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2012年7月 7日 (土)

パリ観劇記 第一夜 オペラ・コミック座「真珠採り」

   6月22日(金)
   朝の6時、飛行機はシャルル・ドゴール空港に無事着陸しました。到着一時間ほど前から妻は能面のような白い顔をしています。表情のないのは偏頭痛がひどいからで、気圧の変化で必ず体調を崩すのは、いつものことで仕方ありません。よろよろと席をたって、迷わないように日本人客の後について通路を進むのですが、途中トイレに立ち寄ってけっきょく日本人の列を見失ってしまって焦るのも毎度のことです。ようやく入国カウンターに辿り着いて行列の後ろに並びました。スムーズに前へ進んで行ったのですが、私たちのすぐ前の若い日本人男性が、係官に向かって「何言ってるか、わかんねえよ」と叫んでいます。それでも何とか通過できたのですが、私にはこの青年の気持ちがよくわかります。東洋人にも容赦なく早口で質問する空港警察の係官も問題ですが、実はこのような短いしかし重要な質問というのが最もわかりにくい。日本語でも咄嗟の質問は聞き取りにくいのにましてやフランス語です。切れてしまって日本語で叫ぶのもやはり辛抱がないが、私はこんな場合、つぎのように思うことにしています。つまり、フランスに来た以上、どんな人間も、子供でも老人でも警官でも私たちのフランス語の教師である、彼らの仮借ない早口や、慇懃無礼な挨拶や、気取りのない問いかけも、パリという「学校」で私たちに課せられたさまざまなトラップ、いや小テストなのだと。それがまた、英語圏でない国を訪問する醍醐味でもあるのですが。

   流れてくる荷物を受け取って、エールフランスのリムジンバス乗り場に来ると、もう7時半です。機内で服用した薬が効いてきたのか、妻は大分元気になりました。ところが、外の寒さ(12℃)に触れた途端、今度は私の具合が悪くなりました。例によって吐き気と腹痛です。旅の初日はいつもこの二つに苦しみますが、特に今回は、初めての羽田発の深夜便パリ行きで、機内で熟睡できない私には責苦でした。リムジンバスをパリの外れのポルト・マイヨーで降りて、ホテル近くに行く82番のバスの停留所を探している間、苦しみは頂点に達します。旅に出てきたことへの後悔、無事帰れるかという不安、脱出できない困難の中にいるという気持ち、それもいつものことなのですが、今回はさらに絶望的なものでした。おまけに、大きなホテルが林立し車やバスが行き交う朝のポルト・マイヨーの排気ガスまみれの空気を吸うと、吐き気が胸上まで上がってきます。やっとバス乗り場を見つけて、都合よく来た82番に乗ると、空いている席は私の苦手な進行方向逆向きで、急ブレーキでもかけられたら嘔吐しそうで心配です。

   82番のバスは、セーヌ河をイエナ橋で渡り、エッフェル塔の真下をかすめます。私はエッフェル塔に登ったことがなく、こんな近くで見るのさえ初めてですが、彫刻のようなレースのような軽やかな造り、とてもセーヌ河の川底深く足を食い込ませて支えているとは思えません。バスは塔から離れながら、なお美しい肢体を存分に窓の外に見させてくれます。不快感は依然として続いていましたが、6月のパリの爽やかさが一瞬吹き抜けたように感じられました。次にバスはエコール・ミリテール(陸軍士官学校)の横を通り過ぎて、ついにアンバリッド(廃兵院)のドームの真ん前にたどり着きます。朝の陽射しが金色のドームに反射して、きらきらと弾けるようです。この中に安置されている巨大なナポレオンの柩を見た時の衝撃はまだ忘れられません。さらにバスは典雅なサン・フランソワ・グザヴィエ教会の前を通り、モンパルナス駅前で多くの客を降ろしてから、クーポールやカフェ・ドームの並ぶモンパルナス大通りを過ぎるとスタニスラス通りの狭い路地裏に躊躇なくすべりこみます。公園の若葉が道に張り出している緩やかな坂道を上り切ると、そこはもう終点のリュクサンブールです。「大丈夫だった?」とすっかり気分が良くなった妻が聞いてきます。「治ってきたよ」と言って、バスの低いタラップを降り、サン・ミッシェル通りに立つとようやく異国の地の興奮が湧いてきました。目的のホテルは、そこからすぐ近くのパンテオン広場に面した前回と同じHotel des Grands Hommesです。

