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2012年7月22日 (日)

パリ観劇記 第三夜 オデオン座「令嬢ジュリー」

   6月24日(日)
   肌寒い日曜日、ムフタール通りに買い物に出るため、朝9時半にホテルを出ました。このホテルは私たちにはやや贅沢なホテルです。ハイシーズンなので、もっと安いホテルにしたかったのですが、妻がどうしてもというのでここに決めました。妻によると、レセプションの人間が全員きちんとしているし、それに、朝ホテルを出る瞬間の雰囲気が良いというのです。確かに、出るとすぐ酔っ払いが寝転んでいたり、物乞いの人が座っているのを見るのでは爽やかな気持ちも吹き飛んでしまいます。ホテルのあるパンテオン広場は、荘厳なパンテオンはもちろん、端正なサント・ジュヌヴィエーヴ図書館、リセ・アンリ四世校、サン・テティエンヌ・デュ・モン教会、ソルボンヌ法学部に囲まれて朝の一歩を踏み出すのには最高の環境です。コンコルド広場に面したクリヨン、ヴァンドーム広場に面したリッツなどの豪華ホテルより、その点ではこのつつましい小さなホテル Hotel des Grands Hommes の方が優っているように思われます。

    パリの街の美しさを、説得的に語るのはたいへん難しい。しかし、たとえばこの整然として格調のあるパンテオン広場を見渡した時、私はかつて島崎藤村(彼もカルチェラタンのホテルに泊まっていた)が書いていたことを思い出します。彼はパスカルが宗教的な生涯を送った思想家であると同時に数学者であったことに思いを寄せ、パリの美はその数理的な想像力にあると悟ったのです。眼前の美に囚われず、想像力を豊かにして、面、積、質、距離、位置、長さ、高さ、速力、配合、組立などの持つ美を感知すること、それが生活を簡素にし、また豊かにもすると。数理の観念と美の結合、「古人の設計になる茶室の簡素がいかに数量の美に基くかを見よ」と藤村は書いています。

   さて、ムフタール通りはホテルから坂を下ってすぐ、途中にカフェの集まったにぎやかなコントルスカルプ広場があります。そこから開け始めた商店を眺めながら(ムフタールの商店街は日曜営業、月曜休みです)、ムフタール通りを降り切って、モンジュ通りにあるパン屋、Boulangerie Mongeに入りました。たいへん美味しいパン屋で、そこでクロワッサン、チョコのエスカルゴ、パン・オ・レザンなどを買いましたが、入り口のところで大柄の白人男性が行きつ戻りつしながら物乞いをしているのが気になりました。私たちと目が合うと、遠慮がちに手のひらを丸く差し出します。むろん、無視することにしているのですが、妻がレジで代金を払っている間、私が試食のパン・ド・カンパーニュを食べていると、また目が合ってしまいました。日本に住んでいると、物乞いの人に会うことがまずないので、こういう人たちとの距離の取り方に苦労します。昨日もリュクサンブールのバス停で、中年の白人女性が弱々しい声で妻に、自分の窮状を訴えてきました。私には、ただ最後のシルヴ・プレ、シルヴ・プレ、シルヴ・プレという三回繰り返された消えいるような声しか聞こえませんでしたが、妻によると、病気で苦しんでいるらしいとのこと、咄嗟のことで、妻は黙っていましたが、次に話しかけられた若い女性はあからさまに忌避する態度を示しました。しかし、その横にいた初老の女性は乞われもしないのにバッグから硬貨を出してその女性に渡していました。

   ムフタール通りに戻って、サン・メダール広場の近くで新聞を売っていました。真ん中に積んであったのは le Parisien Dimanche (パリジャン日曜版)で、一面には大きく Quelle Tristesse! (何て退屈なんだ!)と書いてあります。早速、1.25ユーロ払って買ってみると、昨夜のEuro2012 準々決勝対スペイン戦の完敗(0-2)をボロクソにこき下ろしていました。防御ばかりの臆病な試合運びを批判し、スペインを一度も脅かそうとしなかった作戦のまずさから一気に監督の解任まで話を展開しています。私もフランスを応援していたのでとても残念でした。

   ムフタール通りで苺とワインと鶏肉のローストとジャガイモを買って、ホテルにもどりました。朝食と昼食を合わせたような食事をとってから昼すぎにホテルを出ました。今日の観劇はホテルからすぐ近く、リュクサンブール公園の前にあるオデオン座です。三時からなので、オデオン交差点際にあるカフェ・エディトゥールでコーヒーを飲みました。ここで、たっぷり一時間、「令嬢ジュリー」のフランス訳本の最後の勉強をしました。もう何度も読んでいるし、モリエールに比べればたいへん易しいので、細部にごちゃごちゃしたところはあるが、本筋の展開は間違えようがありません。スエーデン語原本からの日本語訳も参照したが、その違いはごくわずかです。

