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2014年8月23日 (土)

オデオン広場へ(7)帰国、パリのアメリカン•ホスピタル

6月26日(木)
    帰国の日、しかし飛行機は深夜発なので時間はたっぷりあります。7時前に起床して、コーヒーとパンと桃を食べました。早速、部屋の掃除をして荷物を詰めました。その時手持ちのユーロが少なくなっているのに気付いてショックを受けました(実際は別のポケットに予備のユーロが入っていた)。9時40分頃、レセプションに降りて清算し、キャリーケースを預けて、身軽な格好でホテルを後にしました。

    何度も通った道であるオデオン広場を通ってサン•シュルピス広場まで行きました。実はここで、ジョルジュ•ペレックを記念した字忌み(lipogramme)のプラークがあるはずなのですが、注意深く見ても見つかりません。彼は、この広場にあるカフェ•ド•ラ•メリーで原稿を書いていたということです。ペレック自体にあまり興味がないのですぐに諦めました。

   ヴュー•コロンビエ通りからグルネル通りに入りました。狭い道だが、非常に「高級」な感じがする通りで、フェラガモ、プラダ、セリーヌ、ポール•スミスなどの店が並びます。しかも人通りが少なく、観光客の姿もほとんど見えません。そのグルネル通りを少し歩くと、サン•ギョーム通りとの角に、Bar Basil があります。すぐ並びのパリ政治学院(略称 SciencesPo)の学生たちが利用するいわゆるstudent cafe で、午前中は地元の人やビジネスマンが多いのですが、ハッピー•アワー(午後5時から)から夜遅くまで学生で賑わいそうです。そこに入って、エスプレッソ二つ、サーモンのサンドイッチ一つを食べて11ユーロはやや高いが場所柄ゆえ仕方ありません。

   その後、SciencesPoの前の本屋へ入りました。期待していたが狭い書店で、見るべきものはありません。あちこちにシンボルのライオンとキツネのぬいぐるみが飾ってあります。妻は、例によって書店のショッピング•バッグを買おうとしましたが、6ユーロという値段に驚いて買いませんでした(どうも利益は発展途上国への援助となるらしいです)。ところで、SciencesPoというとミッテラン、シラク、オランドらが出たエリート校のイメージがありますが、最近は学生の40パーセントが留学生ということで、他のグランゼコールのような超難関校という感じはありません。

   サン•ジェルマン大通りに出て、すぐの小道にあった St Thomas d'Aquin教会に入ってみました。ここは17世紀に出来た小さな教会で、堂内にはパイプオルガンの音楽が常時流れるようになっています。観光客も教会関係者も一人もいない寂しい教会でした。すぐ隣の手紙•筆跡博物館へ。ところが、入場料が8ユーロなので入るのを断念しましたが、今考えると入館してみるべきだったと思います。入口付近に著名人の手紙がガラス板に印刷されてズラッと並べられてありましたが、それを見て満足しました。

   メトロのソルフェリーノの駅辺りまで歩きました。この辺は、プルーストの小説に出てくる昔のフォーブール•サン•ジェルマンに相当し、今も何か裕福な人たちの住む界隈という気がします。近くに国防省があるからでしょうか、制服を着た高級軍人らしき人たちが何人も歩いています。その辺にあるLibrairie Julliardという書店に入ってみました。入口の張り紙に今日から改装のため閉店と書いてありましたが、覗くと営業しているようです。ここは新本と古本をともに扱う店と聞いていましたが、古本部門は今閉鎖しているそうです。場所柄、社会科学、科学、地理、歴史,戦史戦略関係の本が多いような気もしますが、むろん文学書もありました。店内をぶらぶら歩きましたが、何か堅苦しい感じで落ち着かない書店のように感じました。早々に出ようと思っていたら、妻がユンガーの本を差し出して、これを買うと言うのです。その本が置かれていたエッセーの棚を見ると、何とジベール•ジョセフに無かったクラカウワーの『ベルリンその他の街路』が涼しい顔をして並んでいるではありませんか。早速その2冊の本を買って外に出ました。

