はいません。赤いギンガム・チェックのテーブル・クロスは大衆食堂の証です。

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マルシェ・アンファン・ルージュの隣にある書店 Comme un roman。マレを代表する書店だが、文学書の占める割合が多い。

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パリ天文台の近くの Port Royal 駅。のんびりとして好ましい地区です。安全地帯には、「左を見て、それから右を見なさい」との看板が。フランスの車道が右側通行であることを忘れる日本人向けの看板でしょうか。

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パリ天文台。グーグル・ストリート・ビューより。手前を横切るカッシーニ通りにはバルザックやアラン・フルニエの住んだ家があります。なお、パリ天文台はコルベールの提言に基づいて1671年開設。現在も稼動する天文台としては世界最古。カッシーニ、アラゴ、ルヴェリエなどが歴代台長を務めた天文マニアの聖地の一つ。建物の設計は童話作家シャルル・ペローの兄クロード・ペロー。

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フンボルト兄弟・精神のヨーロッパ展の入口。左が兄のヴィルヘルム、右が弟のアレクサンダー。

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展示を見に来る人は老人のみ。係りの黒人も手持ち無沙汰で、ケースに触れただけで注意しに飛んできます。

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アレクサンダー・フンボルトの遺品から。鉱物、魚類、生物などの収集。立派なノートと器械には圧倒されます。

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パリ天文台の初代館長を務めたジョヴァンニ・カッシーニ(1625~1712)。土星の四つの衛星を発見し、その名はアメリカ・ヨーロッパ共同開発の土星探査機カッシーニにつけられました。

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フランソワ・アラゴ(1786~1853)。天文学ばかりでなく、光学、電磁気学にも巨大な足跡を残した偉大な学者。アレクサンダー・フンボルトとの交友関係は終生続きました。

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天文台を出たところで偶然発見したアラゴのメダル。子午線弧の測定によりメートル(北極から赤道までの一千万分の一)の基準を確定するに力あったアラゴを記念してパリ子午線に沿って9キロあまりに135個埋め込まれた銅製のメダル。現在は半分以上が盗難、もしくは道路整備によって取り外されているとのこと。なお、1884年、国際子午線会議でグリニッジが本初子午線に選ばれた後も30年間フランスはパリ子午線を0度とするパリ経度の使用を続けました。

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サル・リシュリー二階の廊下。ミュッセ、ボーマルシェ、マリヴォーらの胸像が圧巻です。

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有名な「モリエールの椅子」のこれは本物。1673年最後の戯曲『病は気から』の上演の際、モリエールが実際に使用したもの。舞台で倒れ、その数時間後、彼はおそらく胸の病気で、51歳で亡くなりました。

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開演前のわくわくする時間、コメディ・フランセーズは6ユーロから41ユーロまでの低料金で高いレベルの芝居を楽しむことができます。

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アンコール。たいへんな拍手です。

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今日買ったイエイツの『科学とヘルメス的伝統』とコメディ・フランセーズのパンフレット。

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ユゴーの原作本。ルーミーが爪とぎ板を枕に寝ています。

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2014年8月 2日 (土)

オデオン広場へ(4)妻の体調不良

6月23日(月)
    朝9時に出発、オデオンからサン•ジェルマン大通りを渡って、セーヌ通りのいつものスーパーでサラダ、ジュース、ヨーグルト、お菓子などを買って、セーヌ川のマラケ河岸を散策し、ルーヴルを正面に見るカルーセル橋を渡って、ルーヴル宮のたもとのフランソア河岸の岸辺に降りて、朝食を食べました。今日も良い天気で、バトビュスやバトームーシュが早くも満員の観光客を載せてカルーセル橋の下をくぐっています。 朝食を終えてから、河岸に上がって、ルーヴル宮に沿って歩き、ライオン門からルーヴル美術館に入りました。行列は全くなく、手荷物検査も簡単で拍子抜けしました。

