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2012年9月 8日 (土)

パリ観劇記 第六夜 オペラ・ガルニエ 「イポリットとアリシ」

   6月27日(水)
   ホテルのあるパンテオン広場から出る84番のバスで、オルセー美術館に向かいました。朝から気温はぐんぐん上昇しています。バスはオルセーのすぐそばに停車、降りるとちょうど10時で、行列は60人ほど、しかし、今日はセキュリティ・チェックが厳しくないのか行列はスムーズに流れています。10分も待たないうちに入館、まず最上階の印象派の絵から順に見て行きました。オルセーはいつのまにか館内写真撮影禁止になっていました。残念ではあるが、静かに鑑賞できるという意味では納得できます。ところで、オルセーを観るには水曜日に限ります。月曜は休みだし、火曜はルーヴルが休館でオルセーに人が流れてくるし、木曜は開館時間が長いので混むし、金土日は空いているはずがありません。

   印象派の物語はもはや語りつくされていると言ってよいでしょう。時代も登場人物も申し分ありません。モネとルノワールが星座の中心で、すぐ近くに巨大な星、マネとドガが輝いています。外側にはさらに光り輝くセザンヌ、ゴーギャンが控え、偉大なスーラとゴッホは厳然として他を圧しています。ピサロは慎ましやかに星座を巡り、不幸なシスレーは流星のように永遠に鈍い光を放ちます。ベルト・モリゾやバジールやカイユボット、忘れられないこれら小惑星たちを含めて、すべてが19世紀最後の30年に共振し、共鳴し、光の協奏曲を奏でながら、そして静かに消えて行ったのです。その記念碑は、今や世界中に拡散していますが、メトロポリタン、シカゴ、ボストン、パリのオランジュリー、マルモッタンなどを従えて、オルセーこそその本殿というべきでしょう。

   印象派の勃興に関連して、写真や鉄道の発達がよく取り上げられますが、私は、パスツールによる感染症の発見、マクスウェルによる光電磁気学の研究なども考慮に値すると思います。19世紀後半に起こりつつあったものは、私たちの世界を覆っている目に見えない被膜、ウィルス、磁気などが、ある決定的な役割を持ち、いつかはその秘密が解かれるかも知れないという期待でした。自然の模倣から自然の解明へと、自然の鑑賞から自然の発見へとシフトする中で、マネやドガによる人生の鋭い断面、モネやルノワールによる風景と人物の一瞬の発見が生まれたのです。

   印象派の画家たちの持った感動を時々私たちも経験するのではないでしょうか。何ヶ月かの入院生活の後で、再び自分の足で道を歩く時のことを思い出してみましょう。路端の雑草の何と豊穣な色合いの美しさ、塀を越えて枝を覗かせる樹々に当たる陽の照り返し、微妙に流れて行く雲の不思議な形に驚くとき、いや、自然ばかりでなく人間さえも、聖書や逸話や歴史から離れて、それ自身として幸福な一瞬を体現していることの驚き。ここで重要なことは、その一瞬が単にその一瞬にすぎないということです。これを理解していたことで、モネはフェルメールやフランツ・ハルスらのオランダ画家たちと一線を画しています。モネやルノワールの描く情景は、長い時間をかけて感光される写真のようなものではありません。それは一瞬であるがゆえに、狭隘な人間理解を超えてある神秘の領域に達するのです。

   数多くの、いや溢れんばかりのといってよい印象派の名作の中で、オルセーのコレクションの中から私の好きなピサロを二点紹介しましょう(写真参照)。
   一階に戻って、妻の好きなシャヴァンヌのコーナーに向かおうとした時、私の足が意図せぬ方向に流れて行きます。一瞬、めまいを感じて、その場にしゃがみこみました。こうなると、怖くて一歩も動けません。妻に助けられて、近くの階段まで這って移動して、何とかそこに腰掛けました。「ここで休んでいるから、一人でシャヴァンヌを見てきて」と言うと、妻はわかったと言って、一人で見に行きました。今回の旅行で、もっとも心配だったのは私自身の健康でした。腰痛、痛風、痔という旧知の病に加えて、震災以降、心労からか高血圧という難敵が加わったのです。年が改まってから、酒を断ち、食事療法を実践して、近年になく好調を維持して旅に臨むことができたのですが、やはり旅の疲労でしょうか、あるいはたくさんの絵画を短時間で視覚に詰め込んだ精神のオーバーヒートでしょうか。しばらくすると、妻がもどってきましたが、私は、もう絵画を鑑賞する気になれず、人でいっぱいのオルセーからとにかく抜け出ようと、妻の腕にすがるように館の外に出ました。

