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2014年7月26日 (土)

オデオン広場へ(3)オペラ座のモンテヴェルディ

6月22日(日)
    6時ぴったりに目が覚めました。昨日の残りのパンとコーヒーを飲みながら、日曜の朝にどのチャンネルでもやっている幼児向けのアニメを見ました。主人公があまりかわいくないと思うのは、たぶん私が日本人だからでしょう。8時頃、ホテルを出て、例によって、オデオン経由でサン•シュルピス広場まで歩き、 またまたヴュー•コロンビエ通りまで行きました。道々驚いたのは、昨夜の音楽の日の喧騒の残りでしょうか、酒のビンがあちこちで割られていて、歩道に瓶の破片がたくさん残っていることです。おまけに菓子の袋、サンドイッチの残りなども散らかっています。それらがまだ残るアルコールと混じって、朝の強い日差しを受けて、なんとも言えぬ不快な匂いを漂わせています。むろん、掃除の人たちもいるにはいるのですが、今朝ばかりは焼け石に水でした。

    今日は日曜で、私たちは日曜だけ開くラスパイユのビオのマルシェに行こうとしたのです。ところが、着いてびっくりしました。日本人の多いこと、そのほとんどは若い女性でしたが、マルシェの入り口にあるメトロの階段から次々に上がって来ます。階段の下の方からは、何と日本語で、スリ•置引に注意して下さい、カバンはしっかり締めて体の前に、、、などというアナウンスが聞こえます。出店している店も、金曜のマルシェと違って、日本語で、スープ3ユーロとか書いた紙を張り出している店もあります。うっかりしましたが、この日曜のビオのマルシェは今や日本人の観光の定番になっているらしいのです。しかし、このラスパイユのマルシェは規模も小さいし、これならバスチーユの方が面白いと思うのですが。私たちは、キッシュ•ペイザンヌ(田舎風キッシュ)を買ったのですが、トースターが使えないらしく、鉄板で温めてくれるのを椅子に座って5分ほど待ちました。それからパンを売っている出店でクロワッサンを二つ買って、近くのセーヴル•バビロンのスクウェア•ブシコーという小さな公園でベンチに座って食べました。

   それから、バスの切符を買おうとしてセーヴル•バビロンのメトロの窓口まで行くと、自動販売機で買えと言っています。販売機にはすでに3人並んでいるので、いいや、バスで買おうと思って戻ろうとすると、駅員が出て来て、一緒に買ってやると言っているようです。販売機の買い方が分からないと思ったようですが、そうではなく、順番を待つのが嫌なだけなのですが、そう説明することも面倒なので、駅員と並んで待っていました。販売機にはタッチパネル式の新式の物と、回転棒を回す旧式の物があります。私の順番が来て、旧式の器械であることを確認すると、教えようとする駅員の手を遮って、メガドライブの高速アクションゲームで鍛えた技で、言語ーフランス語ーvalider、切符ー大人ーvalider、、、と回転棒をすごい速さで動かしてあっという間に切符を買ってしまいました。駅員が驚きの声(何といったか分からなかったが)をあげたのは言うまでもありません。

    バスでオテル•ド•ヴィルまで行って、まだ入ったことのないサン•ジェルヴェ•サン•プロテ教会に行きました。ところが、まだ午前中のミサの真最中で、一番後ろに立ってひそひそ声で妻に話しかけていたら、前で熱心に祈っていた中南米系の子供に睨みつけられました。妻にも叱られて、すぐに出て来ましたが、パリ市役所裏の、いわばパリの中心の教会なのに参加者のほとんどは南米系か黒人です。白人もちらほらいますが老人ばかりで、そういえばパリの教会のミサはたいていこのような人種構成になっていることを思い出しました。

   ぶらぶら歩いてポンピドーセンターのブティックへ。土産物に面白いものがあるかと思ったが、全くロクなものがありません。ただし、ブックショップの写真集の品揃えはすごい。おそらくパリ一番でしょう。マレ地区のランビュトー通り、フラン•ブルジョア通りと妻が好きそうなブティックを巡って歩いていると、だんだん人が出て来て、狭い通りはどこもいっぱいになって、ちょうど昼時なので、どこのカフェ、サロン•ド•テも人がテラスに溢れています。ここでもたくさんの日本人とすれ違いました。ビストロに入るほどお腹が空いていないし、といって満員のカフェに入る気もしないので、私たちは、カルナバレ美術館の横のpayenne 通り11番地にある歴史的建造物Hotel de Marleの中のスウェーデン文化センターが開いているカフェ、Le Cafe Suedoisに向かいました。入り口は分かりにくいのですが、門のようなところを入ると、すでに中庭にしつらえたテーブルに何組か客がくつろいでいます。暑かったので、私たちは建物の中に入り、セルフサービスの店内で、妻は今日のスープ、私はサンドイッチとコーヒーを注文しました。妻のスープは緑色の草を煮たような冷製スープで、妻はすぐに飽きたので、残りは私が飲みました。横の棚にあったスウェーデン料理のレシピ本で調べると、どうも ortie(イラクサ)のスープらしい。爽やかで健康的だが、やや飲みにくい。このカフェは実はスウェーデン文化のショールームでもあり、感じの良い女性店員の暖かいサービス、マレの喧騒を忘れさせる中庭の開放感は、やはりマレ唯一の穴場といってよいでしょう。

   バスに乗るためにサン•タントワーヌ通りをバスチーユに向かって歩きました。日曜なので、バスの数がとても少ない。バスチーユの東側に伸びるフォーブール•サン•タントワーヌ通りと比べて、リヴォリ通りから続くサン•タントワーヌ通りはずっと華やかで、人通りも多いようです。バスチーユ広場にたどり着く手前に Librairie la Belle Lurette という本屋がありました。フランスの書店の名前には凝ったものが多いのですが、これはとりわけ美しい。Belle Lurette とは「ずっと昔に」という意味で Lurette は l'heure(時間)の古型のようです。通りを挟んで、児童書専門店 la belle Lurette jeunesse もあります。店内に入ってみると、これほど主張の強い書店も珍しい。平積みの本にはだいたい推薦文が手書きで留められており、並んでいる本も文学書が主だが、非常に個性の強い品揃えです。妻が猫の写真集を買おうとして、レジに向かおうとしたら、店主と顧客らしい夫婦の熱心な会話が始まってしまったので、買わずに出て来ました。 読書相談に応じるというのはパリの町の本屋の欠かせないサービスで、それはむろんスタッフの半端でない読書量に裏打ちされているのです。実はこの本屋の店名はジャーナリストで作家、雑誌コンバでカミュの同人だった Henri Calet(1904〰1956)の自伝的小説 La Belle Lurette から来ているのです。1936年に出たこの本は、パリの裏町、ビストロ、小便の匂いのするアパルトマンなどを描いてbelle epoqueの残照とも言えるパリの風景を書き残しました。このような半ば忘れられた本を発掘するというのもこのLibrairie La Belle Lurette の使命としているようで、たとえばジャン•ロランの本を多く出している Edition Chat Rouge の書籍の紹介などもその一環のようです。

