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2012年8月16日 (木)

パリ観劇記第五夜 オペラ・ガルニエ「ラ・フィユ・マル・ガルデ」

    6月26日(火)
    昨夜は遅くまで起きていたので、9時過ぎに目が覚めました。買って置いたパンを食べ、コーヒーを沸かして飲んで、10時近くになって出発しました。サン・ジェルマン=カーディナル・ルモワーヌというバス停から24番のバスでコンコルドまで行くつもりが、その停留所がなかなか見つかりません。小雨の中をずいぶん歩いて、やっとセーヌ川のほとりでそのバス停を見つけました。パリの道路は一方通行が多いので、往路と復路では停留所の場所がかなり違うことがあります。この24番のバスは、路線のほとんどをセーヌ川の右岸と左岸に沿って走るので、観光路線としても最高です。道はやや混雑していましたが、サン・ミッシェルの停留所で停まったまま動きません。首を伸ばして見ると、運転手がドアの外の車椅子の老婦人と大きな声で話しています。やがて、運転手がどこかに電話したあと、「5本に1本走っている」と老婦人に大声で叫びました。すると車椅子の老婦人は「ジャメ!ジャメ!ジャメ!(全然来ない、ずっと来ない)」とさらに大きな声で叫んでいます。どうも車椅子のまま乗車できるバスを待っているのになかなか来ないので怒っているようです。雨の中、車椅子ごとびしょ濡れですが、とても元気です。バスは何事もなかったように再び走り出して、セーヌ川の向こうにはサント・シャペルやコンシェルジュリの塔が見え始めました。

   今回はできるだけバスでパリを移動することにしました。メトロでの窃盗が増えているということもありますが、せっかくの良い季節、車窓の風景を楽しみながら行くのも悪くありません(一度だけパリを訪れるのなら6月のパリにせよ、と言われています)。ところが、バスに乗っていると、風景よりも乗客に心を奪われます。だいたいがパリ在住の人で、老人が多く、乳母車を引いた人や中型犬をのせてくる人もいます(どのバスにも乳母車のスペースがあります)。そして面白いことに、老人たちはよく私たちに話しかけてくるのです。降りる停留所を聞いて、そこが近づくと教えてくれたり、渋滞だからコンコルドまで20分はかかるとか言ってくれます。むろん、いろいろな人がいて、何十分も運転手に文句を言っている人や、バゲットを一本食べてしまう人もいます。レイチェル・サイモンの『妹とバスに乗って』は知的障害者の妹と一年間一緒にバスに乗る感動的な小説ですが、一日中バスに乗って飽きない妹のベス同様、私もパリの街をいつまでもバスに乗っていたくなりました。

   マラケ河岸、ヴォルテール河岸、アナトール・フランス河岸とセーヌ川に沿って走り、コンコルド橋でセーヌ川を渡ります。そこでバスを降り、今度は73番のバスに乗り換えて停留所を3つ越えてシャンゼリゼ通りの真中で降りました。雨はもうすっかり上がっています。今日は、朝、メトロの改札口の自動販売機でモビリス(一日自由乗車券)を買っておいたので、乗り降りは全く自由です。モビリスはパリ市内(ゾーン1・2)は6.4ユーロなので、二人で12.8ユーロ。カルネ(10枚綴りの切符)が12.7ユーロなので、一日に五回以上メトロやバスに乗ればモビリスの方が得ですが、何よりモビリスの良いところは自由に乗り降りできるところです。モビリスは普通のチケットとほとんど同じ形で、ただ使用前に名前と日付を記入しておかねばなりません。

