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2013年7月13日 (土)

サント=ブーヴ通りで(1)到着

   6月21日(金)

   「世界最悪の旅」というと、南極点を目指したスコット隊の悲劇ですが、今回の旅行の出だしは、チェリー・ガラードのその本の題名を思い出させるものでした。4月に腰痛が悪化したものの、養生が実を結んで、何とか6月に入る頃には体調万全と思われたのに、よりによって、出発の前夜、思ってもみなかった痛風の発作で歩けなくなってしまったのです。仕事の帰り、左足に違和感を感じてひやっとしたのですが、家に着いて靴を脱いでみると鹿児島のサツマイモのように赤く腫れています。もう荷造りを終えて、明日の出発を楽しみにしていた妻も、それを見て、冷水をかけられたように意気消沈してしまいました。特効薬の玉ねぎのスライスを作りながら、目に悔し涙か玉ねぎの涙かが浮かんでいます。

   頑張って玉ねぎを食べ、湿布を張り、水とお茶を飲みまくって一晩で十数回も尿を出すという荒療治で、明け方にはやや痛みが薄らいで来ました。2年ほど発作がなかったのに、なぜこんなタイミングで再発しなければならないのか、ツナ缶の食べ過ぎか、ビールの飲み過ぎか、いやもう後悔しても仕方がありません。飛行機のチケット、ホテルの予約、旅行保険の契約、バレエの入場券、おまけに土産までネットで買っていて、もはや 取り消しは不可能、とにかく、ステッキを頼りに、荷物を全部妻に任せて、半病人の状態で飛行機に乗る覚悟を決めました。しかし、街を歩き回ることもできないし、ワインも飲めず、肉や魚も食べられず、エクレアやタルトも食べられないとしたら、いったい何のためにパリに行くのでしょうか。
   
    旅程はほぼ去年と同じ、羽田発深夜便、明け方パリ到着です。空港内はけっこう歩くので、搭乗した時はまた足が腫れてジンジンと痛みました。前夜ほとんど眠れなかったのに、痛みのせいか、機内の照明が落とされても全然眠くありません。水を飲みながらじっと目を瞑っていましたが、何度も乱気流の中を航行して、不快さが徐々に募ってきました。明け方うつらうつらしただけで朝6時にパリ到着、いつものように、ツアー客の後ろについて迷わないようにしましたが、私たちを囲むように歩いていたツアーの一団(ほとんどは中高年の女性)が停止して、添乗員の説明が始まったので、私たちも立ち止まって聴き耳をたてました。それによると、約40人のツアーのうち30人は女性で、どうも印象派をめぐるツアーらしい、このままバスでジヴェルニーに行き、さらにルーアンまで行って泊まるようです。バスではトイレ休憩はないので、空港にいるうちにトイレを済ましておくようにと念を押していました。しかし、13時間近くも飛行機に乗って、すぐにバスで移動するのに、皆、とても元気です。私には、スケジュール通りの団体行動など考えられません。途中で、自分だけ具合が悪くなったらどうするのでしょうか。バスを一本遅らせてカフェで休むなどできないでしょうから、ものすごい体力と協調性がいるわけです。

   さて、前回のように私たちは、だらだらとエール・フランスバスでポルト・マイヨーまで行き、82番のバスに乗りました。しかし、行先は終点のリュクサンブールでなく、 途中のノートルダム・デ・シャンです。そこで、やっこらさ、とバスを降り、私はパナマ帽にステッキだけという軽装、妻は重いキャリーケースを二つ引っ張ってさらにバッグを斜めにかけオリンパスをぶら下げるという重装です。しかし、ホテルは近く、すぐ前に見える道を左に曲がると、そこはもうサント=ブーヴ通りで、目前にホテル・サント=ブーヴの白い扉が見えます。チェックインの3時にはまだ大分間があるので、私たちは重い荷物をひとまずレセプションの女性に預けました。身軽になったものの、杖をつきながらでは、パリの街も十分たのしめません。おまけに、飛行機で眠れず、胸もまだむかむかして苦しい。ホテルのすぐ近くにあったフランプリというスーパーで水を買い、その並びのパン屋のジュリアンで、サンドイッチを二つ買って、近くのリュクサンブール公園の端っこのベンチに座って食べました。妻はサーモン、私はソーセージです。食べていると、どこからともなく小鳥が現れて、パンくずを待っています。放ってやると、いつの間にか、小鳥や鳩が何匹も現れてきてしまいました。どの鳥もみんな可愛く見えるのは、私の心が弱くなっているからで、いつも私にまとわりついて離れない飼猫のルーミーのことなど思い出したからです。

