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2011年1月30日 (日)

パリのクリスマス(5)クリスマスのオペラ・ガルニエ

 1225日(土)

 今日はフランスは祝日(クリスマス)で、たいていのお店は閉まっています。昨日の雪が収まって、朝からめずらしく良い天気の予感がしました。思い切ってバルコニーに出てみると、しかし、すごく寒い。パジャマのままだと体の芯まで冷たくなるようです。パンテオンも今日は閉館日なのに次から次へ見物客が来て、そして閉館と知って、がっかりして帰って行く人、それでも記念に並んで写真を撮っていく人などもいます。双眼鏡で久しぶりに雪の降らない空を見てみると、遠くになんと北駅近くの聖ヴァンサン・ド・ポール寺院の二つの塔が見えました。観光客を除いては、クリスマスのパリは静まり返っています。そういえば、パリの街を歩いてもクリスマス・ソングなど一切聞こえず、サンタ・クロースの姿も見かけません。フランス人にとってクリスマスは、日本人にとっての正月のようなもので、友人同士で楽しむのではなく、一年に一回、親類が集まってプレゼントを交換し合い、無事を確認しあう日なのでしょうか。テレビをつけると、雪のためシャルル・ドゴール空港でイヴを過ごした人(200人ほどに減っています)の様子が映し出されていました。驚いたことに、泊り込みの人たちにシャンパン、海老、ハム、ソーセージ、サラダなどの料理、子供たちには素敵なおもちゃセットが配られています。あーあ、空港に泊り込んでいればよかった、とつぶやくと、妻はあきれています。

 メトロでミロメニルへ。今日は妻の希望でジャックマール・アンドレ美術館へ行く予定をたてました。地下鉄から上へ上がると、ペルシエール通りは全く人気がありません。まっすぐ行ってオスマン大通りを左に行くとまもなく美術館の旗が見えました。入口から中庭に抜けてぐるっと回ると、たいへん立派な玄関のある建物です。10ユーロを払って中に入ると、見物客が大勢いました。日本人も多いようです。この日は他の美術館や観光スポットがほとんど休みなので、年中無休のこの美術館に観光客が集まってくるようです。さて、中に入ると、さっそく華やかな天井画やシャンデリアが目を引きます。うろうろしていると、ドイツ人っぽい中年婦人が近寄ってきて、音声ガイドがありますよ、と英語で教えてくれました。一人できた見物客らしいのですが、私たちはその親切にたいへん感謝しました。入口に戻って探すと無料の音声ガイドがあって、各部屋を日本語で詳しく説明してくれます。ここは19世紀の大ブルジョアの邸宅ですが、金融業で得た資産をイタリア・フランスの美術品に費やし、かつそれらを所蔵・陳列するために豪奢な部屋部屋を作り上げたとのことです。趣味は私の好みではないし、所蔵品も最高というわけではありません。しかし、この邸宅は(カルナヴァレなどの貴族の邸宅と比べると)重々しさがなく軽快で住みやすそうな感じがしました。窓からの採光の感じ、温室の明るさなど19世紀の合理性の良いところが出ています。

 見終った後で、一階のタペストリーと天井画で飾られた食堂でランチを食べました。妻は好物のほうれん草のキッシュ、私は昨日の食事が腹にもたれているのでサラダを注文しました。妻はキッシュが大きすぎて食べられず、私も山のように盛られた野菜をだいぶ残してしまいました。外に出ると、オスマン大通りは車も少なく、日本の元旦のように静まり返っています。店という店はすべて閉まっています。メトロの駅まで歩こうとして、Boulevard Houssmann という表示を見ていたら、突然プルーストの住んでいた家へ行ってみようと思い立ちました。手帳で調べてみるとオスマン大通り102番地です。歩き始めたが、なかなか102番地にたどり着きません。あまりの寒さで歩調も怪しくなったので、妻が先に行って探してくると言いました。132番地の六叉路の彫像の下で待っていましたが、ふと銘を読むとオスマン男爵の彫像ではありませんか。G.E.HAUSSMANN1809-1891)はナポレオン三世の下、セーヌ県知事としてパリ大改造計画を実行した人物ですが、17年にわたる改造でパリの街路は一変しました。中心部の狭い街路や貧乏人の集まる通りは一掃され、今あるオスマン大通り、サン・ジェルマン大通り、オペラ大通り、エトワールから延びる街路などが造られました。これは古いパリの破壊、暴動とバリケードの街、パリの大改造でした。輸送や衛生や何より「美的」見地から概ねこの改造は肯定的に評価されています。道幅によって高さをそろえた美しい街並み、市民の憩うさまざまな大きな公園、威容と華やかさを備えた建築群など、近代のパリの美しさの根本がこの改造によって成し遂げられたというのです。これについての異論をクルティウスは『フランス文化論』でこう書いています。パリの近代化は必要なことであったが、そのために失われたことも多かった。すべての道が広場に集中し、そこから放射状に広がる構造は事故と渋滞を引き起こしやすくした。曲がりくねった小道を廃して直線的な大きな街路を造ったことは、都市景観の単調化をもたらした。モンジュ通りの長く続く単調さに感心する者は一人もいまい。(このことは、全くそのとおりで、リヴォリ通りやオペラ大通りを歩いても何の感動もありません。裏通りこそ、かつてのパリの面影をしのばせます。)パリを訪れる旅行者は近代的な大通りにばかり心を奪われ、ごく近くにある古きパリの美を見落としがちである。「パリ賛美者と称する幾万の人々のうちで、14世紀以来ほとんど全く変わっていないようなブリーズ=ミッシュ街や、また王后カトリーヌ・ド・メヂシスとその宮廷占星家リュグジェーリが天文台に使用した昔のオテル・ド・ソワソンの、カバラ秘教の文字で飾った大円柱を、知っているものが何人いるだろうか。」(『フランス文化論』みすず書房・大野俊一訳)

