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2014年8月 9日 (土)

オデオン広場へ(5)オベルカンフ、天文台、コメディ•フランセーズ

6月24日(火)
    朝起きると、妻はかなり回復しているので安心しました。やはり昨日がピークだったらしい。サン•ミッシェルのメトロの改札口で一日乗車券モビリスを買いました。すぐに日付と名前を書き入れましたが、忘れると検札に会ったとき罰金を取られるからです。96番のバスでオベルカンフへ。この96番のバスはオベルカンフを走る唯一のバスです。Saint Maur-Jean Alcardでバスを降り、オベルカンフ通り、サン•モール通り、そしてジャン•ピエール•タンボー通りをぶらぶら歩きました。サン•モール通りとジャン•ピエール•タンボー通りの角に酒場の Chat Noir がもう店を開けています。私はこの店に入りたかったが、中を覗いた妻があまり入りたがらなかったので諦めました。どうも朝から疲れた男たちがコーヒーを飲むけだるい雰囲気を嫌ったようです。

    Chat Noir の並びに Librairie Libralire という書店がありました。この店名はなかなか難しい。「自由な読書」という意味なのか、私はすぐに tirelire(貯金箱)という言葉を連想したのですが。10時5分前だったので、ウインドーの本を見ながら時間を潰し、10時きっかりに扉が開いたので店に入りました。店内はなかなか広く、児童書から哲学書まで幅広い品揃えです。レジの付近で、4人ほどの書店員たちが輪になって朝のミーティングらしきものをしています。全員女性なのに驚きました。パリの中規模の書店は、たいてい専門分野を持つ書店員たちが集まっていて、読書相談やサイン会、朗読会、討論会などの企画をしたりしているようです。日本とフランスの書店の差はズバリ書店員の差と言ってよいでしょう。それは、また書店に足を運ぶ顧客の差でもあります。この辺りはベルヴィルの西隣で、下町も下町ですが、本の選択は素晴らしい。思想関係の本の充実ぶりが目を引きます。私はここでフランセス•イェイツの薄い本を買いました。

   サン•モール通りをまたふらふら歩いて、オベルカンフ通りに戻り、有名なカフェ•シャルボンに入りました。妻がすっかりこの店の佇まいに魅惑されたからです。もと煙草や葉巻を扱いながら同時に石炭を商っていた店の名残で、高い天井の石炭置場を思わせる店内は、珍しい鉄製の椅子と相俟って20世紀半ばの雰囲気を漂わせています。工具屋や小工場が乱立していたオベルカンフ地区の変化の理由は、バスチーユと同様、パリの地価の高騰にあります。商店主や町工場の所有者が高すぎる地価を嫌って移転した後に、若者向けのバーやカフェが進出して来たのです。このカフェ•シャルボンは、朝から活気があり、地元の人、パソコンで仕事をする人、食事をする老人など、開放的で非常に感じが良い。カルチェラタンの知的なカフェとも、サン•ジェルマン•デ•プレの観光地化したカフェとも違う、新しいものと古いものが混合したパリの脈動のようなものを感じます。私はここでシャルボン特製のビールを飲みました。1時間ほど本を読みたかったが、今日は観劇の予定があってゆっくりできないので、渋々店を後にしました。96番のバスに乗るためパルマンティエ通りに行く途中のオベルカンフ84番地に、この地区もう一つの大きな本屋 L'Imagigraphe がありました。名前からアート系の本屋と思いきや、Libralire と同じ総合書店で、本の質も相当高い。児童書、美術書に力を入れた店造りで楽しく本が買えそうな気がします。しかし、狭い地区に二つの総合書店が競合するのは相当に厳しいと思いました。

   マルシェ•ポパンクールの端の停留所から96番のバスに乗って、マレ地区の西、Saint Claudeで降りて、すぐそばのサン•ドニ•サン•サクラメント教会に入りました。この小さな平凡な教会は、もしドラクロワのピエタが掲げられてなければ入ってみることはなかったでしょう。その絵はあまりに暗くてはっきり見えなかったのですが、ドラクロアのファンである妻はそれでも満足したと思います。教会を出た後、近くのビストロ、シェ•ネネスに行きました。開店の12時まであと5分あったので外で待っていました。窓から覗くとスタッフが賄いを食べています。窓に貼られていたメニューを見ると、前菜が5ユーロ、メインが10ユーロとなっています。普通のビストロの半額近い、はたして味の方はどうなのでしょうか。