   いつもの宿、オテル・グランゾムを予約できなかったのは、今回の旅行が妻の気まぐれで慌ただしく決まったからです。去年の旅行の後、しばらくはおとなしかったものの、秋になると、またまた日常を脱却したいという気持に襲われたようです。「富士山が噴火する」とか「南海トラフが危ない」とかしきりに言うようになって、「生きているうちに、やりたいことをやっておいた方がいい」と私の上を行く自滅的思想を持つまでになりました。12月になると、妻らしくもなく、歳末ジャンボ宝くじをネットで10枚購入したと言うのです。妻によると、6億円当たると自動的に振り込まれるとのことですが、私はあきれてこう言いました。「ねえ、一等に当たるのは500万分の1の確率だけれど、それって米俵を床にぶちまけてその中から一粒とってそれが当たると同じ確率だよ。そんなのに3000円も使ったんだ。それより、大病や事故に遭わずに毎日を平穏に暮らせる幸運を感謝すべきではないかな」さすがに妻もそれを聞いて反省したようですが、私はその晩、6億円当たったらどうしようか妄想してなかなか寝つけませんでした。

   年明けて、エールフランスの割引航空券が売り出されると、もはや気持ちを抑制することはできず、仕方なくまたパリ行きに同意しました。むろん、いつものホテルは予約いっぱいで取れず、周辺の目ぼしいホテルも空きがありません。いろいろ探して、リュクサンブールとモンパルナスの中間にあるホテル・サント=ブーヴに決めましたが、ロビーに暖炉があるのが妻の気にいったようです。

   リュクサンブール公園からぶらぶら歩いてモンパルナス大通りに出ました。足はまだ痛いが、異国の匂いがその空気から感じ取れると、何か急に元気になったように思えます。そういえば、シャルル・ドゴール空港に降りると、いつも香水のような匂い、しいて言えばゲランのシャリマーのような匂い、に気がつくのですが、それが典型的なパリの香りでしょうか。ロンドンやフランクフルトではむろん、ブリュッセルでさえそんな香りはしないのですが。

    さて、モンパルナス大通りを歩いて、すぐ目についた Tschann書店に入ってみました。隣接して児童書部門 Librairie Tschann jeunesseの店もあります。この Tschann 書店に入って驚きました。文学書、哲学書、芸術書、思想書が中心ですが、そのレベルの高いこと。何を持ってレベルが高いかというと説明に窮するのですが、本好きには何となく分かるその雰囲気です。私はこういう店が大好きなので、たっぷり時間を使ってフランスの良質の書物の感触を楽しみました。レジでは、女性の店員がお婆さんの相談に乗っていますが、どうやら哲学の本についてらしい。どうもフランスの本屋の特長は、店員が博識で読書案内を兼ねられることと、小さな書店でも作家を読んで催しをしたりすることにあるようです。私は、千一夜叢書のイポリット・テーヌの Xenophon, l'Anabase(4ユーロ)を買ってから店内の写真を撮らせてもらいました。