 さて、先に行っていた妻が遠くから手を振っています。オスマン大通りの広い歩道には人っ子ひとり歩いていないので、妻の赤いコートがよく見えました。急いで行ってみると、確かにオスマン大通り102番地で、今は一階に旅行会社のテナントが入っているのですが、玄関横に大きなプレートが掲げられていました。プルーストはこの建物の二階で紅茶に浸したマドレーヌの体験をしたのです(実際はトーストを紅茶に浸したらしいのですが)。一瞬にして、舞台はコンブレーの大叔母の家と古い教会と記憶の細い細い道をたどってオスマン通り102番地のコルク張りの部屋に帰ってきます。彼はこの部屋で『失われた時を求めて』の大部分を書き上げました。

 寒いので、すぐに近くのメトロのサン・トーギュスタン駅からホテルに向いました。カルチェラタンの辺りの店もほとんどすべて閉まっていました。前日ムフタール通りでお菓子や食べ物を買っておいたので、ホテルでテレビを見ながら食べました。クリスマスだからでしょうか、テレビではカトリックの司祭と知識人が「宗教は人間を幸せにするか」などの題で討論していました。フランスのいわゆるライシテ(脱宗教性)は、数年前以来のイスラム女性の教育現場でのスカーフ着用問題で一躍世人の注目をあびましたが、ライシテの原理そのものはフランス国内ではだいたい合意ができているようです。というのも、ライシテは宗教を排除するのではなく、公共の場から締め出すことによって、宗教本来の務め、個人の精神的自由を保証するからで、これによって宗教相互の自由と平等が成り立つわけです。とはいえ、このライシテの原理そのものが宗教といってもよいので、かつては子息にカトリックの堅信礼を受けさせた公務員の名前を公表するという暴挙まで行われたのですが、そこにはフランス革命以来の強固な信念があります。アメリカ独立宣言(1776)が、人間は創造主によって自由と平等に創られたと言明しているのに対し、フランス人権宣言(1789)は、ただ人間は自由と平等なものとして生まれたと書いてあるだけです。クルティウスは、このフランスの心性を短く的確に言い切っています。すなわち、「人間理性は自己のみにて充分であり、他のものを必要としないという信念」。反宗教的な啓蒙思潮が根付いたのは唯一フランスだけであった、というのも頷けるでしょう。このことは、教育に対するフランス人の取り組みにも現れます。人間は理性を涵養し、自在に使うことによって何者にもなれる、またならなければならない、という考えです。無料、無宗教、義務教育(幼稚園から)というフランス教育の三大原則がここから出ています。

 暗くなってきたので、オペラを観に行くためにホテルを出ました。今日の行く先はオペラ・ガルニエです。プラス・モンジュからメトロ7番線に乗って乗り換えなしでオペラへ。上へ上がるとオペラ広場の真ん中、正面にライトアップされたオペラ・ガルニエが見えます。天気が良いと、このオペラ座の階段やマドレーヌ広場の階段などは観光客で鈴なりになっているのですが、さすがにこの寒さ、座っている人は一人もいません。すぐに開場したので、鞄からチケットを取り出しました。このオペラ・ガルニエの係員は愛想が悪いのでいつも嫌な感じを受けます。前回、前々回、10ユーロと20ユーロのチケットを見せて席の場所を聞いたときは「上」と一言いってそっぽを向いてしまいました。しかし、今回は私たちの BAIGNOIRES 15 no1,no2 というチケットを見ると、他の客は無視して、変に丁寧に行く先を指し示してくれるではありませんか。私たちが言われたとおり左側の廊下の端まで歩いていくと、廊下の一番奥に立っていたハンサムで背の高い男性が駆け寄ってきて、チケットを確認し、15と記された扉を開けてくれました。この扉は係員以外は外側から開けられないようになっているのです。中に入ると、手前にコートを掛けられる小部屋があり、奥に椅子が前四席、後ろ四席ありました。係員は私たちに前の右端の席が12だと教えてくれました。この席は何と115ユーロです。7時半の開演までまだ時間があったので、私たちはコートや帽子を置いて、ガルニエの中を散歩しました。シャンデリアのきらめく有名なグラン・フォワイエで写真をとったり、バー・カウンターでミネラルウォーターとサンドイッチを買ったりしました。席に戻ってみると、小部屋は一席を除いて埋まっています。私たちのすぐ左no.3 の席には太った白人の男性、その隣には一人で来たらしい中年の日本女性、その後ろはやはり一人で来たらしい若い日本人女性、そして私たちのすぐ後ろの席には若いフランス人のカップルが座っていました。この小部屋は舞台の左手横で、舞台全体を見るには体をやや斜めにしなければなりません。それでも窮屈な席がほとんどのガルニエ(観客にとっては最悪です)では最上の席の一つです。

