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2013年8月18日 (日)

サント=ブーヴ通りで(6)クリニューなど

6月26日(水)

    帰国前日。たまには贅沢をしようと、ホテル近くのヴァヴァン交差点のカフェ・ロトンドで7ユーロの朝食をたべました。コーヒーとジュースとパンとバターですが、パンが固すぎて噛みきれないのが悔しかったです。ロトンドといえば、その名前だけで一冊の本が書けるほど有名なカフェですが、内装は日本の70年代の純喫茶を思わせる無粋な造りで、深紅のソファーやピンクの灯りなど、私の趣味とはかなり違います。店内のいたるところにモディリアーニやユトリロなどの絵画のコピーが飾ってありますが、それにしても20世紀初頭にこのロトンドや、向かいのカフェ・ドーム、その並びのクーポールなどが演じた役割は世界史的なものと言えるでしょう。何しろ世界中から才能ある連中がパリに来て、このモンパルナスに集結していたのですから。モディリアーニのコピーを見ていたら、すぐ近くのグランド・ショミエール通りに彼のアトリエがあったことを思い出しました。ロトンドを出た後、その通りの8番地に行ってみましたが、プラークが張ってあったものの昔の物語を想い起こさせる雰囲気はありません。このアトリエで、モディリアーニは結核のため36歳で死に、その二日後妻のジャンヌはアトリエの窓から身を投げて死にました。

     今回の旅行では、バレエ観劇以外なんの計画もありませんでした。もう行くべきところもなく、残りの時間をどう過ごそうか迷っていたのです。なぜクリニュー中世美術館に行くことにしたのか忘れました。この美術館は私たちにとって三度目で、しかも今回は目玉の貴婦人とユニコーンのタペストリーが日本に来ている時だったのに、なぜ見学することにしたのか不思議です。しかし、ここに来ないとパリを訪れた気にならないのは確かで、私たちは無意識に58番のバスに乗って、クリニュー・オデオンで降りてしまいました。そしてラシーヌ通りをクリニューに向けて上がっていくと、左手に出版社フラマリオンの立派な建物が、その向かいに古書店 librairie Dilettente がありました。看板は猫のマークで入りやすそうな店でしたが、まだ開いていなかったので後でまた来ることにしました。 クリニューに着くと、もう10時を過ぎているのに開館していないらしく、入り口には行列ができています。近くに行ってみると、門に張り紙がしてあって、10時15分に開館する、と書いてありましたが、とっくにその時間は過ぎています。仕方なく、隣の Librairie Compagnie (コンパニ書店)の広いウィンドーに並べられてある本を一冊ずつ見て行きました。

    やっと開館して、まず中世の面影残す中庭に入ると、見学客が古い井戸の周りにたむろして写真など撮っています。私はこの落ち着いた中庭が好きなのですが、妻はこの美術館の客質が良いのが気に入っているようです。だいたいフランス以外の白人の観光客が多く、日本人観光客は知的な人たちばかりで、間違っても騒々しい中国人の団体客は来ないようです。ここは、ノートルダム聖堂などの古い破損した像を置いてあるのが価値があります。また、現在、彫刻の修復作業の実演が解説付きで行われていて、結構な人が見学していました。一回りして、グッズ売場で、妻は絵葉書などを買っていましたが、欲しかったユニコーンのかわいいぬいぐるみが売っていなかったのでがっかりしたようです。

    クリニューを出て、隣のコンパニ書店に入って、先ほどウインドーで見つけたピエール・ロティの『憐れみと死の書』(8.15ユーロ)を買いました。この中の「二匹の牝猫の生涯」を読みたかったので、早速、歩きながらパラパラ読んでしまいました。ところで、コンパニ書店ですが、広く、明るく、品揃えも豊富で、充分レベルの高い本も揃っていて、しかも店員は皆感じよく、総合的に考えて今回のパリ訪問では一番の書店でした。場所もカルチェラタンの真ん中、クリニューの隣、ブラッスリー・バルザールの前という絶好の立地です。

    私たちはラシーヌ通りに戻って、さきほど前を通ったディレッタント書店に立ち寄りました。ウィンドーの本を見ていると、ド・メーストルの『フランス論』の新版が5ユーロという破格の値段、「あれ、買うよ」と指さして妻に言うと、「家にあるでしょ」とあっさり言われてしまいました。そうだ、すっかり忘れていた、でも欲しいな、と思っていると、「欲しければ買えば、小さな本で読みやすそうだし」との優しい言葉。しかし、ここはぐっと我慢して、とりあえず店内に入ってみることにしました。どうも文学書が中心のようですが、作家名がアルファベット順に並んでいて、とても調べやすい。しかも思ったよりもはるかに大量の本がならんでいます。どの作家の本を探してみようか、突然ですぐに名前が浮かびません。とりあえずユージーヌ・ダビの本を探したら全部読んだことのある本ばかりでした。広い古書店で、客も店員もほどほどにいて、とても居心地が良い、時間があればいくらでも探していたかったが、妻が「お腹が空いた、美味しい肉が食べたい」というので、後ろ髪を引かれましたが、店の外に出ました。