    途中のカルフールで飲み物とフルーツケーキを買って、オルセー美術館の前のアナトール河岸に降りてベンチに座って食べました。今回は何度もセーヌ川を眺めながら食事しましたが、今日が一番陽射しが強くて、途中から橋の下に移動しました。このレオポルト•セダール•サンゴール橋は特異なアーチ型をした歩道橋で、道路から渡ることもできるし川岸から上がることもできます。川岸から上がると、段々の隙間にセーヌの川面が覗けるのが面白い。なお、オルセーの前のアナトール河岸ではオリンパスとパリ•マッチが共同で「スターとセーヌ」という題で野外写真展を催していました。

   ところで、レオポルト•セダール•サンゴール橋を渡るのが気持ちいいので、右岸まで渡り、チュルリー公園からルーヴルのガラスのピラミッドを過ぎてリヴォリ通りのカルーセル•デュ•ルーヴルの入口から下に降りました。後で考えると、右岸に行く必要などなかったのに、運命の不気味な糸が偶然の形を装って、私たちを巧みにパレ•ロワイヤル広場に導いて行ったとしか思えません。カルーセル•デュ•ルーヴルの複数の店で買い物をして、そろそろホテルに帰らねばとバスに乗ろうとしたら切符がないので、私は手提げ鞄を妻に預けて、一人でパレ•ロワイヤル広場を早足で横切って、切符を買うためにメトロの入口まで行こうとしました。

   事件が起こったのはその時でした。メトロの階段横で物乞いをしていたロマ(ジプシー)の女性が連れていた小型犬が、キャンキャン鳴きながらいきなり走ってくると、私の右脚にガブリと噛みついたのです。瞬間は何が起こったのか全くわかりませんでした。激痛、慌てて振りほどくと犬はロマの女性の方へ逃げて行きました。ジンジンする痛み、ズボンをまくると二箇所の噛み傷、一つは真っ赤で血が滲み、もう一方はすでに紫色に腫れています。急いで駆け寄って来た妻に「犬に噛まれた!」と言って、ロマの物乞いの女性の方を指差すと、何とロマの女性は大慌てで犬をキャリーケースに入れて逃げ支度をしています。どうしようか、いま何をしたらよいのか分からず、そこでしゃがみ込んでいました。すると、旅行者らしき白人の女性が二人私たちのところに来て「英語を話せますか」と聞いてきたのです。妻は咄嗟のことで、スリと勘違いして無視していましたが、再びその女性たちが近寄ってきて、イタリア語訛りの英語で「もし血が出ているのであれば、すぐに病院へ行って注射してもらったほうがいい」と言ってくれました。確かにその通りで、ロマの連れている犬ならば狂犬病を持っていてもおかしくありません。

   すぐに病院へ行こうとしましたが、いつも身につけているバッグには保険証は入っていません。前回までは常に身につけていたのに、油断からかホテルに置いてあるキャリーケースの中に入れてあるのです。まずホテルに戻らねばならず、切符を買ってメトロでサン•ミッシェルまで帰りました。途中、ホームで、妻がミネラルウオーターで滲んだ血で赤くなっている傷口を洗ってくれました(正解は石鹸水で洗った後流水で数分洗わねばならない)。

   やっとホテルに戻り、キャリーケースを受け取り、レセプションの男性にタクシーを呼んでもらいました。男性は英語であれこれと顛末を聞くと「なぜ、すぐ警察を呼ばなかったのか」と私たちを非難するような口振りです。確かにそうした方が良かったかも知れないが、その時は動転してそこまで考えが及びませんでした。しかし、とにかく急いで、旅行保険の指定病院であるアメリカン•ホスピタルまで行かねばなりません。