   朝に利用した84番のバス停を探したのですが、帰りはセーヌ川ではなく、かなり離れたサン・ジェルマン大通りを走ることがわかりました。パリの街は一方通行が多いので、このようなことはよくあります。バス路線の地図を持って、妻に遅れながら大通りまでの道をとぼとぼ歩いていると、横を歩いていた中南米系の女性が、いきなり屈んで何かを拾う動作をした後、私に大きな房のついた金の指輪を差し出しました。そして聞き取りにくいフランス語で何かをしきりに話しかけてきます。私は、まだ、体調が思わしくなかったので、しつこい問いかけに危うく怒りを爆発しそうになりました。ただならぬ気配を悟って女性は離れて行きましたが、めげずに、すぐに近くの白人の女性旅行者に同じことを始めています。今や、パリにおける詐欺行為は様式化されていて、これも、落し物の指輪を与える代わりに自分にも半分の権利はあると言って幾ばくかの現金をせしめる手口ですが、肝心の指輪があまりに安っぽいので驚きました。

   サン・ジェルマン大通りで84番のバスに乗ると、妻がお腹が空いたと言ってきました。私は全く食欲がなかったのですが、時計をみるともう2時近くです。オルセーに三時間以上もいたわけで、これでは疲れるのもお腹が空くのもやむを得ません。途中のセーヴル・バビロンで降りて何か食べることにしました。Severes Babylone は左岸のちょうど中心と言ってよいでしょう。サン・ジェルマン・デ・プレにもモンパルナスにも近く、何より左岸を走るバスの多くがここを通るのです。私はこの界隈のいかにもパリらしい洒落た雰囲気が好きなのですが、とにかくここでバスを降りればどんな店もあって便利なことはこの上ありません。交差点に、波打つ外観のアール・デコのホテル・ルテシアがあります。有名な高級ホテルですが、壁面にプレートが張ってあって、それによると、パリ占領の時にドイツ軍の諜報部が置かれていたということです。

   セーヴル・バビロンといえばデパート、ボン・マルシェですが、その裏手のバビロン通りに Au Babylone というランチだけやっているビストロがあったので、そこに入りました。場所柄かムニュは23ユーロと高めですが、狭い店内は満員です。ランチの時間も終わり頃らしくテーブルが空き始めましたが、忙しそうで、やっとのことで一番奥の暗い席に案内されたものの、なかなかテーブルを片付けに来ません。しばらくして、オーナーらしい初老の女性が現れて、私がムニュのステーキを注文すると、そそくさとテーブルを片付けて愛想もなく去っていきました。この店は家族経営で、先ほどの女性が母親のようですが、評判の料理はどうでしょうか。運ばれてきたステーキは、日本のステーキハウスの肉のようにきれいに切ってなく、まるで鉈でぶった切ったような切り口です。内部が赤みを帯びた牛肉はやや固く、ちぎるのに苦労しましたが、噛んでいるとなかなか味がありました。いかにも牛肉を食べたという満足感があります。しかし、特筆すべきは、付け合わせの大量のジャガイモです。フランスの小さなジャガイモは美味しいので是非食べてみるべきだと聞かされていたのですが、それまでマルシェや鳥肉屋で買ったジャガイモはそれほど美味しくありませんでした。しかし、この店のジャガイモは信じられない美味しさで、思わず「美味い!」と声を出してしまいました。妻も、もしこの店に入って牛肉とジャガイモを食べなかったら今回のパリ旅行はこと食事に関する限り物足りなさが残っただろうと言っていました。なお、デザートの苺のムースとガトー・ショコラはあまりに安直な味でがっかりしました。

   店を出た後、ボン・マルシェの食品館で土産物を買うことにしました。ここは広くてゆっくり品物を見ることができます。私があれこれ迷っている間に、妻は紅茶やお菓子を大量に買っています。袋を提げて、さて帰りのバスに乗ろうとしたら、Sevres-Babyloneの交差点の向こう側に L'Occitants のお店があるのを妻が発見して、ちょっと寄ってみると言いました。狭い店でしたが、今日から始まったソルドで、値引き商品がいろいろ並んでいます。女店員と妻の会話が無限に長く続きそうなので、私は退屈のあまり、棚に並んでいる香水の見本を順番に全部スプレーしていきました。ここでも割引のものをたくさん買って、袋をいくつもぶら下げて84番のバスに乗ると、妻が首を動かしてバスの中を見回しています。「どこからか、いろんな匂いがする」と言うので、それは私の服にふりかけた香水に違いありません。

