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2011年2月 6日 (日)

パリのクリスマス(6)コメディ・フランセーズの『三人姉妹』

 1226日(日)

 クリスマス明けの日曜日。まだパリは深く眠っているように物音一つしません。私たちも、昨夜の観劇の疲れからか、陽が上がってから目が覚めました。もう10時近くなっています。リセ・アンリ四世校の横を通ってコントルスカルプ広場まで行く途中に、いつもと違う道を歩くと、よくピアノのコンサートが開かれるサン・テフレム教会がありました。日曜のミサが行われているようで、扉は半分開いていましたが、18世紀に建てられた狭い小さな教会で、ミサの途中に入るのはさすがに憚られます。坂をさらに下ると、辺りの建物とは少し違った建物がありました。なんと、エコール・ノルマル(高等師範)の物理学研究所で、入口横のプレートにはこの研究所出身のノーベル賞受賞者の名が記されていました。冬休みで閉館しているようで、人の気配はしませんでした。ここはカルチェラタンの奥まった小道が錯綜しているところで、どの道を行っても、コントルスカルプ広場かムフタール通りに出てしまいそうです。

 ところで、カルチェ・ラタンQuartier-latin とは、ヨーロッパ共通語のラテン語が普通に使われる街区ということで、考えようによってはたいへん鼻持ちならない場所といえます。語尾変化の複雑なラテン語を習得できる時間と能力に恵まれた人間はほんの一部の人間たちですが、そのような人種がパンテオン広場(かつてのサント・ジュヌヴィエーヴの丘)のサント・バルブ学寮やサン・ミッシェルやダンテ通りの学寮に住み込んで学問と論争に明け暮れていたわけです。ヨーロッパ中から我こそはという若者やインテリが集まってくるので、当然そこには学問以外に酒や賭博や女がからんできて、夜遅くまで喧騒の絶え間もなかったでしょう。当時のメイン・ストリートであるサン・ジャック通りには夕方になると娼婦が出没したそうです。また、夢破れて酒に身を持ち崩す者、愛欲に溺れて学問の意欲をなくし、失意のうちに郷里に帰るものもいたことでしょう。その中で、後世まで名を残す人間はやはり偉大で、その中には、ピエール・アベラールやアルベルトゥス・マグヌス、トマス・アキナスなどの名が燦然と輝いています。

 さて、ムフタール通りに入ると、すぐ右側に Student Bar なる店がありました。何かすごく安そうで、午後五時からはハッピータイムでさらに安くなるそうです。左側には、9ユーロで前菜・主菜・デザートが食べられるレストラン、さらに朝からワインを飲んでいるスタンド、ごちゃごちゃした土産物屋もあります。今朝の目的は、別になく、またモンジュ Le Boulanger de Monge でパンを買いに来たのです。前回もらったカタログを見て、いろいろ買うのを考えていたのですが、まだ朝なので種類は少なく(売り切れていたかも)、再びクロワッサン(0,9ユーロ)2個、バゲットの半分(0,6ユーロ)、エスカルゴ(アーモンド1,3ユーロ)とパン・オ・ショコラ(1,2ユーロ)を買いました。サン・メダール教会の一つ横の道を歩いていると、有名なパティスリー、カール・マルレッティがありました。小さな店ですが、外側からも高級そうな雰囲気が見てとれます。せっかくなので入ってみることにしましたが、心の準備ができていず、またケーキの名前もよく知らないので、どれにしようか迷いました。ショーケースには、天国のテーブルにはこんな物が並んでいるに違いないと思わせるような色とりどりの輝くばかりのケーキが並んでいます。客は私たちだけですが、三人いた店員はすべてモデルかと思う美形で男も女も黒一色のスーツを着ています。二つしか買わなかったのですが、応対は非常に丁寧でした。というか丁寧すぎて堅苦しく、ムフタールの市場の八百屋で買い物するほうがずっと楽しいと妻は言っていました。