    電話して5分でフォルクスワーゲンのタクシーがホテルの前に到着しました。運転手はサッカーのベンゼマ似の大柄な白人男性。妻が「ロピタル•アメリケーヌ」というと、黙って頷き、キャリーケースを車の後ろに収納してくれました。車は出るとすぐにセーヌ川沿いの渋滞に巻き込まれました。まだ夕方には間があるのに大変な車の列で、遅々として進みません。妻が「病院まで急いでいる。何とか早く走れないか」と英語で言うと、運転手は怒ったように片手を振り回して周囲を指し、「どうしようもないよ。不満があるなら降りて電車で行ってくれ」とフランス語でまくし立てました。それまでぐったりとして黙っていた私がポツリと「デゾレ」と謝ると、運転手は「ノン、ノン、ムッシュー、ノン•プロブレム、ノン•プロブレム」と大げさに叫びました。

   それから妻が運転手に、なぜ急いでいるか、事件の成り行きなどを説明したのですが話がうまく通じません。どうも妻は運転手が英語ができると思い込んでいるらしいのですが、私は bit(biteの過去形)が通じてないので、運転手は英語があまり得意でないのだと分かりました。それで、私のフランス語と妻の英語と運転手の英仏混合語がごちゃごちゃになった長いやりとりの末、やっと運転手は事情を飲み込むと、一転して私たちに親切になったようです。「大丈夫、大丈夫、ここはフランスだ、狂犬病では最高の国だ、アメリカン•ホスピタルは一番の病院だ、全く心配ない」とフランス語で自信たっぷりに話しました。おそらく彼は子供の頃からパスツールの偉業(世界で初めて狂犬病ワクチンで子供を救った)を学校で聞かされていたのでしょう。

   車はやっとポルト•マイヨーの国際会議場の横を過ぎて、渋滞もかなり和らいできました。私はうしろの座席でぐったりとして落ち込んでいました。これからどうなるのか。今日の飛行機には乗れるのだろうか。乗れなかったとしたらホテルに泊まらねばならず、あいにく土曜日に二人とも仕事を入れていたので、その連絡もあちこち必要で、また留守番をしているルーミーのことも心配です。しかし何より、狂犬病だとしたら24時間以内にワクチンを打たねばならず、もし発症したら致死率100パーセントで考えることすら恐ろしいです。

   病院に近づくにつれ運転手は饒舌になって、友人に医者がいるとかで携帯で電話してくれたのですが、留守番電話なので「狂犬病の恐れのある日本人を乗せているので、折り返し電話してくれ」などとメッセージに吹き込んでいました。しかし、私たちが本当に驚いたのは、運転手が、病院に着いたら自分が病院の人に詳しく説明してあげる、と言ってくれたことです。それからの彼の行動は運転手としての役割をはるかに超えた親切なものでした。車がパリ郊外の緑あふれるアメリカン•ホスピタルに着くと、車はすごいスピードで門をくぐり専用路を走り、病院の入口前に急停車すると、慌てて駆けつけた駐車係の男性に「サンク•ミニッツ!(5分だけ)」と大声で叫ぶと車の鍵の束をつかんで駐車係の手に握らせたのです。そして、病院の受付に駆けつけ、係りの女性に早口で説明すると、女性はどこかに電話をかけて私たちのことを説明しています。そして地下一階に行くように私たちに言いました。運転手は私たちを連れて廊下を歩きエレベーターに乗って地下に降りました。そこには、すでに連絡を受けた看護師長のような背の高い女性が私たちを待っていました。彼女は、この病院に来ればもう大丈夫とでも言うように優しさに溢れた笑顔で私たちを迎えました。そして、今日は日本人の医者がいる日だから2階のどこそこに行ってくれ、そこに日本語のわかるフランス人の看護師がいるからと運転手に言いました。私たちはまたエレベーターに乗って、運転手の後について2階の廊下を歩きました。廊下の端にフランス人の女性看護師が待っていて、運転手と話をすると、私たちを温かい笑顔で診察室の横の待合室に案内してくれました。ここまで来て運転手は自分の役割は終わったと思ったのか、私の手を強く握って、何度も肩を叩き、そして黙って後ろを向いてゆっくり帰って行きました。私たちはこのフォルクスワーゲンのタクシーの運転手のことを決して忘れないでしょう。