   Tschann書店からモンパルナス大通りを渡ったところにある Campagne Premiere 通りに行ってみました。ここは、あまりに有名な通りですが、いざ歩いてみるとどうということはありません。しかし、旅行者らしい二人の白人男性が本を見ながら、いわく付きの建物を指差したり写真に撮っています。モンパルナス大通りとラスパイユ通りを結んでいるこの通りは、まず、ゴダールの「勝手にしやがれ」の最後の場面の舞台となりました。銃で撃たれたベルモンドが走って逃げて、ラスパイユ通りにたどり着いたところで大袈裟に倒れこむのです。それから31番地の写真家マン・レイのアトリエ。私は、ホテルが決まってからロットマンの『マン・レイ 写真と恋とカフェの日々』(白水社)を取り寄せて読んでみました。著者のハーヴァート・R. ロットマンは、20世紀前半のフランスの政治と文学についての見事な書物である『セーヌ左岸』の著者ですが、20世紀初頭のモンパルナスの芸術家集団をマン・レイを狂言回しとして描いたこの本には正直失望しました。というのも、マン・レイという男がまるで面白くないし、連れ合いのキキという有名な女性も全然好きになれないからです。そのアトリエの隣、29番地のホテル・イストリアはまだ営業していますが、往時の雰囲気は少しもありません。このホテルにはリルケ、サティ、マヤコフスキー、ラディゲ、ツァラも泊まったというから驚きです。この通りの23番地には藤田嗣治が、14番地の屋根裏部屋にはヴェルレーヌとランボーも住んでいました。しかし、目玉は17番地に住んでいたユージーヌ・アジェでしょう。無名のままこの番地で死んだアジェの残した写真はこの通りに住んでいたアメリカ女性ベレニス・アボットに見出されて、後世にその名を残すことになりました。

   再びモンパルナス大通りを渡って、ここから一番近い教会であるサン・ジャック・オーパ教会に行ってみることにしました。サン・ジャック通りにあるこの教会の前は何度も通っているのにいつも閉まっていたのです。今回もやはり閉まっていて、扉の上の紙には、2時半に開くと書いてありました。別に無理して入りたくもない教会ですが、何度も拒絶されると無理にでも入ってみたくなります。それで時間を潰すために、近くのマリー・キュリー博物館に行ってみることにしました。この博物館は長い間改装のために閉館していて、昨年の夏にリニューアルオープンしたものです。

   パンテオンの横の道にあるピエール・エ・マリー・キュリー通りからキュリー研究所に入ります。ユルム通りを挟んですぐ向かいには高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)があります。このキュリー研究所の敷地は広く、目当てのキュリー博物館はその一番奥にありました。入場無料で、すでに何組かの人たちが展示を見ています。ところが、改装後の博物館はあまりに綺麗で洗練されていて、当時の「ジャガイモ倉庫と馬小屋を合わせたような」実験室の趣はまったくありません。(放射線の飛跡を調べる)ウィルソン霧箱の実験というのを初めて見ることができたのが、まあ収穫といえましょうか。ラジウムをアメリカの大統領に送るための厳重な鉛の箱もありました。10分ぐらい見て、さて帰ろうかと妻の方を向いた時、突然、けたたましいブザーの音が部屋中に鳴り響きました。すわ、放射能が漏れたのに違いないと一瞬ひやりとしました。受付の女性係員が私たちを誘導して、裏出口から外に出してくれました。ブザーは研究所中で鳴っているらしく、どの窓からも人が顔を出しています。白衣を着た二人の男性が、慌てた風もなく建物の間を走って来ました。5分ほどして鳴り止んだのですが、妻は事の真相を知るべく、再び博物館に入って受付の女性に「本当は何が起こったのか」と尋ねました。答えは、何と検知器のテスト、つまり実地訓練だというのです。妻によれば、この博物館のがっかり感はザッキン美術館の地味さとよい勝負だということです。

   キュリー博物館を出て、再びサン・ジャック・オーパ教会へ。ちょうど2時半で、黒人の女性が重い木の扉を開けているところでした。17世紀に建てられたこの教会は、ユゴーの『レ・ミゼラブル』にも登場する教会ですが、元々はサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道にあって、病に倒れた巡礼の救護所としての役目を果たしていました。その後ジャンセニスムの拠点となり、ポール・ロワイヤルの霊的指導者サン・シラン師の墓もあります。18世紀には司教ジャン・コシンが貧しく見捨てられた人々のための医療活動行い、その精神はこの近くにある現在のパリの代表的病院であるコシン病院の名に残っています。