   今日は、妻の要望によりルーヴルのイタリア絵画を鑑賞しに来ました。実は、去年の秋、図書館からの帰り、妻が来年はミラノ•スカラ座のオペラが見たい、と言い出したのです。すでにイタリア語の勉強を始めていた妻の気持ちは固そうです。私は、その時は黙っていたのですが、その日の夜、もしイタリアに行きたいのなら、自分はルーミーと留守番をしているから一人で行ってくればと言いました。その理由として、イタリアは全くの観光地になっているので、活き活きとした刺激がないから、と次のように説明しました。イタリアはローマとルネサンスの巨大な文化遺産を持っているが、まさにそれゆえに、エジプトやギリシアのように観光資産に寄りかかって文化的には堕落しているといっていい。かつて偉大な文明文化が栄えたところは、みな一様に堕落するのは、その文明文化が偉大であったがゆえである。それを乗り越えることも、乗り越えようとする意志も持てず、親の遺産に頼る道楽息子のように食い潰すだけだからだ。その断絶の大きさが意欲を削ぎとってしまうのだ。フランスは中世のロマネスクとゴシックを経て、それらをある時は否定し、またある時は復興しながら、それに匹敵するような文化遺産を連綿と作り続けて来た。あらゆる国の中で、ただフランスとたぶんアメリカだけが常にその時代時代に自国として最高のものを作り上げている、そのエネルギーはむろん今でもパリのいたるところに感じられるのだ、と。しかし、本当のところは、イタリア語を勉強する気力がなかったからで、というのも私にとってフランスへの旅の楽しみの多くはフランス語に接する楽しみなのです。どういうことか、妻も考えを改めてミラノ行きを保留にしましたが、その代わり、ルーヴルのイタリア絵画をじっくり見たいと言い出したのです。

   ところで、ルーヴルのイタリア絵画というと、おびただしい観光客の群れが予想されます。美的興味というよりも観光的興味という人たちの大群に出会うのです。エッフェル塔からゾロゾロ帰る人たち、サクレ•クールから階段を降りてくる人たち、ノートルダムのファサードに集まっている人たち、このような人たちと同じで、目的意識が希薄で、定番の観光地を巡る義務に追い立てられている人たちです。実際、この日もあまりに多くの人間とすれ違って、私も精神的に疲れてきましたが、昨日から調子の悪かった妻はすっかり気分を悪くしてしまいました。入館して一時間もしないうちに外に出ると言い出したのです。妻によると、仕事なら休んでいるほど具合が悪いが今日がピークだから明日からは良くなるだろうとのこと。それならすぐにホテルに帰ろうと言うと、何処かで休みたいというので、去年もルーヴルに来館したとき寄ったリシュリー通りのドイツ惣菜•菓子の店Stubeに入ることにしました。妻はここのBeckという生ビールが好きですが、またここはキッシュやタルトも美味しいのです。

   食べ物も注文しようとすると、妻が何も食べられないというので、生ビールを二つだけ注文しました。すると若い男性店員がフランス語で何やら私に話してきます。私は、唐突に話しかけられると焦ってしまって何も分からなくなるので、パルドン? と聞き返しました。すると、何と今度は英語で話してきて、傍らの小さなパンを指差します。私は、もしかしたら(まだ11時前だったので)午前中はアルコールを販売しないのかなと思いましたが、(昔、亀戸餃子の店で午前中にビールを注文したら断られたので)、なんでパンを指差すのか分かりません。考え込んでいると、後ろのテーブルで待っていた妻がやってきて、通訳してくれました。妻によると、この店はバーではないので酒だけ飲むことはできない、形式的に一番安い0.5ユーロのパンを買ってくれないかと言っていたのです。なるほど、と思って私の好きなレモンタルトを注文しました。

   席に戻ると、妻は「あーあ、サルトル読めてもタバコも買えない、か」と、どこで覚えたか一昔前の留学生を揶揄する言葉をつぶやきました。私は、サルトルはほとんど読まないし、タバコは全く吸わないのですが、この古臭い決まり文句は身に沁みました。実は私には悲しいことに、会話のセンスが全くないのです。毎日、聞き取りや会話の練習をしているのにとっさの時にはいつも聴き取れません。しかも、読み取りにはなぜか自信らしきものがあって、哲学書も何とか読めるのだから尚更その欠点が辛いのです。しかし、最近、内田樹の『街場の読書論』という本を読んで、ストンと何かが落ちる感じがしました。内田樹はフランスの現代思想を学ぶためにフランス語の勉強を始めたのですが、ある語学学校に通っていた時、フランス人の教師がフランス語の漫才のようなビデオを見せて、これを理解できるかと聞いてきたというのです。内田は、それは自分の勉強には必要ないといって拒否したのですが、教師は漫才の中にこそフランス語とフランス文化の本質があると言い張ったそうです。私は、内田の言い分がまったく正しいと思うし、人は自分の都合に合わせて語学を習得するべきだと思います。確かに、タモリやさんまのギャグが分かったからと言って、それで日本文化云々はないでしょう。まず精神の最奥に到達することこそ重要です。サルトルを読める人間はいつかはタバコを買えるようにもなるでしょう。しかし、タバコを買える人間がいつかはサルトルを読めるようになるかというと、、、ぞれは絶対にありそうには思えません。

