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2013年7月 1日 (月)

ウィラ・キャザー『マイ・アントニーア』

Kさん
先日、お借りしたこの本、ウィラ・キャザーの『マイ・アントニーア』(佐藤宏子訳・みすず書房)をもう三回も読んでしまいました。Kさんはこの本について何も言わず、私に手渡されるとき、何か意味深そうな眼差しで、しかし沈黙のまま微笑を浮かべておられましたね。今思えば、あなたはきっと次のような言葉を無言のうちに語っていたに違いありません。

「『赤毛のアン』を好きなあなたなら、きっとこの本も気に入ってくれるでしょう。あなたや私のような傷つきやすい人間、この不当な世界に放り出されて、書物と夢想の中でしか本当に生きていけない人間にとっては、このような本が伝えてくれる優しさこそ糧なのです。私のアントニーアが、またあなたの友人にもなりますように!」

物語は北アメリカ中部の広大な平原を横切って走る列車の中から始まります。語り手の「ぼく」ジム・バーデンは十歳で、一年のうちに相次いで両親をなくし、東部の家から、遠く中西部のネブラスカに住む祖父母のもとに作男のジェイクといっしょに向かうところでした。長い長い旅路、「ネブラスカについて特筆すべきことは、一日たってもまだネブラスカだったということだ。」シカゴから乗車してきた親切な車掌が、ジムに、列車の前方の移民専用の車両に英語を話せないボヘミアの移民の一家がいて、その子供たちの中に、きれいな茶色い眼を持った少女がいるよ、と教えてくれました。その一家の目的地はジムと同じネブラスカ州のブラックホークだというのです。

列車は真夜中にブラックホークに到着しました。駅前は真っ暗闇で、ただ迎えの二台の荷馬車のカンテラだけがさびしく光っています。移民の親子は前の馬車に乗り、ジムはオットーという名の作男が御している荷馬車に乗ってそれぞれ20マイルほどの道のりを麦藁にくるまりガタガタ揺れながら出発しました。長い物語の最後に、40歳になったジム・バーデンが再びこの古い轍の残る道を訪れたとき、彼は自分自身に戻って来たという感覚を味わいます。「これは、アントニーアとぼくが、ブラックホークで汽車を降り、麦藁の中に寝かされたあの夜、どこに連れて行かれるだろうとかと思った子供たちが通った道なのだ。目を閉じると闇の中で馬車の揺れる音が聞こえ、すべてを消し去るあの未知の世界に再び圧倒される。‥‥アントニーアとぼくにとって、この道は宿命の道だった。」

さて、祖母の家に着いたジムは、その家と農場と菜園などすべてのことが大変気に入ります。敬虔な祖父とやさしい祖母、気のいい作男たち、居心地のよい台所、自分のために用意された仔馬など。ところが、挨拶がわりに食料をたくさん持って祖母と訪ねた移民の一家は悲惨な状況でした。誰も英語ができないので、周旋人に言いようにあしらわれ、高値で買った土地は荒地で、住む家はダッグアウトと呼ばれる土手に掘った横穴でした。

そのシメルダ家には両親と五人の子供がいて、そのうち長女の14歳になるアントニーアがジムの心をすっかりとらえてしまいます。車掌が言っていたように、彼女の眼は大きくて、暖かい感情がこもっていて、まるで、太陽の光が降り注ぐ森の中の茶色の池のように輝いていました。肌も褐色で頬には豊かな赤みがさし、褐色の髪は撫で付けるのも容易でないように思われました。二人は子供同士すぐに気が合って、 アントニーアはジムの手を握って土手の上へ駆け上ります。土手の上から見わたす広々とした平原、金色に輝く樹々、アントニーアは友だちができた喜びをカタコトの英語でジムに伝えようとします。帰り際、馬車の上の祖母に、アントニーアの父親であるシメルダ氏は、懇願するようにボヘミア語と英語が書かれた小さな本を見せて、「教えてください、、、私のアントニーアに英語を教えて下さい!」と訴えるのでした。