   さて、中に入ってみると、何の変哲もない普通の教会でした。内陣の奥に鎮座しているのはキリストを抱いたマリア像で、どの教会にもあるありふれた像ですが、穏やかさのかけらもない厳しい表情にはっとします。(なお、カトリックの教会は開いている時間はほぼすべて出入り自由です。内陣の奥まで立ちいることができるのは他の宗教施設では考えられません。見学者に課せられるのはせいぜい1ユーロのろうそくか絵葉書を買うぐらいです。多分その理由は、もともと教会が中世の人々にとって集会の場であったからでしょう)一周してからすぐに教会を出て、ホテルへの帰り道、サン・ミッシェル通りの古本屋「星の王子様書店」に寄ってみました。店頭にはいろいろ面白い本が割引値段で並んでいて、ドラクロワの版画が挿入されたゲーテ『ファウスト』の小型本が5ユーロというびっくり値段で、買おうか買うまいか、妻と激しい議論の応酬がありましたが、やや重い本なので購入を断念しました。

   またまた、ジュリアンで今度はピスタチオ入りのエスカルゴやパン・オ・ショコラを買い、フランプリでペリエやヨーグルトやサクランボを買って、3時ぴったりにホテルにチェックインしました。このホテル・サント=ブーヴは格としてはほぼオテル・デ・グランゾム並ですが、ヴァヴァン交差点近くでリュクサンブール公園の横という絶好の立地にあり、客のほとんどは白人のリピーターのようです。部屋は一階(日本の二階)で窓からの眺めはよくないし、部屋も予想通り狭いが、浴室や調度は豪華で凝っています。すでに、私たちのキャリーケースが運ばれており、ゆっくり風呂に浸かって、パンや果物を食べて、疲れ切っている私は足の湿布を取り替えてからひとしきり眠ってしまいました。

   夕方6時、ホテルを出て、サン・ジェルマン・デ・プレに向かってぶらぶら歩きました。今日は年に一度の音楽の日で、フランス全土でおびただしい数の音楽のイヴェントが開かれます。登録されたイヴェントだけでなく、街のあちこちで即興の演奏も披露されます。サン・ジェルマン・デ・プレに行けば、そういうものがたくさん見れるだろうと考えたのですが、ステッキを突いての危なかっしい足取りで、いつ倒れるとも分かりません。しかし、気分は上々で、リュクサンブール公園に沿ったギヌメ通りを進みます。音楽の日というのは一種のお祭りなのか、公園の柵沿いに高校生らしき集団が何組も騒いでいます。しかも、明らかに未成年なのにアルコールの匂いが充満しています。タンバリンを鳴らしたり、ギターをかき鳴らしたりしているのですが、まともな音楽とは思えません。ギヌメ通りからボナパルト通りに出ると、書店がちらほら立ち並んでいます。演劇関連の本を出している l'Arche 書店や歴史専門のPicard & Epona 書店はもう閉まっていました。美術、歴史、オカルト系の古書店 librairie d'Argence が開いていたので、店頭のサービス本を物色してみました。丁寧に全部見たが収穫なし。その並び、マゼリーヌ通りとの交差点にカトリック系の大型書店 La Procureの本店があります。一ブロックの通りを全部占める縦に長い本屋で、一度入ってみたかったので入ってみました。総合書店で雑誌以外は何でもありそうですが、Tschann 書店ほどではないがレベルの高い品揃えです。児童書、DVDなどもありますが、やはり宗教書のコーナーが他を圧しています。お客はたいへん多く、籠に何冊も本を入れている人もいます。レジはスーパーのように出口に直結していて、お客は皆並んで会計を待っています。私は抹香臭い本屋は苦手なので何も買わずに出てきました。

   La Procure書店の斜め前がサン・シュルピス広場で、ここでは何やらコンサートに向けて臨時のステージが作られ、バンドの人たちが準備しています。テレビ局のクルーや女性のレポーターが広場の前のカフェ・ド・ラ・メリーのテラスに座る人々にインタビューしていますが、周辺はとにかく混雑して熱気に満ちています。そこを抜けて、ボナパルト通りをまっすぐ歩いて、サン・ジェルマン大通りに出ました。目の前にサン・ジェルマン・デ・プレ教会のあるこの広場は、今ではその名に相応しく、ジャン=ポール・サルトル・シモーヌ・ド・ボーヴォワール広場と名付けられています。教会の横には、ドゥ・マゴとカフェ・ド・フロールの間にあった la Hune 書店が移転して、まだ真新しい白い壁が眩しいですが、張り紙によると、移転工事はまだ完全に終わっていないようです。