   バスはホテルのすぐ前に停車、オルセーで疲れ切った私はすぐに湯舟に浸かって体を休めました。屋根裏部屋なので、浴室の窓を大きく開けてのんびり入ることができます。危うく風呂の中で寝そうになったのですが、今夜は最後の観劇、妻も余裕をもって支度しています。劇場は昨夜と同じオペラ・ガルニエ、しかし、今夜は子供向けのバレエでなく本格的オペラ、ジャン=フィリップ・ラモーの「イポリットとアリシ」です。

   7時半の開演に向けて、例によって6時にホテルを出ました。ゲイ・リュサック通りのいつもの停留所から27番のバスに乗ってオペラへ。途中、ルーヴル美術館の門をくぐり、ガラスのピラミッドのすぐ横を通り過ぎます。西日が強烈に差して、目が開けられないほど、取り替えたばかりのシャツがもう汗ばんでいます。オペラ広場で降りると、ガルニエ宮の前は観光客でごった返しています。広場で、黒人のパフォーマーが見事なダンスを踊っていますが、もう開場したらしいので、早速オペラ座に入場しました。昨夜とは違い、大人ばかり、しかも皆シックな出で立ちです。明らかに観光客の人も多く、和服を着た日本人も何人か見られました。日本で開催されるオペラで足りないのは、まず、この異空間への誘いでしょう。オペラを観るということは非日常的な空間に身をまかせることであり、またそうすることによってこそ十分に楽しめるのです。19世紀のネオ・バロックの傑作といえる華麗なオペラ座のファサードをくぐり、絢爛たるグラン・フォワイエの装飾を眺め、ほの暗い螺旋階段を上がって、案内された革張りの扉を開けると、そこはもう約束された世界、浮世の瑣事を束の間忘れさせてくれる夢の世界です。

   今夜の私たちの席は3階の正面、前から三番目の席(45ユーロ)です。かなり上の席だが、真ん前なので見やすい、しかもフランス語の歌詞の字幕がもっとも読みやすい位置です。さて今夜の演目は珍しやラモー(1683-1764)の「イポリットとアリシ」(1733)です。バレエが頻繁に出るフランスのバロック・オペラはまずフランス本国でしかなかなか観ることができないでしょうし、しかも今回はルイ15世の時代そのままの衣装・背景で演じられます。開演まで期待は高まるばかりですが、まず作曲家ラモーについて紹介しましょう。彼はリュリと並んでフランス18世紀を代表する音楽家で、和声学の理論家、クラヴサン曲の大家、数々の名誉の後で、50歳になって初めてオペラ「イポリットとアリシ」を作曲しました。台本は当時人気のあったペルグラン師、元ネタはラシーヌの『フェードル』で、英雄テゼ(テセウス)の妻であるフェードルが前妻の息子イポリットに許されぬ恋をしてしまう悲劇です。ラシーヌの『フェードル』では、イポリットへの煩悩とアリシへの嫉妬と母子相姦の罪に苦しむフェードルが中心で、またそれだけに純化したことにおいて傑作たり得たのですが、ペルグラン師はオペラ向けに、エウリピデスの『ヒュポリトス』からは純潔の女神ディアーヌと愛神との闘争を、プルタルコスからはテゼの地獄行を、ヴェルギリウスからはアリシの恋を、その他セネカの『フェードル』も踏まえて、五幕の壮大なオペラに仕上げました。

   この何でもありの詰め込んだ内容が、このオペラ全体の印象を散漫にし、物語としては感動に遠いものとしているのです。この物語についての最高傑作は(ウルトラマンエースには「ヒポリット星人」という回がありましたが)エウリピデスの『ヒュポリトス』でしょう。アリシは登場しないが、神々の相克を通じて人間の運命が深刻に語られて行きます(ラシーヌはあまりに人間的です)。ペルグラン師の台本を得たラモーは1733年の夏を稽古に費やして、その年の10月1日に王立音楽アカデミーで「イポリットとアリシ」を初演しました。初演を観たヴォルテールは翌日の10月2日につぎのように書いています。「昨日、歌劇《イポリットとアリシ》の初演を見た。台本はペルグラン師によるもので、ペルグラン師の名にふさわしいものであった。音楽は高名なラモー、不幸にも音楽をリュリ以上に知っている人物であった。つまり音楽の衒学者なのだ。彼は精密だが退屈だ」(マルク・ミンコフスキ指揮・ルーヴル宮音楽堂によるアルバムから引用)