   さて、待合室には日本人ばかり3人がすわっていました。マスクをした婦人と、今来たばかりらしい少年とその父親らしい人が座っていました。小学生ぐらいのその少年は、苦しい表情で、医療用のステンレスプレートを吐くために抱えています。父親は「吐きたくなったら吐きな」と少年に言っています。マスクをした婦人は熱があるらしく体温計を挟んでいます。やがて、前の患者が終わって、日本人の男の医者が「次の◯◯さん」と名前を呼びました。すると、マスクをした婦人は、坊ちゃんが苦しそうだから先に診てやってください、と少年に順を譲りました。

    少年と父親が診察室に入って、待合室に3人だけになると、マスクをした婦人が私たちに話しかけてきました。それで、今日の出来事を手短に話すと、婦人は、自分はパリ在住だが、ここのところ狂犬病の話は全く聞かない、ロマの連中もパリの郊外に住んでいるわけだからその犬も大丈夫だろう、と言ってくれました。しかし、ロマといえばルーマニアから来ているので、ルーマニアといえば吸血コウモリの故郷です。その犬もルーマニアから連れて来たかも知れず、先ほどの急に狂ったように噛み付いてきた様子からして普通ではないように思えます。狂犬病の心配の他に夜の飛行機に間に合うかどうかも心配で、私と妻はこの時かなり落ち込んでいたことは確かです。

   先ほどの少年の診察が終わって、婦人が再び呼ばれると、何と、飛行機の時間もあるから私たちを先に診てやってくれと言うのです。私たちは恐縮してその申し出を有り難く受け入れましたが、今思い出しても、その婦人の好意には頭が下がります。

    さて、診察室は広く、真ん中に大きな机があって、その向こうに30台後半の日本の医師がパソコンとその周辺機器を横にして座っています。そして医者の後ろ側の全面にわたる大きなガラス窓からは明るい陽射しが降り注いでいます。診察室というより弁護士のオフィスか学者の研究室のような感じで、日本の狭苦しい、医者と患者が膝突き合わせる診察室とは大違いです。M医師は患者を落ち着かせるような親しい調子で、まず簡単に話を聞いた後で、パスポートと旅行保険書をスキャンして、パソコンに打ち込み、こう言いました。パリで犬に噛まれて狂犬病の恐れから来院する人は何人かいるが、パリの犬は狂犬病の恐れがほとんどないので、ワクチンを接種するかどうかは本人の気持ちの持ち方による、しかしロマの犬に噛まれた事例は初めてで、これは心配するのももっともだ、安心料としても接種すべきだが、ただし狂犬病ワクチンは全部で5回摂取しなければ意味はない、えーと(少し考えて)当日と3日後、7日後、14日後、28日後にそれぞれ射つと思ったが、と言ってM医師は横の書棚から厚い本を取り出してすばやくページを繰り、やっぱりという感じで自分の記憶力を確かめると、嬉しそうに指でポンポンとページを叩きました。

   それからの行動が素早い。M医師は電話機を取るとはっきりしたフランス語で、ワクチン(ヴァクサンという発音でしたが)の有無を確認し、「よかった、一本だけ残っていた!」と言って、何と、自ら診察室から駆け出して取りに行きました。後にM医師の履歴を確認したところ、東大医学部を出てニューヨークに医師として勤務、観光で訪れたパリに魅せられ、アメリカン•ホスピタルの募集に応じて2009年から働いているとのこと、道理で、とび抜けた優等生によく見られる明るさ、軽さ、優しさが感じられたわけです。

