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2011年6月18日 (土)

眼前のボブスレー

 エルンスト・ブロッホの『異化』のなかに「眼前のボブスレー」という題の章があります。絵入り新聞に掲載された一枚のその写真には、コースを外れかけたボブスレーと、それを柵のところで見ている観客が写っています。疾走するボブスレーはコースの中心を外れ、すでにコースの縁に向かって突進しています。だが、その写真の中の観衆は、まったく落ち着いて、自分たちの目の前で起こっていることを何の不安もなく、くつろいで見ています。中年の婦人、子供、タバコをくわえた男、カメラは急行列車のように飛んでくるボブスレーと、この直後に死傷する人々の何の予感も持たぬ様子を、破局の20分の1秒前に正確に捉えているのです。「死産児がアルコールづけにされて、腐敗からまぬがれるように、ここでは死の瞬間が、乾板に焼き付けられて、時の流れの中から取り出されたのだ。」観衆は、あい変らず、安心しきっており、身を守るそぶりすら見せません。「この写真に見られる観衆は、一切の予感を欠いている点において、荒々しく破滅していく影のようなボブスレー選手よりも、ずっと無気味である。」この無気味さは、恐ろしい未来が、いつの間にか、そっと戸口に立っている無気味さなのです。「だから、この写真は人間生活を比類なきまでに凝縮しているのだ。、、、次の瞬間を超えて見ることはできない、ただ考えることができるだけだ、と」

 私には、今福島で起きていることと、それを「見ている」日本人のことを考えると、このボブスレーの比喩が頭に浮かびます。無気味なのは、今も超高温を保って生き物のように呼吸している燃料棒なのではない、それを取り巻く人間たちであると。福島第一原発の1~3号機はすでにメルトダウンして手の施しようがなく、後は本でしか読んだことのない世界、考えることはできるが現在の瞬間を超えて見ることのできない世界です。地下水の汚染は? 海水の汚染による魚介類の被爆は? そしてまだ落ち着いていない3号機の再臨界の可能性は? さらに4号機は使用済み燃料棒のむき出しになったプールが決定的な爆発を引き起こすかもしれません。すでにこれまでの爆発によって燃料そのものが飛散しているのは確実ですが、そうでなくとも長期的なだだ漏れによって、どれほどの癌患者が出現するか想像するだに恐ろしいことです。未来は予見できないが、すでにその戸口に立っていて、私たちが振り向くのを待っているかのようです。

 前回の記事で、私は「最悪の一歩手前」という言葉を使いました。福島でなく浜岡だったら、あるいは制御棒が入らずに原発が停止しなかったら、そのような致命的なことを外れて何とか首の皮一枚つながったのが今の状況でしょう。そして、そのスリリングな体験(今も続いている)は代償として、電力会社をめぐる政治と大学とマス・メディアの関係を白日のもとにさらしたのです。彼らが、原発の利権にどれほど群がり、どれほどしゃぶりつくしたか信じられないほどです。ここで、私たちのために(私は自分と自分の愛するものたちが放射能や疫病の恐怖や不当な差別や迫害にあうことだけを恐れるのですが)、あるいは将来の私たちに繋がる人間のために、何かあることをなし得るとしたら、それは日本の社会構造を根底から見直していく以外にないのではないでしょうか。それが、「最悪の一歩手前」まで行った恐怖と引き換えに私たちが手にできるかもしれない代償なのです。

 ところが、事ここに至っても、100日も経たないうちに、またぞろ、黒板を裏返してまっさらから始めるように、ほとんど何も変わらずにすべては動き始めているのです。福島の美しく豊かな国土を向こう半世紀にわたって不毛の地にし、基準値を上げてまで福島の子供たちを被爆させて、いったいこの国の政府は何を守ろうとしているのでしょうか。いや、守ろうとするものなぞ何もなかったのです。たとえ、国土と国民の半分を失ったとしても、(他国によって侵略されたとしても)、彼らは自分の権益が保てればそれでよしとするのです。なんという脆い国家、なんという政治の堕落でしょう。思えば戦後70年近く、この国は偽りの体制のまま生きて来ました。与えられた民主主義は借り物であり、それも背丈を急ごしらえで詰め直した安物にすぎません。民主主義が普通に機能するためには、その国なりの個人主義の浸透が必要です。西欧にはギリシア以来、個人主義の伝統があり、自分の運命は自分で考えて決定しうるという前提の下で、一票が相応の重みを持つ民主主義の基礎が打ち立てられていました。ロックやホッブズ、バークやトックヴィル、バンジャマン・コンスタンやド・メーストルまで、彼らの議論の中心は、この考え決定する個人というものをいかに共同体が手なずけるかに置かれていたのです。ところで、日本にはもちろん、それを根底から考えつくした歴史もなく、天下り的に与えられた民主主義は、ただ教科書を通してのみ理解しうるものでした。そして、議事堂に集まった代議士や、地方議会の議員や各自治体の長の顔を見れば、この国で民主主義がどのように機能しているかわかるというものです。