   ところで、フランスは活字文化を守るという信念から、個人書店の経営にさまざまな優遇措置をとっています。店を出す時の援助、低金利の融資などですが、もっとも強力なのはやはり反アマゾン法といわれる無料配送を禁止する法案でしょう(これは6月26日に可決)。自由競争の原則に反するとしてアマゾン側は反発を強めるでしょうが、フランスの文化的抵抗のしぶとさを忘れてはいけません。便利なものだから採用するということをフランス人は決してしないのです。日本ではありふれた自動ドアなど、パリではホテルや空港などでしか目にしません。蛍光灯などもホテルや住居で使われるのはまれです。日本での普及は100パーセント近いアルミサッシもフランスでは全く人気がありません。昔ながらのフランス窓や、両開きの木製の窓が普通です。パリの周辺では高層ビルとなった大学の建物が誕生していますが、勉強する雰囲気という点でパリによくある19世紀の建物を懐かしがる学生も多いそうです。パリの個人書店で在庫にない本を注文すると2日で取り寄せるそうですが、その日に届くようなAmazonと比べ、その便利さとフランスの個人書店の持つ文化的意義を比べると、どうでしょうか、私はむろん後者をこそ採るべきだと思われるのです。

   ところで余談ですが、我が家はむろんアマゾンにたいへんお世話になっています。一昔前の、洋書を注文する時の面倒なやりとり、実物が意に沿わなかったときのがっかり感は今でも忘れられません。日本の書店の洋書部の店員の横柄さ、店先に並べている洋書を買うような人間を軽く見る彼らの思い上がった態度、そのようなものがすべてアマゾンで解消された時、たまらない痛快さを感じたのは否定できません。神保町の洋書専門店のローマ神殿風の大仰な建物の一階が児童書専門店に頽落した時、時代の変化、淋しさと同時に奢れるもの久しからずの感を強くしました。また、日本の普通の書店の急激な減少は私には何の感慨も呼び起こしません。すでに神保町の東京堂以外私の好きな本屋は無くなっていたのですが、その東京堂も今はあまりに変わってしまいました。廃れて寂しくなる本屋など日本には少なかったのです。私はむしろ、スーパーの片隅にあるような、コロコロコミックが積んである、おばさんが一人レジに立っている、雑誌と文庫ばかりの本屋を愛します。そこにだけは、パリの本屋には見られない心地よい「抜け感」といったものがあるのです。

   さて、この辺りから妻が疲れ始めました。しかもタッチの差で86番のバスに乗り遅れて、仕方なく地下鉄でサン•ジェルマン•デ•プレまで帰りました。スーパーで飲み物などを買って帰ろうとしたら、日曜の午後はどの店も閉まっています。止むを得ず、ホテル近くのトルコ人の食料品店で冷えたシュウェップスや水を買って帰りました。五時までゆっくりベッドで寝転んで休んで、それから妻は観劇のためまた和服を着はじめました。7時の開演に合わせ、五時半頃ホテルを出発、サン•ミッシェル通りから、21番のバスでオペラ•ガルニエへ向かいました。この21番は日曜も走るし、深夜近くまで走ってもくれる、カルチェラタンとオペラを結ぶ最強のバスです。

    早目に到着。中のブティックでグッズを見ながら時間を潰します。まもなく開場、席は3階の正面のstrapontin(ストラポンタン)つまり補助席です。壁に折りたたんである座席を下ろして座るのですが、座席が小さい分、辺りが広くて、立ち座り自由で気楽です。これで45ユーロは高い気もしますが、正面のこの高さの席を望んだのは私で、なぜかというと、フランス語の字幕がいちばん読みやすい場所だからで、字幕が見ずらいとイタリア語の歌詞の内容がわからず退屈で寝てしまうのです。

   さて、今夜の演目は、ルネサンス•バロック音楽の巨星、モンテヴェルディの現存する三つのオペラの最後の作品で、かつ彼の最高傑作と言われる『ポッペアの戴冠』です。あらすじを紹介しましょう。ローマ皇帝ネロは、将軍オットーネの妻であるポッペアと相愛の関係になります。ネロの妻、つまり皇后のオッターヴィアはそれに怒り、オットーネを焚きつけてポッペアを殺害しようとします。しかし、計画は失敗し、ネロは都合よくオッターヴィアを追放し、晴れてポッペアを皇后に迎えることでオペラの幕は閉じます。

   何ということもないあらすじで、勧善懲悪どころか悪の勝利を賛美する内容のようにも見えます。しかし、オペラの冒頭で愛の神が美徳の神と幸運の神に自らの優位を歌い上げるように、これはルネサンスの精神から生まれた情熱的な愛の賛美なのです。ネロの心底から絞りでた愛の言葉に心を動かされない人はいないでしょう。私はまた、ネロの不倫を諌めるがゆえに、ネロから自殺を強要されるセネカの悲痛の歌にも感動しました。ともかく、音楽は他のモンテヴェルディ作品と同じように澄み切って美しい、歌手の歌声も最高に心地よく響きます。ところが、ここに問題があって、バロックオペラの限界か、それとも長所か、動きがなく、物語の進行はすべて登場人物の歌による説明で済まされます。各場面とも、歌手が互いに面と向かって歌うのでなく、皆、観客の正面を向いて歌うのです。YouTubeで見たイタリアでの上演ではかなり情熱的に演じられていましたが、ここオペラ座ではかつてのバロック•オペラをさらに動きを少なくして、歌声のみで演技をし、歌手はマリオネットのようにぎごちない動きしかしません。

   実は、このオペラ座の『ポッペアの戴冠』の舞台演出•舞台デザインは、あのRobert Wilsonが手がけているのです。常に青みがかった舞台、メタリックで簡潔な装置、絶妙なまでのシンプルな構成、生真面目さと滑稽さ、冷熱ともいうべき感情の吐露、どこをとっても美的にこれ以上削れないほど研ぎ澄まされた演出、「オペラ座に来た観光客には、この美しさはとても理解できないんじゃないの」と、妻はまるで自分が観光客であることを忘れたような言い草です。「いや、(私たちのような)観光客にでもそれがわかる。というのもロバート•ウィルソンは、きちんとした一貫したイメージを与えることに成功しているからだ。超現実的なイメージ、それが美的だと思える時はほとんどないのだが、その稀有な例がこれだ。現実を離れ、現実では許されることのない陶酔や精神の惑溺を与えてくれるものがオペラだとすれば、まさにこれこそオペラだ」と半分は寝ていた私も偉そうに批評を垂れました。

   しかし、幕間休憩を挟んで三時間半の観劇はさすがに疲れました。オペラ大通りで21番のバスに乗り、サン•ミッシェル通りの停留所で降りると急に力が抜けたように感じました。ホテルの部屋でお茶を飲むと、妻はただちに眠りに落ちてしまいましたが、私は窓を少し開けたまま、ソルボンヌ医学部の古い塔についた灯りを眺めていました。

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ラスパイユのマルシェに行く途中、カセット通りで。パリの街路には100パーセント歩道がついています。

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セーヴル・バビロンでバスを待ちながら。

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ポンピドーセンター一階のブックショップ。アート系の本ばかりぎっしり並べられています。

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マレ地区の静かなカフェ、Le Cafe Suedois。写真のサンドイッチとコーヒーで8ユーロ。妻のスープは6ユーロ。食器、椅子、テーブルはむろんイケア製です。フランス人にはない(?)心温まるサービス。

