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2011年1月 3日 (月)

パリのクリスマス(1)到着、パンテオン広場のホテル

 1221日(火)
 エールフランスのリムジンバスは、クリスマス前の夕方の渋滞で、ポルト・マイヨーからシャルル・ドゴール・エトワールまでのわずかの距離を行くのに半時間もかかりました。バスを降りると、寒さと吐き気と腹痛で立っていることも苦しい有様です。とにかく、ホテルまでたどり着こうと、エトワールからメトロ6番線に乗りました。エトワールで折返し運転の6番線は、空っぽで、床には紙くずが散乱し、半分乾いた吐瀉物がへばりつき、靴底が運んだ泥と砂が床をざらざらにしています。私たちの後から乗ってきた大柄のフランス人女性は、床のごみ屑を蹴散らしながら大声で何か文句を言っています。走り始めた電車はがたがた揺れて、そのたびに吐き気が胸の上まで迫ってきます。おまけに冷たい席にお尻をのせていると耐え難い便意も催してきました。懐かしいモット・ピケ・グルネルで10番線に乗り換えましたが、途中のセーブル・バビロンでついに耐えがたくなり、ホームに降りて休みました。エチケット袋を出して吐こうとしましたが、なかなか吐けません。しかし、死にそうになってパリに着くのはいつものことなので、妻は心配してもいないようです。

 少し落ち着いたので、再び電車に乗りました。半分以上は黒人の乗客で、乳児を抱えた母親、勤め帰りの労働者、デパート・ボン・マルシェの袋を持った婦人もいます。マビヨンで乗ってきた貧乏そうな老人が、私のそばで直立して、いきなり歌うように話し始めました。はじめは酔っ払いの戯言かと思ったのですが、どうも格調のある愛国的な演説のようで、終わった後、その皺だらけの無骨に丸められた掌に何人もの人が小銭を入れていました。私はそれを聞くどころではなく、気持ち悪さが我慢できなくなって、目的地のカーディナル・ルモワーヌの二つ手前のクリュニー・ラ・ソルボンヌで電車を降り、もうそこからホテルまで歩いて行くことに決めました。

 地上に出ると、夜のパリはまさに身を切るような寒さ、冷たい小雨も降っています。けれど、その冷気を吸って体は一気に爽快さを取り戻したようです。むかむかした気分はどこかに飛んでいって、旅の高揚感が沸きあがってきました。しかも、メトロから出たその場所はクリュニー中世美術館の横で、私の馴染みの場所、パリでもっとも土地勘のある場所ではありませんか。「地図を見なくて大丈夫?」と聞く妻の手を引っ張るように私は先に立ってどんどん歩いて行きました。サン・ジェルマン大通りからサン・ジャック通りに曲がり、リュクサンブール公園の少し手前の小道を左に入りました。道に迷ったように見せかけて、いきなりパンテオンの壮大なドームを妻に見せたかったのです。ところが混み入った暗い小道に惑わされて方向感覚を失い、横道から歩いてきた学生らしき背の高い女性に道を聞くことになりました。「右に曲がってすぐですよ」と教えられて歩いて行くと、白い壁が端正に延びたサント・ジュヌヴィエーヴ図書館の入り口に突き当たりました。冬休み最後の勉強を終えた学生たちが三々五々外に出てきました。そして目を上げると、パンテオンの白亜のドームが立っています。その前に広がるパンテオン広場のまだ残る雪を踏んで、サント・ジュヌヴィエーヴ図書館と向かい合っているオテル・グランゾム Hotel Des Grands Hommes に、約束どおり8時にチェックインしました。

 2010年は年初から体調が悪く、どうも旅行はむりではないかと思われました。妻も夏に過労で長期に仕事を休み、秋の旅行は望み薄になりました。おまけに、いつも旅行中に猫の世話を頼んでいる近くに住む私の息子(前妻との子ですが)が、九月になるといきなり東京ー屋久島自転車一人旅に出てしまいました。放浪癖と動物好きのところは私によく似ています。今年の旅行は諦めようと思ったところ、妻が年末の英国航空(BA)パリ行きの特別割引を見つけたので、急遽フランス旅行が決まってしまいました。そうなると生活に目標と張りが出て、妻はすっかり元気になり、旅行に必要な洋服や小物をネットで探し始めました。