     12時になって扉が開いたので一番の客として入店。すぐに満員になると思いましたが、まだ早いせいか客は少なく、ゆっくり食べることができました。妻は七面鳥のエスカロップ、私は牛肉ステーキのインゲン(アリゴ•ベール)添え、それとデセールにフランボワーズのメルバを二人で分けて食べて、ミュスカデ500mlとコーヒー2杯で40ユーロはパリでは格段の安さ。肝心の味は、ステーキは懐かしい、心にしみる味、七面鳥はとてもふんわりとして美味しく、デセール、ワインも美味でしたが、なにより、町のビストロらしい寛いだ開放的な雰囲気、気さくで温かなサービスは特筆ものです。「トイレもきれいだったし、文句を言うところは何もない店だった」と妻には珍しい高評価です。

   店を出た後、近くのマルシェ•アンファン•ルージュを一回りして、並びの本屋 Comme un Roman に入ってみました。店名はダニエル•ペナックのエッセイ集の題名からとったようですが、立派な書店だがやや文学に特化しているようです。何となくここでは何も買わず、また96番のバスに乗ってサン•ミッシェルまで帰ってきました。しかし、ホテルに戻るのは早すぎるので、今度は38番のバスに乗ってダンフェール•ロシュロー近くのパリ天文台に行ってみることにしました。

   今、パリ天文台では『フンボルト兄弟•精神のヨーロッパ』の特別展示をやっているのです。私はフンボルト兄弟にはほとんど興味がないのですが、普通は入場不可の天文台に入る良いチャンスなので行ってみました。ポール•ロワイヤル通りからオプセルヴァトワール通りに入って、その突き当たりにパリ天文台はあります。入口の門で、フンボルト展を見に来た、と言うと、シールをくれました。それを手に貼ると、大きなテントの中で座っていた黒人の一人が立ち上がって、本館まで案内してくれます。堂々とした本館に入り、階段を上ると2階の一部が特別展のスペースになっているようです。驚いたのは見学客の少なさです。無料なのに、見学している人は老人夫婦だけです。

    ところで、フンボルト兄弟(兄ヴィルヘルム1767〜1835、弟アレクサンダー1769〜1859)はフランス革命の時に20歳台であった世代に属します。ゲーテ、シラー、スタール夫人、シャトーブリアン等がその世代ですが、少し遅れてグリム兄弟が現れ、日本では山東京伝•京山兄弟が活躍した寛政の時代にほぼ同期します。兄のヴィルヘルムは言語学者で政治家、弟のアレクサンダーは博物学者、地理学者、そして探検家として有名です。今回はフランスで初めてのフンボルト兄弟の展示で、主に弟の博物学の収集品、著書、愛用した器具などが展示されていますが、特に二人の政治的行動を、ロンドン、ローマ、パリ等と詳しく年を追って説明し、最後に生まれ故郷のベルリン郊外のテーゲルの素晴らしい館で晩年を送るに至った経緯は壮観ものです。そして、この展示の題名が「精神のヨーロッパ」というのも暗示的です。地理学上の発見があまねく全世界に行き渡り、ヨーロッパが己を世界の精神と考えるに至った時代、その19世紀に首都であったパリが、フンボルトをEUの精神の最初の体現者と考えてもおかしくありません。

   天文台を出て、再びポール•ロワイヤル大通り近くから38番のバスを捕まえて、サン•ミッシェルまで戻ってきました。ホテル近くのモノプリで飲み物やサラダや果物を買って、窓を全開して涼しい風の入ってくる部屋でお茶を飲みました(私が最初の発見者かもしれませんが、マリアージュ•フレールのマルコ•ポーロという茶葉は、クスミ•ティーのサンクトペテルブルクというお茶とそっくりです)。心に余裕ができたのは、妻が昨日と打って変わって元気になったからです。一休みして、7時頃ホテルを出ました。21番のバスに乗り、パレ•ロワイヤル•コメディ•フランセーズで降りました。そのまま、正面のサル•リシュリーに入場。入口でタキシードの男性係員が妻の和服姿を見てニッコリ笑いました。白人がほとんどのコメディ•フランセーズで、アジア人は珍しい上に和服姿とは、たぶん意表をつかれたのでしょう。ところが、館内に入って驚いたのは、席に案内してくれた女性が何と日本の方だったことで、とても丁寧で親切に誘導してくれました。私たちはその女性に頼んで二人の写真を撮ってもらいました。世界中どんなところにも存在するものは何か、というクイズがありますが、答えは日本の女性で、驚くことに、この日の舞台のダンス振付をしたのも日本の女性、Kaori Ito という人でした。

