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2011年5月 5日 (木)

最悪の一歩手前

 もう一度、時間を巻き戻して、あの日の前までに戻れたらとよく思います。3月11日の大震災とその後に起こったことは、私のような首都圏の片隅に生きる半端者の生活さえ一変させました。生まれて初めて体験する大きな揺れと、テレビに映し出された津波の恐ろしさ。そして休みなく流れる被災地の人々の痛ましい状況は言葉を失くすほどのものでした。さらに、原発事故の衝撃。情報の不確かさ、対策の不手際がなおさら不安を増幅します。悲しみと怒り、その二つがストレスとなって私の日々の生活をじわじわと締め付けました。

 震災当日、電車がすべて不通のため、妻は都心の勤め先から歩いて帰宅の途につきました。暗くなってようやく妻と携帯がつながり、自転車で迎えに行ったのですが、千葉街道は無言のまま歩いて帰る勤め人でいっぱいでした。エジプト脱出のユダヤ人もかくやと思われる人の列の中に、妻は会社から支給された白いヘルメットを被って、それでも私を見つけて心細い笑顔を見せました。翌12日の土曜日には妻の好きな映画『ナルニア国物語3』を見に行くつもりでインターネットでチケットも買ってあったのですが、もはやそれどころではなく、妻によると、荒川の長い淋しい鉄橋を渡るときに底知れぬ不安のようなものに襲われたとのことです。その不安は翌朝からの原発の報道で現実のものとなりました。煙草の煙や食品添加物などに極度に敏感な妻は、放射能を恐れてただちにバッグに必要なものを詰めて避難の準備を済ませています。私はともかく面倒なことが嫌なので、何もせずにのんびりしていると、妻はいつのまにか私のリュックに私の常備薬や下着や水などを詰めて避難セットを作ってくれていました。どうも妻の故郷の高知に避難したいらしいのです。地方都市は気がすすまないし、仕事もあるし、猫もいるので、自分ひとりで避難したらと言うと、かなりの不満顔です。ネットに張り付いて情報を探っていると、どんどん不安が増幅して行きますが、といって読書する気になれず、外に出るとスーパーの食品売り場は米や水や乾麺や缶詰が空っぽに近い状態です。

 14日の月曜日、仕事に出るために着替えている私を見て、妻がびっくりしています。確かに放射能は怖いが、仕事を休むのも心苦しく、私は自転車で長い時間をかけて職場に出向きました。電車は走っていなかったのに、欠勤はほとんどいないのに驚きました。けっきょく落ち着くまで職場は休みということになって、また自転車で帰ってきましたが、帰り道の寂しさ、店はだいたい閉まり、人通りも絶え、まるで死の街のようです。かろうじて開いていたスーパーで買った海苔巻きを妻と二人で食べましたが、その味気なかったこと。翌朝、三号機の爆発で急激に上がった放射能のグラフを見て妻が悲鳴を上げました。すぐに支度をはじめ、腰の重い私を急かします。妻はトラディショナルな洋服に趣味があり、ネットでイギリスからヴィンテージの服を購入するのが好きでした。その妻が、気に入りの洋服をすべて置き去りにして、ユニクロのジーンズに地味なスゥイング・トップを引っ掛け、ハンチングを被り、大きなマスクをつけています。その決意の並々ならぬところを感じて、さすがの私も高知行きに同意しました。すぐに妻はネットで飛行機のチケットを求めましたが、飼い猫はどうすればよいのでしょうか。妻によれば一緒に連れて行く以外方策はないというのです。それで、キャリアケースに入れて、家を出ましたが、さすがに猫を連れての旅は辛く、私がすぐに帰ってきてしまう一因になりました。

