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2012年7月13日 (金)

パリ観劇記 第二夜 ヴィユ・コロンビエ座「アンフィトリヨン」

   6月23日(土)
   朝7時、ホテルのすぐ裏のエストラパド通りのパン屋へパンを買いに行ってみると、土曜日だからでしょうか、まだ店を開けていません。それで、サン・ジャック通りまで出て、開店準備中のパン屋で、焼けたばかりのクロワッサンとパン・オ・ショコラを買いました。ホテルに戻ると、妻がコーヒーを沸かしています。テレビで幼児向けのアニメを見ながらパンを食べました。こういうアニメはフランス語が易しいのでよくわかります。日本で、毎週配信してもらっている7jours というフランス語ニュース(完全なスクリプト付き)の難しい聴き取りに苦しんでいる身としては感動するほどです。
   さて、今日の午前中の目的地はギメ東洋美術館です。リュクサンブールまで降りて、キオスクで妻のために二冊の雑誌、Pianisteと Le Magagine Litteraire(今月号はボルヘス特集)を買って、昨日と同じ82番のバスに乗りました。良い天気で、朝の日差しはまぶしいほどです。妻が用意してきたサングラス(ユニクロで980円で買った)は着いたその日に壊れてしまったので、妻は大きな庇(ひさし)のある夏用の帽子を被っています。エッフェル塔の下を通り、セーヌ川を渡ってイエナで降りました。そのすぐ前が特徴ある建物の国立ギメ東洋美術館です。

   受付でパスポートを預けて日本語音声ガイドを借り、展示室に足を踏み入れた途端、巨大なナーガ(蛇神)が私たちを迎えます。ギメの展示がまずカンボジア美術から始まるというのには理由があります。インドシナを排他的に支配してきたフランスは、クメールの地で、生い茂る草の中にアンコールワットやアンコールトムの遺跡群を発見しました。すでに多くの宣教師によって知られていたにもかかわらず、その圧倒的な美の殿堂の価値をみとめ、世に知らしめたのはフランス人旅行家や遺跡学者でした。ほとんど完璧なまでに造形された美は、カンボジアを東洋のギリシアと呼ばせるにふさわしいものとしたのです。今、そのカンボジア芸術の集積は、ブノンペン国立博物館を除けば、ここギメにほぼ独占的に展示されています。

   妻の好みは、カンボジア美術の中でも特にバイヨン様式(12世紀後半から13世紀)にあります。「クメールの微笑」と言われた深い精神性を湛えた表情は、何とも言い表し難い気品に満ちています。これに比べれば、タイやベトナムやビルマの芸術は幼稚であり、偏屈であり、奇矯であるとさえ思えます。インド芸術も奥深いが、その官能性を純化して神秘的領域まで高めたのがバイヨンの各彫像群であると思われます。

   しかし、ギメはいつ来ても空いていて、ゆっくり見ることができます。美術館を出てから、私たちはプレジダント・ウィルソンの通りを、朝市を見ながらゆっくり歩いて、アルマ橋でセーヌ川を渡りました。この橋から見たエッフェル塔もまた美しい。私はエッフェル塔と東京タワーの違いが三つあることに気づきました。まず、エッフェル塔が枯草色の地味な色に塗装されているのに対して東京タワーは紅白の安全色です。次に、エッフェル塔が脚の中を斜めに登るエレベーターによって脚元に広い空間を作り軽さを強調しているのに対して、東京タワーは垂直なエレベーターとそれを収納する無粋なビルを脚元に建て、重い感じになっています。三番目に、エッフェル塔の周りには高い建物がありませんが、東京タワーは首都のビル群に囲まれています。

   ここで、私は東京という街の醜さについて言及しないわけにはいきません。いや、どんな街であれ、美的な自由が許された所は必然的に醜くなるのです。パリの美しさは、その中央集権的な、エリート的な、官僚的なところに依存しているのです。フランスには、歴史的建造物を半径500メートル以内から見る時、その環境を妨げるものが入ってはいけないという条例があります。 また、歴史的建造物から周囲を見渡すとき、半径500メートル以内にその環境を妨げるものが見えてもいけません。だから、ノートルダム寺院やパンテオンやアンバリッドの美しさの大半は周囲の景観によっているのです。これがシャルトルやモン・サン・ミシェルのような地方の建造物になると、半径5キロまで拡大されます。よって、シャルトルの大伽藍はボース平野の真ん中に遥か遠くから見渡すことができるのです。