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Le Cafe Suedoisのテラス。暑い日だったのに白人はテラスが好きです。

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26rue St Antoine Librairie La Belle Lurette。街の文化を担う書店として、積極的に客と対話を持ちます。

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パリの書店のウインドーは重要な宣伝手段です。今の季節はバカンス向けの本が多いが、La Belle Luretteの窓には「あなたの読書に、ちょっとスペインを」と題して、スペインの小説、ノンフィクションが並びます。

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La Belle Luretteの店内。難しい本でなく面白い本を、巷の評判よりも店主の眼力を、そんな信念のうかがえる本屋です。

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オペラ座の入り口で開場を待つ人たち。この場所でどれだけの現実のドラマが演じられたでしょうか。

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開演前、オペラ座のブティックで。

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これも開演前、大階段で写真をとる人々。

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幕間、ロビーのバーで。

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これも幕間、この位置が字幕がいちばん見やすい。

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舞台の最後の出演者全員の挨拶、たいへんな拍手です。

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オペラ座のホームページから。プロローグ、愛の女神が美徳と幸運の女神を言い負かす。ロバート・ウィルソンのすばらしい舞台デザイン。

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ホテルの近くでバスを降りると、サン・ミッシェル通りのBoulinier書店はまだ営業していました。夜の11時に古本を漁る人々。

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2014年7月19日 (土)

オデオン広場へ(2)音楽の日•オデオン座のシラノ

6月21日(土)
   5時30分に起床、バスの音に目が覚めてしまいました。日本から持ってきたポットでコーヒーを沸かして飲みました。8時50分に出発、サン•ジェルマン•デ•プレのカルフール系のスーパー「マーケット」に行ってサラダなどを買って、セーヌ川に出て川面を眺めながら食べようと思ったのです。l'Ecole de Medecine通りは、左側にパリ大学医学部、右側に医療博物館が続いて、そのままオデオンの交差点に突き当たります。そこでサン•ジェルマン大通りを渡り、セーヌ通りのスーパーで食べ物を買って、フランス学士院のところから岸辺に降りて、ベンチに座って朝食を食べました。ここには、おそらくセーヌ川でもっとも人気ある橋、ポン•デ•ザール(芸術橋)が架かっています。

   2007年にパリを訪れた時、この芸術橋の軽やかさ、木の床板を踏む面白さ、セーヌに面する学士院のドームの美しさになんとも言えない心地よさを感じていました。車の通らない歩行者専用橋だからかも知れません。すでに以前からパリ有数の人気スポットだったのです。ノーベル物理学賞を受賞したルイ•ド•ブロイは最晩年、毎朝ルーヴルで地下鉄を上がるとこの芸術橋を渡って学士院の一室に通っていました。モンパルナス•タワーが出来るまでは、ここがパリでもっとも美しい都市風景の一つだったからです。

   ところが、2008年頃から芸術橋の網の柵に二人の名を書いた南京錠を掛けるカップルが目立ち始めました。当初はパリ当局も、恋人たちの愛のささやかな確証ということで大目に見るというか、むしろ観光客を呼び込む話題になるとでも考えていたのでしょう。まったく、民衆のパワー、いやDQNのパワーに対する無防備さには呆れますが、今年の6月9日にはついに錠の重さで橋の一部が崩壊して通行禁止となりました。その後一新して橋は再開しましたが、一月も経たないうちにもう鍵がいっぱいぶら下がっています。私は芸術橋の再生はもう無理なのではと思っています。錠ばかりでなく、すでに橋の落書きもひどいし、新生しても繰り返しDQNの餌食になるでしょう。

   芸術橋の近くの岸辺のベンチに座って朝食を食べました。朝なので清掃車がゆっくりと岸辺のゴミ袋を収集しています。私たちの前を通る時、運転席の白人が Bon appetit ! と言って手を振りました。岸辺に停泊している船には赤、青、黄などの三角の旗がはためいています。はやくもバトーパリジャンが大勢の観光客を乗せて私たちの前を通り過ぎて行きます。スーパーで買ったサラダは食べても食べてもなかなか無くなりません。ザクロのヨーグルトとチョコレート•ムースも食べて、お腹がいっぱいになってから立ち上がって、ゆっくりとまたセーヌ通りをサン•ジェルマン•デ•プレに向けて歩き始めました。

   サン•ジェルマン•デ•プレの有名書店 La Une に入りたかったのですが、なぜか閉まっていました。それで、カフェ•フロールの隣りの L'Ecume de pages に寄ってみました。ここは以前妻がクルテイウスの『バルザック』を買った店で、文学に特色があり、洗練された品揃え、ずらっと揃ったプレイヤード文庫、充実した詩の棚など、何時間いても飽きない感じですが、妻があまり元気でなかったので早目に出てきました。

   大通りを渡り、サン•シュルピス広場の骨董市を冷やかして、サン•シュルピス寺院のドラクロアを久しぶりに鑑賞し、少し休んでからサン•シュルピス通りを西に歩いてヴュー•コロンビエ通りに入ってすぐ左手にある Au Parloir du Colombier というサロン•ド•テの前で足を止めました。Parloir(修道院、学校、刑務所の面会室•談話室)という名前からして怪しい。12時15分の開店にはまだ15分ばかりあるのですが、腰の曲がった90歳近い老人がテラスの椅子をゆっくり運んでいるので、入っていいか聞くと、口でもぐもぐ何か言っています。いいよ、と言っているように感じたので、中に入って窓際の一番良い席に座りました。大きな窓は広くヴュー•コロンビエ通りに向かって開かれています。老人は何かに掴まってないと歩けないらしく、非常にスローペースで店の準備をしています。やがて、メニューを持って私たちの元にやってきました。 サロン•ド•テにしては値段はとても安い。私たちはお腹が空いていなかったので、1.6ユーロのカフェ•クレームを二つ頼みました。

   実はここはキリスト教のサロン•ド•テなのです。普通のサロン•ド•テはたいてい観光客目当てのやや高い値段設定ですが、ここは普通の店の半額以下です(グラスワイン1.6ユーロ)。店は狭く、テーブルも無骨な木製の古いもの。壁にはキリストらしき像や、法王らしき写真もあります。場所はまず一等地だし、ちょうどお昼の時間ということで、観光客らしき人がだんだんと入ってきました。驚くべきことに、くだんの老人一人で店を回しているらしく、不自由そうな体を休める暇なく働いています。フランスにはこのような、決して人に頼らない、懸命に頑張って生きているような老人をたくさん見ることができます。隣のテーブルにフランス語の話せる旅行者の男性が座って、老人にキッシュの種類を尋ねていました。老人が順番にキッシュの種類を教えているのですが、耳が遠いのか声が異常に大きく、しかもはっきりした発音でないので男性は分かりづらそうです。三つか四つ目かを聞いたあとで、男性は老人を遮って、プルミエール(最初のでいいよ)と言ったのには思わず笑ってしまいました。私はこの店がたいへん気に入りました。モンブラン1個とコーヒー1杯で2000円とる店(むろん、リヴォリ通りのアンジェリーナのことです!)とはずいぶん違いますが、ここは座っているだけで気持ちが和み、心が開かれて行くような気がします。
    それからボナパルト通りを上に上がって、サン•ジェルマン•デ•プレの交差点近くのモノプリの地下で、水、ワイン、サラダ、お菓子、桃、みかん、トマト、ハムなどを買いました。レジの横に置いてあった Le Parisien もついでに買いました。昨夜のサッカーの模様(途中で寝てしまったので)を知りたかったのです。2時ごろホテルに帰って来ましたが、ホテルの隣の映画館の前で二人の青年が Liberation の販促をしていました。通行人を捕まえて、Liberation の宣伝を必死にしているのです。私が興味深げに見ていると、日本人かと聞いてきたので、そうだと応えると2.6ユーロのLiberation 週末特別号ミシェル•フーコー特集をくれて、私がいくらですかと聞くと、無料だと言うのです。私はうれしくなって、思わず握手してしまいました。青年は、少し離れたところに立って写真を撮っている妻に気づいて手を振っています。妻によれば、私がこんなにうれしそうな顔になったのは久し振りだとのこと。ところで、当の liberation は何度か経営危機に陥って、経営者側と編集部との確執も表沙汰になりました。原因は発行部数の落ち込みで、今や10万部を切るかどうかというところまで来ています。フランスの日刊紙は、インターネットと無料新聞の影響で落ち込みが深刻ですが、それでもLe Parisien の40万部、Le Figaro, Le Monde の30万部と比べると急な低下です。