   確かに、音楽は素晴らしく美しいが、同じような調子の音楽がいつまでも続くので眠気を誘います。最後の第五幕で、妻の頭が揺れたので横をみると、何と妻は眠り始めています。私はそれに気づいて、何か怒りに似たものが込み上げるのを感じました。このオペラを楽しみにしていて、アイロンをかけながら、掃除をしながら、読書をしながら、いつも部屋中に「イポリットとアリシ」のCDをバックミュージックとして聞き、口ずさんでいた妻が、可哀想に眠っているのです。それもこれも和声にばかり気を取られ、目を覚めるような展開のないラモーの音楽とごたまぜ焦点なしのペルグランの先行作品張り合わせの台本に原因があるのでしょう。周りをみると、完全に眠っている人も多く、四方から鼾も聞こえてきます。その反対に熱心にのめり込んで鑑賞している人もいて、その懸隔がはなはだしい。そういう私も、純潔の神ディアーヌがゴンドラに乗って動くのを見てると眠くなってしまいました。

   さて、パリ・オペラ座の舞台をゆっくり見て行きましょう。これは本当にすばらしい。しかし、長い時間、舞台を見てると退屈するのも事実です。この歴史的名演はDVDになって発売されるでしょうから、これは家で紅茶を飲みながら、夫婦であれこれ批評をしながら、あるいは気に入った場面を一人で何度も繰り返し、何日もかけて観るのがベストなのです。
   プロローグ、ディアーヌに仕える女官らがディアーヌを讃える歌を歌います。この女官たちの何と美しいこと! ルイ15世の時代のドレスの何と瀟洒なこと! バロックのダンスの何と優雅なこと! しかも、当時の上演に似せるため照明を限りなく落として、あたかも蝋燭のほのかな灯りの下で演じられるような錯覚を誘います。そして、続いて登場するデイアーヌのライヴァル愛神の何と愛らしいこと!羽を持ち弓矢を持ったキューピッドの姿で、劇場の天蓋まで届くような澄み切ったソプラノで私たちを魅了します。愛神を演じたジャエル・アザラッティが舞台に登場すると、森厳な王宮が一気にファンタジーの世界に転換してしまうかのようです。愛神は、第三幕でも登場しますが、これまた大きな貝の中で眠ったまませり上がってくる可愛らしい姿で意表を突きます。そして、最後の第五幕で、Rossignols amoureux... 恋する鶯たちよ、と繰り返し美しい声で舞台の幕を引くのもまたこの愛神なのです。

   第一幕、ディアーヌの神殿、アリシはテゼによって滅ぼされたパラス一族のただ一人の生き残り、子孫を残さない(誰も愛さない)という条件でテゼに命を助けられました。しかし、彼女は王子イポリットに恋し、イポリットもアリシを愛しています。二人はディアーヌの神殿でディアーヌに二人を守ってくれるよう祈ります。ところが、ひそかにイポリットに恋している継母のフェードルは、それを知って、アリシに激しく嫉妬します。ちょうどその時、使者が到着して、テゼが地獄に下ったと知らせてきます。ここの聴きどころは、やはり嫉妬と煩悩に狂うフェードルのアリアでしょう。

   第二幕、地獄。テゼが地獄に下ったのは親友を助けるためでした。彼はネプチューンから三つの願いを叶えると約束されており、地獄に下るのに願いの一つを使ったのですが、親友に会えないとわかると、ネプチューンに再び地獄から戻ることを願います。これでもう二つ使ってしまい、最後の願いは、妻フェードルを犯そうとしたと勘違いして息子のイポリットを殺してもらうために使うのですから、つくづく馬鹿な男です。この第二幕は暗いだけで面白くないので、全部カットしてもよいぐらいですが、幕の最後に、逆さまにぶら下がっているパルケという運命の三女神が、テゼに、お前は地獄を去るが自分の家で地獄を見るだろうという気持ち悪い予言をするのが、まあ一番の聴きどころです。

   第三幕、テゼの宮殿。フェードルは、テゼ亡き後の王位をイポリットに譲る代わりに彼の愛を得ようとします。イポリットは、アリシ以外は欲しくないと言ってフェードルの嫉妬をさらにかきたててしまいます。フェードルはイポリットの剣を奪って、自分を殺してくれと頼みますが、イポリットはその剣を奪い返します。その最悪の瞬間にテゼが宮殿に帰って来て、てっきり息子が自分の妻を犯そうとしているのだと思い込みます。イポリットは言い訳を言わず、黙って宮廷を去りますが、馬鹿なテゼはネプチューンに息子を殺してくれるよう頼みます。

   第四幕、海辺のディアーヌの森。アリシはイポリットに、妻としてどこまでもついて行くと言いますが、突然の荒れた海からネプチューンが現れてイポリットをさらっていってしまいます。フェードルは罪の意識から自殺しますが、死ぬ前にディアーヌにイポリットを許してくれるよう嘆願します。
   