    さて、私はいつ妻が気まぐれを言い出しても大丈夫なように、パリのビストロを網羅した手帳を常に持参しているのですが、サン・ジェルマン地区は値段が高いので最初から調べていませんでした。それでも何とか良い店を思い起こそうと自分のI.Q.マイナス225の頭脳をフル回転して必死に考えました。オデオンからクリニュー辺りで肉が美味しくてしかも安いお店、、、そういえばフェランデ何とかという店があったと思いついて、急いでコンパニ書店に戻って、地下の旅行書売場でグルメ・ガイドから店名と住所を割り出しました。ラシーヌ通りのすぐ下、ヴォジラール通り8番地のLa Ferrandaiseです。しかも昼のムニュは16ユーロでそれなら懐も痛みません。

    時刻はちょうど12時、店についてみると扉がしまっていてまだ開店していないようです。中を覗くと、男のスタッフがテーブルのセッティングをしています。しかし、外に出してあるはずのムニュの中身を書いた黒板がないので少し不安になりました。とりあえず店の外観の写真でもとっておこうとカメラを構えると、何と、建物の上にプレートがあって、ここにクヌート・ハムスンが住んでいた、ということでした。ハムスンはノルウェーのノーベル賞作家ですが、世界的な知名度に比べて日本ではあまり読まれていないようです。しかし、日本人の世界文学の受容はだいたい正しいので、このハムスンも名高いほどには面白い作家とはとても思えません。

    店の前でフラフラしていたらスタッフの人が外に出てきたので、入っていいですかと聞いたら黙ってどうぞと手招きしたので、店に入りました。もちろん、私たちが最初の客で、奥から二番目の席に座らされました。テーブルの上に置かれていたオリーヴの実を食べていたら男のスタッフが注文を取りにきたので、16ユーロの定食はあるかと聞いてみました。ところが、その男のスタッフのフランス語がすごい早口なので、聴き取りの得意な妻でさえ何を言っているのかわかりません。どうも断片的に判断すると、前菜、メイン、デセールが三つ一緒に給仕されるようです。最後に16ユーロなのかと念を押したら、そうだと言うので、それならなんでもいいやと思いました。

    そうこうするうちに、どんどんお客が入って来て、いつの間にかそれほど狭くない店がいっぱいになりました。不思議なことに、アラカルトで注文する客はだれもいず、皆飲み物以外同じものを食べていました。さて、その料理ですが、三つ並んだ真ん中の小さなクルーセの鉄鍋にはサイコロステーキが、左の小鉢にはセロリ、トマト、ツナの前菜、右のデセールにはスイカのコンポートが置かれていました。後で調べたら、この店は2006年度パリ・ベスト・ビストロに選ばれた店ということでしたが、確かに美味しくてペロリと食べてしまいましたが、それにしてもあまりに量が少なすぎました。さらにグラスで頼んだソーミュールの白ワインの香りが強すぎて飲み切れませんでした。なお店名Ferrandaiseはオーヴェルニュ地方の牛の種類のようです。

    昼食後、サン・ジェルマン・デ・プレまで歩いて、ほぼ集中した一角、サント=ブーヴの住んでいた所(クール・コメルス・サン・タンドレ2番地)、ユイスマンスの生家(シュジェ通り9番地)、ボードレールが子ども時代を過ごした家(サン・タンドレ・デ・ザール通り30番地)を順番に訪ねてみましたが、どの場所にもプラークは張ってありませんでした。がっかりして、サン・ジェルマン・デ・プレ教会まで歩いて行き、カフェ・ボナパルトで、私はビール、妻はシードルを飲みました。歩き疲れてカフェで飲むビールはなぜこんなにも美味いのでしょうか。しかし、連日歩き疲れて、私の体はそろそろ限界まできていました。ボナパルトの椅子に座るともう立ち上がる元気はなく、小一時間ほどぐったりと休んでいました。

