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2011年1月22日 (土)

パリのクリスマス(4)ムフタール通りとバレエ『白鳥の湖』

 1224日(金)

 雪のクリスマス・イヴ。バルコニーの窓を開けると、朝の薄明るい陽の中に、まだ雪が舞っています。テレビニュースによると、シャルル・ドゴール空港では依然として多数の人が出発を待って夜明かし、炊き出しのサンドイッチや飲み物が配られています。氷を溶かす薬剤の備蓄を怠っていた空港当局への非難も出始めました。私たちはコーヒーとヨーグルトとりんごを食べ、九時半頃ホテルを出ました。実は、昨日食べたシェ・ジャヌーの肉がお腹に重くて、二人とも昨夜から食欲が出ないのです。夫婦ともに小食で、これほどの量の肉を普段たべることはまずありません。パンテオンは雪でひっそりと、さらに荘厳さを増しているようです。入り口には10時の開門を待つ観光客の小さな列ができています。私たちはアンリ四世校の脇を通って、ムフタール通りのほうへ降りていきました。

 ムフタール通りは、北のコントルスカルプ広場から南のサン・メダール教会まで、およそ500メートルほど続く昔ながらの商店街で、月曜以外は常設の市場が店を出しています。コントルスカルプ広場からしばらくは学生向けの飲食店、書店、雑貨店などが続きます。その後、チーズ、ワイン、豚肉、鶏肉、魚屋、パン、お菓子などのお店があり、最後は八百屋の集まる広場に至ります。私たちは途中の L'Arbre du Voyageur という新刊書店に入りました。まだ朝なのに何人か客がいます。ここは主にフランス文学関係の書店で、私はいくつか目当ての本を探しましたがすぐには見つかりません。すると、奥で本を見ていた妻が、「この本を買いたい」とシオランの De l'inconvenient d'etre ne 5.6ユーロ)を持ってきました。アフォリズムだし、シオランはフランス語が母語ではないから語彙も少なく帰りの飛行機の中でも読めるだろう、と買うことにしました。

 本屋から出てムフタール通りをぶらぶら歩くと、クリスマスの買出しをする人でにぎやかになってきました。チーズ専門店では店の前にクリスマス用の10-18ユーロのチーズの詰め合わせを並べています。鶏肉やパンの店はもう行列ができていますし、チョコレートのお店はプレゼントを買う人でいっぱいです。ワインの店では、樽の上にグラスを並べて早くも試飲して頬を赤めている人もいます。クリスマス・イヴだからでしょうか、珍しくもシャンパンの瓶があけられていました。雪は、時に激しくムフタール通りを吹き抜けます。子供を連れて、ブッシュ・ド・ノエルの大きな箱を提げてケーキ店から出てくる人もいます。軒下に、寒さのため真っ赤にした顔をタオルで巻いてうつむいたまま座っている老婦人がいました。前に置いた紙コップは雪と泥で汚れています。すると、通りかかった中年婦人が自分のピンクのマフラーを外して、その老婦人の首に巻きつけながら優しく言葉をかけていました。老婦人は皺だらけの紅潮した頬を下に向けて黙っています。その片目から涙の粒が出たように私には思われました。