   さて、シャンゼリゼ通りに来た理由は、妻がゲラン本店で香水を買いたいと言っていたからです。しかし、店の前に行ってみると、ビシッとした黒服の男性が扉のところにいて入るのに気後れがします。それで、申し訳ないが妻だけ入店させて、私は近くのベンチで座って待っていることにしました。高級店に入って居心地の悪い思いをするのはたいへん辛いことです。以前、ブルガリが銀座通りにビルを出した時、たまたま妻と二人で通りかかって、ぞろぞろ入って行く人並みに吸い込まれて入店してしまった時があります。ちょうど長年愛用していた手巻時計が壊れてしまっていたので、手頃な腕時計を見てみることにしました。中に、6万2千円の洒落た時計があったので、横にいた妻に半ば冗談で「ねえ、これ気にいったんだけど、どうかな」と言うと、すばやく聞きつけた美人の店員が寄ってきて、ガラスケースの鍵を開けて時計を取り出しました。店員は優しく微笑みながら「どうですか?」と私の腕に時計を当てています。その時になって、私は値札にゼロが一つ多かったことに気づきました。何とか、しどろもどろにその場を切り抜けましたが、妻には「値札を読み間違えたんでしょう?」とすぐに見抜かれました。

   15分ほどで妻が出てきました。買い物をした様子がないので尋ねると、いろいろ試してみたが、買おうと思った香水の値段が高過ぎた、といっていました。あらかじめ私が予算の上限を伝えていたのが悪かったのかもしれません。店員の女性はたいへん親切で、パ・ド・スシ(気になさらないで)と言ってくれたそうです。
   またまた短い距離をバスに乗ってコンコルド広場まで行き、左に曲がってヴァンドーム広場に入りました。ここは宝石店や高級ホテルが並んでいますが、どこにも寄らず、サントノレ通りに出て、エリゼ宮の前をブラブラしてから、高級ブティックのウィンドーをはしごして歩きました。入ってみたのはブルックスとポール・スミスだけで、ともに明日からのソルドの準備に慌ただしくて落ち着いて見れませんでした。私は何度かパリに来ているのに、サントノレ通りを歩くのはおそらく始めてです。それにしても狭い通りに車がいっぱいで、渋滞しているところに警察の車が割り込んで来て、騒音はひどい上に排気ガスで苦しくなりそうです。マドレーヌ広場を過ぎたあたりでバスに乗ってマレ地区まで急ぎました。

   サン・タントワーヌ通りのヴォージュ広場近くのバス停で降りて、食事ができるところを探しました。この辺は手頃なレストランがたくさんあります。ホテルを出る時間が遅かったので、もう1時をずいぶん回っています。ヴォージュ広場の北からTurenne通りに入って少し歩くとビストロCafe de Museesがありました。ここは、フィガロ紙の2012ベスト・ビストロ15に載っていたお店です。予想通りお客がいっぱいで、その喧騒はまるで戦場のようです。それでも、入口のすぐ手前の窮屈な席を空けてくれてそこに坐りました。入口の小さな黒板に殴り書きされていた日替りランチ(前菜・主菜で13ユーロ)を注文しましたが、それが都合の良いことに妻の好きな鴨の骨付もも肉だったからです。

   前菜は緑色の冷製スープ(何が入っていて緑色なのか忘れました)で、底にラディッシュ(赤カブ)を刻んだものが沈んでいます。これがとても美味しくて、量が多かったにもかかわらず、全部飲んでしまいました。赤カブのコリコリした感触が清涼感をさらに増すようです。スープとパンですでにややお腹いっぱいになっていたところに、鴨のもも肉が来たのですが、これにかけられていた黒いソースが濃厚すぎて私の口に合いません。けっきょく、肉の表側だけ食べて、付け合わせのオリーブと卵も残してしまいました。ワインとコーヒーを合わせて二人で38ユーロと安かったのですが、やはりランチ・メニューは慎重に考慮して然るべきです。なお、妻は、トイレの電気がどうしても点かなかった、とかなり怒っていました。私たちの席のすぐそばがカウンターで、そこにいるマスターらしき男性がたいへん愛想よく私たちに話しかけてきます。私にとっては、ここはまずまずの店で、というのも妻と飲んだミュスカデがとても美味しかったからです。

