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2013年8月 4日 (日)

サント=ブーヴ通りで(4)ルーヴル

6月24日(月)

    朝6時に起きてしまいました。身支度を整えてから、妻がコーヒーを沸かしている間、パンを買いに行きましたが、今朝はジュリアンではなく、やはりすぐ近くのヴァヴァン通りにある La Fournee d'Augustine というパン屋へ行ってみました。朝早いのでまだ種類は少なかったのですが、例によってクロワッサンとパン・オ・ショコラ、それにブリオッシュを買ってみました。食べてみると、クロワッサンはジュリアンの方が美味しく、甘いパンはLa Fournee d'Augustine の方が美味しかったようです。なお、コーヒーはネスカフェ・クラシコという小さな安いインスタントのもの、西友でも同じものが売っていますが、なぜかパリのスーパーで買ったものは断然おいしいのです。ちなみに日本ではリプトンのイエローラベルなど不味くて飲めないのですが、これもなぜかパリのものはおいしく飲めてしまいます。戸外で食べる遠足のおにぎりが美味しいのと同じ理屈でしょうか。

    昨日と一転、たいへん良い天気です。今日は妻が楽しみにしていたルーヴル美術館見学ですが、朝9時開館なので慌てて準備をしました。ノートルダム・デ・シャンから68番のバスに乗って、ピラミッド・サントノレで降りました。エスカレーターで降りて、カルーセル・デュ・ルーヴルの入口から入ろうとしたら、まだ開館に間があるのにすごい行列です。仕方なく最後尾に並びましたが、中国人や日本人のツアーの集団が私たちの行列の真ん中を横切って、集団専用の入口から入って行きました。

   やっと順番が来て、現金を使える自動販売機で切符を買い、リシュリュー翼から入ろうとしたら、そこでセキュリティ・チェックがあったのですが、バッグをベルト・コンベアーに載せるだけで簡単に済みました。ところで、前回のルーヴル訪問の時は私の体調がひどく悪く(熱があってボーとしていたので)、ゆっくり見学できなかったのですが、今回はかなり元気です。しかも事前に『一日で鑑賞するルーヴル美術館』(小池寿子・トンボの本)に出ているルーヴル全館の見やすい地図を熟読し、暗記し、見学する順番をしっかり決めて、意気込んで入館したのですが、最初のエジプト美術を見たら、もう疲れてしまいました。

   というのもルーヴルのエジプト室は見どころ満載なのです。彫刻や壁画もすばらしいが、小物類はいつまで見ていても飽きません。特に、様々な動物の意匠が面白い。思うにエジプト人は、人間をそれほどたいした存在と見てはいなかった。というより何よりも劣ったものとみなしていたに違いありません。たとえば彼らが崇拝する猫は、その敏捷さ、清潔さ、気位の高さで人間をはるかに凌駕しているように思えたのです。私も、家の猫の、虫を狙って追いつめて捕えるスピードを見ていると、もし猫でよいのなら日本代表のフォワードに推薦したいと冗談に思ってしまうのですが、エジプト人にとってはそれこそ神性の表れだったのです。隼の速さ、牛の力強さ、カバの多産さ、犬のしなやかさ、それらは人間が半身に覆うことによってはじめて神に近づけるものだったのでしょう。

   そして、エジプト美術のもう一つの驚きは、3000年の間、ほとんど進歩というもののないことです。ギリシア美術がわずか20年、30年の間に目に見える変化をしているのとは全く対照的です。エジプトの装身具を各時代ごとに展示しているコーナーでは1000年のスパンがまるで感じられないほど似通っています。あるいは、進歩というのは地上の世界のことであって、死後に本当の生が始まるこのナイルの地ではそれほど意味をなさないのでしょうか。
 
    まだ12時を少し回ったころでしたが、ルーヴルは一度入場すれば出入り自由なので、気分転換に外へ出て、ルーヴルのすぐ前のリシュリュー通りにある stube というドイツの惣菜と菓子の店に行きました。そこで、キッシュとレモンタルト、Beck というビールを一杯ずつ飲んで14ユーロとは安いものです。店の雰囲気も味も申し分なく、特に疲れた体に冷たいビールは至上の味でした。時間があれば、すぐ近くのパレ・ロワイヤルのベンチで食べることもできそうです。

    再びルーヴルに戻って、今度はギリシア部門の展示へ。サモトラケのニケやミロのヴィーナスなどは見学者が多いので、うまく避けるようにして、もっぱらギリシア陶器を見学しました。ギリシア彫刻はアルカイック期から古典期にかけて、まずこれ以上にない完成度に達したと言われています。言われています、と言うのも最盛期のまさに神作ともいうべきものは皆消失したか破損した状態でしか残っていないからです。後世に伝えられたものは(フェイディアスやミュロンのような)傑作のローマ人による模造であり、模造はそれがいかに優れていたとはいえ、いや優れていればこそなおさら、オリジナル製作時の作者の感動から遠く離れてしまっています。サモトラケのニケやミロのヴィーナスは本物とはいえ、すでにクラシックの時代から2,300年経ったヘレニズムのものであり、ギリシアが全力をあげて達し得た地点からいわば心地よく堕落しているようです。その点、ギリシア陶器は、その技術を変化させながら、ギリシアの全時代に渡って良質のものが多数残っており、しかも、陶器の絵柄のみでその世界の全体像を把握できる稀有なものなのです。その中でもパルテノン時代に隆盛を見た葬祭用白地レキュトスは、アッティカの墓碑と並んで、死と生についての彼らの思想を垣間見せてさえくれるのです。