   第五幕、美しいアリシの森。絶望して倒れ伏しているアリシ。そこにディアーヌが降りて来て、ここに1人の英雄が現れて王となりアリシの夫となると予言します。いきなり姿を現すイポリット。アリシは我が目を疑うが、真実だと分かると二人でディアーヌを讃える歌を歌います。最後に愛神が現れて、「恋する鶯たちよ、甘味なさえずりで、私たちの声に応えてください」と歌って終わります。

   全編すべて、これこそバロックという仕立てで、あたかも王宮で召使たちを控えさせたままワインを飲みながら観劇している気分に浸れます。途中の居眠りも欠かせぬ約束のひとつでしょう。パリ・ガルニエの得意なバロックオペラとはいえ、何もかもが素晴しい。惜しむらくは、このオペラこそoptima(オペラの時だけの最高の席、といっても180ユーロ)で見るべきだったのですが、席の選択をあれこれ迷っている間に売り切れてしまいました。衣装、演技、演奏楽器その他、すべてルイ15世時代の様式に則ったオペラということで、人気の高さが予想以上でした。

   終わって、出演者全員が次々から次に出てくるとたいへんな拍手、最後に指揮者が出てきましたが、何とエマニュエル・アイムという女性で、これまたすごい喝采です。帰りの大階段はたいへんな混雑、もう10時半を過ぎていて、さすがに空は暗いですが、オペラ周辺の熱気はまだ冷める気配もありません。バス停で27番のバスを待ったのですが、20分近く待ってやっと来ました。しかも混んでいます。ルーヴル宮を抜け、セーヌ河畔を走り、左岸に渡り、サン・ミッシェル大通りを上がって行きます。リュクサンブール公園の入口のところで降りて、まだ人の行き来するスフロ通りの坂をゆっくり上がる時に、ついに明日が帰国だという思い、感動に似た思いに襲われました。わずか一週間の間に何と多くのことが去来したか。普段の生活も、これ程に密度濃く過ごせたらどんなに人生は面白いでしょうか。ホテルの近くで、またアイスクリームを買って食べながら帰りました。オペラの話をすると、妻は細かいところもよく覚えていて、私の方が記憶の飛んでいるところが多くて驚きました。フランス語の字幕がとても読みやすかったので、場面展開についていけたことも幸運でした。ホテルでは残っていたワインをすべて飲んで、冷蔵庫のハムとチーズも食べ切り、まさに観劇の疲れからぐっすり眠ってしまいました。

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ピサロ「ルヴィシエンヌの道」 ルヴィシエンヌはパリの西、セーヌ川ほとりの村。印象派の風景画は、一切の物語を排除して、画家の感覚の実現を目指します。そして、いかなるメッセージからも無縁であるというまさにその瞬間に画家の心象があらわになるのです。雪の残る道、葉をすべて落とした二本の樹、寄り添って歩く男女、白い馬に曳かれた馬車、画面の隅々まで低い冬の光が満たすのですが、それは画家の生の照り返しに他なりません。一生の鑑賞に足る名画だと思います。

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ピサロ「羊飼いの娘」 オルセーに来るたびに私はこの絵の前で疲れるまで立ち尽くします。点描を思わせる細かな技法の集積は、光を捉えるための究極の選択です。色褪せた野良着と、娘らしい赤い靴下とスカーフが、画面全体に崇高なまでの純朴さを与えています。

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朝、ホテルを出たら、パンテオン前の彫像に、誰かが赤いコーンを被せていました。学生街なので酒に酔って騒いだのでしょうが、あまりに酷いと思って近づいたら、ジャン・ジャック・ルソーの彫像でした。妙に納得してしまいました。

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ホテルのすぐ裏のとても小さな広場にはエマニュエル・レヴィナスの名が付けられています。レヴィナスはリトアニア生まれのユダヤ人哲学者で1995年にパリで死にました。なお、この辺はパリでも有数の家賃の高い地域です。

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オ・バビロンの牛肉とジャガイモ。見かけは野暮ったいが思い出に残る美味しい一皿でした。

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オペラ・ガルニエのグラン・フォワイエ。天井の端まで豪華に装飾されています。

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オペラ開演の前にバルコニーから大階段を見下ろす老夫婦。おそらく外国から来た観光客でしょう。

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開演前のオーケストラボックス。三階の真正面の席から。

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最後の挨拶だけはなぜか写真撮影が許されます。前の人の頭が邪魔でした。

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オペラが終わって大階段を下りる人たち。中高年の客がほとんどでした。

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オペラ座の帰り、27番のバスを待ちながら。夜の喧騒はまだまだ続くようです。

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