その日から毎日、アントニーアは近くはない草原の道を、走って、ジムの祖父母の家に通って来ました。ジムと歩き回ったり、祖母の台所の手伝いをしたりして、二ヶ月経つ頃には十分な英語力を身につけてしまいました。遥か遠くから来た移民の一家にとって、家族の誰かが英語を話せるようになることは一家の命運を握っていたのです。

ある日、ジムとアントニーアが暖かい土手のうえに座っていると、淡い緑色の弱々しい虫が、草から、痛々しい様子で出て来ました。ススキの茂みに飛び移ろうとして失敗し、落下すると脚の間に頭を隠すように触覚をふるわせています。アントニーアはその虫をそっとつまみ、両手で暖かい住処をつくってやると、ボヘミア語で陽気に甘やかすように話しかけました。やがて、その虫は二人のために歌いはじめました、かすれた、か細い声で。その瞬間、アントニーアの目に涙が浮かびました。遠いボヘミアの日々を、、故国の村では、ハーブや森で掘ったキノコを売り歩く乞食の老婆がいて、家の中に入れてやり暖炉の前の暖かい場所に座らせると、しわがれ声で古い歌を歌ってくれるのでした。アントニーアは、その虫を自分の髪の毛の中に入れ、スカーフをふわりとその上にかけました。

「お父ちゃんはいつも具合が悪い」とアントニーアは迎えに来たシメルダ氏を見つけると、言いました。「お父ちゃんは本当はアメリカに来たくなかった。ボヘミアではヴァイオリンを弾いていたんだ。オーケストラの友だちもたくさんいた。だけど、母ちゃんが長男のアンブローシュのためにアメリカに来ることを決めたんだ。母ちゃんはアンブローシュに金持ちになってもらいたかった。アメリカには牛や家畜がたくさんいて、嫁さんもたくさんいるって。父ちゃんはもうヴァイオリンを弾かない。昔は毎日弾いていたのに。ときどき音を鳴らすけど、もう弾かないの。」

シメルダ氏はアントニーアに近寄って、その髪の毛をそっと分けて、か弱い虫を見つけました。「ぼくたちは心地よい沈黙の中で立っていた。その間、アントニーアの髪の毛に守られた吟遊詩人は、かすれた声で泣いていた。シメルダ氏がその声に聴き入っているときに浮かべた悲しみとすべてのものに対する憐れみに満ちた微笑みを、ぼくは決して忘れることはなかった。」

ネブラスカに厳しい冬がやってきました。ジムの祖母は、シメルダ家の生活を心配して、ジムと作男を連れ、たくさんの食糧を馬車にのせて、土手の家を訪れます。シメルダ家に近づくと、アントニーアが、頭をスカーフで包み、木綿の服を風にはためかせて、上下するポンプの柄に全力をかけている姿が目に入りました。ジムたちの馬車の音がきこえると、彼女は肩越しに振り返り、水桶を持ち上げると土手の穴に向かって走りはじめました。

祖母が戸を叩くまもなくシメルダ夫人が祖母の手を掴み、母国語で早口でしゃべっては、泣いたり、ボロ布で包んだ自分の足を指差したりしています。アントニーアの母親は、隣人を放っておいたジムたちを非難するように、ほとんど空っぽになった二つの樽をみせました。一方には、捨てられた所から拾ってきた腐って凍りついたジャガイモが、もう一方には小麦粉が少しこびりついています。「バーデンの奥さん、お母ちゃん(マメンカ)を気にしないで下さい。とっても悲しんでいるんです」とアントニーアは、スカートで手を拭き、祖母が手渡す品物を受け取るときつぶやきました。ジムは、これ以上打ちひしがれた彼女を見たことはありませんでした。薄暗い部屋には黄色いカンテラがつき、マレクという名の重度の知的障害者の弟は喉をゴロゴロ言わせながら床をはっています。「ユルカ、私のアントニーア」と二人の娘の名を呼ぶシメルダ氏の絶望した声が聞こえて来ました。ストーヴの奥には石油樽ほどの丸い穴が掘ってあって、二人の娘は毎夜ここで藁ぶとんにくるまって寝ていると言うのです。祖母はそれを聞いて後ずさりしましたが、アントニーアは、「床の上はとても寒いし、ここは穴熊の巣穴みたいに暖かいんです。あたしはここで寝るのが好き」と熱を込めて言い張りました。