 ムフタール通りはサン・メダール教会のあるメダール広場で終わります。サン・メダール教会は地味な教会で、左岸ではサン・ジェルマン・デ・プレやサン・シュルピス、サン・セヴラン、サン・ニコラ・デュ・シャルドネなどの立派な教会に比べて観光客の姿もあまり見かけません。しかし、17世紀にさかのぼるこの教会の歴史はいくつかのフランス教会史の重要な舞台となりました。一貫してパリ南東部の貧しい人たちの精神的支柱であり続けたこの教会はユゴーの『レ・ミゼラブル』にも登場します。刑事ジャヴェールの執拗な追及を逃れてジャン・ヴァルジャンは、サン・メダール教会近くのサン・マルセル街に養女コゼットと隠れて住んでいます。浮浪者の身なりをしたジャン・ヴァルジャンは、その深い信仰心から、サン・メダール教会のミサの後に教会前の広場で物乞いする乞食たちに毎回お金を与えていました。「乞食に施しをする乞食がいる」という奇妙な情報を得た刑事ジャヴェールはその鋭い嗅覚でジャン・ヴァルジャンではないかと感づきます。日曜の夕方、ジャヴェールは浮浪者の変装をしてサン・メダール教会の前に座っています。いつものようにミサに出席したジャン・ヴァルジャンが帰り際に教会の前にたむろする乞食たちにお金を与えていき、変装したジャヴェールの掌にも銅貨を置きました。一瞬、目を合わせたジャヴェールはそこにジャン・ヴァルジャンの不敵な瞳を見つけます。一方、ジャン・ヴァルジャンは、19年の獄中生活で培われた動物的な勘で見知らぬ乞食の鋭い眼差しに危険の兆しを感じとります。何気なく家路を急いで、ジャン・ヴァルジャンは、すぐに荷物をまとめ、コゼットを抱えて、夜の闇の中へ逃げ出します。気が付くと、三つの黒影が彼らの後を尾けてきました。ジャン・ヴァルジャンはムフタール通りからパンテオン広場に入り、サント・ジュヌヴィエーブ図書館の周りをめぐって追い手を惑わし、東の方向に戻って、オーステルリッツ橋にたどり着きます。橋守に駄賃を払ってジャン・ヴァルジャンが渡ろうとすると、ジャヴェールら三人の男がすぐそこまで迫ってきました。コゼットを抱え、右岸に渡るとすぐジャン・ヴァルジャンは物陰に潜み追っ手をまくことに成功します、、、

 帽子をとって教会の中に入ると、何人かの人が熱心に祈りを捧げていました。外側から見るよりもはるかに大きい立派な教会です。妻は1ユーロのろうそくを買って、灯をつけ、礼拝堂の前に置きました。教会の中は外にもまして寒さが身にしみます。あまり長居せず、冷えた体を温めるため、私たちは教会前のcafe Saint Medard に入ってコーヒーを飲みました。今日の昼食は、このすぐ近くにあるレストラン Le Tourbillon でとるつもりでしたが、まだ12時には間があります。近くのポール・ロワイヤル通りにあるヴァル・ド・グラースに行ってみることにしました。そこは陸軍病院で、軍事医療の博物館とドーム教会があります。博物館は今日は休みですが、教会の中を見たかったので、寒いけれど歩いていきました。ところが入り口までくると、軍関係の人しか入れないらしく厳重に警護しています。見ると教会はずっと向こうにあって、地図で見ると大きく回り道をしなければなりません。それで、パンテオンに似たドームを遠くから見るだけで満足することにしました。ここの陸軍病院は、第一次大戦の時、医者の卵であったアンドレ・ブルトンとルイ・アラゴンがともに看護士として派遣された場所でもあります。二人は顔を知っていたものの互いを深く知り合うのはこの病院が初めてでした。面白いことに、同じ頃、やはり医者となるセリーヌが傷病兵として送り込まれたのもこのヴァル・ド・グラースだったということです。