    さて、今日の演目はヴィクトル•ユゴー原作の『ルクレツィア•ボルジア』です。希代の悪でイタリア史を毒々しく彩るボルジア家の、その華というべき女性ルクレツィア。久しくこのボルジア家に興味を持っていたユゴーは、ルクレツィアの中に相克する母性と悪を抉り出そうと、30歳の時に、わずか12日間でこの戯曲を書き上げます。あらすじは簡単。若過ぎた結婚のゆえに出来た子供と赤子の時に別れねばならなかったルクレツィアは、成人し美青年の士官なった子供とヴェネチアで再会します。その子ジェンナーロは実の母を知らず、実の母は優しい天使のような女性と思っています。ちょうどその時、ジェンナーロの5人の親友たちが、ルクレツィアに面と向かって罵声を浴びせかけます。この5人のいずれもが家族や叔父をルクレツィアに謀殺されているからです。公衆の面前で恥をかかされたルクレツィアは、この5人への復讐を固く誓います。

    映画『ゴッドファーザー』の見所は、最後の一斉の暗殺ですが、『ルクレツィア•ボルジア』もその最後が見所です。5人を巧みに宴会に呼び寄せた彼女は、宴の最後に有名なシラキューサの毒薬入りワインを全員に飲ませます。いきなり照明は消え、窓外から修行僧たちの葬送の歌声と鐘の音が聞こえます。次の間の戸が開け放たれると、そこには五つの棺桶が並んでいます、、、。しかし、ルクレツィアの誤算は息子のジェンナーロもワインを飲んでしまったことです。ジェンナーロは親友を殺した母親を怒りで刺してしまいますが、死の直前に彼女は自分がお前の母親であると告げるのです。

    妻と私は日本でこの原作を読んで、ともに感嘆してしまいました。無駄の一つもない台詞、クライマックスに至るまでのテンポの良さ、最後の目の覚めるような仕掛けと、まさにユゴーの天才を思わせる傑作です。ところが、な、なんとドニ•ポダリデスの演出はルクレツィアを中年の男性俳優が、ジェンナーロを若い女性が演じるようにしてしまっているのです。何を考えているのか、いや考えていることは分かるような気がします。以前、『セヴィリアの理髪師』をバスチーユのオペラ座で観たとき、すべてアラビア様式に変更してあって失望しましたが、それはアメリカのイラク侵攻に対するフランス人の反感の表明が背景にあったのです。今回はおそらく男女平等の観点から、女性が恐ろしい殺人鬼であるという印象を弱めるためでしょう。男がルクレツィアを演じ、女がジェンナーロを演じることで、女性が毒婦、男性が純粋な青年という図式を中和しようとしたのです。もしそうだとしたら愚かなことで、ユゴーの戯曲の価値を半減したと言ってもいいくらいです。芝居は、信じられない情景から始まります。上半身裸のルクレツィア•ボルジア(Guillaume Gallienne)が現れ、徐々に、カツラ、ドレスを着せられて「女性」になっていくのです。フィガロ紙はこれを日本のonnagataを連想させると書いていましたが、歌舞伎の様式化された美と比較するのはどうかと思います。

   各紙の評価がみな好意的なのは解せませんが、キャスティング以外はコメディ•フランセーズらしく素晴らしい。わくわくさせる舞台装飾、めいっぱい盛り上げる音楽と照明効果、そして典雅で高価な衣装はクリスチャン•ラクロワが担当しています。私は、特に、若い士官役のジェンナーロを演じたSuliane Brahimに魅了されました。大柄な男たちの中で小柄で華奢な彼女が軍服を着て舞台を縦横に動きまわるのが何とも可愛らしい。なお、コメディ•フランセーズは6ユーロから観ることができるので、40人余りの劇団員の中でお気に入りを見つけたら、AKB劇場ではないが毎日観に行けそうです。

    上演が終わると大変な拍手、熱狂はなかなか収まりません。私たちは興奮冷めやらぬままサル•リシュリーを出て、またまた21番のバスに乗ってサン•ミッシェルまで帰ってきました。昼にモノプリで買っておいたワインを二人で飲んで、また演劇談義に花を咲かせました。いろいろ不満はあるが、今日の舞台が私たちが見たコメディ•フランセーズの中でもっとも面白いものだったことには二人の意見が一致しました。

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サン・モール通りとジャン・ピエール・タンボー通りの交差点にあるオ・シャノワール。生ビール2ユーロ、コーヒー1.4ユーロ、パスティス2.2ユーロと安い。通りの名は労働総同盟の闘志で、ナチスに銃殺されたジャン・ピエール・タンボーにちなんだもの。オベルカンフはサンジカリストの本拠地で、それに由来する建物も残っています。

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サン・モール通り116、リブラリール書店。児童書から哲学書まで、そろった総合書店。つい立ち寄りたくなる親しみやすい書店です。

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リブラリール書店の店内。写っている人は二人とも書店員さん。専門分野にはとても詳しい。