 ところで、今晩の演目はチェコ国民歌劇の傑作といわれるスメタナの『売られた花嫁』La Fiancee vendue 1866) です。あまり期待できないが、しかし、せっかくのクリスマス、ほかにもっとましな演目ができなかったものでしょうか。それでも序曲の快い音楽が流れると、場内はオペラ独特の高潮した予感に包まれてきます。この『売られた花嫁』は、チェコの農村を舞台にした喜劇で、大農場主の息子が、ヒロインの美しい田舎娘に結婚を迫るところから話は始まります。ところが娘には出身の不明な恋人がいて、金持ちの息子の申し出には頑として応じません。そこで息子の仲人はその恋人にお金を与えて、娘がその農場主の息子以外とは結婚しないという誓約書にサインさせてしまいます。恋人に裏切られたと思った娘は激しく嘆き悲しみますが、しかし、その恋人は実は昔行方が知れなくなった正妻の息子だったことがわかり、無事二人はハッピーエンドを迎えます。他愛ない筋ですが、見所はチェコの農村の素朴な祭りと娘たちの愛らしい踊りのはずでした、、、ところが、なんと演出は、場所を20世紀初頭のアメリカとおぼしき田舎に設定して、冒頭いきなりオールドファッションな自動車がゆっくりと舞台に姿を現します。そして、衣装も舞台装置も思い切り簡略化され、何よりヒロインの可愛らしさが全く前面に出てきません。しかも、決定的に納得できないのは、台詞がチェコ語なので、話の筋がよくわからない点です。舞台の上に電光掲示でフランス語に翻訳されるのですが、小さくてよく見えない上に、読み終わらないうちに終わってしまうことが多いのです。私たちの隣に座っていた白人男性はオペラの常連らしく、いい場面でブラボーを連発し、劇場を盛り上げていたのですが、幕間の休憩の時に帰ってしまいました。客席でもうとうとする人が何人か見られ、妻によると鼾(いびき)も聞こえてきたということです。話が単純で盛り上がりに欠けるし、良い意味の緊張感が感じられないからかもしれません。私はむろん半分ほど寝てしまいました。

 しかし、オペラの楽しみは幕間にもあります。各階にあるバー・カウンターを中心に華やかな廊下を人々が楽しそうにすれ違い、シャンパンの栓が抜かれ、語らいの輪が作られます。ガラ公演や大晦日の特別公演ほどではないが、人々の装いは相当にお洒落で、中には振り返らずにはいられないエレガントな人もいます。ところで、妻は、風邪を引くからやめろという私の再三の説得にもかかわらず、この寒い日に袖なしのドレスで幕間の廊下を歩いていました。そんな恰好が違和感ないのもオペラ・ガルニエであり、この第二帝政期のごたまぜの折衷主義のきらびやかさの代表といえる建物がかもし出す魔術なのでしょう。

 夜10時半頃オペラが終わりました。期待はずれで、高額な席をとったことにたいへん後悔しましたが、それでもオペラ観劇の持つうきうきした気分で私たちは正面の階段を下りました。ガルニエの階段の下でライトアップされた建物を見ていると、スペインから新婚旅行で来たという夫婦に写真を撮ってくれるよう頼まれました。画面には、はじけるような二人の笑顔が映ります。ガルニエでオペラを観るということは、その内容がどうあれ、いつまでも無数のシャンデリアの煌きとともに記憶に残ることでしょう。

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ジャックマール・アンドレ美術館の入口。民間人の邸宅とは思えぬ豪華さです。

 

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オスマン大通り102番地に貼られたプレート。プルーストはこの二階で喘息の発作と闘いながら20世紀最高の小説の一つを書き続けました。

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オスマン大通り。右手前がプルーストの住んでいた建物。街路樹が窓に当たってうるさいので、彼は友人のすすめで部屋の壁にコルクを張り、厚いカーテンを引いて、夜昼逆転の生活を送りました。

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オペラ・ガルニエのグラン・フォワイエ(大広間)。向こうの端にクリスマス・ツリーが見えます。

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幕間の観客席。私たちのすぐ前の一階の席が137ユーロ。その後ろの席がもっとも高額(Optima)で180ユーロ。横のバルコニーはやや観にくいが、値段にしてはゆったりできます。

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オペラが終了した後、大階段を下りて帰る人々。次はどんな出し物を観にくることができるでしょうか。



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