   外へ出ると雨が降りだしています。まだ時間があったので、近くのサン・シュルピス寺院に行って見ることにしました。ここは本当に立派な教会で、私はここの付属修道院で勉強したエルネスト・ルナンを思い出すのですが、妻は何より、ドラクロワの畢生の大作、ヤコブと天使の闘いその他をじっくり鑑賞したかったのでしょう。

   いよいよ三時近くなったので、オデオン座に入りました。この劇場は、1782年、マリー・アントワネット臨席のもとに開場した由緒ある劇場で、元々はコメディ・フランセーズの劇場でしたが、紆余曲折を経て現在はヨーロッパ劇場としてジャンル、国籍を問わず上演されています。私の記憶の中では、68年の5月革命の時に学生に占拠されていたことでよくメディアにその名が登場していました。さて、劇場はいわゆる新古典主義建築で、ギリシア的な荘厳な円柱が並ぶファサードは、いささか大げさで重厚すぎる感じです。二階にはゆったりしたカフェがあり、オペラ座を思わせる客席はとても素晴らしい。私たちの席はpremier balcon つまり日本で言う三階のやや右寄りの一番後ろで、少し遠いが舞台ははっきりと見えます。しかし、これで24ユーロ(2400円)はやや高いかもしれません。

   舞台はストリンドベリの『令嬢ジュリー』で、目玉はジュリー役のジュリエット・ビノシュです。映画「ポン・ヌフの恋人」の魅力的なビノシュも今は48歳になっています。原作では令嬢ジュリーは25歳、召使のジャンは30歳ですが、最初は どうしても年上の女性が年下の男性を誘惑しているようにしかみえません。しかし、徐々に自分が芝居に溶け込んでくると、そんなことも気にならなくなりました。ビノシュは控えめな演技で好感が持てます。演出はやや前衛的で、ぬいぐるみのウサギが脈絡なく舞台に登場するのは、(妻によれば)デビッド・リンチの「マルホランド・ドライブ」を思い起こさせるそうです。なお、舞台はシリアスな展開なのですが、面白くもないところで、しばしば笑いが起こるのが解せません。また、信じられないことに、この著名な戯曲のあらすじさえ知らないで観にくる客が多いらしく、物語の展開にいちいち驚きの声が上がるのも呆れるというか、羨ましくも感じます。もっとフランス語を正確に聞き取れれば、私も予習せずに素のままでどっぷりと芝居を楽しめるのにと思いました。実際はまるごと暗記するぐらいフランス語の台詞を読み込んで、やっと舞台についていけるほどなのですが。

   ところで、この劇は、原作者の意向で幕間休憩というものがなく、1時間50分ぶっ続けです。ストリンドベリによれば、自分の目的は観客を教育することにあるので、途中で休んでしまうと、観客は作者の催眠術から逃れてしまう可能性があるというのです。全く愚かな考えで、白いタオルを頭に巻いて客の食べ方を監視している頑固なラーメン屋の主人を思い起こさせます。映画と違って観劇は神経を集中させるので、幕間のロビーで飲む一杯のワインやリキュールはこの上ない楽しみでもあるのです。休憩がないために、辛抱強い妻も途中で疲れて眠そうになっていました。

   問題の「令嬢ジュリー」ですが、あらすじは簡単で、貴族の令嬢がその館の召使の男に誘惑されて破滅していく話です。この芝居の価値はその徹底した自然主義にあると言ったらよいでしょうか。自然主義とは、もともとフランス文学で発達したもので、自然の世界の弱肉強食や適者生存が人生にもあてはまるという思想です。日本ではなぜか自分や社会を暴露的に描写する手法とみなされましたが、元来は世界を美化せず、科学的合理的に捉えていく考えです。ストリンドベリは、人間関係、とくに男女の関係を闘争と捉え、あらゆる術策を労して片方が片方を支配して行く関係と見なしました。こういう世界では、人間相互の細やかな思いやりというものが、嘘っぽく偽善的に見え、利己的で露悪的なものがよりリアルなものと思われるのです。
   わかりやすくその正反対のものを挙げれば、たとえばNHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」でしょう。私たちは夫婦でいつも録画して楽しく見ているのですが、なぜ楽しく見ているかというと、これが全くのデタラメなドラマだからです。主人公は誰からも憎まれそうにない性格で、相手の行為を常に善意に解釈し、周囲の人を何とか幸せにしようといつも努力しています。行き違いや無理解や人の死という避けられない出来事さえも、この主人公の愛情によってトラクターのようにきれいに刈り取られてしまいます。むろん、現実にこんな女性がいるはずもなく、こんなに都合よく振り回される周囲の人たちも存在しません。まさに、それゆえにこのドラマは楽しいので、明るい液晶画面のこちら側には容赦してくれない過酷な現実があります。私たちは、朝から軋轢に溢れた現実と向き合うことを嫌い、進んで幻想に身を預けて一時を楽しむのです。