   Stubeを出て、コメディー•フランセーズ前のアンドレ•マルロー広場で21番のバスを、待つことにしました。ところが、広場の向こうにスーパーのフランプリがあったので、そこで食べ物を買って行こうとしました。フランプリに入ろうとしたら、入り口に紙コップを置いて座っていた若いアラブ人にむかって、フランス人の中年の男性が「トラヴァイエ!(働け!) 」と大声を出しているのを聞きました。その中年の男性が酔っ払っていて、働いていないことは明白なのですが、フランスでしぶとく生きようとしている移民の人たちに対するフランス人の憎悪のようなものを感じました。

   ところで、最近の政治的風潮で顕著なのは、むろん、移民問題に関連して右翼の台頭が著しいことです。マリーヌ•ルペン率いる国民戦線(FN)は現在もっとも人気ある政党と言ってよいでしょう。犯罪を犯す移民に対する彼らの非寛容(tolerance zero)は、EUという理想と共和国の理念に対する挑戦というより、現実に生きるフランス国民の率直な感情表明ともいえます。3年後の大統領選挙にいたるまで、フランスは自由と平等の建前を堅持するか現実主義的ナショナリズムの誘惑に屈するかの選択に迫られるでしょう。それは、見方を変えれば、マリーヌ•ルペンが人種差別を批判するような宥和的政策を維持しながら、なおかつ攻撃的右翼のラディカルさを保てれば、戦後欧州初の極右政権の誕生も夢ではないことを示しています。

   フランプリで飲み物、チーズ、ハム、お菓子、桃などを買って、21番のバスでサン•ミッシェル通りまで帰りました。部屋で、妻はやっと一息つけて、コーヒーを飲み、桃やチーズを食べると、これから2時間ほど寝ると言いました。何処かに行ってくれば、と言ってくれたので、また一人で近所の本屋でも行ってみることにしました。ぶらぶら歩いて、すぐ近くの医学書籍専門店 Vigot Maloine に入ってみました。細かく分類された医療技術の本と、国家試験向けの対策テキストなどが並んでいます。有名な書店で、医学史の本だけでもかなりの分量があります。何も買わずに店を出て、ムッシュ•ル•プランス通りに通ずる階段を上ると、目の前に Librairie de l'Escalier 書店がありました。小さな書店ですが、文学、芸術、哲学などが充実しており、日本の小説も多い。地下への階段を降りると児童書売り場になっているようです。この本屋はとても感じがよいのですが、その理由は入口が開け放たれていて、自由な入り易さがあるからです。レジに座る店主の女性は、道を通る人と挨拶を交わし、その何人かは店に入ってきて、レジの近くに並べてある本を買っています。平積みの本はどれも興味深く、毎日来ても飽きないぐらいです。私はここで Folio の2ユーロ文庫からモンテーニュの『エセー』を優しくリライトしたものを買いました。引用の鬼というか、引用馬鹿とも言えるモンテーニュのギリシア•ラテンの引用もすべて分かりやすいフランス語に訳してあります。

   L'Escalier 書店のすぐ近くに3軒の本屋がありました。英語の本専門のカリフォルニア書店、
店内は狭いですが、主にエンターテイメントのペーパーバック本が天井まで横積みにされていて壮観です。また、同じく英語本のバークレー•ブックショップのウインドーを見ていたら店主と目が合ってしまったので、気まずくなって入店しませんでした。もう一つ、演劇•映画本専門の Le Coupe Papier。残念ながら閉まっていて、仕方なくウインドーをじっくり眺めてみました。それから、オデオン広場の方へぶらぶら歩いて行って、意味なく写真を撮っていました。去年、ラシーヌ通りのフラマリオン書店の前にあった古書店 Le dilettante が、いつのまにかすぐ近くのオデオン広場に移転しています。新しい店は明るく、本が探しやすく、スタッフも昔のように感じ良さげです。店の隅で、床にどっしり座って、大きな丈夫なプラスチックの袋に本をどんどん詰めている浮浪者風の老人がいたので驚きました。何と店の常連らしく、レジでスタッフと雑談して、金を払うと、重い袋を提げてサン•ジェルマン•デ•プレの方にゆっくり歩いて行きました。私は、この書店で、アンドレ•ブルトンの遺稿集 Perspective Cavariere (7.5ユーロ)を買いました。