   チェックインは2時なので、それまで荷物をレセプションに預け、疲れた体をカフェにでも入って休ませることにしました。すぐ近くのソルボンヌ広場のカフェ・エクリトワールに入ってコーヒーとサラダとパンの遅い朝食を済ませましたが、のんびりしていると、ランチの準備でカフェが慌ただしくなったので、出てきました。時間潰しにサン・ミッシェル界隈の古本屋を覗いてみようとしましたが、私がVignes書店で懸命に均一本を漁っていると妻は店の外で退屈そうにしています。それで、歩いて遠くないヴァル・ド・グラースに行くことにしましたが、着いてみると何と鉄の門は閉ざされています。ホテルの方に向かって歩いていくと、ランチの時間だからでしょうか、どの店も学生でいっぱいです。すぐそこにあるフランス最難関の高等師範(エコール・ノルマル)の学生たちも混じっているのでしょう。私たちは、もう眠いし、足も疲れたので、ホテルのあるパンテオン広場にあるサン・テティエンヌ・デュ・モン教会に入って休むことにしました。教会は涼しいので一時休憩するのには最適です。この教会は、15世紀から建築が始められ、その時代時代の様々な様式と好みが混交しながら調和している稀有の建物です。マルク・フュマロリは名著『文化国家』の中で、「混交の中の調和」というもっともフランス的な伝統の見事な具現化をこのサン・テティエンヌ・デュ・モン教会に見出しています。
   
   2時になったので、チェックインして入室。部屋は6階で屋根裏部屋なので天井が斜めになっています。窓を開けると、パンテオン側ではなく中庭に面していますが、その分、夜は静かそうです。ベッド、風呂場などは申し分なく、ハイシーズンの今ではこれで十分でしょう。観劇のある夜まで仮眠をとる予定でしたが、トランクを開けて荷物の整理などして、お茶を沸かして飲んだりしているうちに夕方になってしまいました。今回の旅行は、いわば、あの3月11日の大震災がもたらしたようなものです。あの日以来、妻は心身ともに疲れること多く、仕事も休みがちになっていました。放射能汚染への恐怖が、政治やメディアへの不信と重なって、毎日の生活を暗くしていました。妻が東日本の生産物を食べないようにしているので、仕事の帰りに食材調達を担当している私は、しばしばスーパーの野菜売り場で買うものがなくて叫びたくなったものです。そんな時に、妻がエールフランスのサイトで10ヶ月も先の安い航空券があると言い出しました。むろん、パリ直行便です。今は旅行よりも、落ち着いた生活を取り戻すのが先だと思っていた私は最初反対しましたが、よく考えれば、この旅行が妻にとって格好の気分転換になるのでは、と思い承諾しました。その効果は望外で、チケットを買い、ホテルを予約すると、妻の生活は一変しました。オペラの日程を調べたり、パリで着る洋服を買い始めたり、フランス語の勉強を再開したり、それまでと打って変わって毎日は明るく刺激に満ちたものとなりました。さすがに年が明けると準備疲れが出て、私などは、もうどうでもいいやと思ってしまうのですが、春が来て夏が近づくと一気に緊張感が高まってきました。(もっとも私の準備といえば、パリのビストロの評判を調べたり、バス路線を覚えたりの他には、毎日France Soirのサイトを熱心に読んだくらいでしたが)

    さて、初日の観劇はオペラコミック座で夜7時半開演のビゼーのオペラ「真珠採り」です。メトロでオペラまで行き、オペラ座前のカプシーヌ大通りを東に歩いて、少し引っ込んだところにあるオペラコミック座に到着しましたが、40分も前に着いたので、まだ開場していません。残念なことに劇場の正面は全面工事中で、瀟洒なファサードを見ることはできませんでした。コミック座前の広場の向かいの建物には「椿姫」の作者デュマ・フュスがここで生まれたことを示すプレートが掛けられてありましたー。すでに観劇の人たちが広場にたくさん集まって、それぞれ立ち話などをしています。シナリオや歌詞の書かれたコピーを熱心に予習している人もいます。驚いたことにほぼ全員が中高年で、皆がみな楽しそうな顔をしています。服装もオペラ座ほど派手ではないが、日常よりややおしゃれな出で立ちです。開演20分ほど前にやっと開場しました。ロビーも廊下も客席もオペラ座をコンパクトにしたような親しみのもてる劇場です。このオペラコミック座は、たいへん伝統のある劇場で、ビゼーの「カルメン」の初演もここで行われました。

