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2013年8月15日 (木)

サント=ブーヴ通りで(5)ロダン美術館など

6月25日(火)

   非常に良い天気。モビリスを買って、82番のバスでアンヴァリッドで降りました。アンヴァリッドの金色のドームをぐるりと回って、アンヴァリッド通りの並木道を歩きます。7区のとても静かな通り、まだ朝早いからか通る車もまばらです。ヴァレンヌ通りにぶつかると、もうそこはロダン美術館の入口で、開館前からすでに結構な人々が並んでいます。半分ほどは中国人の団体でした。簡単な荷物検査の後で、チケットを買い、まず一階の大理石の彫刻群が並んだ部屋へ入りました。ほとんどは大理石から掘り出されたままの未完成の像で、なぜかこの部屋だけは写真撮影禁止でした。

     私と妻はバラバラになって大理石の彫刻群を見て行きましたが、突然、「シルヴ・プレ!」という大きな声とともに男性と女性の係員がすごい速さで私の横を走り過ぎて行きました。何が起こったかわからず、騒動のあった近くにいた妻を探して聞いてみると、中国人の女性二人が水筒を開けてお茶を飲んだので注意されたとのことでした。私はそれを聞いて怒りに似たものがこみ上げて来ました。中国人が気の毒に思えたのです。美術館で中国人が喉が乾いたのでお茶を飲む、これ以上に自然なことが世の中にあるでしょうか。ロダン美術館というのはそれほど立派な美術館だったのでしょうか。しかし、後で妻に聞いたところによると、その中国人二人は展示台に座ってお茶を飲んでいたというので、それなら注意されても仕方がないと納得しました。さらに、その中国人の団体は写真を撮って注意されてもいました。

   一度外に出て、別棟の展示場に入りました。ここはロダンの塑像、カミーユ・クローデルの作品、その他ロダンの所有していたゴッホやルノワールの絵画が置かれています。不思議なことに、こちらの館がメインのはずなのに中国人の人たちは誰も入って来ません。見終わって、広く美しい庭に出ると、そこは中国人ツアーとフランスの小学生の団体でいっぱいでした。中国人の団体は、地獄の門や、カレー市民や、考える人などの有名な作品を背景にして互いに写真を撮り合っています。小学生たちは、各自ボードを持って作品を見ながら何かを記入しています。美術館を出る前にグッズショップに寄ると、驚いたことに中国人たちが高価な塑像のミニチュア(十数万もする)を何体も買って、それぞれ郵送してもらう手続きをしています。

   ところで、前の晩にホテルで見たテレビのニュースでパリにおける中国人団体客のスリ被害が特集されていました。中国人の団体に添乗員がバスの中で注意しているのですが、妻の通訳によると添乗員はこんな風に話していた、「あなた方にとって100ユーロ(約13000円)は大した金額ではないが、フランス人にとっては大金だ、たとえ少額でもくれぐれも現金を見せびらかさないように」と。そう言えば、ルーヴル見学の帰りに、リヴォリ通りのルーヴル美術館の正面にある中国人専用のショッピング・ビルから、たくさんのブランドの紙袋を抱えて中国人が出てきたのを目撃していたのでした。

   さて、私はロダンの良さがよくわからないのですが、この仕上がりのとても美しいとは言えない彫刻群の魅力はいったい何なのでしょうか。私はジャコメッティが好きなのですが、彼はロダンについて、美よりも真実を追求した芸術家だと言っています(矢内原伊作『ジャコメッティ手帖1』みすゞ書房より)。私はそれを読んで少し納得したのですが、この「真実」はむろんロダンの頭の中の真実に過ぎません。ロダン自身は「人生なしでは芸術は存在しない」と語っています(ジル・ネレ『オーギュスト・ロダン 彫刻と素描』TASCHEN)。これも彼とすれば納得できる考えで、そう考えるとロダンの芸術もずいぶん分かるような気がします。