   ホテルに戻ると妻は起きていたが、まだ体調は悪いようです。お茶を淹れてやると、だんだん食欲が出てきたようで、また妻をホテルに残してスーパーに買い出しに行きました。途中、サン•タンドレ•デ•ザール通りなど通りましたが、やはり観光客が多い。スーパーでサラダ、ミカン、ヨーグルト、白ワイン、水やペリエなど買って、帰りにオデオンの交差点近くで妻の好きなサーモンのパニーニも買いました。ホテルに戻り、食べ物飲み物をひろげて、さあ食べようとするとサラダが見当たりません。どこかに落としたか、スーパーで袋に入れ忘れたかしたらしい。がっかりして、気力を失いかけましたが、気を取り直して、マコン•ヴィラージュを飲みながら10時からのサッカー、フランス•カメルーン戦を観戦しました。

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ルーヴルのイタリア絵画のゾーンは、絵を鑑賞するというより、世界中からの観光客を観察する場所といってよいでしょう。人間の多さにすっかり疲れてしまいます。

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リシュリー通り31番地ドイツの惣菜・菓子店 Stube。写真中央の男性店員は非常に感じよい。キッシュ、タルトも申し分ないおいしさです。

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Beck という生ビール(3.5ユーロ)はよく冷えていて、すばらしく美味しい。

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100年以上の歴史を持つ医学書出版社 Vigot Maloine の書店部門。

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Vigot Maloine の店内。専門書のほか受験用のテキスト、医学校の教科書も揃っています。

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ムッシュー・ル・プランス通りの L'Escalier 書店。小さな、心和む、感じよい書店だが、何年か前から場所代の高さによる経営危機が噂されています。また、パリを訪れた時にも絶対残っていてほしい書店です。

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L'Escalier 書店の女主人。写真を撮っていいかと聞くと、フォトジェニックじゃないけど、それでいいなら、と言っていました。選び抜かれた趣味のよい品揃え。最高に知的な場所の最高に知的な本屋のひとつ。

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L'Escalier 書店のウインドーに飾られていたジャコメッティのデッサン集『終わりなきパリ』(30ユーロ)。迷ったが買い切れませんでした。

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英語本のサンフランシスコ書店。パリに英語の本の古本屋は意外に多い。店は狭いがあらゆるジャンルの本が揃っています。

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LEscalier 書店、サンフランシスコ書店のすぐ近くのバークレー・ブックショップ。

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バークレー・ブックショップのウインドー。ジジェクの大著にして主著、レス・ザン・ナッシングはまだ邦訳されていません。右のボードリヤールの『アメリカ』は表紙がすばらしいだけでなく、おそらく彼の著作の中でもっとも分かりやすく、活き活きとして、刺激的な本です。「ロサンゼルスに住むアメリカ人がパリを訪問すると、彼はいきなり19世紀の只中にいる自分を感じる」と彼は書いています。

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演劇専門の古書店Le Coupe Papier は残念ながら閉店していました。coupe papier とはペーパーナイフのことです。

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Le Coupe Papier のウインドー。並べられているDVDがすごい。左からTheatre du Soleil の『狂った希望の遭難者たち』。Theatre du Soleil はヴァンセンヌの森に本拠を持つ劇団で、主演から裏方まですべて同じ給料。今は『マクベス』をやっていて、見たかったが、交通の便が心配で断念しました。その隣がピーター・ブルックの『私に嘘を言って』。一番右がパゾリーニ最初期のドキュメンタリー『怒り』です。

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古書店 Le dilettante。オデオン広場に引っ越してきましたが、古書の探しやすさ、店の入りやすさは昔のままです。

 

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Le dilettante の店内。文学・芸術本に特化していますが、値段は手ごろで、非常に買いやすい古書店です。

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今日買った本。ブルトンの本はずっと欲しかったもの。左のLe dilettante書店の袋がかわいい。

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サン・ジェルマンデ・プレからサン・ミッシェル通りに至る途中の小道。19世紀のたたずまい。左岸のありふれた風景です。

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