    私たちの席は、Paradis、つまり天井桟敷のさらに一番高いところ、わずか6ユーロ(600円)の席で、しかも左端と右端に離れて座らなければなりません。なぜこんな席になったかというと、オペラコミック座のチケットの売り出しは早く、すでにこの二つの席しか残されていなかったからです。左の一番高い六階まで登っていくと、座席係りが私のチケットを見て、一番上の一番端の席まで案内してくれてそこにプログラムを一枚置いてくれました。それで、私がそこに座って開演を待っていると、中年の婦人が来て、私の席を指さして何か文句を言っています。何を言っているかわからなかったが、私の座席の番号を見ると9と書いてあります。え、と思ってチケットを見ると10番ではありませんか。でも10番の席はないのです。それで、座席係の人に聞いてみると、早口で説明するのでよくわかりません。どうもそこが10番でいいらしいのです。私が不満顔でまた階段を上っていくと、後ろから「ミスター、ミスター」と追いかけてきて、やさしく私の手をとってそこにさっきもらったばかりのプログラムをまた握らせてくれました。

   席に戻ってみると、私の席に婦人のものらしい白いショールがかけてあります。それを横の席に放り投げて座ってしまいましたが、先ほどの婦人はどこに行ったか姿が見えません。開演間際にどっと人が入ってきて、天井桟敷は満員になりました。見ると先ほどの婦人は天井桟敷の一番下の階段に座っています。始まってみるとわかったのですが、この席からは歌手の頭すら見えません。だから一番後ろの席の人は階段に座ったり立ち見をしているのです。席の番号など全く意味がありません。私も第一幕は立ち見をしていましたが、幕間の休憩に下まで走っておりて、一番右端まで駆けて、また上まで上がって妻の席まで行ってみました。何と妻は前の席に空きがあったのでそこに座っていると、さらに前の席が空いたのでちゃっかりそこにすわっています。両方ともとても見やすく、二幕、三幕はそこに縦に並んで座って観ました。このオペラコミック座はオペラ座より狭いが、音響は素晴らしく、舞台も見やすい。これでチケットが6ユーロ〜110ユーロというのは信じられない安さで、すぐに売り切れるはずです。

   ところで、肝心のオペラ「真珠採り Les Pecheurs de Perles」ですが、これは「カルメン」ほど華やかでないが、美しいメロディーが宝石箱のように詰まったすばらしいオペラです。数々の魅惑的な調べの中でも特にナディールが歌う「耳に残るは君の歌声」は、アルフレッド・ハウゼ楽団の編曲により「真珠採りのタンゴ」として、コンチネンタル・タンゴの名曲となりました。物語は、これまたよく出来ていて、なぜ映画化されないか不思議なほどです。舞台は英国統治前のセイロンのある島、真珠採りを生業とする部族が、ズルガという新しいリーダーの誕生を祝って踊っています。まったく都合よく、そこにズルガの親友だったナディールが長い旅から帰ってきました。二人は、昔、レイラという美しい女性をともに愛した為に、友情が壊れることを恐れたナディールが自ら行方をくらましたのです。密かにナディールを愛していたレイラも姿を隠しました。ズルガとナディールは再会を祝って歌を歌いますが、またまた都合よく、巫女を乗せた船が島に近づいて来ました。この島では毎年、海が穏やかであることを祈って、巫女に歌を歌わせるのです。巫女の歌声を聞いたナディールは、その巫女がレイラであることに気づきます。ヴェールの下から、レイラもナディールに気がつきます。そこに神官ヌーラバッドが現れて、レイラに、決してヴェールを取らないこと、決して身を汚してはいけないこと、そうでなければ死ななければならない、と厳命します。レイラは、ヌーラバッドに子供時代のある出来事を語って、自分がいかに約束を守る意志の強い女性であるかを強調します。この話がこの物語の急所になっているのですが、それは次のようなものです。レイラがまだ幼かった時、ある男が敵の部族から追われてレイラの家に逃げ込みました。レイラは彼の身を隠してやり、追手の追求にも口を割らなかったのです。命を助けられた男は感謝と思い出のために真珠の首飾りをレイラに渡します。