   ホテルの部屋に戻ったら、部屋はきれいに掃除されていたものの、妻が折り紙で作った箱の中に入れておいた1ユーロのチップがそのままです。廊下で黒人の女性がまだ掃除をしていたので、妻は慌てて廊下に出て、チップを渡していました。シャワーを浴び、飲み物とハム、サラダ、果物など食べたら、妻は疲れたので夜の観劇まで寝てるから、一人で本屋まで行ってきたらと私に言いました。今回の旅行は、妻の体の不調の時期と重なったので気の毒でしたが、一人で部屋に残して行くのも心配です。躊躇しましたが、一時間で帰ってくると行って、ホテルのすぐ並びにあった Gibert Joseph に入ってみました。とにかく大きな書店で児童書、探偵小説、専門書まで無いものは無いようです。政治哲学と宗教のコーナーだけであっという間に一時間経ってしまいました。この書店の特長は新本と古本が同時に置いてあるところで(しかも様々な版も一緒に)客は好きな方を選ぶことができます。それが面白いので、時間さえ許せば一日中でもいられそうですが、やはり大型書店特有の人の多さにはうんざりしてしまいます。

   ホテルに帰ってみると、妻はぐっすり寝ていたらしく、眠そうに顔を上げました。コーヒーを沸かして、いろいろ話しながらお菓子を食べて、その後私が新聞を読んでいると、妻は早速、観劇の準備に和服を着はじめました。オデオン座はすぐそばで、しかも8時に開演ということでしたが、天気の良さに誘われて7時にはホテルを出てしまいました。実は今日、6月21日は年に一度の音楽の日なのです。たいてい暗くなってからあちこちで演奏が始まるのですが、途中のムッシュ•プランス通りの階段ではすでにアマチュアバンドが景気よく吹奏楽のメドレーを演奏しています。オデオン広場に入ると、これは大変、臨時のビアガーデンが設けられ、人混みは半端ありません。オデオン座の2階のカフェには注文する人が並んでいます。なぜか20分前になっても客席に入れないので、仕方なくカフェの端の空いている席に座って待っていました。

   開演15分前にやっと開場。中に入って、その理由がわかりました。すでに劇は始まっているのです。空っぽの客席を背景に、舞台中央の椅子に背中を向けて座っているのはフィリップ•トールトン演じるシラノ•ド•ベルジュラックです。徐々に客席が埋まって来ますが、場内のざわつきにもびくともしません。白いタンクトップを着たシラノの頭には血の滲んだ包帯が巻かれています。実は、このシラノ•ド•ベルジュラックは精神病院の食堂か談話室か治療室のような無味乾燥な部屋で全てが演じられるのです。精神病院が舞台というと、ミロス•フォアマンの『カッコーの巣の上で』やピーター•ブルックの『サド/マラー』が有名ですが、シラノのこの劇はずっと複雑な入り子構造になっています。

   さて、『シラノ』のあらすじを復習しましょう。才気煥発、文学的才能に加え当代の剣の名手、実在したシラノ•ド•ベルジュラックは唯一の欠点、巨大な鼻を持っていました。それゆえの劣等感が、彼に従妹の美少女ロクサーヌへの告白を躊躇させたのです。そこに美青年だが頭が空っぽのクリスチャンが登場します。ロクサーヌとクリスチャンは相愛だが、クリスチャンには恋人に必須の愛の言葉を語る能力がないため、二人はキスにさえ至りません。そこで同じ部隊の先輩剣士であるシラノが手助けして、クリスチャンの代わりを演じる有名なバルコニーの場面が登場します。シラノの援助で二人の思いは通じますが、直後に出陣したアラス攻囲戦でクリスチャンは戦死してしまいます。それから15年の歳月が過ぎ、修道院に入っているロクサーヌの元に毎週ニュースを聞かせに来るシラノ、しかし、その日は襲撃に遭って瀕死の重症、最後の思いをロクサーヌに伝えます。彼女はそこで、自分を感動させた人間が本当はシラノその人であったことを知るのです。

   エドモン•ロスタンが1897年に発表したこの戯曲は、たちまちフランス中を魅了し、名俳優コンスタン•コクラン演じるシラノは、ジャン•バルジャン、ダルタニャンなどを抑えて名実ともに国民的主人公となりました。その叙情性、その侠気、その謙遜、勇猛さと滑稽さ、純粋な心の美しさなど、これはまさにロスタンの世紀の傑作戯曲でしょう。しかし、これはあまりにフランス的な物語ではあります。イタリア人なら、たとえ自分の鼻が不細工であっても、ともかく告白しないという手はないでしょう。フランス的なプライドの高さというのか、スタンダールがフランス人の性格の中で最も嫌悪したものがまさにそれで、彼は叔父から、女に捨てられたら24時間以内に他の女をつかまえろ、そうしなければ全員に馬鹿にされるだろうと言われたことを書いています。とまれ、この作品は世界的にも知られた芝居となり、フランス国内でも様々な意匠で上演されています。しかし、ドミニク•ピトワゼの演出によるこの『シラノ』はレンヌでの初演以来各地で激賞され、主演のトールトンはモリエール賞を取り、最後にパリに凱旋して来ました。オデオン座での公演を Liberation のフィリップ•ランソンは、フランス全土を平定してついにパリに入城したアンリ四世にたとえています。(フィリップ•トールトンはさらに6月23日に批評家賞も受賞しました)

  定刻の8時、殺風景な舞台に安っぽい蛍光灯がつき、奥の扉が開いて、他の患者たちが入ってきます。皆は、『シラノ』の舞台の練習の後なのか、あるいはこれから演じる前の休憩なのか、思い思いにぶらぶらしています。一人はジュークボックスをかけてポピュラー音楽を大音量で流し、一人はふさぎ込み、一人は自分の股間をいじり、また一人は女性患者に詰め寄ったりしています。精神病患者の集団なので、何が起こるか全く予測できません。驚くべきことは、こんなデタラメな訳の分からぬ連中の集合なのに、芝居は原作とほぼ同じように進行することです。さすがにアラス攻囲戦とクリスチャンの死は唐突に処理されたものの、最後のシラノ週報の場の感動はむしろ原作を越えていると言ってよいでしょう。トールトンは最後に初演時のコンスタン•コクランの衣装のレプリカを着て、剣を虚空に構え、ロクサーヌの接吻を受け、Mon panache と言って倒れます。(記憶違いがあるかもしれません)。最後に流れる音楽は、Alain Bashung のComme un Lego でした。