    ギリシア美術に続いてフランス美術を見学することにしました。妻はイタリア美術も見たいと言っていましたが、モナリザ周辺は人が多いのが嫌で今回は敬遠しました。私の好きなオランダ絵画は以前堪能したのでこれも割愛することになりました。フランス美術の部屋は、奥に進んで行けば行くほど見学者が少なくなって来ました。シャルダン、ジェリコー、シャセリオーときて、最後の行き止まりであるアントワーヌ・ヴァトーの部屋へ着いた時は私たち2人だけでした。

    夕方5時までたっぷりルーヴルを楽しんで、グッズ売り場でいろいろ物色してからバスで帰り、途中で買ったハムやチーズをおかずにワインを飲んで、10時前に寝てしまったのですが、今日はルーヴルの中をどれだけ歩いたことでしょうか。とてつもなく広い美術館で、じっくり鑑賞しながら歩き回るのはものすごい体力が必要です。足の疲れよりも、神経の疲れ、展示されたものへの没入の疲れというのでしょうか、妻も私も心底疲れて朝まで一回も目を覚まさずに寝てしまいました。今回のルーヴル訪問には心配事があって、それは出発直前にあった館員のストライキです。ルーヴル館内でスリが多発して館員が巻き込まれることが多いので、警備の強化を要求して、ついに一日閉館にまで至りました。パリの美術館は大抵そうですが、ルーヴルも子供が無料なので、ルーマニアのブカレストから大挙して押し寄せるジプシー(ロマといわれる)の子供のスリの格好の稼ぎ場となっていたのです。さすがにストによる閉館の衝撃は大きく、パリ市長、パリ警視庁長官、パリ市選出の国会議員らが乗り出して、結果、ルーヴルの警備は劇的に強化され、そのためスリの発生は十分の一になったということです。ルーヴルばかりでなく、今年に入って、ロマによるスリ被害が多発していたので、私たちがいた頃は、パリ中いたるところ武装警官の巡回を目にしました。

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ホテルの人が強く勧めていたパン屋のジュリアン。ヴァヴァン通りとノートルダム・デ・シャン通りの交差点にあります。1995年度バゲット・コンクールの優勝店。このコンクールに優勝すると、一年間エリゼ宮にバゲットを配達する義務を負います。

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ヴァヴァン通りにあるパン屋、フルネ・ドギュスティン。2004年度バゲット・コンクール優勝店です。ホテルのすぐ近くに「名店」が二つあるのは珍しい。

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子猫のミイラを入れておく棺。死んだ猫への愛おしさが伝わります。

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子猫のミイラ。飼主は死後にも共に遊びたかったに違いありません。

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猫の親子。首にまとわりつく子猫がかわいらしい。

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エジプトの装飾品。一つ一つが優美に輝いています。

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ナイルの舟遊び。日常生活のすべては墓の中にミニチュアの形で持ち越されました。

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葬祭用白地レキュトス。遺体の香油入れに使われ、死者とともに埋葬されました。460から420年ころのギリシア美術最盛期の作品。右は冥府の案内者カロンcharon、左は墓の前に供物を捧げる死者が描かれています。

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B.C400年ころ、古典期のアテネの墓碑。椅子に腰掛けている母親が死者です。左手で髪の毛をつまむけだるい表情、うつろな目、右手は力なく子の手を握ります。神や動物や自然界のあらゆる事物と隔絶して、ただ人間だけが死すべきmortal存在であることの憂愁と悲しみ、生と死の絶対的な深遠がそこにはあるのです。

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左に立つ女神デメテルに捧げるいけにえの山羊を祭壇に載せようとする若者。隣の神官の老人が若者に指示するが、あごひげを引っ張られた山羊は必死に抵抗します。山羊の頭が女神よりも誰よりも大きく描かれているのが興味ぶかい。

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吊られたマルシリウス。アポロンと音楽合戦を挑んで負け、そのヒュブリス(傲慢)を咎められて生皮を剥ぎ取られる直前の姿です。サモトラケのニケやミロのヴィーナスやラオコオンと同じヘレニズム期の作品であるが、これはローマの模造。ヘレニズム期は人間的なもの、個人的なもの、感情や技巧の誇張が見られ、神的なものの劇的な後退が見られます。ここから芸術の堕落がはじまるのです。

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私の好きなシャルダン(1699-1779)の「サイコロ独楽を回す少年」。モデルは宝石商の息子。独楽の動きに気をとられながらも、ブルジョワの気取りがにじみ出ているようです。

Photo

シャセリオー(1819-1856)は官能的な女体を描くことで有名ですが、その才能は師のアングル、弟子のギュスターブ・モローにも全く劣りません。この「生まれたばかりのヴィーナス」はわずか19歳の時の作品というから驚きます。結核のため37歳で亡くなりますが、思えばフランスの画家はジェリコー(32歳)、ヴァトー(37歳)と若死にが多い。

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フランス絵画の最後の行き止まりの部屋には、ただこの「ピエロ、かつてジルと呼ばれた」一点のみが飾られています。ヴァトー(1684-1721)の傑作であり、ルーヴルを代表する名画のひとつ。ここまでたどり着く人は少ないので、ベンチに座って心ゆくまで鑑賞できます。

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コメント

非公開(S先生、いつも楽しく拝見しております。先生のフランス行きは、ほとんど修行のごとし、です。さて、ギリシアの墓碑の解説中、immortalはmortalでしょうか。)

投稿: murata | 2013年8月 5日 (月) 11時07分

murataさん、コメントどうもありがとうございました。
ご指摘のとおりimmortal はmortal の取り違いでした。
ご指摘感謝に耐えません。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
(さっそく変更しておきました)
saiki

投稿: saiki | 2013年8月 5日 (月) 18時10分

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