   ストリンドベリの活躍した19世紀後半も、軽い喜歌劇や軽演劇がベルリンやパリの巷に溢れた時代で、それは古典主義の窮屈な悲劇や歌劇に飽き足らない観客、つまり現実には金銭がすべての支配者である毎日を送るブルジョアジーの全般に大いに歓迎されました。人々は現実を適度に混じえながら、たっぷり幻想をふりかけた出し物を要求していたのです。ストリンドベリは幻想にたぶらかされることを極度に嫌う男で、現実をさらに先鋭化して示すことで、メロドラマに慰安を求める大衆の根性を叩き直そうとしたのです。その思想の要諦は「令嬢ジュリー」のフランス語版に付された序文によく表されていますが、この序文こそ、その明晰さで世界文学史上屈指のものであると思います。

   どの時代でも人々の感情を強く動かす出来事はある階級の没落、あるいは支配するものと支配されるものの逆転による悲劇です。このようなことは、心弱い観衆の気持ちを逆なでするが、しかし、なぜそれを力強い自然の営み、ヒルが水牛を食い殺すようなダイナミックな人生の活き活きとした営みと理解してはいけないでしょうか。自分はそこにこそ、自然の、いや人生の面白さがある、とストリンドベリは言っています。つまり、令嬢ジュリーの転落と使用人ジャンの勝利は、その過程において、それを自然主義的に描写できさえすれば、多大な興味を有した人間劇を展開しうるわけです。
   その描写方法も問題です。登場人物の行動にはさまざまな理由があり、ひとつの理由に絞ることはできないのは、現実世界における私たちの行動と一緒です。ジュリーの転落は、母親への憎しみかもしれないし、父親への同情、あるいは祭りの夜の高揚した気持ち、または単なる気まぐれか、それらのどれでもないかも知れません。どちらにしても、ある理由に納得して、登場人物を現実の人間よりも単純なものとみなし、高みの見物のままでいることは許されません。私たちは、登場人物の不安の只中にいて、まさにその不安そのものとなるのです。

   さらに、ストリンドベリはその考えを徹底するために、登場人物(この劇ではわずか三人)を無性格な人間として措定します。彼によれば、性格とは進歩を忘れた人間の残骸であり、あるいはパターン化された人間、かの偉大なモリエールも陥った人間の単純化です。ある登場人物の行動は、彼の性格によるのでなく、もっと複雑で様々な要因によるのであり、人は場合によっては自分の「性格」に逆らって行動することさえあるのです。

   このように「令嬢ジュリー」は意欲的で難しい芝居であるが、美しい貴族の令嬢の華やかさ、軽妙で密度の濃い会話と、前半と後半の緊迫感の落差とスピードによって、見るものを十分に楽しませます。ジュリー役のジュリエット・ビノシュですが、彼女の魅力は美しさはもちろん、その知的な軽さ、親しみやすさにあります。パリの芸術的な家庭の出で、演劇学校(コンセルヴァトワール)を出たあと、ヨーロッパの映画賞をほぼ総なめにして、『イングリッシュ・ペイシェント』でアカデミー賞も取りました。面白いことに、スピルバーグから『ジュラシック・パーク』のオファーが来た時、彼は女性を深く表現しようとしない監督だからという理由で断ったというのです。これは納得できる意見で、「少年の目で見た驚くべき世界」を撮り続けているスピルバーグにとって、女性が何を考えているかなどはどうでもいいことで、数秒の考慮にも値しません。

   芝居がはねて劇場を出ると、雨はさらに激しく降っていました。サン・トゥスタッシュ教会の日曜夕方の無料のオルガンコンサートに行くために急ぎましたが、リュクサンブールから85番のバスに乗ろうとしたら、何とこのバスは日曜は走ってないのです。そのため、サン・ミッシェルまで歩いてメトロでレ・アールまで行きましたが、寒い雨の中、短くない距離を妻に歩かせてしまいました。すでにオデオン座で、疲れが出て眠そうだったので、また頭痛が出るのではと心配しました。サントゥスタッシュ教会に着くと、すでにコンサートは始まっていましたが、最後の三曲を何とか聴くことができたのは幸運でした。最後の曲はバッハの「トッカータとフーガ」で、巨大なパイプオルガンが石の壁面に反射して、CDでは絶対に味わえない震えるような響きに心を打たれました。終了後にオルガンの写真など撮っていると、教会の人が近寄ってきて、ミサが始まるから写真は撮らないでくれと言われました。それでも、ぐずぐずしていると、奥の階段から鮮やかな水色の祭服を着た司祭が降りてきたので慌てて教会の外に出ました。