シメルダ氏は、たった一つの椅子に祖母を座らせると、低い声で話し始め、それをアントニーアが通訳しました。それによると、彼は次のようなことを分かってもらいたかったのでした。彼らは、故国では乞食ではなかった。いい給料を稼いでいたし、ボヘミアを出発した時には、旅費を支払った後でも千ドル以上の貯えがあった。ニューヨークで換金した時に損をし、ネブラスカへの鉄道運賃は予想以上に高かった。土地の代金を払い、馬や牛や農機具の代金を払うと、もう残っている金はほんのわずかだった。しかし、春まで持ちこたえられれば、鶏を買い、菜園を植え、うまくやっていけるだろう、だが、雪と過酷な天候が、家族全員を意気消沈させてしまった、と。

深い雪の中のクリスマス、ジムの家ではクリスマスツリーをかざり、テーブルにはワッフルとソーセージがならび、祖父は皆を集めて、いつもの朝より長く福音書の数節を読みました。すでに前日に、ジェイクがシメルダ家の人たちにクリスマスの贈り物を届けており、彼はシメルダ家の人たちがいかに喜んだか、あの長男のアンブローシュでさえ親しげな態度を見せ、帰って行くジェイクを途中まで送ってきたことを話しました。クリスマスの午後四時ごろ、シメルダ氏が突風の中を歩いてきて、自分の家族に対するクリスマスの贈り物への感謝を伝えにきました。さっそく、夕食が準備され、シメルダ氏は、祖母の家の暖かく明るい雰囲気にすっかり魅了され、その心地よい安全な雰囲気に浸っていました。窮屈な穴倉のなかでの生活が続いたからでしょうか、シメルダ氏は苦痛から解放された病人のように身動きもせず安楽椅子に座っていました。

雪解けが訪れる始める頃、シメルダ氏が納屋で銃で自殺したという報せが入ってきました。まだ凍てつく寒風の中での葬儀、自殺者はどの墓地でも受け入れてもらえないので、一家は土地の境界近くに墓穴を掘り、そこに父親を埋めました。いつも「私のアントニーア」と呼ばれて、子供たちの誰よりも父親から愛されていたアントニーアの悲しみは深く、この日から彼女は大きく変わっていくのです。十五歳になり、長女としての責任を自覚し、朝早くから日の落ちるまで、荒地を開墾し、トウモロコシを植える重労働に精を出し、顔は焼け、肌けた上半身を泥だらけにして、馬や牛を引っ張っていました。ある日、ジムが、学校が始まり、良い先生もいて、いろんなことが学べるからとアントニーアに学校に通うようにという祖母の伝言を持って来ました。「あたしには勉強している暇なんてない」とアントニーアは答えました。「兄さんと同じように働けるんだもの。学校は小さな男の子にはちょうどよいところよ。でもあたしはこの土地を立派な農場にしなければならないの」そして、彼女は舌を鳴らして馬に合図をし、納屋に向かって黙って歩きはじめました。その張りつめた沈黙に気づいて、ジムがアントニーアを振り返ると、彼女は薄れていく夕焼けの赤い光の中で、顔をそむけるように泣いていました。