 帰りにムフタール通りで、果物や飲み物などを買って、ホテルで朝昼兼用の食事をとりました。モンジュのクロワッサンはやはりおいしく、これで0,9ユーロとは驚きです。バターをたっぷり使っているが、べたべたせず後味がよい。ぼろぼろ皮がこぼれるカイザーのクロワッサンも捨て難いが、、、と考えていると、あの小食のプルーストが好物のクロワッサンを毎日欠かさず食べたことを思い出しました。その後、気合を入れてカール・マルレッティのケーキを食べましたが、悲しいことに味を忘れてしまいました、、、。

 12時にホテルを出て、昨日と同じメトロのプラス・モンジュから7番線に乗り、パレ・ロワイヤル・ミュゼ・デ・ルーヴルで降りました。駅前の広場に面して建っているのが、サル・リシュリーです。芝居の開演の2時までずいぶん間があったので、リシュリュー通りを散歩することにしました。といっても物凄く寒いので早足になります。日曜なので店はすべて閉じられていて、歩く人も全くいません。このリシュリュー通りに並行して続くパレ・ロワイヤルに沿うモンパンシェ通りにはコクトーの住んでいたアパートがありますが、私たちの目当てはリシュリュー通りに三ヶ所あるスタンダールの住んだ建物です。45, 61, 69 番地がそうで、69番の建物にはプレートが掲げられていました。ここまで来ると、パリ国立文書館はすぐそこです。

 サル・リシュリューにもどって、受付ロビーに入りました。実は、コメディ・フランセーズのチケット料金を払いこんでいたのにチケットが届かないので妻がメールで問い合わせたところ、当日開演30分前に受付に来てくれという返事がきました。行ってみると、私たちのチケットがすでに準備されていました。コートと帽子とマフラーを預けて、二階のpremier balcon 26ユーロ)へ。扉のところに立っていたタキシードの係員が私たちを席に案内し、今日の芝居のパンフレットを渡してくれました。サル・リシュリューの料金は三段階で、39ユーロ、26ユーロ、12ユーロです(開演1時間前には、それぞれ24,18,9 ユーロになります。ただし、売れ残っているのは3階席が多いようです)。館内はオペラ・ガルニエよりはかなり狭く、それが親しみを感じさせます。コメディ・フランセーズの劇場はサル・リシュリュー(862席)の他に、左岸のヴュー・コロンビエ座(300席)、ルーヴルのステュディオ・テアトル(136席)があります。

 今日の出し物はチェーホフの『三人姉妹』 Les Trois Soeursです。このチケットを買ってから、家にあった古い岩波文庫の湯浅芳子訳『三人姉妹』を読み始めたのですが、訳文が鈍重でなかなか話の中に入っていけません。半分ほど読んだところで妻が図書館で英訳本を借りてきたので、そっちを読んでみると、すらすら頭に入ります。英訳は透明感、スピード感、めりはりがあって、夢中になって最後まで読みました。湯浅訳は会話が不自然でぎごちなく、とてもロシアの家庭の雰囲気を想像できません。台詞を覚えるために英訳本を二度読んでから、光文社の古典新訳文庫の浦雅春訳も読んでみました。大分読みやすいが、まだ女性の会話に不自然な感じがあるようです。そうこうするうちにフランス語訳が届きましたが、台詞をほとんど覚えていたので楽に読めました。これほど準備をして芝居に臨んだのですが、何と開始早々眠ってしまいました。妻に何度も腕を揺すられ起こされましたが、実は昨夜あまり眠れなかったのです。というのも、ホテルでは空調を30度ほどにして毛布一枚で寝るのですが、暖房のおかげで乾燥して喉がくっつくように渇くので、レセプションから毛布をもう一枚出してもらって、温度を低くして眠りました。しかし、今度は暑くて汗をかいて目が覚めてしまいました。浴室でシャツを洗って、冷蔵庫の上の暖かい場所で乾かしながらワインやコーヒーを飲んでいたら目がさえて、やっと夜明け頃寝付きました。そういうわけで第一幕、第二幕は眠ったり起きたりでぼーとしていました。二幕と三幕の間に休憩があって、一階の廊下にあるバー・カウンターの周りはいっぱいになりましたが、雰囲気はバスチーユやガルニエとずいぶん違います。まず、ほとんどが白人で黄色人種は私たちのほかは若い女性が一人いただけでした。また、一見してインテリっぽい人が多く、学生らしいグループもよく目につきました。フランスの地方から来たような主婦仲間や芝居好きの中年夫婦も目にしました。オペラに比べると全体的に落ち着いていて、廊下にはボーマルシェやマリヴォーなどの劇作家の彫像が並んでいます。