   まだ雨がやまず、妻も眠そうですが、お腹も空いたので、メトロで6番線のDuplexまで行って、ビストロCantaine de Troque Duplex に入りました。ここは非常に評判の良いビストロ Cantaine de Troque の2号店ですが、日曜も営業しているので助かります。店内はとてもくつろいだ感じで、まだ7時過ぎで客は少なかったのですが、評判通り、すぐにいっぱいになってきました。店の奥には男ばかり4人の日本人グループが卓を囲んでいましたが、妙に和気藹々な雰囲気で、しかしうるさくなく、微笑ましい感じでした。さて、妻は真ダラ cabillaud を、私はカンテーヌ風サラダを食べました。妻が魚ばかり食べるのは日本では放射能のため魚を食べられないからで、私のサラダは痛風予防のためです。真鱈はほっこりとしてとても美味しい。サラダはアンチョビが辛かったが、野菜をたっぷり食べられました。これにロゼのカラフ(500ml)、ラムの染み込んだババ・オ・ラムとコーヒーで58ユーロは納得できました。サービスは非常に打ち解けて感じ良い、私はこの店がたいへん気に入りました。

   店から次の駅モット・ピケ・グルネルまで歩いて、メトロ10番線でカーディナル・ルモワーヌまで行き、まだやまぬ雨の中、ホテルまでの坂道を上がりました。バスタブにゆっくり浸かって、寝る前のハーブ・ティーを飲むと、妻は疲れてもう瞼があかないようです。私は机の上でノートの整理をしながら、朝にムフタール通りで買ったワインのハーフ・ボトルをあけました。「令嬢ジュリー」について考えていたのですが、それにしてもラストは曖昧で唐突な終わり方で、この作品が世評ほどすぐれているとは思えません。ストリンドベリは猜疑心にさいなまれ、自分が常に騙されているのではと思っていたそうですが、ヘルダーリンやニーチェやヴァルザーほどではないが、精神病者ぎりぎりの哀れな人間だったと思います。狂人がしばしば真実を見抜くように、確かに人生は情け容赦のない冷酷なものかも知れません。シオランもどこかで、男と女はいつでもどちらかが支配しどちらかが支配されるものだ、と書いていました。私もどちらかというと悲観的な人間ですが、それでも、テーヌがメリメについて言ったように、人はしばしば自分の猜疑心にだまされるものだから観念して生きるに若くはないのだと思います。それに、だまされることも大きな快感で、私たちは名状し難い力でそこに飛び込まされていくのです。
   昨日買ったle Magagine Litteraire を開けてみると、ストリンドベリ没後100年ということで、写真愛好家としてのストリンドベリが紹介されていました。25歳から撮り始めたという写真は、彼が感じたいと思っていた世界、彼が打ち立てたいと思っていた真実の世界の仮象だというのです。フランス語の revelateur (現像液)という言葉には、隠れた秘密を明かすという意味がありますが、この作家にふさわしい形容詞ではないでしょうか。

Grandhomme

ホテルの玄関。ジャスミンの柱で飾られています。

Pantheon

パンテオン広場。左がサント・ジュヌヴィエーヴ図書館、右がパンテオン。 

Mouffetard

朝のムフタール通り。冷えるので、妻は白いスカーフを巻いています。

Paper

サン・メダール広場の新聞売り子。サッカーの記事を読むためでしょうか、ひっきりなしに客が来ています。私もパリジャンを一部買いました。

Sulpice

サン・シュルピス教会。光にあふれた荘厳な教会です。

Odeon

オデオン座。開演前の一時。オペラと違って、開演時間ぎりぎりに人が集まってきます。

Odeon0

オデオン座のエントランスと二階のカフェ・バー。

Odeon2

芝居が終わって、雨の中を帰ります。今日が千秋楽ですが、ジュリエット・ビノシュと握手とかはできませんでした。

Photo

サン・トゥスタッシュ教会の日曜夕のオルガン・コンサート。心に響くパイプオルガンの調べ。聴衆は敬虔な信徒と観光客が入り混じっていました。

Julie

芝居のパンフレットとチケットと本。台詞はかなり変わっていました。

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