 時間が余ってしまったので、私たちはぶらぶらとクロード・ベルナール通りを歩きました。ここはカルチェ・ラタンのいちばん南の外れです。妻が不動産屋のウインドーで物件を見ていたので私も覗いていると寒くなってくしゃみが出てしまいました。それで、隣にあった画材屋に入って温まることにしましたが、画材屋に入れば漫画の得意な妻の買いたいものが山ほどあります。フランスの水鉛筆が欲しかった妻は女主人や店員と何やら話をして、品物を次々に見せてもらっています。若い男の店員は真っ白な紙に水鉛筆できれいな樹の絵をさらっと描き上げて使い方を説明してくれました。結局、数本の水鉛筆を買って店の外に出ると、もう12時を回っています。急いで、同じクロード・ベルナール通りのLe Tourbillon に行くと、すでに老夫婦が一組食事していました。予約はむろんしていなかったのですが、私たちは狭い店の居心地のよい端の席に案内されました。16,5ユーロ(1800円)の定食は一種類のみで、前菜と主菜あるいは主菜とデザートを選べます。二人とも主菜とデザートを頼むと、すぐにラスクとツナペーストのアミューズが運ばれてきました。ツナをのせたラスクはおいしいので何枚も食べてしまいました。主菜はサーモン、茸、米などをパイ生地で包んで焼いたものに泡立てたソースがからめてあります。手間のかかった見事な料理で、味も複雑でそのおいしさは捉えどころがありません。量は多かったが、小食の妻も五分の四ほども食べてしまい、もったいないのでその残りを私がきれいに食べました。すでにその時点でお腹いっぱいだったのですが、デザートは二本のチョコレートケーキで、クリスマス・イヴらしく雪のように白い粉が散らしてあります。これも結構な量で、妻は半分も食べられません。私は白ワインといっしょに妻の分も何とかお腹に入れました。妻は炭酸水、私はコーヒーを食後に飲むと、すでに狭い店内は客でいっぱいになっています。勘定を頼むと請求書と一緒に Paris Best Restaurant という小さな箱入りのカタログが添えられていました。むろん Le Tourbillon もそこに載っています。

 ムフタール通りはまだ雪が降り続いていました。お昼過ぎで、買出しの人々の数はぐんと増えています。イヴの日は早めに店が閉まってしまうことが多いので、どの店も人でいっぱいです。孫を連れてチーズやチキンや果物を腕いっぱい抱えて歩く老人もいます。パン屋や肉屋は店の外まで行列ができていました。帰りにパティスリーでブッシュ・ド・ノエルを買ってホテルで食べようとしたのですが、お腹いっぱいで何も入りません。それでもシャルキュトゥリー(豚肉店)に並べられたおいしそうな惣菜を見るとどうしても買いたくなります。人が多くてあきらめましたが、店の外の雪が吹き込む軒下で、買ったばかりのシュークルートのような惣菜を立ったまま食べている若い日本人カップルがいました。縁日で焼きそばを食べるような、どこか懐かしい光景です。しかし、何でも買ってみて食べてみるということは大事なことです。裕福な旅行のできる人は少ないでしょうが、星付きレストランで食事をしてブランドショップで買い物を楽しみ、ヴェルサイユやルーブルを巡っても心に残るものはほんのわずかです。それよりもクリスマスに雪の降るムフタール通りで、背中を丸めながら二人で、買ったばかりのシュークルートを分け合いながら食べるほうがどれほど思い出に残ることでしょうか。

 とりあえずホテルで休もうと部屋に戻ってみたらまだ掃除がされていません。1階に戻って、掃除するようお願いして、ロビーで新聞や雑誌を読んでいました。このホテルのロビーは洗練されすぎていて落ち着きません。やはり、ふかふかとした大きなソファーとけだるい雰囲気がホテルには似合います。パンフレットによると、このホテルは第一帝政様式に内装されているとのことですが、第一帝政とはナポレオン一世の時代のことで、彼の好みを反映して、ギリシア・ローマの古典に範をとったいわゆる擬古典主義が席捲した時期でした(マドレーヌ寺院やブルボン宮などが有名です)。そう言われてみると、ロビーにはアウグストゥスやブルータスの肖像画が飾られています。部屋にもギリシア彫刻を模した壁の装飾があり、王家の象徴であるライオンが描かれています(数えたら50匹以上)。椅子の肘当てにもライオンの彫刻がありました。そこまで徹底したら風呂の蛇口もライオンにしてもらいたいのですが、そういう頽廃さをこの様式はもっとも嫌います。