   この芝居にはさらに注目するアイデアがあって、バルコニーで黒子のシラノがクリスチャンの代わりに愛を囁く名場面は、なんとシラノがエアー•マックでスカイプを通して話します。相手のロクサーヌの映像は天井から降りてきた大きなスクリーンに映し出されます。そしてまた、観客を飽きさせないのは驚きの連続の演出もあるのですが、無論、主役のフィリップ•トールトンの熱演です。「シラノには二極に分裂した心性がある」と彼はインタビューで語っています。彼はシラノ•ド•ベルジュラックなのか、それともシラノになろうとした男なのか、この演出はそれを劇的に解釈します。舞台の最後にシラノは死ぬのですが、シラノを演じようとした男も死ぬのです。役者の死によって現実が夢から覚めたように観客の目の前に露わになるのです。最初、後ろ向きに置かれた椅子に座っていたシラノは、最後に観客席の正面に向かれた椅子にもたれて死にます。物語のすべてが精神病を患う一人の男の夢であったとしても何の不思議でもありません。

   舞台終了と同時に観客は総立ちで拍手の嵐。無限のように繰り返されるアンコール、ブラボーの連呼、休憩なし2時間の上演はあっという間でした。普通は原本をくまなく読んで鑑賞に臨むのですが、今回はかなり台詞を変えてあるだろうと決めつけ、それほどチェックしていませんでした。あらすじを熟知しているので大丈夫だろうと思ったのですが、実際はほとんど聴き取れませんでした。聴き取り得意の妻でさえ、1割しか理解できなかったとのこと。しかし、十分面白かったのは演出の妙と主役の怪演によることもちろんです。

   終わって外に出ると、オデオン座の前は人、人、人でごったがえしています。夜の11時なのに、まさにこれから盛り上がるかのような熱気です。すぐそばのホテルに戻るかわりに、遠回りしてサン•ミッシェル通りに出て、この喧騒を楽しもうとしました。そこかしこで演奏する大小のバンドには、いずれも人が群がって大声を張り上げて歌っています。ソルボンヌ広場も人がいっぱいです。ゆっくり歩いて、人々の波の中を揺られるようにしてホテルに帰って来ました。残っている白ワインを飲みながら、今夜はうるさくて眠れないだろうと思っていたら、横になった途端、二人とも眠りに落ちてしまいました。

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芸術橋の南京錠。2.3週間前に張られなおした金網がすでに錠で埋まっています。岸辺から上がる階段にまでぶらさがっています。なお、妻の肩に掛けている袋は J.Vrin のもの(3.5ユーロ)ですが、わずか一日で肩紐がほつれてきました。哲学専門書店ならヘーゲル全集を入れても大丈夫なくらいしっかりしたものにしてほしいです。

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Au Parloir du Colombier の店内。カトリックの小物が目に付きますが、非常に開放的で感じのよいサロン・ド・テです。

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ヴューコロンビエ通り9番地のオ・パルロワール・デュ・コロンビエ。水~土、12:15-19:30。サン・シュルピス寺院のすぐ近くです。

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ホテルの隣の映画館の前で Liberation の販促をしていた青年に週末特別号をもらいました。

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モノプリで買ったパリジャンと販促でもらったリベラション。Le Parisien はスポーツ記事が充実しているがあまり知的ではない。競馬の予想が4ページもあります。Liberation のフーコー記事はたいして読むところがありませんでした。

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ジベール・ジョセフ書店の宗教書のコーナーにあったルネ・ゲノンの『現代世界の危機』は家にもありますが、右のエリック・サブレの『ルネ・ゲノン』は見たことがありません。が、彼の伝記にはあまり興味がないので買いませんでした。にしても表紙の肖像画はひどすぎます。漫☆画太郎の『地獄甲子園』の表紙を思い出しました。

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同じく、政治哲学のコーナーにあったフランツ・ローゼンツヴァイクの『救済の星』、Occasion(古本)で15ユーロ。安いが本の大きさを考えると持ち帰りは無理です。触って、ページを繰って、あちこち試し読みして、それで満足しました。

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音楽の日、夜7時過ぎですがむろんまだ明るい。l'Ecole de Medecine 通りから Monsieur le Prince 通りに上がる階段のところで演奏する、たぶんアマチュアの人たち。

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オデオン座二階のカフェの隅の椅子で。奥にブティックがあります。

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開演前、客席はまだまだ埋まってませんが、すでに主演のフィリップ・トールトンは舞台中央の椅子に座っています。

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『シラノ・ド・ベルジュラック』の舞台。殺風景な精神病院の食堂といった感じです。

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オデオン座のパンフレット。新聞雑誌の劇評でも、トールトンの演技は激賞されています。右はフラマリオン書店の出している原作本。

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今日は音楽の日。オデオン広場、夜が更けてもますます盛り上がるばかりです。

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こちらはソルボンヌ広場。学生たちのにぎやかな話し声が聞こえてくるようです。

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ムッシュ・ル・プランス通りも演奏の真っ最中。この周りは人でいっぱいです。

 

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サン・ミッシェル大通りの熱狂。もう11時をとっくに過ぎています。

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2014年7月12日 (土)

オデオン広場へ(1)到着•医学校通りのホテル

6月20日(金)
    夜10時15分発のエールフランスに乗るため、7時半には羽田に着きました。空港のレストランは高いので、おにぎりを作って持って行って、野立傘と赤い毛氈を敷いた床几に座って食べました。5個作ったのですが、二つずつ食べて、妻はもう食べられないというので、最後の一つは私が一口かじって泣く泣く捨てました。実はダイエット中なので食事制限しているのです。

    今年の2月、朝4時半頃に目が覚めて、ネットでいろいろニュースを見ていたら、突然激しいめまいがして、心臓がドキドキしました。めまいはよくあるものの、これほどのものは初めてなので、急いで血圧を測ってみると、見るも恐ろしい数値です。去年、伊豆の温泉でくも膜下出血で急死した知人のことが頭をよぎりました。これでは、6月にセーヌ川を散策する代わりに三途の川で石を拾っていることにもなりかねません。いや、確実にそうなっているでしょう。しかし、高血圧の薬は副作用が怖いので(他にも持病がたくさんあるので)、決心して、体重を減らす•酒を控える•塩分を減らす、を徹底して実行することにしました。これは言うに易く行うに難いことですが、新調した麻のジャケットを着てエールフランスのシートに座るか、白い経帷子を着て棺桶に入るかの差はあまりに大きい。ただちに、夜食を抜いて昼食は半分の量、朝は塩分の多いパンをやめて白米にしました。酒は週末の夜のみ、しかもワイン2杯と制限しました。そして毎日、体重と血圧を測ってノートに記録することにしました。