 高知は悪い町ではないし、熊本や鹿児島に劣らない風格もあります。また昼から酔っ払う人間が多いのも好感が持てました。カツオのたたきはおいしいが、武市半平太殉教の地、吉田東洋暗殺の地など歩くと、もう飽きてきます。ルーミー(猫の名)は落ち着かず、見知らぬ人たちの間で熟睡できないので体調が悪そうです。わずか2日で猫を連れて私だけ帰ることにしましたが、妻は別れが悲しいのか泣いています。また、猫を飛行機の貨物室に閉じ込めるのは可哀想なので、270円の猫用の切符を買って電車で帰ることにしました。高知駅は穏やかで暖かい天気のもと、うそのように平和で静かでした。私が新聞や弁当や土産を買って、待合室にもどると、妻が外国からの観光客らしい女性と話をしています。なんとフランスからの観光客で、妻によると、チェルノブイリのときも政府は風がドイツとスペインに流れてフランスには放射能は来ないと嘘を言った、政府の言うことは信用できないと話していたそうです。

 わずか三両の特急「南風12号」で土佐を後にしました。車内は空いていて、猫の籠をすぐそばにおいて、広い窓から見える四国山地と吉野川の流れ、大歩危、小歩危の景観を楽しみました。瀬戸大橋の眺めもすばらしく、岡山からの「のぞみ」もガラ空きで、ルーミーも私の横で落ち着いています。ところが、東京に戻ると雰囲気は一変し、薄暗く、しかも間引き運転の電車は押し合いの混雑です。やっとのことで帰って、猫ともどもホッとしたものの、21日にベントがあって放射能にさらされたのは心外でした。妻もやや落ち着いた頃合を見て、2週間ほどで帰ってきましたが、私は一人で暮らすと酒を飲みすぎて体をこわしてしまうので、妻が傍らにいるとやはり安心です。

 何もかも、ひとつも、まだ終わっていないのは、これが悪夢の始まりにすぎないからでしょうか。原発はメルトダウンしたまま、いわばダモクレスの剣のように私たちの頭上に吊り下がっています。そして、被災地の人々の悲しみは、これからが、積もり来る雪が屋根を押しつぶすように音を立てて身に迫ってくるに違いありません。私自身は、あの日以来、何かが終わったごとく、取り返しのつかないほどの重しが胸の上に居座っているかのようです。想像力をいかに働かせても、これほどの規模の苦しみに達することはありません。家族を失い、家を失い、犬や猫や家畜を失い、農地や漁場を失った人々の空しさをどうしたら想像することができるでしょうか。ましてや突然生命を絶たれた人々の書き残すことさえできなかった慟哭を。昨日、近くのショッピング・センターで、買ってもらったばかりのクマのぬいぐるみを抱いて、無邪気にも楽しそうに飛び回る幼女を見かけました。そのとき、他人の不幸に鈍感な「心なき身」である私にも、津波に抗うこともできず呑まれていった子供たちのことが頭をよぎりました。一瞬の意識の隙間の中に、行き場のないやりきれなさと悲しみが浸入してくるのです。彼らもまた生きたかったのではないか、なんてことだバカヤローと心の中で叫びながら泥水の底に沈んでいったのではないかと。

 とはいえ、言葉に尽くせない不幸があったにせよ、私はこれが「最悪の一歩手前」のように思われてなりません。私は自滅的な人生を送ってきたので、何度も倒れるか、あるいは倒れそうになった経験があります。致命的でないことを祈りながら、もしこの病が治ればもっと健康な生き方をしようと苦しみの中で自分に誓うのが常でした。そして、また倒れるのが怖いので、生活習慣を少しずつ改善しながら、かろうじて現在まで生きながらえてきたのですが、今回の震災とそれに続いた原発の事故も、日本という国に与えられた致命に至らない警告ととらえるべきではないでしょうか。

 むろん、問題は福島の原子力発電所です。至近距離で並ぶ4基がすべて各様に破損しており、そのうち3基が爆発して、残り一基はさらに危険であるという現実は、人類が経験もしていない状況です。集積された膨大な核燃料が今も不安定なままであることは地球規模の災厄さえ引き起こしかねません。冷却システムが回復しない限り、突発的に何が起ころうか神のみぞ知ると言ってよいでしょう。1942年、五千人の学生が行き交うシカゴ大学の構内で、エンリコ・フェルミが、史上初めて持続的核分裂の実験を行ったとき、開始後わずか430秒で爆発寸前の状態になり、フェルミがグラファイトの制御棒(彼自身が考案した)を差し込んで事なきを得たのですが、数秒でも遅れれば実験室の全員が死亡し、大学周辺が回復不能なまでに汚染されていたでしょう。フェルミは、その後何もなかったように家に帰り、その日の出来事は妻にも話しませんでした(彼は53歳でガンで死亡します)。このように原子力の利用は、どんなに核物理学のエキスパートであっても、予測不能な一触即発の危機に常にさらされていることを銘記しなければなりません。