 さて、部屋に戻って昼寝をしてしまいました。目覚めたらもう夕方の外は真っ暗です(日没は4時半です)。まだお腹がいっぱいで苦しいくらいでしたが、夜7時半からのバレエを観るために支度しなければなりません。昨日に続いてメトロでバスチーユ広場まで行きました。駅前のオペラ・バスチーユには開場前なのにたくさんの人が集まっています。すぐに入場が開始され、列を作って劇場内に入りました。日本人、それも10代前半の娘を連れた家族が多いのには驚きました。みなクリスマスらしい華やかな装いです。クリスマスにパリで『白鳥の湖』を観るとは、子供時代の何とすばらしい体験でしょうか。日本人ばかりでなく、この特別な日に、客はそれぞれ気取った格好をしています。女性たちはもちろんですが、粋な身だしなみの老人たちもまた多い。このような劇場では観客もまた登場人物の一人です。友人と出会って抱き合う人、あたりの華やかさに戸惑う若い二人連れ、開場したばかりなのに、シャンパンを買って飲んでいる人もいます。私たちは入場するとすぐクロークルーム vestiaire にコート、マフラー、帽子を預け、二階の Premier Balcon に座りました。料金は34ユーロ(3700円)です。パリ・オペラ座の会員カード CARTE OPERAを持っている妻は、あっという間に売り切れたこのチケットを真っ先に確保していました。この劇場は、どの席からもよく観れるよう工夫されていますが、この席がもっともコスト・パフォーマンスが高いように思われます。

 さて、バレエが始まりました。私の音楽の趣味は俗っぽくて浅薄ですが、若い時期のほんの数年クラシックに凝ったことがあり、確かベームか誰かの『白鳥の湖』のモノラル盤を何度も聴いていました。また旅行前にボリショイ・バレエ団のDVDも見ておいたのですが、実際に目の前で見た『白鳥の湖』は予想を遥かにこえる素晴らしいものでした。これがなぜオペラ・ガルニエでなくオペラ・バスチーユで行われたかよくわかります。この世と天上が交差する幻想的な仕掛けはバスチーユの広い舞台でしか成功しません。開幕冒頭から憂鬱な王子ジークフリートは運命の暗い予感に胸塞がれています。侍女やお付きの騎士たちの励ましや慰めにも気が晴れず、狩に出た湖で白鳥の群れの中に美しい王女オデットを見つけます。しかし、圧巻は第三幕の舞踏会のシーンです。悪魔ロットバルトの娘オディールがオデットに化けて舞踏会に現れるのですが、そのブラックスワンの美しい舞いにジークフリートは抗いがたく引き寄せられ、結婚を誓ってしまいます。絶望したオデットは身を投げて死にますが、この単純な物語には様々な解釈が可能です。邪悪さの伴わない美しさはないのですから、オディールのブラックスワンこそ王子を憧れの極に誘ったのではないか、王子は破滅の予感とともにその愛の陶酔に飛び込んでいったのではないか、とも思われます。いずれにしても、最後の絶望的な場面まで一瞬の緩みのない演出です。特筆すべきは王子の家庭教師役とロットバルト役の一人二役を演じたステファン・ブリヨンで、その存在感はすばらしい。オデットとオディールを演じたエミリー・コゼットは映画『パリ・オペラ座のすべて』に出演したエトワールです。妻は、最後の幕では鳥肌が立ったと言っていました。10時半に幕が下りて、ホールは興奮冷めやらぬ、しかし家路に着こうとする観客でいっぱいとなりました。外は寒いが、私たちは満足した気持ちで地下鉄に乗りました。パリでバレエを観ずに帰るのはもったいない、とは本当にその通りです。

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パンテオン広場の朝。雪で白く覆われています。左の電飾されたツリーのところがホテルの玄関。

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Cafe Saint Medard から見た雪のサン・メダール教会。

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教会の中に置かれたクレシュ Creche (キリスト生誕時の群像模型)。

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ル・トゥールビロンの鮭のパイ包み。お腹いっぱいになりました。

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オペラ・バスチーユの全景。旧オペラ座(ガルニエ)に比べて、観やすさ、椅子の座り心地など格段に優れています。私たちのもっとも気に入った劇場の一つ。

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オペラ・バスチーユのロビー。右にバー・カウンター。遠くにクリスマス・ツリーが見えます。

 

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