   街の中でもっとも厳しい規制は広告看板です。原則的には、丸い広告塔やメトロの駅以外は看板はすべて禁止です。特に禁止の強いのは屋上看板で、パリの街の美しさのほとんどはこれに由来します。この規制はフランス人の心性にもあうのか、パリから空港への高速道路から見えるビルの屋上看板は大部分日本や韓国や北欧の企業です。また、商店の外装、特に店名の設置も細かく規制されていますが、歩道に垂直に張り出す四角い看板は、むしろ美的観点から奨励されています。これらを監視する検査官の権威は相当なもので、法的権限は無いが、その勧告はほぼ命令と同一視されるようです。

   街の美しさということに、今回はより強い感慨を抱きました。それは、パリという街に対するいとおしさ、いや人類に対するいとおしさと言ったらよいでしょうか。人間の時代の盛りはすでに過ぎて、未来はとても暗いとしかいえません。人間性の進歩などなかった。いつの時代にも、悲惨な生活と喜びの生活があり、残酷な所業と美しい自己犠牲が、憎悪と慈愛がありました。そして、人間を取り巻く自然環境が確実に劣化していき、過酷な状況を避けられなくなるのですから、明るい未来を望む方が無理というものです。最も美しいもの、貴重なものはすでに出尽くしてしまった、ギリシアの彫刻、カンボジアの彫像、中国の陶器、日本列島の自然、そして19世紀末から20世紀初頭までのパリの街並みの美しさ。今のパリは自動車が溢れていて、通りの美しさは、隙間ない路上駐車に妨げられています。しかし、かつてこのような美しい街があったということは、人類のかけがえのない記憶となるでしょう。果てない宇宙空間を行く惑星探査機ボイジャーには、バッハのブランデンブルグ協奏曲が収められていますが、人類の最後のロケットにはセピア色のパリの写真も収められるに違いありません。

   さて、アルマ橋から数分のサン・ドミニク通りに評判のビストロ、Cafe Constant があります。12時になったばかりですが、もう店は半ば埋まっています。一階の端の席について、妻は thon (マグロ)私は poulet(若鶏)を注文しました。両方とも火の通り方が絶妙で美味しい。特に妻のマグロは苔のような緑色に調理され、野趣をだすように、ズッキーニとニンジンの天麩羅が添えられて、あたかも草庵の前栽の一部を切り取ったかのようになっています。デセールも劣らず素晴らしく、私のプロフィットロールは目の前でチョコレートがたっぷりと注がれました。店は忙しかったが、サービスもたいへん丁寧で好感が持てました。75ユーロとやや予算をオーバーしたのは、ワイン(コート・デュ・ローヌ)のカラフ(500ml)が18ユーロもしたからです。

   また、82番のバスでホテルに戻って、少し休んでから、6区にあるヴィユ・コロンビエ座に歩いて向かいました。リュクサンブール公園の脇を通っていくと、古書店の並んだ中に Jose Corti 書店がありました。ここはジュリアン・グラックの本を一手に出している書店です。余りに地味な書店で、店の前のワゴンには売れ残ったグラックの本が半額で並べられています。フェルー通りを通って、サン・シュルピス通りに入ります。サン・シュルピス寺院の横を過ぎると、そのまま通りはヴィユ・コロンビエ通りになって、劇場はその通りの一番奥にあります。ヴィユ・コロンビエ座 Theatre du Vieux-Colombier はたいへん伝統のある劇場で、1913年にジャック・コポーが純粋に文学的な演劇を目指して開業して以来、世界的に名の知られた劇場になりました。とりわけ、1944年5月、パリ解放目前にサルトルの『出口なし』が上演されたことはどの文学史にも載っています。そして、1989年に、サル・リシュリューに次ぐコメディ・フランセーズの二番目の劇場として衣替えして現在に至っています。