 幕間に飲んだコーラのおかげで後半の第三幕、第四幕はしっかり観劇できました。台詞を次々に思い出して、次の言葉、場面が正確に予測できます。実はシナリオを読んでから芝居を観るという体験は初めてなのでいろいろ驚くことがありました。家で静かに戯曲を読んでいる時は、会話の意味内容に没入して、人物の声の大きさとか振舞いの強弱などにあまり注意を払わないのですが、現実の芝居では人物の動作が大きく、怒ったり憔悴したりの表現が過度に出るので先入観が修正されることがよくあります。妻によるとコメディ・フランセーズのフランス語はとても美しいらしいですが、確かに一語一語とてもわかりやすく、明確に発音されています。また、舞台の構成も秀逸で、よくあるような暗い背景で話者だけスポットライトを当てるようなことは全くなく、終始全体が明るく、舞台装置も斜めの動線で動きを立体的にしており飽きることがありません。とくに私たち二階席からは舞台全体が非常によく見えました。演技の良し悪しはよくわからないのですが、皆ベテランですべて堂に入っている感じです。最後の第四幕は、悲しみが覆って、劇場の観客と登場人物が境を越えて融合するような感覚にとらわれました。そして静謐なるラスト、なるほど人生とはこういうものだったのか、という感動に襲われます。

 『三人姉妹』は、田舎町に住む軍人家庭の三姉妹の夢と現実を描いています。多彩で興味深い登場人物の中から一組だけ紹介しましょう。二女のマーシャは18歳の時に年上の学校教師と結婚しますが、世界一賢いと思っていた夫は俗物だとわかり、楽しみのない結婚生活を送っています。その頃、モスクワから師団長として赴任してきたヴェルシーニンは、神経病の妻と二人の幼女のいる息の詰まりそうな家を逃れてマーシャの実家に度々お茶を飲みにやってきます。人生に失敗し、恐らく現世ではもはや取り返しのつかないであろうことを自覚した二人が、それゆえに秘めた愛の炎を燃やします。しかし、(チェーホフの話がたいていそうであるように)ヴェルシーニンは部隊の移動とともにマーシャのもとを離れていき、現実を覆すことは何も起こりません。最後の最後に長く長く抱き合う二人、影からそれを覗くマーシャの夫は実は妻の心が自分から離れていることを知っているのです、、、。

 幕が降りてから、下のグッズ売場をじっくり見ていきました。欲しいものがたくさんあったが、高いので買えず(コメディ・フランセーズ創立の年1680を印字した文鎮や万年筆、ともに24ユーロなど)、妻は思い出に鉛筆(0,75ユーロ)を一本だけ買っていました。チェーホフが描くように現実の人生はまさにそのようなものです。100円もしない品物なのに売場の人は丁寧にきれいな袋に入れてくれました。後でじっくり見ると鉛筆の側面に代表的な出し物がぎっしり書いてあります(ル・シッド、フィガロの結婚、シラノ・ド・ベルジュラックなど)。コメディ・フランセーズの歴史はかなり複雑で、別名「モリエールの家」と言われるようにモリエール抜きには語れないのですが、その歴史の曲折は彼の死後にあります。格調高い演技と演出によってフランス古典演劇の伝統を死守するという信念はもはや時代遅れでしょうが、ナポレオンが語ったように「コメディ・フランセーズはフランスの光栄だが、オペラ座はフランスの虚栄だ」という言葉には何がしかの真実があるように思われます。