   ロダン美術館には彼の弟子で愛人であったカミーユ・クローデルの作品もいくつか展示されています。実は以前この美術館を訪れた時、彼女の作品はすべて館外貸出されていたので見ることはできませんでした。今回の訪問の目的はまさにカミーユの作品を見るためであったのです。私はポール・クローデルの孫娘の書いた分厚い伝記(医療記録・手紙も含む)を読んだのですが(レーヌ=マリー・パリス『カミーユ・クローデル』なだ・いなだ、宮崎康子訳みすゞ書房)、やはり彼女は不運であったと思わざるを得ません。カミーユは、いわゆるパラノイアに侵されて、74歳で死ぬまでロダン一味が自分を殺しにくるという妄想を捨てることはできませんでした。毒殺されることを恐れて病院での食事はすべて自分で調理し、剽窃され盗まれることを避けるため一切彫刻には手を染めなかったのです。そして、このような病気の特徴として、その妄想以外は冷静で落ち着いた思考ができた証拠に、残された手紙は彼女の知的で人間味ある性向をよく示しています。父が地方の公務員である典型的中産階級の厳格な家庭、母親の無理解と愛情の無さ、自尊心強く他を頼みにしない不遜な性格、ロダンという人格破綻男との邂逅、外交官であり文学者であった弟の無力、心許せる親友の不在、あまりに冷たく役人的事務的な医者、遺伝的な因子、その他もろもろの理由はあるでしょうが、私が一番悲しみを覚えるのは、この類稀な美貌と燦めく才能に恵まれたフランスの少女が、人生を少しも楽しめなかったことです。晩年の30年を生きながらの屍として精神病院で送るどんな過ちをこの少女は犯したのでしょうか。

   ロダン美術館を出て、ブルゴーニュ通りを北へ歩いて行きました。近くのサント・クロチルド聖堂を訪れようと思ったのですが、途中に Librairie Au Dauphin という古書店がありました。「イルカと一緒書店」とでも訳すのでしょうか、児童書が中心の古本屋らしいです。店頭の2ユーロ圴一の箱をゆっくり見て、アンリ・ド・モンテルランの戯曲『君主が子供である町』を発見しました。この店はくつろいでいて大変感じ良い本屋です。目当てのサント・クロチルド聖堂は19世紀のいわゆるネオ・ゴシックの聖堂ですが、その大きさ、その荘厳さでパリ屈指のものだと思います。同じ頃できたサクレクール寺院があれほど観光客を集めているのに比べて、この聖堂は一人も見学者がいませんでした。またここは、かのセザール・フランクが終生オルガン奏者を務めたことでも知られています。

   近くのソルフェリーノ駅からメトロ12番線で、ノートルダム・ド・ロレット駅へ。駅のすぐ上にあるノートルダム・ド・ロレット教会では毎週火曜の1時15分から無料のコンサートがあるというので訪ねたのですが、情報が違っていたか、たまたま休みだったのか行われていませんでした。がっかりしたらお腹が空いてきました。ちょうど昼過ぎで、サラリーマンやOLや学生がロレット教会の階段に座って、テイクアウトのお昼を食べています。近くには小さなテイクアウトのお店が並んでいて、妻はそこでスープが飲みたいと言いました。ところが、スープは売り切れで、仕方なく6ユーロでサラダを買いました。サラダを買うと小さなフランスパンがついてきます。二人でロレット教会の階段に座って食べましたが、隣りで食べていた30代ほどの男性は自分の食べ残しのサンドイッチをメトロの階段の上にぐったりした感じで座っていたホームレス風の男性に与えていました。ちょっとびっくりした光景でしたが、施しをした男性は少しも尊大ではなく、恐らく食べ残しで申し訳ないが、というようなことをホームレスの人に声かけていたようです。