    ワクチンの入ったビニール袋をつかんで戻ってきた医師は、すぐに私を隣接する処置室のベッドに座らせると、足の出血箇所を消毒し、薬を塗り込み、肩を広げさせて、慣れた手つきでワクチンを射ちました。その後、また大きなテーブルで相対し、2回目からのワクチンは日本で射つようにと言って、パソコンから、診断書と薬の処方箋(塗り薬と抗生物質)を打ち出して、診察はすべて終了しました。最後に、噛まれた時やはり警察を呼ぶべきでしたかと尋ねると「いやー、必要ないでしょう。ロマからじゃ一銭も取れませんし」とまさに合理的な答え。

   私たちはM医師にお礼を言い、待合室の親切な婦人に再度感謝の意を表して病院を去りました。旅行保険のお蔭で全く料金を払わずに済んだのは幸運でした(パリの医療費の高さはよく知られていて、ワクチンの値段もそうですが、公立病院でも入院一泊10万円も取るとのこと)。受付の人に駅の場所を聞くと、出るとすぐバス停があると教えてくれました。ヴィクトール•ユゴー通りのすばらしく美しい並木道のすぐ横にバスが停まっていました。番号を見ると、驚いたことにポルトマイヨーからリュクサンブールまで毎回乗る82番のバスで、そういえば東の終点がアメリカン•ホスピタルだったことを忘れていました。

   バスでポルトマイヨーまで行きました。エールフランスのリムジンバスに乗る前に、近くの薬局(パリには至る所にpharmacieがあります)で処方箋を見せて薬を買いました(1500円ほどでした)。塗り薬はチューブに、抗生物質はとても大きな箱に入っています。薬局の若い女性店員は薬の飲み方をとてもゆっくりしたフランス語で説明してくれました。隣のカルフールで飲み物や甘いパンを買いましたが、なぜか二人ともお腹は全然空きません。リムジンバスに乗れて、とにかくこれで飛行機に間に合うと思って本当に安心しました。飛行場では滞りなく手続きが済み、大きな窓から私たちの乗るボーイング777が見えると、早くも明日からの日本での日常に思いは飛びます。機内でハイネケンのビールを飲みましたが、なぜか不味く感じられて半分残してしまいました(ワクチンの後、アルコールは禁止でした)。羽田についてすぐに検疫で、暴露後のワクチン摂取できる病院のリストをもらいました。(その後、都立駒込病院で残りの4回のワクチンを済ませました。日本におけるワクチン代、パリの薬局での薬代はAIUの旅行保険から直ちに振り込まれました)。

    今回のパリ旅行を振り返ってみると、毎回雨に悩まされるのに、全日晴天だったのには驚きました。また、いつもは私の不調で妻に迷惑をかけるのに、今回は、私が元気である代わりに、妻の体調が悪い時期に当たってとても残念でした。『椿姫』が見れなかったのも悔いが残りますが、何より今回の旅行は最終日のロマ犬に噛まれたことが大事件でした。大事に至らず、何事もなく終わりましたが、妻と私が感じた言い知れぬ不安は何とも形容のしようがありません。繰り返し、お世話になった方々に感謝したいと思います。

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六泊したホテル、サン・ピエール。パリではもっとも安いホテルの一つ。はじめは不満を口にしていた妻も、帰るときは、またここに泊まろう、と言っていました。オデオン広場の側という便利な立地がすばらしい。
    

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ホテルの前の狭い道、医学校通りをプチ・トランが通り抜けて行きます。

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ヴォジラール通りからトゥールノン通りを眺めます。手前左のカフェはヨーゼフ・ロートゆかりのカフェ・トゥールノン。突き当りはサン・ジェルマン・デ・プレ。

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高級なアパルトマンとブティックが立ち並ぶグルネル通りにあるBar Basil。すぐ近くのSciences Po(シアンスポ)の学生が立ち寄るstudent bar。手前の黒いハンドルカバーがついた赤いべスパが街にぴったり溶け込んでいます。

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Sciences Poの玄関。社会科学系のグランゼコール。卒業生名簿の中には、ミッテランやシラクに交じってジュリアン・グラックの名前もあります。