   ところで、この劇場は私には最悪の劇場でした。狭い通りに面した狭い入口、開園までの時間を潰すのは、細長いセルフサービスのカフェテリアのみ。しかも妻はそこのチーズケーキが口に合わず、気分を悪くしてしまいました。ぎりぎりに開場すると、ロビーなど狭過ぎてないも同然です。客席は、昔の本八幡駅前にあった小さな映画館を思い出させるもので、通路もない20ほど並んだ席がびっしりと置かれているだけです。席に座ると、もう動けない状態で、トイレに立つときは10人くらいの人を立ち上がらせないといけません。私にはこの劇場の圧迫感は堪え難いものでした。妻もドレスコードを誤って当惑しています。きちんとした格好をして来たものの、客は皆ふつうの服装、というよりさらにくだけた感じで、Tシャツ、パーカー、ジーンズ、さらに作業着の人さえいます。同じコメディ・フランセーズとはいえ、サル・リシュリューとはずいぶん雰囲気が違います。なお、席は前から三番目の真ん中(29ユーロ)という最高の席ですが、むしろ、もっと端で後ろの方がのんびり見れたと思います。

   コメディ・フランセーズでモリエールを観たいと以前から思っていたので、チケットを手配すると、早速シナリオを注文しました。ところが、「真珠採り」の歌詞は一日で読んでしまえたのに、モリエールは難解でなかなか読めません。ラルースの学生版なので17世紀当時の言い回しにはちゃんと注釈がついているのですが、それでもスムーズに訳せず、悪戦苦闘してプロローグと第一幕は読んだが、二幕三幕は図書館でモリエール全集をコピーしてきて対照しながら読みました。一ヶ月かけて三回読みましたが、自分の読みの勘違いが多く、翻訳者というものはやはり上手いものだと感心しました。いよいよ、幕が開き、メルキュールと夜の神が出てくると期待は高まります。家来のソジが演じる一人芝居は劇場爆笑の連続でした。私は、あれほど苦労して読んだ台詞が、いとも簡単に次々と語られて行くことに、何か言いしれぬ虚しさを感じました。なお、この芝居は幕間の休憩がなく、二時間以上ぶっ続けなので、疲れた私は二幕の途中から眠り始めました。初日の睡眠不足と時差の疲労が一気に出て、人生でこれほど眠さを感じたことはありません。何度も妻に起こされ、ちょうど十分ごとに早送りできる録画を見ているように、場面はとびとびですが、あらすじを熟知しているので、何とか芝居をフォローすることはできました。

   ここで、演し物について説明しておきます。今夜の演目はモリエールの「アンフィトリヨン」(三幕)で、あまり有名ではないが、話はなかなか面白い。ジュピターは、絶世の美女アルクメーヌに恋するのですが、夫である将軍アンフィトリヨンを愛する貞淑なアルクメーヌには一部の隙もありません。しかし、どんなことをしても好きな女性を手に入れてきたジュピターは諦めずに一計を案じ、アンフィトリヨンが戦地に赴いている間に自分はアンフィトリヨンに成りすまして、一夜をともにすることに成功します。それと知らずに戦地から帰還した本物のアンフィトリヨン、しかし、妻のアルクメーヌとはどうも話のつじつまが合いません。すれ違いのドタバタ芝居の最後に、本物と偽物のアンフィトリヨンは鉢合わせすることになります。偽物は、自分がジュピターであることを告白して、「ジュピターと(女を)共有できたことを名誉に思え」と言って天空に帰ってしまいます。
   このジュピターとの一夜によって産まれたのがヘラクレスで、彼はジュピターの正妻ヘラに憎まれて一生苦労することになります。ところで、この話にはいろいろ面白い要素が詰まっています。まず、これは虚栄心の強いフランス人のもっとも忌避するcocu 寝取られ男の話であり、また、もう一人の自分と相対するドッペルゲンガーの話でもあります。後のクライスト『アンフィトリヨン』やジロドゥ『アンフィトリヨン38』では(読んでいないので推測ですが)、ジュピターの気紛れによって操を喪ったアルクメーヌと妻を寝取られたアンフィトリヨンの人間的苦悩を描いているのでしょうが、私にはモリエールの主眼は、むしろジュピターの苦悩にあると思います。ジュピターとは人間でいえばカザノヴァ的で、肉体的な愛を優先します。というより、狙った相手の肉体を享楽するためなら手段を選ばず、牛にも蛇にも白鳥にも変身するほどで、この場合も夜の神に頼んで夜の時間を普通より長くしてもらうようなせこい男です。ところが、新婚熱々の時期を利してその夫に変身して思いを遂げたものの、アルクメーヌが情熱的になればなるほどジュピターは嫉妬にかられます。ジュピターであるがゆえに、すべては思い通りになるが、唯一愛されることだけはないのです。