   ノートルダム・ド・ロレット教会は、四角い蝶の形をした9区のど真ん中にあります。日曜日に9区に来たときは店がほぼ休みだったので、今日は本屋など回ってみようと思いました。まず、マルティル通りを上がって、すぐ右折してショロン通りに入ります。すると左側に Librairie Les Arpenteurs がありました。入ってみると、文学書、一般書、児童書が中心らしく、店はたいへん明るい雰囲気です。パリの書店は雑誌類を置かないので、どこも落ち着いた雰囲気があります。奥の文学書のコーナーで、男の店員が女性客に熱心に本の説明をしていました。私の知らないフランスの現代作家の本らしいのですが、そのうちに店員は興奮して(私が後ろで聞き耳を立てていたかもしれませんが)店中に響くような大きな声で話し始めました。デジタルの時代になり、パリの本屋もその数の減少が心配されていますが、この店のような町に根付いた本屋は、住民の読書相談を引き受け、またはその店員自身の魅力で顧客を獲得している店が多いようです。 私は、この店でヴァルザーの La Roseという小品集を買いましたが、ホテルに帰って読み始めると収録作品の半分くらいは読んだことがあるものでした。

   ショロン通りを右に曲がり、ミルトン通りを通って、トゥール・ドーヴェルニュ通りに入りました。この通りの26番地にある作曲家ビゼーの生家を訪ねたのですが、二階の部屋の横にプラークが張ってあるだけのただのアパルトマンで、がっかりしました。気を取り直して、パリの下町の雰囲気たっぷりの坂道を上っていくと、もうそこはモンマルトルのふもと、セックス・ショップの並ぶピガールのすぐ裏手です。そのコンドルセ通りに、エロ本・美術書・写真集などを扱う古書店 Librairie Galerie Rose Noir がありました。「黒薔薇書店」という名ですが、別に入りにくい雰囲気ではありません。店頭には旅行書、写真集、画集などが結構安価に並べられています。中に入ると、狭くて暗く、初老の店主が店番する前で、青年が熱心に店の真ん中にあるエロ写真集の箱を漁っています。時折、笑顔で話しているのを見るとこの店の常連なのでしょう。右側の棚は写真集などで、ドアノーの自選解説つき写真集が30ユーロ、カメラについての本もあって、日本語の「ニッコール年鑑」が置いてあったのには驚きました。奥のさらに暗いところが、この本屋のいわば眼目で、サドをはじめとする「危険図書」らしきものが並んでいます。値段はなぜか異様に高く、深夜叢書のクロソウスキー『ロベルトは今夜』は何と60ユーロでした。

   コンドルセ通りを左に行って、再びマルティル通りにはいります。そこのLibrairie l'Atelier 9 という本屋に入ってみました。文学書、軽い恋愛小説、推理・警察小説、児童書などが並びます。先のLes Arpenteurs とほぼ同じような品揃えの書店で、狭い区域に同種の書店が二軒あるのは経営的に厳しいような気がしました。Librairie Atelier 9 の並びに Librairie Vendredi という小さな本屋がありました。ここに入ってびっくり、非常にセンスの良い思想書や文学書が並びます。夢中になって店の端から順番に本を見ていると、初老の女主人が何やら話しかけて来ました。どうも店を閉めるらしいので、まだ3時なのにおかしいなと思って外に出ると、外のワゴンを店内に入れています。そして、扉に鍵をかけて隣のカフェに入ってしまいました。おそらく3時のお茶の時間を厳密に守っているのでしょう。