 ところが、私は夏に重い痛風を患って以来、次々と病魔に冒され、2ヶ月に及ぶ歯の治療、大出血による痔の手術、ヘルニア性腰痛の間歇的な発作等等、体を休める暇もありません。ようやく体が落ち着いた出発一ヶ月前に、妻がインフルエンザで寝込んでしまい、その後、夫婦で風邪も引きましたが、何とか持ちこたえたものの次の問題が。というのも英国航空最安値のパリ行きは、むろんヒースロー空港乗り継ぎですが、乗り継ぎ時間が90分しかありません。私も妻も、かつて何度かヒースローを利用していて、悪い印象は持っていず、妻はHarrod'sのお店でパディントンのぬいぐるみを買うのが、私は空港のパブで黒ビールを飲むのを楽しみにしていました。ところが、ヒースローは2008年に巨大なターミナル5が完成して、もっともセキュリティーが煩わしく、評判の悪い空港となっていました。しかも帰りは朝5時過ぎにホテルを出ねばならず、だからこそ割安航空券だったのですが、強行日程が無事実行できるか、考えると憂鬱になってきました。

 そこに100年に一度のロンドンの大雪が見舞って状況が大きく変わりました。出発前日の1220日(月)ヒースローは大混乱で発着便はキャンセルが続出しています。一方、エールフランス・パリ直行便も座席が埋まらず、直前に大幅に割引しています。キャンセル可能なこの時機を逃す理由はありません。妻は、まずBAの往復便をキャンセルし、リファンド(払い戻し)を確認した後、ただちにAFのサイトに入って予定通りの21日出発29日帰国のエールフランスパリ往復直行便のチケットを購入し、出発30時間を切っていたのでチェックインもすませて、二つ並んだ座席を確保しました。帰りの便は夜遅いのでゆっくり、しかも差額が17000円も浮いたのは望外でした。出発前日に、わずか一時間足らずで、混雑してなかなかつながらないインターネットと電話を駆使して、BAからAFに乗り換えた妻の手際にも感心してしまいました。

 さて、私たちが投宿したオテル・グランゾムは、31室しかない小さなホテルですが、18世紀に建てられた歴史あるホテルで、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』にその写真が載っています。ブルトンは、このホテルで1919年、フィリップ・スーポーと世に言う「自動記述」の試みを初めて行ったのでした。また、1924年に初めてパリの地を踏んだ画家佐伯祐三の定宿でもありました。レセプションでno51のキーをもらい、エレベーターで5階(日本の6階)まで上り、部屋に入ると、予想通りの狭さ、しかし、ここは世界一ホテル代の高いパリです。キャリアケースを置いて、カーテンを開けた妻が歓声を上げました。目の前にパンテオンの巨大な建物が聳えています。ルソー、ヴォルテール、デュマ、ユゴーらgrands hommesたちを目の前にして眠ることができる、とはホテルのパンフレットの言葉です。オフシーズンの割引なのでもっと安い部屋だと思っていたのですが、バルコニーの付いた立派な部屋でした。まだ、夜は浅いですが、私たちはたいへん疲れました。雨の中、歩いたので体も冷たくなっています。風呂に浸かって温まり、持参したポットで珈琲を沸かして飲むと気持ちも快適に緩んできました。

Pantheon

18世紀に完成したパンテオンは、もともとサント・ジュヌヴィエーヴ教会として建てられましたが、曲折を経て、今は偉人たちの眠る墓所となりました。壁面の窓はフランス革命のときにすべて壊され、その後塗りつぶされました。

Viewfromhotel

パンテオン前の広場。右がサント・ジュヌヴィエーヴ図書館、その左がパリ大学法学部、手前の電飾された建物は第五区の区役所。広場の真ん中に地味なクリスマスツリーが置かれています。

19191989

ホテルの玄関に掲げられているプレート。シュルレアリスムの誕生を告げる『磁場』はここで書かれました。

 

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