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2013年8月31日 (土)

サント=ブーヴ通りで(7)帰国

6月27日(木)

    朝6時に起床して、昨日の残りのパンとバナナを食べコーヒーを飲みました。その後、部屋の片付けをして、九時半には荷物の整理もすっかり終わりました。このホテルは風呂や洗面所、トイレなどの水周りがたいへん豪華、またバスローブが用意されているのもすごく便利です。客は私たち以外は全部白人で、しかもほとんどは家族連れでした。もし一人旅なら私ならドミトリーのような共同部屋でもいいし、サン・マルタン運河にテントを張って泊まってもいいぐらいですが、妻はどうも旅の最重要要素をホテルの質に置いているようです。とくにレセプションの人間のレベルが問題です。このホテル・サント=ブーヴには7、8人いるレセプショニストの語学力が受付に表示されており、全員が英仏独ができ、半分は伊・西・露のどれかもできるようです。中国語や日本語のできる人がいないのは、このホテルの客層をよく表しています。

    9時50分ごろチェックアウト、荷物は預かってもらって、軽い鞄一つでホテルを出ました。外は冷たい雨が降っています。58番のバスでポン・ヌフ・ケ・ルーヴルで降りました。バスを降りると、そこはセーヌの右岸でマロニエの樹々の並木が美しい。まだ朝だからでしょうか、観光客もほとんど見えません。雨の上がった河岸を歩き始めると、前にいた白人の初老の女性の周りにいた署名詐欺のジプシーの女の子たちが、今度は私たちに襲いかかってきて、署名のボードを私たちの前にかざして進路を妨害します。署名している間に鞄やポケットから財布やカメラを盗む魂胆なのです。私の前と横と後ろに立って邪魔をしていたジプシーに向かって、突然妻が、Go away! とびっくりするような大声を出して、持っていた折りたたみ傘をふり回しました。居合の三段だけあって迫力が違います。これが日本刀なら腕や首が転がっていたでしょう。さすがにスリ連中もひるんで、もはや何もしてきません。前にいた白人の女性は感心したような顔で妻を見ていました。後で妻に聞くと、ジプシーたちが私に集中して群がって来たので、私を守ろうと必死になってしまったとのこと。

    最終日の最初の目的はルーヴルの隣のサン・ジェルマン・ロクセロワ教会です。この教会の円柱形の高い塔はバスから度々目にしましたが、訪ねるのは初めてです。この教会の特徴は内と外にあるおびただしい彫刻群です。しかも、皆、特徴ある形で、見て歩くだけで面白い。朝早いからでしょうか、見学客は皆無です。教会を出た後、ルーヴル通りを真っ直ぐ上へと歩くと、すぐにパリ商品取引所の丸い建物が見えました。目当ては、その横に張り付いたように立っている元のオテル・ド・ソワソンの大円柱で、カトリーヌ・ド・メディシスと宮廷の占星術師リュグジェーリが天文台に使ったと言われています。カトリーヌが秘教に凝ったことは、ノストラダムスとの関係でも分かりますが、この円柱に刻まれた謎を解くヘブライ文字の跡はいくら探してもありませんでした。

    商品取引所の後ろに地下に続くフォーラム・デ・アールの入り口があります。ここは以前中央市場のあった場所で今はショッピング・モールになっています。私たちはその中のファストフード店でサンドイッチを食べました。そのフォーラム・デ・アールの反対側(東側)の出口から外に出ると、イノサンの噴水の近くに、有名なMona Lisait書店がありました。パリに8店舗ほどあるアート系の本の安い店で、重い本の買えない旅行者には残念な本屋ですが、イジスの写真集でも売ってないかと思って入ってみました。一通り本を見て、さて出ようとすると、妻が8ユーロの猫の図鑑を買いたいと言いました。結構重いので買いたくなかったのですが、妻がどうしてもというので、仕方なく買うことにしました。イノサンの噴水のある広場は、以前は若者がたむろする騒然とした、いかにもスリが出そうな場所でした。しかし、今は、三人の迷彩服を着て機関銃を持った軍人がゆっくり巡回しています。昔と比べ、ずいぶん安全になったと思いました。

