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2011年1月 8日 (土)

パリのクリスマス(2)リュクサンブールからシャンゼリゼへ

1222日(水)
 朝
7時、まだ真っ暗ですが、私たちはパンを買いにホテルの外へ出ました。このホテルのネットでの評価は高く、レビューはほぼみな満点ですが、朝食(10ユーロ)のみは芳しくなかったので、外で調達することにしました。パンテオンの裏側に、リセ・アンリ四世校があります。ジッド、シモーヌ・ヴェーユ、サルトルなどが出た名門校で、アランもここで教えていました。その学校の長い壁を右に沿って歩き、エストラパド通りを下って行くと、ほどなく噴水のある小さな広場に出ますが、この広場こそ中世から残る居酒屋横丁、コントルスカルプ広場です。もともとパリ城壁の際にあって、荷方馬方の労働者の安酒屋(tavern)が集まっていたところですが、フランソワ・ヴィヨンやラブレーが好んでここで酒を飲み、すぐ後にピエール・ロンサールらいわゆるプレイヤッド派の詩人の巣窟となりました。近くは、カーディナル・ルモワーヌの共同便所のある汚いアパートを嫌ってヘミングウェイが一人でこっそり酒を飲みに通った場所でもあります。

 コントルスカルプ広場から始まるムフタール通りをだらだら下っていきます。八百屋や魚屋などはまだ準備中で店を開けていません。サン・メダーユ教会からモンジュ通りに出て、パリで一番のクロワッサンを売る店 Boulangerie de Mongeを探しました。モンジュ通り123番地がなかなか見つからず、何とメトロのサンシェ・ドーバントンの近くにありました。朝早くでまだ客は一人しかいませんが、三人の若い女性の店員は目一杯メイクアップして準備は万全のようです。私たちは、そこで0.9ユーロ(100円)のクロワッサン2個、1.4ユーロのエスカルゴ(チョコとシトロン)2個を買いました。急いでホテルまで帰ると体はすっかり冷え切っています。珈琲を沸かして早速クロワッサンを食べてみました。まだほの温かいクロワッサンを一口食べて二人ともびっくり。こってりしたバタパンを食べているようで、こんなクロワッサンははじめてです。

 朝10時にホテルを出ました。ものすごく寒い(マイナス4度)ので、二人とも厚手のウールのコートにマフラー、手袋、帽子、使い捨てカイロなどで防備しています。パンテオン広場からスフロ通りをまっすぐ行って、サン・ジャック通り、サン・ミッシェル大通りを横切ると、リュクサンブール公園に至ります。エドモン・ロスタン広場から公園に沿って続く道には格式ある古書店が軒を連ねていますが、パリの古書は高いのでウインドーを見るだけに留めました。リュクサンブールからサン・シュルピス通りに至る道の一つトゥールノン通り rue Tournonに入ると、すぐ左側に、Cafe Tournon があります。15分ほど歩いただけで体が冷えてきたので、中に入って温かい飲み物をとることにしました。このCafe Tournon は、ある時期のヨーロッパでもっとも有名なカフェの一つといってよいでしょう。ここは、まずオーストリアの作家ヨーゼフ・ロート(1894-1939)が最後の数年を過ごしたカフェでもあります。ナチによってオーストリアを追われたロートは、このcafe Tournon の上のホテルに滞在していました。パリに住む亡命者にとってカフェがどのようなものであったか、ドイツの作家へルマン・ケステンは書いています。「亡命生活者にとってカフェはすべてだった。家であり、教会であり、議会であり、砂漠であり、戦場であり、幻想のゆりかごであり、そして墓場でさえあった。」(David Burke “Writers in Paris”) ロートは、ここで散文を書き、手紙を書き、『聖なる酔っぱらいの伝説』の主人公のように酔いつぶれていたのでしょう。1939年、ロートはこの店内で、やはり亡命作家のエルンスト・トラーの自殺の報を聞いた直後倒れ、近くのネッケル小児総合病院に運ばれましたが、そこで数日後亡くなります。

 カフェにはまだ客は少なく、カウンターの老婦人が一人で応対していました。私はカフェ・エスプレッソ(2.3ユーロ)、妻は chocolat viennoise JOSEPF ROTH (ウインナチョコレート・ヨーゼフ・ロート 5.6ユーロ) を注文しました。妻が、店内の写真をとってもよいかと尋ねると、老婦人は一瞬意味がわからないという顔をして、それから、いいですよとにっこり笑いました。ドゥ・マゴやカフェ・フロールのように俗化していないところが好感を持てました。

 Cafe Tournon は、第二次大戦後再び exile たちの溜まり場となります。リチャード・ライト、ジェイムズ・ボールドウインらAfrican American たちが、祖国の人種迫害、反共政策、性的ピューリタニズムを逃れて、自由で通貨の安いフランスに逃れ出てきたのです。彼らは、このCafe Tournon と後に Comptoir du Relais と名が変わるオデオン交差点のBar Monaco にたむろしていました。