    実は今日からパリはソルドが始まりました。妻はフラゴナールで買いたいものがあるというので、メトロでルーヴル・リヴォリまで行き、カルーセル・デュ・ルーヴル内のフラゴナールに行きました。妻が買物をしている間、私は店の外で座って休んでいました。ところが、妻はここでは欲しいものがないので、売場の大きいマレ地区のフラゴナールに行きたいと言い出しました。それで、バスでオテル・ド・ヴィルまで行きましたが、セーヌ川に沿った道は渋滞で、バスはなかなか進みません。短い距離なのに40分ほどかかってオテル・ド・ヴィルに着き、そこから真北に向かってアルシーヴ通りを歩いて行きました。ソルド初日でどの道も大変な混雑です。そして人混みの中を歩くほど心と体が疲れることはありません。途中でついに私は眩暈がして真っ直ぐ歩くことができなくなりました。フラフラと車道の方に足が流れて行きます。妻がすぐに気づいて、ちょうどそこにあったアイスクリームの店の外のテラス席に私を座らせてくれました。座ってもまだ頭の中はグルングルンと回転しているようで、このまま死ぬのかと思いました。妻はアプリコットのアイスクリームを買ってくるからと言って店の中に入って行きました。あんずのアイスは私の大好物です。テーブルに体を半分預けて目を上げると、通りのちょうど向かい側にビレット教会が建っています。18世紀のロカイユ様式の優雅な教会で、これが死ぬ前に見る最後の光景かと思いました。「アプリコットが売り切れだったからスイカのアイスにしたよ」と妻が大きなコーンに入った赤いアイスを持ってきました。それを聞いてなぜか怒りがこみ上げてきました。人生最後のアイスがスイカとは、、、ところがスイカのアイスを食べているうちにみるみる気分が良くなって、これで何とか歩き続けるような気がしてきました。パリもあと一日、無事に帰ることができるでしょうか。

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ヴァヴァン交差点にあるカフェ・ロトンドの店内。店中にモディリアーニやユトリロのコピーが飾ってあります。もはや観光客専用の店といってもよいのですが、それでも訪れる価値はあります。映画『ミッドナイト・イン・パリ』を見ればわかるように、パリは時を巡る旅ができる数少ない街の一つだからです。

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ホテルの近くのグランド・ショミエール通り8番地、モディリアーニのアトリエのあったアパルトマン。ピカソを凌ぐ天才と呼ばれたモディリアーニは、酒や麻薬に溺れて36歳で亡くなりました。晩年の三年間をこのアトリエでともに暮らした妻のジャンヌはその二日後にこの5階のアトリエから身を投げて死にました。この悲劇的な夫婦の愛の話は、ジェラール・フィリップとアンディ・ガルシアの主演で二度映画化されました。

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横の公園からクリニュー中世美術館を写しました。

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クリニューの中庭。奥に井戸が見えます。中世の面影がそのまま残っているようです。

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ラシーヌ通りにある古書店ディレッタント書店。近現代文学が充実しています。もっとも居心地のよい古書店の一つ。

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ディレッタント書店のウィンドー。村上春樹の『アンダーグラウンド』の左隣にあるのがジョセフ・ド・メーストルの『フランス論』。ちょっと信じられない取り合わせです。

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ディレッタント書店の右隣の花屋さんのウィンドーにはさりげなくボードレールの『悪の華』が置かれていました。

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ヴォジラール通り8番地レストラン・フェランデーズ。ここはまたクヌート・ハムスンが1893年から1895年にかけて住んだ建物でもあります。なお扉横に書かれた Table d'Hotesとは心をこめた定食の意らしいです。

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エコール通りの本屋、コンパニ書店。店員はとても感じがよい。

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コンパニ書店の店内。幅広く、興味深い品揃え。ぶらぶら見ているだけで買いたくなる本屋です。

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サン・ジェルマン・デ・プレ教会の前のカフェ・ボナパルト。ここでビールを飲むのはもう何度目でしょうか。

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コメント

20年ごと三回目のパリに行ってきました。今回と前回の記事を熟読して行ったつもりでしたが、やはり思うようにはいきませんでした。先ずバスは難しいこと、メトロオンリーでした。でもカルナヴァル館に行けたこと、プルーストの家具のあるコーナーをのぞいては、迷宮のようでした。あのノート類はプルーストのものでしょうか。貴重品でしょうに。「精神の王国を築いたものにとっては云々」と言われていた家具類は、多分彼にとっては居心地のよい習慣の一部だったのでしょうと、思っていました。あとおっしゃっていらしたピサロを心をこめて見てまいりました。私の導眠剤のように安らかにしてくれると感じました。エッフェル塔の繊細な骨組みも教えられて納得でした。
オペラとバレーのあるご旅行とはまるっきり次元の違う観光旅行でしたが、少しだけ同じ道を歩かせていただきました。

投稿: fukuiku | 2013年8月29日 (木) 01時47分

fukuikuさん、コメントありがとうございます。
私のような駄文を参考にされたとのこと、恐縮するとともに、不都合なことがなかったか心配です。
そうですね、バスはいろいろ面倒です。私はDecouvrir Paris avec les lines de bus という本を使ってましたが、これは重すぎてしかも路線図も見ずらいので良い本ではありません。メトロの方が使い勝手はいいのですが、スリが多いらしいので敬遠していました。
プルーストのノートは、言われてみれば、誰でも持っていけそうで不用心ですよね。プルーストは、文学に身を捧げるということは、ある宗教に全身で帰依するのと同じだというようなことを書いています。私が彼の調度を見て感じるのは戦い尽くしてボロボロになった人間が身を休めるささやかな居場所そのものです。
こんな風に話していると、またパリに行きたくなってきます。さすがに疲れが出て、何年かは遠出は許されないと思うのですが、、、。
それでは、また。

投稿: saiki | 2013年8月29日 (木) 13時14分

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