   ピガールの交差点から始発のバスに乗りましたが、妻はアンモニア臭いので降りたいと言いました。面倒だったので、乗り換えのルーヴル・リヴォリまで行ってそこで降りましたが、妻によると明らかにバスで小便した人間がいるとのことです。後ろに座っていた黒人か、斜め横の酔っ払いか、思い出すと乗客はすべて疑わしい。念のため私は自分のズボンもチェックしてみました。妻は匂いがまだまとわりついていないか気になっているようでしたが、気分転換にプティ・パレまで歩いて絵でも見ようと提案しました。ところが、歩き出した途端私がぐったり疲れてしまいました。それで、リヴォリ通りに面した有名な書店 Librairie Galignani に妻を案内しました。正面には「大陸で一番古い英語の本の店」と書かれたプレートが張ってあります。店内はすばらしい。間違いなくパリでもっとも美しい書店でしょう。一番奥には詩集の売場があり、そこにはソファーが二つ置かれてゆったり本を選べるようになっています。妻はこの店で本ではなく布でできたブックバッグ(5ユーロ)を買いました。

   バスでセーヴル・バビロンまで行きました。デパート、ボン・マルシェで夕食を調達しようと思ったのですが、その前にボン・マルシェの裏手のバビロン通りにあるコンラン・ショップに行ってみることにしました。そのバビロン通りには休憩中のデパートの従業員でしょうか、黒と白の制服を着た若い男女がズラッと座ったり立ったりしてタバコを喫っています。しかし、パリの若者、とくに女性の喫煙率の高さには驚きます。飲食店の店内や公共施設では全面的に禁煙なので、カフェのテラスや路上で喫煙する人たちが多いのですが、この喫煙率の高さはなかなか減らない若年の失業率に比例したストレスの増大によるものでしょうか。コンラン・ショップは、バビロン通りとバック通りの交差点、ボン・マルシェのかつての倉庫だった場所にあります。最近日本でも展開している英国発祥のインテリア・日用品の店ですが、なかなか面白いデザインのものもあるが、帰りの荷物を考えると、紅茶のカップ一つ買うのも躊躇してしまいます。

   コンラン・ショップの向かいにパリ外国宣教会(Missions Etrangeres de Paris)があります。一度入ってみたかったので、思い切って入ってみました。アーチ型の門をくぐると中庭があって、正面奥に教会堂のような建物があります。階段を上ると教会があり、階段を下ると地下墓所(クリプト)になっているようです。階段の下に7、8人の東アジア系の若者たちが、この場に相応しくないように大声でふざけています。彼らが日本人であるはずがありません。東アジアでカトリックといえば韓国しかなく、実際話されていたのは韓国語でした。私たちが階段を上って教会に入ろうとすると、その若者たちの一人(女性)が走って私たちのところにやってきました。「何か用ですか?」と妻が聞くと、日本人と気づいたのかなにも答えずに去って行ってしまいました。私はそれを見ながら、パリ外国宣教会も昔と変わらないなと思いました。かつて、フランスの僻地の農村から信仰心厚い青年たちを集めてアジアの奥地に布教に行かせていたこの組織は、現代ではアジアやアフリカの文化的に遅れた国の青年たちをその尖兵にしているのです。

   教会は見るべきところ全くなかったので、地下の墓所に降りてみることにしました。異常に暗く寂しい空気が漂っています。途中にトイレがありましたが、怖かったので入りませんでした。階段を降りたところに、中国と韓国で殉教した宣教師たちの写真が飾ってありました。その奥が「殉教者の部屋」Salle de Martyrs で、白人の若い女性の係員が一人立っていて、私のカメラを指さして撮影禁止です、と言いました。さて、この部屋こそ私が見たいものだったのです。パリ外国宣教会は、イエズス会衰退の後を引き継ぐ形で、1653年からベトナム、カンボジア、マカオ、中国、朝鮮などに宣教師を送り込んだ組織ですが、感動するのはその犠牲的精神です。というより、派遣される宣教師たちは死ぬために赴いたので、アジアに出立する前に、このバック通りの本部のまさにこの地下のこの部屋で、ずらりと並べられた実際の拷問具を見せられて、その覚悟を確認させられたのです。