 そのComptoir du Relaisで昼食を食べるべくオデオンに向って歩き始めましたが、まだお腹がすきません。そこで、サン・シュルピス寺院からレンヌ通りに出て、さらにセーブル通りまで歩いて、デパート、ボン・マルシェの食品館でバター、チーズを買いました(何と帰国の時にホテルの冷蔵庫に置き忘れてしまいました)。バターやチーズは品物も違いますが、値段も日本の半分以下です。さて、そろそろお腹がすいたので、Le Comptoir に足を向けました。一時半という中途半端な時間だったので、満席で、フランス人カップルが外で並んでいます。どのくらい待つか聞いてみると15分だというので、私たちも待つことにしました。この店はネオ・ビストロの草分けイヴ・カンデボルトが6年ほどまえに開いた店で、各種の雑誌に取り上げられ、夜は予約でいっぱいとのことです。このような話題の店は敬遠したいのですが、妻の強い希望で仕方なく入ってみることにしました。驚いたことに、この寒さにもかかわらず、外の10あまりのテラス席にも人が座って食事していることで、中には一人で食べている日本人女性も二人いました。

 ところで、ネオ・ビストロとは何でしょうか。簡単に言えば、「星付きレストランで修行した本格的な料理人が開店した低価格で高品質の料理を出す店」だということです。そこには、フランス料理のヒエラルキーを作り出してきたミシュランの星に対する真っ当な反発があるのです。確かに、高級レストランは私たちには高嶺の花だし、そこで働く料理人のストレスも相当なものです。手ごろな値段で新鮮な感動を与える料理を出せるレストランがあれば、作る人も食べる人も満足できるに違いありません、それがネオ・ビストロの目指すところです。

 順番が来て、私たちは店内のいちばん端の席に座りました。店内は狭く、テーブルとテーブルの間にはほとんど隙間がありません。妻はなぜか鴨を食べたいというので、22ユーロの鴨料理(料理名は失念してしまいました)、私はここ2,3日不足している野菜を補うために coeur de laitue 8ユーロ)というものを注文しました。「レタスの心臓」とはどんな料理だろうかと思っていたところ出てきたのは皿に山盛りになったレタスの芯でした。バルサミコに蜂蜜を加えたようなソースがかかっています。どんどん食べていきましたが、食べても食べてもなかなかなくなりません。おいしかったが、半年ぐらいはレタスは食べなくてもいいやと思いました。妻の頼んだ鴨料理は、鴨を輪切りにしたように見せかけて、鴨の皮で外側を作り、中を鴨の胸肉で埋めています。鴨の皮が厚すぎて噛み切れないのが残念でした。

 デザートは、妻はババを私はソルべ(シャーベット)を注文しました。妻が気を利かせて両方とも私の好物にしてくれたのです。ババは、卓に置かれてから目の前でラム酒がたっぷり注がれました。ソルべは私の好きなフランボワーズとシトロンです。これとグラスワイン2杯で合わせて50ユーロ弱でした。食後のコーヒーを飲まなかったのは大変混んでいたからで、隣のテーブルには連続して日本人のカップルが座っていました。店の外に出ると、雨が雪とみぞれに変わって物凄く寒い。それでも行列が前より増えています。雪が降り込む中でテラスで食事している人もたくさんいました。

 シャンゼリゼでマルシェ・ド・ノエルを見てみたいという妻の要望で、メトロでコンコルドへ。しかし、今回のパリ旅行でもっとも失望したのがこのマルシェ・ド・ノエルだと妻は言っていました。クリスマス用の素朴な飾り付けや人形やぬいぐるみが売られていると思っていたら、実際は観光客と子供向けのチープな小物(マフラーや手袋やアクセサリー)や安直な食べ物、飲み物で、いわば縁日の屋台のようなもので、それが通りの両側にいつまでも続いているのです。しかも、みぞれが激しくなって足元はぐちゃぐちゃ、風もあるので傘は役に立たず、おまけに観光客(ほとんどが子供)で混んでいてまともに歩けません。むろん何も買わず、メトロでまっすぐカーディナル・ルモワーヌまで帰ってきました。そこの交差点にある Petit Cardinal (小さな枢機卿)というカフェで、Le Comptoirで飲めなかったコーヒーを飲みました。このカフェはモンジュ通りの交差点を見渡せる絶好の場所にあります。外はみぞれが完全に雪に変わって夜の歩道がうっすら白く変わっています。この寒さで30分以上歩くのは不可能で体が芯まで冷え切ってしまうようです。ホテルに戻る前に、モンジュ通りのカイザーでクロワッサンとドミ・バゲット(半分のバゲット)を買い、スーパー・フランプリでぺリエ、みかん、紅茶、お菓子などを調達しました。

 部屋に戻ってテレビを点けると、シャルル・ドゴール空港は大雪で大変なことになっています。欠航続出で、2000人の泊り込み客のために大きなテントまで張り出されました。私たちも一日遅れたらどうなっていたかわからず、また帰りの日までに空港が復旧できるか心配になってきました。

Photo

コントルスカルプ広場の朝。小さな広場を六、七軒の飲食店が囲んで、夜になるとたいへん cosy な場所になります。

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Cafe Tournon 。三階の壁面に、1937-1939 ここにヨーゼフ・ロートが住んだというプレートが張られています。

 

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Cafe Tournon の店内。たいへん感じのよい店。

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店内に張られた写真。ロートがここにすわって書いた詩がプレートに張られています。

 

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部屋に帰ると、なぜか妻宛にレセプショニスト全員の名前で手紙とウェルカム・ドリンクのワインが置かれていました。

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