   にぎやかなビュシ通りまで歩く途中、小道のそこかしこでバンドの面々が演奏を始めています。とても小さくて感じの良い広場フィスタンベール広場で、しばらく民族音楽の歌と演奏を楽しみました。この広場にはあのドラクラワ美術館が隠れるように建っています。ここも凄い人出で、本当に疲れたので、まっすぐホテルまで歩いて帰ることにしました。もう8時を過ぎているのに昼のように明るい。再びサン・シュルピス広場へ。ここでもお祭り騒ぎなので、サン・シュルピス教会の横道から教会をぐるっと回りました。一転、喧騒を忘れる静かな通りが教会を包んでいます。このサン・シュルピス寺院はノートルダム大聖堂に次ぐパリで二番目の大きさの教会ですが、その外観、その内部の彫刻・絵画、その歴史などから、まずパリ第一の教会と言えるでしょう。ガランシエーヌ通りがパランティーヌ通りと出会う辺りで上を見ると、教会の裏の丸屋根の上にペリカンの像が載っています。子供のペリカンを抱いた親鳥はくちばしで自らの胸を突いているように見えます。飢えた子供に自分の血を飲ませようとしているのです。神秘主義的霊想の第一歩はこのような象徴を徹底して考えつくすことから始まります。

   サン・シュルピスから、またまたボナパルト通りを下り、リュクサンブールに沿って歩いて、ホテルの近くのヴァヴァン通りに入ります。そこのAmorino で通りに面した椅子に座ってアイスクリームを食べました。隣で食べている親子がいて、その二人の幼い娘がとても可愛いらしい。二日間ほとんど寝ていないので、アイスを食べながらうつらうつらしてしまいました。ホテルに帰る途中のブレア通りではロック音楽がかまびすしい。この通りで、「モンパルナスのキキ」として知られる本名アリス・プランが倒れて亡くなったのは1953年のことでした。52歳でした。

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モンパルナス大通り125番地の Tschann 書店。思想系の本の充実ぶりが目をみはります。

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レジで女店員に哲学の本について聞く初老の婦人。何人か並んでいるのに気にもせず延々と話しています。

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キュリー夫人の実験室。あまり感激はありません。

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サン・ミッシェル通り121番地、星の王子様書店。店頭本はなかなか面白い。

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カトリック系の本屋、La Procure 。大きな書店で、客も多い。何でもあるので見ていて面白いが、なぜかここで買う気にはなれません。

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サン・ジェルマン大通りにあるディドロの像。パリの作家の像としては 傑作のひとつと言われています。ディドロは、ルソー、ヴォルテールと並んで啓蒙の三偉人の一人。向かいのカフェ・ドゥ・マゴの場所に30年間住んでいました。

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サン・シュルピス寺院の身廊。どの時間に行っても光の加減が美しい。荘厳さはパリ随一でしょう。身廊をフランス語で nef といいますが、その語源を遡ると nave つまり船を表しています。身廊に参集する人々を乗せて天上の光の国へ旅立つ、いわば聖なるスペース・シップそのものなのです。

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サン・シュルピス寺院の後ろ側。屋根にペリカン像があります。マルキ・ド・サドやボードレールが洗礼を受け、ラ・ファイエット夫人が眠るこの教会は、またデュマの『三銃士』にも登場します。アトス、アラミス、ポルトスの三人はみなこの寺院のすぐそばに住んでいることになっています。

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逆光の中のペリカン像。ペリカンは雛が飢えたり、毒蛇に咬まれたりした時、くちばしで自らの胸をつついてその血を飲ませ、子を助けると言い伝えられています。これは、一身を犠牲にして人々を救おうとしたキリストの象徴以外の何物でもありません。神秘主義パリのもっとも感動的なモニュメントの一つ。

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美味しいジェラートの店 Amorino はキューピッドがシンボルマーク。バラの花のようにていねいに盛りつけてくれます。

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