「いつか、学校で習った良いことを、あたしに教えてくれるわね、ジミー」ほとばしる感情を声にこめて彼女は訊きました。「父さんは学校にたくさん行った。沢山のことを知っていた。ホルンやヴァイオリンを弾いたし、沢山の本を読んでいたので、ボヘミアでは神父様たちが父さんのところに話に来た。ジム、あたしの父さんのこと忘れないでしょう?」「うん、絶対忘れないよ」とジムは答えました。

ある日、アントニーアが寝る前に納屋の様子を見に行った時、二頭の馬のうちの一頭の腹部が腫れ、頭を垂れて立っているのに気づきました。長男のアンブローシュは近隣の農家に働きに出ていて不在でした。アントニーアは、もう一頭の馬に鞍も置かないまま乗ると、嵐のような速さで駆け、もう寝ようとしているジムの家の戸を叩きました。祖父が扉を開け、すぐに浣腸器と湿布を持って、アントニーアとともに夜の闇の中に駆け出して行きました。着いたとき、アントニーアの母親はうめき声を上げながら馬の腹を手で揉み絞っていました。直ちに浣腸器が使われ、腸内にたまっていたガスが音を立てて放出されるのにたいして時間はかかりませんでした。馬の腹は目に見えて小さくなりました。「もし、この馬が死んでしまったら」とアントニーアは叫びました。「あたしはアンブローシュが戻ってくるまでなんて、この家にいられませんでした。夜明け前に、池に飛び込んで死んでいました」

「きつい野良仕事は、あの子を駄目にしてしまいますよ。感じの良い態度をなくしてしまい、下品で無作法になってしまう」とジムの祖母は言いました。実際、ジムと会っている時のアントニーアは、男のように音を立てて食べ、食事中に平気であくびをしています。それで、ジムの祖母は、夏だけアントニーアを雇って家の家事をやってもらうことにしました。再び、ジムとアントニーアにとって楽しい日々が始まりました。朝起きるとすぐに、二人は昼食のための野菜をとりに菜園に行きました。祖母は彼女に日焼け帽をかぶらせましたが、菜園に着くやいなや彼女は帽子を草の上に放り投げ、風に髪をなびかせました。豆の蔓の上に屈みこんでいるときに、アントニーアの上唇に汗の玉が小さな口ひげのようになっていました。「あたしは、家の中より外で働くのが好き」と、彼女は楽しげに歌うように言いました。「あんたのお祖母さんが、外の仕事をすると、男みたいになるって言うけど、気にならない。男みたいになるのが好き」彼女は、頭をぐいと反らして、日焼けした腕の力こぶを触ってみてとジムに言いました。

カンザスとネブラスカのトウモロコシ畑は世界一です。地平線の果てまで続く金色の波のように揺れ動きます。トウモロコシの収穫をする人たちは、夜は暑いので、涼しい乾草小屋で眠ります。ジムとアントニーアは、毎夜、鶏小屋の上の傾斜した屋根に上って動いて行く雲を、青く深い海のような空を見ていました。「トニー、きみはどうしていつも、こんな風に感じよくいられないの。なぜいつも、男みたいにふるまおうとするの?」ジムがそう聞くと、アントニーアは答えました。「もし、あたしが、あんたみたいにここに住んでいたら、話は別よ。生きるのが楽だもの。でも、あたしたちには厳しいんだ」

Kさん、ここで物語の前半は終わりです。私の印象に残ったページはあなたのそれとどう違うでしょうか。きっと、書き残したことがたくさんあると思っているでしょう。そう、キャザーのこの本の素晴らしさは、主人公たちもさることながら、周囲の人たちの活き活きした描写にあるのです。普通、物語の語り手がいて、主人公が別の人間の場合、失敗することが多いのは、主人公を際立たせるために、語り手が無色で中性的な人間と措定されることが多く、それが物語のリアリティーを損なうからです。まさにこの『マイ・アントニーア』をヒントにして書かれたというフイッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』がその例で、物語の語り手は単なる添え物にすぎません。ただし、冒頭の数十頁のみは読ませる、というのも、このような形式の小説の場合、回想形式が物語の雰囲気を多分にロマンティックにするからです。同じような失敗作はアラン・フルニエの『ル・グラン・モーヌ』でしょう。筋自体も退屈ですが、語り手の少年のとらえどころのなさが致命的です。