   これまでにもダイエットを試みたことはあったものの、いずれも成功しなかったのは切羽詰まった気持ちがなかったからです。しかし、今、自分が死のほとりに立っていることを自覚すると、もはや足踏みすることは許されません。それから4ヶ月間、無慈悲なダイエットを貫徹して体重を七キロ落とすことに成功しました。血圧は劇的な降下ではないが、危険水域を完全に脱して、これで倒れることはないと確信しました。体重が七キロ減ると体は随分軽くなったように感じ、妻と銀座に出かけてもすぐに疲れてしまうこともなくなりました。それよりも、特筆すべき変化が見られたのです。これまで自分は職場や知人•友人関係で要らぬ神経を使ってきた、極度の人見知り、対人恐怖症で、挨拶すら緊張し、日常の何気ない会話をできるだけ避けてきた、それがもうどうでもいいと思えるようになったのです。実際、自分の死を目前にして(それは世界の終わりと同等です)、なお考慮すべき事柄なぞある筈もありません。すべては副次的なこと、人生の最上の事と比べれば、まさにいい加減にやり過ごすべきことなのです。一方、細かな日常の手仕事は、逆に愛おしい意味を持ってきました。日々の食事、仕事で書く報告書、皿を洗ったり猫と遊んだりすることなど、一つ一つを最後の日の愛惜をもって行うこと、、、、。

   飛行機は定刻に羽田を離陸。痛風のためアルコールを取れなかった昨年とは違って、ウェルカムドリンクのシャンパンを飲んで、機内で貰ったliberation を読み始めました。今はたいへん便利な時代で、ネットでフランスのほぼあらゆる新聞を無料で(一部記事は有料)読むことができます。Le Monde, Le Figaroをはじめ、雑誌のNouvelle l'Observateur, Le Point, l'Express, Paris Match はもちろん、地方紙もよりどりみどりです。私はLe Parisien(パリの地方紙)はむろん、ブルターニュ地方の Ouest France, 南部のMIDI Libreにも目を通します。全国紙が黙殺する些細な交通事故や地方の裁判のニュースなどがなかなか勉強になるからです。しかし、私が毎日必ずすべての見出しとリードを読んでいるのは Liberation をおいてほかにありません。Le Monde は本格的で堅苦しいし、Le Figaro は保守的で退屈です。今、フランスでは insolit(習慣を逸脱した、異様な)という言葉が斬新さという意味を含めて褒め言葉となっていますが、Liberation はまさに insolit な記事を毎号載せています。また、掲載される写真もたいへん良い。日本の朝日や毎日などのネット版のニュースと大きく違うところはフランスの新聞のサイトの写真の美しさです。とくにliberation や Paris Match や20minutes などの写真は秀逸です。

   予定より30分早く、3時30分にシャルル•ドゴール空港に到着、5時50分発のエールフランスのリムジンバスの始発まで一時間ちょっとあります。バスの券売機の前のベンチで自動販売機で買ったコーヒー(⒈4ユーロ)を飲みながら待っていました。ちらほら日本人の姿が見えますが、時間通りに来たバスに乗ったのは全部で3人だけでした。まるで貸し切り状態で出発、朝早くの道路は空いていて、何と予定の半分ほど30分でポルト•マイヨーに着きました。ところが、ポルト•マイヨーで、いつもの82番のバスが30分待ちという電光掲示があってがっかり。屋根付き停留所のベンチには大きなバッグを枕がわりにした旅行者が眠っていて座れません。やっと来た82番に乗って終点のリュクサンブールを目指します。

    CDG(シャルル•ドゴール空港)からパリ市内へは主に四つのルートがあります。RER(パリ高速鉄道)B線に乗って北駅、サン•ミッシェル、リュクサンブールを目指す行き方、しかし、これは犯罪に会うリスクが高い。次にロワッシーバスを使ってオペラまで一直線、安いが混むのでだいたい座れません。3番目はタクシー、これは一番簡単だが運転手の当たり外れがあり、値段も一定しないし、途中でのバイク強盗の危険もあります。よって、私たちはエールフランスのリムジンバス、それも渋滞の多いリヨン駅•モンパルナス駅行きを避けて、エトワール広場行きに決めているのですが、凱旋門付近の混雑を避けて、終点一つ手前のポルト•マイヨーで降りるのが定番になっています。そこで、メトロの改札口でチケットを買って82番のバスに乗るのですが、このバスは私の大好きなアンヴァリッド(廃兵院)の前を通るのです。

   終点のリュクサンブールで82番を降り、キャリーケースを引っ張ってサン•ミッシェル通りをセーヌ川の方向に下り、リセ•サン•ルイ校の前を過ぎて、l'Ecole de Medecine 通りに入ります。その通りのすぐ右側にあるのが私たちが一週間宿泊するホテル•サン•ピエールで、場所はカルチェラタンとサン•ジェルマン•デ•プレの境、オデオンのすぐ隣という絶好の位置です。

   実は、今までのパリ旅行では、ホテルの選定はすべて妻が行っていました。私は最終候補のホテルから選ぶだけで、すでにその時点で高いホテルばかりだったのです。しかし、このユーロ高、今回は意を決して最初から私もホテル選びに参画しました。まず安全の面から左岸は絶対です。それと遠くともルーヴル宮から歩いて帰れる距離、そしてできるだけ安い所、以上の条件からサン•ジェルマン•デ•プレのオテル•デュ•リス、カルチェラタンのオテル•サン•ピエール、アラブ研究センター近くのオテル•ロワイヤル•カーディナル、それにダンフェール•ロシュロー近くのダゲール通りのオテル•ダゲール•モンパルナスの四つに絞りました。この四つともそれまでのホテルの半額かそれ以下の宿泊料です。その中でロワイヤル•カーディナルとダゲール•モンパルナスはやや遠いので候補からはずし、オテル•デュ•リスとサン•ピエールに予約を入れて置いて、最終的にサン•ピエールに決定しました。ホテルの佇まいや風格はオテル•デュ•リスの方がよいものの、エレベーターの無いのが何とも辛いのです。

   最近は短期のアパルトマンも人気ですが、値段は決して安くないのと、必ず仲介業者を通さねばならず、また手続き、引き渡しなどトラブルがありそうで敬遠してしまいます。しかし、アパルトマンのよい所は、何と言っても契約期間の間は人が入ってこない所でしょう。また市場で買った食材を調理できるのも安上がりで、長い滞在ならずっと経済的です。しかし、ホテルとカフェというのが古い人間である私のパリ滞在の基本なので、日用の細々とした物を揃えたり、室を掃除したりするのはいささか面倒に思います。なお、私たちはツアーであれ、バス旅行であれ、旅行会社が仲介するものは利用しないのですが、それはせめて旅ぐらいは団体行動の煩わしさや人からの指示なく自由に振る舞いたいと思うからです。思うに、旅の楽しみはまだ定かならぬ予定の中にあって、まさに「三里に灸する」所から真の旅は始まるのではないでしょうか。そして、常につきまとう不安と緊張感は旅そのものが持つ非日常的な魅力でしょう。また私たちは旅行会社が販売する格安航空券や飛行機とホテルのパック商品も避けています。いつも直接エールフランスから買うのですが、それならば天候や事故で乗れなくなった時(よくあることでしょう)にも優先して変更が可能だからです。