   マレ地区に来たのは、妻がカルナヴァレ館の再訪を望んでいたからです。Cafe de Museesから歩いてすぐに貴族の館カルナヴァレ館があります。ここが無料なのは信じられないことですが、フランス革命を中心としたパリの歴史の資料がふんだんに展示されていて、もっともパリらしい美術館として知られています。入口の門をくぐって、フランス式庭園のある中庭を歩いている時、ふっとシャツの下のお腹のところの感触に違和感があることに気づきました。瞬間、スーと血の気が引くような感じが、、、何と常に首にかけて服の下にあるはずのパスポート入れが無いのです! お腹や背中を探ってもどこにもありません。「パスポート入れが失くなった!」と思わず声を発すると、妻がびっくりして振り返りました。風呂に入る時と寝る時以外首から外したことがない大事なものです。中は二人のパスポート、二人のクレジットカード、日本円で現金10万円、私の銀行券3枚、とほぼ全財産といってよいし、何より、パスポートが失くなったら日本に帰れません。
   
   私は中庭のところで一歩も動けずに立ち尽くしました。いったいどうして? パスポート入れの紐が切れたなんてことはあり得ない。10年前に銀座のデパートで買ったものですが、ナイフで刺されても穴も空かない丈夫なもので、海外旅行には常に携帯していました。しかし、それではどこに? おそらく、ホテルのベッドの上に置き忘れたのでしょう。それ以外考えられません。いつもは執拗なほどパスポート入れをチェックしているのに、今日に限って迂闊だったのは、昨日の札束洗濯事件が尾を引いていたからで、胸ポケットの札束にばかり気を取られて肝心のパスポート入れのことを忘れていました。

   とにかく、ただちにホテルに帰って確かめてみなければいけません。観光どころではないのですが、妻はせっかく入館したばかりのカルナヴァレ館を去るので不満顔です。「もし、盗まれていたらどうしよう?」と私が言うと「あのホテルなら大丈夫よ。こういう時のために少し高くてもあのホテルに決めたんだから」と妻はそれほど心配している様子はありません。しかし、先日も全仏オープンで優勝した男子のテニス選手が8区のホテルで3000万円の時計を盗まれたとFrance Soir のサイトに出ていたばかりです。私たちのホテル・グランゾムは格式のあるきちんとしたホテルですが、確かめてみるまでは非常に心配です。幸い、旅行保険やパスポート再発行用の証明写真やコピーは今掛けている鞄に入っているので、最悪の場合でも、帰国は遅れるが、何とかなるかも知れません。

   マレ地区からパンテオン広場まで一本で行けるバスもメトロもないので、サン・タントワーヌ通りに出て、サン・ポールの停留所から96番のバスに乗ってサン・ミッシェルまで行き、そこから早足でホテルに急ぎました。全身汗びっしょりになって最上階の部屋に飛び込むと、ちょうど黒人女性が部屋を掃除している最中で、私の顔を見ると微笑を浮かべて「ポルトフィユ? ス・ラ」とベッドの横の電話機を指差しました。パスポート入れはその電話機の上にきちんと紐で結んで置いてありました。

   掃除が終わるのをロビーで待って、部屋に戻り、風呂に入って、ベッドにぐったりと横になりました。二日続きの失敗で、かなり落ち込んでいたのですが、それにしても妻のいうように、ホテルはやはり信頼できるところでなくてはなりません。以前泊まったサン・ミッシェルやモット・ピケ・グルネルのアルバイトばかりのレセプショニストのいるホテルでは、今日のような場合どうなっていたかわかりません。