    イノサンの噴水の近くのサン・メリー教会へ。外見は非常に古ぼけた教会で、入ってみるのを躊躇しましたが、古いがゆえに心打つ何かがあるはずと思い入ってみました。ところが、内部も古ぼけていて、鳩の糞を防ぐためか、透明なビニールシートが天井に張られています。ガラスが割られたままなのか、堂内にはすでに1,2羽の鳩が飛び交っています。そんな中で、内陣では、司祭と7,8人の人が昼のミサを続けているのが、むしろ、敬虔さを感じさせて気持ち良い。この辺はパリでもっとも古い場所、かつての広大なイノサン墓地を埋め立てたところです。

    シテ島を突っ切って左岸に渡ろうとしました。ノートルダム橋を渡ると、右側には花屋や園芸用品を扱う温室のような店が続きます。左には古色を帯びたオテル・デュー(パリ市立病院)が建つこのシテ通りは、パリの中心地にしては静かな通りです。妻は園芸店の一つ一つを眺めながら行くので、私の歩みもゆっくりとなりました。とうとう、一つの店に入って、妻は、土産にするジャスミンの匂い袋を探しましたが、店員が見当たらないので私が奥まで行って呼んで来ました。よく知られているように、フランスでは店の商品は勝手にさわれません。飛幡祐規『それでも住みたいフランス』(新潮社)という本によると、フランスでは店に入ることは人の家に入ることと同じだということです。それを読んで私はなるほどと思いました。だから挨拶せずに店に入って商品に触るなどはもっての外というわけです。初めてパリに来た時、セーヌ河岸のブキニストの本を黙って触っていたら店主が飛んで来て唾を飛ばして怒っていたことを思い出しました。また、この本には、移民の増加でそのような閉鎖的なある意味で良き習慣が失われつつある嘆きも見られます。フランプリやエディのような簡易なスーパーがパリを訪れるたびに増加しているのも、面倒な人間関係を嫌う移民の増加を抜きにしては考えられません。

    シテ島からプティ・ポンを渡って左岸へ。サン・セヴラン通りのギリシア料理と土産物屋が林立するにぎやかな通りを通ると、さすがに妻は疲れて来たようです。サン・ミッシェル界隈は観光客であふれていて、どこの店も人でいっぱいです。大通りを少し歩いて、ソルボンヌ広場のベンチに座りました。私はまだ元気が残っていたので、妻をベンチに残して、ソルボンヌ広場を睥睨するような哲学専門書店 J.Vrin に入ってみることにしました。実は、この本屋は何度か店頭のワゴンを漁ったことがあるのですが、いつも本が砂で汚れていて、しかもつまらない教科書ばかりだったので、店内に入ったことはありませんでした。しかし、旅に出る前に佐々木力の『数学史入門』(ちくま学芸文庫)を読んでいたら、ライプニッツがパリ滞在の最後としてまとめ上げた彼の最大の数学的著作『円、楕円、双曲線の算術的求積』が、この J.Vrin から2004年にフランス語の対訳付きで出版されているのです。やや興味を感じて、旅の思い出に入ってみることにしました。この書店は愛想が悪いという評判ですが、私は、古書店に関する限り、寛いだ店ももちろん良いのですが、客を選別するような威圧的な店も雰囲気があって好きなのです。