 実は帰り際にサル・リシュリューの階段を下りているときに右足の甲が痛くなったのですが、痛風ではないだろうが、念のため杖を買っておこうと、すぐ目の前のカルーゼル・デュ・ルーヴルというルーヴル美術館の地下のショッピング街に寄りました。しかし、杖を売っているような店はなく、ただ、ロクシタンやフラゴナールで妻の買い物に付き添っただけに終わりました。お腹がすきましたが日曜でほとんどの店は休みなので、カルーゼル・デュ・ルーヴルのセルフサービスのフード・コートでタブレ(クスクスのサラダ)を食べました。隣のテーブルに非常に軽っぽい日本の女子大生らしきグループが座って食事をしながら馬鹿話をしていたのですが、帰るときにテーブルをパンくず一つなくきれいに片付けていったのには驚きました。

 足が痛いので、ただちにホテルに帰ることにして7番線でプラス・モンジュへ。ところが、メトロから上へ上がるときに、いつもの出口でない出口から出てしまいました。場所の方向感覚がわからなくなったので、ポケットから地図を出して調べようとしていたら、もうすでに妻が誰かに教えてもらっています。かなり老齢の男性で一緒に歩いてくれば分かると言っているようです。私は妻と老人が並んで歩いている少し後からついていきました。モンジュ通りを渡って、小さな泉のようなものがある階段を上がって、石畳のような細い道に入りました。おっと気が付いて暗い中で地図を見ると、以前から気になっていたrue Rollinです。この道はかなり古い歩行者専用道で、地図では点線で表されています。老人と妻が話しながら歩いているのですが、その話し声が聞こえてきます。老人は先ほどのモンジュ通りの裏のリュテス闘技場(ローマ時代の遺跡)のそばに住んでいると言っていました。リュテス闘技場を知らないらしい妻は生半可な返事をしています。老人は子供の頃からここに住んでいるらしく、この辺りのことを妻にいろいろ話をしていました。私たちのホテルをよく知っていて、その近道を教えてくれました。コントルスカルプ広場の手前で別れましたが、妻によるとミサのために教会へ行くと言っていたそうです。おそらくサン・テティエンヌ・デュ・モン教会へ行くのでしょう。

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Carl Marletti のケーキ。パティシエが相応の尊敬を受けるのは、ここフランスにおいてだけでしょう。左が妻が選んだ Le Marie Antoinette(4,7ユーロ) マカロンの生地の間に妻の好物の木苺がぎっしり詰まっています。右が私の好きなチョコレート・エクレアを二つ重ねたReligieuse Chocolat (3,6ユーロ)。ルリジュース(修道女)がスカートを広げて歩く姿を思わせます。

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日曜のリシュリュー通りを歩きます。寒かったが足取りは軽い。奥の右側に見えているのがパリ国立文書館。ベンヤミンは『パサージュ論』を書くため、毎日左岸のホテルからこの通りを通って国立文書館に出向いていたのでしょう。ここの資料がどうしても必要だったため彼のパリ脱出は遅れてしまいました。

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モリエール通りがリシュリュー通りに合流する広場にあるモリエール像。一介の劇作家兼俳優のために、これほど立派な記念碑が建てられたことが、わが国にあったでしょうか。

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リシュリュー通り61番地に張られたプレート。スタンダールはここと45,69番地で『ローマ散歩』と『赤と黒』を書きました。

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69番地のアパートだけが今でも外見を変えずに残っています。

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コメディー・フランセーズの本拠地サル・リシュリュー Salle Richelieu。パレ・ロワイヤルの一角、ルーヴル美術館の前という絶好の立地にあります。

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サル・リシュリューの観客席。劇場も俳優も出し物もすべてが満足する内容でした。

 

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