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Sciences Poの向かいにある本屋と図書館。本屋は狭くて、政治や法律の本ばかりですが、パリの本屋によく並べられている軽薄なフランスの現代小説が一冊もないのはすっきりして気持ちよい。

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シアンスポ書店の店内。マスコットのぬいぐるみも売っています。妻が見ているのは何かの受験用の問題集。

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サン・ジェルマン大通りにあるSt.Thomas d'Aquin 教会。17世紀に造られたドミニコ派の教会。壮麗なパイプオルガンがあります。

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教会のすぐ横の手紙筆跡博物館。ユーロ札が足りないと思って入館しなかった(実はまだ大分残っていた)ので、妻から帰国後何度も文句を言われました。玄関には何人もの有名人の手紙のプリントが飾られています。上はピカソのもの。

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サン・ジェルマン大通りにある高級玩具店オ・ナン・ブルー。1836年創業の老舗。左下の小さなハリネズミのぬいぐるみは52ユーロ。出産時の贈り物に買われることが多いようです。

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サン・ジェルマン大通り229番地、Librairie Julliard。去年破綻したカトリック系書店チェーンChapitreの傘下の本屋だが、今年出版社Albin MichelがこのJulliard書店を引き継ぐことになったらしい。

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Julliard書店の店内。科学系および社会科学系の書籍が強い。Sciences Po書店同様、ベストセラー小説などはあまり積まれていません。

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Julliard書店で買った本。クラカウワーの『ベルリンその他の街路』は1926-1932の間にフランクフルター・ツアイトゥング紙に掲載された街路、事物、人間をめぐる短いエッセイの集積です。flaneur sans but(あてもなくぶらつく人)としてクラカウワーはベンヤミンに先駆します。冒頭のエッセイ「パリの街路の思い出」は次のようにはじまっています。「グルネル地区にはまりこんでからもう3年になる。私をここに連れ込んだのは偶然なのだが、本当は偶然などではなく、酔いによるものなのだ。パリの街路への酔いが私からすべてを奪ったしまった。かつてパリの街路という一つの世界を知った時、私は四週間パリ中の街路とカルチェを歩き回った。私をとらえていたものは抵抗することの出来ない狂気のようなものだった。その力を証明するためには以下の例以上のものはないだろう、つまり、昼寝の時間を過ぎてもホテルの部屋でわざわざぐずぐずしてみたり、劇場に行って夕方の時間を犠牲にしたりすると自分を裏切っているように感ずるのだ、たとえ若く美しい女性とのランデブーであったにしても、、、」。ユンガーの『リヴァロールその他のエッセイ』は「明晰ならざるものはフランス語ならず」という言葉で知られる18世紀の王党派のジャーナリスト、モラリストのリヴァロールの伝記。ほかにハイデッガー、ジッド、アルフレッド・クービンについての文章も含んでいます。

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Julliard書店の近くのメトロ・ソルフェリーノ駅。近くに国防省やブルボン宮があり、軍人の姿も目立ちます。

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オルセー美術館前のアナトール河岸を降りたところ。ここも観光客などが集まるところ。遠くに見えるのはルーヴル美術館。

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独特な構造を持つレオポール・セダール・サンゴール橋は1999年に完成し、その年の「銀の定規賞」を受賞しています。橋のたもとでは、オリンパスとパリ・マッチとバトー・ムーシュ協賛の「スターとセーヌ」展が開催されています。

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近年フランス映画にも多く主演しているドイツ出身の女優ダイアン・クルーガー。2004年パリ・マッチに掲載されたこの写真は、トゥールネル橋の下から撮影されたもの、左にノートルダム寺院、右にサン・ルイ島のオレルアン河岸が見えます。哀愁と美しさののただよう一枚。

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右岸に渡ってオルセー美術館を撮影。元の駅舎の建物が不思議と旅情を呼び覚まします。

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グーグル・ストリート・ビューより。ピサロの絵を思わせる構図は、パリの郊外ヌイイーのアメリカン・ホスピタル。美しい並木道に囲まれています。
   

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