 今回の危機によって、主に二つのことが露わにされて、いわば日本の癌ともいえるものが露呈されたと私は思います。まず一つは、電力行政に関する国民収奪の図式です。そして、これはすべての日本の行政構造における官民癒着と産学癒着の典型として語られうるし、その象徴として原子力発電所が存在するのです。原発の必要性は、日本においては、経済的利害よりも利権を生む温床であったということはすでに周知の事実でしょう。地震大国であり、逃げ場のない狭い国土に、54基もの原発を建設する愚挙は、少数の人々以外には不安と危険と電気料金の高さ(フランスの約2倍です)しかもたらしませんでした。反社会的な絵図が巧妙な悪人によって描かれ、心弱い人間を金の魔力で籠絡していくという構図は許しがたいが、それを日常の風景とし、地方にあってはそれが「政治」そのものとなり、大学においては出世とポストの利権にもなるのです。政治の根本的病弊は地方にこそあるのですが、根強く、また根深く張りめぐらされた利権構造の網は、戦後60年の間に地方都市の景観を一様に低俗なものに変えてきました。公共事業の無駄遣い、天下り、公務員天国、、、自民党が戦後に営々と築いてきたものは戦前と変わらぬ図式、かつて威張っていた軍人が土建屋の地方ボスに顔と外貌を変えたにすぎません。私は、社会保険庁による年金問題が発覚したとき、この国の政治に深い絶望感を抱きました。いや、それもまた氷山の一角にすぎないことではあるのですが。

 もう一つは、ジャーナリズムとそれが抱える左翼的体質です。誰かジャーナリストの人間学、あるいは左翼的人種の人間学というものを深く研究してみる人はいないでしょうか。時の権力をうかがい、その弱点を暴き、執拗に攻撃する心情の裏には人並みはずれた権力志向が潜んでいます。社会の木鐸をうたい、正義と公正を主張する言葉の裏には、権力に寄り添い、そのおこぼれにあずかり、あわよくば権力そのものを手中にしようという魂胆が見え透いています。日中戦争そして太平洋戦争最大の反国民的犯罪者はジャーナリズムそのものだったのではないでしょうか。彼らは日本国民の優しさ、寛容さにつけ入って、いつの時代も蛇のように身を隠して窺いながら、おいしいところを食いちぎってきたのです。どこの国民が、大本営発表を率先して放送してきた放送局を、あるいは嘘の戦果を誇張し、真実をこれほどまで歪曲して報道してきた新聞を、騙された後もなお聴き、読むことができたでしょうか。真摯な反省もないまま、しかも巧妙に被害者を装って、東京放送は日本放送協会と名を変え、三大新聞はなんと名もそのままに戦後を謳歌してきました。「反省もないまま」と書きましたが、自分を決して公平に検証しないのはジャーナリズムに共通の特質です。原発に関しては膨大な工作費が、しかも効率よくマス・メディアの要所に組織的に投下されて、反原発の世論を封じ込めてきましたが、これほど籠絡しやすい相手、というよりこれほど分け前を要求して涎をたらすハイエナのごとき人種には電力会社も驚いたことでしょう。