   さて、そのホテル•サン•ピエールは特徴のない目立たないホテルで、エレベーターは旧式も旧式、木製でとても狭い。自分で鉄の扉を開けて乗ります。2階(日本では3階)の部屋に入ると思ったよりも広いが、バスタブは無くシャワーのみ、空調はあるが冷蔵庫は無し、トイレは非常にきれいだがあまりに狭い、窓は壊れていて、きちんと締めるのにコツが要りました。 また、狭い通りにもかかわらず交通量が豊富で、バスも63番と86番が通ります。よって、静かとは言えないが、毎晩疲れていたので余り気にはなりませんでした。全体としては、日本人客を意識しているのか、清潔で、冷蔵庫が無いということを除けばまずまず満足できました。

   ホテルの前の細い通り Rue de l'Ecole de Medecine は名前のとおり片側全部をソルボンヌの医学部が占めています。窓を開けると、すぐ前に12世紀に遡る古色を帯びた建物がそびえています。ホテルの前が学生の通用門で、窓からは修道院のような中庭が覗けますが、夜になると中庭の廊下にランプのような灯りが点々と燈されて、アルベルトゥス•マグヌスやトマス•アクィナスが学問に打ち込んでいた遠い中世の時代を忍ばせます。

   チェックインは午後一時なので、それまでレセプションに荷物を預け、ぶらぶら医学校通りを散策しました。ホテルの右隣りが小さな映画館、その隣りがオーストリア風のパンやタルトのお店。そこでパン•オ•ショコラとパン•オ•レザンを買って歩きながら食べました。サン•ミッシェル通りに出て少し歩くと、飛行機の中で水を飲み過ぎたのか(痛風予防のため)お腹がグズグズしてきたので、すぐそこにあったスタバで1.7ユーロのエスプレッソを頼んで2階のトイレを使おうとしましたが、なんと広いトイレは汚物で溢れていて便器に近づくことすらできません。仕方なくリュクサンブール公園で⒈5ユーロ払ってトイレに入り、やっと気分がスッキリしました。

   お腹が空いてきたので、ヴォジラール通りを真っ直ぐ歩いてラスパイユの市場へ行って、食べ物を買い、リュクサンブールに戻って食べようと決めました。市場で、チキンの焼いたもも肉を買って、途中のヴォジラール通りとマダム通りの交差点にあったboulangerie Madameというパン屋でバゲット•トラディショナルを半分買って、並びにあったモノプリでサラダと水を買って、リュクサンブール公園で食べました。鳥にパンをやりながら食べるのがたいへん楽しい。バゲット•トラディショナルはあまりの美味しさにびっくりしました。これこそ、パリです。

   リュクサンブール公園から再びサン•ミッシェル通りに出ると、ようやくパリの真ん中にいるのだという実感が湧いてきました。ソルボンヌ広場には学生と観光客が初夏の明るい陽射しを浴びています。そこにある哲学専門書店 J•Vrin に入りました。ちょうど一年ぶりです。妻は去年買い忘れたソルボンヌ教会を描いたJ•Vrin の袋を買いました。私はショーレムが編集し、序文を書いている『ゾーハル•輝きの書』(6.1ユーロ)を買いました。書店の一角には、没後30年を記念してミシェル•フーコーのコーナーが設けられていました。

   チェックインまでまだ少し時間があったので、ホテルのすぐ近くのエコール通りを散策することにしました。広い通りで、突き当たりにパリ第六大学の高いビルが見えます。このエコール通りは面白い通りで、本屋、古本屋はもちろん、ディスク、DVD、ゲーム、フィギュア、おもちゃ、モデルガンなどの専門店が並んでいます。まず左手に私の好きなコンパニ書店、右手に有名なブラッスリー、バルザールがあります。少し歩くと、エコール通り周辺に勢力を持つl'Harmattan書店の各店舗が並びます。エコール通りの終点近くには Librairie Dedale があります。「ダイダロス書店」あるいは「迷路書店」という名のこの本屋はカルチェラタンでそれなりに知られた本屋ですが、店に入ってみて驚きました。店員は一人しかいず、お客は0人。しかも棚に空きが目立ちます。児童書もきちんと揃えてあるが、下町の書店のように子供が遊びながら本を探せる雰囲気ではなく、といって、アート系に特化してもいず、強いて言えば文学、演劇、映画、思想あたりの本が並びます。なんとなく中途半端で、ジベール•ジュンヌやジベール•ジョセフなどの大型店に対抗するにはやや苦しい感じです。モンパルナス大通りのかつての人気書店 L'Escale Litteraire のように突然閉店するかも知れず、その前に訪ねてよかったと思いました。妻はここでボルヘスの Le Sud を買いましたが、店をほっぽり出して外で煙草を吸っていた女店員は、並木の枝に喫いさしの煙草を挟んで、慌てて店にもどってきました。

   そろそろホテルに戻ろうとして、ホテルすぐ近くのモノプリに寄って、水やワインや桃やハムを買いました。チェックインして、部屋に落ち着き、食べ物をひろげ 、ワインを飲んでいるうちに疲れがどっと出て、二人揃って昼寝してしまいました。やはり、飛行機では満足に眠れていなかったのでしょう。4時にガバッと起きて、慌てて支度しました。というのもオペラ•バスチーユの『椿姫』のキャンセル待ちの行列に並ばねばいけないからです。

   今回の旅行の最初の失敗は、旅行前に妻が『椿姫』のチケットを取れなかったことです。しかし、(セガ•サターンでパソコン通信をやっていたほどのネットの申し子である)妻でさえ取れなかった、と言った方がよいでしょう。『椿姫』は人気ナンバー1のオペラで、世界中からいっせいにアクセスされ、五分に満たずに完売したのですから。しかも、今日が最終日で、私たちには今日しかチャンスがなかったのですが、千秋楽に人気が殺到するのは目に見えています。また、私が座席についていろいろ注文をつけていたのが妻の障害になったのかも知れません。今から考えるとガルニエの方に、朝、当日券を買いに行けばよかったかと思いますが、私はもう半ばあきらめていたのです。

   オデオンから86 番のバスで5時過ぎにバスチーユ到着。案の定、キャンセル待ちは結構な行列です。そこにいた女の人が教えてくれたところによると、七時から売り始めるとのことで、買えるかどうかはその時になってみないとわからないとのこと。ただし、現在150ユーロの券ならたぶん買えるそうですが、それだと二人で4万円を超えます。迷ったが、そこまでの予算はなかったので、それはあきらめ、また7時まで並んでいるのも馬鹿らしいのでバスチーユを散策することにしました。ところで、この150ユーロの券のことではいまだに夫婦で口論が起こります。買えばよかったと主張する妻によれば、自分はクリエイティヴなものを評価する人間なのでオペラには金は惜しまないが、あなたは花より団子だから、というのです。それを聞いて私は黙っていましたが、というのも妻の言うことは全くその通りで、私には多分、下町の人間の実利主義が染み込んでいるのでしょう。悲しく思いながらも、私は、妻が発したクリエイティヴという言葉にそれとは悟られずに笑ってしまいました。というのも、クリエイトやクリエイティブという不遜な言葉を使う人間に対してバルテュスが言っていたことをふっと思い出したからです。「あなたは神様のことを言っているのですか?」と。