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労働者や移民のいる下町の書店だが、並べられている本の質の高さは、メルロ=ポンティの『パルクール・ドゥー』やマーチン・ジェイの『クラカウワー・亡命者』が平積みされていることからも分かります。

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オベルカンフのもう一つの本屋、オベルカンフ通り84番地、リマジグラフ書店。総合書店だがアート系と児童書に強い。リブラリールと甲乙つけ難い質とサービスを持つ書店です。

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オベルカンフ通り109番地、カフェ・シャルボン。石炭商の歴史的看板や装飾は保存が義務付けられています。

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カフェ・シャルボンの店内。中二階もある高い天井、時代的な装飾、鉄製の椅子など、ノスタルジックあふれる店です。

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カフェ・シャルボン特製のビール(4.6ユーロ)。朝から飲むビールも旅の楽しみです。

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オベルカンフ通り99番地 Le Mecano Bar。ここも有名な店。元工具店のインテリアをそのまま使っています。看板などを変えることは許されていません。オベルカンフには良いカフェやバーが多く、このメカノ・バーの向かいには Chez Justice が、ジャン・ピエール・タンボー通り62番地には L'Autre Cafe があります。

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マレ地区のサン・ドニ・デュ・サン・サクラメント教会にあるドラクロアのピエタ。ボードレールが激賞したことで知られていますが、堂内は暗くて、はっきり見えませんでした。

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17rue de saintonge ビストロ、シェ・ネネス。味も値段も評判どおりです。

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シェ・ネネスの料理。手前が七面鳥のエスカロップ、向こうが牛肉のステーキ・インゲン豆添えです。

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シェ・ネネスの店内。開店直後で他の客はいません。赤いギンガム・チェックのテーブル・クロスは大衆食堂の証です。

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マルシェ・アンファン・ルージュの隣にある書店 Comme un roman。マレを代表する書店だが、文学書の占める割合が多い。

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パリ天文台の近くの Port Royal 駅。のんびりとして好ましい地区です。安全地帯には、「左を見て、それから右を見なさい」との看板が。フランスの車道が右側通行であることを忘れる日本人向けの看板でしょうか。

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パリ天文台。グーグル・ストリート・ビューより。手前を横切るカッシーニ通りにはバルザックやアラン・フルニエの住んだ家があります。なお、パリ天文台はコルベールの提言に基づいて1671年開設。現在も稼動する天文台としては世界最古。カッシーニ、アラゴ、ルヴェリエなどが歴代台長を務めた天文マニアの聖地の一つ。建物の設計は童話作家シャルル・ペローの兄クロード・ペロー。

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フンボルト兄弟・精神のヨーロッパ展の入口。左が兄のヴィルヘルム、右が弟のアレクサンダー。

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展示を見に来る人は老人のみ。係りの黒人も手持ち無沙汰で、ケースに触れただけで注意しに飛んできます。

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アレクサンダー・フンボルトの遺品から。鉱物、魚類、生物などの収集。立派なノートと器械には圧倒されます。

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パリ天文台の初代館長を務めたジョヴァンニ・カッシーニ(1625~1712)。土星の四つの衛星を発見し、その名はアメリカ・ヨーロッパ共同開発の土星探査機カッシーニにつけられました。

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フランソワ・アラゴ(1786~1853)。天文学ばかりでなく、光学、電磁気学にも巨大な足跡を残した偉大な学者。アレクサンダー・フンボルトとの交友関係は終生続きました。

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天文台を出たところで偶然発見したアラゴのメダル。子午線弧の測定によりメートル(北極から赤道までの一千万分の一)の基準を確定するに力あったアラゴを記念してパリ子午線に沿って9キロあまりに135個埋め込まれた銅製のメダル。現在は半分以上が盗難、もしくは道路整備によって取り外されているとのこと。なお、1884年、国際子午線会議でグリニッジが本初子午線に選ばれた後も30年間フランスはパリ子午線を0度とするパリ経度の使用を続けました。

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サル・リシュリー二階の廊下。ミュッセ、ボーマルシェ、マリヴォーらの胸像が圧巻です。

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有名な「モリエールの椅子」のこれは本物。1673年最後の戯曲『病は気から』の上演の際、モリエールが実際に使用したもの。舞台で倒れ、その数時間後、彼はおそらく胸の病気で、51歳で亡くなりました。

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開演前のわくわくする時間、コメディ・フランセーズは6ユーロから41ユーロまでの低料金で高いレベルの芝居を楽しむことができます。

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アンコール。たいへんな拍手です。

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今日買ったイエイツの『科学とヘルメス的伝統』とコメディ・フランセーズのパンフレット。

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ユゴーの原作本。ルーミーが爪とぎ板を枕に寝ています。

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