   だらだらとテレビを見ているうちに時間になったので、観劇に出る準備を始めました。妻が支度に時間がかかりそうなのは、今日の行先がオペラ・ガルニエだからです。7時半開演のため5時半にホテルを出ました。リュクサンブールの交差点まで下り、サン・ミッシェル通りからゲイ・リュサック通りに少し入ったところにあるバス停でバスを待ちます。ここを通る21番と27番のバスはカルチェラタンとオペラを通るいわば黄金路線で、途中ルーヴル美術館の中庭を突っ切ります。バス停のところに土産物屋があって、店頭にびっしり飾られた絵葉書を見ているとバス待ちの時間も忘れてしまいました。夕方の混雑だからでしょうか、10分ほど待って27番のバスが来ました。後ろの並んだ席に座り、バスの窓から見えるセーヌの流れを楽しみました。27番のバスは、行きは左岸を走ってカルーセル橋でセーヌ川を渡り、帰りは右岸に沿って走り、サン・ミッシェル橋でセーヌを渡ります。ところが、セーヌ川を渡ってパレロワイヤル=コメディ・フランセーズのバス停で車内アナウンスがあって、乗客がぞろぞろ降りて行きます。後ろの老人が「みんな降りるよ」と言ってくれたので、私たちも降りました。空っぽになったバスはどこかに行ってしまいました。次のバスを待っていては間に合わない恐れがあるので、そこからオペラ座まで歩くことにしましたが、広いオペラ大通りの突き当たりにオペラ・ガルニエが見えるものの、歩いても歩いてもなかなか到着しません。着いた時には喉がカラカラでまた冷たいシュウェップスが飲みたくなりました。

   夜7時近いが、むろん空はきわめて明るい。オペラ座の階段は観光客でいつもいっぱいですが、その下を通る時、不用意に私が上の入口の方を指差した時、勘違いしたのか、一人の黒人が立ち上がって、私たちに向かって大声で怒鳴り始めました。何語かわからなかったが、ニイハオとか言っているので、どうも中国人に間違われたようです。言い返したかったが、賢明にも知らぬふりをして通り過ぎました。昔は中国人に間違われることなぞまず無かったのですが、それだけ日本人観光客が少なく、中国人観光客が多くなっているのでしょう。ガルニエはすでに開場していて、バスチーユに勝るほどの華やかな装いの人が続々と入場して行きます。ロビーに子供が多かったのは、きょうの演目が家族向けのバレエ「ラ・フィユ・マル・ガルデ」だったからでしょう。

   私たちの席は三階の左のボックス席で、二つ並んだ椅子が前から三列あって、計六人が座れます。その二列目が私たちの席(40ユーロ)ですが、よく見えるのは一番前の席だけで、二列目はやや苦しい、三列目は全く見えません(三列目の白人夫婦は最後まで立ちっぱなしでした)。開演直前まで一番前の席が空席だったので、もしかしてラッキーかも、と思っていたらギリギリで母と娘が入って来ました。後ろの荷物置き用のソファーにフルフェイスのヘルメットを二つ置いていたことから、バイクで二人乗りしてきたのでしょう。母親はまだ若くすらっとして、娘はどう見ても小学生です。休憩の時に、その母親は、妻が身につけていたヴィンテージものの怪しいネックレス(後で聞いたらケネス・ジェイ・レーンとのこと)を、穴のあくほど見つめていました。

   さて、今日の演目はバレエ「ラ・フィユ・マル・ガルデ(直訳すると、下手に監視された娘)」です。1789年にフランスの民謡など をもとにして作られた最も古いバレエの演目の一つですが、1828年ルイ・ジョセフ・フェルディナント・エロールによって原型が作曲されました。しかし、忘れられ散逸しかかったこの作品を傑作に仕上げたのはイギリス人の振付師フレデリック・アシュトンです。彼と作曲家ジョン・ランチベリーは古い楽譜を探し求め、足りないところを作曲し、家族向きのバレエとして完成させ、1960年に英国ロイヤルバレエ団によって初演されました。 今回のガルニエのバレエもこのアシュトン版に基づいています。
   あらすじは家族向けのバレエらしく極めて単純です。農家の女主人シモーヌは、一人娘のリーズを裕福な農場主の息子と結婚させたがっています。しかし、その息子アランは知的な発達障害があり、いつも絶対に赤いコウモリ傘を手放しません。実はリーズにはコラという恋人がいて、母親の目を盗んで逢引しています。リーズの母とアランの父親は画策して、リーズを部屋に閉じ込めて、一気にアランと式をあげさせようとしています。ところが、その部屋にはすでにコラが隠れていて、二人は互いに結婚を誓い合ってしまいます。事実を見せつけられて母親も納得し、幸福のうちに幕が降ります。