  そしてこのような体質を根に持つ人間たちが政権をとれば、まず最悪の政府になるに違いありません。自分は正しいに決まっているのですから、公正な批判には耳を貸さず、自己正当化のためには策謀や隠蔽などお手のものです。公害や環境汚染や宗教弾圧や人権無視は、旧ソ連や中国の社会主義政権でもっとも深刻な様相を呈しました。権力こそが目標であり、敵の殲滅だけが日々のパンである彼らには、そもそも国民の安全を守るなどと一秒たりとも考えたことはないでしょう。先に、このような人間の人間学というものを提唱しましたが、それに資するかもしれない思想も現れてはいます。埴谷雄高は『幻視のなかの政治』で、スターリニズムの特質を「奴は敵だ、敵を殺せ」という簡明な一句に凝縮しましたが、さらにカール・シュミットはさかのぼって、マルクスの政治思想のなかにその決定的単純化のごまかしを指摘しています。ブルジョワは当時すでに否定的な言葉だったし、資本主義もすでにその弊害への警鐘は出尽くしていた、しかしマルクスの天才はあらゆる社会的対立や矛盾を一つのきわめて単純かつ簡素な対立、ブルジョワとプロレタリアートに凝縮したことであったと。他の差異はいっさい捨象することで、この二つの対立のみが真に世界史的な必然的なものに高められた、と。ここには、多様性こそもっとも大事なものであるという考えが決定的に欠けています。

 思えば、太平洋戦争の辛い経験も、この日本にはいかなる教訓としても生かされることはありませんでした。責任をなすりつけられたのは、大日本帝国主義という理念であり、それを担ってきた人間どもは、神輿を変えただけで、また無責任な平和と自由と民主主義というお題目を唱えてきたのです。彼らの目指すのは国民の愚昧化にほかならないことは、日々のテレビ番組の救いの無さを見ればよくわかるでしょう。いかなるサブカル礼賛者といえども、これほどのマス・メディアの蒙昧主義を見て、何か言うべき言葉があるでしょうか。

 ついでながら計画停電について一言。私の子供時代はよく停電があって、ローソクや懐中電灯を身近なところに常に置いておいたものです。しかし、今の時代に頻繁に不定期に停電させるというのは産業社会の自死に等しいと言うべきでしょう。国民に安定的電力を供給することは民主主義国家の政府の責務といえるのですが、おそらくこの計画停電は政府の統制的性格と、東電の思い上がりが奇妙に同調して生まれたものではないでしょうか。電気のありがたさを実感させたいという東電の思惑とは反対に、私には電気がいかに無駄に使われているか、そして節電は十分に可能であることを知るよい機会となりました。節電といってもコンセントを抜いておくとかのちまちましたものではありません。私の父は(ずっと昔に死にましたが)大手の石鹸会社の技術者でしたが、常々、個人レベルの水や電気の節約は意味のないことだと言っていました。企業など大口の消費者は安い電気や水をそれこそ湯水のように使うのです。辺りを見回せば、今まで気づかなかった多くの無駄があることを発見します。それらを調整し、ある時は英断を持って規制するのが行政権力の使い道というものでしょう。(今の民主党政権には実効的な政策など望むべくもありませんが)。

  ちなみに、58基を有する世界二位の原発大国であるフランスを見てみましょう。原発は国土のほぼ均等に分布し、総電力の80%を供給し、国内電力消費量の低下もあってフランスは電力輸出国にもなっています。合理的なフランス人がこれほど危険な原発になぜのめりこんでいったか。主要な理由はむろん、アラブの石油に依存することの危険性、独立を好む国民性の表れでしょうが、私は「文明」に対するフランス人の意識によるところ大きいと思います。クルティウスによれば、フランスは、我こそ文明の先駆者であると自覚し、文明こそフランスの国民観念の守護神であり、全人類の連帯性の保証であるというのです。絶えざる進歩と改良によって、人間を「文明的人間」に仕上げていくことこそがフランスの使命であるというのです。芸術はイタリアに、政治はイギリスに先んじられたが、そのようなものもフランスというフィルターを通ってはじめて決定的形態をとるのです。ドイツは文明よりも文化を上位に置きますが、ドイツ人の考える文明には科学技術しか入っていません。ところが、フランス人の考える文明は科学も哲学も芸術も含めたすべて、人間が野蛮から脱け出せるすべての手段を指すのです。この「プロメテウス的使命」は、コンコルドの開発、TVA(高速鉄道網)の展開、遺伝子の解析、などの他に死刑制度への反対も含まれています。国民投票では過半数が死刑の廃止に反対したが、政府は敢えてその提案を通しました(現在では、死刑廃止はEU加盟の条件のひとつです)。人間が文明を発展させる限り、そうあるべきであり、そうあらねばならないからに他なりません。このような考えが、原発に対する取組みにも表れています。フランスは、ベクレル、キュリー以来、核物理学の先端を走ってきました。もっとも強力なエネルギーとしての原子力を克服し、手なずけ、利用するという技術を人間は獲得できるし、そうしなければならない。はじめからそれを放棄することはまったく彼らの考えの外にあるのです。しかし、このような態度も、さすがに福島の事故以来、大きな反省が起こっているようです。将来的には、旧型の多い原発を積年廃止にして、依存度を50%程度に抑えていくのではないでしょうか。