『マイ・アントニーア』の成功は、ただ単に語り手の回想がアントニーアだけに集中することなく、その周辺をきめ細かく、しかも劇的に描いている点にあります。まずアメリカ中西部の自然、冬の厳しさ、酷暑の大平原、ガラガラ蛇とプレーリードッグ、そして農場に働く人たち。ここで描かれるオットーとジェイクという作男の肖像は誰にもまして心に迫ります。彼らは流れ者の労働者なのですが、陽気で子供好きで、約束の時間を超えて働き、どんな緊急な用事にも対応します。骨惜しみをすることは彼らの誇りが許さないのです。「思い出すと、二人とも何とむき出しの顔をしていることか。彼らの荒っぽさと感情の激しさが、まさに彼らを無防備にしているのだ。世界に立ち向かうために彼らが持っているものは、素手の硬い拳だけだ」そして、祖父母の一家が引っ越して、ついに彼らと別れる時がやってきます。「ジェイクとオットーは最後までぼくたちに尽くしてくれた。町への引越しを取り仕切ってくれ、祖母の台所に棚や戸棚を作ってくれた。しかし、とうとう何の予告もなしに彼らは行ってしまった。ある朝、晴れ着を着込んで油布のカバンを持ち、彼らは西に向かう列車に乗り込んだ。、、、そして再び彼らに会うことはなかった」そして、この小説の最後に、アントニーアとジムが古い昔の写真を取り出して、オットーとジェイクのことを思い出す時、私たちもまたある感慨に浸るのです。これこそ小説の力でしょう。

他にも様々な人々が登場します。ほとんどが移民の人たちで、皆、止むに止まれぬ事情で故郷の国を飛び出してきた人々です。たとえば、ピーターとパヴェル。ウクライナ出身のこの二人の男性は、その本名すら知らされず、荒野の真ん中の掘立小屋に二人で住んでいました。英語をほとんどしゃべれないが、働き者で、人が良いので、生前のシメルダ氏や、ジムやアントニーアまでもたびたび彼らの小屋を訪れて時間を潰していました。しかし、パヴェルが作業時の事故で亡くなると、ピーターはすべてを売り払って西の方へ去って行きます。死の直前にパヴェルは、シメルダ氏になぜ故国を離れたかを説明するのですが、それは世にも恐ろしいことでした。ウクライナの冬の夜、知人の結婚式のとき、ピーターとパヴェルは新郎新婦の乗る橇の御者役を務めました。その年はオオカミの被害が多発していました。だが、酒をしこたま飲んでいた彼らは何の心配もせずに橇に乗り込みました。やがて、気がつくとオオカミの群れに跡を追われています。懸命に橇を駆って逃げるものの、他の橇の人たちは次々とオオカミに捕まり噛みちぎられています。ピーターとパヴェルと新郎新婦を載せた橇だけがまだ逃げていましたが、ついに馬が重さに耐えきれず、オオカミに追いつかれそうになりました。 そのとき、パヴェルはピーターに手綱を渡すと、新郎新婦のところに行き、荷を軽くしなければならない、といいました。そして、新婦と新郎を橇から放り投げたのです。ピーターとパヴェルは、それから村を追い出され、ウクライナ中を彷徨いましたが、どこに行っても出身地を聞かれるとあの出来事が人々に思い出されたのです。彼らは、アメリカへの渡航費を稼ぐため五年間働き、やっと新天地に着きましたが、心の重荷から解放されることはありませんでした。