   しかし、劇の主役はアンフィトリヨンでもアルクメーヌでもジュピターでもなく、家来のソジという男です。ソジは庶民であり、悲劇的な運命に翻弄されるなどということはなく、物事をまず自分の卑小な生活をもとに考えます。戦場の勲功ばかり考える男(アンフィトリヨン)、夫に愛されることばかり考える女(アルクメーヌ)、人の妻ばかり狙う男(ジュピター)、これら大真面目でそれゆえに滑稽な登場人物と違って、ソジは足が地についた冷徹な観察者です。そして、これがルイ14世とその宮廷生活に対する庶民の興味を代弁しているのです。ジュピターはそのままルイ14世なのですが、宮廷劇作家であるモリエールが庇護者であるルイ14世を揶揄できるわけはありません。しかし、この舞台はお咎めなしに29回のロングランに成功しています。モリエールはいつもよく分かっています。「女店員がロールスロイスの所有者と結婚するということは、実際にはほとんどあり得ないであろう。しかし、女店員たちがロールスロイスの所有者との結婚を夢見ているということが、ロールスロイス所有者たちの夢なのだ」(ジークフリート・クラカウワー)つまりモリエールは、貴賓席にいる王侯貴族から天井桟敷の庶民までを満足させるという離れ業をいとも易々とやってのけるのです。

   芝居がはねてから、サン・シュルピス通りをまた歩いて帰りました。すでに10時を回っているのに空にはまだ薄明かりが残っています。リュクサンブールの交差点にはマクドナルドとクイックというハンバーガーの店が競うように向かい合っていますが、どちらも客が入っています。パンテオンへと続くスフロ通りのカフェも満員で、大きなテレビを備えたカフェには、まだ終わったばかりのEuro2012準々決勝フランスースペイン戦の余韻が残っているようです。私たちはスフロ通りのアイスクリーム屋で3.5ユーロのアイスを二つ買いました。店員のイタリア人女性はたいへん親切で、三種類のアイスを山盛りにしてくれました。ちょうどホテルの前まで来ると食べ終わりましたが、ホテルの玄関の前に置かれた二本の大きなジャスミンの花で作った飾りが、夜の広場にこの世ならぬ強い香りを放っていました。

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世界有数の東洋美術コレクションを誇るギメ東洋美術館。

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カンボジアの女性像。ジャアヴァルマン7世の妃とも言われています。ギメのカタログの表紙を飾るこの坐像はバイヨン期を代表する彫像の一つ。感情の全表出を特徴とするインド美術に対して、ここには悲哀、喜び、苦痛、希望さえもが深い内面をうかがわせる微笑の中に溶け入っています。心を奪われるほどの写実性の中に、私は何か救いのようなものを感じるのです。

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ブッダ、後期バイヨン様式。怒り、激情、諦念、すべてを経験して至りついた悟りの表情を、これほど説得的に造形し得たことは驚きです。すばらしい彫像です。

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バイヨン期には、仏教とヒンドゥー経が穏やかに共存していました。シヴァ神が妻になるパラヴァティを試しています。右はバラモンに仮装したシヴァがパラヴァティによからぬことを吹き込んでいますが、中央上のパラヴァティは両耳を塞いで聞き入れません。左は正体を現したシヴァに、テストに合格したパラヴァティが恭順を示しているところ。何と活き活きとした浮彫りでしょうか。

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日本室にあった埴輪。妻によれば、この時代から日本人はかわいいものが好きだったそうです。この三頭身の馬の埴輪は、細かく装飾された馬具が愛らしい。

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アルマ橋からエッフェル塔を撮影。1898年の建造以来、この風景はほとんど変わっていないはずです。右の橋はイエナ橋。6月の緑と豊かなセーヌの流れ。

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カフェ・コンスタンの洗練されたマグロ料理。典型的なビストロ料理とは全く違っています。

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ヴィユ・コロンビエ座の正面。パリジャンが気軽に観に来る劇場ですが、私には窮屈すぎて苦しい劇場でした。

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