 実は、戦後を実質支配したアメリカと、その後の保守政権と、それを批判してきた左派連中の共通の思惑はなんと国民の愚昧化政策だったのです。戦争の惨禍と敗北の無力感は日本を精神的にも荒廃させました。ちょうど倒産しかかった会社の備品を社員が我先に掠め取っていくように、この思考停止の状態の国民、勤勉で協調性に優れあきらめの早い国民を奴隷のごとく利用しようとしたのです。こうして、土地、交通、放送、通信から駅前のパチンコ屋に至るまで、明確な根拠のない利権の巨大構造が生まれたのですが、その最終形態ともいえるものが原発をめぐる利権構造に他なりません。これがどれほど根深いものかは、まだ福島の収束も見えていないのに原発存続の声が利権確保の踏み絵のように鳴り始めていることからもわかるでしょう。

 これらのことを書き続けたら切がありません。すべてを端折って、今後の寄るべき指針を簡単に書いてみましょう。むろん、それは国民一人一人が自分の利益について賢くなって行くことです。生活の苦しさや悩みから宗教や賭け事に走るのではなく(フランスではカルト宗教が、韓国ではパチンコが禁止されました。なぜ日本でもできないと言えるでしょうか)、自分の力で何が変えられるか考えてみるのです。そんなことは不可能? いや仮借ない教育者アランが言っているごとく、一人一人が勇気を持って考え始めれば、国民全体が向上することも夢ではないのです。夢ではないどころか、もし、そうしなければ、日本は早晩衰退し、国としては破産していくでしょう。「ニネヴェやバビロンは美しい名だ、しかし、その名も存在も、その国家の完全な消滅と同じく我々には無意味だ、フランス、ドイツ、ロシアも美しい名だ、、、民族もまた人間の固体と同じく衰退し消滅する、、」ヴァレリー『精神の危機』の不確かな引用ですが、比喩ではなく、日本という国が亡くなってもおかしくはありません。イギリスの主力艦隊を撃沈させ、世界最強のアメリカ太平洋艦隊を壊滅の瀬戸際まで追い込んだ国が、そのアメリカによって骨抜きにされ、ハゲタカのような連中に貪られ、政治的無気力と生きる虚しさで喘いでいるのです。平和憲法? 自ら勝ち取った憲法でなければ何の意味もありませんし、抗戦すら拒否する憲法なぞ常識的な頭脳には考えられないことです。国土と国民を自分で守れないのなら、ユダヤ人のように世界を彷徨ったほうがましでしょう。日米安保? 同じ人類に向かって二度も核爆弾を落としたような国を心底信ずることなどできようがありません。公式的な謝罪もなく、原爆投下の正当性を主張し続けている国は、同じことを将来再び繰り返すと考えるほうが自然でしょう。

 被災地の苦しみも忘れてはならないことです。特に、老人の(ほとんどは病気を抱えている)避難所生活や、漁業・農業の破産的損害、その他数知れぬ人々の苦しみの総量はどれだけになるでしょうか。「いくつもの悲惨を目の当たりにしながら、幸せでいられることには一種の羞じらいがある」(ラ・ブリュイエール)、しかし、首都圏もまた、緩慢な「責苦の庭」になりつつあるのです。妻は、「なんで、こうなったのか?」という言いようのない怒りに常にとらわれているようなのですが、東電に対する怒り、政治に対する絶望、日本という国に対する不信感でしょうか。妻は、故郷の四国に帰りたいが、身軽な貧乏人の身とはいえ、IT関連の仕事では首都圏を離れるわけにもいきません。毎日飲んでいた牛乳も飲まなくなり、乳製品はもう外国産しか買いません。東北・関東の野菜などもってのほかです。卵は四国・九州産を捜し求めて買い、水はむろんミネラルウォーター。保存食料を少しずつ買い集め、原発が異変したときに備えて首都圏脱出の準備もしています。妻と比べると、私ははるかにのんびりしていますが、というより、最近私は、自分を覚醒させてくれたこの悲劇をある感慨を持って見つめているのです。「目の中の塵は最良の拡大鏡」(アドルノ)、まさに傷ついた心は、その崩れかかった窓を通して、見えなかった真実の風景を見るのです。原発がこれほど脆いものだったとは、そもそも福島原発のことなど震災が起こるまで考えたことなどありませんでした。いわゆる「原子力村」というマフィアのような強固な仲間意識、マス・メディアの堕落と報道の無力さ、エネルギー問題に隠された大きな欺瞞など、薄々は感じていたもののこれほどひどいとは思いませんでした。しかし、それよりも、何事もない日常にぬるま湯のように浸かっていた自分の浅はかさに忸怩たる思いでいっぱいです。戦争を経験せずに平穏に人生が終わると思っていたものの、この震災により、不確定な未来、可能なことは何でも起こりうること、今日と同じ明日が来る保証は全くないことを実感として知らされました。戦前・戦中の文学者たちの日記に見られる不安のいくばくかもわかるような感じさえします。スタンダールは、セヴィニュ夫人の文章に触れて、彼女の時代には、居間に突然負傷した兵士が運び込まれて来ることが決して珍しくなかった、そのような時代の雰囲気が彼女の文章にある緊張感を与えている、と書いています。現在までを長い戦後とするなら、再び日本は苦渋の時代に入ったと思うべきでしょう。長い長い執行猶予の時を終えて、苦難の続くのっぴきならぬ時代に、、、ともかく、私はまた再び読書を再開していこうと思います。その読書はむろん喜びばかりでなく生死の綱の上を揺れながら渡っていくものになっていくはずですが。

 

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