Kさん、移民の人たちの苦労話というと、私はすぐにルイ・エモンの『白き処女地』(原題Maria Chapdelaine)を思い出します。カナダに入植したフランス人一家の話ですが、酷寒の中での農作業、作男の気風や作業用の馬や牛への愛情、僻地で重病に罹ることの恐ろしさなど、自然主義フランスの作家らしく、丁寧に精密に描かれています。惜しいことには主人公の少女がアントニーアほど生彩に富んでいない点で、最後は宗教的な諦観で終わるのも納得できません。しかし、これもやはり一読の価値ある名作です。なお作者のLouis Hemon(1880-1913)はわずか32歳で、無名のまま急行電車にはねられて死にました。

ところで、いよいよ『マイ・アントニーア』の後半のめまぐるしい展開を書かねばなりません。ジムの祖父母は年取って農作業が辛くなったので、一家は農場を売って、ブラックホークの町へ引越しました。祖父母の新しい家の隣には、ノルウェーからの移民で穀物商として成功し町に隠然たる影響力を持つハーリング一家が住んでいました。特に、祖母とハーリング夫人はその宗教心と寛容の心から互いに親しく交際するようになったのですが、日頃からアントニーアの過酷な仕事を心配していた祖母は、ハーリング夫人に家事手伝いとしてアントニーアを紹介します。こうして、農場の辛い仕事で荒っぽくなった彼女は、一転、ハーリング家で子供の世話や料理や洗濯を引き受けることになりました。気だての良いアントニーアは、どんな仕事も精力的に明るくこなし、たちまちハーリング家でなくてはならない存在になっていきます。

アントニーアをハーリング夫人に紹介したとき、祖母は次のように説明しました。「あの子が初めてこの国に来て、彼女を見守る品の良い父親がいたとき、あの子はわたしが見たことがないほどかわいらしい娘だったのですよ。でも、あの子は大変な生活をしてきました。粗野な脱穀をする男たちと一緒に野良仕事をしていたんです」ハーリング家の人々はアントニーアの父親の死のいきさつを知り、17歳の少女がこれまで経験した様々なことに心打たれました。特にハーリング夫人は祖母と同じようにアントニーアを愛し、彼女の幸せを願うようになったのです。

「アントニーアとハーリング夫人の間には、根本的な調和が存在していた。二人とも強靭で自立した性質だった。自分の好みを知っていて、人の真似はしなかった。子どもと動物と音楽を愛し、乱暴な遊びと土を掘ることが好きだった。こってりした栄養たっぷりの食事を作り、人々がそれを食べるのを見るのが好きだった。白いふかふかのベッドを整え、幼い子どもたちがそこで眠っているのを見るのが好きだった。気取った人たちをあざ笑い、不運な人たちに素早く救いの手を差しのべた。二人の心の奥底には、心から陽気に人生を楽しむ気持ちがあり、それは細かいことにこだわりすぎず、人々に活気を与えるものだった」

ところが、自立心が強いがゆえに二人はついに別れることになります。町にダンスの季節がやってきて、アントニーアはテント張りのダンス会場に連日通うようになりました。一度のめり込むと制御の効かない性格なので、昼間からダンス音楽を口ずさみ、夕方になるのが待ちきれません。そして、天性のダンスの才能と明るい少女らしさは街の男たちの注目となります。浮ついたアントニーアにハーリング夫人は、ダンスを取るかハーリングの家を取るか、どちらかを選択しろと迫ります。誰もあたしを束縛することはできません、とアントニーアは言って、ついにハーリング家を出ることになります。ここからアントニーアのいわば「転落」が始まるのです。列車の車掌をしているプレイボーイに騙されて駆け落ちし、捨てられて戻ってきますが、すでに彼女は妊娠していました。

もはや取り返しのつかない過ちで、アントニーアは、彼女を思う立派な人間の忠告を無視して、女性の誇りを泥の中に捨てたのです。しかし、アントニーアは再び生き返ります。堂々とした態度で生まれた娘を育て、実家で農作業に勤しみます。やがて、同じボヘミア出身の誠実な農夫と出会い、結婚し、何と計十一人の子宝に恵まれます。一方、ジムはハーヴァード大学を出て、大陸横断鉄道の専任の弁護士となり忙しい毎日を送りますが、ニューヨークでの結婚生活は必ずしも幸福ではありません。そして、ある日、40歳になったアントニーアに会うために再びネブラスカのトウモロコシ畑を訪れます。