    ところが、店内に入って驚きました。緩やかな曲線の廊下の両側に哲学書が見やすく整然と並べられています。まるで手入れの行き届いた修道院の書庫のような感じ、これはまさに哲学愛好家の天国のような場所です。私はすぐに店を飛び出して、広場のベンチに座って猫の図鑑を読んでいる妻を呼びに行きました。「ねえ、ねえ、素敵な本屋だよ。来てごらん」と言うと、妻は半信半疑の顔で私について来ました。しかし、いったん店内に入ると、やはりすっかり魅了されたようで、夢中になって書棚の本を目で追っていました。私が廊下の奥の occasion(割引の古本)のワゴンを漁っていると、妻が一冊の分厚い本を持ってきて、これが買いたいと言いました。見ると、エックハルトの説教集で、岩波文庫が家にあるよ、と言うと、「あれは選んだものしか載っていない。これは残存する説教が全部入っている」と言うのです。確かめると、なるほど、説教の題目が全部ラテン語でわかりにくいのは別として、一つ一つは短くて読みやすそう。それに何より、エックハルトとシレジウスは今読んでも面白い数少ないキリスト教著述家で、買って損になることはまずありません。二人で恭しくその本を持ってレジにいくと、そこには頭に白いターバンをきっちり巻いた中年の白人女性が座っています。何やら事務の仕事をしているらしく、私たちにも私たちの差し出した本にも 全く眼中にないように視線も向けません。やっと、気がついて、16.5ユーロと値段を言いましたが、最後まで笑顔は見せてくれません。

    さて、そろそろホテルに荷物を取りに戻る時間が近づいて来ました。何かやり忘れたことがないだろうか。それより、何か買い忘れた本がないでしょうか。私は最後にエコール通りのコンパニ書店にもう一度行きたくなりました。気になっていた新刊があったからで、分厚いからと思って諦めていたが、妻の買った本をみると、やはり今買っておくべきと思ったのです。それで、急いでコンパニ書店に行って、ポール・レオトーの1300頁ある Journal litteraire文学日記( 14.5ユーロ)を買いました。この種の本は内容もさることながら、索引が詳しいのでとても便利です。さっそくエルンスト・ユンガーの頁を探して、1944年8月、ユンガーがパリを去る直前にレオトーと交わした電話のやり取りを読んでみました。

   まだ少し時間があったので、ホテルに戻る前にヴァヴァン通りのパン屋ラ・フルネ・ドギュスティンで、パリブレスト、エクレア、フランショコラなど、最後なので食べたいものをすべて買って、リュクサンブール公園のベンチにすわって食べました。思うに、この公園は食事をしたり、考えごとをしたり、読書したりするのに最適の広さと静けさと、心地よい喧騒さえあります。食後、公園の隅にペタンク遊びをするコートが四面ほどあったので見学してみました。平日の昼間なのに働き盛りの男たちが鉄の球を真剣に転がしています。極めて幼稚な遊びで、イギリス人やドイツ人なら恥ずかしがってしないようなことですが、実際、フランス以外で流行っているという話は聞いたこともありません。でも、競技している人は皆楽しそうで、妻が写真を撮っているのに気づくと嬉しそうにポーズをとったりしていました。

    そろそろ時間なので、ホテルに荷物を取りに戻りました。レセプションに妻が気に入っている黒人の女性がいたので、妻は、C'est petit cadeau!と言って、部屋で使っていた団扇をあげていました。ホテル・サント=ブーヴともサント=ブーヴ通りとももうお別れです。このサント=ブーヴ通りは80メートルほどの短い通りですが、そこには有名ビストロの Le Temble、注文靴で知られるAltan Bottierなどの店もありました。しかし、地図の上ではほとんど目に止まらないような短い通りです。おそらく、この通りの名前だけが私にある郷愁を起こさせるのでしょう。ずっと昔に、小林秀雄の訳した『我が毒』を読んで非常な共感を感じたことがあります。しかし、今、サント=ブーヴについて検索すると、彼の著作よりもプルーストの『サント=ブーヴに反論する』についての記事ばかり出てくるのは少し悲しい感じがします。

      ところで、そのプルーストの論は、彼の文学論の根幹というばかりでなく、近代文学批評における金字塔と言ってよいでしょう。言われてみれば当たり前のようなことですが、初めて明快に説得的に徹底的に書いたのはプルーストが初めてであり、しかもその真価は未だ世人に浸透しているとはとても思えません。まず、彼が批判したサント=ブーヴの方法とは、作家を研究するにその作家の精神の博物誌を作成することが必要だと信じたことです。その作家の伝記、彼の一族の歴史、ばかりでなく、彼が金銭をどう考えていたか、友人との恋人との関わりはどうであったか、果てはその作家の宗教や政治についての考えまで、つまり、できるだけその人間についての情報を集めて、そしてその中から作家の天分の本質を見極めようとしたのです。そのために、サント=ブーヴのとった方法とは、作品を深く読み込むことではなく(それはむしろ作家の本質を見誤るもとにもなります)、彼の書簡集、生前その作家と懇意だった人物の証言、書き残された作家についての回想などを熱心に研究するというものでした。