   その部屋には、殉教した宣教師たちの遺品、衣服や聖書、手帳や手紙、日常の細々した道具もケースの中に展示されていました。ベトナムで首を切られて処刑される宣教師の生々しい絵も、ここではあまり悲惨さを感じさせません。一人が殉教すると、必ず同じ出身地から追随者が志願してきたと言われています。ところで、この会は日本にも関係があります。1865年、長崎大浦に派遣されてきたパリ外国宣教会のプティジャン神父は、教会裏の畑で野菜の手入れをしていたのですが、鍵をかけていた鉄の門をガタガタする音に気づいて正門に行ってみると、14、5人の子供から老人までの一団が立っているのに驚きます。とりあえず、教会の扉を開けて中に入れてやると、その中の一人の女性が、マリア様はどこか、と尋ねました。神父が奥にあるマリアの像に案内すると、皆が膝まづいて祈り始めました。神父が、この像を知っているのかと聞くと、女性は、知っている、この方がマリア様で、腕の中の赤子がイエス様だ、と答えました。この、250年の間信仰を守り続けた隠れキリシタン発見のニュースは、またたく間に世界中を駆け巡りました。

   地上に出るとホッとしました。向かいのボン・マルシェの食品館で、カツレツ、サーモン、ワインなど夜食を買ってホテルに帰りました。食事してから再び外出しようと思ったのですが、風呂に入ると、もう目が空かないので、そのまま寝てしまいました。

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ロダン「カレーの市民」。もしギリシア人が、自分たちの町を救ってくれた人たちの記念碑に、このような像を作られたら憤慨してしまうでしょう。「これでいいんだ、人間だもの」という傲慢さには、救いのない精神の堕落が見えるのです。

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カミーユ・クローデル「波」。波の造形は彼女が好きだった浮世絵の影響があるようです。愛すべき小品で、安易な理解を退けてしまう不思議な魅力があるようです。

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ブルゴーニュ通り55番地「イルカと一緒」書店。児童書に特徴のある古書店。ウインドーには猫の絵本が飾られています。

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サント・クロチルド聖堂。たいへん立派な教会。ネオ・ゴシックの特徴としての完璧に近い統一性がやや鼻につきます。

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ノートルダム・ド・ロレット教会の階段で昼食を食べたりしている人たち。カフェやビストロは高いのでサンドイッチやサラダで済ませます。

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ショロン通り9番地Librairie Les Arpenteurs 。典型的な町の書店。

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Les Arpenteursの店内。店員と客が熱心に話し合うのも町の本屋の特徴。arpenteurとは測量士とか大股で歩く人の意。店のおすすめの本には大股で歩く人の赤い切り絵が張ってあります。

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アダルト本、写真、美術、建築などの本が多い「黒薔薇書店」はコンドルセ通り67番地。ヘルムート・ニュートンのコレクションが充実。店主はとても感じよい。店内はわざと暗くしてあるようです。

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マルティル通り59番地ラトリエ9書店。ここも町の本屋ですが、ピガールに通ずるにぎやかな通りにあるのでお客は多そうです。

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非常に狭い「金曜日書店」。品揃えは凝っています。店頭のワゴンは哲学書が多い。扉に張ってあるポスターは「シュルレアリスムの歴史」の著者モーリス・ナドーの100歳を記念してのもの。(ナドーは今年の6月16日102歳で亡くなりました)

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リヴォリ通り224番地ガリニャーニ書店。その歴史は1520年に遡りますが、この場所に店を出したのは1801年。まさに老舗中の老舗です。高い天井まで本がぎっしり、いつまでいても飽きることはありません。

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パリ外国宣教会の入り口から教会堂をのぞむ。階段の下が地下墓所と殉教者の部屋。内部は撮影禁止です。

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セーヴル・バビロンにあるホテル・ルテシア。アール・ヌーボー建築の外観が美しい。政治家、作家、芸術家など有名人が泊まりましたが、戦前にはあのアドルノも滞在しました。彼は金持ちだったようで、ダンフェール・ロシュロー広場の安ホテルにいたベンヤミンとはずいぶん違います。

 

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