   私は、前回のパリ訪問で「白鳥の湖」を観て圧倒されて以来、再び本格的なバレエを観てみたいと思っていたのですが、ちょうど夏場で良いプログラムがなく、あったのは子供向けのこのバレエだけでした。全く期待せずに観たのですが、意外にも夢中になって、休憩を挟んで二時間弱の時間があっという間に過ぎ去りました。パリ・オペラ座のダンサーたちの踊りはもちろんですが、元になったフレデリック・アシュトンの構成・振付が素晴らしいのです。バレエは可愛らしい鶏のダンスから始まります。二人の恋人とそれを邪魔しようとする母親、何とか二人を結婚させようとする村の若者たちの楽しい踊り、突然の嵐で傘をさしたまま飛ばされていくアラン、クライマックスの幸せな恋人たち、と息もつかせぬほどテンポの良い演出です。

   しかし、このバレエの本当の魅力は知的障害者のアランにあるのです。裕福な農場主の父親は、何とかしてアランを可愛くて利口な娘リーズと結婚させたがっています。アランも父親の意を汲んでリーズに接近しますが、どうやら父親ほど熱心ではないようです。村の若者たちは、リーズとコラの恋路の邪魔になっているアランをからかいますが、陽気なアランはむしろそれを楽しんでいるように見えます。そして、最後の場面に、このバレエのいわば本質ともいうべきものが垣間見えるのです。リーズとコラが結ばれて、幸せな恋人たちとそれを取り巻く人々が舞台から去り、照明は落とされ、誰もいない暗いリーズの家だけが残されます。すると、舞台の端からこっそりアランが現れ、リーズの家に忘れた赤いコウモリ傘を見つけて嬉しそうに帰って行くのです。この印象的な終わりのシーンを子供たちはどんな思いで観るでしょうか。哀れな知的障害者? いやいや、このバレエを観た人間は誰でもアランこそもっとも幸福な人間に違いないと思うでしょう。そして、彼がいなかったら、このバレエはフランスの田舎の単純な恋物語で終わって、人生の深みと崇高さのかけらすら感じられなかったでしょう。

   バレエが終わったのは、まだ9時半過ぎ。ガルニエ宮の外に出ると、昼間のような明るさに戸惑います。オペラ交差点はいっぱいの人で歩くのにも苦労しましたが、カフェ・ド・ラ・ペの前を通ってオペラ大通りのバス停から27番のバスに乗って帰りました。ルーヴルの明るく輝くピラミッド、右岸から見えるセーヌ川の暗い水面、サン・ミッシェルの橋のたもとのブラッスリーの眩しいほどの照明、やがて、リュクサンブールの静かな通りにたどり着くと、そこからホテルは歩いてすぐです。今日はたいへんな失敗をして、危うく日本大使館に駆け込まねばならぬところでした。それにしても、昼過ぎまでパスポート入れを忘れたことに気づかなかったとは、旅の慣れによる心の緩みとしか考えられません。帰国まであと二日、果たして無事に旅は終わるのでしょうか。

   Photo

カーディナル・ルモワーヌ通り71番地、ヴァレリー・ラルボーの所有していたアパルトマン。左の門を入って坂を上がったところが入口。ラルボーはこの静かなアパルトマンを『ユリシーズ』執筆中のジェイムズ・ジョイスに貸し、1921年その大作が完成すると直ちにフランス語に翻訳しました。

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シャンゼリゼ通りのゲランの店。一階が香水売り場、二階がスパになっています。

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カルナヴァレ館の中庭。悲劇はこの後に起きました。

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カフェ・ド・ミュゼの鴨のもも肉。半分しか食べられませんでした。

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Hotel des Grandes Hommes のレセプションの女性。話してみると、みな知的なので驚きます。

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三階のボックス席からの眺め。子供連れが多かったです。

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苦しい位置からの撮影。すばらしく楽しいバレエでした。

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バレエが終わってガルニエ宮を出る人々。夜9時40分なのにこの明るさです。

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