   バスチーユ広場から伸びるフォーブール•サン•タントワーヌ通りは、パリでもっとも活き活きした賑やかな通りでしょう。観光客も無論いるのですが、それよりパリの日常の忙しく生きる人々の熱気が街路の隅々から聞こえてくるのです。通りに入ってすぐ右側に l'Arbre a Lettres という書店があります。パリに三店舗(残りはムフタール通りとエドガー•キネ通り)にある書店のここは旗艦店ですが、思想書から児童書まで街の書店としては質•量ともに充実したバランスのよい品揃え、非常に感じの良い書店です。

   さらに歩くと四角い公園 square trousseau があり、その前のアントワーヌ•ヴォロン通りに Ble Sucre があります。評判の良いパン屋で何でもすべて美味しいそうです。そこでケーキを買って公園で食べようとしたのですが、この Square trousseauは遊具の多い公園で子供たちで溢れており、とてもゆっくりケーキを食べる雰囲気ではありません。フォーブール•サン•タントワーヌに戻ると、所々、小道があって、昔の家具職人の工房が観光客向けの洒落た家具店に模様替えしているのを発見できます。今はもう昔日の香りもしないが、バスチーユが下町の職人の町であり、革命の端緒となった反貴族主義の町であることはなんとなくわかります。そのフォーブール•サン•タントワーヌ通りの189番地まで歩くと librairie Page189 がありました。l'Arbre a Lettres を小ぶりにしたような本屋で、奥に子供が遊びながら本を選べるスペースもあり、自己主張の少ない楽しい書店風景は好感が持てます。

   Page189の前に有名なカフェ•ラ•リヴェルテがあります。まだ7時前のavant soirée の明るい時間なのに店は中も外も人がいっぱいです。私はここでビールを飲みたくて仕方がなかったのですが、妻がひどく疲れていて、アルコールを飲んだらホテルに帰れないというので、残念ながら諦めました。また、オペラ•バスチーユに戻ろうとして、ついでにもう一軒と、アリーグル市場近くの librairie la Terrasse de Gutenberg に寄ってみました。ここは下町の小さな、しかし30年の歴史ある書店ですが、数年前に閉鎖の危機に襲われ作家やファンの援助で生き延びたそうです。定期的に作家を呼んで、朗読会や討論会を催しており、作家が近所の人たちと膝突き合わせて交わる典型的なパリの町の書店です。品揃えは子供向けが充実し、また思想書、一般書はかなり趣味のよいものが並んでいます。店内及びウィンドウのディスプレイもなかなか凝っています。じっくり見たい本屋だったが、妻が不機嫌極まりなかったので、近くのLe Pain au Naturel で田舎パンを買うとただちにオペラ座のチケット売場に行きました。キャンセルのチケットの販売は始まったものの遅々たる歩みで、行列はなかなか進まず、七時半開始のオペラに間に合わないことは確実でしょう。やっと妻もあきらめて、バスに乗ってサン•ジェルマン•デ•プレまで帰って来ました。そこのカルフールでハム、サラダ、トマト、みかん、ワイン、ビールを買ってホテルに戻り、食べるとすぐに妻はダウン、私は夜10時に始まったサッカーワールドカップのフランス•スイス戦を見ましたが前半3-0で勝っているところで瞼が開かなくなり、ついに眠ってしまいました。ホテルの隣りの学生向けのバーからは点が入るたびにすごい歓声が上まで上がってきます。

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ホテル・サン・ピエールのエレベーター。自分で扉を開けて入ります。箱は木製で、大人二人がやっと入れる狭さです。

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ホテルの部屋の窓から見下ろしたソルボンヌ医学部の通用門。12世紀の昔をしのばせます。

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同じく窓から見たソルボンヌの塔。

Ecole

ソルボンヌ広場の朝。正面がソルボンヌ教会。J. Vrin は左手前にあります。

Chartes

ソルボンヌ教会に隣接したパリ国立古文書学校(Ecole Nationale des Chartes)。グランゼコールの一つで、年間25人しか入れない難関校。ジョルジュ・バタイユはここを卒業して国立図書館の司書を務めました。ボードレールはここの入学試験に失敗しました。

Foucault

哲学専門書店J. Vrin の中のミシェル・フーコー没後30年記念のコーナー。

Harmattan

エコール通りに何軒もあるラルマタン書店の人文科学分野の店舗。第三世界、特にアフリカに支店を多く持つ世界規模の書店・出版社。何となくカトリックの匂いがします。

Dedale

エコール通りの端にあるデダル書店。演劇・映画に特色があるが、児童書にも力を入れた地域密着型書店。

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デダル書店の店内。棚に空きが目立つのは撤退が近いからか。大型書店が出来てから、カルチェラタンの約半数の書店が閉鎖したそうです。

Sentochihiro

エコール通りにはDVDやゲーム・ホビーの店なども並んでいます。『千と千尋の神隠し』は私たちには懐かしい。昔、フランス語版の発売と同時に注文して、重箱入りトランプ付きの限定版を手に入れました。そういえば、フランスで6月25日から上映される『かぐや姫の物語』の各新聞評もたいへん好意的です。

Park

バスチーユ広場の近く。ここでは毎週木曜と日曜にパリで最大規模のマルシェが開かれます。

Books

フォーブール・サン・タントワーヌ通りを代表する書店 L'Arbre a Lettres 。何でもある書店だが、特に文学・エッセイに強い。児童書も充実して、思わず買いたくなる品揃えです。真ん中の下にあるのがダニエル・ぺナックの『片目のオオカミ』。

Roji

バスチーユ界隈に多くある小道。昔の家具職人の工房が観光客向けの店になっています。

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フォーブール・サン・タントワーヌ通り189番地の Page189 書店。たいへん感じよい書店で、本屋の魅力は店内をぶらつくことにある、ということをよくわかっています。店の看板猫アルチュールが夕方の散歩から帰ってきたところ。

Catinlibrairie

アルチュールは店に入るとまっすぐに客の子供たちが遊ぶ児童書のコーナーに向かいます。

Laliberte

フォーブール・サン・タントワーヌ通り196番地、反日常の連中が集うカフェ・ラ・リベルテ。コーヒー 1 ユーロ、ビール(un demi) 2.3 ユーロ。

Librairieterrasse

アリーグル広場近くの本屋、La Terrasse de Gutenberg。魚屋や肉屋の多い、知的とはいえない地域ですが、近所の本好きのための文化的拠点になっています。左端に立っている妻は本屋めぐりが続いて機嫌が悪そうです。

Zweigroth

グーテンベルグ書店の品揃えはすばらしい。これはツヴァイクとロートの往復書簡集。

Camus

カミュの伝記とベンヤミンの『ボードレール』に挟まれているのは、生誕100年になるロマン・ギャリの未完だった自伝的小説。女優のジーン・セバークの夫で、66歳でピストル自殺したギャリはいまでもフランスで根強い人気を持っています。

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今日買った本。デダル書店で買ったボルヘスの Le Sud, L'Arbre a Lettres書店での児童小説『グランドホテルの猫カスパール』、J. Vrin で買った『ゾーハル・光輝の書』。右下はL'Arbre a Lettresでもらったプレイアード文庫のカタログ、表紙はエゴン•シーレ描くところのシャルル・ペギー。

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