  最後に、やはり、わが国の戦前以来の懸案であった責任の所在という問題に触れないわけにはいきません。いったい誰が責任を取り、誰がその賠償をするのか。誰の責任でもない、誰も責任を取らない、という無責任の連鎖は、戦争の敗北という大きな試練を経てもなおさら、むしろさらに巧妙に続いてきたといってよいでしょう。制度の問題もあるでしょうが、国民がしぶとく根強く追求し続ける力をつけることに対して、マス・メディアの巧みな(卑劣なともいえる)懐柔策が何度も功を奏しているのです。130人もの赤ん坊を殺した砒素入りミルクの企業がいまなお乳製品を作り続けている社会だからこそ、類似の事件が決して後を絶たないのです。この戦後最大の震災の記憶とその責任を最後まで追求し、悲劇を繰り返さないことこそ重要でしょう。震災当日、気仙沼にいて、その惨状をブログで世界に発信した漫才のサンドイッチマンは、そのブログのコメントでもっとも多かったのは、この惨事を忘れないでくれ、という被災民の叫びだったと言っていました。

 ところで、個人的には、この惨禍を通じて、自分が日本人であることを強く意識するようになりました。この列島に生まれた運命について考えたのです。ある危機感があったのですが、おそらく、日本の何かが失われつつあるような、それは三陸の美しい海辺の風景であるかもしれないし、福島の豊かな農地であるかもしれません、あるいは波ごと消えていった数知れぬコミュニティ、もはや決してもどってこない漁村の人々のつながりの場であるかもしれません。多くの希望のない、空しさに満ちた政治の現実もあるが、それでも日本のエートスともいうべきもの、日本人であることの証しのようなものがまだ毅然と存在するのではないかという思いも頭をよぎりました。私は、もともと、インターナショナルなものを信じられない性格で、エスペラントなどもってのほかです。違う民族が簡単に理解しあえるはずがなく、むしろ、おのれ自身のエートスに深く沈み込むことによって、相互理解の道も開けるというものです。多様性こそ保持すべきものだし、多様性を承認することこそ理解に必要な最低限の保証をあたえてくれるものだと思います。ロックは、地球のすみずみから報告される多様な動植物のめくるめくようなパノラマを神が存在する証拠としていましたが、私は、それこそ神の存在しない証し、おびただしい多様性こそ神を超えた神秘であると思います。SF映画に出てくる異星人は一つの言葉、一つの文明しか持っていないのが普通ですが、それこそ矛盾の最たるもので、ある文明を作り上げるためには無数の違う言葉、違う文化が必要です。神秘という言葉を使いましたが、個人こそまさに神秘そのもの、一人一人はかけがえのない一回性のもので、一人の人間が死ぬとは、その人間が中心であった一つの世界の喪失にほかなりません。民族や国家が一つのエートスを持つのは、個々人の差異が神秘的な形で総合するからです。失うべきでないのは、まさにこのエートスに他なりません。真の日本のエートスとは何か。震災は、普段は隠されていたエートスのいくつかを今日も瓦礫と泥と避難所とそこで頑張る多くの人々の魂の中に垣間見せているのかも知れません。

 

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