   二幕から話は急展開します。寝所で休んでいるレイラのところにナディールが忍んできて、愛し合う二人はついに結ばれてしまいます。ところが、それが島の人に目撃され、二人は神官ヌーラバットにより死を宣告されます。レイラはズルガに会って、ナディールだけでも命を助けて欲しいと懇願します。親友の身を案じていたズルガは、しかし、ヴェールを取った巫女がレイラであることを知って嫉妬にかられて二人の処刑を認めてしまいます。ここで、深い人間的真実を覗かせる場面が展開します。レイラがズルガに、なぜナディールだけでも助けられないかと質問するのですが、ズルガは、自分もレイラを愛しているのだ、と告白します。それを聞いてレイラは深いため息とともに、すべてを諦めるのです。なぜなら彼女は、男の嫉妬に抗うことなぞできないことをよく分かっているからです。レイラは処刑の前に、身につけていた真珠の首飾りを、後で母親に届けて欲しいとズルガに頼みます。その瞬間、ズルガは、彼女こそ昔自分を助けてくれた少女であったことを知るのです。ズルガはレイラとナディールを逃がしてやり、村に火を放ち、ヌーラバットは村人にズルガを逮捕し処刑するよう命令します。

   ビゼーは、まさに天才であり、25歳の時のこの作品も、出だしの緊迫感溢れた音楽から最後の急展開まで観る人を全く飽きさせません。登場人物の四人(ソプラノ、テノール、バリトン、バス)はみな初めての名前ですが、聞き応えは十分でした。フランス放送交響楽団の演奏も評判通りです。惜しむらくは、日本人笈田ヨシの舞台演出です。場所はセイロンなのに、沖縄の漁民をイメージした貧乏臭い衣装で、レイラは何と平安時代の白い旅装束で現れます。ヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場はこのオペラの1・2幕をネットで公開していますが、それはインド風の衣装でレイラも妖艶に踊ります。セイロンという場所と物語から私たちが普通に連想し期待するのはこのようなものではないでしょうか。ともあれ、これは普遍的な愛の物語で、ゲーテやシャトーブリアンやドラクロア同様、異国の姿を借りてのみ表現できた素朴で直接的な愛の物語です。

   終演後、人々が劇場の外に出て行く時、それは余韻に満ちたすばらしい時間です。友人たちと語らいながら、あるいは一人物思いに沈みながら、人の波はファヴァール街からイタリアン大通りへと興奮のさざ波を運ぶように散って行きます。見たところ、ほとんどが地元のオペラ好きの人々で、観光客らしき姿は見あたりません。駅に続く大通りはカフェが歩道まで張り出していて、金曜の夜の喧騒が最高潮に達しています。メトロでカーディナル・ルモワーヌまで帰り、コントルスカルプ広場を通ると、飲み終わった学生の集団がざわざわと騒いでいます。ホテルにもどると、もう12時近い。朝からパンとサラダしか食べていないので二人ともお腹が空いてきました。旅行鞄に飛行機の中で食べようと持って来た不二家のカントリーマアムが残っていたので、二つずつ食べました。潰されてボロボロになっていましたが、不思議なことに何となくパリの味がするようです。

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狭いヴァル・ド・グラース通りから見たVal de Grace 教会堂。1645年、ルイ13世の妃アンヌがルイ14世誕生を感謝して建てたもの。

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サン・テティエンヌ・デュ・モン教会。三層になったファサードはとても優雅。前にある彫像は劇作家コルネイユ。

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透かしのあるジュべが何とも美しい。

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オペラ・コミック座の向かいの建物に張られたプレート。『椿姫』の作者デュマ・フィスは1824年ここで生まれました。パリではいたるところにこのようなプレートが張られています。

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オペラ・コミック座のエントランス。開場を待ちかねた人々が続々と入ってきます。

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コミック座のロビー。開演前にすでにシャンパンを飲んでいる人もいます。

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幕間のくつろいだ客席。ここが天井桟敷で、オーケストラが遥か下に見えます。しかし、歌手の歌声はむしろ下よりも響くようです。非常に好ましい劇場です。

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