     このような方法は、誰でも自分自身について多少とも深く考えてみればおかしいとすぐわかる、とプルーストは書いています。「つまり一冊の書物は、私たちがふだんの習慣、交際、さまざまな癖などに露呈させているのとは、はっきり違ったもうひとつの自我の所産なのだ。このもうひとつの自我を理解しようと希うのなら、私たちはわが身の深部にまで降りて、この自我を再創造してみるほか、成果を得るすべがない。」(プルースト全集14 筑摩書房)本当の作家は、わが身に付き纏う余分なものを振り捨て、孤独にひたりつつ、おのれと向き合い、本当の自我を探り当て、ひたすら自分自身のためにのみ書きます。そして、ついには自分自身の自我のためだけに生きることになるのですが、その自我に比べれば、普段の生活で、あるいは何人かの人に宛てて書かれたようなものは外面的な個我の所産にすぎません。作家が探り当て、生涯を離教せずにわが身を捧げたこの自我を理解するためには、批評家もただひたすら自らの奥深くに降りて行く以外にありません。だから図書館の隅から発見された作家の未発表書簡によって、彼の文学の理解が深まることなぞ決して無く、むしろそれは巧妙に隠された作家の表向きの自我にただ色をつけただけにすぎないのです。 サント=ブーヴとそれに続くテーヌの方法の根底には、文学史的事実を積み上げて行けばいつか真理に到達するというその時代の科学主義があります。しかし、それは作家の文学の秘密を解く鍵にはならず、むしろその障害にすらなり得ます。というのも、科学は先行結果を踏まえてさらに真理に接近しようとするのですが、作家は常に最初から自らを作り上げて行かねばならないからです。

    ノートルダム・デ・シャンのバス停から82番のバスでポルト・マイヨーまで。今回は渋滞もなく予定通りで、無事エール・フランスのリムジン・バスに乗れてパリを後にしました。余裕をもってシャルルドゴール空港に到着、さて、機械で搭乗券を打ち出そうとしたら、なぜか何度やっても成功しません。エール・フランスに聞いてみると、直前に飛行機の機種が変わったので、座席の予約に変更が生じてシステムがうまく働かないとのこと。私が荷物を監視している間、妻があちこち走り回って、やっとインフォメーションのコンピューターで搭乗券を手に入れることができました。これだけで一時間もかかったのは全く予想外です。手荷物検査では、誰も並んでいないので拍子抜けしました。私たち2人だけを5,6人の係員が見守っています。金属探知機のゲートで私がブザーを鳴らしてしまい、場に緊張が走りました。男の警備員が私の両手を上げさせ、体中のポケットから、小型カメラ、小銭、鍵などを取り出し、ベルト、時計も外されました。あまりの多さに係員たちは皆苦笑しています。妻は呆れ返って笑も出ないようです。

    搭乗時間まで買い物をしようとしましたが、私たちには無縁な高価なブランドショップが多いのにはがっかりしました。妻がゲランのミニチュアの香水セットを買って、その時、見本のシャリマーを腕にスプレーしていたのですが、その後に入った土産物店で、妻は若い女店員から「シャリマーですね。私の母がつけているのですぐわかりました」と言われました。私なら何て言われたでしょうか。「マンダムですね。父がつけているのですぐわかりました」とは絶対言われない気がします。

    いよいよ搭乗時刻、ところが機内に入ってみると、私たちの席は窓側二列の席ではなく、三列の窓側二つ、これでは隣に他人が座ってしまいます。妻の予約のミスに違いないと思って責めると、飛行機が変わったので座席の位置が狂ったのだ、と妻は言い張ります。確かにその通りで、新しい機種は座席数が多いらしく、私たちは窓側三列の席を二人で独占できました。飛行機の旅は何も事件がなく終わり、無事成田到着、京成電車に乗ると何となく寂しさがつのります。朝のヴァヴァン交差点の活気が懐かしい。私たちは途中のセブンイレブンでカップうどんを二つ買って、家の近くの横丁に入りました。ようやく家が見えると、ルーミーと猫の名を呼びました。呼びながら近づいてドアを開けると背伸びして自分でも開けようとしています。そして、嬉しいときにいつもするように、爪研ぎ板を夢中になって引っ掻きはじめました。