Kさん、私にはこの最後の場面がもっとも感動的だったのです。つまり、ここで、この物語の冒頭に置かれたエピグラム、ヴェルギリウスの「最良の日々は何よりも早く過ぎ行く」という言葉の意味がわかるのです。ジムがアントニーアの子沢山の家を訪れると、子供たちのすべてがジムのことを知っており、子ども時代のアントニーアとのエピソード、ガラガラ蛇を退治したことやオットーの作ってくれた橇で遠くまで遊びに行ったこと、なども一つ残らず知っているのです。それどころか、ピーターやパヴェルのことも、作男のオットーやジェイクのこともジムの祖母やハーリング家の人々のことも知っていたのです。それは、毎夜、子供たちにアントニーアが彼女の「黄金時代」のことを話して聞かせていて、あの幸福な日々の思い出のすべてが彼女の子供たちに共有されていたからに他なりません。

そして、その時、ジムは初めて、過ぎ去って戻ってこないあの時代が、自分にとって最良の時であり、それがアントニーアという一人の少女に象徴されていたことを知るのです。こうして、最後のページは、ジムとアントニーアがブラックホークの駅から馬車に揺られて行った道を再び見つけることで終わるのです。Kさん、これは幸福な終わり方でもなければ、不幸な終わり方でもありません。それは、また、現在をより良く生きよというメッセージでも、むろん、ありません。幸福とは、それを呼び起こすことにある、という単純な事実にこそこの物語の真意はあるのだと思います。

最後に、読者の誰でもが持つ疑問、なぜジムはアントニーアと結婚しなかったのかという疑問が残っています。ジムは、その生涯で出会うどんな女性よりもアントニーアを愛していました。そして、結婚できなかったからこそ、今もなお彼女を愛しているのです。なぜ、結婚できなかったか。それは、人生の大いなる秘密です。家族ぐるみで知り合いである場合、往々にして、好き合った同士でも結婚に至らぬ場合が多いのですが、それは様々なしがらみや妨害が感情の素朴な表出を抑制するからです。それは私たちの誰しもが身の回りで経験することではないでしょうか。しがらみを断ち切って飛び込むことは誰でもできるというわけではありません。
Kさん、さびしい終わり方になってしまったでしょうか。どうぞ、お元気で。

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コメント

現在、初読中です。

今月中旬に、みすず書房から、新装版が発売される模様。
ネット書店がしばらく在庫切れ続きだったので、図書館で借出しているのですが、そういう事情があったのか、と、ナットク。

生活習慣や宗教的な差異など、細部については汲みきれないのですが、
「大きな起伏はないのに、退屈しない。」物語。
きっと、ジムが書いたのとおなじ物語を、アントニーアも子供たちに語っているのでしょうね。

投稿: あさ・がお | 2017年3月 6日 (月) 09時25分

あさ・がおさん、こんにちは。
「大きな起伏はないのに、退屈しない」物語。とは、まさにその通りですね。また、すぐれた小説は最初の2ページで引き込まれるものを持っていますよね。
それでは、また。

投稿: saiki | 2017年3月 6日 (月) 12時39分

読むのが遅い自分ですが、ひと月かかって、3月前半に、無事、読了しました。
感想をまとめることができず、箇条書き5点に絞ってみました。

本が手に入れば、同じキャザーさんの『迷える夫人』に、着手します。 この本の中にあるはずの ” One is too many ” を解くために。
どういう事情なのか、当市および隣接3市の図書館の蔵書にははいっておらず、ネット通販か、書店で取り寄せすることになりそうです。

投稿: あさ・がお | 2017年3月28日 (火) 21時14分

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