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サン・ジェルマン・ロクセロア教会のファサードには興味深い彫刻が何体も置かれています。この「エジプトのマリア像」は、悔い改めのためエルサレム神殿に入った娼婦のマリアが、三つのパンをもらって、そのままヨルダン川を渡り、エジプトの砂漠で47年間修行した姿を表しています。修道士ゾシマが彼女を発見したとき、彼女の髪はのび放題、服もぼろぼろで裸同然、しかし、パンはいくら食べても減っていなかったということです。彼女はゾシマに一年後同じ場所に来てくれるよう頼みました。ゾシマが約束通りその地を訪ねると、マリアが死体となって横たわっていたそうです。

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ロクセロア教会の最奥の祭室。ユイスマンスはこの祭室についてこう書いています。「ああ、心に淀む汚れをぬぐい捨てるのにふさわしい場所があるとすれば、それはまさにここだ」(『三つの教会と三人のプリミティフ画家』田辺保訳・国書刊行会)

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ロクセロア教会の献金箱。可憐な天使がすばらしい。私も0.5ユーロ献金して記念に握手してもらいました。

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ロクセロア教会の塔。特徴ある形。数々の彫刻群が圧巻です。1572年、おそらくカトリーヌ・ド・メディシスの策謀により実行された聖バーテルミーの虐殺の合図のために、この塔の鐘は打ち鳴らされました。

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カトリーヌ・ド・メディシスがお抱え占星術師のために建てた天文台の塔。今はパリ商品取引所に隣接して建っています。

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イノサンの噴水近くを巡回するフランス軍兵士。自動小銃を携帯しています。

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サン・メリー教会。古い教会で、内部も相当に傷んでいます。天井にはハトの糞よけのビニールが張られていますが、その下で、ミサを続ける少数の敬虔な人たちの姿には心打たれます。

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シテ島に渡るノートルダム橋からの眺め。左は商事裁判所、奥に見えるのはマリー・アントワネットも幽閉されていたコンシェルジュリー。単色の味わいを持つセーヌの美しい河岸は1991年に世界遺産に登録されました。

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シテ島の花屋が並ぶシテ通りを歩きます。右側に温室が並び、左には古びたオテル・デュー(市立病院)の長い病棟が続きます。花屋の先にはこれも古色を帯びたパリ警視庁があり、この辺はパリ発祥の地と言われています。

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ソルボンヌ広場に面した哲学専門書店J.Vrin 。今回訪問した中ではもっとも興奮した書店です。

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ヴラン書店の内部。右がギリシア哲学の英語文献。左がイスラーム関係。しかし、アル・ファーラビーなど、理性的哲学者の本が多く、イブン・アラビーはわずか三冊しかありませんでした。

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同じくヴラン書店の内部。右の一番上はアドルノの本がずらり。アドルノはどの本屋でも一番上にあります。左がフランス哲学。マルブランシュの本がこれほどある書店は初めてです。真ん中にソルボンヌ教会が描かれたヴラン書店の布製の袋があります。妻はこれを買い忘れてたいへん悔しがりました。

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リュクサンブール公園。読書、散歩、軽い食事にこれ以上の場所はありません。安ワインとバゲットと数冊の本があれば一日中でもいられそうです。

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ホテル・サント=ブーヴの玄関。右のランプの下にサント=ブーヴのレリーフが張られています。

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わずか80メートルほどの短いサント=ブーヴ通り。右側にホテル。突き当たりはノートルダム・デ・シャン通り、手前はラスパイユ通り。

Rumi

帰国の日に買った本、エックハルトの説教集とレオトーの日記。パソコンの隣はルーミーの特等席です。

 

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